泣き虫ロボット
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―2― けれど、雅のそんな単純な想いが叶う事はなかった。 「なあ砺波先輩。今日も来てるなあ」 「うん…」 時田の紹介で始めたアルバイト先のファミレス。 その店内の端にある席に座って何やら勉強をしているのは、雅が必死に避けたいと思っていた相手、立科砺波だ。 「まあ、お陰でうちは女性客が増えたって事で店長大喜びだけどな。しっかし、しょっちゅういるよなあ、ホント。何なんだ一体? あの人も部活辞めたのか?」 「さあ…」 あまり砺波の話題を振らないで欲しい。そう思いながら、雅は努めて興味がないというフリで空いた席をてきぱきと片付け始めた。 雅が部を辞めた事を砺波に知られたのは、部長に退部を告げたその日のうちだ。恐らくは東沢が「雅君が辞めると言ってるから説得に行け」とでも言ったのだろう、放課後にはすぐに砺波がやって来て、あのいつもの仏頂面で雅を睨みつけてきた。 「どういうつもりだ、藤村」 「すみませ……」 一体どうして自分が謝らなければならないのかと思わないでもなかったが、この整った顔に凄まれると、好きな相手だからという弱味も相俟って、雅は途端弱気になった。 辺りをきょろきょろ見回すと、案の定廊下の向こう側には砺波の取り巻き連中がいた。こちらを冷めた目で見やっている視線がとても痛い。どうせ「また砺波の気を引こうと思って辞める真似をしている」とでも取られているのだろう。 考え出すとどんどん暗い気持ちになった。 「何で部を辞めるんだ。部長は金の問題だと言ってたが?」 「そうです……アルバイトしなくちゃならないので……」 今にして思うととても良い理由が見つかった。それにこれはあながち嘘でもない。我がままで入れてもらった私立校だから、部活に打ち込めなくなった分、妹の麻奈の為に今からお金を貯めるのはとても有意義な事に思えた。 けれど砺波は何故か納得してくれない。 「何も部活を辞める必要はないだろ。週のうち何回かは部に顔出して、残りをバイトでもいいだろうが」 「中途半端は嫌なので……」 「ちっ!」 雅が頑として受け入れないのを悟ったのだろう、砺波は思い切り舌打ちをしたかと思うと、意外や早くに荒い足取りで去って行ってしまった。そう、砺波にしてみれば部長に頼まれて引きとめに来ただけだから、せいぜいがこの程度の喰い下がりだろう。雅は安心半分、失望半分の気持ちを抱えたまま、「たとえ嘘だったとしても、これまでお世話になった分くらいはお礼を言えば良かった」とちらとだけ思った。 けれど、それで終わりになるはずだった砺波との縁が、何故か切れない。 「おい、注文入った。藤村行けよ」 「何でいつも僕なんだよ…」 砺波の注文が入るとすぐに雅を行かせようとする時田に、雅は思い切り不満そうな顔を見せた。 「だって先輩がそう言ってんだもん。“お前じゃなくて藤村寄越せ”って」 「えっ……何で……」 「そりゃあ、フツーに考えて、俺のばっちい顔に頼むより、キレーなお前に頼む方が気持ちイイからだろ?」 「また何言ってんだ…」 時田は折に触れ雅の顔をそう言って誉めたが、当の雅はそれを素直に受け取った事などない。家族以外で雅を誉めてくれた人間などこれまでにいなかったし、いくらか付き合って分かった事だが、時田はとにかくお調子者だ。どうせ無愛想な砺波が苦手なのだろうと思い、雅は仕方なくとぼとぼと「恐怖のテーブル」へと向かった。 「今日は何時に上がるんだよ」 目の前に着いた途端、そう訊かれた。雅は思い切り面食らった。 「え? あの、ご注文は……」 「何時に上がるんだって訊いてる」 「じゅ…22時です」 「何でそんなに遅いんだ…っ。危ないだろうが!」 無遠慮に不満そうな顔を見せる砺波は、別段注文の為に雅を呼んだわけではないらしい。以前にも雅が高校生としてはラストの22時までの勤務だと教えた時に「遅過ぎる」と文句を言い、「親は何も言わないのか」と憮然としていた。 何も言うも何も、家族は雅が部活に打ち込んで帰りが遅いと思っているから、実に良い事だとニコニコしていて、文句など言い様はずもない。バイトを始めて直一ヶ月になろうとしているが、雅は未だ家族に部活の事を話せていないのだった。 本当は雅とて時々虚しくなる事がある。家では相変わらずロボット制作の研究を続けているが、独りきりでは限界というものがあるし、やっぱり高校の部活で大会出場を目指して頑張りたかった。 誰に何と陰口を叩かれてもいいから続ければ良かったのかと思う事もある。一方で、ロボット選手権は人間同士のチームワークが本当に大切な競技だから、自分が残ったとしても2年に外されて悔しい想いをするだけだなんて無理矢理納得したりもする。……そんな不毛な考えの繰り返しだ。 「藤村」 ぼうとしたままテーブル席の前に立っていると、砺波がイライラしたように口を開いた。 「今日、バイトが終わったら俺に付き合え。お前に見せたいもんがある」 「えっ…何ですか」 驚いてすぐに訊き返したが、砺波は素っ気無くふいと視線を逸らした。 「何でもいい。家にはダチんとこに泊まるとでも言っておけ」 「えっ…あの…」 「約束したからな」 「いや、その……」 そんなの、困る。 そう思ったけれど、雅が断る前に砺波はもう席を立って店を出て行ってしまった。何て強引なのだ。どうしようと逡巡したものの、砺波はもういない。雅は仕事を急かす時田に促され、仕方なく砺波が去って行ったテーブル席を慌てて片付け始めた。 ただの冗談であって欲しかったが、店を出ると待ち構えていたようにそこには砺波が立っていた。 雅はザッと青褪めた想いがして、仕事後の疲れとも併せて軽い眩暈を覚えた。 この人、本当にとんでもなく意地悪な人なんじゃないだろうか?――真剣にそんな事まで考えてしまう。 自分の想いを知っているからこそ、この人はわざとこんな風に構ってくるのかもしれない。そしてこちらが勘違いしたところをまっ逆さまに突き落とそうとしているとか―…。 「何ぼけた面してんだ」 酷い口調で雅を罵り、砺波は「来い」と偉そうに言った後はさっさと先を歩き始めた。雅がついてくると信じて疑わない様子だ。さすがに少しむっとした。どうしてバイト疲れで早く家に帰りたいのに、この人の言うなりにならなければならないのか。先輩と言っても今は部活も辞めた身で、もう関係ないただの「同じ学校の上級生」というだけだ。嫌なものは嫌とはっきり言う権利があるような気がする。 「何処行くんですか」 それでもそのはっきりとした「NO」を突きつけられなくて、雅はそんな己に腹立たしいものを感じながら砺波の長い足に必死について行った。 「学校」 「が、学校…? こんな夜に……開いてないですよね」 「だから忍びこむ」 「えっ」 いきなり何を言い出すんだ、この人は。 雅は思い切り途惑いながらさすがにぴたりと足を止め、「そんなの」と口篭った。 すると砺波も後ろをついてくる気配が消えた事に気づいたのか、ちらりと振り返ってきて足を止める。 「そんなの駄目ですよ…。見つかったら怒られるし」 「見つからなければいいだろ。大丈夫だ、忍びこむ為の手はずは整えてる」 「だ、だから、何でわざわざ忍び込まなくちゃいけないんですか? 見せたいものが学校にあるなら、明日になってからでも――」 「昼間じゃ無理だから今誘ってんだろうが。つべこべ言ってんじゃねえよ、鬱陶しい奴だな!」 「な…っ」 そこまで言うなら、もう本当に放っておいてくれればいい。 ここ一ヶ月、頼みもしないのにいきなりバイト先のファミレスに現れて。雅は知っていた、砺波が来るのはいつでも雅が店に出ている時だけだ。他の日は来ない。でも、そんな事のせいで時田からでも噂が広まっているのか、それとも取り巻きが気付いたのか、「砺波が行くファミレスを狙って藤村雅がアルバイトをしている」なんて全く逆の噂が流れ始めてしまった。折角部活を辞めたのに全く意味がない、雅は相変わらず「砺波を狙っている気持ち悪いホモ」で、「下級生のくせに遠慮というものがない」、「図々しい奴」として、今や2年の取り巻き連中からは完全に敵対視されていた。しかもその余波はそろそろ1年にも波及しそうである。 だから一緒になんて居たくないのだ。砺波と一緒にいる事は雅に何の得もない。 むしろ損ばかりだ。 もう好きなんかじゃない! 「僕、やっぱり帰ります…!」 雅は普段は青い顔を真っ赤にしながらそう叫び、いつもの「お得意ダッシュ」で砺波から逃げ出そうとした。砺波からこうして背中を向けて駆け出すのは何回目だろう。そう思いながら、またしてもじわりと涙が浮かんでしまう。全く情けない。ロボットだったらこうはならない。涙なんて流さないで済むのに。 「そう何回も逃がすと思うのか?」 「あっ!」 いきなり手首を捕まれてぎくりとして振り返ると、すぐ目の前に砺波の綺麗な顔のアップが映し出された。 「先ぱ…っ」 「元々お前を捕まえるのなんて簡単なんだよ、体力ないくせに無駄に走り回りやがって。いい加減無駄だって気付け。……俺からは逃げられない」 「な、なに……」 「いいから、来い!」 「ひっ」 殺気立った声でそう凄まれ手を引っ張られ、雅は思わず悲鳴を漏らした。恐ろしい。何やら砺波を怒らせたらしい。本当は怒りたいのはこっちなのに、どうして砺波ばかりがこうもカリカリしているのだろう。思えばこの人の笑っている顔なんて一度も見た事がない。いつもむすっとしていて、雅を睨みつけて。雅は何もしていないのに、イライラとした様子で言わなくても顔が「このバカ」と呟いている。 そんな事は知っている。あの部活を辞めようと決めた前日、砺波が「バカだ」と言っていたから。 「が、学校に連れ込んで、リンチでもするつもりですかっ」 「は? 何言ってんだ……」 切羽詰まって言った雅の台詞を、しかし砺波はまるで相手にしなかった。 「だっ…」 けれど雅はそれによってますます興奮したようになり、声を荒げて引っ張られている腕を振り払おうとそこにも力を込めた。 「だって、きっと、2年の先輩とかと調子乗るなってボコる気なんだっ。そうでしょ!? で、でも、そんなの酷いですよっ。僕は、だから部活も辞めたし、先輩に纏わりつくのだってやめたじゃないですか!? それなのに、先輩の方から僕のところに来る! ぼ、僕は必死に避けてるのにっ!」 「……やっぱり俺を避けてたのか」 その悲痛な叫びに砺波がぴたりと足を止め、言った雅をじろりと睨み据えた。 「な、何を…っ」 けれど雅とてもう黙ってはいられない。じわりと浮かんだ涙もそのままに、更にぶんぶんと掴まれた腕を振り解こうと暴れながらヤケクソに声を上げた。 「避けるに決まってるじゃないか! せ、先輩…っ、僕のこと、名前も覚えてないけど、バカって! 気持ち悪いって! 適当に合わせるのも疲れるんでしょ!? だったら合わせなくてもいいよ、別に頼んでないっ! な、なのに……ぼ、僕は、僕はただ、あの部で先輩とロボコンに…っ」 「何の話だ…? それよりそんな……な、泣くな」 珍しく砺波の狼狽する顔がぼやけた視界に飛び込んできたが、雅は自分が喋る事に必死でそれに構っていられなかった。 「とぼけないで下さい! 先輩が言った! 僕のこと、気持ち悪いって! 不細工には興味ないって! どうせ―……どうせ、僕なんかキモいロボットオタクだよ! 悪いか!」 「…何、言ってんだ…。訳分かんねェ…」 「言った! とぼけるなよ、言ったんだよ! だから、部活にももういられなくなった! 迷惑なら、いたくなかった! 僕は独りでだってロボット作れるし!」 「ちょ…藤村、お前、落ち着け…っ」 「煩い! いいから、離せってば!」 どんなに乱暴に腕を振っても砺波からの拘束は解けなかった。 それでもここまで来ると雅も後には引けず、涙がぼろぼろに流れている酷い顔のまま、砺波をぎっと睨みつけて「離せよ!」と何度目かの抗議をした。 「最低だ、先輩は!」 「……部活辞めるって言ったの……そのせいなのか?」 「今さら何だよ!」 「あれか……あの……ああ、あいつらとの会話か。お前……聞いてたのか」 ふと砺波の眼差しに過去の記憶を蘇らせたかのような色が灯った。雅はそれに微かドキンと胸を高鳴らせたが、興奮から荒くなった呼吸を整えるまでには至らない。依然として何とか砺波の手を解こうと、もう片方の手で引き剥がしを試みたが、手錠のように強固なその手は頑として外れない。雅の掴まれている手首はじんじんと痛んだ。 「痛いよっ」 だから殆ど泣き落としのようになってしまったが、最後にはそう訴えて叫んだ。 「うぅ…痛いっ」 「あっ…」 するとそれで我に返ったのだろう、砺波がぱっと、今までの固い拘束を嘘のようにあっさりと離した。 「悪い」 そうして謝った後、砺波はしかしすかさず、今度は雅の掴まれていなかった反対側の手を握った。 「なっ…」 「こうしないと、お前逃げるだろ」 「嫌だ、離…っ」 「駄目だ。とにかく……話なら学校で聞いてやるから、今はとにかく一緒に来い」 「嫌だ!」 「な…」 あまり人に拒絶された事がないのだろう。雅の半ばヒステリックなまでの拒絶に砺波もさっと鼻白んだ。 雅はそれを遠くの意識で認識もしていたが、もう砺波にどう思われようがどうでも良かった。だって自分はもうこの人の事を好きでも何でもないのだから、と。 「離せよっ、嫌い! 先輩なんか…っ」 「チッ…!」 「い―…」 けれど雅がもう一度逆らおうと声を上げようとした瞬間だった。 「んっ」 突然砺波に唇を塞がれ、雅は目を見開いたまま硬直した。 「んんっ…」 自分が一体何をされているのか理解出来ない。けれど今まさにすぐ目の前に映る砺波が宥めるように己の背中を撫でてきて、掴んでいた手首を離し頬へ優しく愛撫を仕掛けてきた事によって―…雅は自分が砺波に突然のキスをされた事を知った。 「な………」 ただそれはほんの数秒に過ぎず、唇を離されるとそれが現実であったかはすぐに分からなくなった。 何故って、それをしてきた砺波が当たり前みたいに平静とした様子だったから。 しかも雅が絶句して何も言えないでいる中、砺波は再び雅の手を優しく握り締めて言った。 「お前が俺を避け始めた理由は分かった。なら次は俺の番だろ。俺にも説明させろよ、あの時ああ言った事」 「何を――」 「とにかく、リンチとか……そんなバカ気た事もあるわけねーんだから。とにかく来い」 「……っ」 ぐいぐいと引っ張られて再び夜道を歩かされながら、雅はしかしその後は何も言葉を継ぐ事が出来なかった。 砺波の自分の手を握る右手がいやに温かかったから。 「わぁ…これ…!!」 本当は無理矢理化学室の窓から忍び込まされた事に怒っていたはずだった。 そもそもここまで無理矢理連れて来られた理不尽な仕打ちにも言いたい事は山とある。 けれど全ての不満を雅はこの時一瞬にして忘れ去ってしまった。 「MUの胴体部まで完成してるなんて…!」 「部長と2人だけでほぼ徹夜だ…。あんな臭い奴と一緒に連日徹夜だぞ? もっと誉めてくれても罰は当たらないがな」 「凄い…っ。あ、ここのアームの部分、改良したんですね! 関節のところがうまく曲がらないからって部長が凄く苦労してたけど…キットごと替えたんだ?」 「高くついたけどな。お陰でその先は割とすんなりいった。後は頭部の調整が少しだけ残ってるけど、そこはお前の分だって部長も残してる」 「え…?」 入部後すぐに設計から制作にまで携わっていたロボット「MU」を縋りつくように眺めていた雅は、砺波の突然の言葉に驚いて振り返った。 機械工学部の活動場所として許されているこの化学室の一角は、思った程には広くもなく、活動には不向きな場所だ―…が、これでも厚遇されている方だった。隣にある準備室も機器の物置として使わせてもらっているし、試作品のMUを置いているのもそこだ。 砺波がその一角から完成80%、難関だった胴体部に至っては殆どパーフェクトに仕上がっているMUを持ってきた時、雅は全てを忘れた。これまで独りで小さな玩具みたいなロボットを作ってきたのに、高校に入ってから初めて合作として制作に携われたのがこのヒト型ロボットMUだ。ヒト型と言っても、二足歩行に二本の腕がついている以外は如何にも張りぼてなそれなのだが、それでも雅にはMUがどんなロボットよりも愛しいものに思えていた。 何にしろ、初めて他人と力をあわせて作ろうとしていた初めての本格ロボットだったから。 部活を辞めて、もうその姿を見る事すらないと諦めていたのに。 「頭部を僕にって……? どうして?」 「お前は、本当は部活を辞めたくて辞めたわけじゃない。そうだろ」 「それは……」 「最初は部長が言ってた“経済的理由”ってヤツを俺も信じたよ。……けど、その割にはお前の俺への態度が明らかに変わっただろ。入部してからはずっと俺について、いつでも笑ってたお前が急に……何なんだって、イラついた。お前は俺と擦れ違っても無視するか逃げるみたいに顔逸らして反対方向へ飛んでっちまうか……とにかく、俺を汚い物でも見るみたいに避け始めて……」 「だ、だって…それは先輩が…」 「ああ、分かってる。さっきのお前の台詞でやっと分かった」 悪かったよ、と。小さく小さく呟いて、砺波は決まり悪そうに顔を歪めた。それから雅とは一定の距離を取ったまま暫し逡巡した後、思いきったように口を開く。 「あいつらに知られたら面倒だと思ったんだ。俺の気持ちを」 「気持ち…?」 「ああ。だからこれまでだって、本来なら関わりたくもない他のバカ共にも、なるべく公平に見えるように接してた。……なのにあいつらが鎌掛けてきやがるから……あそこではああ言う他なかった」 「何の……話なんですか?」 「だっ、だから、あの時の台詞なんて全部嘘っぱちだって事だ!」 「嘘…?」 「そうだ!」 「僕のこと気持ち悪いって言ったのも?」 雅の台詞に砺波は実に心外だという顔を見せた。 「俺の記憶じゃ、俺自身はそんなこと言ってないと思うがな。ただ、お前の事なんか知らないってフリをしただけだ。……それだけだろ」 「……だって」 「まぁ、あいつらがお前に妙な目を向けてるのも気に喰わなかったしな。あそこで互いに牽制でもさせておけば都合もいいと思った。……なのに肝心のお前が辞めちまって。あいつらはこの間部を辞めさせた。どうせ何の目的もなく俺についてきてただけの奴らだ」 「辞めたって……え?」 展開についていけずに雅が目を白黒させていると、砺波は再度イライラしたように舌を打ち、それから雅の目の前に近づいた後、ぐっと自らの顔を近づけた。 「だから戻って来い。部の中を整理したらお前を呼び戻すって事は部長にも話してある。だからあいつもこれを必死に作り上げて、仕上げのオイシイとこはお前に取っておいてやろうって頑張ったんだよ」 「部長さんが…?」 雅が何となく復唱すると、砺波は「ああ」と頷いた。 「あいつには…借りがあるからな。あいつがおふざけでもテレビ局に宣伝ビデオなんか送らなけりゃ、お前はこの学校に入っていないだろ? ……お前は絶対国立のロボコン常連校に行くと思ってたから…お前がうちに来た時はマジで震えた。それも俺が出ていたあの番組を見たからだと聞いて…だから、最初はPRの時だけだって約束だった部にも今のまま籍を置いておく事にしたんだ」 「な、何で……先輩は、僕のこと……?」 「知ってるよ、雅」 突然名前で呼んできて、砺波は不意のキスを雅の唇に落とした。 「やっ…」 「お前の事は昔から知ってる。お前が俺を知らなかっただけだ」 「そん―…」 そんなと言おうとしたところを、けれど雅は再び砺波に唇を取られて声を失った。どうした事か、憧れの砺波に何度も口づけをされている。都合の良い夢でも見ているのかと訳が分からなくなり、雅はぼうとしてされるがままにキスの雨を降らされてしまった。 「ちょっ…せんぱ…」 けれどさすがにやばいと気づき、雅が逆らうような所作を示すと、砺波は逆に無言のまま雅の身体を激しくまさぐってきた。雅はそれにびくんと率直な反応を返し、触られた箇所の熱さに翻弄された。 「あ…っ」 どうして砺波がこんな事をするのか分からない。まるで「好きだ」と言われているようだ。 「雅」 「ひぅっ…」 そうこうしているうちに砺波は雅の服の中に手を差し入れ、雅の平な胸をまさぐってきた。その指先が胸の突起を探り当ててぷつんと押し潰してくると、雅はそれだけであられもない声を出してしまった。足に力が入らなくなり、そのままがくりと膝を折る。 「やっ…」 恥ずかしい。恥ずかしくて堪らない。 「なん…何で、やめ、せんぱ…」 けれど砺波の方は先刻キスをしてきた時と同様、やはり平然とした顔をしていた。多少荒い吐息が顔にかかってはいたが、囁いてくる声は冷静なものに感じる。 「折角…」 その砺波が言った。 「折角いい奴ぶってお前を手懐けたと思っていたのに……お前が俺を避け始めた時、俺がどんなにイラついたか分かるか? 今日はこれまで溜まった分、全部返してもらうからな」 「何…? や…やだよ先輩…っ」 「黙ってろ」 「やぁ…っ」 ズボンごと下着を下げられて剥きだしになった下半身に雅はいよいよ慌てた。やばい。とにかく猛烈にやばい。その手の事には極端に疎いけれど、少なくとも砺波が何をとち狂っているのか自分に「欲情」している事だけははっきりと分かる。 それに、砺波だけではない。 「ひぁっ…」 気づけば砺波の掌に包み込まれ、激しく扱かれ始めた雅の小さな分身も、いつの間にやら過度に興奮して異様な昂ぶりを見せている。 「はぁ、は…っ、あ…あぁ…っ」 砺波に弄られているというだけで頭がおかしくなりそうなのに、この感じた事のないグラグラとした昂揚感は何だろう。ロボットの事ばかり考えて連日徹夜をしていた時、所謂「トランス状態」みたいになって頭が変になった事はある。あの言い知れぬ恍惚感も類に見ない快感ではあるが、家族は「二度とするな」と烈火のごとく怒っていたっけ。もしかすると今されている行為も、気持ちは良いのだけれど、「やってはいけない」禁忌なのではないだろうか。 「先輩…先輩…」 「砺波でいい」 「砺波せんぱっ…あ、ああ…や…やめ…ひぁっ」 いよいよ激しく擦られて、雅はあっさりと己の精を発してしまった。勢いよく発射したそれは砺波の綺麗な手を濡らした事は勿論、自分のお気に入りのシャツや肌蹴けさせられた剥きだしの腹にも容赦なく掛かってしまう。 何だか情けなくて涙が出た。 「う…うぅ…っ」 「バカ。泣くな」 砺波が慰めるようにちゅっと優しいキスを瞼に落としてきた。おかしい。酷い事をしてきたのは砺波なのに、その砺波にちょっとこんな風にされたくらいで雅の気持ちは酷く落ち着いてしまう。そうこうしているうち、その連続したキスとは別に、雅の精のせいで濡れた砺波の指先があるまじき場所をまさぐってきたが、雅は驚きこそすれ、それに逆らう事がどうしても出来なかった。執拗なキスから逃れられないからというのもあるが、自分を優しく抱いてくれる砺波の腕をどうしても引き剥がせなかった。 「んっ…んぅ…ふ…」 互いの舌が絡め合う濃厚なキスに雅は酔った。やっぱりこれは夢に違いないとも思う。こんな非日常な事が起こるわけがない。砺波のしつこいキスは現実じゃない。あろう事か身体の中をまさぐっているこの物凄い感触だって、きっと全部嘘だ。 「い…痛…っ」 夢の割には痛覚は何故か何かをしきりに訴えてきてはいるが、それでも夢の砺波が「大丈夫だ」と言っているから、きっと大丈夫なのだろう。 「雅……雅……」 それにこんな風に柔らかく呼んでもらえる。この一ヶ月間、とても辛かったから凄く嬉しい。たくさんのキスも、信じられないくらいに甘い。 「先輩…?」 「雅……いいか?」 「何…」 この期に及んでも雅は己に起きようとしている事がよく分かっていなかった。都合の良い夢を信じるならば、砺波が自分を「気持ち悪い」と言っていたのは嘘だし、MUは完成しているし、何だかよく分からないがぎゅっと抱きしめてもらっている。砺波の熱っぽい視線に吸い込まれる。いつの間にか化学室の埃っぽい床の上に押し倒されている格好ではあるが、別に寒くはない。 「雅…」 「先輩…?」 横たわった雅の上に覆いかぶさるようにしてきた砺波を雅はボー然と見つめていた。散々中心を煽られたせいか、それともしきりに奥をまさぐられていたせいか。身体に力が入らない。それなのに砺波は雅の両足を左右に割り開き、その中央に自身の身体を挟みこむようにして自分の怒張したモノをズッと差し込んできた。 「ひっ…い……」 あまりの衝撃に雅は苦痛に歪んだ顔を浮かべた。痛いし、苦しい。砺波のしている事が信じられない。やっぱり現実とは思えない。 「い…あ……ひぃ…っ」 「雅…っ」 砺波の切羽詰まった声が遠くで聞こえる。身体の熱はすぐ近くに感じるのに、何だか妙な事だった。また自分自身の喉の奥からも酷い声が漏れ聞こえて、雅はガンガンする頭を必死に奮い立たせながら、今や全く自由の利かなくなった下半身を薄っすらと見やった。 「ひ…っ」 砺波のモノが自身の奥に深く突き刺さっているのが見える。途端、じわじわと恐怖が襲ってきて雅は悲鳴をあげた。 「やあぁ…っ。あ…んんっ…!」 「雅…っ…」 覆い被さってきた砺波が宥めるように腕を伸ばしてくる。それでも雅は「嫌っ」と叫んで今さらぼろぼろ涙を落とした。 「やだっ、やだ、先輩っ。先輩、抜い……」 「今さら…無理、言うな…!」 「ひっ…、あ、あぁっ」 途端ズクンとした衝撃を与えられて、雅の背中は思い切り仰け反った。けれど途惑う暇もない。その後も砺波は激しく雅の中で己のものを抜き差ししながら、ズンズンと激しく腰を使い始めたのだ。 そもそも何が起きていたのか分かっていなかった雅には相当のショックだった。 「やっ、あっ、あぁっ!」 意思とは反してゆさゆさと揺らされる身体が命令通り動くロボットみたいだと思った。砺波のロボット。砺波の言う通りに動く従順な。 「あぁ…あっ、あっ…ん…!」 おまけに自分があっさりと射精した時とは違い、砺波には全く果てる様子がない。中を何度も擦られ、身体を揺さぶられているうちに、雅自身もその感触が痛みなのか快感なのか分からなくなっていった。 ただ分かっている事は。 「雅……好きだ……!」 多分、これは夢なんかではなく、紛れもない現実だということ。 砺波の熱い視線も声も、欲情する身体も。 全部ホンモノだったのだ。 それから数日後の、機械工学部部室。 「雅君っ。マジック、美術部の子が貸してくれたよ!」 「わあ、ありがとうございます!」 「これでちょっとは華やかになるよね」 「はい」 にこにこと嬉しそうに笑う東沢に、雅も深く頷きながら満面の笑みで返した。 「んなもん、パソコンでちゃっちゃと作ればいいだろうに」 ほんわかしているムードの中、1人だけ面白くもなさそうにしているのは、相変わらずの仏頂面・砺波だ。 ただその部室には部長の東沢と砺波、それに雅の3人だけだ。 「仕方ないだろ。俺も雅君もパソコン苦手で、手作業の方が早いんだから。唯一の使い手もまるでやる気ないし」 「当たり前だろ。別に部員なんか集まらなくていい」 「駄目だよ! ロボコンに参加するのに、部員が3人じゃやってられない」 ふいとそっぽを向く砺波に東沢がむっとして反論する……が、当の砺波には何も響いていないらしい。先刻から簡易机に向かって必死に「機械工学部・部員募集中!」のポスターをせっせと作っている雅を抱きかかえるようにして後ろからちょっかいをかけている。砺波の関心は雅「で」遊ぶ事だけのようだ。 また、雅は雅で、そんな砺波のスキンシップに良い意味でも悪い意味でも馴らされてしまった。後ろから引っ付かれて腕を回されていると描きづらいとも思うのだが、あんまり逆らうと何をされるか分からないので表立った反論も出来ない。 砺波が自分の取り巻き連中を全て追い払い、且つ「本当にロボット造りがしたい者」だけを選別していったら、結局部には東沢と雅しか残らなかった。元々大した活動もしていないクラブだ。砺波のテレビ出演で当初こそ野次馬のように数が集まったが、実際の厳しい部活内容に辟易し、去って行く者が続出するのは必然だった。 「大丈夫。きっとまだ隠れオタクがどっかにいるはずだから、粘り強く探していこ!」 東沢はそんな風に言い、ごつごつとした骨ばった手を力強く振り上げた。目標は「夏休みまでに最低2人の部員確保」だ。その為、活動の合間にこうして宣伝ポスターを作ったりするのが常となっていた。 「また余計な奴が集まったら面倒なのに…」 ぶつぶつと不平を言う砺波だけがやる気レス状態だ。 それでも東沢が言うには、「雅君がいる限りは砺波も戦力に数えていい」らしかった。 雅には全く信じられない話だったが、砺波は昔から――それこそ、雅が小学生の頃から、雅に仄かな恋心を抱いていたらしい。 「引っ越しで雅君の地区から出なきゃならなくなった時さぁ、こいつ泣いてたもん。だから、興味ないロボット作りだって適当にだけど協力はしてくれてたしね。俺のこれに付き合ってれば、いつか雅君と再会する事があるかもしれないって。案外ロマンチックな奴なんだよ」 砺波とは幼馴染だという東沢はあっさりとそんな事を言い、元々は自分が腕試しに出場した事のあるロボコン小学生大会で雅を見たのが始まりなのだと教えてくれた。 雅もその大会の事はあまりなかったイベントという事もあってよく覚えているが、あの時は作ったロボットのネジが飛んでしまってすぐリタイアになったから、そんな風に自分を気に掛けてくれた人間がいたというだけで驚いてしまった。 そして何にしても、と東沢は言う。 「感情の乏しい顔だから普通の人には分かりづらいと思うけどさ。雅君がうちの学校入ってきた時は天国にいるみたいに浮かれてて、部活辞めるって聞いた時は地獄に落とされたみたいな絶望の顔。こいつってばホント凄かったよ。ロボットにもこういう表情の移り変わりを覚えさせられたら面白いな」 「宗司郎……お前、余計なこと言うなよ」 「今さら隠したってしょうがないだろ?」 もうそんななくせに、と、東沢は雅を猫可愛がりしている砺波の態度に呆れたような顔をした後、肩を竦めた。 「まあ、何にしても雅君が戻ってくれて良かった」 「すみません…色々」 「いいのいいの。元はと言えば悪いのは全部そいつなんだから」 何度上げてもずり下がってしまう黒縁眼鏡をくいと指先で上げ、東沢は実に興味深そうな顔を向けた後、「ところでさ」と言った。 「雅君、何だかほだされたみたいに砺波の良いようにされちゃってるけど。嫌だったら嫌って言っていいんだよ? こいつって強引だろう?」 「え?」 「なっ……宗司郎、てめ…!」 「だって、雅君戻ってきてくれたのは嬉しいけど、何か砺波があまりに図々しいと思ってさ」 「……っ」 砺波が東沢の言葉にぐうの音も出ないようにぎりと歯軋りして黙っている。雅は後ろを振り返りながらそんな普段は完璧なはずの先輩を物珍し気に眺めた後、「ふふ」と小さく笑って肩を揺らした。 そんな雅に2人の上級生が不思議そうな顔を向ける。 だから雅は慌てて首を振り、「すみません」と謝った。 「あの……何か、僕、こういうの初めてだから。嬉しいなって」 「嬉しい?」 「はい。だってこれまではずっと独りで、友だちはロボットだけだったし。それに…」 もう一度ちらりと振り返り見て、雅は砺波に遠慮がちな視線を向けた。 「やっぱり砺波先輩はテレビで見て思った通りの優しい先輩だったから。良かったなあって」 「……雅君は人が良過ぎるなあ」 感動のせいか何も言えずに固まっている幼馴染をよそに、東沢が代わりとでも言うようにのんびりとそんな感想を漏らした。 「……?」 雅は部長の言葉に微か首をかしげならも、一方で不意にぎゅっと強く腰に回された感触にはっとして、それから―…嬉しそうに笑った。 確かに砺波は不意に有無を言わせぬ強引なところがあるけれど、それも人間だから味わえる楽しい「翻弄」だ。あの初めての行為の後、さんざ泣き喚いてしまった雅を相手に、砺波は困ったように何度も雅の頭を撫でながら言った。 雅の事が大好きなのだ―…、と。 部室の中央にはあの夜見たMUがどっしりとしてその存在を主張している。まだ完成には至っていないけれど、直にそれも叶うだろう。 雅はその愛機を眺めた後、後ろにいる砺波にももう一度笑顔を浮かべてから、手にしたマジックできゅっと勢いの良いブルーラインを引いた。 それは少し曲がってしまったけれど、とても綺麗な色をしていた。 |
了 |