いっときでも見えないと |
「クリスがいない!」 わたわたとそれはみっともなく屋敷中をうろついているのは、リシュリュー・メディシス。 間の抜けた様子を全面に晒しているが、これでも国の高官であり、国民の多くから尊敬と憧憬の念を一身に集めている才人である。 彼の性格は極めて傲岸不遜。大変な人嫌いで、常に不機嫌な顔をしているし、全身から発せられる「俺に馴れ馴れしく近づくな」オーラは実に禍々しい。よほど図々しい性格か、彼という人間に慣れている者でない限りは、通常その気に当てられただけで参ってしまう。 しかしそんなリシュリュー・メディシスが、ここ1年の間に随分とその人柄を変えた。 「シューマン! クリスがいないぞ!} 恋をすると人は変わるというが、彼はまさにその典型である。 リシュリューは約1年前に叔父が屋敷に連れて来たクリストファー・クロスウェルという青年に恋をしてから、すっかり「色呆け」してしまった。長い片思い期間は終了し、今ではもう婚約にまでこぎつけている。周囲としてもさあこれでようやく落ち着いてくれるものと信じて疑わなかった、それなのに――…、留まるどころか尚進行する彼の「病」には、呆れを通り越して生温い視線を送るにやぶさかでない。 「お前らも! 全く、ぞろぞろと大勢で、何の為にそこにいるんだ!? お前たちは、誰一人クリスの居場所が分からんのかッ!」 びしりびしりとその場にいる使用人たちを厳しく指さしながら、リシュリューは蒼白な顔でがなり倒した。それで使用人たちも慌てて方々へ散って行く。 「さっさと探せ! 見つけられなきゃ、お前ら全員クビだからな!」 ぜえぜえと息を吐きながら、尚リシュリューは罪のない使用人たちに当たりまくった。 クリスをものにしたらしたで、リシュリューは彼が自分の目の届かない所にいると、たちまち不安を感じるようになってしまった。 「外出されるようなことは仰っておりませんでしたし。屋敷の何処かにおられることは間違いございません」 「ならさっさと探せ! 全ての使用人をクリス捜索に投入しろ!」 退屈で煩雑な王宮仕事を早々に切り上げてやっと帰ってきたと思ったら、いつも出迎えてくれるクリスの姿が見えない。リシュリューがあまりにも頻繁に予定より早く帰宅するから、それに気づかないクリスが庭園でバラの世話をしていることは珍しくない。だからリシュリューも最初はそう思って気にも留めていなかった。 ――が、今日はその庭園にも、よく小竜と戯れている離宮にも、そして勿論自室にも、その姿が見当たらない。 リシュリューは途端焦りくまくった。 まさか、俺のことが嫌になって逃げだしたとか…。 リシュリューの中には常にそう言った怯えがある。 クリスはリシュリューの決死の愛の告白をあっさり受け入れ、己の身体もいつでもリシュリューの好きにさせる。クリスは常にリシュリューの思うがままだ。 しかしその割に、リシュリューはクリスから未だ一度も「愛している」と言われたことがない。 出会った当初は散々酷い仕打ちをしたし、取り返しのつかない暴言もたくさん吐いた。国の英雄という外面とは裏腹の、リシュリュー個人の「本性」をクリスには散々見せてしまった。だからむしろ受け入れてもらえただけでも奇跡だとリシュリューは自覚している。自分と同じだけの愛をくれなどと、そんな図々しい望みも言うつもりはない。贅沢は言うまい、ゆっくりとでいい、気長に待って、いつかクリスが心から自分を受け入れてくれればいいと、リシュリューは本気でそう思っている。 とは言っても、そうなる前に逃げられては元も子もないではないか! 「リシュリュー様! クリス様、いらっしゃいました!」 「何!?」 けれど、リシュリューがそうして悶々としている間はそう長くなかった。 使用人らと共にクリス捜索をしてから数十分後。広大な屋敷ながら、使用人も大勢いるメディシス家にあって、クリスは案外早くに見つかった。 「こちらに!」 発見したのは馬屋番のエドガーだ。老齢だが、妻と共に長いことメディシス家に仕えてくれる良き男である。 「でかしたぞ! 何処だ、クリスは!? 早く連れて行け!」 屋敷の外を小走りで急ぐエドガーを更に急かすようにして、リシュリューは一緒に息せき切って歩いた。見つけたと言う割に、エドガーがクリスを一緒に連れてこなかったことにちらりと不審を抱く。 しかしその謎もすぐに解けた。 「あ……」 《グウゥゥゥ……》 「小竜。またお前か……」 主であるはずの自分に向かって「騒ぐな」とでもいうように低く唸った小さな竜に、リシュリューはうんざりしたような目を向けた。エドガーは案内が済むと遠慮がちにそっと退出してくれたが、小竜がクリスから離れる様子は微塵もない。 クリスがいたのは馬舎の中だ。馬たちが四〜五頭並んで草を食んでいる上方、梯子で上った先にある藁のたくさん敷かれた場所で、クリスは気持ち良さそうに眠っていた。 それを見守るようにして傍で丸まっていたのが小竜だ。 リシュリューはその光景を認めた瞬間、思い切り苦い顔をして見せた。 「幾ら小さいと言っても、お前みたいなのがいたら床が抜けるだろう。さっさと外へ行け」 《ブウゥゥゥ……》 そんなの嫌だという風に小竜は小さく呻いたが、リシュリューは構わない。もう一度「行け」と目だけで合図すると、小竜は大層不満そうにしながらも、ふわりと舞って下に来ると、そのまま人間のように出口から二足歩行でのっしのっしと去って行った。 「ったく……」 そんな「昔の友人」、「今はライバル」を後目に、リシュリューは自分の出現で嬉しそうに鼻を鳴らす愛馬らにも目だけで鎮まるよう諌めると、努めて足音を立てないようにして梯子を上った。 クリスが目覚める様子はない。 そっと近づいて、そこの窓からちらりと垣間見える隣の小屋にリシュリューは目を細めた。 ここからは、クリスが最初に寝泊まりしていた馬舎がよく見える。 正確に言えば馬のいる小屋で一緒に寝泊まりしていたわけではないから、馬舎というには語弊があるかもしれない。けれど元はその用途で使われていたボロ小屋には違いなく、こうして馬たちがいる小屋と隣接してもいるから、クリスが馬と寝食を共にしていたと言っても、それはあながち間違いではない。 「……傷口が痛むな」 動物好きのクリスはそのことをまるで苦には思っていないようだが、リシュリューはあの頃のことを思うと胸がしくしくと痛くなる。何せ親に売られて当てもないクリスにリシュリューは思い切り冷たく当たり、「さっさと追い出すからな」と言い放って、あの寒風吹き荒ぶボロ小屋へ押し込んだ。食事もロクに与えなかった。そのせいでクリスは衰弱して倒れてしまったこともある。だからあまりこの辺りには近づきたくない。あの頃のことを思い出したくない。クリスにもここに来て欲しくはない。クリスはリシュリューが子飼いにしている竜たちだけでなく、ここにいる馬とも仲良しだから、そんな勝手な要求は出来ないのだが。 でももしあの頃のことをクリスが思い出していたら? 「リシュリュー様…?」 「あ」 その時、クリスが薄っすらと目を開けた。リシュリューは驚いて、いつの間にか無意識に触れていたクリスの髪から手を離した。恐らくはそのせいで目覚めたのだろうが、申し訳なく思うリシュリューよりも余程慌てたようなクリスは、すぐに飛び起きて必死に目を擦りながら「申し訳ありませんっ」と謝った。 クリスは1日に最低1度はリシュリューに謝る。 リシュリューはそれに気づいていて、また胸がズキンと痛んでしまう。 「僕、またお帰りに気づかなくて…。居眠りなんかしてしまって、本当に――」 「ああ、いい、いい」 しかしそれ以上謝ってもらいたくなくてリシュリューはさっと手を出した。 それから改めてクリスに「ただいま」と言いながら顔を近づけ、優しいキスを唇に落とす。 「お帰りなさいませ」 するとクリスもその口づけを素直に受け取ってからは、静かに優しげに笑った。 「クリス」 リシュリューはそんなクリスの髪を愛し気に梳いた後、努めて平然とした風を装い言った。 「ここは冷えるだろう。昼寝するなら、自室のベッドがいいんじゃないのか?」 「あ…あの、寝ようと思っていたわけではなくて」 クリスはリシュリューに掴まれていた腕を遠慮がちに解くと、窓枠に近づいて行ってそこからそっと指をさした。 「ん…?」 リシュリューもそれに促されるように近づき、示された方向へと目をやる。 目を凝らさないとよくは見えなかったが、小屋の隣に立つ木の枝の隙間に何やら小さな黒い塊があった。細い枝木を幾重にも重ねて作られた、それはどうやら鳥の巣のようだ。 「一昨日あたりからあるんです。毎年この時期になるとあそこに番の鳥が家を作るってエドガーさんが」 「鳥を観る為にここにいたのか?」 「はい。それにここなら馬たちの様子もよく見えるし。僕、こういう所が好きなんです」 「こんな場所がか…?」 「はい。家でもよく馬たちの傍にいましたから。……父が投資に失敗したせいで皆売りに出してしまいましたが。みんな元気でやっているのか、時々心配になります」 「…………」 「あ! だ、だからと言って、お屋敷の暮らしが落ち着かないって言うわけではなくて! あ、あの、僕、つい懐かしくて!」 「ああ、分かっている」 いかにも慌ててフォローされた感はしたが、リシュリューはその不満をぐっと呑み込むと、クリスを引き寄せ懐に抱き込んだ。 「お前の馬」 「はい…?」 「全て買い戻そう。俺が全部ここへ連れてきてやる。それでいいだろう?」 「えっ!? あの、でもそんな、僕は…!」 「いいんだ。お前に尽くすことが俺の喜びだ」 リシュリューはそう言った後、再びクリスの唇に自らのそれを押し付けて無理やり笑った。 本当は悔しくて堪らなかった。 クリスの心が自分以外のものに向いていること、自分の知らない過去をクリスが持っていること、それに想いを馳せることがあること。 以前のクリスがとても苦労したことも。 けれどそんな無茶な我がままを言っては、きっとクリスに嫌われる。 「クリス」 だから全てを流してしまうことにして、リシュリューはわざと余裕ぶった態度を見せた。 「その代わりと言っては何だが…。俺は帰ってきたばかりで疲れているんだ。お前の淹れてくれる美味いお茶が飲みたいのだが」 「あ…はいっ! すぐに!」 するとクリスはリシュリューのその言葉でぱっと表情を明るくした。何でもしてもらうことに引け目を感じるこの青年は、リシュリューに何かしら命じられる事を殊の外喜ぶ。そうされる方が心の安寧を保てるらしい。 リシュリューはそういうクリスを徐々に把握しつつある。 「リシュリュー様」 そしてクリスも、だ。 「ありがとうございます、リシュリュー様。あの僕……優しいリシュリュー様が……す、好きです」 「へ……?」 耳まで赤くしたクリスは小さく小さくそれだけ言ってから、急ぎ梯子を下りると逃げるように外へ飛び出して行ってしまった。 「好き……? と、言ったのか? もしかして、俺のことを、か……?」 暫しその場にいて石化していたリシュリューは、発せられた言葉を噛みしめるようにして自分自身に確認すると。 「うおおおお――!」 と、屋敷中の人間がぎょっとするような咆哮を上げた。 《グオオオオオ!!》 《クオオォ!》 《グオッ! グオッ!》 するとそれに呼応するように、近場にいたリシュリューの竜たちもが共鳴して吼え出した。当然のことながら、それによりメディシスの館は一体何が起きたのかと騒然。暫しの動揺に見舞われる。 もっとも、やがて屋敷に戻ってきたリシュリューが満面の笑顔、それはもう大満足な様子で、「クリス捜索に協力した使用人全てに特別褒賞を取らせる!」などと宣言したものだから、周囲はまた別の意味でわっと盛り上がり、無遠慮な歓声が沸き起こった。 まさにお祭り状態である。 結局、そのお祝いムードに参加出来なかったのは当事者のクリスだけだった。 何故なら自分で蒔いた種とはいえ、思わず発したその台詞のせいで後にリシュリューからとんでもない目に遭ってしまうからである。一晩中リシュリューの寝室から出してもらえなかったクリスは意識も朦朧、浮かれていた使用人たちにすら悲壮感を与えるほどの溺愛拘束を受ける羽目となる。 二人の結婚式のことで叔父のジオットが屋敷を訪れるのは、その翌日のことであった。 《グオォォ……》(訳:やれやれ……by小竜) |
.....Fin..... |