ひとりの部屋に



  別に誰がいなくたって平気だ。
  それが寛和の口癖だった。
「俺は独りが好きなんだよ。誰かといたって鬱陶しいだけだろ」
  仲間たちにそう軽口を叩く。そのくせすぐに誰かと遊びの約束を取り付けるのはいつだって寛和自身だった。
  けれどそんな自分に気づかない程に、寛和はいつでも片意地を張って生きていたし、その事をおかしいとも駄目だとも思ってはいなかった。
  それでいいと。
「う……」
  けれどそんな自分が、最近は何だか妙に辛い。
「う、う……」
  時々、疲れが出たなと思う時に見てしまう朧気な夢は、いつでも寛和を苦しめた。

  寛和には何で親がいないの?
  寛和って親に捨てられたの?
  寛和ってかわいそうだね。

  誰が直接そう言ってきたわけでもない。バカにされたわけでも同情されたわけでもない。
  けれどいつでもどこかで誰かがそう言っている気がしていた。
「俺は独りが好きなんだ。家族なんかいらない」
  誰に訊かれたわけでもないのにそう言って笑った。笑うのなんて簡単だった。
  好きでもない相手にうまくあわせてやる事だって。

「お前、うざいんだよ。ついてくんな」

  それなのに、ただ1人にだけはいつでも冷たく接してしまった。

「お前、むかつくよ。俺に近づくな」

  さんざひどい言葉を投げつけているのに、それでも相手は怯まない。それどころか寂しそうに笑って、困ったように笑って、最後には結局寛和の後ろに立っている。

「俺、寛和と仲良くしたいんだ……」

  長身でがっちりとした体躯、運動神経も抜群。力だってある。まともに喧嘩したら絶対に敵わない。
  それでも弱々しげに優しい笑みを向けるのはいつだってあいつ。
  誰よりも人気者、いつでもどこでも必ず誰かが周りを囲んでいるくせに、絶えず熱い視線を向けてくるのはいつだってあいつなのだ。
  どうして俺を見る?
  どうしてお前みたいな奴が俺を気にするんだ。

「俺はお前なんか嫌いなんだよ」

  金持ちの両親がいて可愛い妹がいて。バスケもうまくて勉強だってそこそこできる。顔だっていい。
  何でも持っている。あいつは何でも持っているくせに。

「俺、寛和と一緒にいたいんだ、ずっと」

  揺るぎの無い瞳でそう言われると、寛和の腹の底はずんと重くなって、胸の奥がじくじくと痛んで、頭のてっぺんがつきんとした。

  静司……
  静司、静司、静司………





「寛和…。寛和、大丈夫か……」
「う……」
「寛和っ!」
「……ッ!」
  突然身体がびくんと震え、寛和はその衝撃に押されるようにして飛び起きた。ハアハアと荒い息を継ぎながら目を何度か瞬かせるが、辺りは真っ暗な闇だ。
  落ち着け、今は何時だ。俺は何処にいる……。
「………はあ」
  一体いつ布団に入ったのか分からないけれど、とにかく今はボロアパートの狭い部屋、汚い自分の布団の上で寝ている。
  寝て、いた。
「ゆ、め……」
「寛和」
「わっ!」
  突然掛けられたその声に寛和は今度こそ驚いて身体を揺らした。
  びくびくしながら目を凝らすと、すぐ傍に、それこそ身を乗り出すような形でこちらを窺う見慣れた気配の在るのが分かった。
  段々夜目が利いてくる。相手の顔も薄ボンヤリとだが見えてきた。
「静司…?」
  驚いたようにその名を呼ぶと、相手はほっとしたように息を吐いた。
「良かった、ちゃんと目が覚めて。うなされてたから心配で」
「なん…で…。お前、ここに…?」
「何でって…。まだ意識はっきりしないか? 今日は泊まって行くって言っただろ。キャプテンにも話通してあるからって」
「……泊まる」
  ぽつりと呟いた後、寛和は徐々に昨夜の出来事を蘇らせた。
  またいつものように静司が突然押しかけてきて、その流れのまま2人宴会になったのだっけ。朦朧とする意識の中で、確かに静司は「今日はここに泊まる」と言ったような気がする。
  勝手な事言うなと怒鳴ったはずだったけれど。
「俺……」
「ああ寛和、お前ひどい汗だぞ。着替えた方がいい。このまま寝たら風邪引くし」
「………」
「Tシャツ出してやるよ。どこにしまってあるんだ?」
「………」
「寛和?」
「あ……。そこの、納戸のボックスの一番下……」
「分かった」
  明りをつけないまま、静司はごそごそと這うように移動して寛和が指示した場所へ向かって行った。
「………」
  寛和はそんな静司を見やった後、改めて周囲に目を凝らした。この狭い部屋に、いや元々自分の所に客用の布団などという気の利いた物があるわけはない。けれど一式しかないこれは自分が占領している。
  静司はどこでどうやって寝ていたのだろう。
「お前……」
「ちょっと待てよ。今出すから。あ、これでいいかな」
「こんな寒い部屋でゴロ寝してたら……お前の方が風邪引くだろ」
「え?」
  目的の物を探し当てた静司がまたずるずると這いつつ戻ってきて、ぼそりと声を出す寛和に不思議そうな声を返した。
「ほら」
  それでも寛和を冷やしたくないという気持ちだけが先行しているのか、手にした白い長袖のTシャツをぐいと寛和の胸元に押し付ける。
「早く着替えろよ。あっ…。も、勿論、俺はちゃんと後ろを向いているから…!」
「………」
「ほ、本当だよ? 折角寛和が泊めてくれたのに、下手な事するわけない……」
「下手な事って…」
「え」
「何だよ……」
「え! そ、そ、それは…っ」
「………くそっ!」
  慌てうろたえる静司には構わず、寛和は居た堪れない気持ちを吐き捨てるように舌打ちすると、受け取ったTシャツをぎゅっと掴んだ。
  こんな風に誰かに気遣われたり心配されたりだなんて。
「俺には、必要ないのに…」
「え? 寛和、駄目だよちゃんと着替えないと…風邪……」
「煩いな!」
「わっぷ!」
  静司の何やらごちゃごちゃ言う台詞など殆ど耳に入れず、寛和は着ていたシャツを強引に脱ぐと、それをそのまま静司の顔に投げつけた。
「か、寛和…?」
「それ! 明日洗濯するから玄関横の袋に入れておけ!」
「あ、う、うん。分かった」
「ついでに!」
「え?」
  焦ったように台所へ向かおうと立ちかけた静司に、しかし寛和はぐいとそのジャージの裾を掴み、行くなという風に声を掛けた。
「寛和…?」
「……ついでに明日…お前のこの服も置いてけよ。洗っておいてやるから……」
「え?」
「そしたら次来た時も困らないだろ……」
「………」
「……布団もないボロアパートなんてもう泊まりたくないだろうけど」
「………」
「……? 何だよ何も――」
「寛和!」
「わっ」
  突然感極まったように抱きしめてくる静司に、寛和は思い切り面食らって声を上げた。ぎゅうぎゅうと力強いその両腕に締められて一気に呼吸を奪われる。
「せ…静司、放…ッ…」
「ホントにまた来ていいのか!? お、俺、俺、お前が酔った勢いに強引に泊まったから、もう二度と来るなって言われるかと思って…。ずっと気になって眠れなかったんだ!」
「ちょ……いいから、ちょっ…放…」
「寛和!」
「いた…痛いって…!」
「あ!」
  はっとして離れる静司に寛和はぜいぜいと息を出した後、暗闇の中でぎっとした目線を向けた。
「殺す気か、このバカ力!」
「ご、ごめん…」
「まったく……」
  けれど寛和は去ったばかりの静司の温もりを確かに胸に感じながら、それを決して嫌なものだとは思わなかった。
  むしろそれを手放したくないような、そんな気持ちにすらなっていて…。
「か、寛和…」
「え?」
  けれど寛和がその感覚が何かと考えようとしたところに静司が言った。
  何故か言い淀んだような、そして暗闇の中でもはっきりと分かる赤い顔をして。
「寛和…。その、早く服着てくれないか…? お、俺、きつい…」
「は?」
「その! いきなりお前に抱きついたのは勢いっていうか、その…!」
「……何言ってんだよ?」
  寛和は訳が分からないという顔をしながら、黙って手にしていたTシャツに思い出したように腕を通した。
  そのせいで静司から貰った熱がすっと引いていく。
  それを残念だと思う自分がいた。
「まったく……」
  俺はバカだ。
  こんな自分は嫌だ。いけない。
  そう思っているのに、寛和はすぐ傍にある息遣いを―何故だかひどく焦ったようなその気配を、やっぱりとても心地良く感じてしまった。













静司の邪な気持ちに無頓着な寛和。このカップルも先が長そうだあ…(そんなんばっかりか!)。