教室を出て、階段で



「一条静司君! 新聞部でーす!」
「また…?」
  昼休みの教室にどかどかと入ってきた見知った顔の女子と男子の2人組。学食のパンをかじりながら、午後からの英訳の宿題に躍起になっていた静司は彼らを見てあからさまに憂鬱そうな顔をした。
「もう静司クンは〜。そんな嫌そうな顔しないでよ。いい加減慣れてくれない?」
  腰に手を当てて偉そうにそう言ったのは隣組の森田恵美子だ。静司とは2年の時クラスが一緒だった。
「そうだよ静司。お前のインタビュー記事載せると下級生からのウケ、かなりいいんだからさ。弱小新聞部なんだから、快く協力してくれよ」
  言いながらパシャリとカメラのフラッシュを焚いた眼鏡の男子は、宮城一郎。こちらも隣のクラスで静司とは中学が同じだ。どちらも静司とはそれなりの付き合いだから、いつも気軽な感じで自分たちの良いように話を持っていく。
「というわけで、早速インタビューさせてもらいたいんだけど」
「何を? この間の試合の話はもうしただろ」
  早く宿題を済ませないと次の時間に当てられたら一巻の終わりなのに。
  静司は逸る気持ちのまま、焦れた想いで自分の席の前に立つ2人を見上げた。もっとも静司の性格上、徹底的に彼らを邪険にするという事はできないのだが。
「今回はバスケとは別の話。ズバリ、静司君の好きな女の子のタイプ〜!」
「はあ…?」
  森田の高いテンションに静司が白けた返事をすると、途端相手はむっとしたようになって唇を尖らせた。
「何よそのリアクション! あんたってホント、バスケの時以外は天然ボケなんだから。自分が如何に! どれだけ学校中の女の子たちにモテてるか、全然分かってないでしょう!」
「別に…モテてなんかないよ、そんな」
  静司は言いながら、ちらと教室の隅にいる人物の背中を見やった。
  土村寛和。同じクラスだというのに滅多な事では話ができない。けれど、とても気になる存在。
  本当はもっと話しかけたい。仲良くなりたい。けれど向こうにはその気がないらしく、静司のことなどちらとも見てはくれない。以前など、やっと話せると思ったら「お前むかつく」と言われて終わり。その後もめげずに機会さえあれば傍に寄るようにしているが、如何せん付き合っているグループが微妙に違うのでなかなかそんな隙も見つけられない。
  静司は校内でも相当に有名なバスケット部のホープ。
  対して寛和は学校の行事や部活などにはまるで興味のない帰宅部。
「ちょっと、聞いてんの、こっちの話!」
「あ…何?」
「まったくもう! これだから〜」
「何で皆こんなヌーボーとしたただデカイのがいいのかねえ」
  ぼうっとしていた静司を2人の旧友は勝手な事を言ってため息をついた。
  それでもインタビューをするという気持ちに揺らぐものはないのか、気を取り直したようになり、森田がメモ帳をさっと開いて口火を切る。
「真相はどうあれね。とにかく一条静司は皆の憧れの的なの。記事になるの! だからさっさと協力する! はい、好きな女の子のタイプは?」
「……それが協力を頼む人間の態度かよ」
「いいから、いいから。さあさあさあ!」
  今度は宮城が急かすようにそう言いながらまたシャッターを切った。静司はそのフラッシュの光に目を晦ませながら、いやいやながら口を開いた。
「……元気な子」
「え? 元気な子? ふうん。ま、じゃあ明るいって事ね。あとは?」
「あと…?」
  静司は考えながらまたちらと前方に座る寛和を見やった。何をしているのだろう。さっき友人らと昼食を済ませた後、何故か独りで机に戻ってしきりに何かを読んでいるようだ。もしかして自分と同じで宿題でもやっているのだろうか。自分もそれほど得意というわけではないが、もしそうなら一緒に教えあったりして勉強できるのに。
  寛和と一緒に勉強ができたら、苦手な英訳も楽しそうだと静司は思う。
「もしもーし。静司さーん?」
「あっ…」
「あっ、じゃないでしょ! あとは!? それだけ? 好み、元気な子ってだけ!? 顔とかは? スタイルは? 色々あるでしょう〜もう!」
「え、えっと…」
「静司、素直に全部吐け。森田は納得する形が出ないと絶対引き下がらないからな。ま、それは俺もだけど」
「わ、分かったよ。そ、それじゃあ…えっと、体格は小さい人がいいな。俺より」
「大丈夫よ、静司より大きい女の子なんてそうそういないから」
「男だってお前よりデカイのそういないぜ。お前今幾つよ? 185は余裕で越してるだろ?」
「さあ…。最近測ってないし」
「じゃ、顔は?」
「顔…? まあ…意思の強いきりっとした感じで…。目が大きくて綺麗で…口は小さいんだけど、でもそこから出る言葉なんかは凄くはっきりしてて強気な感じで…」
「何か妙に具体的ね」
「えっ」
「まさか誰かいるの? 好きな人」
「ま、まさかって何だよ…」
  森田の探るような視線に静司が多少狼狽すると、宮城はからかうように目を細めた。
「何だよビンゴかよ。マジで? お前が好きになる奴ってどんなんよ? 何にしろさっさと告白しちまえ! 絶対うまくいくだろーからさ」
「何でだよ」
「お前に告白されて断る女なんかいないって!」
「うんそうね。実際付き合って愛想尽かすってのはあるかもしれないけど」
「何だ何だよ、何の話〜?」
「あ、聞いてよ、静司がさー!」
「……ッ」
  いつの間にかわいわいと周りのクラスメイトたちが集まってきた事で、静司はすっかり慌ててしまった。皆森田たちを中心に勝手に「静司の好きな女の子」の事で盛り上がり始めている。ざわざわわいわいとはしゃぐその声にもみくちゃにされながら、静司は必死に群れの外にいる寛和の姿を追おうとした。人ごみで見えない。
  寛和の背中が見えない。
「あ…!」
  そんな静司は必死に首を突き出して目の前の視界を開こうと四苦八苦したのだが、ほんの一瞬のタイミングでたまたま前方の景色が見られた。
  思わず声をあげる。
  静司を中心にした煩い教室に辟易したのだろう、あからさまに肩で大きく息をした寛和が外へ出ようとしているのが目に入った。勉強道具を抱えている。独りだ。
「俺、トイレ…!」
  静司は思わず立ち上がっていた。
  不満そうな声をあげる森田たちには一切構わず、静司は無我夢中で教室を出ると廊下を歩いて行く寛和を追った。殆ど反射的に起こした行動だった。大股早歩きでその小さい身体をひたすら目指す。
  そして静司は階段の所でようやく声を掛けた。
「寛和」
「………」
  図書室へ向かう上り階段の3段目でその足はぴたりと止まり、寛和は静司の声に呼応するように振り返った。静かな眼差し。けれど、誰にも踏み込ませないというような意思の強い瞳が静司の胸にツキンと突き刺さる。
  静司は黙って寛和のその綺麗な、それでいて可愛い顔をじっと見つめた。
「何だよ」
  寛和が言った。ぶっきらぼうなその口ぶり。やはり自分の事が嫌いなんだと静司は途端暗い気持ちになった。
  それでも負けじと声を出す。
「あのさ…何処行くんだ?」
「何で」
「え」
「何でお前にそんな事教えないといけないわけ」
「……だって知りたいから」
「はっ、お前が知りたいから俺は教えないといけないわけ。何様?」
「………」
  静司がしゅんとした目をすると寛和は途端イラついた目をして声を荒げた。
「見て分かんない? 図書室だよ。俺、この後の英語の宿題やってないからヤバイんだよ。なのに教室、いきなりすげえ煩いし。お前のとこ中心で」
「ごめん」
「………」
「あ、あのさ…。俺もその宿題やってないし。俺も行っていいか」
「は?」
「寛和と一緒に…図書室」
「はあ? やだよ、何言ってんだよ」
  静司の発言に寛和は途惑ったように仰け反ったものの、それを気取られたくはないのか強がった声を出した。
「お前が来るとまた色んな奴らがぞろぞろついてくるし。うざいんだよ」
「……ついて来させないから」
「無理だろ、お前。お人よしだから」
「出来るよ」
「……大体っ」
  意外にも引き下がらない静司に寛和はどことなく顔を赤くして更に声を荒げた。ふいとそっぽを向き、続ける。
「宿題ならお前の好きなその女とでもやればいいだろ。何で俺なわけ? お前、すぐいちいち俺に絡むし」
「………」
「確かに、お前に告られて断る奴いないだろーし。全くいいご身分だよ。だから俺はお前のことなんか嫌い―」
「俺は!」
「な…っ?」
  いつもの「嫌い」という台詞を言いかけた寛和に、静司は思わずかっとなったようになり、その腕を掴んだ。意地っ張りな寛和の腕は、その性格に反してとても細くて弱くて。
  白い。
「な…何するんだよ…っ。離せよっ」
「寛和…」
「離せってば!」
  静司に腕を掴まれると、どんなに力を入れても寛和では振り解けない。それに悔しそうに唇を歪める寛和を静司はいやに冷静な目で見つめた。
「俺、好きな女なんかいない」
「はあっ? どうでもいいから離…」
「いない」
「わか…分かったから。人が見たら…」
「いないよ、寛和」
「静司! 分かったから離せ!」
「………」
  何故だか泣き出しそうな寛和の掠れた声で、ようやく静司はすっとその手を離した。ぱっと腕を引っ込めた寛和はやや息を継ぎ、何故か頬を赤らめて静司の事を睨みつけた。
  そうして。
「バカ!」
  静司に罵声を浴びせると、寛和は逃げるように階段を上がって行ってしまった。静司はそれをじっと見守り、寛和の足音が完全に消えるまでその場にただ立ち尽くしていた。
  寛和に触れたその感触が手の中に残っている。あ、そういえばあの手も大好きだったのだと静司は今更ながら「もう1つの好きなところ」を思い出して心の中だけで手を叩いた。
  図書室に行きたい。でも今行ったら確実に怒られるだろうな。
  そんな事を思いながら、静司は仕方なく元来た廊下をとぼとぼと戻った。往生際悪く、何度かちらちらと寛和の消えた方向を振り返りながら。


×××××


(そんな事もあったよな…)
  公園の噴水前にあるベンチにて頬杖をつき、静司は人気もまばらになった夕闇の中でぼうっと物思いに耽っていた。1人になった時、ふっと頭に思い浮かんでくるのはいつだって寛和の顔だけだった。今頃どうしているだろう、今度はいつ会えるだろう…。高校を卒業してお互いに別々の道を歩み始めてからはますます顔を見る機会がなくなってしまった。
(でも…そうだよ、今は…)
「静司!!」
  その時、遠くから随分と切羽詰ったような声が降りかかってきて、静司ははっと我に返った。
  反射的に声のする方へ向き直りながら立ち上がると、果たしてそのお目当ての人物は真っ直ぐ全速力でこちらへやって来た。
  そして怒鳴った。
「……このバカ!!」
「寛和?」
  久しぶりに会えたと感動している静司をよそに、開口一番寛和が発した台詞はそれだ。少なからずショックを受ける静司に構わず、寛和は自分こそが居た堪れないという風に顔を赤くして声を張り上げた。
「何っで…! お前、待ってんだよっ」
「え?」
「俺…っ。俺、約束の時間、こんな…! 1時間も遅れちまってるじゃんかっ。それなのに何で呑気に座ってんだよっ。何でいるんだよ!?」
「え…ああ。何だそんなの」
「そんなのじゃない!!」
  寛和が怒る理由が静司には今イチピンとこない。にへらと腑抜けた笑顔を浮かべて、静司はごまかすように自らの髪の毛をかきまぜた。
「だって…1時間くらい大した事ないよ。全然気づかなかった、そんな時間経ってるの。そりゃ…2時間も3時間も寛和が来なかったら、さすがに何かあったのかって心配するけど」
「……心配とかじゃないだろ」
  はあと深くため息をついて項垂れる寛和に、静司は依然として不思議そうに首をかしげた。
「それに寛和、今日だって仕事だろ。遅れたのだって仕事が立て込んだか何かなんだろ?」
「………」
「寛和?」
「ああ、そうだよっ。突然機械のトラブルが起きて…! それでごちゃごちゃやってるうちに、気づいたらお前との約束の時間、こんな過ぎてて…!」
「大した事ないって」
「俺っ…。電話したかったけど、お前の携帯の番号知らないし」
「あ、うん、そうだよな。だって寛和がー」
「そうだよ!」
  静司の言いかけた言葉を寛和は喚くように遮った。
「そうだよ、俺が訊かないから! それにっ。俺は携帯もってないから、お前からも連絡取れないだろうし…。それで、俺っ」
「焦って走って来てくれたのか?」
「………」
「無理に誘ったの、俺だし。寛和がそんなに時間気にする奴だなんて思わなかった」
「………」
「ありがとうな。あ、でも急がせてごめん」
「………」
「寛和?」
  ぐっと唇を噛んで何も発しない寛和を静司は心配そうに見つめた。寛和は確かに静司に対していつも当たりが強いが、それ以上に自分に対してもとても厳しい。だから時間に遅れた事がひどく許せないのだろう、寛和らしいなと思った。
  それでも、あまり気にして欲しくはないのに。
「だって寛和、俺嬉しいんだ」
  高校の時だったら考えられなかった。
「前だったらこんな風に2人で会うなんてしてくれなかっただろ」
  あんなに遠かった距離。いつもいつもつっけんどんにされ、避けられていた自分。
「俺、寛和が俺に会ってくれるならいつまでも待てるよ」
「……何言ってんだよ」
  静司の言葉にやっと寛和は口を開いた。ぼそと呟いたその言葉は、精一杯虚勢を張ろうとして見事に失敗していた。
  そして寛和は静司をすっと見上げ、不意に顔を赤くするとまた俯いてしまった。
「寛和?」
「お前やっぱり…」
「え?」
「やっぱりむかつく! でかいから!!」
「ちょっ…寛和!?」
「帰る!!」
「え、えー!?」
  そう言ってさっさと歩き始めてしまう寛和に、静司は慌てて後を追いかけた。折角やっと会えたというのに、今日はこれから2人で食事でもしながら楽しい話ができると思っていたのに、それはないだろうと必死になる。静司は早歩きの寛和に対し、自分はゆっくりのペースながら大股で歩いて互いの距離を縮めつつ、その大好きな愛しい背中に語りかけた。
「寛和、どうしたんだよ、急に。帰るなんて嘘だろ?」
「嘘じゃない…っ」
「じゃ、じゃあ…寛和んちに俺も行く! いいだろ?」
「煩い!」
「寛和…」
「その情けない声もやめろ!」
  怒鳴る寛和の耳たぶは真っ赤だった。
  けれども静司にはそれが一体何を表しているものなのか分からなかった。
  ただこの時は一心に、「どんなに寛和が嫌がっても、自分は寛和についていく」…それだけを頑なに思うだけで。
(俺は…寛和を諦める気なんかない)
  あの時、教室を出て階段で別れた背中を惜しみながら見送った自分。あの頃よりは絶対に自分たちは近くなれているのだからと。これだけはあの頃からずっと決めていた事なのだからと。
「寛和…っ」
  静司は尚も寛和の名を呼びながら、あと少しで手が届きそうになる位置から必死にその後ろ姿を見つめた。











本編前のお話で2人が高校生の頃のエピソード。
+で、現在の2人も書き加えてみました。ちょっと進展中?