無関心な僕だったのに
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「数馬じゃん」 久しぶりだなと掛かった声に振り返ってみれば、そこには記憶の片隅にちらりと残っている男女数人の姿があった。名前を覚えていなかった為に一瞬眉をひそめてしまったが、その場にいる「半数」は親し気な笑みを浮かべている。しかもそのうちの一人は感激で目を潤ませ、今にも抱きついてきそうな勢いだ。 「どうも」 そうなると無碍にするのも憚られて、数馬は(急いでるんだけどなぁ)と思いながらも、その数人の元へ近づいていった。コンビニエンスストアの駐車場にだらりと広がり座る彼らは、恐らく数馬と同い年か、或いは幾つか上の「先輩」に違いなかった。 「数馬何してたの? 最近全然こっちで見なかったじゃん!」 「ホントだよー。でも会えてスゴイ嬉しい! これから何処行くの? あ、携帯変えたでしょ? ミキがメール返ってきちゃったってショック受けてたよ?」 「お前はモテんからな。むかつく」 「はあ」 次々と投げ掛けられる声に気のない返事をしつつ、数馬は小さく首をかしげた。 やっぱり思い出せない。ミキという子の事は勿論、その名を口にした赤髪の少女の事も、その隣に立つ明るい茶系の髪をふわりとカールさせたミニスカートの少女も。 数馬に「むかつく」と半ば本気で言ったのだろう目つきの悪い学ランの男子学生だけは、大昔に何処かで話した事があるような気がした。 (でも駄目だ。これは絶対思い出せないな) 確かに少し前までは付き合っていたのだろうけれど。「やっぱり自分は薄情な人間なんだなぁ」と思ってしまう。 「えーと、キミらは何してんの?」 だから、本来ならこちらから話を振る必要性も感じなかったのだけれど、「忘れてしまった」事に多少なりとも悪い気持ちがして、数馬は軽い愛想笑いを浮かべながら仕方なくそう訊いた。すると2人の少女は嬉々として携帯を掲げ、「ユリからの連絡待ちー!」だとか、「プロフ書いてたー」とか、それぞれ同時に自分の話をし始めた。 「……ふうん」 聞いていてもあまり面白い話に発展しそうにない。 数馬は努めて笑顔を消さないよう心掛けながら、それでもさり気なく自分の腕に触れてこようとする一人をかわすと、「それじゃあね」と素早く身を翻した。 「え、数馬、何処行くの?」 「ねえ、暇なら一緒に遊ぼうよう。折角久しぶりに会えたのに!」 「いや、暇じゃないから」 そこはきっぱりと言った後、数馬はやや苦い笑いを浮かべてから「ごめんね」と言ってすかさずその場を離れようとした。 「待てよ」 けれどそうやって早々背中を向けた数馬にあからさま棘のある声を発したのは、先刻「むかつく」と口走った学ラン姿の男子生徒だった。ちらと振り返ると、数馬が去る事で明らかに惜しい顔をしている少女達とは対照的に、彼は不穏な敵意のある眼を燻らせ、しゃがんだままの格好で手にしていた煙草を道路にぎゅっと擦りつけた。見ると、その横に立ってジュースの入ったペットボトルを傾けていた同じ学ランの男子生徒も、薄ら笑いを浮かべたまま厭味な目を向けてきている。そちらは明らかに初対面だとは、背の大きさからして分かった。 以前の数馬のこういった知り合いに、自分より背の高い男はいなかったから。 「何処行くんだよ?」 「知り合いのとこ」 「誰」 「キミの知らない人だよ」 「言えよ。何て名前だ?」 「………」 面倒くさい、と真っ先に浮かんだ単語を押し潰して、数馬は困ったように微笑んだ。 名前こそ覚えていないが、昔はそれなりに話していた人物のはずなのだ。はずなのだが、こんなに敵意をむき出しにしているという事は、恐らくその過去の繋がりはこの相手にとって大したものではないのだろう。それは数馬もそうだからお互い様なわけだが、久しぶりに会った旧友ならば、何を持ってこんな態度を取る必要があるのだろうかと、多少不快な気分になる。 そんな数馬の想いには気づかず、男子生徒は依然として剣のある偉そうな口調を発した。 「お前、最近ヤスヒロの所にも顔出してないらしいな? 真面目にガッコー行ってんだって?」 「ヤスヒロ?」 誰だろう、やはり覚えがなかった。 「ナカハラ先輩はともかく、俺らはお前が勝手に抜けた事、納得したわけじゃねえんだよ。うまくバックレたつもりかぁ? あいつら皆キレてんぜ」 「えぇ〜。数馬にキレてるなんてマジー? あいつらって誰?」 「そうなのぉ? でもあたしらは別に…」 「煩ェよ。お前らは黙ってろ」 数馬をフォローしようとした少女たちを剣呑な眼で睨みつけ、学ランの男子生徒は依然として出会った時の体勢のまま、「このままで済むと思ってンのか」と威嚇するような低い声を出した。 「………はぁ」 けれど数馬にしてみれば何の話やらさっぱり分からない。暫しここらをうろつかなかっただけでまるで浦島太郎である。確かに地元にも近くて、中学の頃はこの辺りにいた違う学校の生徒達とも話をする機会が多かったが、「勝手に抜けた」とか「納得してない」などと言われても、数馬には思い当たる事が何もないのだった。 ただ、確かに以前中原からは、「あの辺とはきっちり話つけたんだろうな…」と気怠そうな目を向けられた事があったのだけれど。 「あの」 とにもかくにも、誰だか分からない者達が自分に「キレて」いるらしい。それは嫌だなと数馬は率直にそう思った。 「何で怒ってんの?」 だから疑問に思ったまま素直に訊いてみたのだが、それによって隣に黙って立っていた男子生徒が「マジかよこいつ。やっていいか」などと呟いた。数馬の淡々とした態度が癇に障ったのだろうか、しゃがんだままの男子学生も思い切り顔をしかめて「マジお前ナメてんのか」と凄んできている。 数馬はいよいよ「ええ…」と憮然とした声を漏らしてしまった。 「別にナメてないけど。覚えがないから訊いてるだけだよ。誰がどうしてボクに頭にきてんのかなぁ? ボク何かした?」 「マジうぜえ。こいつマジでやろうぜ」 イライラとしたように身体を揺らす相手に、数馬もぴくりと肩先が揺れた。心が広いようでいて、実は細かいところで神経に障る方である。勇んだ相手をジロリと見やると、数馬は折角隠していた冷たい眼を閃かせ、ぴしゃりといつもの毒舌を吐いてしまった。 「マジマジって、同じ単語ばっか繰り返さないでくれる。頭悪く見えるよ? 大体、キミには訊いてないんだけど。そもそもキミ誰?」 「おいテメエ…!」 「ショウタ、待て」 今にも数馬に飛び掛かりそうになった長身の学生を、しかし煙草を捨てた学生が止めた。女子学生達もあっという間に変化した自分達を取り巻く空気に驚いたのか、蒼白になって「やめなよう」と恐る恐る呟いている。 数馬はそんな彼女達をちらりと見つめやってから、改めて2人の男子学生を順繰りと眺め、(せめて名前が分かればな)と相変わらず薄情な自分に嘆息した。そうすれば長身の方はともかく、煙草を捨てた方にはそれなりの態度でいてやれるかもしれない。 「まあ元々お前は、俺らとは違う世界の住人だかンな」 その男子学生がフンと鼻を鳴らしてから唾を吐いた。 「いつかはトンズラすんじゃねえかってのは思ってたぜ。けど、お前も今のお坊ちゃん学校で俺らが何か問題起こしにきても困るだろ? だったら、俺らが行動起こす前に何がしか手切れ金代わりのモン持ってこいよ。家、金持ちなんだから、それくれー出来んだろうが? 俺ら、今先輩らから回ってきてるヤツ、さばくのにも色々入用だしよ」 「へえ…」 微か唇に笑みを浮かべたものの、数馬は相手が何故自分を呼び止めたのかがここにきてようやく分かり、らしくもなく僅かに落胆してしまった。あまりに予想通りだったからと言えばそれまでだけれど、何だかそれ以上に虚しい気持ちがした。 短い間とはいえ、中原らと一緒にこういう学校も家も面倒くさい、仲間だけが大事で金が大事、セックスが好き、といった連中とバカをやっていた事が確かにあり、それをそれなりに楽しいと感じていた時期がある。だから彼らを心底嫌いにはなれない。 ただ、今はその過去に何の感慨も抱けないところに自分の冷めた一面を覚えて嫌気がさすし、相手は相手で「こんな」だから、「どうしようもないな」と思ってしまう。 「お金に困ってんだ?」 「あ? …いいから、持ってこられるのかどうなんだ。ハッキリしろや」 数馬のまるで変わらない態度に、明らかに普段とは違う感じを抱いたのだろう。男子学生は最大限にイライラとした態度を見せて、おもむろに拳を掲げるとボキリと大袈裟に指を鳴らしてみせた。数馬は相手のそんな所作に思わず笑ってしまいそうになったが何とか堪え、やがて大きく息を吐き出すと「お金はあげられないなあ」と無慈悲に投げ捨て、踵を返した。 「数馬。……テメエ、覚悟できてんだろうな?」 「何の」 まだ話しかけてくる。実は寂しいんだろうかと思いながら、それでも数馬は辛抱強く相手をしてやりながら考えた。多分、この後の事を考えて自分は機嫌が良いに違いない。だからこんな風に何も感じない相手にも優しく接してやれているし、襲ってきた虚無感にも対処出来ているのだ。 もうすぐ会える、アイツの効力か。 (癪だなあ…) 「おいテメエ! 聞いてんのかよ!」 その時、長身の男子学生がいよいよ大きな怒声をあげて手にしていたペットボトルを投げ捨てた。カラカラとそれが道路に転がる音、中に入っていた液体が汚らしく地面を濡らすのを横目で認めて、数馬はハッと我に返った。 「あのさ」 だから「アイツ」を思い出して浮かべていた笑みを引っ込めると、数馬は依然としてガーガーと因縁をつけてくる相手に感情の見えない顔で返した。 「一体何の覚悟? それにそれ、キミにはあるの? キミこそ何もないじゃない」 「あぁ!?」 「ふざけんなよ…ッ!」 「きゃあ!」 痺れを切らした長身の学生が数馬に突っかかってきたが、少女達の悲鳴と同時、数馬は自らの長い足をにゅっと突き出すと、向かってきた相手をそのまま無情にも一撃で蹴り倒してしまった。 「ぐはっ…」 「これは正当防衛だからね」 「ショウタ、駄目だよ! 数馬、めっちゃ強いんだから!」 「マサシもやめなよ! 知ってるでしょ、何で止めないのよ!? それに、こんな揉め事起こしたら、正人先輩にも誰か絶対言うよ!」 「煩ェな!! そんな奴、俺は知らねえんだ、関係ねーよ!!」 少女らの金切り声に駐車場付近にいた人間たちがぎょっとしながら、努めて知らないフリをし、遠ざかって行く。数馬はそちらにちらりと視線をやった後、もう一度倒れた男子学生と、虚勢を張りつつも最早向かってくる気を失っている「マサシ」を見やった。ああ、そういう名前には少しだけ覚えがあると思った。中原に名前が似ていて、確か中原の後輩の後輩で……どうしようもなく喧嘩っ早くて仲間もすぐに離れてしまうからどうにかしたいと、いつぞや誰かが中原に相談していた事があったっけ。 それならどんな奴だろうと興味を持って最初に近づいたのは自分であったはずだ。 「マサシ」 それで数馬はようやく相手の名前を呼んだ。向こうがハッとしてこちらを見るのを、数馬は「ああ、何だこいつ。名前呼んだだけでこんなに嬉しそうにするんだ」と思いながら、ここで初めていつもの人好きのする笑みを向けた。 そして言った。自分は嘘つきだなと思いながら。 「また遊ぼうよ。暇になったら連絡するからさ」 「トモ君」 寄り道をしたせいで10分程待たせてしまったが、待ち合わせの相手―北川友之―は、別段退屈した風もなく、河川敷沿いの草原に座って空を眺めていた。数馬が声を掛けると、すぐさま顔を向け、ほっとしたように小さく笑う。 その笑顔を数馬は少しだけ好きだな、と思っている。 「待った?」 「ううん」 「いつからいるのさ」 「え? ……分からない」 「分からないって何。時計、持ってないの」 「うん」 すぐに頷いた友之に嘘はないようだ。学校に行く時につけていく腕時計も見当たらない。携帯電話を持たない友之は、こうして待ち合わせをして、もし相手に何かがあっても連絡を取る事が出来ないから、数馬があのまま面倒な喧嘩に巻き込まれてもっと遅れてしまったら、一体どうした事だろうと思ってしまう。 多分。 この少年はいつまでもここで待ってしまうのだろうけれど。 「待ってる間何してたの」 隣に腰をおろして数馬が何気なく訊くと、友之は別段感動した風もなく空を指差した。 「空見てた」 「空? 何で」 「今日、野球やってないし」 「………」 見ると、いつもここから見下ろせる河川敷グラウンドには、確かにいつもの風景は見当たらなかった。恐らく昨日の大雨でぬかるんだグラウンドは練習に不向きなのだろう。普段この時間帯にあの場所を使うはずの少年野球チームの姿はなく、そこにはただぽつぽつと川沿いを散歩する数人の姿があるだけだった。 「空なんか見て何考えてたの」 「え? ……綺麗だな、とか」 「後は?」 「後? ……分からない、けど」 数馬の矢継ぎ早の質問に、友之は相変わらず答えるのが遅い。実際大した事を考えていたわけではないから返答に窮するのだろうけれど、この態度を先刻の高校生達に対して取ったならば、まず間違いなく短慮な彼らの神経を逆撫でして、買わなくともいい反感を買ってしまうのだろうなと思った。 「トモ君ってさあ、本当のんびりしたコだね」 だから半ば呆れるようにそう言ってみたのだが、これに友之は少しだけ嫌そうな顔をし、さっと表情を暗くした。数馬の厭味をもろに感じ取ったのだろう。最近では徐々に数馬に対して「言い返す」事を学んできた友之は、どのみち最後には負けるのは分かっているのに、抵抗するように無駄なあがきをしてみせる。 「数馬と……同じ年なんだけど」 「知ってるよ。それが?」 「子、とかって…。そういう言い方、嫌だ」 「だって子どもじゃん」 「……数馬は」 「うん、子どもだけど? それが何?」 「………」 ぐっと詰まって友之は困ったように沈黙した。それでもどうにかして自分の想いを伝えたいらしい。散々頭の中でぐるぐるしたような様子を見せた後、友之は再び顔を上げると数馬の方を真っ直ぐに見やった。 「そういう意味の、“子ども”じゃないんだけど……」 「ん?」 「数馬の言ってた意味と……違うよ」 「何が?」 イマイチ友之の言いたい事の意味が分からず、数馬は探るように目を細めた。友之の発する言葉は時々、いや大部分で意味が分からない事が多い。 ただ一方で、その分からないうちの一部分に「凄い意味」が隠されている事もあったから見逃す事も出来なかった。 「もっとちゃんと分かりやすく言ってくれない?」 だから数馬は友之の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜながら、ゆっくり言い含めるように言ってみた。 「……っ」 すると友之は数馬のその所作を心底嫌だという風に腕を出して振り払うと、「ほら…っ」と多少息を荒げて抗議の声を上げた。 「こういう、子ども扱い…」 「え?」 「数馬のさっき言ってた子どもって、こういう意味だから…っ。後から使った子どもって意味とは違う」 「はあ…?」 「だから……。未成年って意味の子どもでは同じだけど…数馬が最初に言った子どもは…バカにする意味で使ったから…っ」 「………」 「そういうのは、嫌だ」 「……あ、そう。ごめん」 少しだけ間を置いてしまったが、ぽろりと素直な謝罪が出ると、友之はたちまち自分こそが申し訳ないような顔をしてぶるぶると首を振った。あまり謝られる事に慣れていないのかもしれない。余計な事を言ったかもしれない、生意気だったかもしれないと後悔している節がありありと見て取れた。 そういうのは、やっぱり「可哀想なコだな」と、数馬は思ってしまう。 きっと友之は怒るのだろうけれど。 「じゃあこの話はもうやめね。ボク気まずいのは好きじゃないし」 「うん」 「あ、トモ君も? 気まずいの嫌いなんだね?」 「好きな人なんて…いないと思うけど」 「でも気まずい空気とか、気づけないっていうか、感じない人はいるじゃない」 空気を読めない人間を「KY」だなどと呼んで一時期流行っていたけれど、結局そんな言葉が世の中に出回るのも、要はそういう類の人間が多いからだ。数馬とて自分がそういうものが巧いとは決して思わないけれど、あまりに無頓着な人間はやはり腹が立ってしまう。 だから友之の過ぎる程の相手への配慮を、時にはやり過ぎだとイラつきつつも、結局は「悪くないかも」などと思ってしまう。 「あー。そうか。トモ君は気まずいの嫌だから。だからそういうのに敏感な方なのかな?」 「そんな事ないよ」 意外にもすぐさま返答がきて、数馬は意表をつかれ一瞬押し黙った。 それでも何とかすぐに笑って見せると、「何でさ」とバカにするように唇の端を上げる。 「トモ君、気ィ遣い屋さんだし。あ、この人何て言うのか、自分の一言で傷ついたりしないかって凄く考える方でしょ?」 「誰かが怒るのは嫌なだけ」 「………」 「臆病だから。気を遣ってるわけじゃない」 「………ふうん」 何ともなしに応えながら、数馬はふと先刻の「マサシ」達の顔を思い浮かべた。 彼らは何故かいつでもすぐに怒る。少しでも自分の中に存在する怒りの琴線に触れると、さっきまで笑っていたはずの顔をさっと険悪なものに変えて無用に怒鳴ったりする。それは一見当然の怒りに見えて、大部分の人間には理不尽にしか感じられない八つ当たりに近いそれだったりする。 要は他人に対する許容量が恐ろしく狭いのだ。 それでも、きっとここにいる友之は、そんな彼らの怒りすら、自分の罪のように感じて苦しむのだろうなと思った。 「ねえトモ君」 だから訊いてみたくなって数馬は口を開いた。 「ボクさあ、昔は結構キミと正反対の人たちとよく遊んでてね。その人たちってすぐつまんない……って、ボクには思えちゃうような事でキレてたんだけど」 「……?」 数馬の急な話題に友之はついていけない。不思議そうに小首をかしげる姿が何故かとても愛しく、数馬は思わず破顔した。 「でね。何か面倒臭いなあって思って、ボクはその人たちとあんまり遊ばなくなっちゃったんだけど。よく考えたら、ボクは彼らの言動いちいちにホントに無頓着というか、要はKYだったのかもしれない。ボクはいつだって彼らの怒りに無関心だったんだ」 「……何の話?」 「特に意味なんかないよ。たださあ…。キミみたいな人が傍にいたら、きっと彼らの怒りの意味が分かるんだろうなあって。そんで、キミだけ無駄に苦しむの」 それって損な性格だねと言ってやると、友之は再び数馬に嫌そうな顔を向けた。 そうして友之は暫く黙って前を向いたまま数馬から顔を背けていたのだけれど、やがてぽつりと声を漏らした。 「夕実……姉さんは、いつも怒ってた」 「……うん?」 「怒らせてたんだと、思う。どうしてか、駄目なんだ。いつも失敗してた。本当は怒らせたくないのに。いつも笑ってて欲しかったのに」 「………」 「数馬と一緒だよ」 「……何が」 「やっぱり……相手の空気を読むのは…難しい、よね」 「……まあね」 分かっていないくせにどうしてそんな風に答えるんだろう。 数馬は友之に対し、心底不思議な気持ちと、そしてやっぱり多少腹立たしい想いを抱いて、ふいと視線を横へやった。 その時、不意にズボンの尻ポケットに入れていた携帯がブルルと震えて、誰かからの受信を知らせてきた。 「あ」 すかさず取り出して見ると、発信元は数馬が唯一「先輩」と呼ぶ相手―中原正人―だった。 「仕事はどうしたんですか?」 『煩ェ』 こんなに早く電話が来るとはさすがに思わなかったので、数馬も相手のお節介にはほとほと呆れたのだが……どうやら彼の先輩は数馬の為に連絡してきたわけでもなさそうだった。 『トモ、傍にいるのか』 開口一番のそれに数馬は「何だ」と思いながらこっそり笑んだ。 「今まさにボクの隣にいますけど?」 『さっさと家に帰せ。お前に近づけさせんな』 「何でですかあ、折角今日は煩い先輩も仕事で、練習もないし。2人っきりで甘い時間を過ごしているのに」 『タカヤから電話あったぞ。お前、くだらない揉め事起こすんじゃねえよ。もしトモに妙なとばっちりあったら、お前もタダじゃおかねえからなッ!』 「……知りませんよ」 『あぁ? 何言ってんだ、ちっと電波遠いんだよ、テメエちゃんと聞いて――』 「煩い」 ぶちりと電源を切りながら乱暴な口調でそう言い、数馬はハアと溜息をついてから横にいる友之を見やった。 案の定、友之は誰からだろうという興味と心配、半々の顔をして数馬の顔を見上げていた。 「中原先輩だった」 「正兄…?」 「ボクがさ、さっきちょっとトラブル起こしたのもう知ってんの。中原ネットワークってかなり怖いよ。やっぱ昔ここらの不良一千人をたばねてた大々々不良なだけあるね」 「……何?」 嫌な事なんだろうかと友之がますます不安の色を強くして数馬を見上げる。 「………」 数馬はそんな友之を最初こそ無表情で眺めていたものの、やがておもむろに顔を近づけると、そのまま何でもない事のように唇を寄せた。 そして無防備な友之の唇に自分のそれをそのまま重ねた。 「……っ」 予想通り友之は驚いたようになって身体を跳ねらせて数馬の腕を咄嗟に掴んだ。 数馬はそれには構わず角度を変えてもう一度唇を重ねあわせると、同時に友之の腕を引っぱるようにして掴み、そのまま自身よりも数段細い華奢な身体を抱きしめた。 「か……数、馬……?」 短いキスを終えて唇を解放してやると、友之は真っ先に数馬の名前を呼んだ。 顔いっぱいに「どうして」の文字が浮かんでいる。それをやっぱり無感動に眺めて、数馬は先刻やったように、何度も友之の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。 そして言った。 「これは子ども扱いして撫でてるんじゃないからね」 友之が逃げないように腕をしっかと捕まえたまま、強い口調で言ってやった。 「キミの事を好きだからやってるんだ」 「………」 友之は唖然としたまま何も言おうとしなかった。ただ、目を逸らす事もしない。案外こういうところが強い男の子みたいなんだよなと数馬は心内で嘆息しながら、負けるのも癪でぐいと再び顔を近づけ、じいっとした眼で見つめ返した。 「キミは弱くて生意気で、臆病だけどさ。でも。優しいよね」 そして珍しく誉めてやると、友之は驚いたように目を大きく見開いて―……やがて数馬も面食らう程に頬を赤く染めて口をぱくぱくと動かした。 違う、と言いたかったのだろう。 「ボクとずっと一緒にいてよ」 だから数馬は声を立てて笑った後、友之にそう言った。 そう言ってもう一度、ちゅ、と音のする軽いキスを相手の唇に落とした後、「さあ、じゃあ今日のデートは何する?」と訊ねた。友之がすぐに答えられないだろう事は容易に分かっていたけれど、それでもそんな事は構わなかった。 何ならずっとこうしているだけでもいい。 友之といる時間は何故こうも落ち着くのだろうと、数馬は今までにない感情に悪くないものを感じていた。 |
了 |