数馬君ちへ度めのお泊り!


  ―5―



  香坂家専属の老シェフは本来フランス料理が専門なのだが、実際には好みの多様な香坂家の面々にあわせて普段より実に様々な食事をこさえる。元々結婚式やちょっとしたパーティなどでフレンチを基盤としたオリジナルの創作料理にも好んで挑戦したりする人物なので、今日のような「外で気軽な食事を」という主の注文にも抵抗なく従い、そしてより楽しい演出をする事ができるのだった。
「 バーベキューなんて肉と野菜を交互に突き刺して焼くだけでしょ」
  だから主の娘とはいえ、和衛のこんな言葉には心底ガッカリしてしまうし、反論せずにはいられない。
「 和衛お嬢さん、あのですね。この料理をそんじょそこらの串焼き料理と一緒にして欲しくないんですがね。これは―」
「 あ、いい。別に聞きたくない。どうせ私に分かんない隠し味とか工夫をしてるって言いたいンでしょ!」
「 ………」
「 あっ、そっちのお肉もういいんじゃない? 美味しそうに焼けてる! ちょうだいよ!」
  もっとも、老シェフのそんな反論の言葉なぞ和衛がまともに聞くはずもない。彼の努力は彼女のそんな一蹴でものの見事に粉砕されてしまう。
  また鉄板の前でそんなやり取りが交わされている一方、他のテーブルでは数馬の両親と兄の和樹がそこに並べられたシェフの他の小料理を楽しみ、談笑している。さらにその周囲では他の使用人たちがそれぞれ忙しそうに動き回り、彼らに快適な食事空間を提供しようと必死に働いていた。香坂家の庭は実に賑やかな夕暮れ時を送っている。
「 数馬…」
  そしてそこから少し離れた場所では友之と数馬が。
「 んー…」
  友之の呼びかけに数馬は曖昧な返事をした。別に怒った風ではないが明らかに機嫌は良くない。さすがに友之ももう気がついていた。皆がいるテーブルからは大分離れた池の傍の大岩に腰をおろし、数馬は傍に寄ってきた友之をちろりと見やった。
「 何。持ってきてくれたの」
「 う、うん…」
  友之の両手には大皿にたくさんの料理が盛られていて、シェフが焼いてくれたばかりの串焼きも2本あった。数馬の家族らは自分たちから離れている数馬に「とりあえず」近寄ろうとしないので、先ほどから彼の様子が気になって仕方なかった友之が率先してその配膳係を買って出たというわけだ。
「 ありがと」
  意外な程すんなりと礼を言って数馬はそれを受け取った。
  友之はほっとして嬉しそうに笑うと、自分もすぐに数馬の隣に腰を下ろした。
「 数馬、今日何処行ってたの?」
「 塾」
「 塾…? あ、そうか…。授業?」
「 んーん。テスト受けに行っただけ。君は?」
「 え?」
  すぐに切り返されて友之は思わず聞き返した。数馬は前方の水面を見つめたままだ。
  友之はそんな数馬の横顔に何故か無性に焦りを覚えた。急いで言葉を探し、何とか声を押し出してみる。
「 あっ…。きょ、今日は学校で補講受けて…。そしたらお兄さんが迎えに来てくれて、シリューと遊んで…。それと昂馬さんがケーキを買ってくれて、和衛さんとお母さんがそれでどっちがたくさん食べられるかの競争したんだ」
「 ………君」
「 え?」
  黙って聞いていたような数馬がすぐに深いため息と共に声を出し、友之はすぐに聞き返した。
  数馬はあっさりと冷たい言葉を吐いた。
「 ホントに話が下手だね」
「 ………」
「 何その説明。下手過ぎる。それに何かバカっぽい」
「 ご…ごめん……」
「 ………謝るな、バカ」
  友之のしゅんとなった態度に数馬はやがて実に嫌そうな顔をしてそう言った。それからもう一度「はーあ」と大袈裟な嘆息をした後、友之が持ってきた串焼きをひょいとつまみ、それをじっと見つめた。
「 あのねえ、ボクは今単に君に八つ当たりしただけなの。それをそんなバカ正直に謝られても余計に腹が立つんだよね。良くないよ、そういうのって」
「 ごめん…」
「 だから何なのか分からないくせに謝るなっての」
  数馬は今度は先刻よりも強めの口調で言い、それからぱくりと手にした串焼きの肉を口に頬張った。もくもくと食べてから、そこでようやく友之を見やる。
「 トモ君も食べなよ。美味しいよ」
「 あ、うん」
「 バーベキューなんてさ」
  そして数馬は言った。
「 こういう風に庭に出て家族みんなで食べるってやつ。あの人、やたらとやりたがるんだよね。大して好きでもないくせにさ。どうしてそう仲の良い家族を演じたがるかなあ」
「 あの人って…数馬のお父さん…?」
「 うん」
「 仲…いい家族でしょ?」
「 どうかなあ」
  感情の伴わない声で数馬はしらっと答えてから、今度は透明の玉葱をぱくりとやった。友之もそんな数馬を真似して彼の持つ大皿から残り1本の串焼きを取って一口食べた。
「 よく分かんないよ。確かに君んちに比べたらうちってお金持ちだし、両親も健在だし、めんどくさい跡目は兄貴が継いでくれるし。俺って恵まれてるなあって思うんだけどね」
「 ………」
「 でも飢えてんだよ。何か」
「 何か…?」
  数馬の言い様に友之は不意にどきんと胸が震えた。いつもあまり見せない、どことなく暗い雰囲気を持つ数馬の声だったから。
  ただ友之が怯えたのが分かったのだろうか、そんな数馬の態度もそれ一瞬の事だった。
「 ボクにもよく分からない話なんだけどね。うん、自分の事なのに分かんないはないだろって、これ君によく言う台詞なんだけど。実はボク自身も分かんない事あるの、困るね。たださ…人にはその人にあった器ってものがあると思うわけ。その人がすっぽりはまってああ気持ちイイって、その人に本当にあった本当の居場所がね」
「 ………」
「 生まれた場所、育った場所がはじめから運命の器だったとは言い切れないって話」
  そうして数馬は1人その後「ふふん」と鼻で軽く笑った後、友之の手にしている串焼きを見て「あー」と声をあげた。
「 ねえトモ君。そのピーマン美味しそう。ボクの次のお肉と交換しない?」
「 あ…うん」
「 じゃ、あーん」
「 あ……」
  ふざけたように言って大口を開けた数馬は、そのまま半身を寄せて友之が持つ串焼きからピーマンをすっと抜き取って自分が食べた。
「 ん…。じゃ、今度トモ君」
  そうして次に自分が持つ串を差し出し、数馬は友之に1番上にある肉の部分を食べるよう促した。友之が途惑いながらも顔を寄せて自分と同じ所作を取り肉を食べると、数馬は実に満足そうに笑んだ。
  そして言った。
「 やっぱりちょっと癪に障るな。もうちょっとボクの秘密にしておけば良かった、君の事は」
「 え……?」
「 ちょちょちょちょちょっと〜〜〜!!!!」
「 ……だってやかましいじゃない?」
  数馬が肩を竦めてそう言ったと同時、物凄い形相をした和衛が2人の元にやってきた。
「 何何、何、してるのよ、貴方たちは〜〜〜!!!!?」
「 何って」
「 今! 今何だか物凄くイヤらしい事してたでしょ! 2人で食べさせっことかしてた! 私、ちゃんと見たんだから!」
「 したけどそれが何?」
「 な、何!? な、何って、それって何か変よ! 絶対変! そんなのするなんておかしいわよ!」
「 あのさあ、和衛さん。ボクのトモ君をそれだけ気に入ってくれたのは確かに嬉しいけど。君、ますます煩いよ? 大体こんなのでいちいち騒いでいたらこの先もたないと思う」
「 もっ、もたないってどういう事っ」
「 気をつけていないと、この先もっと凄い場面を見せられてしまうかもって事さ」
  今度は和樹がやってきた。数馬のむっとした様子に構う風もなく、和樹はにこにことして言った。
「 今日友之君は2階の客間で寝てもらうから。とりあえずは安心だ」
「 ……っていうか泊まるんですか」
「 何だ。嫌なのか」
「 別に……」
  2人のやり取りを友之が不安そうに見つめているのに気づき、数馬はふんとそっぽを向いた。それから遠巻きにこちらの様子を窺っているような両親をさり気なく示唆する。
「 今日のこと、あの人たちが計画したんですか」
「 そうだよ。正確に言うと父さんが」
「 数馬お兄ちゃんがいると友之さんとゆっくりお話できないからって。でもそのお父さん、急なお仕事でさっき帰ってきたばかりなのよね」
「 悪い事ばかりしているとそういう目に遭うって教訓かな」
  この台詞を放ったのは数馬ではなく和樹だった。
  これにはその場にいた3人が一時ボー然としたのだが、逸早く立ち直った数馬が呆れたように兄の顔を見上げた。
「 一体どうしちゃったんですか。トモ君の毒気に当てられた?」
「 さあな…」
「 あと昂馬さんがケーキ買ってくれたって?」
「 ああ。でも、残念ながらこの夕食会は欠席だそうだ」
「 え…」
  これには友之が思わず失望の声をあげたが、それには和樹も申し訳なさそうな顔をして苦笑した。
「 友之君の頼みだったからきっと迷ったとは思うけどね。あの人はここにいる数馬と一緒で、うちの家族と接触するのが面倒臭いんだよ。嫌いっていうのとは違うと思うんだけど」
「 ……ちょっと」
  数馬が鬱陶しそうな顔をするのを和樹はまたひらりと交わし、それから再び背後にいる両親を見やってから、何やら思惑有り気に頷いた。
「 何?」
  それに数馬がみるみる表情を曇らせると、今度は和衛がぱっと顔を輝かせて叫んだ。
「 あ! スライド見るんでしょ! お父さん、さっき用意するって言ってたものね! 見よう見よう! ほら、友之さんも行こう!」
「 スライド…?」
  友之が不思議そうに首をかしげると、和衛は何やら意地の悪い顔全開になり、ふふんと笑った。
「 この間ヨシノがお父さんの書斎の掃除してて見つけたんだって。何と数馬お兄ちゃんの子どもの頃の8ミリよ!? ふふ、どんな生意気な子どもが映っているのかみんなで見ようって言ってたのよ!」
「 ……っ」
  数馬の子どもの頃。
  見たい。
  友之は和衛のその言葉に自分もぱっと顔を明るくさせたが、瞬時はっとなって数馬を振り返った。
  数馬は何を考えているのかイマイチ分からない表情をしていた。
「 数馬お兄ちゃんがいない間にみんなで見る予定だったと思ったんだけど。まあ結果オーライね? ふふふ、 お兄ちゃんも見たいでしょ? 過去の自分」
「 和衛さん、その言い方かなり性格悪いよ?」
「 普段のお返しよ!!」
  和衛は数馬の発言をきっぱりと切り捨てると、だっと先に走って行ってしまった。和樹もそんな妹の背を追いかけるように踵を返す。
  だがもう1度振り返って友之を見やった。
「 友之君も来ない? 元々父はそれを君に見せたかったから今日の事を企画したらしいんだ」
「 あ…でも…」
  友之が困ったように数馬を見やると、当の数馬はもういつもの様子に戻っていて、「行けば?」とだけ言った。
「 ………数馬が見られたくないなら」
  本当は見たい。とても見たい。
  けれど友之はそう言って浮かしかけていた腰を元の大岩の上に戻した。和樹はそれに小さく微笑んでから自分は先に戻って行ってしまった。
  また2人に戻って数馬が言った。
「 何で? ボクの小さい頃に興味ない?」
「 あるけど…」
「 けど?」
「 数馬が嫌なら無理に見るのは嫌だから」
「 ……ふうん?」
「 過去を見られるの、あんまり嬉しくない…」
「 何? 自分のこと?」
「 うん」
「 ……ふうん」
  数馬は暫くそう言った友之の横顔を見やっていたが、やがて手にしていた大皿を下に置くと、おもむろに友之の肩をぐいとを引き寄せた。
「 か、数馬…っ?」
「 そ。どうでもいいよな、ガキの頃の事なんて」
「 ………」
  ぎゅっと自分を引き寄せたその掌はあまりに力強く、そして背中に当たる数馬の腕はとても頼り甲斐があると感じた。
  数馬の熱を直に感じた。
「 どうでもいいんだよ。だろ? 友之」
「 うん……」
「 だからあの人たちにもそれを教えてやろうと思って、フィルムは既にすりかえてあんの」
「 ………え?」
  突然数馬の言ったその台詞に友之は一間隔の後、素っ頓狂な声をあげた。
「 すりかえた…?」
「 うん。ボク、知ってたんだよねー。ヨシノがあの8ミリ発見したっての。うちの両親、一瞬の趣味って感じで昔ちょっとだけああいうの撮るのにハマッてたようでね。そんなはた迷惑なもん取っておかれて後で見せられても子供としては大いに迷惑なわけ。いるよねー、自分のガキの写真バシバシ撮って悦に入ってる親。ボクね、駄目なのそれ。迷惑なの」
「 そ、それで…」
「 だから、没収」


「 あー!!!」


  数馬が言ったとほぼ同時、遠方から和衛の怒号とも驚嘆とも取れる大声が邸内中に響き渡った。その声を耳に入れながら数馬はしてやったりと言うような顔でにやりと笑った。
「 甘いんだよ」



×××××



  香坂家の面々は8ミリ鑑賞会が思ったものとまるで違うものになってしまった事が余程ショックだったのか、夕食の後友之のことをなかなか放そうとしなかった。
  お茶にデザートに、またケーキだと、さんざ品を変え過剰な持て成しをした後、その友之の隣で悠々としている数馬の事も一通り責め立てたりした。数馬は全く平然と「可愛い犬ミリだって楽しかったでショ」と、自分が摩り替えていたフィルムの事を持ち上げ、友之にも「あれ、良かったよねえ?」などと同意を求めた。
  友之がそんな数馬に逆らうはずもなく、それで他の家族たちもそれに渋々頷くしかなかったのだが。
「 友之君。あれでも数馬は真っ直ぐかい」
  いよいよ夜も更けてきた頃、友之があてがわれた客間へ入ったと同時、数馬の父親・数成がやってきてそう訊いた。他の家族もそれぞれの部屋へ引き上げ、数馬が風呂へ行っているところを見計らっての訪問だった。
「 別にあいつを騙そうとか嫌がらせをしようとか、そういう気はなかったんだがね。あいつがあまりに私たち家族と関わろうとしないので、8ミリが見つかった時は柄にもなく妙にはしゃいだ気分になってしまったんだよ。結局、いつあいつに品をすりかえられたのかも全く気づかず、間抜けな上映会になってしまったわけなんだが…」
  傍の椅子を引き寄せて座った数成は大人気なく本当に悔しそうな顔をしていた。友之はベッドに座った状態でそんな目の前の相手をじっと見つめた。
  この人も和衛と一緒で数馬と似ている。
「 あ……」
  ああ、でも。似ていないかもしれない。
「 ん?」
「 あ、いえ…」
  言葉を濁し、友之は半ば混乱した思考をすぐにストップさせた。
  そしてその代わりにとばかり、友之は遠慮がちに別の言葉を紡いだ。
「 数馬君、照れただけだと思います…。僕も昔の自分なんて…あまり見たくないし」
「 ……そうか」
「 あっ…でも。でも、お父さんたちを嫌うとか怒るとか、そんな風でもなかったし…。数馬君、そういうところさっぱりしているって」
「 そう思うかい?」
「 はい」
「 うーん、友之君は素直過ぎるなあ」
  まあ、そこがいいのかな?
  数成はそんな事を呟いてからぽりぽりと顎先を指で掻いた後、長い足を組んで悠々と背もたれに寄りかかり、その双眸を薄めた。それは友之を品定めしているようにも、また微笑ましいものを単純に観察しているようにも見て取れた。
「 あの…」
  けれどそれに友之が堪らなくなって声を出すと、数成は「ああ」と言って我に返り、片手を挙げた。
「 いや、長居をして悪かったね。そろそろ戻るよ。友之君、これに懲りず、是非また遊びに来てくれよ」
「 は、はい…っ」
「 相変わらず内線は鳴るわ、外であいつらは聞いているわ…」
「 え?」
「 お父さん」
「 わっ! ちょっと何よお兄ちゃん! 押し退けないで!」
「 数…っ?」
  友之がその声に驚き顔を上げると、知らない間に開いていた部屋の扉の前には数馬と和衛と……。
「 もう2人共、こんな遅くに大きな声はやめなさい」
「 お母さん、大声を上げているのは和衛だけだよ」
「 な、何よ和樹兄さん、数馬お兄ちゃんの肩を持つの!」
「 そうじゃないけど…。ああ昂馬さんが呼んでる。ちょっと行ってくるよ。友之君、おやすみ」
「 あ…おやす……」
  そこには数馬と和衛の他に長兄の和樹、それに母親の峰子までがいたのだった。皆それぞれの部屋へ行ったはずなのに、数成の後をつけてきていたのだろうか。
「 ね、トモ君」
  驚き固まっている友之に数馬が部屋の入口に立ったまま声を掛けた。友之がそれに反射的に目だけで反応を返すと、数馬は既に呆れを通り越したような表情でその場にいる家族には一切目をくれずに続けた。
「 うちの家族って変でしょ」
「 ………そ、そんな」
「 ボクがこういう人になったワケもちょっとは分かった?」
「 数馬、何だその言い方は」
「 そうよ数馬さん。私もそれは引っかかるわ」
「 私も! 何よ自分ばっかり偉そうに!」
  これには数馬の両親、和衛が一斉にパッシングしたが、数馬はやはり動じなかった。ただ真っ直ぐに友之を見つめ、そしてその目が繰り返していた。

  分かった?と。

「 うん…。ちょっとだけ、だけど」
  だから友之はそう答えた。
  そう答えてちょっと笑い、それから「やっぱり分からない」という風に少しだけ首をかしげた。実際分かったような分からないような、そんな気持ちだったから。
  それでも友之は自分の目の前に立つ数馬と、その周りにいる人たちを順繰りに見つめながらそっと思っていた。

  もっともっといっぱい知りたい。



  香坂家の夜は…いや、朝も昼もどんな時も、友之にはとても明るく幸せなものに思えた。その場にいられる自分が何だかとても嬉しく、幸せだった。
  また来たいと言ったら図々しいだろうか? 
  だから友之はそんな事を思いながら、それでももし明日起きた時もそう訊く勇気が残っていたら、口に出して言ってみようと心密かに誓った。それは大それた決意だったけれど、そうしようと強く思った。
  彼らがその願いに嬉々として応えてくれるだろう事など露程も思わずに。



【おわり】