目覚めの前



「お前……そこで何をしているんだ……」
「えっ？」

　 リシュリューは努めて静かに訊いたつもりだったのだが、もしかすると顔が物騒だったのかもしれない。問われたクリスは白い顔をザッと一層青白くして怯えたように首を竦めた。
　 そんな風にされて、何故だか胸がズキリと痛む。

「あの……」
「何をしているのかと訊いているんだ」

　 別に訊かなくても見れば分かる。
　 自分で問いかけておいて、リシュリューは心の中で勝手にそう答えて、勝手に一人で憤った。
　 王宮の「雑務」もそこそこに、最近のリシュリューはすぐに屋敷へ戻ってくる。
　 それもこれも、ついこの間体調を崩して倒れてしまったこの目の前の少年―クリス―が心配……というか、気になるからなのだが、そもそもその倒れさせる原因を作ったのはリシュリュー当人だから、今さら労わるような言葉は出せない。
　 その為、顔は依然として仏頂面のまま、リシュリューは「気になる」くせにクリスに冷たい態度を取り続けていた。

「病み上がりのくせに無理をして、また倒れたらどうする」

　 それでも、言っている内容は「そんな感じ」。
　 しかもまた怯えられては大変と、今度は精一杯抑え目に発してみた。第一これは本心で、リシュリューはクリスを一刻も早くベッドへ戻したい。今のクリスは倒れる前に身に着けていたみすぼらしい作業着に着替えていて、庭師の仕事などしている。熱が下がったとは言え、未だ青白い顔に痩せ細っていて見るからに頼りないのに、彼は薔薇のことばかり気にしているのだ。
　そしてリシュリューの言葉にもぶんぶんと大袈裟に首を振って無理に笑う。

「もう大丈夫です。ちょっと具合が悪くなったくらいですっかり甘えてしまって……。今日からまたお屋敷のお手伝いをさせて下さい」
「……俺は寝ていろと言っているんだ」
「でも……」

　 クリスが困ったように振り返った先には、実に綺麗に咲き誇っている、色とりどりの薔薇がある。普段、庭園の花になぞまるで興味がないリシュリューでも、クリスが来たこの一か月足らずでここが別世界のように美しく整ったものになった事には気づいていた。これまでの庭師が無能というわけではないが、クリスは明らかに「こういう才」に富んでいる。出会ってすぐにあの小竜を手なずけた事からしても、クリスが自然界の生物と心を通わす特別な力を持っているのは間違いなかった。
　 世界でもほんの一握りだけいるという。リシュリューのように剣技などの力で他の生物を圧倒するのではなく、視線を交わしただけで彼らと心を通わせられる存在が。
　 こんな何も持ち得ない、ちっぽけで如何にも弱そうな奴なのに。

「……とにかく、休め。これは命令だ」

　 ちょっとでも気を抜くと、知らず知らずのうちにクリスをじっと見つめてしまう自分がいる。
　 リシュリューは途端焦り、わざとらしく咳き込みながら偉そうに言った。

「また倒れられて、俺が使用人を無駄に虐しているように思われては敵わん。早く着替えて、さっさと寝ろ」
「はい…。分かりました」

　 リシュリューの為に休めと言われればクリスももう逆らえない。
　 手入れ用の道具を傍にいた庭師の老人に謝りながら手渡し、クリスはおずおずと礼をしてから、リシュリューの背後にある屋敷とは反対方向へ歩き出した。

「おい……」

　 だからリシュリューはすぐに心内で慌てて、自分の元から去りかけたクリスの腕をぐいと掴んだ。クリスがそれに驚いてびくんと肩を揺らす。思い切り拒絶された気がして、リシュリューはそんなクリスの反応と怯えたような顔に自分でも驚くほどに傷ついた。
　 それでも言わずにはいられない。

「分かったと言って、お前は一体どこへ行くつもりだ？」
「え……？　あの……」
「まさか……あのボロ小屋へ行く気じゃないだろうな。あんな所で休むな！　良くなるものも良くならん！」
「で、でも……」

　 しかし、そもそもはリシュリューがその「ボロ小屋」をクリスに宛がったのだ。寒風吹きすさぶ元は馬舎のそこは、確かに人が住むような所ではなかった。――が、気のいい庭師や馬舎番があれではあんまりだとベッドを作り、扉を直して、クリスの為に「使用人」１人が何とかが雨風を凌げるくらいにはしてくれた。
　 だからクリスはそこをとても大切に、丁寧に使用していた。リシュリューもその事は知っている。

「屋敷で休め」

　 だからと言って、今は「それがどうした」と思っている勝手なリシュリューである。
　 けれどクリスの方も、そう言われてすぐに「はいそうですか」というような性格ではない。
　 遠慮がちに、しかし頑として首を縦には振らない。

「いつまでもあのような贅沢なお部屋で休ませてもらうなんて僕には出来ません」
「何故」
「ぼ……僕は、こちらでは、使用人の身分ですらなくて……置いて頂けているだけでも申し訳ないのですから……」
「……だから？」
「他の使用人の方たちにも申し訳が立ちません」
「…………」
「僕はもう大丈夫ですから」
「べ……つに、お前の心配なぞしていない！　とにかく、俺が命令しているんだ、あそこには戻るな！」

　 怒鳴り散らしたリシュリューにクリスが再びびくりと身体を震わす。
　 それで更にカッとなって、よせばいいのにリシュリューは更に一段大きな声をあげた。

「とにかく、言うことをきけッ！」

　 しん、と。
　 少し離れた位置からハラハラと事の成り行きを眺めていた庭師も含め、息を呑むように黙りこむクリスと、ハッとして口を噤むリシュリュー。
　 三人が一斉に沈黙し微動だにしなくなったことで、辺りは一気に空々しい静寂に満たされた。

「……あの部屋で休むんだ。俺がいいと言うまで、あそこがお前の部屋だ」

　 その沈黙を破れるのはリシュリューしかいない。ハアと小さくため息を吐いた後、リシュリューは今度こそ気をつけるように小さな押し殺した声でそう言った。

「いいな。あそこで休め。それから……きちんと食え。食って少しは太れ」
「リシュリュー様……でも……」
「…っ、煩い！　お前は『でも』が多いっ。仕事がないと落ち着かんのなら、今のお前が出来る仕事くらいはちゃんとやる！」
「え……本当ですか？」
「……そのうちな」

　 ごほごほとまたわざとらしく咳き込んでから、リシュリューはずっと掴みっ放しだったクリスの手首を更に引っ張って無理やり自分の方へ引き寄せた。
　 突然のそれにクリスは驚いて身体をよろつかせ、リシュリューに思い切りよりかかってしまったが、それによって「しまった」と焦るクリスよりもリシュリューの方が余程どきんと胸を高鳴らせた。
　 ただクリスの小さな身体が当たっただけなのに。

「す、すみませ…」
「別にいい！」

　 ただそれをすぐに謝ろうとしたクリスが嫌で、リシュリューは誤魔化すようにしてクリスのことを逆に無理やり抱え上げた。クリスはそれによって余計ぎょっとしたように一瞬暴れかけたが、リシュリューはすぐに「おとなしくしろ！」とわざと叱咤して、そのままクリスを元の部屋へと運び始めた。
　 軽い。こんなに軽いのだから何ということもない。

「リ、リシュリュー様、僕、自分で…！」
「煩いっ。病人は素直に運ばれろ！」

　 何ということもないはずなのに、何故か心臓がどきどきする。
　 クリスの柔らかそうな髪の毛がふわりと鼻先を掠めて、リシュシューはそれだけで自分の身体が熱くなるのを感じた。何だろう、これは。それを考える余裕もないけれど、クリスを抱いている身体がじわじわとどんどん熱くなっていく。それは分かる。
　 おかしい。でも、ずっとこうしていたい気もする。

（訳が分からない……！）

　 心の中が半ばパニックになりながら、リシュシューはひたすら早鐘を打つ自らの心臓の音に翻弄された。

　 そのくせ、寝室へクリスを運んだ後も何だかんだと言い訳を見つけて。
　 リシュリューは結局、夕食の時間までクリスの傍に居ついてしまった。
　 そのせいでクリスが落ち着いて休めないという事には考えも及ばずに…。
.....Fin.....




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まだ自覚していないのでつんけんしてます。
こんな事があって、リシュリューはクリスが屋敷にいやすいよう
書庫整理の仕事を与えたようです。