・素敵なご学友〜賭けの結果は?〜


  ―3―



 そもそもユズル、ハルナ、ハカセの3人にはこれまで自分たち以外の友人というものが皆無だったから、「他人の家にお邪魔する」という事もめったになかった。ユズルは密かな人気者だし、ハルナはこう見えて一応「良いところのお嬢さん」なので、何だかだとお誘いを受ける事はあったが、それでも「こういう雰囲気」での来訪は初めてと言って良かった。
「狭い家だな」
 開口一番ハルナはその真っ先に浮かんだ想いを口にした。
「……痛い」
 そしてその後すぐに仏頂面。後から入ってきたユズルとハカセに、その暴言を吐いたと同時にはたかれたからだ。
「何をするんだ」
「言わないと分からないなら、もうハルナと友達やるのやめるぞ」
「ユユ、ユズルに同感」
「悪い意味で言ったんじゃない。こじんまりとしていて如何にも家庭的な感じがするという、あくまでも好意的な気持ちで言ったんだ」
「嘘つけ!」
「ユズルにど同感…」
「ふん…」
 つまらなそうに鼻を鳴らしたハルナは、しかし依然として偉そうだ。大袈裟に両手を腰に当てると、ぐるりとその部屋を物色する。狭いには狭いが、随分とこざっぱりしている綺麗な部屋だ。普通男兄弟の2人暮らしと言ったら部屋など無尽蔵に汚れそうなものだが、やはり光一郎だ。こういう所でも隙のない奴だと、ハルナは半ば失望した想いでその友人の城を観察しまくった。
「あの、これ」
 そうこうしているうちに、居間と隣接しているこれまた手狭な台所から友之が戻ってきた。四角い盆にカップを乗せ、テーブル付近で立ち尽くしている3人を通り越して、友之はぐらぐらと身体を揺らしながら、それでも何とかそれを目的地へ運ぶ事に成功した。
 カップからは友之が淹れたコーヒーの香りが漂っている。
「あ、ごめんね。気を遣ってもらっちゃって」
 ユズルが慌てたように言い、友之の隣に座った。ハカセも恐縮しきったようになりながら、ユズルとは反対側の友之の隣をキープする。
 必然的にハルナは友之が位置する真向かいに座る事になった。何故か未だに仁王立ちのままだが。
「冷たぃ…飲み物の方が良かったですか…?」
 見下ろすハルナの視線が痛いのか、それとも元々そう言った習性なのか。恐らくは後者だろう、友之は努めて目をあわせないようして俯き、消え入りそうな声でそう言った。
「俺らは何でもいいよっ。な、ハカセ!」
「あ、ああ。もも勿論。どどうもありがとう」
「でも…」
 こんな格好だし…という風に、友之はパジャマ姿の自分を気にしたように上着のボタンあたりをちらと見やる仕草をした。ユズルたちはそれで一層慌ててそんな事は気にするな、むしろそっちの方がいいとか何とか訳の分からない事も口走っていたが、その3人のやり取りを傍観していたハルナに言わせれば、確かに友之はあらゆる意味で非常識な少年だと言えた。こんな風にオドオドとしている割には寝巻き姿なぞで見知らぬ人間3人を部屋に入れてしまう行動、またそれに加えて―。
「……これは何に使うんだ?」
 3つのコーヒーカップの傍に置かれている大きな蜂蜜の瓶にハルナはぴくりと眉を動かした。いや、それだけならばまだいい。コーヒー牛乳に黒酢、粒チョコ、はてはマヨネーズなんてものまである。
 そのくせ肝心の砂糖の姿はない。
「まさかこれを入れるのか?」
「あ…お好みで」
(入れるかよっ!!)
 心の中で激しいツッコミを入れながら、ハルナはしかし至って真面目な顔をしている友之についつい声を出しそびれてしまった。しかもユズルとハカセも普通の顔で喜んでいるようなのでますます文句は言えなくなった。
「俺、蜂蜜入れてみよーっと」
「そそそれなら、ぼ僕は黒酢」
「………」
 素でやっているのか気を遣ってそうしているのかハルナには分かりかねた。この2人とはもう随分と長い付き合いだというのに。
「あ、あの…」
 その時、友之が思い切ったように声をあげた。いつまでも立ちっ放しのハルナが心配だったのだろう。
 それでハルナも仕方なく腰をおろした。
「………」
 友之が兄の友人である自分たちをもてなそうと必死になっている気持ちはハルナにも十二分に分かっていた。元々の性格に加えて今日は具合も悪かったらしいのに、わざわざ中へ招き入れたのだ。別段鋭い人間でなくとも、友之という少年の誠意は痛い程に理解できる。
「うーむ…」
 それなのに何故だろう、ハルナは友之をどうにかして「苛めたい」と思っていた。
 鼻の奥がむずむずするような、そんなおかしな感覚。本能とでも言うのだろうか、それをすれば自分の望むものが見られるような。
 そこでハルナはむっつりとした態度で口を開いた。
「……砂糖はないのか?」
「入ってます」
「入ってる? ……既に入れてあるのか、ここに? しかしもし私がブラック派だったらどうする? そういう事こそ『お好みで』だろう?」
「え…」
「ちょっと何だよハルナ! お前はさっきから〜!」
 ガタンとテーブルに両手をつき、腰を半分浮かした格好でユズルが叫んだ。これにハカセも激しく頷く。
「そそそうだぞっ。ささ砂糖なら、いいつも1つは絶対、い入れるじゃないかっ」
「そういう問題じゃない。今日はたまたまブラックな気分なんだ」
「だったら『砂糖はないのか』なんて訊くな!」
「あ…淹れ直しま…」
「いや、いい」
 カップを引き戻そうとする友之の手からがっしと自分の分を引き止めてハルナは言った。そして続ける。
「それよりもどうして砂糖を最初から入れておいたり、こんな普通だったら入れないような物ばかり並べるんだ? 北川家のルールか? コーヒーに黒酢やチョコレートをぶち込む事が?」
「あ…いいえ」
「光一郎は普段家でどうやって飲んでる?」
「………」
「何だ? どうした?」
 急に黙りこむ友之にハルナが不審がると、その答えはすぐに返ってきた。
「し、知らないんです…」
「知らない?」
「……コ…兄は、いつも自分で淹れて飲んでるから」
「………」
「それで…僕にはいつも砂糖の入ったのをくれるんです。友達も…いつも入れて飲んでたから」
「それで普通は入れて飲む物だと?」
「でもこっ…この間、違う人がコーヒーには…蜂蜜と牛乳入れて飲むともっと美味しいのにって…。でも、ちゃんと出してくれる所がないって。わざわざ言うのは恥ずかしいから我慢して…そ、そのままの普通のを飲むって…聞いたので…」
「………」
「そうなんだー。ああ、それ分かるなあ!」
 ユズルが妙に感心したように声をあげた。
「俺、いつも不思議だもん。コーヒーにはシロップとミルクなんて一体誰が決めたんだろ? まあ確かにそれが定番で美味しいのは確実なんだけど、たまに他のも試したくなる時あるじゃん。けど、そういう変な事するの、外では勇気が要るっていうか、なかなか出来ないよな。で、結局普通の世間がやってるやり方で済ませちゃうの。食事はその典型的な例だね」
「そそそうだな。食事のせせ摂取法なんか、もも元々その時代毎の試行錯誤のけけ結果だと言うのに。いつでも大抵の人は、まま周りがやっている事をそそそのまま模倣する…。違う事をする者は…は、排除したがる、な」
「……じゃあ訊くが、お前らはフランス料理店で塩コショウを持ち出して好き勝手やり出す奴の事を認めるか?」
「そういう事言ってんじゃないって〜。食事にも色々な楽しみ方があっていいんじゃないって話。食事に限らないけど、これって」
「なな何も、他所で決まっているルールを破るのが良い事だとは、いい言ってない」
「……ふむ」
 考え込むようにして後の言葉を切ったハルナと、2人してその「試行錯誤」中のコーヒーを楽しむユズルとハカセとを、友之は1人不思議そうな顔で眺めていた。どこからそういう話になったのか理解できていないという風だった。
 それでも。
 友之がハルナたちを家に招き入れた理由は本当はここにあったのかもしれない。友之はオズオズとしながら口を開いた。先刻預かった光一郎のノートを手元でさらりと撫でながら。
「あの…兄は、大学ではコーヒーに砂糖…入れてるんですか…?」
「ん…?」
「え〜? そういえばどうだったかなぁ?」
「おお、思えば、知らないな僕たちも」
「じゃ、じゃあ…。大学、楽しそうですか…?」
「………」
「……そりゃ、まあ」
「きき北川は、いいいつも、勉学に怠りない」
「勉強ばっかり…?」
「「「………」」」
 3人は友之の質問に一斉に顔を見合わせた。よくよく考えると光一郎は大学ではいつも本を読んでいたりレポートを書いていたり。自分たちが話し掛ければそれなりに対応もしてくるが、あまり一般の学生たちのように遊んだりハメを外したりというのはないかもしれないと思う。
 というか、自分たちは本当は何も知らないのではないか。北川光一郎という男のことを。
「ぼ、僕…何も知らないから…」
 友之が恥ずかしそうに言った。
「今まで自分の事ばっかりで、全然…。いつも何でもやってもらっているくせに何も知らないし…知ろうともしていなかったから…」
「何故?」
「……怖かったから」
 ハルナの質問に暫く考えた後友之はそう答えた。そうしてすっと顔を上げ、本当に一瞬だけだがひどく切なそうな眼差しを向けてきた。
「……ッ!!」
 その真っ直ぐな視線にハルナのハートは見事に射抜かれた。
「そ、それならさ!」
 そんな幼馴染の変調に気づかず、ユズルが元気づけるように言った。
「それならこれから知っていけばいいんだよっ。あのさあ、俺兄弟いないから分からないけどっ。でも家族ってそんなもんかもよ!? いつも一緒だからって早々何でも知ってるわけないし! 知っているって思い込んでいる方が逆に良くないとも思うしね!」
「そそ、それに友之君は…なな何でもやってもらっているって、そそんな事はないとお思う。きき君のお兄さん、きき君の事はほほ本当に嬉しそうにはは話す」
「え…?」
「あっ、そうそう! そうなんだよ! 思い出した! 光一っちゃん、普段はすっごく堅物だけどさー。友之君の事になると人格変わるよねっ。俺が君にケーキ贈りたいって思ったのだってお兄ちゃんが君が甘い物好きだからって教えてくれたからなんだよっ」
「本当に…?」
 さっと顔を上げ視線を寄越した友之に、ユズルは心底嬉しそうに笑い、激しく頷いた。
「そうだよ〜。もうあの惚気っぷりったらさぁ…! あ…で、でも、ごめんね? 毎日毎日はさすがにうざかったよね? 今日お兄ちゃんにも叱られちゃってさ」
「えっ…。そ、そんな事…!」
「迷惑なら迷惑とはっきり言った方がいい」
 すると、しんと黙りこくっていたハルナが急に立ち直ったようになり口を挟んできた。
「むっ、ハルナ! また…!」
「ハ、ハルナ…」
 ユズルのむすっとした顔もハカセのまた何を言い出すのだろうかと唇をへの字に曲げた顔も、その両方を無視してハルナは言った。
「友之君、兄上に言った方がいい。嫌なら嫌、何か望むならこうしたいああしたい。自己主張しなさい。君は確かに人見知りかもしれないし、世間の常識にも多少疎いかもしれないが…。だが、これから幾らでも変われるよ」
「変われる…?」
「ああ、そうだとも」
 あまり変わる必要はないがと思いながらハルナは続けた。
「その為にはあまり内に篭っていないで、私たちのような人間とこうやって接触を持つと良いかもしれない。そうすれば結果的に兄上も喜んでくれるし、私も嬉しい」
「コウが…喜んで…?」
「ああ、間違いない」
「ちょっと待てハルナ、今お前も嬉しいって…」
「お前は黙れ」
 言いかけたユズルを片手で制し、そうしてハルナはここで初めてニヤリと笑った。
「それから、甘い物ばかりでは身体に良くないだろう。今度は辛い物なんかどうだい。丁度良い店を知っているんだ、君の為に今度そこを一軒貸切にしてあげるよ」
「………」
「ハルナ、お前…」
「まま、まさか…」
 唖然としているユズルとハカセ、それに訳も分からずきょとんとしている友之を前にハルナは妙に満足そうに息を吐くと、実に偉そうにふんぞり返った。
 何と教育し甲斐のありそうな人間なのだ。少女でない事、その1点のみが未だ残念で仕方がないが、それを掻き消して尚余りあるあの時魅せられた一瞬の表情。
 そう、この少年は物憂げな顔をした時が一番、もう抜群に可愛い。
 そう、可愛いのだ。
「どうやら…賭けは私たちの負けのようだ」
 けれどそう言ったハルナの顔は、まさしく春の野に咲く精霊…ではなかったとしても、実に清清しく晴れやかなものだった。





 週明け。
「お前ら、やってくれたな…」
 怒った風ではないが静かに不機嫌な光一郎がそう言って現れたのは、晴れた昼下がり。
 3人の定番スポットである中庭の芝生の上でだった。
 しかし3人はそんな光一郎を見てもまるで平然としていた。というかむしろ浮かれていた。ハイテンション持続中だったのだ。
「光一ちゃん、見てみてこれ! 俺の新しい新作! 昨夜徹夜で完成させたんだぜ、可愛いトモちゃんをイメージして作ったの! 名づけて、トモちゃん★いちごスペシャル!!」
「きき北川。こここれ、友之君に、あああげてくれ。今日書店で見つけたんだ、東京下町の写真集。しゃしゃ写真が好きだと、いい言っていたから」
「それで光一郎。私は知り合いのレストランに食事へ行こうと誘ったんだが、友之はいつ頃なら大丈夫そうだ? おっと安心しろ、その店は誰に言っても恥ずかしくない超一流どころだ。値段も気にしなくていいからな。どうせ賭けは私たちの負けなんだし、金のないお前の分まで私が友之に奉仕してやる」
「あー! そうそうそれ! それハルナずるいよなあ、自分だけ先にデートの約束取り付けてさぁ! なあ、そのご飯、俺も一緒に行っていいだろー?」
「お前は辛い物苦手だろうが」
「ハハハルナ。ぼ僕は大好きだ、辛い物」
「お前らなぁ、少しは遠慮しろよ。これは私と友之との2人だけの食事会だ」
「ずりー! ずりーよハルナー!」
「おおお前、友之君になな何か、すすするんじゃないだろうな…!」
「ふっ、安心しろ。私も一発目からがっつく程愚かじゃない」
「………お前ら」
「お、それで光一郎、その件なんだがな」
「じゃ俺2番〜!」
「そそそれなら、僕は3番で…」
「………」
「ん? どうした?」
「どしたの、光一っちゃん?」
「き、北川?」
 しかし3人がそうやって一斉に下を向いたまま顔を上げない光一郎を伺い見ようとした時だった。


「お前ら、二度と俺んち来るな!!!!!」


 静かで麗らかな大学構内。
 普段よりクールで物静かな男として知られるあの北川光一郎が「キレた」という噂が広まったのは、それからすぐの事である。



【おわり】