羨望
「 あ。まただ」
「 どうした、ひーちゃん?」
学校の帰り道、突然ぴたりと立ち止まって明後日の方向を見やった龍麻に、前を歩いていた京一がくるりと振り返り不思議そうな顔をした。呑気そうな表情に、肩には愛用の木刀。龍麻がその悠々とした姿に何となく癪だなと感じていた矢先、視界の隅にあの青年は現れた。
「 ほらいるよ。そこ」
「 ……なぁんだよ、また例の黒髪の男?」
京一は露骨に嫌そうな顔を見せたが龍麻は構わなかった。己で指差した方向へじっと目を凝らし、同じくこちらを見つめてくる青年に負けじと強い視線を送り返した。
駅へと向かう通りの道に人の気配は見当たらない。
そこにいるのは紛れもなく京一と龍麻の2人だけで、龍麻がこの青年の存在を口にすると京一は必ず「気のせいだ」、「俺には見えない」と言って眉をひそめた。最近ではずっとこの問答の繰り返しだった。別に決まった時間に現れるわけではないが、青年は大抵龍麻が京一と2人きりでいる時に姿を見せる。また付け加えるなら龍麻の気がふっと緩んだり揺らいだりした時に現れる率が高い。青年の姿は京一には見えない、他の誰にも見えない、龍麻にしか見えない。だから傍にいる京一などは「本当にそんな奴がいるのか」と最初は随分と突っかかったものだが、最近ではいい加減慣れたのか、不愉快な表情を見せるだけで特にしつこく噛み付く事はなくなっていた。
それでもその日。京一は珍しく龍麻を急かすような声で言った。
「 なあー。そんな奴ほっとけよ」
青年は現れると決まって何事か言いた気な様子で見つめてくるので、龍麻も目を逸らせない。だからこの時もそう言った京一の方には顔を向けられなかった。
龍麻は適当な調子で答えた。
「 うん。でももう少ししたら消えると思うから、それまで見てる」
「 何で」
「 何でって?」
淡々とする龍麻にそれでも京一はしつこかった。怒った風ではないが不貞腐れた様子ではあった。
「 何でひーちゃん、いちいちそいつに構うんだよ。どうせ幽霊か何かだろ。ひーちゃんそういうの見えそうな体質してっし。ほっとけよ。憑かれたらどうする」
「 もう色々と憑かれてるから平気だよ」
「 ってーかなあ…」
「 ってーか、こいつは幽霊じゃない。生きてるよ。分かる」
「 分かるのか」
「 うん。分かる」
ぽつぽつと平坦な会話は続ける。それでも龍麻はその会話の相手である京一には目をやらず、自分に視線を送ってくる青年だけを見つめ続けた。
京一は見えないと言うが、龍麻にはその青年の外見もはっきりと見えている。
彼は自分たちと同じ学生だ。どこの高校だろうか、いつもその身には黒い学ランを纏っていた。髪は漆黒。艶やかなそれは背中近くにまで伸びていて、容貌はすっきりとした目元に、薄い唇。そこには絶えず微かな笑みが含まれていて、その涼しげな様子はなかなかの美形だ。以前、京一にそれを告げると、京一は龍麻のそんな感想に実に面白くなさそうな顔を向け、「大体幽霊なんてのは色が白くて綺麗に見えるものなんだ」と毒づいた。
「 なあー。そいつ、何だって?」
京一が訊いた。
「 分からないよ、いつも何も話さないから。でもじっと俺を見てる」
「 そいつ、ぜってーひーちゃんに惚れてるよな」
龍麻がその台詞に反応を返す前に、京一は更に自分で言葉を切った。
「 何者か知らねえけど、そいつがこうやって頻繁に現れるのは俺らの仲に嫉妬してるからだろ」
「 俺らの仲って」
「 俺らの仲だよ」
龍麻の問いにただの繰り返しで答え、京一は子どものように唇を尖らせた。
「 むかつくよな」
そうしてそんな風に言った。
「 ……そう?」
そんな京一を変な奴だなと龍麻は思った。いつも1人でカリカリとしたり笑ったり驚いたり。そんな風に忙しなくて騒がしいくせに、ふとした時にさっきみたいな背中を見せる。この、目の前にいるであろう自分にしか見えない青年よりも、龍麻にとって京一は余程おかしな存在だった。
「 こいつと喋った事はないけど」
だからどうしてもそんな京一には話してしまう…。そう思いながら龍麻は青年を見つめたまま言った。
「 たぶん、俺と凄く似てると思うんだよな。《力》の大きさもだけど、何ていうのかな、ひねくれ具合とか。屈折の仕方がね、似てるのかなあ」
「 何だそりゃ」
「 たぶん同類なんだ、俺とあいつは」
「 だからそういう話を俺に聞かせるなって。むかつくからよ」
「 ……こいつとは戦いたくないなあ」
「 ………」
龍麻がぽつりと呟くと京一は途端黙りこくった。自分の台詞を無視された事よりも、龍麻のしみじみと言った台詞に引っかかりを覚えたらしい。龍麻はそんな京一の様子に気づかなかったが、急に辺りが静かになった事だけは気になった。右肩の辺りがヒリヒリとした。
「 ひーちゃん」
するとやがて京一がいやに真面目な声で龍麻を呼んだ。
ただ微かな笑みを浮かべこちらを見つめるだけの青年。
その青年を見つめながら微動だにしない龍麻。
「 ひーちゃん」
そんな2人の間の空気を破るようにして京一は言った。
「 まあ心配すんな。そんなら、そいつとは俺が戦ってやるから」
「 え…?」
「 俺がやってやるよ」
「 ………」
龍麻がようやく視線を戻すと、しかし当の京一はもうそっぽを向いていた。その背中はやはり堂々としていて癪に障ると龍麻は思った。
「 ま、そういうわけだから」
そんな龍麻の気持ちを知ってか知らずか、京一は背を向けたまま何でもない事のように続けた。
「 その間、お前は他の雑魚の相手でもしてりゃいいさ。面倒なのは俺に回せばいい」
「 ……何それ」
「 何それじゃねえよ。だからそういう事だよ、つまりは」
「 わかんないよ、京一の話は」
「 はっ…。見えない相手に惚けてるひーちゃんの方がワケ分かんねえよ、俺は」
「 ………」
「 けどまあ、傍に、いてやるから」
そうして京一はぽりぽりと顎先を掻いた後、照れくささを誤魔化すように再び木刀を肩に掛けた。その後、「もういいだろ」と言って1人先に歩き始めた。
「 ………」
龍麻はそんな京一の姿を何となく見やった後、ふと思い出したように青年が佇む方向へとまた顔を向けた。
彼はもういなくなっていた。
「 ……今度こそヤキモチ焼かせちゃったかな」
ごめんな。
「 ………」
「 おいひーちゃん。早く行こうぜ」
「 ……ああ、うん」
京一に呼ばれた事で、龍麻は青年に向かって心内で発した謝罪の言葉をすぐにしまった。そうして後は自分の先を行く京一の背中を追った。早足になってしまう自分が嫌だったけれど、仕方がないかとすぐに諦めた。京一の後ろ姿に龍麻はもう腹を立ててはいなかった。
夕闇が迫る駅への帰り道、龍麻はただひたすらに京一の広い背中を目指し歩を進めた。
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