寂しい子には愛情を
「なあ龍麻。お前、それは絶対やめた方がいい」
「何が?」
京一がやや呆れながら襟首を掴むので、それをやられた龍麻は思い切り迷惑そうな顔で不満の声を漏らした。
「何するんだよ京一、人を猫の仔みたいに。放せってば」
「放したら拾うだろ、それ」
「拾わないよ。お菓子あげるだけ」
「だからそれが駄目だって言ってんだろッ!!」
不毛な親友同士の会話を、道ゆく人々は不思議そうな顔をしつつ通り過ぎて行く。
場所は新宿中央公園沿いにある道路脇。
人気の少ないそこだが、まだ昼間とあって車の行き来はそれなりに見られる。季節はもうすぐ夏。じりじりと暑い日ざしが、言い合いをする2人に向かって容赦なく照らされている。
それでも「嫌な汗」をかく京一とは裏腹に、龍麻は怒りながらもどこか涼しそうな表情を保ったまま、自分たちの目の前にいる「それ」に優しげな目を落とした。
「可哀想だろ。捨てられてるんだぞ」
「……思いっきりアヤシイ。だから、触るな」
「何でだよー」
首根っこを掴まれるのだけは止めてもらえたが、未だ腕をむんずと拘束されたまま、龍麻は京一から離れる事が出来ない。それでも足元の「それ」は気になるのか、普段は然程逆らわない龍麻が再度京一に強い口調を放った。
「京一、腕放せってば! 大体、アヤシイものなんていつも腐るほど見てるじゃないか。今さら何を警戒する必要があるんだよ?」
「ばっ…。あ、あのなあ! そういうひーちゃんの思考こそがおかしい! いいか、よくよく見てみろよ!? こいつ、ゼッテー敵だぞ!?」
「子どもじゃないか」
「いや、絶対敵だって!!」
京一は京一で龍麻ののほほんとした様子が耐え切れなかったらしい。遂に唾を飛ばして空いている手でびしりと「それ」を指し示すと、形の良い眉をきっと吊り上げた。
「いいか、ひーちゃん! お前は東京に来たばっかでよく知らないのかもしれないがなっ。ここらでは、普通のガキがこんな【ヒロッテクダサイ】って書かれた紙持って、こんな汚ェダンボール箱に入ってたりはしねーんだよ!」
「俺が住んでた所だって、こんな変な捨て子は見た事ないよ」
「だったらこの状況が異常なのも分かるだろう!?」
京一は更に声をあげると、今度こそぐいと龍麻を強引に自分の背後へ回してしまい、その「ダンボール箱に入ったアヤシイ子ども」から距離を取らせた。ただでさえ最近は不穏な事件が続き、自分たちと同じ《力》を持った敵が昼夜を問わず襲ってくると言うのに。
どうにもこの龍麻は警戒心が足りなさ過ぎるのだ。
「ったく………」
ましてや、この子ども。浅黒い肌をしたその「異国の子」は、そこそこ腕っ節の立ちそうな大人でも怯んでしまいそうな、尋常ではない《氣》を絶えず放ちまくっていた。
「コイツが何らか《力》を持ってるのは間違いねえ」
油断を作らないよう努めながら京一は言った。
「しかもこの目つき! 悪の顔だろうが、コレは! どう見ても! 今にも俺らを『殺すぞ?』って目で睨んでやがるだろ!?」
「親から捨てられたんだよ。そりゃ人間不信の目もするよ」
「………いいから、これには関わるな」
何を言っても駄目そうな「親友」に、京一はハアと深く溜息をついてから更に龍麻を掴む手首に力を込めた。まだ知り合って間もないこの緋勇龍麻という存在が、京一は出会った当初から気になっている。
そして今は大分、否、かなり気に入っている。
だからこそ、こういった危険に大して無防備とでも言おうか、何も考えていないような言動にはピリピリしてしまうのだ。勿論、龍麻の強さがそういう余裕を生み出しているとも分かっているが。
京一はぶるぶると大きくかぶりを振ると、気を取り直した風な落ち着いた声で言った。
「とにかく、もう行くぞ。美里たちも、もう公園の中で待ってるかもしんねえし」
いつもの5人で図書館で勉強をしようと言い出したのは仲間の1人、小蒔だった。京一はそんな面倒臭い事は絶対したくなかったのだが、その後のラーメンが魅力的だったし、何より龍麻と共に行動出来る事は「悪くない」と感じていた。
だからわざわざ休みの日だというのに、優等生である美里や醍醐らとの公園待ち合わせにも同意したのだ。
それなのに。
この「捨て子」である。
「ほら、ひーちゃん」
「うーん……」
促すように腕を引っ張っても、龍麻は納得しかねるようで足を動かす事を渋る。
京一は再度大きな溜息をついてしまった。
「ひーちゃん、あのなぁ…。まあいい。あのな、よく聞けよ。仮にだ、コイツが本当に捨て子だったとしてもだぞ? こんな図太い目をしたクソガキは、しぶとくどんな方法とっても生きていくさ。俺らが心配する必要はどこにもねえよ」
「でも、お腹空いてるかも」
「……I am hungry……」
「あ!」
「何!?」
初めて口を開いたその子どもに、驚いた龍麻と京一は同時に声を出した。異国人だから日本語が話せないかもしれないとは思ったが、どうやら相手の言葉を聞き取る事は出来るようだ。
そしてその発せられた声は思ったよりもか細く、鋭い眼光とは裏腹に今にも消え入りそうなものだった。
「やっぱりお腹空いてるんだよ」
「あ、ひーちゃん!」
京一が驚きで手を放した隙を龍麻はついた。
さっと身体を寄せると、龍麻はそのままゆっくりとしゃがみこみ、子どもと視線を同じにした。
それからあの誰をも魅了するとびきりの笑顔で話しかける。
「お腹空いてるの? 俺ね、チョコレートなら持ってるよ。食べる?」
「……チョコ?」
「そうだよ。チョコレート。あげるね」
龍麻が優しくそう言って鞄から小さな板チョコを取り出す。京一は不覚にもその横顔を黙って見ている事しか出来なかった。
あまりに龍麻の微笑が眩しかったから。
「………」
そしてそれは「怪しげな子ども」にしてもそうだったようだ。
最初こそチョコレートを差し出した龍麻を驚いたように見やっていたものの、途端オドオドと困ったように、そして躊躇しながらもそろそろと小さなその手を差し出した。やはり空腹だったのかもしれない。
その手は龍麻がくれたチョコレートに―。
「あ」
伸びは、しなかった。
「え?」
「なっ!?」
また龍麻と京一、同時に声が出た。
「your hund……(オマエノテ……)」
アヤシイ子どもは、龍麻の持つ食べ物ではなく、龍麻の手そのものをぐっと掴んだのだ。
「う…!」
それはとても力強く、そして龍麻もその時になって初めて分かった。
この子どもの持つ特別な《力》が、この京一や美里たちが持つような《陽》のものとは全く正反対の性質を持つものであること。
「君……」
「フフフ……」
子どもも龍麻のヒヤリとした空気を瞬時に感じ取ったのだろう。してやったりと言うような笑みを浮かべると、意地悪く唇を歪めてそっと呟いた。
「オマエノ《チカラ》……オレガモラウ……」
「ひーちゃん!!」
京一が叫び木刀を閃かせたのと、子どもが龍麻に向かって己の《力》を発したのとは、ほぼ同時だった。
しかし。
「「……!?」」
その2人よりも更に早く動いたのが龍麻だった。
「駄目だよ、もう。愛情不足だなあ」
龍麻が子どもの不穏な空気を察知して眉をひそめたのはほんの一瞬。
「ひ、ひー……」
その後の素早い行動には京一も、そして龍麻に攻撃をしようとした子ども自身もすっかり意表をつかれ、呆気に取られてしまった。
龍麻は子どもの身体をほぼ無理矢理の体でめいっぱい抱きしめてやると、がっちりと包み込んで「よしよし」と言いながら背中を擦った。
「ひ、ひーちゃん……な、何やってんだよ……?」
唖然とする京一にも龍麻は何という事もない風に笑う。
「んー? 愛情不足の子どもに一つ手軽なスキンシップをね」
「そ、そんな羨まし―……じゃ、ねえよッ! 離れろよ! 危ないだろーがッ!!」
「えー? そうかなー?」
京一が背後からしきりに叫んで龍麻の服を引っ張ろうとするのを、しかし龍麻はすっかり呑気な声で返すとふふっと笑った。
「大丈夫だよ。ほら」
「え……うっ!」
龍麻のその落ち着き払った様子で、京一もようやく子どもの姿を正視してぎょっとする。
「……ウゥ」
子どもは龍麻に抱擁された事によって毒気を抜かれ―……、それどころか、殆ど失神するかのような状態でフリーズしていた。
浅黒いはずの肌を真っ赤にして。
「あのな、京一」
攻撃する力をなくした子どもを抱きしめながら龍麻は言った。
「相手は子どもだもん。寂しければ攻撃的にもなるよ。俺、そういうの分かるんだ」
「な、何でだよ…」
「え?」
「何でそういうのが…分かるんだよ…っ!?」
「えー? だって分かるんだもん。なぁ、お前? もう悪い事考えちゃ駄目だぞ?」
「…………」
龍麻にそう優しく諭されても、その子どもはもう声を出す事が出来なかった。最初に発した小さな呻き声すら喉の奥で消えてしまって、まるで出ない。
子どもは最早完全に龍麻の手の内だった。
捨て子というのは本当だ。京一の言う通り、「アヤシイ奴」で、「敵」だというのも本当なのだ。
東京に爆発的に増えた《力》ある若者を捉え、己を育ててくれている「学院長」の所へそのエモノを運ぶのが子どもに課せられた使命だった。その成績が悪いと、金髪の少女のように失敗作として蔑まれ、何処にも居場所がなくなってしまう。
けれど。
子どもは龍麻に抱かれたまま、動く事が出来ない。
「なあ…ひーちゃん」
そんな子どもの事情など分かるわけもないのだが、暫くしてから京一はのろのろと声を出した。
「いい加減放さねえと、そいつ、別の意味でまっとうな道を歩めなくなるぞ…? つか、俺も何つーか、寂しくなってきたって言うかな…」
「ええ? 何言ってんだよ、京一」
そんな京一に、しかし龍麻は静かに笑うだけで。
京一も「冗談なんかじゃねーんだけど」と小さく呟くのみだった。
そうして後に京一は、「ああ、もしかすると龍麻はこういった方法で、本来の敵の数を今よりもぐっと減らしているのかもしれない…」と、ぼんやり思うのだった。
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