友人
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レンタルビデオショップ「淦」にて。 それはいつもの喧騒であって、まるで違うものでもあった。 「こんの、クソ創ッ!!」 「ひいいっ…!?」 突然店に飛び込んできた鬼気迫る様子の涼一に、店番をしていた那智は思い切り意表をつかれ、小さく情けない悲鳴を上げた。 「…ッ! なん…だ、アンタか。創はッ!?」 「……ッ」 「おいっ! 創の奴は何処に――」 「騒々しいな。一体何の騒ぎだい」 「創!!」 店の奥にいても涼一の怒鳴り声は容易に聞こえたのだろう。迷惑そうな顔をした創が眼鏡のフレームを上げながらゆったりとした動作で顔を出した。 そんな創に涼一はますます眉を吊り上げて声を荒げた。 「雪を何処へやった!?」 「…何だい急に」 「とぼけるなっ! 雪の奴を何処に隠したって訊いてんだよっ。どうせお前が匿ってんだろッ!」 相手の一方的な言い様に、しかし創は表情を変える事なくすぐに返した。 「剣君、キミね。このパターン、一体何回目だと思ってるんだい」 「知るか! いいから早く雪を出せ!」 「……来てないよ。ところで那智姉さん、そんな所で固まるのはよしてくれよ」 「………」 「まったく…」 放心状態で何も答えない従姉に対し、創はここでようやくため息をついた。 「剣君。那智姉さんまで威嚇したのかい」 「はっ、知らねーよ。この人が勝手にびびってんだろ!」 「殆どの人はね、キミのその殺気立った顔見たらそうなるんだよ。桐野君も毎度毎度大変だ。同情する」 「だから雪のこと俺から隠したのかよっ」 「………」 ボロを出しやがったなとでも言うようにカウンターを叩き自分に迫る涼一に創の目は限りなく冷たかった。もっともそんな視線をやったところでこの相手にはまるで通用しない事を創は知っていた。下手に相手をするだけこちらが損というものだ。 そんな事を考えつつ、一拍置いた後創はそれでも仕方なく口を開いた。 「隠したってのは一体どういう言いがかりなんだい。俺は知らないと言っているだろう? 大体、念のため訊くけど、桐野君がキミの前からいなくなってどれくらい経ってるんだよ」 「どれくらいっ!? 半日は見てねえよ! 今日は大学にも来てなかったし!」 「………」 思わず沈黙する創に涼一は尚も声を荒げた。 「携帯掛けても繋がんねーし! 家にもいねーよ! そしたら雪が行く所なんて、あとお前んとこくらいしかないだろ!」 「もう1人いるんじゃない」 「は!?」 「護さんとか」 「!!!」 やっと黙った。 心の中で呟き、創は表情は無のまま硬直したように動かなくなった我がまま男をじっと見つめた。 創は涼一にとっててきめんに効果のある「その単語」を、本当は口にしたくはなかった。なかったけれど、この嵐のような勢いを鎮める為には仕方なかった。 依然として冷静な口調で創は続けた。 「彼の所へ行ったと考える方が普通に考えて自然だと思うけど? 以前にちらっと聞いただけだからよくは知らないけど、その人桐野君の兄さんみたいな存在なんだろ」 「……そんないいもんじゃねえよ」 「あ、そう。それにしたって、桐野君がうちより他に行く所がないだなんて、キミもかなり失礼な人だよな。桐野君にだってキミや俺以外に付き合ってる人間もいれば、たまに1人で買い物に行きたくなる時だってあるだろう。それを――」 「つ、付き合ってる!? 俺とお前以外って…何だよそれ! お前が何で雪と付き合ってんだよ!?」 「……何かキミと会話するの疲れてきたんだけど」 呆れる創に、しかし涼一は止まらない。 「おい、答えろ! 大体なぁ! 俺は前からアヤシイと思ってたんだよ! お前の、雪への態度にな!」 「………」 「お前! 雪のこと狙ってんだろ! そりゃそうだよな、あんな可愛い雪が傍にいてそれなりに懐いてきたら、そりゃあ悪い気しないもんな! そんで段々欲が募って自分のモノにしたくなったんだろ! え、そうなんだろ!?」 一気に喋りまくり疲れたのか、涼一はぜーハーと息を継いだ後、ようやっと口を閉じた。創はそんな涼一と、未だ傍で石になっている従姉とを見た後、そのまま黙って踵を返した。 「お、おい…!」 それに涼一が焦ったように声を出す。それでも創は止まらなかった。背中を向けたままあっさりと言った。 「……まあ何ならそういう事にしてもいいよ」 「な…何ィ!?」 「確かに。……あぁそうかもしれないな。俺は桐野君が好きだよ」 「な…!」 後ろを向いていても分かる。唖然としている涼一の顔を思い浮かべながら、創は自身でも己の発した言葉に初めて「ああ、そうだったのか」と思った。 今まで自分も含めた人間に対し、過剰な興味関心を抱いた事などなかった。身内である従姉の那智や、幼いながら辛い目にも遭ってきた寛兎に関してはそれなりの情を感じてはいたが、それでも桐野雪也という人間はそんな彼らとはまた別格だと感じていた。 その正体が何なのかは創自身、分かっていなかったのだが。 「そうか…。君みたいなバカな人が近くにいたから、まさか自分までそんな陳腐なものにはまりこんでいるとは考えられなかったんだな…」 自分が、まさか「恋」をしているなんて。 「そうか…そうだったのか」 「お、おい…。創、てめ…」 「剣君」 創が自身の気持ちに気づいて半ば感心している一方で、雪也の恋人である涼一の方はさすがにボー然として声を失っていた。口で何だかだと言いながらも、まさか本当に創が雪也のことを好きと答えるなど予想していなかったのだろう。 結局この男は甘いのだ。創は薄く笑い、もう一度背を向けると言った。 「そういうわけだから、またくだらない事で桐野君を泣かせたり酷い目に遭わせたりしたら…俺は君をタダではおかないよ」 「………」 「ところで、行方不明になって半日じゃあ、さすがに捜索願いは出せないね。まあ今は大人しく待ってるより他ないんじゃないか」 「………」 「……やれやれ。そこで那智姉さんと2人、置物になられると邪魔なんだけどな。まあいいさ、今日はもう閉店だ」 気分が乗らない。 創はそう独りごちた後、依然として石化している2人を置いて店の奥に消えた。この今更ながらに気づいた感情を改めて整理したいとも思った。 奥の部屋に引っ込んだ後、間もなく店の方から何かを激しく壊す音が聞こえたけれど、創はそれには無関心を決め込み、それから数日間は店のカウンターには座らなかった。 数日後、深夜雪也から電話があった。 『創…。涼一に何言ったの?』 それはひどく泣き出しそうな弱々しい声だった。創は自然、眉をひそめた。 「剣君にいじめられた?」 『そんなこと…。それより涼一に…』 「別に。君が彼から聞いた通りの事を言っただけだけど」 『……っ』 電話向こうの空気があからさまに途惑うのが分かった。創はふっと笑んだ後、受話器を持ったまま片方の空いた手で眼鏡の縁を軽く上げた。 「最近、店に来ないね。まあ俺もあまり店番はしてないんだけど。剣君から立ち入り禁止令でも出たかな」 『は、創…』 「ん…」 『嘘、だろ…?』 「何が」 『え…だから、その…』 「好きだよ」 あっさりと言うと、相手は息を呑んだようになって沈黙した。また創の口元から笑みが零れた。雪也の反応が予想通りだった事も嬉しかったけれど、それ以上にそんな台詞が吐ける自分が驚きだった。だから胸が躍ったのかもしれない。 その勢いに乗り創は言った。 「桐野君。俺、今凄く君に会いたいんだけど。会えないかな」 『え…』 「何処でもいいよ。君が来いと言う場所に俺が行くから。どうすればいい」 『そ……創…』 「君に会いたいんだ。会って欲しい。剣君は君に俺とは二度と会うなと言ったと思うけど」 『……言ったよ』 暫くして小さな小さな声がそう返してきた。 創はその相手の姿をすぐ近くに感じながらなるべく優しい口調で続けた。 「でも君は、それは嫌だと言ってくれただろ」 『……うん。だってそんなの…当たり前だよ…』 「それは俺が君の友達だから?」 『……うん』 「………」 暫し躊躇した後返ってきた言葉に創は軽く嘆息した。しかし直後、ふと電話口の向こうから酷く騒がしい音が聞こえてきた。あの凛とした声は明らかに涼一のものだ。雪也を呼んでいる。もしかすると今雪也は涼一のマンションで、涼一の隙を見て電話をしてきてくれたのかもしれない。先日の一件で激情した涼一の剣幕に雪也は当然驚き慌てただろう。そして創が発したという「その発言」が信じられず、いてもたってもいられず電話をしてきたのではないだろうか。 雪也の行動をそこまで想像した後、創は電話を切られる前にときっぱりと言った。 「君が困っても俺は止めないよ」 『はじ…っ』 『雪っ! お前、誰と電話してんだよ、まさか…!』 『りょう…ッ』 「桐野君」 『え…っ』 どんどん近づいてくるらしい涼一の気配を間近で感じながら創は言った。 「好きだよ。剣君なんかに君を任せてはおけない」 『創…っ』 『ふざけ…! 貸せ、雪…!』 『あ…!』 ツーツーツー。 弾みか、それとも涼一が取らずに切ったか。そこで通話は途切れた。 「はっ…」 嘲笑するように息を吐き出し、創は切れた受話器をまじまじと見つめた後肩を竦めた。 らしくない自分。そんな自分に翻弄される恋人たち。 「桐野雪也、か…」 けれど今までにない爽快感と胸に沸き起こる高揚感を消すことができず、創は暫くの間ただ手にした受話器をそのままに、自分の事を「友達」だと言った相手のあの困惑した顔を頭に思い浮かべた。 |
了 |