結婚その他諸々に関する意見の相違について
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雪也が講義を終えて外へ出ると、その入口付近はちょっとした騒ぎになっていた。何かと思ってひょいとその人込みへ目をやると、そこには涼一が立っていて、何人かの学生らと歓談している姿があった。恐らくは雪也の授業が終わるのを待っていたところで知り合い何人かに捕まったのだろう、元々気さくな涼一はいつも誰かに声をかけられるし、その楽し気な雰囲気に誘われるように、全く関係ない人々もその輪を気にして集まったりする。だからいつでも、気づくとこんな人群れができている。芸能人と同じようなものかもしれない。或いは、これをカリスマ性と呼ぶのか。雪也は妙に感心してその様子を眺め、それから改めて、「涼一って凄いんだな」などと思った。 「雪」 しかし独りでそんなことを考えたのも、時間にしてみればほんの数秒だったかもしれない。あれだけ学友との会話を楽しんでいたようなのに、雪也の「気配」をすぐさま察知したらしい、涼一はさっと視線を向け、嬉しそうな声を上げた。 そうして迷いもなく人込みをかきわけ、真っ直ぐ雪也の元へ歩み寄る。 雪也は思わずその勢いに後ずさってしまった。 「授業終わった?」 「…うん」 「なら行こ? じゃあな!」 涼一は雪也を促すように背中を押すと、先ほどまで話していた友人らに軽く手を振って挨拶した。問答無用とはこのことだろう。彼らの方はまだ涼一と話したかったに違いない、何せ会話がぶつ切れになったも同然だから。半ば唖然としている者もいる中、それでも何とか「またね」と返してきた者もいたのは、涼一とこれからも仲良くしていたいと強く願うからだろう。 「涼一、良かったの? 何か話していたんじゃないの? 明らかに途中っぽかったけど」 「違う違う、遊びの誘い。断るの面倒だったから、雪が来てくれて丁度良かった」 涼一は足早に進みながら横を歩く雪也にそう言った。いつもよりもその進みが早いのは、一刻も早くこの場を去りたいと思っているせいかもしれない。つまり「丁度良かった」というのも涼一の本心には違いない。 それでも雪也は気になって訊ねた。 「でもさ、涼一、最近友だちと遊ぶってあんまりしていないだろ。付き合い悪くなってない? そういうのって大丈夫?」 「そういうのって何?」 歩を進めていた涼一が止まった。雪也もそれに合わせて足を止めたが、その時にはもう瞬時に「しまった」とは思った。思ったのだけれど、時すでに遅しである。一体この手の間違いを何度やったら気が済むのだろうと自分で思わないでもないのだが、結局雪也がそれを繰り返してしまうのは、それが己の本心だからだ。 そんなことを頭の中でぐるぐると考えているうちに、涼一もまた定番の台詞を放ってきた。 「俺は雪と一緒にいたいんだけど」 「うん…」 「それなのに雪は違うの? 雪は俺がお前放っておいて、別の奴と一緒にいたり、遊びに行ったりしてもいいわけ?」 「ごめん、俺の言い方が間違っていたと思う」 雪也は素直に謝った。そうすかさず言ったのが良かったか、涼一も出鼻を挫かれたようですぐさま黙り込んだ。 だから雪也は涼一の顔を真っ直ぐ見ながら続けることができた。 「俺、いつもこういう感じで涼一を不快にさせちゃうね。俺だって涼一と一緒にいたいし、涼一がいつも俺を優先してくれるの、嬉しいよ」 「……雪もそうやって素直に言えるようになったの、成長したな」 偉そうにそんな返しをする涼一に雪也はほっとして笑った。 「そうかも。俺、涼一のお陰で変われたと思うよ。良い方に。だから良くなったついでに言うんだけど、さっき言ったこともさ、本当に思ったことだから」 「…は?」 「俺、みんなに優しくしている涼一が好きだから。涼一がみんなに囲まれているのを見ると嬉しくなる。涼一がみんなに好かれているのを見ると誇らしくなるっていうか」 雪也の台詞に涼一はすっと表情を消した。もしかしたらまた気分を悪くさせたかもしれない、そう思ったが、雪也は急いで先を継いだ。 「涼一はいい奴で、話していて凄く楽しいから、みんながあんな風に集まるんだよ。それって凄いことだし、誰にでもできることじゃないし…。だからああやって慕ってくれる友だちのことは大切にして欲しい。面倒とかって言わないで」 「……何だよそれ」 「怒るかもって思ったけど、でも嘘言っても仕方ないから。これも俺の本心だから」 実際、雪也は先刻の涼一を見て「凄いなぁ」「かっこいいなぁ」と思ったし、そんな涼一が自分を好きだと言ってくれることをとても幸せだと感じた。元々涼一と仲良くなったきっかけとて、涼一の誰彼分け隔てなく付き合う性格故なわけで、涼一がそういう人間でなければ、いくら同じ学部と言えども、知り合えた可能性は高くない。雪也から人気者の涼一に声をかけることなど、絶対になかっただろうし。 だから雪也は涼一が他の人間との付き合いを「面倒」とか「どうでもいい」と折に触れ吐き捨てるように言うことを、自分を優先してくれるからこそだと分かってはいても、少し気になっていた。涼一の良い部分が自分のせいで失われてしまうのではないかと思って。 「やっぱり雪はバカだな」 しかし涼一にしてみれば「そういう結論」に至るらしい。ハアとあからさまに大きなため息までついて見せて、それから心底呆れきった顔で雪也を見下ろす。雪也がそれにたじろぐと、涼一はさらに最近では珍しい冷めた眼差しでぴしゃりと言い放った。 「雪は何も分かってない。それって結局さっきの話に戻るだけだろ。だって雪は、つまり俺が雪を放っておいて他の奴を優先してもいいって、むしろそうしろって、そう言っているわけだから」 「そう…いう、ことじゃなくて…」 「いやそういうことだろ。そういうことを言ってんだよ、少なくとも俺にはそう聞こえたよ。じゃあ本当にやってみようか? やってやろうか? 俺が他の奴らともっと一緒にいるようになったら、雪は後回しだよ。雪といる時間は確実に減って、大学でだってこんな風に一緒にいる時間なくなるよ。だって雪、俺らと違う科目たくさん取っているわけだし。俺がこうやって迎えに来なくちゃ、必然的に会える時間、限られてくるし」 「………」 確かにその通りである。何せ涼一とは春先に別れ話をしたこともあり、雪也は4月の始め、一般教養はなるべく涼一や藤堂らサークル仲間が履修しない科目をわざわざ多く履修したのだ。夏前には復縁したから、今はそれが厄介極まりないことになっている。雪也が取った科目は学部外のものも多く、キャンパス内で法学部の学生がいない遠い棟へ行くこともザラなのだ。 だから今では涼一が自分の空き時間と相談しながら、雪也の時間割に合わせてこうして迎えに来ることが当たり前になっていた。 「そんな顔するなよ」 しかし雪也の落ち込む様子に、早々涼一が折れた。人前があるからだろうが、ぽんと頭に触れるに留めて、涼一は途端優しい声色で言った。 「雪が優しいのはもう知っているよ。悪い、俺もちょっとムキになった。要は、他の奴らにあまり冷たくするなってことだろ、分かったよ。なるべくそうする、雪がそう言うんなら」 「…うん」 「ただ実際難しい、それ。さっき言ったのもなしな。俺がもたねーよ、雪放っておいて他の奴らと一緒にいるなんて」 雪也が何も応えられずにいると、涼一は軽く肩を竦めて苦笑した。 「だからもうこの話は終わり。もう行こ、今日は買い物付き合ってくれる約束じゃん」 「うん」 うまいこと涼一がまとめてくれて雪也はほっとした。やっぱり自分が間違っていたのだろう、余計なことを言っただけだった。そう思って、雪也はもう先をさっさと歩き出している涼一の後ろを慌てて追いかけた。折角一緒にいるのだから、楽しく過ごさなければ損ではないか。 そうして涼一が雪也を伴ってやって来たのは、都心のデパート内にある秋物バーゲン会場だった。 「な、何これ…」 8階の殆どを特設会場としているそこは、およそ「バーゲン」などと軽く言って済ませられる状況ではなかった。言ってみればそこは年齢不問、無差別級のバトルロイヤル場である。下は十代とおぼしき女子高生から、上もかなりの高齢女性が必死の形相で設置されたワゴンに群がっている。わーきゃーと悲鳴のような歓声のような声もあちこちで聞こえるし、一部では見知らぬ女性同士が、これは自分が先に手に取ったのだから離せ、いいや私が先だと醜い言い争いをしている。店員がそこかしこにいて注意事項も述べているのだが、それもかき消されている。特別な商品を扱っているらしいコーナーでは整理券を配って秩序良く販売しよういう様子も見られたが、行列のところで何やら揉め事が起きており、やはり修羅の間に見えた。 「雪はこういうとこ、初めて?」 エレベーターを降りたってすぐ、涼一は「思った以上にカオスだな」とため息交じりにその風景を評したが、雪也に訊ねる態度は割と平静だった。それで雪也も何とか冷静を保って緩く首を振る。 「いや、初めてではないよ。よく母さんに荷物持ちで連れて来させられるから。新春初売りとか夏のバーゲンなんか結構来る方だと思うし。でも何かここは…、ちょっと酷くない?」 「まぁ酷いな。売り手がアホだよな。というより、話題作りでわざとやっているのかもしれないな、ここまでくると」 「でも何で涼一がこういうところに?」 男性客がまるでいないわけではない。家族や恋人の付き添いなのか、群れの中にちらほらと女性以外の姿も見える。しかし売られている物は全て女性ものの衣服にバッグ、財布、アクセサリーなどだ。有名ブランドが一同に介している売り場だから売却目的で来ている層も一定数いそうだが、店側も点数制限を始めたらしく、この状態での大量買いはなかなかに難しそうだ。 「前に雪もちょっと会ったことある俺の従姉、今、入院しているんだよ」 その時、唐突に涼一がそんなことを言い出したので、雪也はびっくりして身体を揺らした。 「えっ。あの…あの、前に涼一にキスした―」 「嫌なこと思い出させるな!」 「ごめん! でも何で? あんな…こ、こう言ったら失礼だけど、あんな元気そうな人が、どうして? 何か病気で?」 雪也が心配そうにそう訊くと、涼一は苦い顔をして手を振った。 「あー、何でもない、ごめん。こんな言い方したら心配するよな。あいつアホだからさ。自分を振った男に飛び蹴りかまそうとして足の骨を折っただけ」 「えぇっ…」 「骨折くらいで入院なんて大袈裟なことすんなって俺は思うんだけど、多分、大袈裟にして相手の男を強請る気なんだろうな。知らねぇけど。金持ちの利点を生かしてVIPルームでぬくぬくとしているよ。だから雪が心配してやる必要なんか微塵もない」 「あ…でもそれでバーゲン…」 「ああ、何かここにあいつの好きなブランドが来ているとかでさ。それ、世界に十何点しかないやつなんだとさ。多分、奥の方にあるんじゃないかな、それはこんな争奪戦になるような値段じゃないだろうし。俺行ってくるから、雪はそこのベンチに座って待っていてくれればいいよ。すぐ戻るから」 「えっ、俺も行くよ?」 「いい、いい。こんなに混雑していると思わなかったし。俺だって本当は借りがなきゃこんなのしたくなかったけど、仕方ない。あいつ味方にしておくと便利なこともあるから。ちょっと行ってくる、ホント雪はいいから、そこで待っていて。終わったらお礼に何か奢る」 雪也が何かを応える前に、涼一はそう言ってさっさと行ってしまった。お礼というようなことは何もしていないのにと思いながら、雪也はその場に突っ立って涼一の背中をぼうと眺めた。涼一はこんな所でもいやに器用だ。するりさらりと人込みをスマートに抜けて行く。しかも、そうこうしているうちに、周りの女性陣が涼一の存在に気づき、自ら率先して道を開け始めたから、これには笑ってしまった。あれほど雑多な人込みが、涼一の歩く場所だけ面白いように綺麗な道筋となっていくものだから。 「やっぱり、こんな所でもカリスマオーラ発しまくりだ…」 思わず呟いて雪也は口を綻ばせた。多分、際立った容姿だけではない、見る人に強烈な印象を与える何かが涼一にはあるのだと思う。生まれながらにと言ったら努力家の涼一に失礼だとは思うものの、雪也のような一般庶民からすると、こういう人間もいるのだなとどこか遠いもののように感じることもある。生まれながらに人の上に立つ存在。きっと涼一はその手の人種なのだと。 涼一にそれを伝えたら、また不機嫌になることは疑いようのないことだから、雪也も言う気はないけれど。 やがて特設会場の奥まった方からどよめきが起きて、拍手まで聞こえてきたから、これは相当高い買い物をしたのだなとは容易に想像がついた。ついていかなくて良かった。そんな風にも思いながら、雪也は遠方の喧騒を避けるように、言われていたベンチへ移動した。と同時に携帯が鳴って、涼一から、ちょっとした騒ぎになってしまったから、どこか下の店に入って待っていてとメッセージが来た。雪也は苦笑して席を立った。一緒に買い物と言っても、買う物からしてやはり自分とはかけ離れているなぁなどと思いながら。 それから涼一と雪也が合流したのは小一時間ほど経ってからだった。雪也は同じデパート内のカフェで読書しながらお茶していたのでさほど「待った」という感じは抱いていなかったのだが、涼一は席に着く前からカリカリしていて、店側が買った物の送付作業を手間取ったことや、要らないというのに余計な物まで営業してきたことに対し、ひとしきり文句を連ねた。名のあるデパート店員が、言うほど露骨な物売りを展開してくるとは思えず、雪也は話半分に聴いていたが、直後に涼一が「でも」と声のトーンを落として言ってきたことには少し驚いてしまった。というのも、 「雪が人には優しくしろって言うから、持ち前のサービス精神でいい顔してやったの、俺は。そうしたら付け上がられて無駄な営業かけられた」 ……などと零して、頬を膨らませるものだから。 「え?」 「だからー、俺は元々人にいい顔するのは得意なの。相手に好感持たせるのも得意。でもあんまりそれを振りまくと相手が勘違いするから。だからある程度セーブしなきゃいけないとは常日頃思っているわけだけど、今日は雪に言われたばっかりだから、特にいい人やっちゃったら失敗したって話」 「……そうなの?」 「そうだよ。雪のせい、俺がこんな目に遭ったの」 「でも、店員さんもきっと涼一みたいな上得意と繋がりが持てると仕事もしやすくなるからって頑張ったんだよ」 「そんなの、俺には知ったことじゃない。第一あいつ、ただのバカ従姉のこと、俺の恋人とか勘ぐってきてさ」 「……だから腹が立ったのか」 雪也がぼそりと呟くと、涼一も依然として頭にきたようにふんと鼻を鳴らした。 「俺がちょこっと傍の指輪見ただけで大いなる勘違い。……あ、やめた、この話。思い出すとむかむかするから」 「うん…。俺も何の話かは大体分かったから、もういいよ」 「で、俺たちはいつ婚約指輪買いに行く?」 「何でいきなりそんな話!?」 テーブルに肩肘をのせて前のめりになった涼一に、雪也は思わず声を上げて仰け反ってしまった。すると注文を取りに来ようとしていた店員がぴたりと足を止め、やや離れたその場所から「近づいて良いものか」と躊躇しているのが見えた。雪也がそれに「あっ」となると、察した涼一が振り返って、その位置から店員に珈琲を注文した。 それからまたムッとした顔を向けて言う。極力声を抑えていたのは雪也へのせめてもの優しさだろう。 「いきなりじゃないだろ。前から言っている話だろ」 「な、にが…」 「結婚しよ」 「ちょっ…涼一!」 焦って辺りを見回す雪也に、涼一は深々とため息をついてから椅子の背に身体をつけた。それから実に偉そうな態度で腕組をし、まじまじと雪也を見据える。 「人前で言われたくないなら違う所で言い直してもいいけど。せめて指輪はいつ買いに行くかだけは、今日ここで決めようぜ」 「いや意味が分からないというかっ。何でいきなりこんな話になってんの!?」 「だから、別にいきなりじゃないだろ? いつも…とは言わないけど、結構言っていることだろ、こんなの」 「………」 確かに涼一の「結婚しよう」発言は、「いつ一緒に住めるの」「学生結婚が無理なら、せめて婚約だけでもしておこう」等、折に触れ発せられてきた台詞である。雪也はその度に結婚はまだ考えられないこと、同棲は母親の許可が得られるまで強引にしたくないこと、そもそも涼一の家族に挨拶もしていない段階でそんなことができるわけもない等いろいろ言ってはかわしてきたのだが、涼一にしてみれば、雪也は「考えられない」のではなく、真剣にこの問題について「考えていない」し、双方の家族についても、2人の問題なのだから「家族という他人の考えなど関係ない」という主張で一貫している。 ただ、涼一も雪也も「以前のこと」があるせいか、あまり長い喧嘩はしたくないと思っているが故に、こうした意見の相違があっても、いつも何だかんだとうやむやになって終わっていた。…が、結局、それでは根本的な解決には至っていない為、今日のように何らかのきっかけがあると、涼一が口火を切ってきて、この問題が「突然」再燃されてしまう。 「で。いつ買いに行く?」 「行かない」 「じゃあ一生行かないの?」 「いっ…一生、とは、言ってないだろ? ただ、今はそんな、日にちまで決められないと言うかっ」 「……ふーん」 不服そうに涼一はそう言って息を吐いた。涼一の視界からは見えないはずだが、それはちょうど店員が珈琲を運んでくるタイミングと同時だった。雪也はそれにほっとして、涼一はそれが分かって黙ったのだろうか、気配を察知するのが上手いなと、半ば現実逃避的にそんな「どうでもいいこと」を頭に浮かべた。それから自分も誤魔化すようにカップを口に運び、沈黙の時間をごまかす。けれど、涼一からのプレッシャーがスゴイ。雪也は自身も大きなため息が漏れそうになるのを必死に堪えたが、その時ふと、隣の椅子に置いていた包みの存在が目に留まり、それをおずおずと持ち上げた。 「何それ」 案の定、涼一はその行為を見咎めて口を開いた。きっと涼一は話題が変わることを望んではいない。けれど雪也の行為は気になるのだろう、それ幸いと、雪也は紙袋から先ほど買ったばかりの包みを取り出し、それをそっとテーブルに置いて涼一の方へ押しやった。 「何」 「そんな大した物じゃないけど。ボールペン。涼一にプレゼント」 「ボールペン?」 怪訝な顔をしながら涼一はそれを手に取り、特段贈り物として包まれてもいない、長形のシンプルな紙袋からそれを取り出した。 それは巷で有名なメーカーのボールペンで、雪也も好んで使っている物のひとつだ。緩やかなカーブがあるフォルムのそれは握りやすく、ペン先の銀と持ち手部分がブラックなデザインも気に入っていた。使い勝手が良いので勉強の時にもよく使っていて、今回はもう一本予備を手に入れようと思い、ついでと言っては何だが、涼一の分も買ってみたのだ。 「それ、凄く書きやすいんだ。俺も前から使っていて、今日待っている時に文具店寄って買ったんだよ。ここのメーカー、知ってる?」 「知ってる、ヨーロッパでも人気のブランドだし。俺も、これとは違うデザインのだけど、ここの会社のやつ、使っていたことあるから」 「あ、そうなんだ」 「高いんじゃない? 俺が持っていたのは確か5万くらいしたやつだし」 「ごっ…。俺が買ったそれは…その…2千円くらい…ごめん」 やはり涼一に物をプレゼントするとこういうことが起きる。5万円のボールペンってどういうことだ。雪也は背中に冷や汗をかいたが、涼一は雪也が口にしたその値段に特に眉を寄せることもなく、何度か握りを確認したり、器用にくるくると指先で回したりした後、「うん」と頷いた。 「いいね。しっくりくるし。俺もこれ、好き」 「ほ、本当? 良かった。実際、書き心地も良いから――」 「雪とお揃いなの、これ?」 「え? そうだけど…」 「まさかこれ、創にもプレゼントするとかってオチはないよな?」 「………ないよ」 ちらとそれが脳裏を過ったことは事実だが、幸い、この日の雪也はまだ創の分は買っていなかった。涼一からしたら安物でも、雪也にとってこのブランドボールペンは立派に「高い」。2本も買えば十二分に痛い出費なのだ。それでも買う価値があると思ったからこそ、涼一の分も買ったわけだけれど。 「はーあ。じゃあ、今日はこれで納得する」 「え?」 その時、涼一が急にそんなことを言い出して、雪也はびくっとして顔を上げた。涼一はそんな雪也の態度にまた少しだけ嫌そうな顔を見せたものの、未だくるくると回していたボールペンをぴたりと止めて、それを雪也の面前に掲げて見せた。 「お揃いだし。雪がプレゼントしてくれたものだし。俺には一生ものだし」 「え…一生は…無理だと思う、消耗品だし、それ」 「そういうこと言ってんじゃないだろ? あ、じゃあ、このボールペンが使えなくなったら指輪買いに行くでOK?」 「え、ええ…?」 「何が『ええー』だよ。あのなぁ、雪。もういい加減分かって欲しいんだけど。雪は俺と一緒にいるわけだろ? これからも、一生さ。けど、周りは何だかんだで誤解するんだよ、くだらねえことでいろいろとさ。誰かに親切にすれば勘違いする奴も出てくるし、ちょっと女に贈り物すれば、恋人だ何だ言ってくる奴もいるし。その時にさ、俺は、それは違うんだって、ちゃんと確固としたものを作っておきたいの。雪と俺の間に」 「……確固とした」 「それってそんなに難しいこと? 俺は雪に何か無茶を言っているの」 涼一は責める口調ではなかった。けれど、いつになく真面目な顔だった。雪也は思わず言葉が詰まってしまい、やはり何も返すことができなかった。たぶん、いや絶対に。涼一がこんな風に言ってくれることが嬉しい。どきどきと胸が高鳴っている。だからそれにすぐ飛びついてしまえばいいのに、でも躊躇っている。きっとそれは涼一にとっては「くだらない」、けれど雪也にとってはくだらなくなんかない、「家族という名の他人」というものに引っ掛かりを覚え過ぎているからだ。 そう、雪也は、涼一の百倍は……控えめに言って百倍。お互いの家族のことを心配している。とても。気にかけている。 逆に涼一は考えがなさ過ぎだ、なんて風にも思う。 けれど。 (俺も……でも俺も、涼一とずっと一緒にいたいよ…?) 心の中で確かにそう思ったが、喧騒とするカフェの中でそれを伝えることは、雪也にはできなかった。情けないとは思う。人の目を気にするこんな自分に涼一はきっと呆れている。そろりと涼一を伺い見ると、涼一は未だ雪也からのプレゼントであるボールペンを、角度を変えて眺めたり、しきりと握り直してみたり。まじまじと見つめては嬉しそうに目を細めていた。思った以上に喜んでくれているらしい。 「雪」 そうして涼一は、そんな自分が雪也に驚きと共に見つめられていることに気づくと、照れるでもなくニッと笑いかけて、「ありがとな、これ」と改めて礼を言った。 そしてさらに。 「一応言っておくけど、雪が俺のことを好きなの、俺もちょっとは分かっているから、まぁ大丈夫だよ」 「え?」 「今心配していただろ、自分は言葉が足りないとか何とか」 「………」 涼一の言葉に雪也はまた驚嘆して、そしてまた、言葉を出すことができなかった。 けれども、大学で思った時とはまた違う意味で「涼一ってスゴイ」と思い、直後、ああ、確かに、自分はこの剣涼一という男が堪らなく好きだし愛しいのだと実感し、意図せず顔が熱くなった。 |
了
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