君を中心に世界は回る



  全部、ちぃ兄ちゃんのせいだ。
  母ちゃんや智将(ちしょう)もウザいけど、この学校に来ることになったのはちぃ兄ちゃんのせいだから、当分はちぃ兄ちゃんを集中的に恨む。
  そもそも、俺が不良のレッテルを貼られるようになったのもちぃ兄ちゃんのせいだし、智将がおかしくなったのもちぃ兄ちゃんのせいだ……多分。
  俺は、勉強はあまり出来ないから好きじゃないけど、学校は好きだった――小学校までは。
  けど中学にあがったら、「お前があの千尋(ちひろ)の弟か」ってオッサンみたいな顔した見知らぬ上級生に囲まれまくって追われまくって、気が付いたら「学校サボりの常習犯」、「喧嘩の絶えない札付きのワル」扱いだ。学校をサボらざるを得なかったのは、オッサンたちから逃げる為に致し方なくだし、喧嘩が絶えなかったのも、あくまで自己防衛の域を出ない。第一、結局のところ最後に奴らをギタギタにするのは決まってちぃ兄ちゃんか智将だ。俺なんかほんのちょっとしか手を出してない。
  だから俺は不良じゃない。
  あと俺は、部活に青春をかけているとか、ゲームの話ばっかりしているオタクとか、そういうごく普通の奴らと友だちになりたかったのに、みんな俺のバックについている(と勝手に思っている)ちぃ兄ちゃんを怖がって俺のことを避けまくった。だから友だちも全然出来なかった。
  つまり俺の中学時代は孤独との戦い、と言っても決して過言ではない。
  だから高校こそはきっちりとやり直したかったのに。
  何で、どうして、ちぃ兄ちゃんと同じ学校に行かなきゃならない!

【千里(ちさと)。電話に出なさい。】

  教室で適当な席に腰をおろしてから、俺はそのメールを見つけて心底ウンザリした。もう何度も入っている電話の着信やこれらの簡易メールはすでに軽く三桁を超えると思われる。下手したら性質の悪いストーカーだ。嫌がらせ以外のなにものでもない。でも、負けるもんか。俺はちぃ兄ちゃんとは極力関わり合いにならない高校生活を送る。ついでに智将とも。それは当人たちにも何度となく告げているのに、智将はともかく、ちぃ兄ちゃんって人は、何故か生まれた時から俺の日本語を理解できないようなんだ。要は、人の話を聞かない。

「氷上(ひかみ)先輩、カッコ良かったよなぁ」
「カッコ良いなんてもんじゃないよー! 写真やテレビで見るより何倍もイイ男! ああ〜何とか在学中にお近づきになりたいよなぁ」
「ここにいる全員がそう思っているよな!」
「うんうん!」

  全然思ってないけどな。
  ――と、俺は新しいクラスメイトの話が耳に入った瞬間、咄嗟に心の中だけで毒づいた。
  ここにいるみんなは、ちぃ兄ちゃんの正体を知らない。だからあんな風に勝手に美化して憧れるんだろうけど、中学時代の悪行を知ったらたまげるぞ。マスコミも、雑誌が売れるからって今のことばっか書いてないで、よくある衝撃の過去とか何とかでスクープの一つもしてみろってんだ。ちぃ兄ちゃんは3年間「ワル」のレッテルを貼られ続けた俺なんかよりよっぽど大がつく不良だったのに。何なんだ、今の「クリーン」なイメージは…。

「そういえば、隣のクラスの智将って氷上先輩の弟なんだろ? びっくりしたぁ!」
「なあ! あのモデルのCHISYOUがなぁ、まさか兄弟だったなんて! 美形家族なのかな、DNAってスゴイな!」
「ホントだよな。きっと両親もすげー美男美女なんだぜ!」
「妹とかいたら最強だろうな!」

  妹はいないけど、弟ならいる。つまり、俺。
  でも俺は「最強」の顔はしていないし、ホント、あの家族のDNAらしきものは一欠けらも受け継いじゃいない、と思う。それは前から感じていた。実は俺だけ橋の下で拾われた赤の他人なんじゃないかって。
  だからあの家族は余計に俺を構うんじゃないかって。

「へー、北海道から来たんだ! そっちは?」
「俺は名古屋。こっちは内部組だけど、元は静岡だって!」
「面白いな、やっぱうちって全国から人集まるんだ。よろしくな!」
「よろしく〜!」

  入学式が終わった後、いつの間にか教室ではすでに新しい人間関係が形成されようとしていた。皆、それぞれ近場にいる奴に声をかけて気さくに自己紹介を始めているし、中には俺が盗み聞きしていた連中のように、在校生のちぃ兄ちゃんや、同じく有名人・智将の噂話なんかを始めている。
  でも誰も俺に話しかけてはくれない。
  中学時代の不良のレッテルを隠したいから髪型も格好も至ってノーマルだし、顔のつくり自体、派手さはないけど強面ではないと思う。だからこれって「話しかけづらい」オーラがあるとかじゃなくて、単に地味過ぎて気付かれてないだけかも。ああ、思えば友だちってどうやって作ったらいいんだっけ。ここ3年間はちぃ兄ちゃんや智将に恨みのある連中から逃げ回ったり殴り合ったりの連続だったから、人とのまともな接し方が分からなくなってる。

「あの…!」

  しかし、くじけていてはいけない。それに独りでずっと席にいては「根暗」と思われるかもしれない。とりあえずは隣にいる奴に話しかけてみようと、俺は思い切って横の席にいる奴に声をかけた。
  そしてかけた瞬間、後悔した。

「…………悪い。何でもないや」

  こいつも一人でじっとしているみたいだったから「声かけやすい」と安直に判断したのが間違いだった。そいつの顔と身体を見た瞬間、俺の経験がすぐに警鐘を鳴らした。
  これは「やばい系」だ、と。

「話しかけておいて、何でもないって何だよ。気になるだろうが」
「あー…そうだよな、うん。ごめん。でも、話しかけた理由を忘れちゃった。ははは」

  適当過ぎることを言い捨てて、俺はさり気なく外の景色へ目をやった。……正確に言うと、こいつと目を合わしているのが嫌だった。こいつの「眼」は危険だ。たっぱもあるし、まずもって拳がごつい。こりゃ相当喧嘩出来るよ。一見すると細身だけど、筋肉もちゃんとついてるし、何よりこの眼光! この手の雰囲気を持っている奴はなまじガタイだけの単細胞より厄介だ。

「じゃあ俺が話しかけてやるよ」

  しかし、俺はそういう危険な奴に限って絡まれる星の下に生まれているらしい。そいつは問答無用に、今度は自分から話してきた。

「見たところお前も外部入学者だろ」
「うん、まあ」
「お前もここの連中同様、氷上目当てで入学してきたクチか」
「まさか…」

  目当ても何もない、俺は離れたいのに、ちぃ兄ちゃんによって無理やり入学させられたんだ。まぁ母ちゃんも、「千尋と一緒なら安心ね」とか何とか言って、全面的に賛成したんだけど。
  俺のそんな心の呟きなど知るわけもなく、そいつは話し続けた。

「じゃあモデルの智将目当てか? あっちもすでに相当ファンがいるみたいだな。男子校とは思えないぜ、この異様な騒ぎ」
「そうだな…。そういや、ここ男子校なんだよなぁ」

  なのにさっきから、「氷上先輩と付き合いたい」だの、「告白したい」だの凄まじい。元々ちぃ兄ちゃんも智将も男によくモテていたから、俺もそれなりの耐性はあるけど……男子校でそれが露骨だとちょっと食傷気味になるな。
  そんなことを考えていたら、隣の奴が俺をじろじろ見ながら言った。

「ま…お前、見るからに地味だし冴えないし。例えここにいる連中と同じ目的だったとしても望み薄だろうな。――あいつらの趣味は相当だから」
「……何? 2人のこと知ってるの?」

  含みのある発言を不思議に思って聞き返すと、そいつは渋面を作って頷いた。

「ああ、嫌になるほどよく知ってる。そもそも俺は、あいつらの近くへ行く為に、この高校を選んだ」
「え」
「けど勘違いするなよ。色ボケしてやがるここの連中とはまるっきり違う理由だ。……復讐だ。俺はあいつらをぶっ潰す機会を得る為にここへ来た」

  まだ名前も知らないクラスメイトはそう言って息巻いてから、今までで一番殺気立った眼を見せた。俺は驚いた。いや、ちぃ兄ちゃん達を恨む輩の存在がいることはさして珍しくない。2人は持ち前のカリスマ性で昔から大勢のシンパを抱えているが、反面、あの性格の悪さでそれは酷いこともしていたから、一部で恨みを買うこともままあった。だからこそ、弟の俺がそのとばっちりを喰っていたわけだし。
  けど2人も、そういう連中の相手をするのがもういい加減煩わしいってんで、高校では「人を変える」と宣言、家からも離れたこの学校を選んで、文字通りの「別人」に成りすましていた。だから1年早くに「足を洗った」ちぃ兄ちゃんなんかは、最近じゃ本当に穏やかな暮らしを営んでいたと思う。多分。
  それに、そもそもこの学校は成績優秀の子息しか入れない難関校だ。だから今までのすぐ喧嘩売ってきた不良たちがやって来られる学校じゃないはず。……俺なんか、絶対ちぃ兄ちゃんが弄した姑息な手段で合格したに決まっているし。
  だからこの隣の奴は、「復讐」だなんて口にしてやばい雰囲気はあるけど、頭が悪かったらここへは来られない。つまり、「スゴイ不良」の部類じゃない、はず。
  それなのに、そんなインテリ風情にも恨みを買っているだなんて。しかも、2人同時に。

「あの2人に何をされたんだ?」
「………言いたくねェな」
「あ……そうか。立ち入ったこと訊いてごめん」
「訊きたいのか?」
「え? いや別にいい――」
「彼女を寝取られた」
「いいって言うのに…」

  何てこった、一番聞きたくない理由だった。しかも、「女」のいざこざはこれまでにもよく聞いていたが、2人同時ってのはさすがにお初だ。というかあの2人、よく同じ女の子を……呆れてしまう。

「けどそれって、兄弟同士でいざこざにならなかったのかね?」
「知るかよ…。仲良し兄弟なんじゃねーの」
「それはない。これでもかって程に仲悪いよ、あいつら」
「は?」
「あ! いやいやいや……」

  慌ててモゴモゴごまかす俺に、そいつは不思議そうな顔をしたものの、「とにかく」と苛立たしげに机の脚を蹴飛ばした。

「あいつらは俺ら男の敵だぜ。チャラチャラした顔しやがって、それだけでもむかつくってのに、兄貴は俳優で弟は人気モデルだ? どこまで厭味なんだ」
「……確かに」

  天はあの悪魔どもに二物も三物も与えてしまった。それが事の元凶だ。それは言える。だから無駄に人気者になるし、こいつのカノジョとやらも、多分ちぃ兄ちゃん達にちょっと色目を使われてさくっと落ちちゃったんだろう。よくある話だ。こいつには悪いけど。

「で、結局その彼女とはどうなったの」
「あ!?」
「……ごめん、何でもない」

  フラれたな。
  頭の中だけでそれを思って顔を背けると、そいつは俺の考えを読んだのだろう、むぅっとした顔のまま、それでも話をやめないでぼそりと呟いた。

「どうなったか分かんねェから、イラつくんだ。けど絶対、今でも囲われてる……」
「え?」

  意味が分からず俺が顔を上げると、そいつは眉間に皺を刻ませ口を尖らせた。

「彼女を監禁してんだ、あいつら…。それでも前は外の景色くらいは見せていたのに、最近じゃ全然…」
「……ちょっと待て。何だその話?」

  本当に意味が分からない。監禁って何だ。そもそもここの学生寮に入っているちぃ兄ちゃんが寮の中で女の子を監禁なんて出来るわけないし、智将の方がうちにその子を囲っていたとしたら、俺か母ちゃんが気づくよ。だって一緒に住んでんだから。

「そんなこと出来るわけないだろ? だ、第一、もし彼女が行方不明になったんだったら、彼女の家族が捜索願いとか出すだろ?」
「…違う。彼女は…多分、あいつらの親戚か何かだ。だから一緒に暮らしていてもおかしくないし…捜索願いも出るわけがない」
「……えーと。あ、もしかしてこれ、氷上兄弟じゃなくて、違う人の話?」
「違わねーよ! その兄弟だよ! 氷上千尋と、氷上智将! あいつらの話!」

  フルネームで言われ、間違いなく俺の家族、ちぃ兄ちゃんと智将のことだと確認する。
  それでも俄かには信じがたい。さすがのあの2人も、そんな犯罪にまでは手を出さないと思うんだよな。そもそも、そこまでご執心の女の子がいるなんて話、聞いたことがない。ましてや、うちに女の子の親戚はいない。

「……けど仮に親戚で一緒に暮らしているって言うなら、会いに行けばいいんじゃないか? 今や元カレとは言え、全然顔が見られないのは心配だから、とか何とか言ってさ」
「……会いには行った」
「え? そしたら?」
「そんな奴はいないと追い返された」
「……まぁ。実際いないしなぁ」

  今日初めて会ったクラスメイトが、実は俺ん家に来たことがあるだなんて、何か不思議だ。しかもよく分かんない理由で。家族の誰もそんな話題口にもしなかったけど……単なる「おかしな奴」扱いで記憶抹消だったのかな。

「いるんだよ! 彼女は実在する! 何年も通って見続けてたんだ、間違いねえ!」

  しかし俺の呆れた態度に苛ついた顔を見せ、そいつは叩きつけるようにそう言った。
  俺はその勢いと言葉にただただびっくりしてしまった。

「何年もって……何なんだよ、それ。全然話が見えないんだけど」
「………ちっ」
「彼女とはつい最近別れたとか、そういうんじゃないの?」

  しかも「実在する」って何だ。一層状況が分からずハテナマークを浮かべる俺に、そいつはますます渋い顔をしてふいとそっぽを向いた。
  ただ誰かには話したくてたまらないのだろう、俺は解放されなかった。

「俺とあいつらの家とは、学区こそ違うが割と近所で…。あいつら有名人だし、あの面だから、クラスの女どもが手紙だのプレゼントだの渡しに行きたいっつって、よく家まで行くのつき合わされてたんだよ」
「ふうん……意外に優しいんだな」
「は!? か、からかうな! んで……まぁでっかい家なんだよ、それが! 高い塀で囲まれてて、広い庭にはドーベルマンとかがいんだぜ。どこのヤクザ映画のヤクザん家だってな造りなんだよ」
「…………」
「けど…どんだけ覆いをしようが、あの美声は隠せたもんじゃねぇ」
「美声?」

  俺がはたと瞬きすると、そいつは神妙な顔で頷いた。

「ああ。凄く繊細で、流れるようにしっとりした、それ自体が音楽みたいな声だ。マジで……惚れた。一目惚れならぬ一聴惚れってやつだ。それで……よく通ってた。窓からちらっと見える姿も小さくて可愛かった」

  あの殺気立った目つきを緩めたかと思ったら、途端うっとりした顔でそんなことを話す新しいクラスメイト。
  俺はすっかり表情をなくしてしまったが、それでも何とか訊ねてみた。

「つまりそれって、お前の彼女じゃないよな」
「これから彼女になる予定の女?」
「んな無茶な!」

  思わず声をあげると、そいつもさすがに自分の嘘がバレてバツが悪かったのだろう、「煩ぇな!」と悪態をついて再度俺から視線を逸らした。
  だからこそ、俺は話しやすくなったわけだけど。

「……お前さ。お前その…美声とやらの主の顔は、ちゃんと見たことあんのかよ」
「当たり前だろが。遠目だったが、ありゃ絶世の美少女だ。現に、いつもは気取った顔した氷上も智将も、あの子の前じゃデレデレなんだぜ。窓越し、その子のこと囲ってんのがしょっちゅう見えてよ…散々2人でその子のこと撫でまわして…くっそー!」

  思い出して頭にきたのか、そいつはガンと机に頭をぶつけて激昂した。
  激昂したいのは俺の方だったが、とりあえず身内の嫌疑が晴れたことだけはやはりほっとした。

「とにかくさ…。それ、同じ家に住んでんだから、それ監禁じゃないよな。な、撫でまわすとかも、ただの見間違いじゃないの? 単にスキンシップの激しい兄弟とか…い、妹とか」
「俺の調べじゃ、あの2人に女のきょうだいはいない。大体あんな有名人、そんなんがいたらとっくに噂になるだろ」
「まぁ…。じゃ、じゃあ妹じゃくて…弟、とか」

  俺が冷や汗を垂らしながらそう言うと、そいつは急に細い眉毛を吊り上げて「ああ」とぞんざいな返事をした。

「確かに、氷上兄弟にはすっげえ不良の弟がいるらしい。智将の双子の弟で…顔は全然似てなくて、札付きのワルって話だ。つまり、あの子とは似ても似つかない、別次元のクズだな!」
「…………」
「そんなのがいる家にあんな天使が監禁されてたら! 誰だって救いたいと思うのは当然だろ!?」
「いや…うん、だから監禁じゃないだろ、それ? お前の恋心から生じた単なる妄想っていうか」
「あ!? 何か言ったか!?」
「いや、言ってない。言ってないけどね……」

  あー…と片手を顔に当てて、俺は何となく絶望した。早速こんな変な奴が隣の席で、しかもこの学校、ちぃ兄ちゃんも智将もいて。俺が普通の友だちを作って、まともな学校生活を送るなんて、土台無理な話なのかもしれない。
  しかしこの勘違い野郎は相当だ。

  そう、その「美声の持ち主」、「絶世の美少女」って、多分俺のことだ……多分。

  俺は全然そんなんじゃないけど、子どもの頃からピアノが唯一の趣味だから、ちぃ兄ちゃん達にせがまれてよく家で弾き語りをする。これって「札付きのワル」ってキャラじゃないし、俺自身そんな自慢するほどの腕でもないから、このことは家族以外誰も知らない趣味だと思ってたんだけど。
  あれを外から聴いていた奴がいたなんて。

「大体、監禁じゃなかったら、何で急に姿が見えなくなったんだよ」
「単に部屋替えでもして、見える位置からいなくなっただけじゃない…」

  どっと疲れを感じながらも俺は「妄想君」にそう答えた。うん、こいつのあだ名は妄想君でいいだろう、ぴったりだ。
  別に部屋替えしたわけじゃなく、相変わらずピアノの部屋はあそこだけど、ここ最近はずっと受験勉強で音楽は封印していた。ただそれだけのことだ。…そのことを妄想君がここまで心配してくれていたなんて、ちょっと申し訳ないのかもしれないけど…だからって、それが即「監禁」へと発展するなんて、何て突拍子もない発想をするんだ。妄想君恐るべし、だ。

「それにしてもお前さ…言葉も交わしたことないオン…や、奴に、よくそんな…何て言うの、お、思い入れってやつ? そういうの、持てるな…」
「あの歌声を聞いたら誰でものめり込むぜ。如何にも平凡な人生送ってそうなお前には分からないだろうけどな」
「まぁ分かりたいとも思わないが…」
「チサ〜!」

  それは俺が妄想君にぞんざいな返しをした時だった。
  突然 クラスの入口からとんでもなく高い声が響いて、俺はぎくりと肩を震わせた。ああ嫌だ。隣のクラスだからそのうち絶対やって来るとは思ったけど、せめて今日1日だけは会いたくなかった。

「な…氷上、智将…!」

  妄想君が驚愕の目つきで立ち上がった。そしてすかさず剣呑な眼つき。そりゃそうだ、単なる「無茶苦茶な逆恨み」とは言え、長年の恋敵(?)が突然目の前に現れたんだから。
  しかし勿論というかで、智将はこの妄想君を軽くスルー。机も飛び越えて俺に「ドカッ!」と飛びつきながらぶうたれた。

「も〜何でクラス別々なの!? 俺、校長先生に頼んでたんだよ!? むかつく女優のサインつき写真もわざわざ貰ってきてあげてたのにさ! ホントないわッ! 絶対ちぃ兄の陰謀だよ! チサだって俺と同クラじゃないと不安でしょ!? 今からでもクラス変えてって頼みに行かない!?」
「行かない…」

  クラス中がどよめいている。当然だ、ブラウン管や雑誌を通して見る智将はもっとこう…とにかく、こんなはっちゃけたイメージじゃないはずだから。
  でも俺の認識するところの智将はいつもこんな感じだけど。

「あのさ。とりあえず離れてくれる?」
「やだ」
「人前でそうやって抱き着くのやめろっていつも言ってるよね?」
「だってもう3時間くらい会ってなかったんだよ? 式の途中で姿は見えたけど…ホント、死ぬかと思ったよ〜」
「そのまま死ねばいいんじゃないか」

  ………蜂の一刺し。
  いや、そんな生温いものじゃないだろう。どこまでも冷たく、それでいて透き通るようなこの声はいつでもどこでも耳に痛い。俺なんかよりよっぽど「美声」だと思うその声の主―ちぃ兄ちゃん―は、さらにざわめくクラスの連中を物ともせず、すいっと歩み寄ってきて、素早く俺たちを引き剥がした。
  すると勿論、智将が喚く。

「いったい! モデルの身体乱暴に扱うのやめてくれない!?」
「ならその汚い顔を千里に近づけるのはやめようか。千里まで汚れるから」
「ハッ、その台詞そっくりそのまま返すから! ちぃ兄こそ、隙さえあればチサにべたべた触りまくるじゃん! ホント怖気が走るんだよね、そのエロい目でチサが見られ続けてると思うだけで!」
「千里」

  尚もぎゃんぎゃん喚く智将を無視して、ちぃ兄ちゃんの視線が俺に来た。こういう時のちぃ兄ちゃんは本当に怖い。自分だってすぐ智将のこと無視するくせに、自分が無視されることには耐えられないのだ。
  俺の席の前で仁王立ち。さすがの妄想君もその迫力に押され気味だ。

「何で電話に出なかったのかな」
「だって学校じゃん…。学校の中で携帯いじるのは校則違反だから」
「なるほど。じゃあその校則は変えておくね」

  ふっと静かな笑みが漏れるが、その目は決して笑っていない。
  俺は背中に冷や汗をかきながら何とか言い返した。

「そういう無茶なこと言うのやめようよ。特にこんな所でさぁ…」
「こんな所だから言う必要があるんだよ。当人が馬鹿だから気づいていないが、お前ももう分かっているね、馬鹿の1人がお前を狙っていること」

  ちぃ兄ちゃんの視線はあくまでも俺に注がれているが、俺の方はちらりと隣にいる妄想君を見つめやった。妄想君は突然現れたちぃ兄ちゃんたちを前にちょっと硬直している。おい、さっきの勢いはどうした。復讐するんじゃないのか、2人と戦わないのか。……無理か、無理だよな。分かるよ。

「……妄想君はあれが俺だとは思ってないから大丈夫だよ」
「面白いあだ名だが、今は笑えない。バレるのは時間の問題だと思うし。だからお前の警戒心の薄さを諌めようと思って呼び出していたのに」
「もう平気だよ〜。中学生じゃないんだから!」
「ちょっと、何の話!? 俺のことのけ者にして、2人で話さないで欲しいんだけど!」

  智将が不服そうに頬を膨らませた。お前も、お前のこと憧れているクラスメイトが見ているんだから、そんなイメージが違う顔をしたらダメだろう。
  でも2人は構う様子がない。
  いつだってそうなんだ。この2人は何でか、俺のことを構いたがる。そして、俺に近づく奴らには本当に容赦ない。
  ……そう、結局。だから俺は普通の友だちを作ることがいつまでもできないんだ。

「お、おい…。お前、こいつらと知り合いなのかよ…」

  やっと少し立ち直った妄想君がぼそりと俺に話しかけた。俺は曖昧に頷いたものの、何となく妄想君のびびり具合が可愛くて、「もうこの際、ここにいる妄想君と友だちになろうかな」なんて考えた。まだちぃ兄ちゃんたちと戦う気概がある分、こいつならつるんでも平気だと思うし。
  けど、そんなことを思っていた矢先。

「千里。良からぬことは考えないようにしようか」

  ああ、そう。俺の考えっていつでもまったくオミトオシなんだよな。

「いい? 千里」
「うがっ!?」

  ちぃ兄ちゃんはいきない「がっ」と俺の頭を片手で掴んで、それこそ無理やり俺の顔を自分の方に向かせた。怖い。だからちぃ兄ちゃんは嫌だ。
  でもちぃ兄ちゃんは俺ににっこり笑って言い放つ。いつだって、その不敵な瞳で。

「千里は俺のだよ。それをいつでも忘れないようにね」




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