無題



  雪也が目を覚ました時、すぐ傍には涼一の視線があった。
「ん……」
  寝ぼけたような目でその瞳をじっと見つめると、相手は少しだけ困ったような顔をした。
「ごめん…起こした…?」
  いつからやっていたのだろう、涼一は雪也の髪の毛をいじくり回しながら、いやにはっきりとした声でそう言った。ずっと起きていたのだなという事が分かった。
  雪也は目だけで大丈夫だからと訴えて、その後少しだけ身じろいだ。元々1人分のベッドに2人で横になるとどうしても窮屈になる。壁側の雪也は背中を背後の壁にくっつけるようにして小さく伸びをしてから、自分に抱き枕をしてくれている涼一の胸に頭をこすりつけた。いつからだろう、涼一だけ、もう服を着ている。
「今…何時?」
  くぐもった声で聞くと「3時くらい」という返事がすぐに返ってきた。それから髪の毛に触れていた指が離れたと思った瞬間、額に涼一の唇がおりてきた。
「涼一…?」
「ん……」
  何となく生返事をしながら、涼一は途惑う雪也に構わずに何度も唇を押し当ててきた。それからもう一度前髪をかき上げるようにして額を晒し、そこにもキスをする。
「ど…したの…?」
  顔を上げて雪也がそんな涼一を見つめると、「別に」という応えがすぐに返ってきた。そうしてもう訊くなという風に雪也の唇に自らの指を当ててすっと撫で付ける。
「雪…もっと顔こっち寄せて」
「え…?」
「キスしたいから」
  涼一はそう言って自分も身体を曲げると雪也に顔を近づけてきた。それで雪也も誘われるように口を少しだけ尖らせるようにして涼一に接近した。
  すぐに降りてくる唇。
「ん……」
  何度も、触れ合っては離れる。涼一はそれをただ小刻みに繰り返した。
「ふ…ぅ…んぅ…」
  涼一の舌が入り込んできて、雪也は更に首を伸ばしてその深い口付けを受け入れようと身体も寄せた。涼一もそんな雪也の肩をそっと抱く。
「な…雪……」
「え……」
  そうしてそんなキスをしばらく続けた後、ようやくそっと離れた涼一が囁くように雪也を呼んだ。
「雪……」
「何?」
「………」
  けれど訊いてもすぐに言葉が来ない。涼一はひどく切な気な、頼りない瞳を閃かせていた。それで雪也も妙に不安な気持ちになる。そっと涼一の頬に触れると、はあとため息が返ってきた。
「どうしたの」
「雪が好きだ」
「え……」
「すごく…すごく、どうしようもないくらい……」
「涼一…?」
  涼一は言ってからコツンと雪也の額に自分のそれを当ててきた。そうしてぐっと何かを考え込むようにしてから、後の言葉を続けた。
「あのな…今、雪が寝ているの見ていてすごく思った。このまま雪の事ずっとここに置いておきたいって」
「ここにって…?」
「だから。ここに。この部屋に、ずっと置いておくんだ。何処にもやらないで……」
「何処にもって……」
「外になんか、やらない」
  まくしてたるように涼一はそう言い、それから再び雪也の身体に触れてきた。
「りょ……」
  呼びかけて、けれど自分の乳首に指をかけられたのを感じて雪也はそのまま声を失った。赤面してぎゅっと目を閉じると、すぐ耳元から涼一の荒い声と吐息が聞こえてきた。
「雪を他の誰にも見せたくない。誰にも触らせたくない」
  涼一は言って、今度は首筋をぺろりと舐めた。雪也が目を閉じたままだと知ると、その行為はより激しくなっていった。
  好き勝手に散らされるキス。
「涼一…っ」
  消え入りそうな声で呼ぶと、涼一の動きはぴたりと止まった。けれど雪也の肌に触れた手はそのままで。
「……雪、何処にも行くな」
  涼一が言った。
「涼…」
  呼びかけながらそっと目を開くと、そこには今にも泣き出しそうな恋人の顔があった。
「涼一……」
  雪也は思わずそんな涼一の顔をまじまじと見つめた。すると涼一も怯まずにそんな雪也を見つめ返してきた。
  そうして、もう一度。
「俺…本気なんだ。雪のこと、閉じ込めたいって思う」
「………そんなの」
「逆らったら殺してやる」
  平然と出されたその言葉に雪也は息を飲んだ。本気としか思えない目をしていた。
  最近はあまり怒らせるような事もしていなかったはずなのに。
「俺…涼一を不安にさせるようなこと…?」
「別に」
  ないとすぐに否定され、雪也は眉をひそめた。
「は……」
  すると涼一はふうと息を吐いてから、気を改め直したような顔になって、強張っていた表情を緩めた。
  そうして、ぽつりと。
「……こんなこと言う俺、もう嫌いだろ?」
「涼一…」
「もう一緒にいたくないって思うだろ」
「……どうしてそんな言い方…」
「分からない」
  投げやりにそう言ってから、涼一は自嘲気味に笑った。
  それからようやく雪也に触れていた片手を引っ込めると、涼一は上体を起こして背を向けた。
「………」
  それで雪也もすぐに自分も身体を起こしたが、しかし涼一は振り返ろうとはしなかった。
「涼一……」
  不安になり、雪也から涼一を呼んだ。
「………」
  涼一は応えなかった。何事か考えこんでいるような、寂しそうな背中が雪也には堪らなかった。
  だからもう一度、今度は先刻よりも力を込めて呼んだ。
「涼一…こっち……」
  向いて。
「涼……」
「……雪」
  最後まで言葉は出なかったが、しかし気持ちは伝わったようだ。涼一はようやくゆっくりと雪也の方に振り返った。その顔はどことなく罰の悪い、いじけたような幼いもののようだった。
  それでも雪也がほっとしてそんな涼一に身体を寄せてもたれかかると。
「雪……雪、なぁキスしよう?」
  涼一ははっきりとした声でそう言い、ぎゅっと雪也の事を抱きしめた。
「キスしたいよ、雪…」
「うん…」
「雪からして」
「うん…」
  甘えるように懇願されて雪也は言われるままに唇を寄せた。けれどすぐに待ちきれなくなっているような涼一が自分からの口づけを仕掛けてきた。
「…りょぅ…ッ…」
「可愛い…好きだから…雪っ」
  合間合間に漏れる悲鳴のような告白。雪也は息を継げないまま、それでも必死にそんな涼一からのキスを受け入れた。ぎゅっと袖口を掴むとその口付けはより一層激しくなっていった。
「………っ」
  涙ぐんでしまい、キスが終わった後そっと下を向いた。涼一にはすぐに勘付かれて、目元を拭われた。
「ごめん、また乱暴して」
  涼一が言う。ちっとも申し訳なさそうな声ではなかったが。
  ただ、苦しそうで。
「でもきっと…俺、ずっとこうだから」
「……いいよ」
「本当?」
  こくんと頷いて少しだけ笑って見せると、涼一はそれでようやくふっと安堵したように息を吐いた。それからもう一度、雪也に口付けをする。今夜、一体何回目なのだろうという深く熱いキス。
「明日なんて来なければいい……」
  ぽつりとそう言った涼一の声が雪也の耳にじんと響いた。
  雪也はそんな涼一を慰めたくて、先刻涼一が自分にやってくれたように、片手で額にかかる前髪をかきあげ、撫でた。
  それで涼一はしんとなり、それから甘えるように雪也の胸に頭を預けた。







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