じんましん



  ああ、まただ。
  痒い。物凄く、痒い。
  お願いだから、傍に近寄らないでくれって!





  僕が原因不明の蕁麻疹(じんましん)に悩み始めたのは、大学生活に慣れ始めた、一ヶ月後のことだった。
「嫌だな…もう…」
  あまり掻かないようにしようとは思うものの、この痺れるような痒みには本当に参る。めいっぱい「ガリガリガリーッ!!」とやりたくて堪らない。むしろ、やらずにはおれない。
「はあ…」
  折角一生懸命勉強して入った大学だったけど、いざ両腕や両足に赤い発疹がぽつぽつと浮かび上がると、それだけで僕はもう駄目だった。正直、講義どころじゃない。あまりボリボリやるのも周りが気にするだろうと、最初は衣服の上から抑えこむように片手で揉んで掻くのだけれど、それだけではこのどうしようもない痒みは絶対に去ってくれない。……掻いたって去ってくれないけど。それどころか、引っ掻き過ぎて血が出る事もしょっちゅうだし、要はその「発疹の原因」を断たないと、僕の大学ライフに安息が訪れる事は永遠にないのだった。
「……ああ、だから」
  ぞろぞろとやって来たその集団に僕は大きく溜息をつき、なるべく自分の姿が見えないよう頭を抱え、身体を丸めた。
  そう、僕の蕁麻疹の原因。
  今ではその姿を見る度、憂鬱になる。だから自然と表情も曇るんだけれど、そんな態度だから向こうもムキになってしまうのかもしれない。
「見風(みかぜ)。おはよう」
  僕がどんなに身体を縮めこもうが、避けるように視線を逸らそうが。
  奴は平気な顔で近づいて、そして挨拶してくる。話し掛けてくる。
「うん…」
  だから僕も返事をするしかない。構内の人気者を無碍にして無駄に敵を増やす程、僕は強くないし勇気もない。大体、彼を無視する理由が自分でも痛い程「理不尽」だと分かっているから、あからさま嫌うなんて事は出来るわけがないのだ。
  それでも。
  やっぱり、見つかりたくはなかったなと思う。さして広くもない教室にいて同じ授業を受けるのだから、見つかるのはごくごく当然の事なんだけど。
「隣座るよ?」
「うん…」
  一応断ってはくるが、そこに遠慮した色は感じられない。僕がどう答えようが、彼は隣に座る気なのだ。
  それを知っていたので僕はただ力なく頷き、既にどっかりとそこに―僕の座るすぐ横の席に座った彼―神薙離有(かんなぎ りう)の顔をちらりと見やった。
  痒い。物凄く痒い。
  また蕁麻疹が増えたと思った。
「……具合悪そうだな」
  神薙は僕の苦悩をよそに、他人事のようにそう言った。実際他人事なんだけれど、僕が迷惑そうな空気を発してもこうして毎日隣に座るのをやめないのだから、余程鈍感か、さもなければ意地が悪いのだろうと思う(…そして答えは、きっとかなりの確率で後者だ)。

  はじめは容易に信じなかった。神薙という同級生が傍に寄るだけで、自分の両手両足に蕁麻疹が出るだなんて。

  原因不明の痒みに襲われた当初は、田舎から都会にやってきたばかりだったから、こちらの洒落た食べ物にやられたか、或いは埃臭い大東京の空気に肌が合わないのかもとか、それくらいにしか考えていなかった。
  小さな皮膚科に行ったら、ロクな説明もないまま謎の軟膏と飲み薬を貰って終わり。それでも、それを塗ったり飲んだりしていればそのうち治るんだろうと、大して重く考えなかった。
  けれど僕の蕁麻疹は治るどころか慢性化していった。イライラする事が多くなって、ただでさえ鉄面皮って言われる硬い表情に拍車がかかり、いつでもむすっとしている事が多くなった。だから最初に話しかけてくれていた人たちも「怖い」と言ったりで、イマイチ親しい友達が出来ない。
  そうこうしているうちに、僕の傍へ寄るのは神薙だけになった。
  神薙は僕と同じでいつも不機嫌そうにしている割に、そのスマートな体躯と甘いマスクで明らかに得をしていて、いつでも周りに人がいた。田舎者の僕とは違いお洒落にも気を遣っていて常に洗練されていたし、僕にはチャラチャラしているようにしか見えない明るい髪色も女の子たちからはいつも絶賛されていた。どこぞのアーティストじゃあるまいし、僕には到底合わない人種だなと思っていたけど、でも、神薙は何故か僕に付きまとって、実家は何処だとか、何故この大学に入ってきたんだとか、サークルは何に入るんだとか。いちいちしつこく訊いてきた。
  そして、そう絡まれる度に僕の「ぽつぽつ」は酷くなった。
  気のせいか、神薙を見るだけで痒くなってくるような気すらした。
「見風。今日こそ付き合えよ」
  そんな痒みを押して講義を耳に入れていた僕に、当の神薙が言った。
「お前の好きそうな和風の居酒屋見つけたんだよ。飲みに行こう?」
「行かない」
「何でいつもそんな冷たいわけ」
「何でいつもそうしつこいんだ」
  僕の素っ気無い態度に慣れたように言う神薙。でも僕ももう大分この男の相手には慣れていたから、「悪いな」とかそういう罪悪感は薄くなっていた。
  理不尽だとは分かっているんだ。別に、蕁麻疹はコイツのせいじゃない。きっと単に「生理的に合わない」ってだけで、神薙の個性を尊重できない僕自身に問題があるのだ。だから「お前が傍に寄るだけで気持ち悪くて蕁麻疹が出るんだ、だから近寄らないで」などとは言えない。実際その事実を告白して周囲に群がる奴のファンに袋叩きに遭うのも恐ろしかったし。
  でも、痒い。痒いものは痒い。
  だからいつも「用事がある」とか「興味ない」で、神薙の度重なる誘いは全て断ってきたのに。
  多分、人に拒絶された経験がないのだろう。僕が断れば断るほど、避ければ避けるほどに、神薙はますますムキになって僕を構うようになった。だからこうして飲みに行こうとかしきりに誘う。悪循環だった。
「見風」
  そんないつもの誘いにウンザリしている僕に対し、神薙は言った。
「お前が一回でもOKしてくれたら、俺ももうお前を誘う事はしないかも」
「え」
  僕が驚いて顔を上げると、神薙はどこか挑むような目を向けて続けた。
「女に言われたんだ。見風が頑なだから俺は意地になってるだけで、多分お前があっさりOKすれば、俺もお前を構うのすぐに飽きるだろうって。なるほどだろ? 確かに実際、見風って俺が構ってやるのにふさわしい感じじゃないし」
「……構ってやるのにふさわしい感じ?」
「見風は俺に見合ったカッコイイ男じゃないじゃん」
「じゃあ構うなよ…」
  神薙はいつもが万事こんな感じで、本当に失礼な奴だ。
  だがここまでハッキリ言われると最早怒る気も起きなくて(何より痒くて仕方なくて)、僕も段々面倒臭くなっていた。
  だから初めて折れる事にした。
「本当に一回付き合えば、もう構わなくなるの?」
「お。うん」
「本当に本当?」
「しつこいな。じゃあ、行くの? 行かないの? 俺、結構気が短いんだよ。早く頷かないと、その約束の保証もしないかも」
「行くよ行く……。だけどさ、お願いがあるんだけど」
「何」
  僕が承諾したのがそんなに嬉しいのか、珍しくにこにことして神薙は僕のお願いに身を乗り出すようにして耳を傾けてきた。
  だから僕は今にも「バリバリ!」と掻き毟りたい衝動を必死に堪えながら言った。
「飲みの席では…極力近づかないでくれ」





  僕の失礼な申し出を神薙は大分怒っていたけれど、とりあえずは「分かった」と了承してくれた。
  神薙がオススメするという和風の居酒屋は僕にとって都会も都会、ロッポンギとかいう駅のすぐ近くにあった。大学からも離れていて駅も大分乗り継いだし何だか少し不安だったけど、僕が素直にその事を暴露すると、神薙は「金は俺が出すから心配するな」とどこぞの成金のような台詞を吐いた。
「見風の好きなものって何」
  居酒屋という割には個室ベースの薄暗い店内で辺りも静かだ。僕は物珍しさにきょろきょろと落ち着かなかったが、神薙は反して悠々と広い座席に腰をおろして僕にメニューを差し出してきた。
  僕はそれを受け取るとまた蕁麻疹が酷くなりそうだったので、敢えて「任せるよ」と言った後、ふと思い出してこれだけはと好きな物を口にした。
「ほっけが食べたい。あるかな」
「はあん? ほっけ? あんなののどこが旨いんだ? まあいいけど。酒は?」
「ビール。恵比寿!」
「俺は麒麟。やっぱりお前とは合わないわ」
「なら誘うなよ……」
  結局のところ、本当に意地になっていたのだろう。僕があんまり神薙を避けるから。
  奴はその後も僕の好みに散々いちゃもんをつけ、その度「お前とは合わない」、「お前は趣味が悪過ぎる」と駄目出しをしてきた。だったら何でこんな風に誘うんだと何度も思ったが、その度、「そうだった、当てつけだった…」と思い出しては脱力して、足をボリボリ掻きたくて仕方なくなった。
「……神薙ってさ。前から思っていたけど、性格悪いよな」
  暫く会話を続けていい加減慣れてきたというのもあり、僕は奴に倣って正直に思うところを言う事にした。
「普通、そんな風に言わないだろうって事も平気で言うし」
「何? お前とは合わないって言った事?」
「まあ、他にも」
「確かに、性格いいとは思ってないけど」
「なのに、何でそんなにモテるんだろう?」
「顔がいいからじゃないか」
「………」
「あ! それにこれ大事! 俺、金持ってる。家、金持ちだよ」
  ぽんと手を打って、本当に忘れていたという風に言う神薙に多少呆れる。
「金持ち、か…。そういや、神薙って車二台も持ってるって誰か言ってたよなぁ」
「三台だよ。家族が車集めるの趣味なんだ」
「あ、そう…」
  神薙の事を詳しく考えようとしたら、またぞわぞわと身体が粟立つのを感じたので、僕は必死に思考を止め、迫りくる痒みを我慢した。都会にはこんな金持ち坊ちゃんが一人や二人いても何らおかしくはない。それを否定しても仕方がない。ただ単に自分とは生きる世界が違うというだけじゃないか。
  だから治まれ、赤いぽつぽつ!
「家、寺なんだー」
  神薙がビールを煽りながら言った。
「だから金には困らんね。うちのオヤジはぼったくり坊主だからなぁ、ははは!」
「……跡、継ぐの?」
「寺? んー。分かんない。やる事なくなったら継ぐかもな」
「なら仏教系の大学行けば良かったじゃないか。何でうちの大学入ったんだよ」
「家から近いから? 遊ぶのに便利だから?」
「……あっそ」
  つくづく話す事のない相手だ。
  呆れ過ぎてちょびちょびやっていた酒もどんどんとなくなる。神薙の飲むペースも恐ろしく早くて、僕は田舎の方では割と飲める方だと評判だったのに、全体量ではやや負けてしまい、それも屈辱だった。顔でも財力でも人気でも劣るのなら、せめて酒で勝ちたかった。あ、でも性格は勝っているかもしれない。
「見風は何で実家離れてここに来たの? 何度訊いても教えてくれないし」
  悶々としていると、神薙が話題をコロリと僕に向けてそう訊いてきた。
  僕は少し頭にきていたので不機嫌を隠さずにふいと視線を逸らした。
「お前と長く喋りたくなかったから」
「だから、それが分からん」
  すると神薙は自分こそが面白くないという風にむっとすると、偉そうに腕を組み、睨みつけるように俯きがちの僕をじいと見据えてきた。
「何でこんなにカッコ良くて面白くて非の打ち所がちょっとしかない俺をお前は避ける? 最初はそんなでもなかったのに…。そう、何か、ある時を境に急に避けるようになっただろう?」
「え? 最初の方って……普通に喋ってたっけ?」
  僕が驚いて顔を上げると、神薙は依然として怒ったような顔で頷いた。
「うん。普通に喋ってた。最初の方、結構仲良いと思ってた、俺」
「そうなんだ…。あんまり記憶ない」
  最初は第一印象が大事だから、きっと誰とでもフレンドリーに話していたんだろう。僕も大概、人当たりが良い方だから(顔は無表情の事が多いと言われても、自分なりには頑張っている)。
  でもそうか、最初は何とも思わずに接していたのか。
「………」
  蕁麻疹に気づくようになってから避け出したのなら、確かに向こうにしてみたら「何で急に?」と思うよな。
「お前って、俺のこと見た目で判断してない?」
「え?」
  考えに耽っていると神薙が突然そう言ってきた。その台詞に僕がきょとんとすると、彼は憮然としたまま後を続けた。
「俺が結構派手だからって、目立つからって、女と遊ぶからって。意図的に“そういうの嫌なんだよな”って顔して避けるじゃん。何それ? スゲー感じ悪いよ。どんだけ硬派なんだお前は。田舎じゃ硬派なモテ男だったのか?」
「い…いや、昔から女の子には全然もてなかったけど…」
「知ってる。言ってみただけ」
「むかっ」
  またぽつぽつが増える! 何なんだコイツは!?
  けれど神薙のマシンガントークは未だ止まらない。
「いつもぶすくれた顔してるし、俺のこと見つけるとさっと隠れて距離取ろうとするし。される方の事、考えた事あるわけ? 凄く傷つくんだぞ、友達だと思ってた人間にある日突然避けられたら。そういう気持ち、お前味わった事ないだろう? 俺も今回が初めてだったわけだけど。お前が初めてだったわけだけど」
「友達だと思ってたの」
「は? だからそういうところが残酷だって言うんだ、お前は」
  ぺしりと頭を叩いてきて、神薙はフンと鼻を鳴らし、それから傍を通った店員さんにほっけ2匹目を頼んだ。自分は嫌いで食べないくせに。僕だって2匹はさすがにしんどいよ。
「どうでもいいけど、見風は痩せ過ぎ。もっとちゃんと食べた方がいいぞ」
「余計なお世話だよ…」
「ほら、そうやって人の親切を冷たくあしらう。そんなのが格好いいと思っているなら、大きな間違いだ。直した方がいいぞ。顔も普通で性格がそれじゃあ、誰も相手にしてくれないぞ」
「………」
「ほっけ、好きなだけ食えよ」
  だからもうそんなに食えないって。
「……うん」
  でもそれは奴の奴なりの優しさなのだろう。僕は少しだけ理解した気持ちになって、素直に頷いて礼を言った。
  確かに性格は悪いし、ハッキリしていて疲れるけれど、そんなに拒絶反応が出るほど嫌な奴じゃない気もした。何故神薙を見ると痒くなるのか少し不思議に思った。
  あー、でも、とにかく痒い。
「何で俺のこと見ないの?」
  しかし僕の葛藤をよそに神薙は未だご立腹のようだった。
「あからさまに目線逸らしてさー。本当に酷いよな。最初さ、鑑(かがみ)の社会学概論、まちとむらの定義のとこですげー面白い!って思ったら、見風が俺と同じ所でぶつかって同じ所に疑問持って次の展開考えたとこ、俺凄く感動してたの。皆さ、大学とか言って遊ぶ為に来てるし、男は女とヤル事しか考えてねーし、女は男捕まえる事ばっかだし。ウンザリだろ? 俺は勉強がしたいからこの大学に入ったのに、どいつもこいつも口にしてくるのは遊びに行こうって、そればっかだし。腹立つんだよ、そういうのって。不真面目な奴は嫌いさ」
「………そう、なんだ?」
「そうだろ? なのに、何だよ。同じだと思っていたのに。無視しやがって」
「………」
「俺がチャラ男だと思ったからだろ。俺が女といたから嫉妬したんだろ。あのな、俺はいたくていたわけじゃないの。勝手についてこられてるだけなの。俺がカッコイイから」
「その話はもういい。折角見直しかけてたのにやめろ」
  片手を制して溜息をつくと、神薙は素直に口を閉ざした。
  それから早々にやってきたほっけを見て、空いた皿をてきぱきと店員に渡すと、奴は大皿に乗った旨そうな焼き色のついたそれをずずいと俺の方へ寄せてくれた。それに、残り僅かなシーザーサラダも、全部俺の取り皿に分けてくれた。
  そういえば、最初に小皿や割り箸を寄越してくれたのも神薙だった。
「神薙って、いちいち細かい気配りするんだな」
「上も下も女のきょうだいだからかな。うちは女系家族なんだ。こんなのは当たり前だな」
「ふうん」
「女には優しくしてやんないと駄目だぜ」
  神薙は偉そうにそう言ったが、可笑しかったので素直に「分かった」と答えた。
「俺にも優しくしてやんないと駄目だぜ」
  すると今度はそんな事を言い出したので、これには「何で」と胡散臭そうな顔で返してやった。
「俺は寂しがり屋なんだよ」
  そうしたら神薙はニヤリと笑うと、またあの黒々とした目で僕の顔をじいと見つめやった。それで僕は少しだけそのカッコイイ顔とやらにドキリとして、その時だけ、ほんの一瞬、いつも感じている痒みを忘れた。





「俺、お前が近づくと蕁麻疹が出るんだよ」
  ようやくその真実を語れたのは、それから数時間とりとめもない話をして居酒屋を出た、午前も0時を回ったところで、だった。
「また誘う」
  神薙が当たり前のようにそう宣言したので、「もうこれきりって言っただろ」と言い返したら……奴は「約束はしてない」なんて偉そうだったから。
  僕もまあ、それもいいかなと思ったから、そうしたら、本当の事は言わないわけにはいかなかった。
「何を言ってるんだ?」
  当たり前といえば当たり前で、神薙は僕のその発言に最初は怪訝な顔をし、やがて思い切り不機嫌になって唇を尖らせた。
「何馬鹿なこと言ってるんだよ。じんましんって何だよ」
「赤いぶつぶつとか、みみず腫れみたいのが身体に浮かびあがってくるやつだよ。スゲー痒いの」
「それは知ってる。何で俺が近づくと出るんだ」
「知らないけど、お前が原因としか思えないんだ」
  ほら、と言って腕をまくってやると、最初ほどではないぶつぶつは、しかししっかりとその痒みを主張するように腕一帯に浮かび上がっていた。
「……痛いのか」
「痛くはないけど、凄く痒い。大学入って暫くしてから出始めたんだ。最初は食べ物とか寒暖差のせいかなって思ったんだ。環境変わったし」
「俺なのか」
「何かさ、お前が近くに来るとぞわぞわってして、出てくるみたいなんだ」
「………」
「気、悪くすると思って言えなかったけど」
「今言ったじゃないかよ」
「もう隠しておけないし、さ」
  これからも一緒にいるのなら、という言葉はいえなかったけれど、神薙には通じたみたいだ。少しだけ困ったような、オロオロとしたような顔を見せた奴は、これまたらしくもなく酷く気弱な声になって、俺から少しだけ距離を取った。
「何で俺なんだ? 俺、お前に何かしたか?」
「さあ。してないと思うけど」
「じんましんって、あれだろ。ストレスとかでもなるって聞いた事ある」
「そうなの?」
「俺はお前のストレスなのか?」
「だからそれは謎だって。けど……まあ、俺とは合わない人種とは思ってた」
「何だよそれ!」
「お前だって最初さんざんそう言ってたじゃん」
「あんなの嘘だ!」
「嘘かよ!?」
「嘘だよ!」
  逆ギレのように神薙はそう言い、それから酷く―…頼りない顔を見せて、ぽつと唇を動かした。僕より相当大きいくせに、何だかその仕草は少しだけ可愛かった。元が「カッコイイ」からかなと思った。
「お前とは…俺は合うって思ってた。絶対、合う、親友になれるって。なのにお前が急に避けるから傷ついてたんだ」
「……それは悪い。でもお前、大学では凄く性格悪いし」
「今はいいか?」
「結構」
「……ふうん」
  僕のその台詞に少し機嫌を復活させて、神薙は微かに笑みを浮かべてから、やがてまた元のむうとした顔になって腕を組んだ。
「けど、困るな。俺と会う度にそんなもんが出るんじゃ」
「そうなんだ。だからお前の傍に寄りたくなかったんだ」
「それは駄目だな。困る。俺はお前とこれからも一緒にいたいし」
「………」
「ずっと、いたいし」
「何か…結構アブナイ台詞に聞こえるけど…」
「とにかく、それ治せよ。今すぐ治せ。ほら、触ってみろ」
「や、やめろって」
  距離を取ってくれていたはずの奴がずずいと近づいてきた事で、僕は慌てて自分が仰け反った。この痒みはなった事のある者じゃないと分からない。
  確かに今日の飲み会でそれほど嫌な奴じゃないとは分かったけれど、当分、この拒絶反応がなくなるまでは、やはり今まで通りあまり関わりを持ちたくないと思う。
  それを告げたら、神薙は子どものように「駄目だ駄目だ」と繰り返して首を横に振った。
「そんな事してたって無駄だ、治らない。むしろたまに近づいた時、余計に酷くなって余計お前が俺を避けたらどうしてくれるんだ。え? この際、逆療法で一緒に寝たり、一緒に手を繋いだりして無理矢理慣れさせた方がいい」
「は? 馬鹿か、お前は…何だってそんな…」
「一緒に暮らそうか?」
「だから、何でそうなるんだよ!」
  急激に顔まで痒くなってきた。我慢できなくなってがりがりとこめかみの辺りを掻き出すと、神薙は自分も居た堪れなくなったようになって俺の手首をがっつりと掴んだ。
「掻くなって」
「だって痒いんだよ! わ、馬鹿離せ! ぽつぽつが増える!」
「……これだけで増えてたらこれからどうする」
  ぼそりと言った奴の言葉はあまり頭には入らなくて、僕はただ必死で神薙から離れようともがいた。
  もういい時間の、やや人の入りも寂しくなっている時間帯だ。男二人の訳の分からない揉め事は、きっと遠目から見たらとても異様なものに映っていただろうと思う。
「神薙、いいから離せって…っ。か、痒! 痒いー!」
「駄目」
「駄目じゃないっ。駄目なのはこっちだっての、あ…!」
「煩い子」
「んっ!?」
  神薙は変。
  とても変な奴、だ。
  言葉遣いも時々訳が分からないし、子どもみたいな顔をしてぶすくれる事もあれば、大学では意地の悪い顔をして笑う。皆を従えて偉そうに腕を組んでいるところなんて、若い暴君、どこぞの国の王様みたいだ。
  自分の事をカッコイイと言い、実際カッコイイんだろうけれど、でもそうして自画自賛するから、傍目からすると単なるバカって気もするし。
  でもそれでいて、ちょっと優しいところもある。
「…………だからって」
  いきなりキスする事はないだろう。
「ぽつぽつ、出た?」
  いつもの試すような、挑むような笑みを唇の端に浮かべて、神薙は物凄い至近距離でそう訊いた。互いの息が交わるくらいの位置に身体中が熱くなる。
  神薙はスリムなくせに信じられないくらいの力で、田舎者の僕(この際それはあまり関係ないけど)を雁字搦めにして、僕のファーストキスをいとも簡単に奪ってしまった。
  女の子ともしたことないのに、あんまりだった。
「い…幾らプライドに触ったからって、あんまりじゃないか?」
  声が震えていないといいと思いながら、僕は心の中で半泣きしながらそう言った。未だ奴の唇の感触が自分のそれに残っているようでどうしていいか分からない。ただ、それどころではなかったせいか、身体の痒みは不思議な事に消えていた。
「プライド? 別に、そんなんじゃない」
  神薙はそう言ってから、イイコイイコと自分より背の低い僕の頭をバカにするように撫でてから、今度は髪の毛に「ちゅう」と、音が出るんじゃないかって程の粘着質なキスをしてきた。気持ち悪かったが、多分神薙という「素」が良かったからか、それほど後々まで引きずる不快感はなかった。
  そのカッコイイ神薙様は悠々とした体で言った。
「見風の事、気に入ってるんだ。離れるなんて、駄目だから」
「……嫌だ」
「嫌でも駄目」
  神薙はふいとそっぽを向いてから、何処へ向けて合図をしているのか、ふっと片手を挙げて見せた。
  すると驚いた事に音も立てず、一体いつから待機をしていたのか、黒塗りの高級車がすうと僕らのいる場所までやってきて静かに横付けしてきた。
  そうして、何やら「きちん」とした格好をした老齢の男が忙しなく車から出てきて、後部座席をさっと開けた。
「行こう、見風」
  神薙は当然のように言った。
「何処へ」
  僕が当然のように訊くと、神薙は「うち」とだけ答えた。
「医者呼んでやる。何でじんましんが出るのか調べないとな。俺が原因とは限らないでしょ」
「……まあそうだけど」
「分かるまでは俺と一緒にいよう。他の原因だったとしてもさ、それって心配だよ。何か内蔵の病気かもしれない」
「分かったら帰っていいのか?」
「駄目かも」
  ふふと笑って、神薙はとんと僕の背中を押した。僕は促されるように車の中に入ってしまい、後から乗ってきた奴のどこか爛とした眼を見てゾクリとした。
「お前……やっぱり、怖い人?」
  だから正直にそう訊いたのだが―…神薙は「いつもはそんな事ないよ」と、これには本当に困ったように苦笑した。
  そして言った。
「時々だよ。見風の事になると、本当に時々おかしくなるだけ。……それだけ」
  そうして神薙はいともあっさりそう言うと、僕の肩を抱き寄せて、「はあーあ」と深い深い溜息をついた。
  そうして、僕が神薙を避けまくっていた一ヶ月は、本当に辛くて辛くて死にそうだったんだよと、哀れみを請うように甘えた声を出した。










BLなんだかよく分からん話になってしまった…。
何やら色々すみません(汗)。