清純ぼうい



「 なあ。教えろよ」
  普段は無縁の図書室でその刺々しい声が聞こえた時、醍醐は「おや」と首を捻った。勿論いつでも能天気なわけではないが、この声の主は大抵は底抜けに明るくて誰に対してもとりあえずはフレンドリー。己の剣に自信があって、戦闘の時でさえ不敵な笑みを絶やさない。
「 なあ。ひーちゃん」
  けれどこの時聞こえたその声はひどく切羽詰まっていて、どこか陰に篭った感があった。
  一方、話し掛けられている人物、「ひーちゃん」こと緋勇龍麻は、この図書室にある自習用スペースでノートを開き勉強している最中だったようだ。椅子に座ったままの姿勢で相手に詰め寄られ困った顔をしているのが見えた。醍醐が立っている場所からは龍麻のその横顔はばっちり見え、逆に詰め寄っている相手―親友の京一の方は、後ろ姿しか見えなかった。
  放課後、醍醐はいつものように部活にちらりと顔を出してから、まだ下校していないだろう京一と龍麻の姿を探してこの図書室へやって来た。いつもなら教室で管を巻いているはずの龍麻がおらず、まさか自分を置いて旧校舎へ行ってしまったのだろうかと思っていたら、桜井から「京一と図書室へ行った」事を聞いたのだ。龍麻はともかく京一までもがそんな場所へ行くとは一体何事かと思ったが、桜井の話に寄れば「宿題をやりに行った龍麻に付き添っているだけ」という事だった。
  そのいつでも仲の良いはずの2人が、何やら険悪なムードなのだ。醍醐はそのまま2人に近づこうとして、何となく本棚の陰に身を潜めた。何故か出て行きにくい雰囲気を感じた。
「 京一。静かにしないなら出てけ」
  龍麻が迷惑そうな声でやっとそう言った。自分は椅子に座っているものの、京一は傍に立って鋭い視線を向けてきている、それが窮屈で仕方なかったのだろう。龍麻は眉をひそめて多少唇を尖らせてから、まるで子どものようにふいと視線を横へ逸らした。
  そんな龍麻に京一もむっとした声を出した。
「 ああ、行くよ。行けばいいんだろ。だからその前に教えろって言ってんだ」
「 何でそんな事京一にいちいち言わないといけないんだ」
「 んだとぉ…ッ!? テメエ、俺の気持ち聞いといてそういう事をさらりと言うか? 鬼かよ!」
「 知らないよ。京一が勝手に言ったんじゃないか。俺はそんな事聞きたくなかったのに…!」
「 そんな事!?」
  何故か京一は龍麻のその言葉に激昂したようになって、龍麻が座っている席を両手でバンと強く叩いた。幸い下校時刻が近かったせいでその自習用スペースにいるのは龍麻たちだけだった。その為その不穏な音も醍醐以外に聞いた者はいない。
「 煩い」
  それでも龍麻は気になったのだろう。責めるように京一を見上げ、それからイライラしたように机の上の物を片付け始めた。
「 ひーちゃ……おい龍麻!」
  京一も怒りの含んだ声を上げた。自分の問いに答えないどころか、その場を去ろうとする龍麻が許せなかったのだろう。カバンにノートを詰めている龍麻のその腕を片手で掴み、京一は荒々しい様子で続けた。
「 待てって」
「 放せよ…っ」
「 待てって言ってんだろうが!」
「 何だよ!」
  キッと京一を睨みつける龍麻の顔を醍醐は物陰から息を呑んで見つめた。龍麻は確かに怒った声を出しているのに、その顔は今にも泣き出しそうだった。
  思い切り動揺して、その後醍醐はたちまち親友の京一に対して苛立たしい気持ちを抱いた。京一は確かに自分にとって大切な仲間で親友だけれど、龍麻にこんな顔をさせるのを見逃すわけにはいかないと思ったのだ。
  龍麻は自分にとっても大切な存在だから。
「 京――……!」
  しかしそれで醍醐がいよいよ一歩を踏み出して2人の元へ行こうとした、その時だった。
「 好きだって言ってんだろ」
  京一が龍麻の腕を掴んだままそう言った。
「 ……京一」
  龍麻の途惑ったような悲しげな声に、醍醐は心臓を鷲掴みされたようになって息を止めた。
  しんとした図書室の中で、恐らくは3人だけ。コチコチと大袈裟に鳴る時計の針の音がいやに大きく聞こえた。
「 好きなんだよ」
  そんな中、京一がもう一度繰り返した。
「 言っただろ…。ひーちゃん…俺はお前の事が好きなんだよ。すげー……好きだ。めちゃくちゃに好きだ」
「 そんな…何回も言わなくても…」
「 言わないと…言っても分かんねェからだろうが」
  ちっと軽く舌打ちして、それから京一は乱暴に龍麻の捕まえていた手を投げ捨てるようにして放した。そうしてハッと荒っぽく息を吐き、京一はぽつりぽつりと落ち着きを取り戻した様子で足元に小さな声を落とした。
「 好きなんだよ。なのに、何だよ…。『好きな奴がいるからごめん』って、それだけでこの話は終わりかよ。そんなんで納得しろって? お前、相当酷い奴だぞ」
「 ………だって」
「 せめて教えろ。お前の好きな奴」
「 聞いたって仕方ないだろ…」
「 仕方なくなんかない」
「 何で」
「 そいつが俺より弱かったら…まあ、そうに決まってるが、そんな奴にひーちゃんはやれねえ」
「 あ、あのな……」
  本気なのか冗談なのかイマイチ分からない言い方だったからだろう、実際傍で聞いている醍醐もがくりと肩を落として素で呆れた。ただ、京一のその言い分自体は自分勝手で傲慢でまるで正当性のないものだと思っても、「らしい」と言えばらしいので、どこかで苦笑してしまう部分もあった。
  それは龍麻もそうだったのだろう。堅くしていた表情をすっと緩めた。
「 京一…。お前って本当にバカだろ」
「 ああ。知ってる」
「 ……京一のこと、好きだよ」
「 むかつくな。相棒としてだろ」
「 うん」
「 ……ハッキリ言いやがって」
  しかし龍麻のほっとしたような空気が伝わったのか、やっと京一の表情も柔らかくなった。所詮この2人に長い喧嘩などできようはずもないのだと、醍醐は心から安堵の息を吐き、いよいよ姿を出そうとした。
  けれどその瞬間、また。
「 なあ。まさか醍醐って事はないよな」
  京一の声に醍醐はまたぴたりと足を止めて、ぴんと片耳を大きくした。
「 何で…」
  心なしか龍麻の小声にもドキドキと鼓動が高鳴る。京一が龍麻に告白していた事も驚きだし、龍麻がそれをすぐに断った事も驚きだ。 
  けれどそれ以上に、龍麻の「好きな相手」というのは勿論醍醐とて気になった。その候補に自分が挙げられたのなら尚更だ。
  何故なら自分とて京一と同じだから。いや、仲間たち皆がそうだろう。
  誰もが龍麻に恋している。
「 なあ。醍醐じゃあ、ねえよな?」
「 何だよその確認は…」
  まったくだと醍醐は腹立たしい想いを抱いたが、龍麻がなかなか答えを言おうとしない事にも焦れた想いがした。龍麻はいつも物腰が柔らかくて綺麗な笑みを向けてくれる。嫌われてはいないだろうと思ったが、特別に好かれているかと問われれば、果たしてそこにいる京一ほどには想われてはいないだろう自信もあった。妙に悲しい自信だが。
「 醍醐は駄目だぜ。ひーちゃんにはあわねえっ」
  京一のきっぱりとした物言いに醍醐ははっとして我に返った。
「 俺より弱い事は勿論、あんな堅物、付き合っても何も面白い事ねえしよ。小蒔にも色目使ってるし、怖い物が苦手とか言って情けねえ事この上ねーし。おまけに美里にも頭が上がらない」
「 そんなの京一だってそうじゃないか」
「 とにかくッ。醍醐は駄目だッ」
「 じゃあ美里や桜井ならいいの?」
「 駄目」
「 ……遠野さんや裏密さんは?」
「 駄目だ駄目だッ」
「 マリア先生や犬神先生は?」
「 どれもこれもだーめだッ!!」
「 ……分かったよ」

  結局、お前は自分以外の奴は全員駄目なんだろ。

  龍麻の呆れたような声に醍醐も一緒にため息をついた。そうして何やら中途半端に途切れてしまった自分に関する問いをひどく惜しいと思い肩を落とした。
  もっとも龍麻に好きな相手など元々いないのかもしれない。ただ京一を交わす為だけに適当な事を言ったというのが正解で。
「 俺の好きな人はね」
  けれど本棚の陰に隠れているはずの醍醐の方に向かって、突然その声は発せられた。びくりとして顔をあげると、席から立ち上がった龍麻ともろに目があった。しまったと思ったが動けずにいると、そんな醍醐に龍麻は伏し目がちにふっと小さく笑い、傍にいる京一に向けて言葉を出した。
「 俺の好きな人は、凄く純粋な人。それに白くてさ、ふかふかしててあったかいの」
「 ………だから誰だそれ」
「 京一はエロいし、赤いし、ごつごつしてるから駄目だな」
「 だから誰だっての!!」
  痺れを切らせたような京一に、それでも龍麻は静かに笑うだけだった。そうして茶化すように京一の胸をこずくと、もう一度「好きだよ」と言ってカバンを肩に掛ける。
  京一はそんな龍麻に思い切り嘆息した。
「 ひでえな…。ひーちゃん、お前絶対酷い奴だろ」
「 うん…。俺、真っ黒だから」
「 その白い奴と違って…か?」
「 そう」
「 ………ふーん」
  分かったような分からないような、そんな反応をして、京一はそれならというように龍麻の首に腕を回した。そのふざけた様子ながらも密接なスキンシップに醍醐が眉をひそめるのも構わず、京一はにやりと口角を上げて言った。
「 ならよ、俺はそいつと反対にひーちゃんと一緒にどんどん黒くなってやるよ。一緒に黒くなる奴も必要だろ、傍には!?」
「 ふ……何それ」
「 煩ェ。決めたからな」

  俺はひーちゃんから離れねえ。

  京一のハッキリと言うその言葉に醍醐は胸がきゅんと痛くなるのを感じた。どうしてもその場から動けない。どうして良いか分からない。けれど龍麻がこちらに向けた一瞬の笑みが脳裏から離れず、醍醐はただ本棚の影にじっと佇んだまま、高鳴る鼓動が収まるまでじっと耐えた。
  自分はがたいのある方だと思っていたけれど、こんな物陰に隠れられる程の小ささだったのかとは、この時初めて気がついた。



<完>




■後記…醍醐が何か情けない(汗)。京一の方が堂々としちゃってますね。あう。でも醍醐ってついつい京一に押され…というか、「仕方がない奴だ」みたいに一歩譲ってしまうようなところはある気がするので、京一と絡めるとこんな感じになってしまいます。でもひーちゃんはちゃんと醍醐の良いところは良いところとしてちゃんと見ているわけです。…ちなみに「ふかふか」かは分からないけど、まあ白虎だから毛皮っぽいという事で(無理やり)。でもひーちゃんすっぽり入っちゃいそうな醍醐のがたいは好きです。今度はエロに挑戦したいな…。