その夜、招かれたもの ひどく冷える夜だった。 積もるまではいかなかったがその日は今年初めての雪がぱらぱらと東京の街に舞い降りて、暖房をつけても部屋の中はなかなか暖かくならなかった。 その日龍麻は学校を休んだ。 特に何かがあったわけではない。何となく「具合が悪い」とは目が覚めた時に感じたのだが、特に風邪を引いて熱があるわけでも、連日の戦いで身体が疲れていたわけでもない。ないのだが、どうしても外に出る事ができなかった。朝いつも通りに起きて制服に着替え、朝食を作ってそれを食べた。腕時計をつけ、さあ行くかと、そこまではいったのだ。 それなのにその後の数歩が。 足が、身体全身がどうしても外へ行く事を拒んだ。 玄関口から先、龍麻は一歩も前へと進めなくなってしまったのだ。 それは決して珍しい事態ではなかったのだけれど。 『 ひーちゃん、風邪か!? 看病に行ってやろうか? 』 同学の蓬莱寺京一がそう言って電話先でやかましくわめいていたが、龍麻は何でもない旨を強調してすぐにそれを切った。今は誰とも話したくない。こういう時、龍麻の仲間たちは我先にと連絡を取ってきてはお節介が過ぎる程にいらぬ干渉をしかけてくる。普段ならばそれも柔らかい口調でカワス事が可能な龍麻であるが、こういう日に限ってはそれも難しかった。身体だけでなく気持ちもどんどん閉鎖的になり、何もかもが誰も彼もが面倒臭く感じられてしまうのだった。 龍麻は部屋の隅で凍える指先を少しでも温めようと両手をごしごしと擦り合わせた。その日1日ほぼ何をするでもなく、龍麻はそうやってただ自らの熱を高める作業に没頭していた。それだけが楽だったし、それだけが今の自分に急務な作業のように思えた。 去レ…! その必死の作業を破ったのは、何処からともなく聞こえてきた声のせいだった。 「 ………?」 不審に思って顔を上げ、しきりに動かしていた手を止めて龍麻は立ち上がった。その声が聞こえたのは一瞬だけで、龍麻が立って再度耳を傾けた時には、もう部屋の壁に掛けてある時計のカチカチという音しか聞く事はできなかった。 それでも龍麻は何かに押されるような思いで玄関口まで行き、恐る恐るながらも開けたくないと思っていたドアのノブに手を掛けた。 しかしそれは思っていたよりも簡単に開ける事ができた。 「 あ………」 扉を開けた先、目の前にはよく見知った男の顔があった。長い紅蓮の髪を一つに結わえ、不敵な眼を爛々と輝かした背の高い男。 かつての宿敵。 「 天童…」 「 ………開けられたか」 「 え?」 「 入るぞ」 「 あ、ちょ…!」 九角天童、龍麻たちの前に立ちはだかった事のあるその男は途惑う相手には構わずに更に大きく入り口の扉を開くと、そのままの勢いでずんずんと部屋の中へ入ってきた。部屋の中央に立ち、辺りをきょろきょろと見渡す。慌てて後を追ってきた龍麻が困惑しているのにも構わずに、その後も九角は寝室、浴室、トイレまでも開けて、最後にリビングの小さなベランダへと通じる窓をガラリと開いた。 雪が止んだといっても外は真冬の夜。九角が窓を開いた途端、冷たい冬の風が一気に部屋の中へ流れ込んできた。 「 て…天童、何するんだよ…! 寒いじゃないか!」 「 寒いだけならいいだろーが」 「 な…何?」 「 分からねえか? やっぱりお前は馬鹿だな」 「 ば…な、何なんだよ、勝手に人ン家押しかけて! 何も言わずに…それで、ば、馬鹿って! 俺は今…!」 「 今、何だ?」 龍麻が言いかけた言葉を自分でかき消したくせに、九角はそう言って窓を開けたまま部屋の入り口に佇む龍麻に近づいて訊いた。ぐいと近づけられたその顔に龍麻は一瞬怯む。何も変わらぬその自信に満ちた視線に圧倒された。 戦って勝利を得たのは自分の方であるのに。 「 おい何だ、龍麻。『俺は今』? 今何だって言うんだ?」 「 お…俺…今日は誰とも会いたくない気分だったんだ…」 別段悪い事をしているわけでもないのに、龍麻は必死に九角の視線から逃れようと俯いてぼそりと言った。それでも強気な九角の目線が明らかにこちらに向いているのが分かった。何だか無性に怖くなり、龍麻は一歩後退した。もっともすぐに九角が一歩近づいたせいで、互いの距離はまたあっという間に縮んでしまったのだが。 龍麻はごくりと唾を飲み込んだ。 「 何か…今日は、駄目なんだ。誰の顔も見たくないんだよ」 「 俺の顔もか」 九角の自信あり気な声に龍麻はカッと自らの身体が熱くなるのを感じたが、それでもその台詞のお陰で逆に反論の言葉は出しやすくなった。再び九角から逃れようとしながら、龍麻は身体を逸らせつつ声を荒げた。 「 誰ともって言っただろ! 今日は朝から気分悪くて…お前だろうと誰だろうと同じだよ…! だから…」 「 だから?」 「 だ! だから!」 「 帰れってのか? 俺に?」 「 な、何だよ勝手に来て!」 あまりにも横柄な九角の態度にさすがにむっとして龍麻が顔を上げると、そこには意外にもやけに優しい顔をした九角の表情があった。龍麻が一瞬呆気に取られると、九角はその静かな様子のまま言った。 「 お前が帰れってなら帰ってやる。だがな、今日はこれを持っておけ」 「 な、何…?」 九角がそう言って龍麻に差し出したものは一枚の札だった。龍麻には読めない何か文字のようなものが、ずらずらと記されている。 「 お前はな、今憑きやすくなってんだ」 九角は一言そう言った。 「 え…?」 「 だからそれ持っとけ。お前はただでさえ『寄せ付けやすい』体質なんだからな。それでこれ以上憑いたら厄介だろうが」 「 何が………」 札に目を落としながら龍麻が茫然としたまま問い返すと、九角は今度は心底馬鹿にしたような顔をして鼻で笑った。 「 はっ、お前本当に自分で分かってねえのか? 心底オメデタイ奴だな」 「 むっ…! だ、だから何がだよ!」 「 …………」 「 な、何が…だよ…?」 しかし再度訊いても九角はそんな龍麻の問いに答えようとはしなかった。代わりにびくついたような龍麻の顔をもう一度じっと見下ろすと、まるで子供をあやすようにぐしゃりとその髪の毛をかきまぜて撫でつけた。 「 て、天童…っ?」 その所作はやはり優しいもので、龍麻はそれでまた面食らってしまった。 そんな龍麻には構わず九角は平然として口を切った。 「 別に知らなきゃ知らないで、それでいい。だがしばらく窓は開けておけ。お前は無意識に自分を護ったつもりなんだろうが、却って良くねェもんが篭もるからな。それから水分はたくさん摂れ。お前、今日は何も食ってねえだろ」 「 な……」 「 俺が言いたいのはそれだけだ。じゃあな。勝手に入って悪かったな! オボッチャン」 「 ま……」 厭味口調でそう投げ捨ててそのまま玄関口へと歩いていってしまう九角に、龍麻は一瞬声を失った…が、それでもくるりと振り返り、何とかすぐに後の言葉を続けた。 「 待てって、天童!」 「 あ?」 九角が眉を釣り上げて振り返る。龍麻はその顔にまた怯んでしまったのだが、それでもぐっと息を飲んだ後、思っていた疑問を叩きつけた。 「 何で…天童がそんな事分かるんだよ…」 「 …………」 「 俺の具合悪いのとか…。俺が分かってない事とか…。そ、それに俺が何も食ってない事とか」 「 食ってないから余計憑かれやすくなってるだろうが?」 「 だ、だから何にだよ!」 「 悪いモンにだよ」 「 え……?」 龍麻がやはり分からないというように怪訝な顔を向けると、九角はいやに真面目な顔をして素っ気無く言った。 「 だから俺には分かるんだ。お前の仲間には分からない。簡単な事だろうが?」 「 わ、分からないよ…」 「 あぁ?」 「 分からないよ…天童の言っていること…」 「 別にそれならそれで良いと言っただろうが? 別に分からなくても死にゃしねえよ」 「 い、嫌だよ!」 「 俺は帰るぞ」 「 嫌だ!」 本当に踵を返し去って行こうとしている九角を、しかし龍麻はそう叫んでだっと駆け出していた。そして気づくとその身体を両腕で捕まえていた。 「 待ってくれよ! 天童!」 「 ……お前が帰れって言ったんだろうが」 龍麻に体当たりされ、半ば抱きつかれた格好になっている九角は呆れたようにそう言った。龍麻はそんな九角の声を聞きながら、ぎゅっと目を閉じたまましばしその体勢を崩す事ができなかった。 確かに誰とも会いたくないと言ったのは、思ったのは自分だったのだが。 「 だ、駄目なんだ…天童……」 龍麻は小さな掠れる声でそう言った。 「 俺……駄目なんだ……」 「 何が」 九角の声は冷たいように思えた。それでも龍麻は九角にしがみつく腕に力を込めた。 「 俺、本当は誰かに来て欲しかった……」 「 …………」 「 誰にも会いたくなかった。誰の顔も見たくなかった。寒くて、気持ち悪くて、むかむかして。でも…でも、寂しかったんだ。誰かに会いたくて、誰かの顔見たくて仕方なかった」 「 何だそりゃ。勝手な野郎だな」 龍麻の台詞に九角はくっくと笑ったようだった。広い背中が揺れたのを龍麻は感じた。 「 なあ…俺やっぱり、変なのかな…?」 「 あぁ…?」 「 時々なるんだもん。こういう風に…」 「 …………」 「 そういう時は学校休んでじっと座ってるんだ。それでやり過ごすんだ。何かが通り過ぎるまで」 「 ………お前は」 「 みんなには言わないよ。心配かけたくないから……」 「 ばぁか」 不意に、九角が龍麻からの拘束を振りほどくようにして身体を動かした。そうしてすぐに振り返って楽しそうな顔を閃かせると、九角はそのまま実に軽々と龍麻の事を抱きかかえた。 「 わ…っ?」 「 あァ、お前は変な奴だ」 「 な…! 何だよ…!」 「 黙ってろ」 九角の言葉に龍麻は思わず不満の声を上げたが、それもすぐに切り捨てられた。そうして九角に抱きかかえられたまま部屋に舞い戻って隣の寝室にまで運ばれると、龍麻はそこにあったベッドの上にどすんと下ろされた。すぐ上に圧し掛かるようにして迫ってくる九角に龍麻が驚いて逆らおうとすると、九角はそれを良しとせずに暴れる両腕をいともあっさり封じ込めてしまった。 「 な…っ、何するんだよ、天童…!?」 龍麻が情けない声を上げると九角は口の端を少しだけ上げた。 「 帰って欲しくないんだろうが?」 「 そ、そうだけど…! で、でも、これは…っ」 「 これは、何だ?」 「 だっ…んぅ…!?」 龍麻が再度抗議の言葉を紡ごうとした瞬間、しかしその唇はいともあっさり九角によって塞がれてしまった。龍麻が驚きで目を見開いたまま九角のことを見やると、九角も挑発するような眼光を返してきた。 「 …ぅ…ん…」 「 ……龍麻」 唇を少しだけ離された時、九角の囁くような呼び声が聞こえた。龍麻は不覚にもそれだけでびくりと身体を揺らし、反応を返してしまった。 九角に触れられた唇も、捕まれてしまっている両手首も。そして自分に圧し掛かる九角の影を感じる全身も。 全てが熱いと龍麻は思った。 「 てん…どう…?」 「 お前が俺を呼んだんだ」 そう言われた瞬間、また唇を重ねられた。何度も確かめるように制圧するように下りてくるそれは、その度に龍麻の身体と心を熱くさせた。 「 お前は俺みたいなものを呼んじまう。そういう体質なんだよ」 「 天童を…?」 「 だけどな、お前。俺が傍にいればな…」 他の奴は近づけねえよ。 九角の自信に満ちたそんな声が聞こえたような気がした。 けれど九角に全てを熱くされていた龍麻にはもはやそれをはっきりと確信する術がなかった。 だから龍麻はやがて自分の手首への拘束が完全になくなると、逆に自ら離すまいと、その自由になった腕を九角の首筋に絡みつけた。 「 傍に…いてよ……」 そして龍麻が唇を戦慄かせながらそう言うと。 九角は目だけで笑んで見せ、その震えた唇を再度自分のそれで塞いだ。 |
<完> |
■後記…こちら九角主オンリーの同人作家であらせられる「匿名希望・炎の書き手人」様よりご寄稿頂いた作品=「夜中、突然ひーちゃん様の家に押しかけた御屋形様」話を管理人がリメイクしてお届けしたものでございます。ある事情によりその作品をそのままweb上で公開する事は炎の書き手人様の命に関わるという事で、ご本人様の了承を得て原案だけ使わせて頂きました(炎の書き手人って…その名だけでバレますよ天童様に・笑)。 |