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  リシュリューから山へ行くことを控えるよう言われてしまい、クリスの活動範囲は再び屋敷の中とその周辺の庭園に限られることになった。別にそのことを不服には思わない。小竜とも会えるし、馬たちの顔を見ることも、バラ園やセラの花の様子を見ることもできる。時々は書庫にこもって本を読むことも楽しい。何不自由のない生活である。
  しかしそんな折、屋敷の外が俄にざわついて、一部の警備兵が慌ててクリスの元へ駆け寄り、「急ぎ、お屋敷の中へ!」と叫んだ。突然のことにクリスが固まると、警備兵は背後を気にしながらも尚「敵襲です!」と声を震わせた。いよいよぎょっとして、クリスは反射的に傍にいた小竜の巨体に触れたが、当のボディガードは呑気な様子で尻尾を緩く振っているだけだ。それでクリスもすぐさま落ち着くことができた。確かに、切羽詰まった警備兵とは裏腹に、大気に淀んだものは感じられない。
  以前は「その人物」が近づいてきた時、クリスは確かに「不穏な空気」を察知したが、今、そうした感じはなかったのだ。

「ようよう、クリス。久しいな!」
「ヴァー…! カ、ミラ様…!」

  その人物――リシュリューの馴染で第一騎士団の隊長を務める女戦士―カミラは、手足にそれぞれ4.5名の警備兵を張りつかせながらも涼しい顔で笑い、手を挙げた。ズンズンと勇ましい歩調で庭園へやってきたカミラに対し、屋敷の警備兵たちは必死の形相で彼女の手足にしがみつき、何とか「進軍」をやめさせようとしているが、失敗している。大の男たちが一人の女性に引きずられているという、それは見るも異様な様子だったが、当のカミラはどこ吹く風だ。驚き固まるクリスのことだけを真っ直ぐ見やっている。
  そうして清々しい様子で話しかける。

「やぁクリス。元気だったか? あの時以来だ」
「は、はい…。カミラ様も…お元気そうで…」

  小さな声でそう返すと、カミラは大げさに眉を寄せ、これまた大きな素振りでかぶりを振った。

「元気なものか! お前の婚約者のせいで、我等第一騎士団は、このところ雑務しかしていない、退屈そのものだよ! 無論、我等は街の警備も大切な仕事と、張り切ってその任務にあたろうとしたさ! だが、守衛隊どもが、我等にその仕事をさせてくれんのだ、いるだけ邪魔だなどとぬかして! 自分たちの人気がないからと言って、我等のことを僻んでいるとしか思えん。全く僻みっぽい男以上に醜い生き物はいないな! クリスもそうは思わないか?」
「は、はあ…」

  何とも応えられず、クリスは心の中で冷や汗をかきながらボー然とカミラと対した。
  カミラ・ヴァージバルに無理やり王宮へ連れて行かれ、リシュリューから冷たい目を向けられたあの日のことは今でもクリスの胸をちくちくと刺す。しかし、クリス自身がその罪を糾弾されることはなく、表向きに罰せられたのは、このカミラと、その部下である第一騎士団員だけだった。クリスはそのことにとても後ろめたいものを感じており、いつか騎士団の人たちに謝罪したいと思っていたが、そのことはずっと有耶無耶だ。
  リシュリューがそれを許すわけもなかったし。
  そう、そもそもこの女性と二人きりで話すこともリシュリューは良い顔をするわけがない。だからこそ、屋敷の警備兵たちがこのように必死になっているわけで。クリスは無意識のうちにじりりと後退した。

「そんな風に逃げなくてもいいだろう!」

  しかしそれはカミラによってすぐさま見抜かれ、責められることになった。クリスが慌てて頭を下げ「すみません!」と言うも、カミラは「駄目だ、許さん!」などと言う。
  そうしてさらに一歩踏み込んでクリスの肩にぐっと触れてきた。力強い、それは若い女性のというよりも、やはり戦士のような勇ましさを感じる接触だった。

「謝るべきは私じゃないか。あの後、クリスがリシュリューから無駄に叱られていたということをオーレンから聞かされて、さすがの私も落ち込んだ。まさかあいつがクリスを叱るなどということはないだろうと思っていたのに。全く、何て狭量な男だ! しかしまぁ、その発端をつくったのは私なのだから、私が直接クリスに謝らねば収まらない。それでずっと機会を探っていたのだよ、リシュリューに見つからずに、こちらへ来られる日をな」
「……リシュリュー様は今、王宮に……?」
「ああ、今日は王と絶対に外せない会議があるのでね。ついでに、私の部下たちも主だったものが郊外の守衛に向かったので、隙をつくなら今日しかなかった。あいつらもリシュリューとグルになって、私の日々の行動を監視してくるものだから、全く息が詰まる毎日だった。ただ、それも自業自得と言えんでもない。確かにあの時、私がしたことはクリスにとって迷惑だったし、悪いことだったと反省している」
「そんな…」
「ということにしておけば、クリスも私のことをそんなに嫌いにはなれまい?」
「は?」
「実は、そんなに反省はしていない。いや、少しはしているけれど。そんなに皆に責められることをしたとは、どうしても思えなくてね」

  こんな風に男たちに身体を触られ羽交い絞めにされる屈辱を受ける謂れもない、と。カミラは片腕を大きく振り回し、一人の警備兵を薙ぎ払った後、それによって殺気立つ他の警備兵たちに苦笑いを向けた。

「ほんの少し話すくらいいいだろう? リシュリューには内緒にしておけばよい」
「そういうわけには参りません! ヴァージバル様! どうか!」

  警備の責任者である男が顔を蒼白にして叫んだ。クリスもハッとして、またこの人たちに迷惑をかけてはいけないと、ますます小竜の陰に隠れてカミラから距離を取る。何せ屋敷の警備が「ザル」であることを反省した彼らは、一度はリシュリューに辞意を表明しているのだ。これでまたクリスとカミラが容易に接触したということになれば(もうしているが)、再び彼らの罪悪感を刺激することは想像に難くない。

「分かった。それでは、あと数秒だけ。私はクリスに謝りたかっただけだ。そして、今度の機会には是非クリスからこの屋敷に招待してもらいたいと思ってね。私は、もっとクリスと話したいと思っているから」
「ぼ…私と、ですか」
「そうだよ。友人になるには、互いをより知らなくてはね」
「友人…」
「リシュリューのことも教えてあげるよ。この間はそれも叶わなかった。あいつの仕事の話なんて、あいつはしないだろう? だが、クリスはきっと知りたいと思ってね」

  クリスがどきっとして目を見開くと、カミラはにこりと笑ってようやく踵を返した。未だ自分に張り付いている警備兵に呆れた目を向けつつも、「お前たちは相当スゴイぞ、この私が全員をなかなか振り払えないなど、騎士団の中でもめったにないのだからな!」などと言いながらその場を去って行く。
  警備の責任者は平身低頭でクリスに謝罪したが、クリスはそれこそ恐縮して、彼らに何も非がないことを繰り返した。…それでも、このことをリシュリューに言わないわけにもいかないだろう。夜にはまた憂鬱なことになりそうだとクリスは密かにため息をつき、しかし一方では――カミラの発した言葉がいやに頭の片隅にこびりついた。



To be continued…



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