僕らの出会いは
|
周囲はよく「やさしくて良いお兄さんね」と羨むけれど、数馬は兄の和樹が好きではない。確かに、やさしいと言えばそうなのかもしれないし、良いと言えば良いのだろう。 (でも、むかつくものは仕方がない。生理的な問題? 相性? それは分からないけど、とにかく、あいつの顔を見るだけでむかむかする) 加えて数馬は両親とヒステリックな妹も苦手だ。つまり、家族全員がアウト。別に誰彼構わず嫌いというわけではないし、むしろ根は人懐こい方ではないかとすら思っているのに、何故か、こと血の繋がった家族に限ってはどうしても嫌だ――と。その想いを取り去れない。 「はあー…あ」 それは自分がまだ「ガキ」だからだろう……そうは理解しつつ、それでも数馬はため息をついた。 ガキでも何でも、とにかく馬が合わないと思っているのに、数馬は中学最後の貴重な夏休みを、その長兄や両親、そして妹と、この見知らぬ土地で何日間か過ごすことを強要されていた。数馬の父はいわゆる「大企業の社長」で、つまりは「超多忙」な人物なのだが、こと理想の夫、理想の父親という面からも世間の賞賛を浴びたいのか(と、数馬は思っている)、何かと時間を捻出しては、贅を尽くした家族サービスを敢行する。だから今夏もまさにそれで、父は数馬にしてみたら何の面白味もないプライベートビーチで、家族団らんの機会を設けてきた。そこでは海を眺めたり、実際に泳いだり。或いは浜辺でバーベキューをしたり。夜は星空観測に音楽鑑賞、そして、家族の対話タイムならぬ「ディベート」の時間が待っている。 ああ、ウンザリだ。 「だからちょっとの息抜きで脱走するくらい、いいじゃんか」 先ほどからしきりに鳴り続ける携帯メールの着信音を無視しながら、数馬はそのメールの相手―和樹―の困り果てた顔を思い浮かべてむっとした。兄とてこんな旅行は気が進まないと思っているはずだ、なのにあの優等生は、いつだって両親の良いように動く。特に今回は、父が数馬とゆっくり話す時間を持ちたいと思ったが故の旅行だということを重々承知していて、だからこそ、「今どこにいる?」、「父さんが探しているから、早く戻ってこい」と頻繁に連絡してくるのだ。 「お前が相手してやればいいだろっての」 次々飛び出る不平をそのままに、数馬は別荘からどんどんと離れて行った。 砂浜を横切って石階段を上り、父が所有する敷地一帯から出ると、ようやく開けた公道へ出た。周囲に人家らしきものは見当たらないが、海水浴客や、同じ別荘組の家族連れなどが通るのでは。何でも良い、とにかく数馬は、自分たち以外の人の群れが見たかった。 「はぁ〜…。しかし、殺風景」 階段を上りきった先の高地へ出たせいで、海岸線を広く臨める美しい景色を拝むことは出来た。しかし公道へ出て来ても、想像していたような車の行き来はほとんどないし、あったとしても、野菜等を運ぶ地元民のトラックが数台通り過ぎる程度で、ここはまるで異世界だ。人の息吹が感じられない。親父の奴め、これは本気で人のいない場所を見繕ったんだなと恨めしい気持ちがしたが、つまらないからと言ってすぐに戻るのも癪だったので、数馬は仕方なくのろのろした足取りで、50メートルほど先に見える野菜直売所らしき粗末なプレハブ小屋を目指した。そこも、いかにも人はいない感じであったが、めぼしい建物が今はそれしか見えなかったから、致し方なかった。 「あれ!」 それでもそこに人影が見えた時、数馬は驚きよりも喜びが先に立って声を上げた。 相手が小柄だったせいで間近に行くまで気がつかなかったが、確かにそこに人はいた。しかも、子どもだ。年は数馬よりも幾つか下に見えたが、さらりとした黒髪の少年は、数馬の素っ頓狂な声でびくりと肩を震わせ、目を見開きながら振り返ってきた。彼はプレハブ小屋の横に取り付けてある水道で砂まみれになった素足を洗っているところだった。 「何してんの?」 もともと人見知りしない性格であるので、数馬は何の惑いもなく少年に話しかけた。相手は驚きを持続させたまま、どこか怯えたような眼を見せていたが、数馬は気にしなかった。人に会えたことそれ自体がとても嬉しかったし、あわよくば仲良くなって自分たちの中へ巻き込んでしまえれば、あの煩わしい家族だけの会話からも解放される、そんなことまで考えていた。 「地元の子? 何年生?」 水道の水を出しっぱなしにして固まっている少年に、数馬は再度話しかけた。いくら何でもびびり過ぎだろと思わないでもなかったが、こんなに人気のない場所なのだ、見知らぬ大柄の自分が急に現れて声が出ないのかもしれないと、数馬はまだ相手を思い遣る余裕もあった。 「ボクは数馬って言うの。家族であっちの別荘に泊まっているんだけど、この辺り、何もなくて退屈でさ。フラフラ散歩していたら、キミがいたってわけ。だから、もし良かったら話し相手になってくれると助かるんだけど」 「………っ」 「え? 何?」 微かに開いた唇が何かを言ったように思ったが、果たしてそれが音になっていたのか、数馬には分からなかった。だから聞き返したのだが、相手はすぐに伝わらなかったことにやや赤面しながら、微かに眉をひそめた。極度の人見知りかあがり症か。数馬は少しだけ「あーあ」と思ったが、それでも辛抱強く相手の反応を待った。 しかし少年はそれきり何も発しない。 「……えーと。あのさ」 数馬は(駄目か、これは)と半分諦めつつ、当面一番気になっていた水道の蛇口を捻って水を止めた。 「水、もったいないよ? でも、足、洗わなくていいの?」 「……っ」 「何かごめん。ボクと喋るのイヤみたいね? ボクはキミがいてくれて嬉しかったんだけどさ。迷惑みたいだから、行くね」 「……ぃ……から」 しかし踵を返しかけた数馬に、ようやく聞こえる声が返ってきた。 「え?」 それで数馬が改めて少年を見ると、相手はぐっと何かを堪えるように唇を噛んだ後、ようやく意を決したように目を合わせてきた。 「……!」 数馬は「それ」に思わず怯んだ。 その瞳は余所者の数馬を拒絶しているように頑ななのに、一方で強く惹かれる色を帯びていた。 (黒いのに……何か、普通の黒と違う?) 「驚いたから…」 数馬が考えている間に、少年は今度こそはっきりと言った。 「ここで……人と会うこと、なかったから」 「え? あ、ああ……そうだよね。うん。ボクもここ、来たばかりだけど、あんまりにも人と会わないからさ。だからキミがいて、つい声かけちゃったんだけど」 「………」 「ここに住んでいるの?」 黙って頷く少年に数馬は心底安心した。どうやら自分と会話をする気はあるらしい。 「じゃ、もっかい訊くけど、何年生? この辺りに学校ってあるの?」 「……ない、よ」 「じゃあ、何時間もかけて通う系だ? 田舎暮らしってそれが面倒で嫌だよね。あ、田舎とか言われるの、嫌だったらごめんね」 「別に……」 いやじゃないよとも口元で呟いたようだが、それは声にならなかった。 数馬は不思議な想いでそんな少年を見つめたが、改めて水道を指さした。 「ボクのこと気にしないで、足洗っていいよ」 「……数馬は、どこから来たの」 少年は数馬の勧めには従わず、突っ立ったままそう訊いた。 「ボク?」 突然名前を呼ばれて驚いたが特に悪い気持ちもせずに、数馬はすぐに答えをあげた。 「東京だよ。今夏休みでしょ。だから家族と旅行。別にボクはそんなのしたくなかったんだけどさ」 「家族と」 「そう。両親と兄貴と妹、それにボクで、計5人。あと、お手伝いさんとかシェフとか」 「シェフ?」 「料理作ってくれる人。うち、お金持ちだから専属の料理人雇ってんの。母親が全然料理できない人だからって言うのもあるけど」 「………すごいね」 「じゃあ次はキミの番。キミのことも教えてよ。まず、名前を教えて。あ、折角だから座ろうか?」 ちょうど海岸線を一望しながら一休みできるような岩があったので、数馬はそれを示して誘った。少年も足を洗う気がないみたいだし、暇潰しの相手をしてくれそうだと踏んだから。 案の定、少年は何の抵抗もなくすたすたと歩いてきて、先に腰かけた数馬の隣に、自分もゆっくりと腰かけた。さほど大きな岩ではないから、互いの肩が触れる形にはなったが、数馬も、そして少年も、それを気に掛ける節はなかった。 「……友之」 それから少年はようやく名乗った。 「友之…トモ君か。何歳?」 「14歳」 「……え? はあぁ!? え、何ウソ、同じ年ぃ!?」 数馬は思わず仰け反って友之の言葉に驚きで返した。友之はそんな数馬に自分こそが驚いたように瞬いたのだが、特に何も言わない。 だから数馬が「あのさ」と確認するように再度問いただした。 「14歳って…誕生日来てる? もしかして中3?」 友之が黙って頷くと、「ホントに同じ年なんだあ…」と数馬は感心したような信じられないような声で呟いた。 「いやごめん。キミ、小さいし。小学生だと思ってた。あ、傷ついたならごめんね」 「別に傷つかないよ」 すると友之は意外にもあっさりそう言って、数馬の顔をまじまじと見上げた。 「数馬が……中学生っていう方が、驚いたよ。高校生か、大学生かと思った」 「ああ、よく言われるけど…。背、大きいしね」 「……いいな」 しみじみと言うので、数馬はやはり申し訳ない気持ちがして「ごめんね」と再度素直に謝った。 「やっぱり、小さいとか言われて嫌だったでしょ? ボクってつい思っていること言っちゃうんだよね」 「別に嫌じゃないよ。小さいのは……本当のことだし」 「……まぁそうだね」 「それに……久しぶり、だから」 「ん?」 「夕実以外の人と、話すの」 「ユミ?」 数馬がきょとんとして首をかしげると、友之は少しだけ困ったような顔をした後、ちらりと背後を振り返って、再び海岸線へ視線を戻した。 それはまるで何かを忌避するような、怯えたような仕草だった。 「ユミって誰?」 「……お姉ちゃん」 「トモ君の? トモ君、お姉ちゃんとしか話してないの? 他の家族は?」 「………いない」 「いない?」 何それと咄嗟に思ったものの、友之のどこか異質な雰囲気、明らかに普通の中学3年生らしからぬ様子に、何か事情があるのだろうとはすぐに察せられた。 だからそれを、そのことを、いつもの図々しさで訊いてしまって良いものだろうかと、 数馬は珍しく遠慮めいた気持ちで沈黙した。 「数馬は…」 すると友之が自分から声を出した。 「家族のことが、好きじゃないの?」 「え?」 「だってさっき……旅行、そんな、したくなかったって」 「ああ。うん、だって面倒臭いんだもん。うちの家族…特に、父親と兄貴が面倒」 「お父さんと、お兄さん」 友之は噛みしめるように数馬のセリフを繰り返した。 数馬はそんな友之のたどたどしい唇を不思議な想いで見つめた後、「うん」と頷いた。 「そう。自分たちだってやりたいことしているんだから、ボクにだってそうさせてくれればいいのにさ。何か知らないけど、あの人たちは、いっつもこっちのことも巻き込もうとするの。それがウザい。うまくかわせるようになれればいいんだけど、ボクも未熟っていうか、今はまだ無力な子どもだからさー」 「……ふうん」 「……トモ君も、何ていうか、反抗期だから、お姉さん以外の家族と口きかないとか? 家族はお姉ちゃん以外、いないものとみなしているっていうか」 ああ結局訊いてしまったと思いながら数馬が隣の様子をそうっと窺うと、友之は数馬の方は見ず、依然として海を見つめながら緩く首を横に振った。 「ユミは病気で、静かな所でりょ……療養、した方がいいって、言われて。……それで、僕だけついてきた。……他の家族は、東京にいる」 「え? ……何か、それって複雑?」 「複雑?」 「何か、赤の他人のボクが触れちゃいけないようなナイーブな問題なのかな、とか」 数馬の言い様に友之はよく分からないというような顔をして首をかしげた。けれども真っ直ぐなその瞳に、数馬は先刻同様、惹きつけられる何かを感じて、思わずといった風に自らもじっとその目を見つめ返した。 友之は小さくて臆病でよく分からない子だけれど、こうやって見るとどうにも底知れぬ魅力がある。何というか、「タダモノではない」という感じ。――そんな風に思いながら、数馬はほぼ無意識に友之の風に揺れる前髪をさらりと触って、それを指で掬い上げた。 「……何?」 「あ、ごめん。前髪ちょっと長いから、トモ君の顔が見えにくいなって思って」 「……夕実は、もっと伸ばしてって。僕の目をあまり見たくないからって」 「…何それ…」 「分からない…。でも、夕実の言うことは、ちゃんと聞いてあげたいから」 友之がはっきりと言った。それからここで、初めて薄く笑った。 「夕実には、僕しかいないから」 「……他の家族は? って、結局訊いちゃってるんだけど」 「別にいいよ」 友之は数馬にも少しだけ微笑んで、それから両膝を抱えつつ前を向いた。 「お父さんは……僕と夕実のことは、好きじゃないから。お……お母さんが、病気で死んじゃって、すぐに新しい人と結婚、して。……今は、その人と暮らしてる。……コウ兄は、別の所で、1人暮らし」 「コウニィって…お兄さん?」 「うん」 「兄貴もいるの?」 「うん。何でも出来るんだ。勉強もスポーツも、全部一番。友だちもたくさんいて、皆から頼られてる。ちょっと怖いけど、優しいし…。だからお父さんも、コウ兄のことは、自分の子どもって認めてる」 そんな風に話せるのかと数馬が内心で驚くくらい、友之はここで急に饒舌になった。単純に、兄のことを語るのがとても嬉しいのだろう。そして兄の万能さを、素晴らしさを、今日初めて会った数馬に伝えたくて堪らない、そんな雰囲気がありありと伝わってきた。 しかし数馬は釈然としない。 「いや…でもおかしいだろ、それ。そりゃ事情とかは全然知らないけど。でもそれじゃあ傍から聞いていると、キミのお父さん、相当なクズっぽいよ。出来る息子だけが自分の子どもで、後は認めないとかさ。相当酷いよね? 意味分からない」 数馬のぽっと口をついた悪口に、友之は途端悲しそうな顔を見せた。数馬はそれでまたハタと「まずいかな」と思ったのだが、言いたいことが溢れ出るのは如何ともし難く、「まぁいいか」と、そのままの勢いで続けてしまった。 「その兄貴もさ、何でも出来るって言っても、病気のお姉さんとキミのこと無視しているわけでしょ? それも何かね、感じ悪いよね。何か理由があるのかもしれないけどさ。何か、君とお姉さんが可哀想って言うか」 「…………」 「あー……こんな、今日初めて会った人に同情とかされるの、嫌かもしれないけど。ボクも大概失礼かもしれないけど、でも、そう思ったから」 「……夕実もよく、そう言う」 友之は暫し黙った後ぽつりと言って、ふと息を吐いた。 「世間の親とか兄さんは、普通、こんなに……酷くないって。僕たちは凄く不幸なんだって。……ずっと凄く可哀想だから、だから、夕実の病気は……ずっと治らないんだって」 数馬に話しているというよりも、それは独り言のようだった。 それでもそれを聞いている数馬の方は友之から一時も目が離せなかった。まるきり他人事の話である。関係ないし、どこかしら重くて陰気で、出来れば関わり合いたくない類の話だと頭の片隅ではもう分かっている。これはまずい気配が漂いまくりだ。率直に言えば、面倒? さっさとさよならして、妹のキンキン声でも聞いていた方がまだマシなような。 自分とは全く違う世界の、悲惨な話がそこにはある気がして。 それでも数馬は友之の横顔に悲壮なものがないこと、どこか凛としたその佇まいに純粋に惹きつけられていた。 だから友之のことを見つめていた。 すると友之もふと数馬の存在を思い出したかのように顔を上げて、直後、急に俯いて頬を微かに紅潮させた。いらぬ家族の話をして恐縮した想いを抱いたのだろうか。 けれど数馬がそれに「別に構わないよ?」と反応する前に、友之は口を開いた。 「でも、僕は……そうは、思ってない」 「そう…って?」 「最初は、夕実が言うなら、そうなのかなって……夕実が正しいのかなって思っていたんだけど……。でも、夕実の病気が治らないの……お父さんやお母さんや…コウ兄のせいじゃ、ない」 「………」 「それに、コウ兄は、ひどい兄さんじゃないよ? ……僕が来ないでいいって言ったから。――夕実を助けるのは、僕だから」 「……そうなんだ」 「数馬も、3人きょうだいで、一緒だね」 突然水を向けて友之はちらりと笑った。 「数馬は、お兄さんや、妹と、仲良いの?」 たくさん話せたことで気安い気持ちになったのだろう、会った当初とは随分力の抜けた感じで、友之は数馬を見ていた。 「……うちは」 言いかけて数馬は一旦口を閉じ、自らもまじまじと友之を見つめた。すると途端、友之のことがぐんと分かった気がした。まだほんの少しの会話しか交わしていない、それなのに、友之が本当は人懐こくて人が好きなんだということが半ば確信を持って感じられた。 (みんな、いろいろあるんだな) 初めて会った、まだよく知らない相手のことなのに。 数馬は何だか妙に達観したようなそんな感想を抱いてから、急に決まりが悪くなってふいと横を向いた。 「ボクん所は、キミの所ほど複雑じゃないみたい。単純でもないけど……兄貴も両親も妹もむかつくしウザいし、仲とかは全く良くないんだけどさ……とりあえず、一緒に旅行出来るくらいのレベルではあるから」 「そうなんだ」 「うん」 「なら、良かったね」 「別にそんな良くもないけどね」 「数馬、いつまで、ここにいられる?」 友之が親しげに訊いてきて、数馬は再び改めてといった風に友之を見た。そして、そうか、ここでこうして知り合えたけど、会えるのはこの休暇の間だけ。すぐにさよならなんだな、と。 「……気になる?」 「え? うん」 けれど友之の反応を見て、数馬は率直に嬉しく思った。自分はすでに友之との別れを思ってそれを惜しく感じているが、どうやらそれは友之も同じらしいので。 「分かんないけど、まだ何日かはいるよ。トモ君も、お姉さんの看病以外は海来るの?」 「うん。時々だけど…砂浜歩くと、気持ちいいから」 「あ、そういえば砂まみれだったもんね、足」 「うん」 「洗ってあげるよ。おいで」 「え? いいよ?」 「いいから、いいから」 数馬は急にやる気になって、友之を水道まで引っ張っていくと、勢いよく蛇口を捻った。最初こそ温かったそれはすぐに冷たくなり、友之の素足と数馬の手にヒヤリと心地よい感触を与えてくれた。 数馬はその冷水で足を洗ってやるフリをしながら、不意打ちで友之の足裏をくすぐった。 「やっ…!」 友之が驚いて足を引っ込めようとしたが、数馬はその細い足首を掴んだまま、尚も「遠慮しなくていいよ〜」と、ふざけてこちょこちょ友之の足裏をくすぐり続けた。 「数馬っ…くすぐったぃ…!」 足首を掴まれて片足立ちの友之は最初こそ必死に抵抗していたが、顔は早々に笑っていた。そうして遂に我慢が出来ないという風に、くふっと小さくふき出した。 「ははっ!」 数馬はそんな友之の反応が想像以上に嬉しくて、さらに蛇口を片手で塞ぎながら、わざと水を斜め上方に飛び散らかした。 「わっ、数馬…っ」 「わはは、トモ君の顔に命中ッ!」 「ずるいっ」 途端、友之も蛇口に飛びかかって水を掬い、それを数馬に投げかける。そうして2人は互いに笑い合いながら、暫しそこでささやかな水浴びを楽しんだ。 ふざけて逃げ回ってそこら中を駆け回ったせいで、結局友之の素足は汚れたままだ。 「はーあ。面白かった! でも、今度はふざけないからちゃんと洗お?」 「今度は水かけない?」 「かけない、かけない。どうぞどうぞ、おみ足をどうぞ、お姫様。ボクが洗って差し上げますから」 数馬が仰々しくそう言うと、友之は「お姫様って何」と文句を言ったが、やっぱり笑ったままで、素直に片足を差し出してきた。 だから数馬も今度は真面目にやった。その未だ焼けきらない白い足を丁寧に洗う。同じ年の、しかも男の足を洗ってやるなんて勿論初めてのことだった。 でも、それは、何だかとても楽しかった。 「トモ君」 そんな風に思う自分に驚きながら、数馬は友之を見ずに言った。 「明日もここで会える?」 「数馬、来られるの?」 「うん。トモ君が来るなら」 「なら僕も……来るようにする」 「じゃあ会おう」 「でも数馬は、家族の人と遊ばなくていいの?」 「いいよ。勿論」 あわよくば友之を家族の元へ連れて行ってお茶を濁そうと言う考えは、この時の数馬には綺麗さっぱりと消えていた。仲良くなれそうな奴だ、そういう想いはもうしっかりと持っているのに、数馬はこの友之を家族に紹介するのは嫌だとはっきり思っていた。 (トモ君のお姉さんもそういう気持ちなのかな…?) まだ見ぬ相手のことをいろいろと想像しながら、数馬はおもむろに友之を見上げ、そして笑った。 「トモ君、ボクと仲良くしてくれる?」 「え?」 「仲良くしたいんだけど」 「……仲良く、してくれるの?」 友之が恐る恐るそう言うのを訊いて、数馬は思わず顔を近づけ、友之の手を取ると「うん」と言った。 「仲良くしよう?」 そうして戸惑う相手の顔を見つめたまま、数馬はほとんど衝動的に友之の手の甲にキスをして、相手がそれに驚き固まるのを良いことに、今度は唇にもちゅっと口づけた。 それはいきなりではあったが、数馬の中では必然の行為でもあった。 「トモ君」 スゴイ、心臓がドキドキしている。 数馬はそんな自分に興奮し、けれどその高揚に大変な心地よさを感じながら、晴れやかに言った。 「ボクらの出会いは――運命かもね」 |
了 |