白い首



  修学旅行の夜、3−C男子の部屋は戦場だった。
「 何なんだテメーらはっ!! 脇役のくせして突然しゃしゃり出てきやがってッ!!」
  京一の怒号と投げつけられた枕を口火に、十ニ畳程の広間が一気に闘いの空気に変わった。それぞれが鬼気迫る顔つきで己の枕を投げつけ、時に傍らの布団で敵からの攻撃をガードする。たかが枕といえども至近距離でそれらが交わされればそれは恐ろしい武器となる。わあわあと発せられる激しい気勢と共に、その「戦闘」は担任教師のマリアが駆けつけるまで行われた。



「 それで? 喧嘩の原因は何なの?」
  教師にあるまじき胸元をふんだんに広げた浴衣を着るマリアは、その場にいた全員を正座させた後、自分は傍にある座椅子に身体を預けた。それからふうというため息と共に、2列に並ばせた生徒たちの中央に座していた京一へ目をやった。
「 京一クン」
「 うっ…」
「 聞くところによると最初に暴力を振るったのはアナタだとか。どうしてそんな事をしたの」
「 ぼ、暴力って…。ハハハ、嫌だなァ、マリアセンセ〜。たかが可愛い枕投げ。修学旅行にゃ、よくあるイチ行事だろ?」
「 そうなの?」
「「「ちがいまーす!!!」」」
「 て、てめーらッ!!」
  両隣、そして背後にいるクラスメイトたちが一斉に否定の声をあげた事で京一は思わず立ち上がって彼らを睨みつけた……が、マリアはともすれば再び闘いが始まってしまいそうな生徒たちにもう1度嘆息した後、全てを見透かしたように言った。
「 どうせまた龍麻クンでしょう? アナタたちの争いの原因」
「 ……何だよ、人が悪ィなぁ、マリアセンセ。分かってンなら……」
「 でも龍麻クンの何で争っていたの?」
「 そ、それは…」
  言い淀む京一に、周りの生徒たちも何故か気まずそうな顔になり、一様に黙りこくった。
  しかしそんなしんとした大広間の中、突然ひらりと襖が開いて外から醍醐がやってきた。
「 お前ら一体何を…。あ、マリア先生。いらしてたんですか」
「 アラ。醍醐クン、何処へ行っていたの? アナタがいないせいでC組のお部屋は大変な事になっていたのよ?」
「 は…? そ、そういえばこの部屋の有様は…!? お、お前ら、一体どんな迷惑を掛けていたんだッ!?」
「 煩ェなあ…。その場にいたら絶対お前だって参加してたっての」
  開き直ったような京一が既に胡坐をかき、耳を掻きながら生真面目な友人に面倒臭そうな声をあげた。
  そしてそれに対し醍醐が怒りの声を上げる前に、京一はもうどうでも良いという風に自棄気味に言った。
「 今夜誰がひーちゃんの隣で寝るかで揉めてたんだよ。フツーは当然、親友の俺の隣だろ?! それなのにこいつ等が突然結託して『アミダで決めよう』なんて言ってきやがってよ…!」
「 だって京一はいつも緋勇君と一緒なんだからいいじゃないか!」
「 そうだそうだ!」
「 お前ばかり緋勇君を独り占めにしていてズルイぞ!」
「 だからッ! 何なんだこの脇役ども!!」
「 京一! お前もいいから黙れ!」
  事態を理解した醍醐がこめかみを抑えるようにして俯いていたが、段々と再び険悪なムードになる彼らを抑えようと声を荒げる。
「 困ったコたちね…」
  マリアはそんな彼らを傍観しつつ、やがて一言そう呟いた。
  目の前にこんなに色っぽい自分がいるというのに、こちらには見向きもせず、この場にいない同級生の事でここまで醜く争うとは。
「 まったく…。ところで、その龍麻クンはどうしたの、醍醐クン?」
「 あ…。そうです、マリア先生。ご報告が遅れてしまったのですが…」
「 ?」
  マリアは慌てたように自分に振り返ってきた醍醐に不思議そうな顔を向けた。





「 龍麻クン。具合はどうなの?」
「 悪いです」
  龍麻は一言そう言った後、額に乗せられていたタオルを取ってニヤリと笑ってみせた。どうやら仮病らしい。マリアは苦笑しつつそんな教え子の傍に歩み寄り、膝を崩して座った。
「 ここは病人用のお部屋のはずだけど?」
「 だから病人です。幸い、他の具合悪い人たちは保健の先生と別室にいるみたいで」
「 犬神先生ね」
「 先生、俺には甘いんです」
「 良くないわね。1人のコを特別扱いだなんて」
  感情の篭らない声でそう言った後、マリアは改めて傍で横たわる青年を見下ろした。確かに美しい容姿をしているが、だから取り立ててどうだという事もないとマリアは思う。普通の学生より少し顔が良くて少し頭が良くて少し―…。
  人とは異なる力を持つだけ。それだけだ。
「 ………」
  それなのにと、マリアは一方で別の事を考える。
  それなのに、そんな「大した事のない相手」は、時間を経るにつれ、それと共に深く関わっていくにつれ、じわじわとゆっくり相手の心を支配していく。
  誰もがこの緋勇龍麻という青年に魅せられていく。
「 京一クンたちがガッカリしていたわよ。みんなアナタの隣で眠りたかったのに」
「 誰かと寝るなんて嫌ですよ」
  龍麻は小さな吐息の後、そう言った。
「 恐ろしいですよ。目覚めた時に俺以外の別の奴がいるなんて」
「 ……別の?」
「 だから醍醐に気分悪いって言って、その後犬神先生の所に行ったらここ空けてくれました。醍醐は付き添うって言ったけど…。丁重にお断り」
「 醍醐クンもガッカリね」
「 だから先生もいなくていいですよ」
「 ………」
  抑揚のないその声は、しかし明らかに自分を拒絶しているもので、マリアは瞬時不快感を覚えた。ぴくりと細い眉を動かし、無意識のうちに唇の端を舐めた。居るなと言われると、近づくなと言われると、余計にその逆をしてみたくなる。挑発して誘って、その頬に触れて。この冷静な、何にも興味がないというような眼を変えてやりたい。
「 ………」
  そしてマリアは龍麻の白く透き通った喉笛に噛み付いてやりたいと思った。
「 先生」
  その時、じっと天井を見つめていた龍麻が口を開いた。
「 人間じゃない空気、バンバン出てるよ」
「 ………」
「 怖いな…。俺に何する気?」
「 ……何の事かしら?」
「 無駄だよ先生…俺なんかさ…不味いんだから」
「 ………」
「 俺こそ人じゃないんだから」
  そうあっさりと言い放った龍麻の瞳は実に静かに美しい色を湛えていた。これだ、とマリアは目を薄めた。時折垣間見せるこの光に自分は猛烈に惹かれてしまう。普段は抑え、何をも感じずやり過ごす事が出来るのに。
「 綺麗ね…アナタ…」
  マリアの思わず飛び出た正直な感想に龍麻は哂った。
「 誉めても駄目だよ」
「 不味いかどうかはアタシが判断する事だわ。ちょっと試させてみない?」
「 嫌だよ」
「 代わりにアタシにも触らせてあげるわよ」
「 先生、だから……」
  龍麻はマリアの暗い誘いに思い切り苦笑したようになってすぐに顔を向けてきた。
  その白い首がくるりと綺麗に曲がる事で、より一層マリアを欲情させるとは知らずに。
「 駄目だよ先生」
  けれど龍麻はきっぱりと言ってまた笑った。


  俺は誰かと一緒にネルなんてごめんだ。


「 嫌いなんだから。人も、そうじゃない別のモノも」
  言いながら龍麻は再び取っていたタオルを額に乗せた。同時に開かれていた目がそれに隠される。マリアはそれを惜しいと思いながら、暫くそこから目が離せなかった。
「 ……全部?」
  だから訊いていた。こんなのは自分ではない、らしくないと思いながらも。
「 全部が嫌いなの?」
「 そう。全部」
「 ……寂しいコね」
「 じゃあ、先生は?」
「 ………」
  すぐに返されてマリアは沈黙した。
  寂しい。
  寂しいコ。
  そう、それはまさしく自分の事だったはずだ。誰をも信じず、人の世で行きながら決して人には相容れない自分。憎んでいるはずの自分。
  それなのに。
「 龍麻……」
  思わず手を伸ばし、マリアは先ほどから見惚れていた龍麻の白い首に己の指を滑らせた。龍麻は逆らわない。タオルを取る事もせず、ただじっとしてマリアに身体を預けているようにも見えた。
「 ………」
  だからマリアは暫くの間、行ったり来たりと、龍麻の首を撫で続けた。冷たい、温度のない自分の指先に龍麻は震えるでも嫌悪するでもなく、けれど喜びもせず、ただそこに居た。
  ひどく居た堪れなくなってマリアは呟いた。
「 可愛くないコ…」
  そんな悪態をついても無駄だと知っているのにマリアはそう言い、ふっと赤い唇からいつもとは別種のため息を吐き出した。
  指先に少し力を入れると、どくどくと龍麻の脈打つ命の鼓動が感じられた。マリアはそれをずっと聞いていたいような今すぐ止めてやりたいような、そんな気持ちに苛まれながら、ただ暫くは彼のその白い首を撫ぜ続けていた。



<完>




■後記…毒々しいマリアセンセでいこうとしたのに気づいたらこんな平凡なもんに…。マリアセンセはその気になったら龍麻を素で襲うと思います。何でゲーム本編で襲ってくれなかったんだ、あんな思わせぶりな事何回もしといて…!(職権乱用っぽい事も何度もしてた!セクハラもしてたに違いない!陰で!) たぶん、龍麻を取り囲む人間のあまりのガードっぷりになかなか付け入る隙がなかったんでしょうなあ…。案外初心に龍麻を好いてたりしてるパターンでもいいけど。でもやっぱりマリアセンセには野生の眼で龍麻を射殺して欲しいものです。…ちなみにこの話、修学旅行の1シーンですが、天狗山エピソードおもっきりカットしてますがな。まあそこらへんはご容赦を〜。