ぽかぽか
龍麻は特別寒さに弱いというわけではないが、強くもない。黄龍の器だし武道をやっているし、イメージ的には頑丈という感じもするが、実際はそうでもない。殴られれば痛いし、斬られれば血だって出る。
至って「普通」だと、少なくとも龍麻自身はそう思っている。
「 ダーリーン! はいっ、お待たせしましたぁ、帰りましょう〜!」
「 ………」
しかし、だからと言って彼女…仲間である高見沢舞子は少し心配性もといお節介なのではないだろうか。
「 本当に出てきちゃって良かったの? 俺が検査に来る度に家まで送るって出てきてたらさ、病院も大変じゃない?」
「 えへへ、大丈夫だよう。先生にもちゃあんと許可取ってあるんだからぁ。それに先生がね、今日は大切な入院患者さんがいるから、煩い舞子はダーリンとさっさと帰りなさいって〜」
「 ……それって喜ぶところ?」
院長の厭味を屈託なく話す舞子に龍麻は思わず頬をひきつらせたが、それ以上のツッコミはやめておいた。気を取り直して舞子と並び歩き始める。季節はもう冬で、コートのポケットに両手をつっこむも、既に十分に凍えたそれは暫くかじかんで言う事をききそうにない。吐く息は白いし、早く帰宅して温かいお茶でも飲みたいと思う。
「 あー。ねえダーリン、手ぇ繋ごうよう」
しかし舞子の方は至って元気だ。
毛皮のコートを着てはいるものの、白いミニスカートに胸元の露出した薄手のニットと、見ている龍麻の方が寒くなりそうな格好をしている。その上スキップでもしかねない程の軽い足取りで龍麻に密着し、手を繋ぎたいのだと駄々っ子のように訴えて。
「 ねえねえダーリン、手ー!」
「 寒いからヤだ」
本当はそんな理由ではなく、ただ単に恥ずかしかったからなのだが。
舞子はただでさえ可愛くて周囲の目を引いているのに、声は高いし口調も「異様」だ。そんな彼女と仲良く手など繋いで歩いていたら、更に一層目立ちまくって「バカップルめ」と人々の冷笑を浴びかねない。
そんなのは嫌だと龍麻は思った。
「 えーい!」
しかしそんな相手の心意にも気づかず、舞子はにこにことした笑みのまま強引に龍麻の腕を引っつかみ、ポケットから引きずり出したその手のひらを自分のものと重ね合わせた。
「 ちょっ…」
「 ポケットよりも舞子と手を繋いでいた方が絶対あったかいよぅ」
「 いや、でも……」
「 ダーリンは〜。舞子がいつでもあっためてあげる!」
「 ………」
「 ね? あったかいでしょ?」
「 ……まあ」
不満たらたらの顔で仕方なくそう答える龍麻にも舞子はとても嬉しそうだ。どうしていつもこんなに楽しそうにしていられるのだろうと、会う度不思議になってしまう。
知り合った当初からテンションの高い舞子だったが、彼女なりに苦しみや悲しみを多く背負っているようで、そんな意外な一面を垣間見た時、龍麻は「自分ばかりが不幸だという顔をするのはやめよう」と柄にもなく真剣に決意した。言葉は悪いが、「こんなノーテンキな子にだって悩みはあるし、それを他人に見せないよう頑張っている。それを考えたら、自分とて少しは大人にならなければ」……と、考えたのである。
「 あー! ダーリン、ちょっと来て来てー!」
「 えっ!? ちょっと、突然引っ張……!」
……しかしその殊勝な決意と、この破天荒な少女・舞子と親しくするという事柄とは全く別種のものであり、一線を隔してもいるのだが。
「 ちょっと高見沢さん、突然何なんだよ!?」
手を握られたままいきなり何かを目指して走り出した舞子に龍麻は堪らず声を上げた。
「 ………あれ?」
しかし舞子にはそんな龍麻の言葉は耳に入っていないらしい。駅に向かうはずの通りを逆走し、普段は通らないような小さな路地を抜けた彼女は、依然として龍麻の手を握りしめたまま、きょろきょろと辺りを見回した。
「 ねえどうしたんだよ」
「 声が聞こえたの」
「 声? ……ああ、また霊さんが話しかけてきた?」
「 うーん…。あ、あっちかも!」
「 え…って、ちょっと、わっ!?」
一旦は立ち止まったもののまたまたぐいぐいと手を引かれ、龍麻は舞子に導かれるままに訳も分からず見知らぬ通りを走らされた。ハアハアと息を継ぎ、舞子の風になびく柔らかそうな髪の毛を視界に映し留める。こんなおかしなところがなかったらさぞかしモテるだろうにと思った。
「 あー、ここだあ」
「 ………」
そう、しかしあくまでもその「おかしな」ところがなければ、の話だ。
「 ここで声が聞こえたの?」
「 そうそう。何か一生懸命話してたよう」
「 ………」
連れてこられた場所に龍麻は沈黙するしかなかった。ただ心の中では、「だから1人で帰った方が早いと思ったんだ」と呟いていた。
「 この寒い季節に…夜も遅くに来るとこじゃない……」
舞子に手を引かれてやってきた場所は敷地面積こそ大して広くはなかったが、辺り一面が冷たい石で囲まれた共同墓地だった。
「 ……そりゃあここに来ればお友達もいっぱい―」
「 あ、火の玉!!」
「 ………」
舞子が空いている片方の手で前方を指すのを龍麻は胡散臭げに見やった。それでも舞子がこちらの視線に気づかないので、仕方なく自分も促された方へ目をやってみた……が、幸か不幸か龍麻にその「火の玉」とやらは見えなかった。
「 何にもないよ。なあ寒いしさ、早く帰ろう?」
「 えー。火の玉飛んでたよう。ダーリン、見えなかったの?」
「 俺は霊感はないからね…」
言った瞬間何故か龍麻の背筋はぶるりと震えたのだが、寒さだろうと思った途端、突然舞子が素っ頓狂な声をあげた。
「 あー! ダーリンの背中にくっついた!」
「 え、何が…」
「 霊さんだよう! 霊さんがダーリンの背中に…って、きゃー!!」
「 ちょっ…高見沢さ…」
「 駄目ー!!」
「 !!?」
夜中の墓地で若い女の子が悲鳴をあげると言ったら、やはり霊を見てしまったから、怖い思いをしたから…と、考えるのが「普通」だろう。
「 ちょっ…な…ッ」
しかしこの場合、悲鳴をあげるのは自分の方であるかもしれないと龍麻は思った。
「 何だよいきなり。どいてよ、重い…!」
舞子はいきなりとんでもなく大変な事が起きたという風な声で叫び、だしぬけ龍麻の事を思い切り押し倒したのだ。綺麗な白砂の敷かれた敷地とはいえ、今は夜中で、周囲には暗い墓石がズラリと並んでいる。お世辞にも「可愛い女の子に襲われてラッキー」という状況ではなかった。
「 痛いよ…もう…。背中打っちゃっただろ…」
「 う〜…うん。お陰で霊さんも追い払えたよ」
「 は?」
龍麻の上に跨った状態で顔を近づけている舞子は、ただただ唖然としている龍麻に安堵したような笑みを浮かべると、次にシュンと申し訳なさそうな顔をした。
「 あのね、舞子を呼んでいた霊さんは欲求不満だったのかなぁ。ダーリンを見た途端、『取り憑きたい!』って言ってダーリンの事後ろから羽交い絞めにしたんだよ!」
「 へ、へえ…?」
「 本当だよう! だから舞子、ダーリンからその霊さんを引き離そうと思って。だから」
「 だから押し倒したわけ…。じゃあ、もう離れたわけだから高見沢さんも退いて…」
「 だってダーリンを羽交い絞めになんてしちゃ駄目だもん! ダーリンは舞子のだし!」
「 ……人の話を聞けって」
「 幾ら寂しくてもダーリンだけは駄目! 分かった!? 霊さん!?」
「 ………」
まだ周辺を浮遊しているのか、舞子は龍麻を雁字搦めにしたまま、空を見つめて真剣にそんな事を訴えていた。舞子はいつも人が見えない「何か」に向かってこんな風に一生懸命話すから、事情を知らない他人からいつも変人扱いされてしまう。
「 ………」
しかしそれは龍麻とて同じ事だった。必死の高見沢を見上げながら、龍麻はぼんやりと「案外俺たちって似てるかも」と思った。定期的に健康診断を受けるよう助言してきた女医に、龍麻は何度か「自分は悪いところなど特にない。もう来なくても良いか」と言っていた。だがその時に返される答えはいつも同じで、龍麻はそれに対し何も反論できなかった。
「 今は平気でも先は分からないだろ。お前は普通と違うのだから」
それは厳しい現実を突きつけられた容赦のない台詞であったが、同時にそんな己を容認するきっかけにもなった。本当は普通、寒さに寒いと感じる、痛みに痛いと感じる「普通人」だけれど、一方で「そうではない」部分を持つ自分。それを悲しいと思う、けれどそれを見せてはいけないと思う自分がいるわけで。
「 でも……」
「 もう霊さんってば! ダーリンに近づかないで〜!」
物思いに耽る龍麻をよそに、舞子はまだ騒いでいた。
龍麻はそんな舞子を改めて見やりながら、小さく口元だけで苦笑いをした。
ああでも、まだ自分はやっぱりこんな風にはなれない。
「 高見沢さんはそういうところが凄いのかなぁ…」
「 え? ダメダメ、だから〜ダーリンは舞子のなの! 君が誰かとお話したいようって呼んでるから来てあげたのに、その舞子からダーリン取っちゃうなんて絶対駄目〜! あ、仲間さんもいるのね、呼んだら駄目だってばあ! みんなダーリンに取り憑いちゃうよう!!」
「 ……取り憑かれる前にここから逃げたいよ」
けれど龍麻のその穏やか過ぎる声は、やはり舞子には届かなかった。仰向け状態の龍麻に跨ったまま、彼女は延々と周囲にいる「らしい」その者たちに説教を続けた。
そんな舞子を無理に跳ね除ける気も起きず、龍麻は半分は諦めと呆れ、そして半分はどこか楽しい気持ちを抱きながら、墓地の真ん中でただ大の字に手足を広げた。
あれ程寒かった身体が何故か今はぽかぽかしている。これは一体何だろうと思ったが、途中まで考えてやっぱりやめた。別に気づいても気づかなくても良いような事だと思ったから。
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