優しい嘘




  昔ながらの「腐れ縁」が最近…というより、ここ数ヶ月ずっと元気がない。
  もっとはっきり言えば、目が死んでいる。
「何を言っても『うん』とか『ああ』ばっかり。素っ気無いったらありゃしないわ。お陰であんた、前は結構モテていたのに、今じゃすっかり根暗認定されちゃって、冴えないったら」
「ん、さとみ。今、何か言ったか」
「……厭味すら聞いてないし」
  ハアと大きく溜息をついて、さとみは目の前でぼうとする比嘉焚実をしげしげと見つめやった。
  以前は快活で元気の良い、どこにでもいそうな好青年だった。贔屓目抜きでそう思う。焚実は以前からさとみの趣味にあと一歩届かないという感じではあったが、「それでもまあ、あと数年経てばそこそこになるかも?」と期待するには十分の素材だったのだ。
  それが「あの男」に会ってから。そして別れてからは。
  すっかり骨抜き状態だ。
「緋勇君の存在がそこまで大きかったとはねぇ…」
「え!? 緋勇!? 緋勇がどうかしたのか!?」
「………別に」
  急に目の色を変えて座っていた椅子からも腰を浮かした焚実に、さとみは慣れきった目を向けつつも「何でもないから座りなさいよ」と元の座席に落ち着かせた。
  そうなのだ。
  僅か1年という短い間だったけれど、自分たちが通う明日香学園で生活を共にしてきた緋勇龍麻は、確かにさとみにとっても大切な友人だった。
  しかし彼は学年も最後の3年になろうという直前、急に「家の都合」とやらで東京の高校へ転校してしまったのだ。焚実の様子がおかしくなったのはそれからすぐの事だった。
(確かに仲は良かったけど…。どっちかって言うと彼とよく話していたのは私だし、焚実なんか、緋勇君の転校の時だって案外あっさりしていたくせに)
  ガタガタと揺れる車内で隣同士。ぼうとする焚実の横顔を眺めながらさとみは心底不思議そうに眉をひそめた。
  緋勇はどこにでもいそうな平凡な高校生だった……知り合った当初は。
  けれど実はそうではないと分かる出来事が自分たちの身に降りかかり、その「事件」から程なくして、緋勇はさとみ達から露骨に距離を取るようになった。そしてそれに乗じてさとみも何となく緋勇とは疎遠になった。だから転校するという時も、軽い「さよなら」の挨拶を交わしただけだ。
  けれどそれが緋勇の、自分たちを危険な目に遭わせない為の判断だという事が分かっていたから、だからさとみもおとなしく彼の望み通りにしただけだ。
  本当はもっと色々話したかったし、もっと彼の事を知りたかった。
「ったく…。本当は落ち込んでるのは私だって同じなんだからね」
「そういえばさとみ。これから何処へ行くんだ?」
「……今さら訊く?」
  バスの運転手が終点を告げるアナウンスを掛けたところで、焚実が急に思い立ったように顔を上げてさとみに訊ねた。さとみはそれに心底呆れたような冷めた態度を取ったのだが、すぐに思い直したようになって友人の後頭部をばしりと叩いた。
「ってえ! い、いきなり、何するんだよ!」
「煩い。勿論、私自身の為でもあるけど、あんたの為でもあるんだからね。今日の冒険は」
「冒険…?」
「ほら、終点の新宿よ。降りた降りた!」
「お、おい、さとみ…!?」
  焚実の困惑したような声を思いきり無視して、さとみは先に座席を立った。
  そう、ここ数ヶ月のモヤモヤをもう放置してはおけない。
  もっと早くにこうすれば良かったのだ。緋勇は自分たちの友達なのだ。偶にこうして会いに行って何が悪い?
「真神学園、か」
  どんな学校なのだろう?
  久しぶりの緋勇は、自分たちの顔を見てどんな表情をするだろう。
  柄にもなく胸が昂揚する想いで、さとみは僅かに白い頬を上気させた。





「さ、さとみ…っ。いきなり、何考えてるんだよ!?」
「何が」
「何が…って! こ、ここ、緋勇の転校先の学校だろ!?」
「そうだけど」
  大仰な校門の前に立って中の様子を伺うさとみに、焚実は終始あたふたとしたような態度で身体を揺らした。
「きゅ、急に来たりなんかしたら、緋勇だって迷惑だろ!? 連絡してあるのかよ、俺たちが来るって」
「そんな事したら面白くないじゃない。勿論、何も言ってないわよ。彼の引っ越し先の住所もイマイチ分からないから、直接学校に来ちゃったけど。うちと同じでこの学校も土曜日休みだったらどうしようかしらね?」
  あははと能天気に笑うと、そんなさとみに焚実はますます不快な表情をして、いきなり手首を掴んできた。
「帰るぞ!」
「はあ? 何言ってるのよ、ここまで来て…」
「俺は緋勇の迷惑になるような事はしたくないんだよ!」
「どうして迷惑なのよ!?」
  焚実の言わんとしている事はさとみにも分かったが、それでも納得が出来なくて自然声が荒くなった。
  緋勇龍麻は自分たちとは「違う」。どこがどうとは言えないけれど、異質、なのだ。
  だから自分たちが想像も出来ないような危険な目に遭うし、だからこそ、さとみもあの別れの時、「さよなら」とだけ言ったのだ。彼の足を引っ張りたくはなかったから。
  そんな事は分かっている。
「でも、嫌でしょ! このまま、ずっと離れ離れで会えないままなんて!」
  焚実に掴まれた手首を無理に払って、さとみは大声を上げた。
「焚実だって本当はずっとこうしたかったくせに! 緋勇君に会いたいと思っていたくせに! それなのに、1人で分かったような顔して、我慢なんかしないでよ! 学校じゃひっどい顔なのよ!? ずっと彼の事考えて、寂しくて堪らないくせに、かっこつけないでよね!」
「何だと…!」
「何よ!」
  むうとお互いが睨み合い、さとみ達は見知らぬ高校の校門前で険悪な空気を纏ったまま暫し何も言わずにいた。
  別に喧嘩がしたいわけじゃない。2人共、本当は分かっていた。さとみも正解だし、焚実の態度も正解だ。どちらが悪いわけでもない。
  でも、これが正しい事なのかは分からない。
「あの〜」
  その時、不意にそんなさとみ達に声を掛ける人間がいた。ぎょっとしてそちらへ目をやると、やや身体を屈めたショートカットの人懐こそうな少女が物珍しそうな顔でさとみ達を見やっていた。制服を着ている。どうやらこの学校の生徒のようだ。
「見かけない顔だねッ。もしかして、うちの生徒じゃない?」
「あ……えっと。私たち、明日香学園の者です」
  さとみがすぐに答えると、少女は考え込むように首をかしげた。
「明日香学園〜? んー。どこかで聞いたような、聞かないような…」
「あら、小蒔。どうしたの?」
「あ、葵ィ!」
  少女は自分を「小蒔」と呼んだ「葵」なる人物の登場にぱっと表情を明るくし、こいこいと激しく手招きしてみせた。見るとその背後には更に大柄の男子高校生と、細身だがやはりがっちりとした体格の、何やら木刀を肩に掛けた赤髪の学生が連れ添っていた。
「おう、どうしたんだよ小太郎。見かけない面と一緒だな?」
「むっ! だから、キミは何回言ったら分かるのさッ!? ボクは小太郎じゃないっ!」
「そうだぞ、京一。お前、いい加減桜井をからかうのはよせ」
「へーへー、すみませんねえ!」
  最初からかう風な態度を取った木刀持ちの青年は、小蒔と大柄の学生に窘められて大人しく肩を竦めた。よくは分からないが、喧嘩をしている風でも和やかな空気だ。きっと彼らは自分と焚実のような関係なのだろうとさとみはぼんやり考えた。
「あの、ごめんなさい、騒いでしまって。うちの学校に何か御用ですか?」
  すると一旦場が落ち着いたところで、先刻小蒔から「葵」と呼ばれた少女が優しげな瞳で尋ねてきた。
「あ…」
  何だか分からないが、さとみはその葵の態度に思わず赤面した。何て綺麗な人なのだろう。同性でも思わずほうと見惚れてしまうその美しい声にも惹かれてしまい、さとみは一瞬出す声を躊躇ってしまった。
「あの…この学校に、緋勇龍麻がいるかと思って」
  すると隣にいた焚実がいきなり核心をついてその葵に質問をした。さとみは驚いてそんな友人の顔を見やったが、さっきまで帰るぞなんて偉そうに言っていたのはこの焚実のくせに、結局会いたいのじゃないかと、嬉しいやら恨めしいやら、複雑な気持ちがしてしまった。
  それでも、何にしろ焚実が訊いてくれたのは良かった。さとみがそれにあわせてうんうんと意味もなく頷いてみせると、しかし瞬間、その場の空気がさっと変わった。
「……?」
  そのあまりにあからさまな様子の変化に、さとみは思わずびくりと身体を震わせた。
「……龍麻に用なの?」
  葵という少女は表情から笑みを消してはいなかったが、困ったような途惑うような、そんな顔をして改めてさとみに訊いてきた。
  すると立て続けに、今度は京一なる木刀の男だ。
「お前ら、ひーちゃんに一体何の用だ? つーか、どういう関係なんだよ? あんたみたいな可愛い子にあんま冷たくしたくねェけど、俺ら今結構神経質だからよ。ひーちゃんに会うなら、まず俺らに面通ししてもらわねえとな」
「え…?」
「こら京一ッ! いきなりそんな物騒な顔して脅すように言ったら、この人たちだって困っちゃうだろ!?」
「そうだぞ、京一。少し落ち着け」
  しかし…と、大柄の学生はやはり葵と同じようにやや躊躇するような顔をした後、顎先に指を当てて考え込むような所作を取った。
「緋勇に何かあったのか…?」
  そんな4人の態度に逸早く何かを察知したのは焚実だった。さとみがハッとして制止しようとするのも構わず、焚実は木刀の男に向かって切羽詰まったようににじりよった。
「おい、教えてくれ! 緋勇に何かあったのかよ!? 何処にいるんだ、会わせてくれッ!」
「何だぁ…? だから、お前はひーちゃんとどういう関係―」
「ダチだよ! 親友! 俺はあいつの親友だッ!」
「……っ」
  必死の焚実にさとみは咄嗟に「負けられない」と思った。そもそもここへ焚実を連れてきたのだって自分だ。自分の方がよほど龍麻に会いたいと願っていたのだ。
  この4人も何なのかは分からないが、面通ししろというのなら、かなりはっきりと自己主張せねば。
  だからさとみは焚実の頭を押さえつけるようにして今度は自分が全面に出て声を上げた。

「私も! 私も彼の親ゆ……いいえ、恋人ですッ!」

  別にそこまで言う気はなかった。
(あ……未来予想図を勝手に完成形で言っちゃった……)
  元からムキになるとすぐ暴走するのが悪い癖だと言われていたが、ぼっと燃え立った負けん気の強さが余計なところで顔を出してしまった。
  確かに緋勇とは仲が良かった。時々はふざけて【愛】だの【照】だの感情表現をぶつけあった事もあったが、お世辞にも「恋人」の関係にまではステップアップしていない。
  いつかはそんな風になれたら素敵だなという想いは確かに存在していたが。
「こ…恋人……?」
  ぐるぐると頭の中で色々な事を考えていたさとみに、不意に黒い影が5つ。それは友人であるはずの焚実も入れた人数だったのだが、さとみがギクリとして逃げの体勢を打ちかけた時にはもう遅い。
  そこには世にも恐ろしい悪鬼がヒトの形をして現れた。
「ちょちょちょちょっとちょっと〜ッ!? ねえねえどういう事!? キミがひーちゃんの恋人って、そんなのボク聞いてないし! そんなの認められないよーッ!」
「うふふふふ……大丈夫よ小蒔……きっとこの方の妄想に違いないわ……うふふふふ」
「ひいっ…。か、可愛い顔しているのに、2人共物凄く怖い…!」
「つーか、さとみ、てめっ! 何勝手な事言ってやがるんだ! 緋勇は俺の―!」
「あぁ!? ちょっと待てや兄ちゃん! お前今どさくさに紛れて何言おうとした!? お前がひーちゃんの何だって!?」
「落ち着け京一! そんなわけはないだろう、こいつが龍麻の……そんなわけはない。大方いつもの熱狂的ファンだろう。大人しく拳に訊けば分かる事だ」
「げええっ。こ、こいつ、言葉と行動が伴ってない…!」
  最初こそさとみを恫喝した焚実も、いつの間にか2人の男子学生に凄まれてたちまち小さくなっている。しかしさとみはさとみで女子学生の方に睨みをきかせられてしまっている為、どうにも身動きが取れない。一体何だというのだろう、貴方たちこそ緋勇君の何なの、と。そう言ってやりたいのに、怖くて足元がおぼつかない。

「あ」

  その時だった。
  まさに救いの神――…否、ずっと会いたいその人が。

「青葉、さん? 比嘉……?」
「緋勇君ッ!」
「緋勇ッ!!」

  龍麻の呼びかけにほぼ同時に絶叫したのは、勿論さとみと焚実だ。
  4人の学生たちを振り切り、ほんの数メートルを全力疾走して目の前に現れた緋勇龍麻の元へ駆け寄った。背後から4人がそれに対してぎゃあぎゃあと喚いていたが、まるで聞こえない。ただ、緋勇に会えた。それが嬉しくてならなかった。
「2人とも、どうしたの…? 急に……びっくり、した……」
「あ、あはは…そうでしょ、びっくり、したでしょ? 驚かせたくて……それで、突然、来ちゃったの」
  いざ目の前にすると声が震えてしまう。さとみはそんな自分が信じられなかった。元々人見知りする方ではないし、誰とでも臆せず話せる方なのだ。転校してきたばかりの緋勇に対しても、だからすぐに自分から話し掛けて友達になった。
  それなのに、どうにもどぎまぎしてしまう。
「緋勇…」
  そしてそれは焚実も同じだったのだろう。感極まったようにしんとして、けれどすぐにハッとして緋勇の額に恐る恐る片手を差し出す。
  その所作にさとみもすぐにどきんとした。
「緋勇君、怪我…?」
  長い前髪に隠れてすぐには気付かなかった。けれど、緋勇は額に白いガーゼを当てていて、明らかに怪我をしている様子だった。白いガーゼはテープでしっかりと止められていたが、新しい傷なのだろうか、薄っすらと赤い血が滲んでいるのが見えた。
「ひーちゃん! 今日は家で大人しくしてろって言っただろ!」
  呆気に取られているさとみらに反して、京一という青年がさっと駆け寄ってきて責めるような言葉を吐いた。それから無遠慮にさとみたちを見やり、「こいつらは?」と訊く。
「前の学校の友達だよ。青葉さんに、比嘉。向こうで仲良くしてくれてたんだ」
  緋勇がのんびりと言うと、京一は何故か軽く舌を打ってから、「とにかく、今日は帰れよ」と繰り返した。
「大丈夫だよ、もう傷も痛まないし。みんなが旧校舎に潜るって言うからさ。だから」
「駄目だ、とにかく帰れ。それから、こいつらにも帰ってもらえ。……危ねェだろ」
「あ、ねえねえひーちゃん!」
  京一の声を掻き消すようにして、小蒔という少女がはいはいと手を挙げて口を挟んできた。
「ねえ、そこの青葉さん? ってヒト。ひーちゃんの恋人じゃあ、ない、よね?」
「あっ…」
  ぎくりとしてさとみは途端赤面した。ここで違うとはっきり言われたら目も当てられない。しかし言った自分が悪いのだから自業自得でもある。
  さとみはオロオロとしながら所在なく焚実を見上げたが、薄情な友人は最早緋勇の顔しか見ていない。むっとして、後で絶対に蹴ってやろうと心に決める。
「恋人…って」
「青葉さんが言ったんだよ。ひーちゃんのこと、自分の恋人って。ねえ、嘘だよね?! そんなの、絶対ボクたち、信じないよー!」
  ショックだもんと、小蒔は正直に言ってへそを曲げた。他の3人は何も言わないが、どうやら気持ちは同じらしい。ああ、緋勇はこの4人に心から慕われているようだ。それが少しだけ安心で、でも悔しくて。さとみはぐっと俯いて唇を噛んだ。
  どうして自分はこの輪の中に入れないのだろう?
「うーんとね。俺が恋人だったらいいなあって。思ってた人、かな?」
「えっ…」
  その時、緋勇がふっと笑いながらそう言って、それからさとみの顔を穏やかに見つめた。
「緋勇君……」
  それは明らかにさとみに恥をかかせない為の緋勇の優しい嘘だったが、それがあからさまな嘘でも何でも、さとみにはそれだけで十分だった。
「あの…急に来ちゃって、ごめんね」
  だからさとみは素直に謝った。緋勇はすぐに「ううん」と首を振ったが、「いつでも来ていいよ」とは、やはり言ってくれなかった。
  それはその額のガーゼを見れば分かる。言いたくても言えないのだ。
  それはいつだったか、この隣にいる焚実がぽつりと聞かせてくれた事でもある。転校する前、緋勇は焚実に危険だから自分の事を追ってはいけないと暗に話していたらしいのだ。
  それを何ともなしに聞かされた時、さとみは「何故自分にもそういう話をしてくれなかったのだろう」と違う方向で寂しく思ったものだ。
「怪我…大丈夫?」
「あはは、ドジって階段から転げ落ちちゃったんだ。でも大した事ない。記憶喪失とかにもなってないしね」
「そう」
  わざとおどけて言う緋勇が悲しい。さとみは、けれど何を言ってあげる事も出来ず、ただ胸元でぎゅっと拳を作った後、思い切って言った。
「私もドジだからしょっちゅう転んだり頭ぶつけたりするの。でも、これから先何があっても、絶対記憶喪失にはならないから」
「え?」
「緋勇君の事、忘れたくないもの」
「……うん。俺も忘れない」
「ね、卒業したら、また帰ってくる?」
  さとみのその質問には、後ろの4人が露骨に不満そうな顔をした。それでもさとみは敢えてそちらには視線をやらず、そして未だぼうと緋勇を見やっている焚実の背中をバンと叩いた。
「ロクな男がいないの、周りに。緋勇君と会っちゃったら、尚更!」
「青葉さん」
「緋勇君も、そうでしょ? なかなかないでしょ、私みたいな物件!」
「……ふふ。うん、そうだね」
  最後にはこちらもわざとふざけてみせると、緋勇はそこで初めて心から笑ったように目を細めた。
  そうしてちらりとさとみの手を取る。
  さとみの心臓はどきんと跳ね上がった。
  けれど。
「送ってあげられない。でも、青葉さんは強いから大丈夫だね?」
「……っ。当然」
「比嘉のことも、ちゃんと見てあげてね」
「……仕方ないわね」
「それじゃあ」
  緋勇はそう言うとするりとさとみの手を離し、隣の比嘉にコツンと拳を当てた後、京一たちの元へ歩いて行った。横でガーガーとその木刀青年が何やら煩く喚きたてていたが、緋勇は動じた様子がない。
「あーあ。フラれちゃった」
  さとみはそんな緋勇と、横に並ぶ同じく尋常でない者たちを見送りながら、ふっと物憂げに嘆息した。
「そうでもないんじゃないか」
  するとずっと黙っていた焚実がようやく復活したようなしゃんとした顔でおもむろに口を開いた。
「ん?」
  さとみがそれに不思議そうな顔を向けると、焚実はやはりどこか寂しそうな顔をしながらも、「だってさ」と口許を歪めて言った。
「あいつ。俺らの事触ってくれたし。帰らない、とは言わなかった」
「……うん」
「ちゃんと、覚えててくれてた」
「うん」
  焚実の言葉に強く頷いて、さとみは潤みかけていた目を急いでごしごしと擦った。そうしてもう校門の中へと消えてしまった緋勇を振り切るようにして、自分も踵を返した。
  帰ろう、地元へ帰ろう。
  そうして、もっともっとあの街を自分の好きな色に染めて。
  いつか彼の帰りを笑って出迎えよう、と。さとみは強くそう思った。



<完>




■後記…ひーちゃんにちょっと触ってもらっただけで満足する健気な2人…。明日香学園のエピソードを見た時、正直「物凄く物足りない」と思いました。比嘉もさとみもイイ奴らで優しいし親切だったけど、ひーちゃんが転校する時はいやにあっさりしてやがる、と(笑)。でも実は「ひーちゃんの、何だかよく分からないけどフツーじゃないところ」に2人は気付いていて、だからこそ敢えて「ひーちゃんの為」にあんな風に静かに見送ったのだと思い直しました。でなきゃ連絡の1つも寄越さないあいつらが不自然過ぎる〜!きっと「普通」である自分たちに負い目を感じてて近づけないんだよ。そうに違いないよ!普通攻めって結構好きだなー。