第10話 最後に笑うのは貴方 |
いきなり口を塞がれ自由を奪われたかと思うと、ぶわりと身体が宙に浮かび、背後へ物凄い勢いで引っ張られる。 「んん〜ッ!」 咄嗟に逆らおうとしたものの、「騒ぐんじゃねえッ!」という酷くドスの利いた声に震え上がり、ちび龍はそのまま抵抗の力を弱めてしまった。こんな風に自分に乱暴な口をきいてくる人間は知らない。如月や天童も口調は厳しいけれど、根本では優しい。それが分かる。 でも、この人は何だか違う。 「緋勇…。テメエ、俺の知らないところで、また妙な事になってやがって…」 いつの間にか連れ込まれた資料室のような狭い空間。 相手は室内に入っても電気をつけず、何かから逃げるように身体を屈めると、横抱きにしたちび龍を目前の長テーブル下へと押しやった。ちび龍は相手のどこかオロオロとしたような空気に多少恐怖を和らげながら、それでも視界の不明瞭な薄闇にぶるりと背中を縮こまらせた。 そうして、やっとの事で振り返り、こちらをじいと観察している相手に口を開く。 「おじちゃん、だれ……?」 「お、おじちゃん!? イテッ!!」 しかし相手はちび龍のその反応に思い切り面食らったようになり、反射的に身体を起こそうとして、そのままテーブルに頭をぶつけて苦痛に顔を歪めた。 「くそっ…」 その後、「男」は決まり悪そうに頭を擦りつつ、今度は慎重な様子で自らもテーブル下に入り込んだ。固太りしたその体躯は酷く窮屈そうだったが、奥にまで行ったちび龍の傍まで必死の形相で這い寄ってくる。 「お、おじちゃ…」 「るせえッ! おじちゃんじゃあ、ねえ…ッ! テメエ、舐めた口きくとぶっ殺すぞ…!」 「う…」 「ハッ!? な、泣くんじゃねえぞ!? テメエが悪いんだッ! こ、この俺をジジイ扱いしたからッ!」 ちび龍がみるみる瞳を潤ませた為、相手は酷く狼狽したようになってあわあわと口を動かし、それからぐしゃりと龍麻の髪の毛をまさぐった。ちび龍はそのごつい手を嫌がりながら、それでも何とか片目を開けて、自分を凝視する「誘拐人」をじっと見つめ返した。 「じゃあ……あなた、だれ…?」 「……本当に記憶がねえのか」 「うん…」 相手の信じられないという顔に申し訳なさが先に立って、ちび龍は俯いた。 先刻顔を合わせた「翡翠」や、その前に出会った「天童」は何処かで会ったような気がしたけれど、この人は知らない。 思い出せそうになかった。 「俺は佐久間。佐久間猪三だ」 しかし相手の男―佐久間はそう名乗ってから、ふうと息を吐き、再び様子など臨めない背後へ注意深く視線を送った。まるで何かの追っ手から逃れてきたかのような、それはびくびくとした態度だった。 「さくま……くん?」 けれどちび龍が小首を傾げながらそう呟くと、佐久間はまたあっという間に視線を戻し、ぎょっとしたような顔をしてごくりと唾を飲み込んだ。 「そ、そうだ…俺は佐久間だ。お前のクラスメイトで…、だ、だからお前とは、タメなんだ! おじちゃんなんかじゃ、ねえんだからなッ!」 「……? クラスメイト…?」 「そうだ! お前がそんなチビになる前の事だ。昨日までの話だ。本当に覚えてないのか」 「うん…。ぼく…、分からない。ごめんなさい」 「べっ…! 別に、お前のせいじゃないだろうがッ…」 あのおかしなオカルトマニアな女のせいだろと吐き捨てて、佐久間は何故か顔を真っ赤にさせながらふいとそっぽを向いた。 ちび龍はそんな佐久間の姿を見やりながら、不思議と先刻まで抱いていた恐怖の気持ちを消し去り、「さくまくん」と相手を呼んだ。 何故か他の人たちにやったように「おにいちゃん」と呼ぶのは違う気がしていたので。 「どうして、ぼくをここにつれてきたの? ぼく、行かなくちゃ」 「だ! 駄目だ!」 「どうして?」 当然の疑問を投げつけるちび龍に、しかし佐久間はぶるぶると首を振った後、何故か冷や汗を垂らしながら不穏な笑みを浮かべた。 「外の様子を見てねえようだな。あいつら、頭おかしいぜ。普段散々人の事ボロクソに言ってやがるがよ、常軌を逸してるのはあいつらの方なんだッ。どいつもこいつも、龍麻龍麻と、狂ったようにお前の名前を呼んでやがって」 「ぼくの…」 「そうだ。蓬莱寺の奴や醍醐や桜井や…み、美里の奴なんて、おっかねえ…! 何が聖女だ、あーびっくりした。ありゃ詐欺だなっ! 危く騙されるとこだったぜ…!」 ぶつぶつとそんな事を呟き、額の汗を拭う佐久間。 ちび龍は訳が分からず、しかしやはり外が大変になっている事だけは分かって眉をひそめた。もしかしなくてもその騒ぎは自分のせいであり、皆が心配して自分を探しているのが原因なのだと分かっていた。 だから早く行かなくてはと。 「僕、行かなくちゃ。みんなを止められるのは僕だけだから」 「あぁ!? だから駄目だって言ってんだろうがッ! あんな奴らの事ァ放っておけ! どうせその姿だってそのうち元に戻れんだろ? だったら戻れるまで隠れてた方がいい。お、お……この俺が、お前の事を……ま、ま、護って…やるから…よ」 後半の台詞だけいやに時間をかけて言った佐久間は、やはり身体中を茹蛸のように真っ赤にして、更に流れる汗を必死に拭っていた。 それでもちび龍は納得できない。 嫌だという風にぶるぶるとかぶりを振り、目の前でとうせんぼのようにでかい身体をテーブル下に収めている佐久間に真っ直ぐ向きあう。 「さくまくん、そこどいて! 僕、僕…行かなくちゃ!」 「駄目だって言ってんだろうがッ! テメエ、何でそんなにあいつらのトコ…!」 「だ、だって……、だって、仲間だもん…!」 「!!」 ちび龍が目一杯叫んだその言葉に、佐久間はびくんと肩を揺らし、細い目を見開いた。 それからやがてゆらりとした暗い眼を向け、毅然としたちび龍を睨み据える。 「仲間だと…? 記憶はないんじゃなかったのかよ…」 「あ…。な、ない…。分からないよ。で、でも…でも、そう思ったから…」 「じゃあ…テメエは、テメ……お、お、俺の事は……どう思ってんだよ!?」 「え?」 「えっ、じゃねえ! 俺だってお前の事が心配でこうして駆けつけてやったのによ! その俺の言う事はきけねえってのか!? あ!? テメエ、なら俺の事は何だと思ってやがる!」 「さくま、くんの、ことを…?」 何故か必死の佐久間をちび龍ははたと止まって口を閉じた。 最初こそいきなり拘束され、こんな所に押しやられて怖かった。 けれどそれもほんの少しの間だけで、すぐに何故か「怖くない」と思い、「おにいちゃん」と言うのも抵抗を感じ、そして「この人の言う事を聞いてはいけない。聞かなくてもいい」と思った。 それは何故なのか分からないのだが、心の奥底の自分がそう命令していた。 「さくまくんは…僕の…友達じゃないよね?」 「う……あ、ああ! 違う! ふざけんな! 俺はテメエのダチなんかじゃねえッ! 反吐が出るような事言うんじゃあねえよッ!」 「じゃあ…何? 誰なの? さくまくん…僕の、何なの?」 「だ…だから、それを俺が、訊いてるんだろうが…」 「分からない…。僕、思い出せない。全然、思い出せない」 「残酷な事はっきり言いやがって…この野郎…」 ギリギリと歯軋りをした佐久間は、しかし不意にはっと思い立ったような顔をしてから、やや頬を引きつらせながらもぐいと龍麻に顔を近づけ、意地の悪そうな笑みを浮かべた。 ちび龍は接近してきた佐久間の息のニオイに一瞬ケホケホとむせてしまったのだが、それでも不思議そうな顔をしてもう一度訊いた。 「さくまくんは、僕の何なの?」 「よ、よおし…。そんなに知りたいのなら教えてやる…。い、いいか、よく聞けよ…? お、お、俺はな…お前の…お、お、お前の……龍麻の……」 「……?」 ごくりと、佐久間の唾を飲む音が辺りに響いた。 そしてその数秒後。 「お、お、俺は、お前の《恋人》だああああああッ!!!!」 「「「「「そんなわけあるかあああああッ【怒】!!!!!」」」」 「グボオォォ-ッ【吐血】!!!!!!!」 それはまさに光速の世界。 「さ、さくま、くん……?」 ぽかんと呆気に取られるちび龍の前に、しかしその佐久間君の姿はどこにもなかった。 ついでに龍麻たちが潜っていたテーブルも、逃げ込んだはずの教室の「原型」も。 気づけば目の前には何も、何もなくなっていた。 ただ嵐のように次々と飛び掛らんばかりの勢いでやってくる「仲間たち」。 桜井「ひーちゃん無事!? うわああん、ひーちゃんが見つかったあああ【涙】!!」 醍醐「龍麻、俺がどれだけ心配したか…ぐほっ【倒】」 美里「どいて醍醐君ッ。龍麻、大丈夫だった!? あのケダモノに何かされていない!?」 京一「ひーちゃん、スゲー探したぜ、あの壬生の野郎のせいでとんでもない目に遭っちまったな!!」 壬生「何を言うんだ、元はと言えば君たちがロクでもないから―」 霧島「それでもあの抜け駆けはないんじゃないですか?」 舞園「そうです! 私たちがどんなに探し回ったか! おまけに出番も全然ないし! 紫暮さんも、そんな方だったなんて幻滅です、私のプロマイド返して下さい!!!」 紫暮「うっ…! し、しかしこんなに愛らしい龍麻を見せられては、漢たる者、誰もが心揺れ―」 劉「ちょお、みんな黙ってや! アニキが困っとるやないかっ。も〜わいに任せてくれたったらええのにー!」 犬神「この地をここまで荒らされて、お前らの誰にも任せられるわけはないだろうが」 御門「ちょっと待って下さい。この者たちと私とを同列に扱われるのには我慢がなりませんよ。そもそも、貴女。ちょっと聞いているんですか、貴女が龍麻さんをこんな姿にしなければ―」 村雨「裏密ならもういないぜ。ここじゃ実験できないからって家に帰った」 如月「……この惨状を放置して逃亡とは……。さすがに見逃せないな」 その後も更にどやどやと仲間たちが集合し、それぞれがそれぞれ文句、意見、毒舌を飛び交わさせる。この状態をどうするのか、いやいやそれよりもまず龍麻の養育係を決め直そうじゃないか、何を言っているの龍麻は私を選んだのよ(by美里)等々……永遠に言い争いを続けそうな勢いだ―。 ちび龍はきょとんと、そして半ばボー然とそのシーンを見つめ。 「……………」 それから、ようやく「あ」と声を上げた。 「おにいちゃん、おねえちゃん」 そしてそんな自分の声にぴたりと一斉に言葉を止めた彼らを見やり、ちび龍は急に晴れ晴れとしたような顔をして笑った。 「僕、思い出した!」 「えっ…」 誰のものとも分からない、驚きの声が発せられる。他の人間たちは皆声を出さず、息を呑んだようになって黙りこくっている。 見たところちび龍に「成長」しているような兆しはない。「呪い」を掛けられたままの、小さく幼い龍麻のままだというのに、一体何を思い出したというのだろうか。 しかしそのちび龍は嬉々として言った。 「僕ね、技をイッコ思い出したの!」 小さな指をぴんと1本上げて、ちび龍は笑った。 その笑みにどこか大人っぽいものがあると気づいた者はいない。 「あのね、おにいちゃん達。僕にはね、この東京をまもる“しゅくめい”があるの。僕は、ここをまもらなくちゃいけないの」 「ほう……“そこ“を思い出したのか」 「それ」に最初に反応したのは犬神だ。そうして「巻き添えはごめんだ」とぽつり言葉を漏らし残すと、何故か独りその場をそそくさと後にする。 仲間たちはその生物教師の行動に一瞬不審の目を向けたが、すぐに再び龍麻の方へと視線を戻す。 龍麻はただ嬉しそうに笑っていた。 そして不意に片手を挙げると。 「あのね、こんな風にここを荒らしちゃった皆は、『メーッ!』だよ。……だから。覚悟、してね。―…………黄龍」 「!!!」 そんな事をしたら、それこそこの一帯がとんでもない事になるのでは―。 しかしそんなツッコミを入れる間もなかった。 幼いが故に純粋で、躊躇いがない。 龍麻最強の大技が飛び出した瞬間、辺りは一斉に眩いばかりの金色の光と、龍のように猛々しい《力》を感じさせる黒雲と砂嵐が同時に巻き起こった。 「―…連帯責任だよ。裏密さんも、今回ばかりは逃げ切れないんだからね」 黄龍の通った後に「彼」以外の人はなし。 もうもうと上がる土煙の中から、薄っすらと笑みを零すその人物は、スラリと背の高い高校生。 けれどその美しい彼の微笑みを見た者は誰もいなかった。 無敵・黄龍様の勝ち誇った、しかしどこか呆れたような呟きを聞いた者も…。 「全く。みんな、子どもみたいなんだから」 龍麻はそう言ってやれやれと首を振り、「あ、この後片付けは皆にやらせなくちゃな」と、誰に言うでもなく独りごちた。 おしまい。 |
戻る |
ひーちゃんに敵う人は誰もいないのです。
ホントはラスト佐久間主にして終わろうとしたけど、何となくあんな扱いに。
お疲れ様でした〜。