どうしようもなくイライラして。
  どうしようもなくて。
  いたたまれなくて。
  何もかも、壊れてしまえばいいのに。


  痛み



  気がついたら、独りになっていた。

「 お前なあ、いい加減にしろよ!」
  龍麻が憤慨したようなその声に反応して顔をあげると、そこには怒りに震えた赤い髪が微かに揺れていた。
「 何でお前はそうなんだ!」
  そう言って龍麻を責める唇は、それでも最後まで相手を追い詰めきれないのか、やや小さく震え、怒りをこらえているように見えた。
「 聞いているのか、龍麻!」
「 …………聞いているけど」
  相手に聞こえただろうか、今の声は。
  龍麻は心の中でそう考えながら、それでももう一度同じ事を言おうとは思わなかった。口をつぐみ、後はただこの真っ直ぐな男が次に何を言うのか待ってみる。

  「京一」と呼んだことはまだ1度もなかった。 

  どんなに頑なな態度を取って拒絶しようとしても、この「蓬莱寺京一」という男は、自分のことを「相棒」だと言った。
  親友だと。
  けれども龍麻自身にしてみれば、突然現れた得体の知れないこの自分に、何故この男がこうも親しげに寄ってくるのかが分からなかった。 だからその理由が分からなくて、気色が悪くて。
  つい、警戒した。
「 たまにはよ、信じてみてもいいンじゃねェか」
「 信じる……」
「 みんなよ、お前のこと心配してるんだろうが! それをお前はいっつもいつも独りの殻に閉じこもって、言いたい事もろくすっぽ言わねェで。よくそれで息が詰まらねェな! それとも何か? そんなに俺らは頼りにならねェか? 寄りかかれねェのかよ!」
「 蓬莱寺の言いたい事が…よく分からない…」
  嫌いな奴と口はきかない。
  顔を見たりもしない。
  一緒に戦ったりできない。
  だから、京一が言っていることは違うと思う。けれども相手にはその思いが伝わっていないようだ。口にも顔にも表した事はないから、当然かとも思うのだが。
  龍麻はふっとため息をついてから、いつものように曖昧に微笑だけした。どうしていいか分からない時は、沈黙して小さく笑っていたから。
「 ……何がおかしいんだ?」
  しかしそれで京一は余計に不機嫌になり、龍麻の制服の胸元をぐっと掴むと、鋭い眼光で見据えたまま、怒りのこもった声を出した。
「 そうやって誤魔化して誤魔化して。結局お前は自分のことを何にも言わないんだな…!」
  言うべきことなんか何もないんだ。
  そう思ったけれど、やはり言葉は出なくて。
  自分に何を言えというのだろう。信頼しているよ、とか好きだよ、とか? そういう事を言えばいいのだろうか。どうしていいのか判らない。望む通りにしてみたいけれど、やり方が分からない。
  今までそうやって人と関わってきた事が、自分にはないから。
「 いいかよ、龍麻」
  その時、京一が再び怒りを内に抑えこんだような声で言った。
「 お前がどう思おうと、俺ら…俺はお前と一緒に戦うと決めた。だからお前もそのつもりでいろ。何考えてんのか分からないが…俺はお前と最後まで戦うからよ」
「 え……」
  怒っていたのじゃなかったのか。
  龍麻がそれでまたつい不審な顔をしてしまうと、京一はそれでぐっと不快な表情をしてから、勢いよく龍麻の胸を突いて距離を取った。そして如何にも決まり悪そうにぽつりと言う。
「 仕方ねェな…。お前がそういう奴だってことは…もう分かっているつもりだけどよ」
「 あ……」
  ありがとう、と。
  龍麻はそう言おうかと思ったが、それでもそれを発することはできなかった。いつもこうだ。言えばいいと思う自分と、しかし今更そんな事を言葉だけで伝えたとて、それが何になるだろうかと思う自分。

  こんな自分が本当に嫌だ。

「 龍麻……」
  その時、京一が不意にそう呼んできたかと思うと、取ったばかりの距離を縮めて、突然自分の唇を龍麻のそれに合わせてきた。それは戸惑いと、やはり怒りの少しこもった口付けだった。
  けれど龍麻が何かを考える前に、それは離された。
  そして。
「 ……間の抜けた面してンじゃねェよ」
  京一は吐き捨てるようにそう言い、龍麻の元から離れていった。
「 …………」
  結局、京一が何に対して怒っていたのか、龍麻には分からなかった。





  自分にいつからこんな《力》が生まれたのか、龍麻は知らない。
  本当は興味もなかった。どうでも良かった。自分の生きている意味すら、考えたことがなかった。
  何もかもどうでも良かった。
  それなのに、気がついたら色々な事が自分の上には降りかかっていて。 課されていて。
「 全部…壊れてしまえばいい……」
  いつしか、独りの時はそんな事をつぶやいていた。
  特に今日は何だか心が落ち着かなかった。意味もなく京一に怒鳴られ、突き飛ばされ、キスをされたということもあったかもしれない。早く家に帰ってしまおうかとも思ったけれど、何故だかそうすることもためらわれていた。
「 お前」
  その時だった。
  声がかけられた。
「 そこのお前だ」
  龍麻は閉じていた視界を開き、声のする方へと顔を向けた。
「 …………」
  いつの間に自分はこんな所にいたのだろうか。
  辺りはもうすっかり暗くなってしまっていた。
  龍麻は帰り道にある公園の芝生の上で膝を抱え、眠ってしまったようだった。闇が支配するその場所で、独り座り込む自分に誰が声をかけるというのだろう。
「 …………」

  目の前に佇む男は、紅い学生服を着ていた。

「 誰……」
  また新しい敵だろうか。そんな事を他人事のように考えながら、素っ気無く声を出した。暗くて相手の顔はよく見えない。月光を背に立っているからだ。しかし相手のがっしりとした体躯、映えるような紅い姿と髪だけはよく見える。
  赤。
  あいつと同じじゃないか。
「 ここで何をしている」
  その相手は未だ思考がおぼつかない龍麻に、実に尊大な物言いをしてそう訊ねてきた。随分大人びた印象を受ける。龍麻は改めて顔をあげ、しかし体勢はそのままにその人物に瞳を向けた。
  爛々とした眼光が龍麻に突き刺さった。
「 何も…してないけど」
  龍麻はそれだけを言った。男は動じずその答えをただ聞き、それから再び威厳のこもった声を出した。
「 破壊を望むか」
「 え……」
「 言ったのはお前だ」
「 あ……」
  先刻つぶやいた言葉を聞かれたのだろうかと思い、龍麻はさすがに躊躇して言い淀んだ。それでも何とか平静を装った顔して首を横に振った。
「 違うのか」
  すると男はここで初めて憮然とした口調を発してから、煮え切らない龍麻に再び射るような視線を向けた。
  そして更に龍麻に接近すると、だらりと力ない自分とは対照的な相手の華奢な腕を掴み、龍麻の顎を指にかけると、間近にその眼光を晒してきた。
「 緋勇龍麻―」
「 な……ぜ?」
  自分の名前を?
「 ! ん……く…っ!」
  しかし訊こうとした瞬間、男は強引に龍麻の唇を奪った。身体を屈め、龍麻と目線を同じくしたと思うや否やそれは行われ、面食らう龍麻には一切構わず、男は更に激しい口付けを施してきた。
「 ふっ…ぅ…ん……っ!」
  引き剥がそうとして男の肩に手をかけ力を込めたが、男はびくともしなかった。それどころか逆にその腕を抑えられ、身体を倒された瞬間、馬乗りになられた。男は龍麻をがんじがらめにし、貪るように龍麻の唇に自らの唇を重ね、舌を差し込んできた。
「 ……んぅ、う…っ!」
「 お前は俺のものだ」
  そして男は唇を離した瞬間そう言った。ひどく殺気立った眼が光って龍麻に当てられた。
「 だ…れ……」
  掠れた声で訊くと、男は口の端を上げてただ笑い、再び龍麻に襲いかかった。
「 や、め……っ」
  男の大きな手で為される愛撫に翻弄されながら、龍麻は再び唇をあわせられ、そうして制服のシャツをいきなり裂かれた。獣のような男の所作に龍麻はぞくりと震えたが、しかし何故か抵抗の力を完全に封じられて、されるがままになってしまった。露になった胸に男の舌が這った。
「 ん……あ……ッ!」
  身体の弱い箇所を攻められて龍麻は思わず声をもらした。男はそれでまた微かに笑ったようで、更に龍麻のはだけた胸から、今度は制服のズボンに手をかけ、乱暴な所作でそれを下へとずり下ろした。
「 ぅあ……」
  何が起きているのか分からないまま、龍麻は男に翻弄されながら身体のあらゆる部分に徴をつけられた。そして同時に、時々剥き出しになる男の殺気立った氣が、何度となく施される愛撫やキスと混じって龍麻の背筋に言い様のない感覚を与えた。
「 あっ…んぅ……っ」
「 龍麻……」
  男が呼んだ。
「 何…で……名前……」
  男は答えなかった。
「 誰……俺…何で……?」
「 お前が呼んだからだ」
「 え……?」
  男のその最後の言葉がどこか寂しそうで。
「 俺…?」
  瞳を開いて確認しようとした瞬間、しかし龍麻は既に露にされていた自らの深奥にひどい衝撃を受けて絶句した。
「 !……ひ、ぁーッ!」
  男は一気に龍麻を貫くと、突然の衝撃に声もない相手には構わず、そのままの勢いで自らの腰を打ち付け始めた。
「 や、ぅあ、ああ…ッ!」
  何。
  身体を貫かれる痛みと共に、胸がひどく痛んだ。
「 あッ、あ、ああッ!!」
  それでも声はもう止まらなくて。男に刺激を与えられる度に、女のように喘いでしまった。
「 く…っ、あッ…やめ…!」
  抵抗の声も虚しいだけだった。身体は完全に繋がれて動けずにいて、自分を犯している男の肩を必死に掴んでいて。
  縋っていた。
「 何、で……っ」
「 龍麻……」
  男は再び龍麻を呼んだ。うっすらと瞳を開いてその声に反応した瞬間、溜まっていたのだろうか、涙が頬を伝った。
  自分にこんなものがあるなんて、今まで知らなかった。
  両足を思い切り開かされた格好で、間に男の身体がある。男は獣の様に腰を動かし、龍麻の奥を攻め立てる。痛み。血。単語がばらばらに龍麻の頭の中で蠢いている。
  名前も知らない、素性も分からない男に押さえつけられ、自分は一体何をしているのか。
「 き……」
  その時、ごちゃごちゃに頭の中を駆け巡っていた言葉の破片から、一つだけ。

「 京一……」

  唇から、その言葉が漏れた。
  男は龍麻のその声を聞いて、微かに嘲笑ったようだった。





「 名前…教えてくれよ……」
  行為が終わって男が服を調えているのをぼんやりと見ながら、龍麻は芝生の上で投げ出された格好のまま、男に問い掛けた。
「 柳生宗崇」
  男は一言そう言い、それから龍麻をちらとだけ見やった。男の体を包む氣はやや翳りがあり、暗く、重く、それはどことなく自分と似ているなと龍麻は思った。
「 やぎゅう……」
  龍麻が名前を呼ぶと、男は微かに瞳の色を変え、それから後は何も言わずに去って行った。
「 やぎゅう……むねたか……」
  最初に見た時はあの赤があいつに似ていると思ったのに。
  とんでもない間違いだったと龍麻は思った。

  何もかも壊れてしまえばいい。

  そう思った自分と符号するものを、あの男は持っている。
「 京一……」
  龍麻は先刻つぶやいた単語をもう一度発して、それからまた無意識に涙をこぼした。



<完>




■後記…柳生主と見せかけて京主な作品。でもこれはれっきとした柳生主なのです!しかし実はこのファイル…原因不明の事故で一度全て消去されてしまったので、新たに作り直したものだったりします。あまりの不幸さに柳生さんが怒ったのか…。