『闇と雨と星と』



「あ…雨か……」
 龍麻が九角の屋敷に着き、少し遅い夕飯を貰って落ち着いた頃には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。そしていつからなのか、天からは細い雨が降り始め、聖夜には似つかわしくない重苦しい雨雲が、暗い闇をより一層濃いものにしていた。
「おい、龍麻……」
 その時すらりと障子の開く音が聞こえて、九角が龍麻に声をかけてきた。夕食の後しばらく座敷にいる龍麻を置いて何処かへ行っていたらしい着流し姿の九角は、結わえた髪同様精悍としたその容貌故に、現代の若者というよりは、やはりどことなく洗練された武士の姿に見えた。
「どうした、眠いのか? 呆けた面しやがって」
 九角は庭の見える窓越しに座っていた龍麻の傍にまで来ると、その顔を覗き込むようにしてそう訊いてきた。
「あ……うん。そうかも。気が…抜けてる」
 それに対して龍麻はやはりぼんやりとした顔のままでそう答えてから少しだけ笑い、自分の目の前に座る九角に小首をかしげた。
「それよりさ…何処へ行ってたの?」
「あぁ…」
「さっきは何だか大きな音とかしてたし」
「声は聞こえたか?」
「え…? いや、別に聞こえなかったけど」
「そうか」
「何なの?」
 龍麻が不思議そうな顔をすると九角は少しだけ顔をしかめ、ずっと手にしていたのだろうか、手の平に握っていた小さな機械を差し出した。
「何これ…?」
「盗聴器だ」
「え?」
「そういうわけで、アイツ等の駆除をしてた」
「アイツ等……」
「お前にそれを着せる事を勧めた奴らだ」
 九角はそう言ってから今度はらしくもなく深いため息をつき、苛立たしそうに舌打ちした。
「まったく、屋敷から追い出そうとしたら、アイツ等大袈裟にピーピー泣き叫びやがって。面倒臭ェからまとめて放り投げてやった。岩角の野郎が、これがアタマにくるほど重くてよ」
「あ…あはは……」
 龍麻が大体の事を予想して、ようやくおかしそうに笑うと、九角の方は益々不愉快になったようになって「何が可笑しいんだ」などと言い返していたが、やがて物珍しいモノでも眺めるように龍麻の姿をまじまじと見やった。
「しかしお前。よくもまあ、アイツ等が出したモン、素直に着たな」
「え…。でもこれ、すっごくあったかいよ」
 龍麻がそう言って自分の姿を改めて見やる。
 九角の忠実(?)な部下たち…鬼道衆が龍麻のために用意した寝間着は、白い絹地に大きくて真っ赤なイチゴの模様がプリントされたパジャマだった。夕食前に風呂を勧められ、強引に押し付け渡された着替えがそれだったのだ。
「馬鹿じゃねェのか? いい年して、何て格好してやがんだ」
「だ、だって…折角用意してくれたっていうし」
「しかも気色悪い」
「む! わ、悪かったな!」
「馬鹿、気色悪いほど似合ってるって言ってンだ」
「は……?」
 龍麻は九角に誉められたのだという事にしばし気づかずに、言われた言葉を頭の中で反芻していた。が、やがてはっとして慌てたようになり、俯いた。
「面白い反応するな、お前」
「だ、だって…天童がそういう事言うのって、何か…」
「意外か?」
「う、うん…まあ…」
「そうか」
 九角は素直にそう言って頷いた龍麻に、一瞬だけ何事か考え込むような顔をしたが、やがて傍にいる龍麻をぐいと引き寄せて、いきなりのキスをした。
「ん…ッ!」
 突然の事にさすがに面食らい、龍麻が抵抗するように九角の胸を押して離れようとすると、九角は余計に抱きしめる腕に力を込めてより深い口付けを与えてきた。
「ぅ…ん…ふ……ッ」
 荒々しく舌を絡めとられ、何度も何度も唇を貪られる。一瞬、気が遠くなりそうになったが、同時に身体も熱くなってきて、龍麻は自分の身体の変化にただ戸惑ってしまった。
「天…童…」
「何だ」
 ようやく唇が離された時に龍麻が慌てて九角を呼ぶと、相手の方は至極冷静な表情をして素っ気なく返事をしてきた。
「お、俺さ……」
「………」
「そ、その……」
「何だ」
「あ、え、え…と……」
「はっきりしねェ奴だ。言いたい事があるならさっさと言えよ」
「………」
「あーあー! 俺の言い方が悪かったな! だからそういう顔をするなと言うんだ!!」
 九角は黙りこくってしまった龍麻に先手を打つようにしてそう言い。
 そうして、九角のキツイ物言いに負けてしゅんとなる龍麻の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「俺はな、お前のそういう面は見たくないんだ」
「……俺、どんな顔してんの」
「親に捨てられたガキってとこか」
「俺…お前の子供じゃないぞ」
「俺だってテメエみたいなガキ持った覚えはねェよ」
「………」
「ん…何だよ?」
 九角は明らかに自分の台詞に今までよりも暗い表情をした龍麻に気づき、見咎めるようにして訊いた。
 龍麻はぐっと唇を噛むと、ようやく思い切ったようになって九角の顔を見上げた。
「本当にいないわけ…?」
「あン? 何がだ」
「子供」
「……………あ?」
「だからっ! お前、ホントにどっかに子供とか作ってないわけ!?」
「…………」
 龍麻は恐らく、今のように目を丸くして心底呆気にとられているような九角のこんな顔は二度と見る事はできないだろうなと思った。けれでもそんな呑気な事を頭の中で考える一方で、自分はそんな事を気にしているのか…などという事にも気づいてしまって茫然とした。
「……お前、何馬鹿な事言ってやがんだ?」
 ようやく気持ちを整えたようになった九角が龍麻にそれだけを言うと、龍麻はムッとしたようになって声を大きくした。
「だってお前は…っ! こうやって誰かとキスしたり、それ、それ…それ以上の事だって…他の女の人とたくさんやってきたじゃないかっ! 彼女とかだってたくさんいるじゃんかっ!」
「だから何だよ」
「え……」
「だからお前は何が言いたいンだ?」
「だから……だから、俺は男だし……。お前の家の跡取とかだって産めないぞ」
「あ……?」
「でも俺…お前の事、好きなんだ…」
 龍麻は自分の台詞によってすっかり白けたような顔をしている九角を見てまた泣きたくなった。けれど、このままなし崩しに九角に寄り添って、自分の想いを言えずにいるのは嫌だと思った。
「好きなんだ…。でも、天童はきっと嫌になるよ」
「何が」
「俺の……裸見たりとか…したら…」
「フン、そうか」
 九角がここでようやく可笑しそうに笑って言ったので、龍麻はムキになった。
「そうだよ…っ! きっと、絶対興冷めだよっ。俺、顔は女みたいだとか言われる事もあるけど、所詮男だし。なのに天童すっごい女好きだし。それこそ、馬鹿みたいな女好きなのにっ!」
「………えらく強調しやがるな」
「でも俺は、こうやって天童にキスしてもらうの凄く好きだ…。抱きしめてもらうのも、触ってもらうのも好きなんだ。俺、俺はきっとおかしいんだ。どっか。どっかおかしいんだけど…」
 九角が面白そうに自分を眺めるのを龍麻は意識していたが、けれどもやはり真っ直ぐに見ることはできなくて、俯いてしまった。
「でも天童は違うよな…。男なんて抱いた事ある?」
「気色悪い事言うなよ。ねェよ、そんなもん」
「ほら、ないじゃないか!!」
「煩ェなあ。だから何だってんだ、一体!!」
「だから! 俺は天童のこと好きで、その……その……」
「面倒臭ェ奴だな、ホントに」
 九角は言い淀む龍麻を心底呆れたように見やってから、いきなり強引に押し倒しにかかった。
「わっ…! て、天童…ッ!」
「抱いてやるよ、龍麻…。だから大人しくしてろ」
「だ、駄目だよ、絶対駄目だー!!」
「う…っるせェ! 耳元で叫ぶンじゃねェ!!」
 自分とは対照的な可愛いらしいイチゴ模様の寝間着を着ている龍麻を抑えつけ、無理にそれを引き剥がしにかかっていた九角は、その下でじたばたともがく相手に耳元で叫ばれて思わず声を荒げた。
「大人しくしてろって言ってるだろうが!」
「やだやだ、絶対やだー! は、な…れろぉ〜!!」
 龍麻は思い切り両足をばたつかせ、自分にのしかかった九角の身体を押し返そうと相手の両肩を掴んだ。
「こ、の野郎が…ッ!!」
 しかしそれで却ってムキになったような九角がより一層力を出して龍麻の寝間着のボタンを引きちぎって叫んだ。
「言ってることもやってることもめちゃくちゃだぞ、お前! 俺の事を好きだとぬかしてただろうがっ!!」
「煩い! だからこそヤなんじゃないか! 脱がすなよー、変態!!」
「……こいつ……」
 取り乱したような龍麻の暴れっぷりに呆れ半分、怒り半分の九角は、寝間着のボタンを取られて上をはだけさせられた状態になってもまだ往生際悪く騒ぐ龍麻の唇を再び強引に塞いだ。
「い…ッ。ふ…ぅ…んぅ…ッ!」
 九角は何度も何度も口付けを繰り返し、その間に更にがっちりと龍麻の身体を片手で抑えつけると、もう片方の手を龍麻の寝間着の中に差し入れた。
「!! ぃ…! や…だ、天童!!」
 龍麻はぞくりと身体を震わせて九角に抵抗の言葉を吐いた。それでも九角は応えずに下着ごと寝間着をずり下ろし、龍麻のモノを自らの手でぎゅっと握りこんだ。
「……ッ!」
 突然の衝撃に龍麻が喉の奥だけで悲鳴にならない悲鳴を出すと、九角は微かに笑ったようだった。それから、実にゆっくりとした所作で龍麻の唇をぺろりと舐めた。
「あ…天童…」
「興醒めだと…? ハッ……」
 九角は心底馬鹿にするようにそうつぶやくと、龍麻に対し更に激しい愛撫を加えた。そうして、しゃぶりつくように龍麻の胸の飾りに舌を寄せた。

「はあ…ぁ、ん……あ、あ、あぁ…ッ!」
 更に九角が施してくる刺激にただ翻弄されて、次第に龍麻は声をあげていった。九角の楽しそうな眼光が一瞬だけ見えたような気がしたが、何だかそれがひどく悲しくて、けれども気持ちが昂ぶって、龍麻は九角にしがみついた。
「ほら、出せよ」
「……―あぁッ!」
 言われるままに、龍麻は九角の手の中で自らの欲求を放った。

「どうだ? 望んでたことが叶って嬉しいか?」
「…………」
「どうなんだ、龍麻?」
 茫然とする龍麻に顔を寄せて、九角は再度訊いてきた。龍麻はうっすらと目を開いてそんな九角を見つめたが、すぐにかっと赤面して顔を逸らした。
「何だ。何か言えよ」
 九角は催促するようにそう言ったが、別段龍麻の言葉を待っていたわけでもないのか、今度はすぐに龍麻の身体を隅々まで舐め、手でも更に刺激を与え始めてきた。龍麻はそれで更に絶頂を迎えさせられ、九角が攻め続ける愛撫にただ溺れた。
「天……童……」
「ん……」
 心細くなって呼ぶと、九角は必ず応えて顔を近づけてきた。
「好き……」
「ああ」
「だ…から……」
「もう喋るな」
 九角は静かにそれだけを言うと、龍麻の両足を開かせて自らの身体をその間に差し入れた。そうしてただじっと自分をねだってきているような龍麻の目をしっかりと見つめた。
「挿れるぞ」
「う…ん……」
 九角は龍麻の深奥をしきりに指で馴らしていたが、やがてそれを抜くとそれだけを言ってきた。そして龍麻が頷いたと同時に一気にそこを自らのもので貫いた。

「ひ、ぁ…ッ!」
「掴まってろ」
「ぅ、あ…ひぁ…ッ!!」

「くっ…おい龍麻…そんな力、入れるンじゃねェよ…」
「あぅ…ッ。ん、ふ、ぅ…天、童…っ」
「………」
 九角は痛みに喘ぎ、自分の声もまともに聞いていないような龍麻に、それでも更に深く腰を沈め、奥を突いてきた。
「あぁ…ッ!」
 ひどい衝撃が走り、龍麻はびくびくと背中を逸らせ、身体を震わせた。
 痛くて熱くて九角をただ感じ、訳が分からなくなっていく。
「天童…ッ」
 それでも必死に名前だけを呼び、傍に来てくれと腕を宙に挙げた。九角はそれに応えるよう掲げた太腿の内側に口付けをすると、更に動きを加えて龍麻を攻めていった。
「あっ…あ、ぅ…あぁ…ッ、あ…ん…!」
「龍麻。目、開けろ…」
 その時、不意に九角が自分に命令してくる声が聞こえた。
 龍麻は痛みと快楽に混乱しながらも、それに応えるように閉じていた瞳を開いた。その瞬間、堪えていた涙がこぼれた。
「天童……」
「………俺を見てろ」
「う…ん……。―あッ!」
 そうして目があったと思った瞬間、龍麻は九角が自分の中で熱を放ったのをもろに感じ、声を上げた。



 目が覚めた時は、ひどく雨の打ちつける音が耳に響いた。気づくと、いつの間に敷かれたのか、柔らかい布団の上で龍麻は横になっていた。
「天童……?」
 暗くて目が慣れるまでに時間がかかる。龍麻は必死に目をこらし、辺りの気配を伺った。やはり雨の音だけ。そして闇が覆っていて。
「天童っ!!」
 もう一度、今度は先刻よりも大きな声で呼んだが、やはり返事はなかった。龍麻は何だか無性に不安定な気持ちになり、全身気だるくて力が思うように入らない状態だと言うのに、無理に身体を起こした。瞬間、ズキリと腰に鈍い痛みが走った。
「痛…いよ、天童……」
 泣きたくなり、龍麻は消えいりそうな声でそう言った。
「龍麻。起きたのか」
 その時、不意にそう言って外の廊下から九角が戻ってきた。
「……どうした。また泣いてたのか」
「天童…ッ」
 龍麻はようやく自分の元に現れてくれた九角に縋りつこうと急いで立ち上がろうとして失敗してしまった。布団の上でもんどりうつ龍麻に、九角がたしなめるような声を出した。
「何をやっていやがる。大人しく寝てろ」
 それでもすぐに龍麻の傍に寄ってきた九角は、そのまま泣きじゃくる龍麻の頭を優しくなでつけてきた。
「だから俺はお前の泣き顔は見たくないと言っているだろうが」
「だって……何処行ったのかって…」
「俺がいなくて驚いたか」
「うん……」
「そうか」
 九角は平然とそう言ったが、それでも泣いている龍麻を優しく抱きとめてきた。
「馬鹿が。俺がお前を手放すと思うか」
「思う」
「おい……」
「でも俺は…もう絶対離れたくない…」
「…………」
「天童がいないと…俺…」

「……良かったか、お前?」
「え…?」
 突然、九角はそんな事を訊いてきた。その後も素っ気無く言葉を続ける。

「初めてだったんだろうが。俺もだけどよ。良かったか?」
 単刀直入にそんな事を言ってくる九角に、龍麻は暗い部屋の中でかっと頬を朱に染めた。―が、それでもこくりと頷いた。そんな龍麻の様子を見て、九角は微かに笑みを見せたようだった。
 そして、実にあっさりと自分も答えた。
「俺もだ」
「え?」
「二度は言わねェよ」
 九角はそう言い放ってから、また不意打ちのキスを龍麻に与えた。
 そして、ただ翻弄され戸惑っている龍麻を更にきつく抱きしめると。
「龍麻。俺といろ。この屋敷にずっといろ」
 断る事は許さないという風にきっぱりとそう命令してきた。
「天童……」 
「いいな。お前の居るべき場所は俺の傍だけだ」
「………うん」
 龍麻は小さくそう答えてから、自信に満ち溢れたような相手の顔をそっと見上げた。その表情は本当に強くて厳かで、輝いて見えた。
「外…まだ雨降ってる?」
「あ…? そうだな、今夜はずっと続きそうだ」
「でも……」
 龍麻は目をつむると九角にすがりつき、心の中だけでつぶやいた。

 自分には、これほど美しい夜もないと。



FIN




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