ヌケガラ



  『 大胆なようで案外控え目な女なのよアタシ。』

  藤咲亜里沙が以前ウインクしながらそう言い笑いかけてきた時、龍麻は「何をバカな事言ってるんだ」と心の中だけで失笑した。彼女はいつでも大胆で積極的で、顔を遭わせる先々で「龍麻ってイイよね」、「アタシ恋人になってあげてもいいわよ」と身体を摺り寄せては、龍麻の身体にも折に触れ触れてきた。
「 ちょっと、やめろって」
  だから龍麻はその度藤咲に迷惑そうな声を発して顔を逸らし、彼女の伸びた爪先に引っかかれないよう、ゆっくりとその手を振り解いた。藤咲はいつでも龍麻の頬や首筋、それに太ももを触りたがった。何度も「嫌だ」、「やめろ」、時には「お前なんか好きじゃない」と言っても、藤咲は軽い笑声と共に何も聞こえていなかったような顔で、自らの長い髪の毛をさらりと梳き足を組んだ。
「 嘘が下手ね龍麻は」
  そうして龍麻が依然としてむっとした顔をし続けても、藤咲は別段謝るでもなく、次の日にはまた「恋人になってあげる」と龍麻の身体に自分の身体を寄せてきた。元来、他人と過度の接触をする事に抵抗を感じていた龍麻は、もしかすると仲間内で一番こんな真似を繰り返す藤咲という女性が嫌いだったかもしれない。

  そんな藤咲と何が楽しくて買い出しになど行かなくてはならなかったのか。

「 あー暑いわねぇ。もうすっかり夏ね」
  その日はいつものように仲間内で旧校舎に潜る日で、よせばいいのに終わった後はラーメン屋という実に暑苦しいスケジュールが赤髪の友人によって組まれていた。
  だから本来ならその「今にも茹で上がりそう」なスケジュールの前に冷たい物を摂取しておきたいというのは、まあ最もな話なのだけれど。
「 この太陽と同じくらい暑苦しいあいつらにアイスなんか買ってないでさ。このまま2人で何処かへ消えるっていうのはどう?」
「 やだ」
  藤咲の甘ったるい声での誘いを無碍に断り、龍麻はふいと視線を逸らして歩く足を速めた。
  誰かがアイスを食べたいなどと言うから、ジャンケンで負けた自分が近くのコンビニまで行くハメになってしまったわけだが…よりにもよって一緒に負けてしまった相手が藤咲だなんて。藤咲も藤咲だ。こんな面倒臭い事、普段だったら紫暮だのアランだのに代わってくれと言いそうなものなのに。
「 あ。ねえ。龍麻」
  その時、数歩遅れて歩いてきているはずの藤咲が背後から龍麻を呼び止めた。
「 ………」
「 ねえってば。ちょっと待ってよ」
「 ……早く来いよ」
  どうせロクな事じゃない。
  相手をするのが億劫で、龍麻は思い切り邪険な態度で振り返りもせずに藤咲に言った。暑さのせいでイライラしていたせいもあるかもしれない。普段だったらもう少し柔らかい態度が取れたはずなのに。
  そう、いつだって龍麻は藤咲には露骨に素の面を出してしまう。
  嫌だ、とか。
  離れろよ、とか。
「 ちょっと、龍麻ってばぁ」
「 もう! 何だよっ!」
  掛けられる声が遠ざかって行くところを見ると藤咲は立ち止まったまま自分を呼んでいるらしい。全く何だっていうんだと龍麻が振り返ると、案の上藤咲は道の途中で立ち尽くしたまま眉をひそめてこちらを見やっていた。
「 どうしたんだよ」
「 ちょっと来て」
「 何なの?」
「 いいから来て」
「 ……ったく!」
  藤咲が自分の言う通りに動かない事など知っていたさ。
  龍麻は心の中で散々に彼女に対して文句を言いながら元来た道を戻った。
  藤咲は黙ってそんな龍麻を見つめていた。
「 もう。どうしたんだよ」
「 コレ見て」
「 え?」
  藤咲は龍麻が自分の目の前にまで来ると、すぐ足元をさっと長い指で指し示した。
「 ……?」
  促されるようにしてそのまま下を向くと、そこにはセミの抜け殻らしきものがぽつんと落っこちていた。
「 ……これが?」
「 凄くない?」
「 何が?」
「 完全体」
「 はあ?」
「 だから。こんな綺麗なの、あんまり見ないよね」
「 はあぁ?」
  思わず間延びしたような反応を返してしまった後、龍麻はやたらと大声を上げてしまった自分に焦り、辺りをきょろきょろと見回した。幸い、周辺に人の姿はない。一本道の灰色コンクリートに立っているのは龍麻と藤咲だけだった。
  強いて言うのなら、後はこのセミの抜け殻のみ。
「 アタシ、こういうの触れないんだけど」
  藤咲が言った。
  どことなくキラキラしたような目をして熱っぽい口調を発する彼女に、この時龍麻はようやく「あれ」と思った。何だかいつもの自分が知っている藤咲より若干子どもじみた顔だと思った。
「 これ勿体無いじゃない。このままここに落っことしていたら誰かに踏まれるか自転車にひかれるかしちゃうんじゃない。そっちのさ、そうね、あの塀の上にでも乗せてあげようよ」
「 ……乗せればいいじゃん」
「 だから言ったでしょ。アタシ、こういうの駄目なんだって。龍麻が拾ってよ」
「 あのなあ。もしかしてそんな事の為に俺をわざわざ呼び戻したのかよ」
「 そんな事って。龍麻。アンタには美しいモノを護りたいって気持ちがないわけ?」
「 美しいものって…。別に俺は…」
「 ああ、そうか」
  もごもごと口篭る龍麻に藤咲は急に眉を吊り上げると、半ば軽蔑したような声で言った。
「 アンタ自分が一番綺麗だから、その他の綺麗なモノとか人とかの価値が分からなくなってんじゃないの。そういう感覚が鈍いわけよ。まあ元から龍麻ってそういう冷めた感じするなとは思ってたけど」
「 な、何なんだよそれ!」
「 誉めてんじゃない」
「 貶してるだろーがッ」
  またしても怒鳴ってしまい、龍麻は慌ててあががと両手で口を押さえた。やっぱりおかしい。いつだって感情を昂ぶらせず、落ち着いて物事に当たろうとしているのに。そうしないといけない立場なのに、藤咲といるとペースを乱されてしまうのだ。
「 ねえ龍麻」
  そんな龍麻の動揺には構わずに藤咲が言った。
「 アタシねえ。アンタの事、好きなのよ」
「 え…っ。な、何だよ急にっ」
「 急にって。別に毎日告ってはいたけど?」
「 わ、分かってるよっ。でも今は何か急だったろっ」
「 そうね」
  あっさりと龍麻の言葉を受け入れ、それでも藤咲は顎先に手を当てると考えこみながら言った。
「 いつもはふざけているから…。ああでもしないと龍麻はアタシにも遠慮しちゃうしね」
「 え?」
「 だからどっちかっていうと今の告白がマジなんだけどね。ああ、そんな事はどうでもいいんだけど」
「 藤咲…お前一体何言ってんだよ?」
  呆れたように龍麻は言ったが、いつもならここでむっとするはずのは藤咲が、しかし依然静かな調子で言葉を続けた。
「 だから。アタシは龍麻の事が好きだからね。だから護りたいわけ。この街も、この街にある龍麻以外の綺麗なモノも。全部」
「 え?」
「 だってそうすれば綺麗な龍麻はここでもっと綺麗に映えるでしょ」
「 藤…っ」
「 だから。いいからこれあそこに移動してあげてよ。この夏の間くらい、色んな人に見せてあげようよ。こういう綺麗なもんはさ」
  龍麻に反論は許さない、という調子で藤咲は再度自分たちの足元にあるセミの抜け殻を指さし、空いているもう片方の手は偉そうに腰に当てた。
「 ………」
  龍麻は強制的に閉じさせられた口をむうっと尖らせはしたものの、促された事で改めて傍にある抜け殻を見つめた。それは太陽の光の下、いっそ地面すらも透かして見える程に薄く、それでいてその原型を見事に遺したままそこに在った。
「 確かに…珍しいよな」
  思わず呟くと、藤咲はそれみたことかという顔をして笑った。
「 そうでしょ。龍麻もね。自分以外の綺麗なもんいっぱい見て、もうちょっと感性を磨いた方がいいわよ。そうすれば今よりもっとイイ男になれるし」
「 俺、別にいい男じゃない」
「 何言ってんのよ」
  龍麻の台詞を鼻で笑いながら、藤咲はさらりとした長い髪の毛を片手でかき上げ、そして言った。
「 この藤咲亜里沙に見初められた男なのよアンタは。イイ男に決まってんじゃない」
「 ………まったく、どこが控え目な女なんだ」
「 何? 何か言った?」
「 別に」
  藤咲の、まるで獲物を狩る時のようなぎらぎらした瞳は、本当は苦手なのだ。
  苦手なはずなのに。
「 ここでいいか?」
「 うん。そこでいいよ」
  龍麻はその「苦手」なはずの瞳を何故か今は心地良いものに感じながら、言われた通りの場所―民家の塀の上―に置き去りにされた抜け殻をそっと置いた。
  キラリと光ったそれに、龍麻はすうっと目を細めた。 
「 綺麗…だな」
  素直に漏れた龍麻のその一声に、藤咲が微笑するのが分かった。
  それが照れくさくて、何だか癪に障って。
  龍麻は暫くの間ずっと藤咲から目を逸らし、自分の手から離れたその綺麗なモノを見つめ続けたのだった。



<完>




■後記…藤咲は恋人っつーよりお姉さん?そんな感じですが、彼女は仲間うちの中でも特に包容力のある女性に思われます。それでいて「あんな」だから、龍麻も割とヤダとかウルサイとか言えちゃうんじゃないでしょうか。うちの龍麻は普段あんまし自己主張とかしない方なんですが、藤咲相手だと結構お喋りになったり口悪くなったり…。そんな感じを意識して書きました。…それにしても季節外れなネタですんません。冬にセミのヌケガラって…何なんだって感じですな。