―2―



  園田がその場で固まっていると、富良野は再度「何だぁ」と肩で息を吐いた後、ちょんちょんと園田の指先に触れて笑った。
「まあー、世間なんてそんなもんですよね」
「何…?」
  まともに思考回路が働かない園田の返しに、富良野はまた息を吐いてから笑った。
「眞人さんだってそう言ってたでしょ? 眞人さんがゲイだって分かった時にあのオッサンが何言うかなんて予想通り過ぎて、むしろ笑えたんじゃないですか。あのクソ豚ですもんね。まぁでも、例えそういう輩じゃなくても、大半の人間は驚くでしょうけど。俺だって最初聞いた時はびっくりしたし」
  言いながら富良野がすっと顔を寄せてきたので、園田は咄嗟に身体を退いた。
  がたいのある富良野は間近で見るとより迫力があるし、本来なら害のないはずの笑みも、今は何かを含んでいそうで怖いとすら感じる。
  実際、今の富良野が何を考えているのか分からず、園田は沈黙した。
「あのねえ、眞人さん」
  その富良野が今度は園田が逃げる前にその頬に手を伸ばし、触れてから言った。
「良かったです」
「は…? 何が…」
「眞人さんの会社、ロクなもんじゃないですって。これでよく分かったでしょう。確かに世間的にはそれなりの優良企業かもしれませんけど、大きい分、個人がやれることなんてのも限られているし。むしろ眞人さんみたいな人はうちに来た方がもっといい仕事が出来ると思うんです」
「……何を言っているんだ」
「えー? だからぁ。今の所辞めて、うちに来ればいいんですよ。俺、もう上には話通してあるんです」
「………はぁ?」
  富良野が何を嬉々としてそんな話をしているのか、園田には全く理解出来なかった。
  言葉が分からないわけでは勿論ない。富良野は園田に今の会社を辞めて、自分が働いている会社へ来いと言っているのだ。園田が何年も辛抱して必死に培ってきたあの職場での信用を、やっと念願の部署に来られて仕事も覚え、さぁこれからという時に。
  “あんな会社は良くないから、自分の所へ来ればいい”――そう、言っているのだ。いとも簡単に。
「お前……それで……うちの上司に俺のこと話したのか……?」
  喉が掠れて声がうまく出ない中、何とかそれだけ尋ねると、富良野はいともあっさり頷いた。
「ええ。世間じゃ随分認知されるようになってきたなんて言われてますけどね。アメリカだってゲイだと知られるのは自殺行為だって所は多いし、眞人さんみたいな会社でこれがバレたら、どうなるかは明白ですよね。それは眞人さんだって分かってましたよね。だからなるべく誰にも言わないで来たし、俺にこのことを告白する時だって随分勇気が要ったって話していたでしょう? 確かに俺も、男が男を好きとかってそういうのかなり差別意識あったから、聞いた直後は驚いたというよりちょっとショックだったって言うか、何か眞人さんに裏切られた気もしましたけど」
「裏切られた?」
「そうでしょ? だって俺、純粋に眞人さんのこと慕っていたのに、そんなこといきなり聞かされたんですよ、焦りますよ、普通は。もしかして俺、これまでそういう目で見られていたのかって最初聞かされた時は正直ちょっと引き気味でしたしね」
  いささかも躊躇することなく、富良野はぺらぺらとそんなことを喋った。
  確かに園田は富良野に自らの秘密を打ち明けた。けれど園田は、富良野に恋愛感情を抱いていたから話したわけではない。良い友人になれたと思ったから、一緒にいて楽しい相手でこれからも良い付き合いをしていきたかったから、だから本当の自分を見せただけだ。富良野に対し好きだから付き合ってくれとか、そういった類の告白は一切していないし、勿論富良野が言うように「そういう目で見ていた」わけではない。今は、と訊かれると、その境界線も危ういものになってはいたが、少なくともゲイなんだと告げた時の自分に邪な想いは一切なかった。富良野がノーマルな男だとは分かっていたし、そもそも、いつだったかは忘れたが、富良野が「今はフリーだが、彼女にしたいと思う女性なら社内にいる」と照れたように話してくれたことを園田は忘れていなかったから。
  だから、ただ純粋に。
  富良野なら差別しないで受け留めてくれるだろう、そう思っただけだ。
  もしもそれを甘えと取られたのなら、それなら確かに富良野には重荷だったのかもしれないが。
  園田はようやく心を落ち着けながら冷静に口を開いた。
「迷惑だったんなら謝る……。あんなことを急に聞かされて、もしも人に話さないでいることが負担だったのならそれも――」
「いえ、それはもういいんです」
「え?」
  眉をひそめて視線を上げる園田に富良野は苦笑して首をかしげた。
「だから。引き気味だったのは最初の時。最初聞かされた時はって、今、言ったでしょ。今はもういいんです」
「でも、なら、何でうちの会社に――」
「だから言ったでしょう。眞人さんをうちの会社に入れたいからだって!」
  何で分からないかなあ、と。
  呆れたように小さく独りごちる富良野を園田は信じられない気持ちでまじまじと見つめた。
  元から奇抜なアイディアや人と違う視点で問題に取り組む姿勢が「異端」で、故に富良野と組んで仕事をするのが楽しかった面も多々ある。富良野はノーマルな男だけれど、アブノーマルな自分と比べても、よほど「おかしな男」だと、園田が思うところは多かった。
  けれど、だから「仕方がない」などと言って許容できることではない。
  何故ってこんなこと、あまりに勝手過ぎる。
「お前こそ……自分で何を言っているのか分かっているのか?」
「分かっていますよ。ね、一緒に仕事しましょうよ!」
「今だってしていた。今回の担当は変わったけど、でも」
  言いかける園田を遮って富良野は突然不愉快そうに口元を歪めた。
「ああ、そうそう! 今回俺の担当が眞人さんじゃなくなったのも、こうしようと思ったきっかけですね。何なんですかね、あの豚オヤジ! 俺は変わらず眞人さんと組みたかったのに、いきなり違う奴指名して。それで眞人さんはって見れば、今度新規参入してきたNPOの企画担当になっているでしょう? むかつきましたよ、何でよりにもよってあんなボランティア団体が普通にこっちのプレゼンに対抗してくるんですか?」
「組織の性質は関係ない。お前、そういう言い方やめろ。うちはより良い企画を持ってくる所と仕事をするだけだ」
「そんなこと言っても、今回のが出来レースだなんてこと、うちの奴らはみんな知っていますよ。佐藤がもう堂々と宴会の席で言っていましたからね。それより、眞人さんが担当していた所ですよ、そういう言い方って何ですか、事実でしょ? ああいう団体だから若い奴多いし……、俺より唾つけたいって思った男、いました? 実際ちらっと見ただけですけど、眞人さんの担当になった奴の一人、大学生みたいでしたよね。何か眞人さんにやたら馴れ馴れしくして――」
「だからお前は何を言ってるんだ、さっきから!」
「だからあッ! 何で分かんないんだ、あんたこそ!」
「ぐっ!?」
  思わず叫んだ園田に富良野も同じくらいの声量で応酬してきた。
「う…くっ……」
  しかも、それだけではない。富良野は突然ぐいと園田の首元を片手で掴んできたのだ。園田はあっという間に息を止められた。何が起きたのか咄嗟に理解出来ず、反射的に自分を押さえつける富良野の片手を両手で引きはがそうとしたが、びくともしない。
「……っ」
  押さえられるままにふらふらと足をもつれさせながら後退した。それでも首に掛かった負荷は消えず、園田はその苦しさで自然視界をぼやけさせた。
「ねえ、眞人さん」
  それなのに富良野はいやに冷静な声で園田を呼んだ。よく通る凛とした声だった。
「本当にね、どうしてくれるんですかね。責任とってもらいたいんですけど」
「…っ…責、任?」
  ようやく少し手枷が軽くされ、園田は小刻みに息を吐きながらそれでも必死に言葉を返した。富良野の言っている意味が分からないし、知りたかったから。

  …………いや、俺は、本当は分からないふりをしているだけかもしれない。
  だって「こうなった」のは決して初めてではない。
  ああ、そうか。もしかして、「また」起きてしまったのか。

「眞人さん」
  園田の葛藤など知る由もなく、富良野は園田の身体を片手だけで部屋へ押し戻し、そのままがくりと膝を折る園田に覆いかぶさるようにして顔を近づけた。そうなってさえ未だ片手は首元から離れはしなかったが、もうそこに締める程の力は込められてはいない。実際これ以上やられたら死んでしまう。
  それが恐ろしくもあり、明らかに様子がおかしい富良野に園田もまともな抵抗を返すことは出来なかった。
「眞人さん」
  その富良野がまた呼んだ。
  そしてその場に押し倒した園田の上に完全に跨って、富良野は笑った。
「俺、男なんて勘弁です。実はね、眞人さんが初めてじゃないんだ。俺、何だか結構昔からモテていたから、女だけじゃなくて男からも言い寄られたことあるんです。何べんもとは言わないけど、それでも2、3人くらい会ったかな。本当、最低ですよね、あれって。気持ち悪いにも程がある、お前自分が何なのか分かってんのかって。身の程を知れって。大学のトキ、真面目な顔して俺に告ってきた不細工な男に、わざと気があるフリして、大勢の前で笑いもんにしたこともあるんですよ……」
  園田が何も言わずじっと富良野を見つめていると、富良野はそんな園田の様子を眺めてから一人自嘲した。
「眞人さんが怒るのももっともです。同じ立場としては眞人さん、許せないですよね、そういうことする奴。俺も、だから今は反省しています。眞人さんに会ったからね。でも、あの時は俺の方こそが被害者だと思っていたから、そういうのにも罪悪感はなかったな」
「今は……あるのか」
「そいつにって言うより、眞人さんみたいな人も全部ひっくるめて差別していたことは悪かったと思っています」
  富良野のズレた懺悔に園田は言葉もなかった。
  けれど富良野は構わず続けた。
「今まで会ってきたゲイの奴って、眞人さんみたいに線が細いわけでもないし、何て言うか、もろ男って感じで。ホント気持ちわりーなって、やっぱりそういうのは今も思いますね。何ていうか、俺はもしかすると普通よりも極端にそういう人種に嫌悪感があったのかもしれないです。……だからね、眞人さん。眞人さんが、『実は俺ゲイなんだ』って俺に言った時、ね。分かります? 俺の心境」
「富良野」
「俺に心許してカミングアウトしてくれたんだって嬉しさより、マジかよって。ホント、最悪じゃんって。だってあんたのこと、俺は働いている会社こそ違うけど、互いに本物の良い仕事が出来る最高のパートナーだって思っていたし。先輩として尊敬もしていたし」
「だから……そこまで嫌な想いさせていたなんて、気づかなかったのは悪かった。けど俺はもう、お前とは関わらない。上司にもそう言われたし、お前の望み通り――」
  園田のその言葉を、しかし富良野はすぐにまた掻き消すように嘲笑ってから大きくかぶりを振った。
「だからぁ。今のは全部、『最初の時は』ってことですよ。何回も言っているでしょう。大体、今はこっちがスカウトしているんだからいい加減察してよ。打ち明けられて最悪って思ったけど、昔からゲイなんて奴、むかつくほど大嫌いだって思っていたけど、でも! あの日から、俺の頭にはあんたしかいないんだ」
  振り絞るようにしながら一気にそう力強く告げた富良野は、尚もまるで責めたてるように続けた。
「あんたのことばっかり頭に浮かんで、あんたのことしか考えられない。それこそ、もうそっちの意味で俺の状態は“最悪”なんですよ。あんたが俺以外の誰かにこんなこと打ち明けるとこ考えたくないし、あんたが俺としたような仕事を別の誰かとするところなんてさ、想像しただけでどうにかなりそう」
「意味が分からない……頼むからどいてくれ」
「……嘘だね。さすがにもう、分かったでしょ。俺の気持ちも分かったでしょ?」
  ねえ、と。
  囁くように、まるで場違いな甘えるような声色で、富良野は園田の耳元で呼びかけ、それからちろりと、園田の耳元を舌で舐めた。
  園田の全身はそれでゾクリと泡立った。
「富良野…っ」
  いよいよまずいと身体を揺らしたが、一度堰を切って話したことで抑制が利かなくなったのか、富良野はそんな園田を更に強い力で押さえつけながらすっかり興奮した眼で言った。
「眞人さん。俺、眞人さんとなら出来ると思う。だからさ……いいでしょ?」
「嫌だ! やめろ富良野、冗談――ぐっ…!」
  あまり人から拒絶された経験がないのかもしれない。
  煩いと口元で呟いた富良野は途端殺気立った表情に変わり、噛みつくように園田の唇を奪った。
「んぅ…っ」
  それは唇の皮が破れるのじゃないかと思うほど乱暴なもので、およそ普段の温厚で柔らかな笑みを向ける富良野とはかけ離れていた。富良野が異常に興奮しているのが分かって園田は本当に今度こそ恐怖した。

  どうして。
  どうして、自分が好きになる男は「こう」なるのだろう。
  優しい、いい奴だと。傍にいて心地良いと思って安心しかけると、いつも「こう」だ。

「ねえ眞人さん…っ。眞人さんも俺のことが好きでしょう?」
「ふざけるな…!」
  いや、富良野の言う通りなのだろう。
  きっと最初から好きだった。何だかんだと理由をつけつつ、そんなわけはないと自分自身に対して嘘をついていたけれど、きっと富良野の言う通りなのだ。
  好きだったからこそ、自分の秘密を打ち明けたのだ。富良野の言う通りだ、心の奥底ではこうなることも望んでいたのかも。心の奥底では。
  でも意識の表面では。今、頭に浮かぶ自覚している部分の気持ちは。
  こんな風になる富良野を見たくないし、こんなのは嫌だと思う。
  嫌だ。富良野にこのままなし崩し的に抱かれるなんて、自分をバカにされたように感じる。
「お前…っ。彼女にしたいって子…!」
  園田を裸に剥き、夢中になって胸にしゃぶりつく富良野へ向けて園田は必死になって訊いた。そうだ、それに富良野は子どもも大好きだしたくさん欲しいから、なるべく30になる前には結婚したいと言っていた。本人も言うように、富良野は仕事も出来るし器量も良いモテる男だ。彼が望めばそんな夢なぞ何なく叶うだろう。やっぱりこんなのは間違っている。
  一時の気の迷いで全てを台無しにしないで欲しい。
「そんなこと気にするなんて、やっぱり俺のこと気にしてくれてたんだ」
  けれど富良野はそんな風に言ってようやく余裕が出てきたように目を細めた。
「嬉しいな、眞人さん。それってヤキモチってやつでしょ」
「……もう、何でもいい。何でもいいから、その子の為にもこんなこと…んっ!」
「あはっ。可愛い……ちょっと指で胸弄っただけでも感じるんだぁ。うん、やっぱり眞人さんは可愛い。ここもおいしいし……」
「富良…っ」
  既に十分赤く熟れたようになっている胸の突起を再度口に食まれて、園田は声を飲みこんだ。びりりと全身に走る電気のような刺激で頭がおかしくなりそうになる。富良野が揶揄するように、まだ胸を吸われているだけなのに。
「眞人さん」
  富良野が囁いた。
「大丈夫……あんな女なんて……俺もう無理だから。だって俺はもうほら、眞人さんのことしか見えていないんだから」
「富良野……あっ!」
「はは……。大丈夫大丈夫、同じ男だからこそ、触って欲しい所も分かるし、触り方も心得ていますからね。出来ればもっと女みたいに喘いでくれたら、最高」
「嫌だ、富良野、嫌……あ、あぁっ…!」
  富良野は、男は初めてだと言う割にはいやに手際が良かったし、自分だけでなく園田を悦ばせる術にもよく精通していて巧かった。
  園田は富良野にされるがまま、その夜自宅アパートの一間しかない部屋で無理やり抱かれた。
  けれどそれを強姦とまで言い切れるのか、それは園田にも自信がなかった。
  最初こそこんなことはダメだと抵抗もしたが、富良野のあまりに優しい手淫や口淫に溺れ、あられもない声すら出して富良野を受け入れたのは園田自身だ。久しぶりのセックスは園田の理性を断ち切るには十分過ぎるくらい強烈な刺激だった。……お陰で事が終わった後は今までにないくらい最低な気分だったが、対する富良野の方はとんでもなく上機嫌で、行為が終わった後も随分と長い間園田の身体に縋りついたまま離れず、しつこいキスも何度も繰り返し、何度も触れてくる始末だった。
「これってもう恋人同士って言って良いよね?」
  しかも富良野はそんな風におどけておいて、園田を脅すようなことも言った。
「既成事実も出来たことだし。会社、なるべく早く辞めて下さいね。でないと俺、今夜のこともいつ誰にバラすか分かりませんよ?」
「なん……だって、お前……だって、そんなこと、お前だって困るだろう、そんなこと言ったら」
「えぇ? 俺は困りませんよ? 言われて困るのは眞人さんだけでしょ」
  富良野はあははと笑ってから、最後の最後まで園田を傷つける言葉を吐いた。
「だって俺はゲイじゃないもん」
「………」
「俺の言うことを聞かないと、本当に困るのは眞人さん。分かります? 眞人さんはね、もう俺には逆らえないの。俺のことは怒らせない方がいいですよ」
「……分かった」
  だから園田はそう応えた。
  応えて、後は、ただもう眠りたくて目を瞑った。





  園田が自らの性癖に気付いたのは中学生の頃だが、親にも、これまで仲良くしていた友人たちにも、当時はそのことを打ち明けようなどとは欠片も思わなかった。
  何故って、世の中は差別に満ちている。
  人は「いけにえ」を見つけるのがとてもうまい。といいうより、いけにえを作るのが好きだ。誰か1人、自分たちが所属する集団の中から「異端」と思う者を選び出し、そいつを徹底的に虐げる。嘲笑い、虐げて、その作業を全員で遂行することで集団全体の統制を図り、団結力を高めるようプログラミングされている、そういう生き物なのだ。
  だから、浮いてはいけない。絶対に自分がその「異端」だと悟られてはいけない。
  そのせいか、園田は親さえも近寄り難いと思うような堅固な壁を作ったし、高校へ上がる頃には親しい友人の1人も作れない警戒感の強い少年になっていた。同性に対する関心は捨て去ることが出来なかったから、時折学校内で、バイト先で、自分にとってきらりと光る男性に憧れては思い焦がれていたが、それだけで園田には十分満足だった。そうした相手にも秘密を打ち明ける気はなかった。一生この秘密を抱えたまま、生涯独身でいようと決めていた。
  けれど。
「俺……実はゲイなんだ。女の子は可愛いと思うけど、恋愛対象としては見れなくて……」
  やっぱり寂しかったのかもしれない。初めてカミングアウトしたのは高校3年の時、2年の時から同じ委員も一緒にしていた、気のいい親切なクラスメイト。
「あの……気持ち悪いと思うかもしれないけど、実は俺、ゲイなんです」
  2度目は大学3年の時だ。相手は1歳年上のゼミの先輩。
  いずれも「彼こそは」と思って打ち明けた。告白はしていない、好きだったけれどその想いを伝える気はなくて、ただ、「俺は気にしないよ」、「これからも良い友達でいような」なんて台詞を期待して、園田はその2人の男に自分の秘密を暴露したのだ。
  そして結果は2人とも、最初こそ驚いたけれど「差別」はしなかった。富良野のように「裏切られた」だの「最悪」だのという言葉も決して口にはしなかった。
  ―――ただ最終的には、富良野と「同じ風」になった。豹変したのが後々だった分、富良野のあけすけな言い方の方がまだ潔いというか、正直だと言えないこともないくらいだ。
  彼らは園田に無理やり行為を迫りながら言ったのだ。

  俺のことが好きなんだろう? だったらヤらせろよ!
  お前のこと知っているのは俺だけなんだろう? 俺だけが頼りなんだろ? 
  だったら俺に従え!

  多分、自分に問題があるのだろうなと園田は思う。だって、みんな最初はとても良い人だった。本当に。あんな風に人が変わったみたいに横柄で、独占欲が強くなって。
  園田のことを「普通」と見てくれなくなるなんて。

  そんな大好きな人を見ているのが辛くて、だから、園田はその度に彼らの前から姿を消した。
  一度目の時は高校生ということもあって向こうも限度を測れなかったのか、園田への束縛がどんどん過剰になって異常になって、園田も親に打ち明けるしかなくなった。そうして親からも罵倒され軽蔑されながら、園田は遠方の全寮制高校へ3年の秋という時期に転校し、大学もそのまま親元を離れたその土地の学校に進学した。
  二度目の時も同様だ。相手の先輩が園田に常軌を逸した執着を見せ始めて、当時その先輩には彼女もいたのにドロドロの三角関係に発展。とても耐えきれなくて、園田は大して興味もない海外留学制度を利用して1年間、異国の地でほとぼりが冷めるのを待った。お陰で卒業が1年遅れてしまったが、高校の時と同様、距離を取ると途端、不思議なくらい相手の園田への気持ちは冷えて消滅し、風の噂で2人とも「まっとう」な生活に戻ったことを知った。
  だから。
  今度もきっと、これまでと同じだ。





「結構空いているもんだな……」
  窓際の指定席に落ち着いてから、園田は数日前に購入していた新幹線のチケットを見つめて息を吐いた。
  思った以上に簡単に、そしてあっという間に会社を辞めることが出来たから、今日の日までは実にスムーズだった。
  富良野とのことがあってからすぐに、園田は上司の佐藤に退職願を書いて持って行った。
  一生懸命働いていたはずなのに、園田は自分があそこに何も残していなかったと思い知らされたことが一番悲しかった。佐藤はにやにやしながら「意外に早かったな」とすぐにその封書を受け取り、後は意味もなくひらひらとそれを振りかざして「さっさと出て行け」と言ったきり、もう一瞥もしなかった。残務処理等を考えてその後も何日かは部署に留まったが、佐藤は勿論、既に話が広まっているのか、これまでの同僚らも園田に近づいて良いことはないと判断したのか露骨に避けるものだから、針のムシロとはまさにこのことだと思った。
  でも、こんなもん、なんだよな。
  新幹線の窓際の席でぼんやりと通りのプラットホームを眺めていた園田は、富良野と寝た翌日、「お前の会社に行くよ」と嘘をついた時のことを反芻した。
 富良野は信じられないくらいあっさりと園田の言うことを信じ、園田が驚くほど喜ん で「ありがとう、良かった」と言って園田に抱き着いた。その様子はこれまでの、「スキンシップの激しい奴だなあ」と驚きながら、それでも不快にならない小気味良さを感じるもので、園田の胸を激しく突いた。
  けれどだからこそ、昨晩の富良野が恐ろしかった。
(でも俺がいなくなれば、あいつは元に戻る…‥。前の2人と同じように)
  そう、憑き物が落ちたみたいにいともたやすく、悪夢でも見ていたかのような顔で、彼らは「正常」な世界に帰る。彼らをおかしくしてしまう自分さえ姿を消せば、富良野は元の女の子が好きな好青年に戻るのだ。

  そしてきっと本人の希望通り、あいつは30を待たずに結婚することになるだろう。

「トラックは今どのあたりかな……」
  時計を見ながら園田は独りごちた。
  今日は空っぽになる部屋を富良野が発見することがないよう、会社が終わったらそのままお前の部屋へ行くからと告げていた。丸一日の出勤だと嘘をついたが、実は会社に行ったのは午前中の少しの間だけで、午後は引っ越し業者を呼び、少しの荷物だけを積んでもらって自分は新幹線で移動することを前々から計画していた。
  うまくやれた。富良野が気づく頃、自分は――。

「眞人!」

  けれど何度目か、腕時計に目をやった園田に、不意にそう叫ぶ声が聞こえた気がした。
「……っ」
  ぎくりとして顔を上げたが、プラットホームは先刻と同じ、ぽつぽつとした人の流れがあるだけだ。ほっとして、そんなことあるわけがないよなと再び顔を伏せて、しかし園田は次の瞬間、また予期せぬ音を聞いた。どん、と、分厚い車窓を叩く音。
「眞人!」
  同時に、そう呼ぶ声も聞こえた気がした。実際にもそうだったのかは分からない。
  それでも園田ははっとして、途端、我に返ったように瞬いた。
「なん……」
「眞人!」
「……富良――」
  相手を認めたと思ったと同時、ホームで発射のベルがけたたましく鳴り響くのが聞こえた。けれど園田はそれに構わず、目前で酷い怒りを湛えている富良野をただ凝視した。目が離せない。口先が眞人、と言っていた。降りろ、と。ふざけるな、と言っているのも分かった。
  けれどもう一度「降りろ」と唇が動いたのを感じた時、園田は反射的に首を振った。代わりに「さよなら」と言うと、それが分かったのだろう、富良野は既に真っ青にしていた顔色を更に白くし、もう一度怒ったようにどんと窓ガラスを叩いた。
「富良野!」
  新幹線が発車した。
  富良野は徐々にスピードを上げるそれに足早に着いていきながら、まだ眞人、と呼んでいた。ツキンと園田の胸は痛み、外の景色から目を離せないまま、思わず腰を浮かして改めて富良野を凝視した。駆ける富良野と目線が合って、園田は思わず「ごめん」と言った。
「ごめん」
  そしてもう一度。
  謝るのは富良野の方だ。頭の片隅ではもう1人の自分がそう言っているのが分かった。
  酷いのは富良野だ。人の仕事を、安寧を勝手に奪って、脅かして。俺の所に来ればいいと当たり前のように言い放った。
  そうして好きだも愛してるもなく、散々ゲイなんてと蔑んで、それでもあんたのことで頭がいっぱいだなんて言って。
「ごめん」
  それなのに、これしか頭に浮かばない。
「ごめん」
  園田は呪文のようにその言葉を繰り返した。富良野に聞こえるわけもない。というより、そんなことを言ったと知れば富良野はきっと怒るだろう。俺を怒らせない方がいいと、言った。笑みを含んでそう言った富良野の顔が脳裏を過ぎった。
  でも、もう会うこともない。
  園田はその言葉を心の中だけでゆっくり唱え、ようやくストンと席に戻った。
「……はは。どんな嗅覚してんだ、あいつ」
  そしてわざとそんなバカバカしいことを呟いて、園田は思わず頭を抱えて項垂れた。
  今度はいつになったら忘れられるだろう。
「もう嫌だ……」
  過去の傷も相俟って、今度はその傷口が大きくなりきる前に早々に決断して、自らその糸を断ち切った。早く忘れたいと思う、でも。本当にそんなことを出来る日が来るんだろうか……そう思いながら、それでも今はただただ逃げたくて。全てのことから逃げたくて。
  園田は「眞人」と呼んで怒りに震えていた富良野の顔を必死に掻き消そうとかぶりを振った。
  何度も何度も、あの笑顔を掻き消したくて。











頂いていたリクのキーワードは、
「ワンコ年下攻め」・「ノンケ」・「段々ブラック」・「可哀想な受け」・「会社員」
って感じだったかと(違ってたらすみません)。
大体網羅したと思うんですけど、どうでしょうか!?
可哀想な受けにするなら、脱出出来ない方が良かったか!?