レンタルビデオショップ淦の日常



  未だ改装休業中のレンタルビデオショップ淦にて。

「なあ雪。俺って嫉妬深い男だと思うか?」
  那智が作ったブラウニーをおやつに、ほのぼのとしたティータイムと上映会を楽しんでいるはずだった店内は、涼一のふと紡ぎ出されたその言葉によって一気に寒風吹き荒ぶような雰囲気へと一変した。
「りょ…」
「また君は突然何を言い出すんだよ」
  未だ映画は中盤にも差し掛かっていない。作品に集中していた雪也は思い切り面食らったようで、腰掛けていたパイプ椅子から転げ落ちそうになったし、ガタリと傾いたその椅子の背を咄嗟に掴んだ創の方は、やはり鑑賞を邪魔された事で溜息交じりの批難するような目を向けた。
  その他、皆にお茶のお替りを用意していた那智はティーポットを持ったままの状態で石化。うさぎこと寛兎は映画そっちのけで那智のブラウニーに夢中だった。
「煩い。別にお前には訊いてないだろ」
  創の呆れたような目と雪也の座るパイプ椅子に手を掛けているそれを鬱陶しそうに振り払い、涼一は代わりに自分がその椅子の背を掴んで隣にいる雪也にせがむような声を上げた。更に駄々っ子のようにパイプ椅子をガタガタと揺らしもして。
「なあ。雪。どう思う?」
「わっ、ちょっ…涼一、椅子!」
  揺らすのはやめてくれと暗に訴えるも、涼一の耳には届いていないようだ。本人なりに必死なのか、至極真面目な顔をして更に雪也に接近する。
「なあ、どう? 俺って嫉妬深い男だと思う?」
「ど、どうって…」
「そんなの誰がどう見てもそうだろ」
「だからお前には訊いてないっつってんだろ!」
  横槍を入れる創を今度こそ詰るように睨みつけ、涼一は先刻まで片肘を預けていたカウンターをダンッと勢いよく叩いた。それによって那智のブラウニーが乗った皿が一瞬宙に浮き、これには寛兎が途端むっとして牙を剥いた。
「バカ涼一! 何すんだテメエ!」
「あ!?」
「ちょちょちょっと寛兎君…!? ほ、ほら大丈夫、お菓子ならまだまだ奥にもあるし、ねっ!?」
  涼一と寛兎がいると必ずといって良いほど喧嘩…というか、子どもの言い争いになるので、その度「他人同士のいざこざ」を極端に嫌う那智はいつでも神経を擦り減らす。だから今日も涼一たちが淦に来ると訊いた時、那智は今のようにさり気なく「寛兎君は奥で私とおやつを」と他所へ誘導しようとしたのだ。最近創が凝っていて雪也にしきりと勧める映画は何やら小難しくて那智や寛兎向けではないし、涼一を無駄に怒らせるくらいならば、那智としては奥で平和に「モンスターズインク」でも観ていたいというのが本音だった。
  それでも寛兎が素直にそれに従わないのは、勿論「雪也がいるなら、ここにいたい」という願望があるからに他ならない。
「ここにいる」
  だからこの時も寛兎はあっさりとそう答え、ふいと那智から視線を逸らすとそのまま雪也の腕にぎゅっと抱きついた。ここのところの寛兎は雪也に対する愛情表現がとてもストレートで、それは日常生活で良い方に作用しているらしく、学校でも担任から「喜怒哀楽がはっきりするようになってきた」と誉められているようだ。
  だからその点は喜ばしいのかもしれない、が。
「このバカうさぎ! 雪から離れろッ!!」
  しかし、寛兎がそういう態度に出るという事は、当然の結果として傍にいる涼一は「そうなる」わけだ。
  店全体が揺れんばかりの怒号を発し、涼一はガタリと椅子を蹴って立ち上がると雪也にしがみついた寛兎を彼が座る椅子ごと放り出そうとした。
「ちょっ…涼一、やめっ…!」
「雪也〜」
「雪也じゃ、ねえッ! テメエ、雪のこと馴れ馴れしく名前で呼んでんじゃねえよッ! おら、早く離れろってのー!」
「嫌だバカ涼一!!」
「バカはどっちだ、このクソガキ〜!」
  ぎゅうぎゅと寛兎の腕を引っ張って雪也から引き剥がそうとする涼一。
  それに負けまいとあらん限りの力で雪也の腕にしがみつき、目を閉じる寛兎。
  ここ最近、淦でこの面子が集うとほぼ必須で起きる出来事である。
「寛兎。いい加減、やめろ」
  しかしさすがにいつまでもこんな騒動を見逃しておくわけにもいかない。カウンター越しに一連の騒動を見物していた創は、小康状態に入るのを見るや否や寛兎の方を諌め、「改装中の店に埃が立つだろう」と至極もっともな事を言って、暗に雪也から離れるように注意した。
「……フン」
  寛兎はそれで渋々雪也から離れたものの、しかし毎度与えられる涼一からの理不尽な痛みには頭にきているのか、黒い髪を猫の子のように逆立てながら、「お前なんか」と実に子どもらしくない目を閃かせた。
「桐野にふさわしくないんだよ。さっさと別れろ、この嫉妬魔!」
「んだとこのガキ…ッ!」
「桐野は俺みたいな優しい男がいいんだよ。それか、百歩譲ってこの創か、那智」
「え」
「……百歩譲ってかよ」
  まさか自分たちの名前が出るとは思っていなかったのだろう、那智は驚きというよりはきょとんとした顔をし、創は薄っすらと苦い笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「な…っ」
  けれど、涼一の方としては聞き捨てならない。
「雪っ」
「何っ」
「嘘だよな、こんなの、お前には合わない! だろ!? こんな偏屈でオタクで、口煩いもやし野郎!!」
「失礼だな、全く…。ていうか、何で俺だけ攻撃するのさ。那智姉さんだって言われただろ」
「るせえっ! なあどうなんだよ雪! こんな奴より俺が好きだろ!?」
「創の方が桐野もちゃんと言いたいこと言えてる。バカめ!」
「こ…! あ、待てこの野郎! クソガキ、テメ、やっぱいっぺん殴る!」
「バーカ!」
「寛兎君っ」
  言いたい事だけ言ってさっさと店の奥へ駆けて行く寛兎を那智が慌てて追って行く。口が達者とはいえ、まだまだ小学生。さすがに本気の殴り合いになったら涼一には敵わないし、またこの涼一という男が「喧嘩で決して手を抜かない」事を寛兎は察している。言い逃げが勝ちと思ったのだろう、べっと舌すら出して去っていくその姿は、なるほど確かに小生意気と言えなくもなかった。
「ちくしょう、あのガキ、マジでむかつくッ!」
  しかしそんな子どもの挑発にまんまと乗ってしまう涼一も涼一なわけで。
「涼一…」
  毎度の事とは言え、ここに来る度にカッカくる涼一を雪也はどうしたら良いか本当に分からずにいた。淦に来なければいい、という選択肢は雪也にはない。それをしたら涼一はとても喜ぶだろうし、2人の間に起きる無駄な喧嘩(というか涼一からの一方的な言い掛かり)の数は格段に減るのは間違いない。
  けれど雪也は淦の創も那智も、そして寛兎も大好きだし、みんな大切な友人だと思っているから、それはしたくない。
  出来れば涼一にも仲良くなって欲しいと思って、だから創に誘われる度にこうして涼一も呼んでいるのに。
「まぁ座りなよ」
  気まずい空気をさらりと流すように創が声を掛けた。いつの間にやら涼一だけでなく、雪也も席を立っていた。自分がどう手を差し出したところで涼一が止まるわけはないのだけれど、いてもたってもいられなかったのだ。
「うん…」
  はっと小さく溜息をついて、それでも雪也は創の勧め通り再び硬いパイプ椅子に腰を下ろした。
  それから未だ怒りでドアの向こうを睨んでいる涼一の腕に手を触れる。
「涼一も座りなよ」
「………」
「涼一って」
「っせーな! 分かってるよ!」
  乱暴なその口調に雪也が驚いて手を離すと、すかさず創が抗議するような声を上げた。
「剣君。口の悪い寛兎に腹を立てるのはある程度仕方ないけど、桐野君にそういう当たり方はないだろ」
「煩い!」
「煩いのは君だよ。どうしてそういつもいつも繰り返すんだ? いい加減学習したら?  あいつは君がそういう風にムキになるのが面白くてやってるんだよ」
「違うね」
  お前それ本気で言ってるのか?…と、涼一は半ば信じられないような目をして創を睨み、それからようやっとストンと椅子に腰を下ろした。しかし未だ息が荒い。心配そうに見つめる雪也の方には敢えて視線を逸らしているような節もあった。
  そして向かいに座る創に真剣な口調で話し始める。
「最初は確かにそうだったかもな。あいつは俺を無駄に挑発すんのが面白いみたいだったから。――けど、今は明らかに違うだろ」
「何がどう違うんだよ」
「あいつはマジで雪に惚れてる」
「涼一…そんなの」
「雪は黙ってろ」
  相変わらず雪也の方は見ずに、涼一はきっぱりとした口調で言い、ただ創を睨み据えて続けた。
「こう言うとお前は、その『好き』って言うのは、詰まるところ恋愛感情とは異なるもので、家族や友人に向ける情愛みたいなものだろうって答えるかもな。実際、俺がお前に雪の事どう思うかって訊いたら、お前はまず『好きだ』って答えて、でもその『好き』は俺が想うものとは『種類が違う』って言い訳するだろ」
「言い訳って勝手に言い切られる事には納得しかねるけどね。―…けどまあ、そう答えるだろうね。君に訊かれれば」
「ふざけんな」
  珍しく小さな声で涼一はそう呟き、それからハアと大きな溜息をついて項垂れた。
「……っ」
  雪也はそんな涼一の横顔をハラハラとした想いで見つめながら、ほんの数分前までは平和に映画鑑賞していたはずだったのに、どうしてこんな事になってしまったのだろうかと半ば本気で泣きたくなった。
  そう、元々は涼一が変な質問をしたのがいけない。
「……映画と全然関係なかったし」
「え?」
「あ」
  心の中だけで思ったはずがつい口に出してしまい、涼一・創双方から何だという目を向けられて雪也は焦った。
  だから一旦は「何でもない」と答えたものの、このまま遣り過ごす事も結局は出来そうにないと、諦めて口を開いた。
「あのさ、涼一…。何で急にあんな質問?」
「質問?」
「したじゃないか。『俺は嫉妬深いと思うか』って」
「ああ…」
「別に映画の中でそんなシーンがあったわけでもないし、突然訊くから。どうして?」
  雪也のもっともな問いに、しかし涼一はつまらなそうな顔で即答した。
「別に。元々創が推奨する映画なんざ、面白くなくて全然観てなかったし」
「悪かったね」
  らしくもなく、これには創がむっとした声を上げた。
  それでもこの時は雪也としても涼一の反応だけが気になり、「じゃあ」とたて続けに質問を重ねた。
「何考えてたの…。映画も観ないで…あんな事、突然」
「何って」
  ふっと顔を上げると、涼一は当然という風な様子で告げた。
「雪のこと考えてたに決まってるだろ? 俺がいつも考えているのは雪の事だけなんだから」
「え……」
「……恥ずかしい人だね、まったく」
「それにさ」
  雪也の途惑いや創の厭味は軽くスルーし、涼一は唇を尖らせるようにして続けた。
「ここに来ると毎度の事ながらむかむかしちゃうわけ、俺は。だから余計に悶々とするだろ、過去ここでしでかした過ちとかも思い返してさ…。分かってんだよ、俺もあんなガキにムキになってみっともねえなって。偶には雪が満足するような完璧な俺でいてやんなくちゃって、さ。やろうと思えば俺は出来るのに。…多分」
「そうなんだ? それは意外」
「お前に言ってねえ。黙れ」
「はいはい」
  創の茶々に今度は涼一も凄みを利かせて黙らせた。
  それでも視線はほぼ雪也の方に向いており、強気な姿勢ながらどこか「困らせてごめんな」という申し訳なさそうな雰囲気も滲ませていた。
「涼一は…いつでも完璧、だと、思うけど」
  だから雪也はたどたどしくもそう言って、困ったように笑って見せた。
「確かにここに来るとその…いつも、何かめちゃくちゃになるけど。でも、大学では皆に好かれてて頼られてて、実際凄く頼もしいし。その、色んな人の相談にも乗ってあげたりとかさ。俺、そういうの見てて、いつも涼一って凄いなって思うんだ」
「この人に相談する人なんかいるんだ? 剣君、君、大学ではどういう人格になってるわけ?」
「創! 涼一は、本当に凄いんだよ?」
  雪也が力強く言うと、創は呆れたようなどこか憐れむような目を向けて一旦は口を噤んだものの、どうにもやはり納得はいかないのか、「あーあ」と実に似合わない嘆きの声を上げた。
  雪也はそんな創が珍しくて一瞬は目を見開いたが、すぐに改まって涼一を見つめ直し、尚も一生懸命に答えた。
「だから、さ。その、嫉妬深いって言ったら、俺もかも。俺も、大学で涼一が色んな人に囲まれているの見ると…嫉妬する事、あるし」
「そうなの?」
  何の反応も見せない涼一の代わりに創が大袈裟に身体を仰け反らし、訊いた。雪也はそれに「そうだよ、勿論」と照れながら頷き、「でも、そういう涼一を見るのも好きなんだ」と小さな声で続けた。

  因みにこの間、涼一は口をぽかんと開けたまま、何を考えているのか殆ど動きを見せていない。

「ふうん」
  そんな「幸せ者」をニヤニヤとした顔で見ていた創は、やがて頬杖をつくと「凄い惚気だね」とからかうように言ってから、「で?」と先を促した。
「桐野君が意外に嫉妬深いって事は分かったけどさ。最初の剣君の質問。剣君の方は嫉妬深いって思うの?」
「え…う、うん。それは、多少」
「多少、ね」
「でもさ、それは俺もあるから。だから、少しはあった方がいいかなって事」
「ふうん、なるほど。お互いの想いを確認し合う為にも、ある程度の刺激は必要だって事だね? それでこの店がそういう互いの愛情を確認し合う場所として一役も二役も買っていると。そういうわけだ」
「は、創…? 何か…怒ってる?」
「いいや。誰かの役に立つってのは嬉しいもんさ。ましてや、それが友人の為になっているなら、ね」
  饒舌になった創に雪也はやや引き気味になっているが、当の創としてはこの後の「騒動」を考えるとそれどころではないらしい。
「あのさ、桐野君」
  さっと立ち上がると創はいそいそと自分のカップや雪也たちのものまでトレイに集めて片づけを始め、あと数秒後に起こるであろう出来事を思って早口で言った。
「別に役に立つのは嬉しいんだけど。見ての通り、うちの店は現在改装中だし、偶に映画観るくらいは勿論大歓迎なんだけど。―……でも、ここでやるのはやめてくれよな?」
「何を…? あ、創?」
「戸は閉めておく。寛兎も出禁にする。でも、極力家に帰ってからにしてくれ」
「創――?」
  雪也の焦った風に呼び止める声を無視して、創は盆を持ったまま自分も那智たち同様、店の奥へと引っ込んだ。雪也は訳が分かっていないようだが、涼一のあの顔を見たらこの後にどんな嵐が襲ってくるかなどという事は誰にでも分かる。と、創は思う。
「……よくやるよ、まったく」

  そして、その創が後ろ手にぱたんとドアを閉めた直後。

  予想していた以上に大きな涼一の奇声とも歓声とも取れる大声。
  それに驚き、戸惑いを隠せない雪也の必死な声。

  雪はそんなに俺の事が好きだったのか、俺に嫉妬してくれている事もあったのか、だったらもっとそういうところ見せてくれても良いのに――!
  ……涼一は始終そんな感じでまくしたてる。

  ちょっと、こんな所で何考えて、駄目だから、涼一!!
  ……と、怒号とも悲鳴ともつかない声をあげているのは雪也。

「はあ…」
  創は新しい店には防音設備も強化した方が良いだろうかとそんな事を考えながら、何事かと近寄ってくる那智や寛兎を追い払うのに手を焼く事になった。

「涼一…っ。だから! だから、家! 家帰ってから! お願…っ!!」

  雪也の必死な願いが浮かれ調子の涼一の耳に届いたのかどうかは、淦の住人たちのみぞ知る。 











涼一は毎度雪也の何気なく発した台詞に感動するので忙しい。