カッコイイ恋人 |
★ |
最近、雪也は涼一の自分に対する行動にいちいち敏感になっていた。 たとえば学食で。 たとえば大学構内へ至る出入口で。 たとえば学内のベンチで。 「 はい雪」 涼一は学食では必ず雪也が座ろうとする椅子を自ら引いてやるし、大学に限らずともたとえばドアのある所では、真っ先に自分がその扉に手を掛けて雪也を先に中へと入れる。 ベンチに座る時もそこが汚れていないか、先に掌で払ってよく確認してから、大丈夫みたいだと雪也を促す。 「 そ、そんな事しなくていいよ」 自分は女ではないのだし…と、雪也はその都度折に触れ言ってみるのだが、それでも涼一はそれらの行為をやめようとはしない。 むしろ実に不可解だというような顔をして言い返すのだ。 「 別にこういうのは男だとか女だとかってのとは関係ないよ。少なくとも俺には関係ない。俺にとって雪は大事で護ってやりたい存在だから、そういうのもフツーに自然にやっちゃうっていうか。だから雪は俺のそういうのにいちいち気を遣う必要はない」 「 ………」 「 ……それに俺、お前じゃなくてもやる事あるよ。こういうの」 雪也があまりにも納得しかねる表情をしていたからだろうか、涼一は仕方がないなというようにそう言ってから、肩を竦めた。 「 昔言わなかったっけ? 俺、ガキの頃ちょっとだけイギリスにいた事があったからさ。向こうじゃ当たり前だったし。…ま、確かにあの当時はこういうのやってやる対象はもっぱら女に対してだったけど」 「 イギリス…」 「 あれ。言ってなかったっけ」 「 あ…。ううん、聞いた事あるよ。そういえばそうだったなと思って…」 雪也のどことなく考え込むような態度に涼一は未だ憮然として何事か探るような目を向けていたが、やがて「もういいだろ」と言ってこの会話自体を止めてしまった。 「 ……うん」 それで雪也もそれ以上は言い出しにくく、涼一に話しかけるのをやめた。 涼一から「スキ」だの「アイシテル」だのを言われる事に、雪也は慣れたようで実際のところは全然慣れていなかった。元々他人から好意を受け取る事に躊躇いや恐怖を感じるタイプである。ましてやそんな雪也に対し、恋人である涼一は全く正反対の性格を有しており、誰にも物怖じせずストレートで、愛情表現もかなり熱烈な部類に入る。そんな涼一という人間は、創や母の美奈子に言わせれば「困った人」、「おかしな奴」でも、雪也にとっては相変わらず「凄い」存在だった。 涼一は自分にないものをたくさん持っている。整った容姿やスラリとしつつも男らしい体躯…人を楽しませる明るい性格に堂々とした態度、そして実行力。頭の回転も速い。口を開く前に涼一に先読みされる事などしょっちゅうだった。 更に言えば、先日までつい失念していたものの、涼一はイギリス滞在の経験もあるから外国語が堪能だ。 凄い。 涼一は凄い。 何でも持っている。 自分が持っていない、何もかもを。 「 ……凄いな」 改めて声に出してみて、雪也は何故か不意に胸が痛くなるのを感じた。それが何なのかは、どういった感情からくる痛みなのかは、雪也自身にも分からなかった。 ただこの頃はいつも考えてしまうのだ。涼一の「凄い」ところ、そんな涼一が自分にあれ程までの優しさをくれることを。 そんなある日、いつものように誘われるまま涼一のマンションへ足を運んだ雪也は、ちょうど出入口の自動ドア付近であまり見かけない背の高い人物と鉢合わせした。相手の背丈も身体の横幅も雪也の倍はあった為、下を向いて歩いていた雪也はその人物の腹あたりに思い切り頭をぶつける事になってしまった。 「 あ…」 そして慌てて顔を上げた時は、思わず驚きの声が出た。 「 Sorry, are you all right?」 そこには白い顎髭をたくましくたくわえたがっちりとした体形の老紳士が立っていた。アメリカ人だろうか、大きな青い目に薄くピンクがかったその血色の良い顔色を前にして、雪也はあっという間に固まった。 涼一の住むマンションは完全オートロック式で、来訪時はルームナンバーを押してそこの住人に入口を開けてもらう。雪也は涼一からスペアキーを受け取っていたからそうしなくとも入れるのだが、大抵は律儀に涼一に来た事を告げ、中へ入る。その場合、過保護な恋人は十中八九下のロビーまで雪也を迎えに来るのだが…そしていつもはわざわざ来なくても良いと断っているのだが…。 今ほど涼一に「迎えに来て欲しい」と願った事はなかった。 「 Can I ask a little about this neighborhood?」 「 え? あ、は、はい…?」 ぶつかったのはお互い様だが、むしろ下を向いて歩いていた雪也の方にこそ非があっただろう。しかし自分から先に失礼を謝罪した(らしい)その老紳士は、更に2、3ほど何事か話しかけると、更に雪也に物を訊ねてきた。 「 え、えーと。Yes?」 何とか頷くも、はっきり言って英語など自信がない。反射的に応えはしたものの、今すぐここから逃げ出したい。 しかし相変わらず石になったままのそんな雪也に、相手は反応を得られた事が嬉しかったのか、体を屈め視線をあわせながら尚も続けて話し掛けてきた。 「Is there any supermarket nearby? I would like to make a feast to my lover, who I have not seen for a long time.」 「 え? え? あ、あの…」 早過ぎる。 もしかしたらもう少しゆっくり、または紙に書いてもらえれば分かるかもしれないが、如何せんリスニングなど高校の授業でちょっと齧ったくらいだ。勿論、自分勝手で束縛の激しい母のせいで海外旅行などもした事がない。というより、国内旅行とて滅多にした事がない。 もっと言えば外国の人とは接した事が皆無である。 「 …………」 雪也が困っているのが分かったのか、老紳士は少しだけ苦笑した後、言葉を変えて更に身振り手振りで話し始めた。一生懸命な様子が伝わってきて何とか返したいのだが、簡単な単語すら一言も浮かんでこない。駄目だと、ただそれだけ思った。 けれど、その時だった。 「 どうした、雪?」 チン、という音がしてエレベーターの扉が開いたのとほぼ同時。 階上の自室からやっぱりわざわざやって来た涼一が、雪也のただならぬ様子を察してすぐさま声を掛けてきた。 「 涼一…!」 「 何そのオッサン」 相手に聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟いた涼一は、つかつかと歩いてきたと思うや否やすかさず雪也と老紳士の間に身体を割り込ませ、硬直したままの雪也を相手から完全に隠してしまった。 「 To a supermarket? Well, turn right at there, go straight for a while, and you'll find one soon on the left side」 そうして何事か親しく話をした後、涼一はどうやら道を訊いていただけらしい老紳士に通りの道を指し示しながら、実に滑らかな口調で普段の誰にでも見せる柔和な対応をした。 雪也がぽかんとしている間に事は済んで、老紳士は心底満足そうに何度も「Thank you」と言うと、そのまま通りの向こうへ去って行った。 「 Good luck and have a nice time!」 涼一もにこやかな様子で、彼に向かって手を振った。 それからようやくボー然としている雪也を振り返り見る。 「 どうした?」 「 あ…ううん…」 「 何、びっくりした? あー雪は典型的な日本人だからなあ。英語聞いただけで真っ白になったんだ?」 「 うん…」 「 普通に聞いてりゃ雪なら絶対分かったよ。あの人訛りもなかったし」 「 そんなの…。あ、ありがとう涼一」 「 え?」 ぼそぼそと礼を言う雪也に涼一は一瞬きょとんとした後、途端可笑しそうに笑った。 「 ははっ、何言ってんだよ。雪、大丈夫か? あの人な、この上の階にいる住人の恋人なんだってさ。すげー久々に会いに来たみたいで、今現在尽くしまくりなんだって」 「 へ、へえ…?」 「 それより早く部屋戻ろう。寒くないか?」 そう言いながら、涼一は優しく労わるような仕草で雪也の腰をさり気なく抱いた。 雪也はそんな涼一に何とも答えられなかった。 「だから」というわけでもないが、部屋に入ってそこを一目見た瞬間、雪也は心底ほっとした。涼一の方は多少罰の悪い顔をしていたが。 「 悪い。雪が来る前にちょっとは片付けようと思ったんだけどさ…」 雪也が現れないと、涼一の部屋は短期間でこれでもかという程に散らかってしまう。今もまさにそうで、読みかけの本やら脱いだままの服がそこらに放置されているわで、普段の完璧な立ち居振る舞いを見せる涼一からは想像ができない程の「惨状」だ。 「 俺、片付ける」 しかし雪也は嬉しかった。 「 あ、俺もやるから!」 慌てたようになって下に落ちているものを拾う涼一に、雪也はもう1度安心したようになって笑った。掃除する事など苦ではない。否、掃除だけではない、食事だって洗濯だって何だって。 雪也は涼一の家事能力のなさに呆れた事など1度もなかった。 良かった、まだ自分が涼一の為にしてやれる事があって。 むしろそう思うのだ。いつもいつも涼一にしてもらうばかりで、それを返せない自分を心苦しいと思う。だからせめてこんな事でも役に立ちたい。 「 嬉しいな…」 その気持ちが今まさにピークだったからか、雪也は無意識のうちにその想いを口に出してしまっていた。 「 え?」 それに対し、当然の事ながら涼一はぴたりと動きを止めてその発言の意に首をかしげた。もっとも、その発した台詞に引っかかりを覚えたというよりは、涼一は雪也のその安堵したような綺麗な笑みに見惚れて動きを封じられだけなのだが。 「 ど、どうかした、雪?」 微かに顔を赤くする涼一には気づかず、雪也は何でもないと首を振ると、更に一層嬉しそうな笑みと共に珍しく弾んだ口調で言った。 「 今夜はさ、涼一が好きなものを何でも作る。何がいい?」 「 え…。ど、どうしたんだよ、急に」 「 え?」 「 いや…。な、何か雪…妙に優しいから…」 「 え…」 「 あ、いやっ。雪はいつでも優しいけどな! 何か、さ…。いつもより…」 「 涼一のこと好きだから…」 それは雪也自身、ほぼ反射的に紡いだ言葉だった。 らしくもなく浮かれていたのかもしれない。涼一に何かしてやりたい、何かせずにはいられない…。その想いが昂じて、その想いを突き詰めた結果、自然に出て来た台詞だった。 「 ……………」 バサバサと、涼一は片付けようと胸に抱えていた数冊の本を全て床に取り落とした。 「 ………………」 しかし涼一はそれらを落としてしまった事に全く気づいていないようだ。完全にフリーズ状態で、未だ両手を本を抱えたような形で止めたまま、ただ自分に向けて声を発した恋人を…雪也の顔をじっと見つめた。 「 あ、あのさ!」 一方の雪也も自分の発した台詞にいっぱいいっぱいになっているようだ。涼一の反応にも途端カッと赤面してしまい、雪也は急に湧き上がった焦りを誤魔化すようにまくしたてた。 「 あの…っ。俺、最近涼一のこと、凄くかっこいいなって…。そう、思ってて! あ、勿論それは前から思ってたんだけど…っ」 「 ………」 「 でも最近は特に…そうで…。それに涼一、いつも凄く優しいから。だから、それで…! 俺、前よりもっと涼一の事好きだなって…。涼一のこと考えてると……何だか凄くドキドキするんだ」 「 ………」 「 あの…? 涼一?」 心の中に積もっていた事を全て吐き出した雪也は、しかし目の前の恋人が相変わらず何も発せず、何の表情も見せない事で、困ったように眉をひそめた。 こんな事を言って迷惑だったんだろうか。当たり前かな、ちょっと馬鹿みたいだものな…。 しかし、雪也がそう思っていつもの如くどっぷりと反省しようとした時、だった。 「 雪――――――――ッ!!!!!」 「 は…っ!?」 気づいた時にはもう押し倒されていた。ダーンッと物凄い音が響いたと認識した時には、雪也はしこたま打った背中の痛みで頭がクラクラしてしまった。 「 雪、雪、雪ーっ!!!」 「 わっ…!?」 しかし涼一は止まらない。 「 俺も大好きだ! 雪の事めちゃくちゃ大好き! 愛してる! 雪っ、雪も俺の事好き!? 俺の事愛してるか!? くそー、可愛いー!!!」 「 ちょっ…涼…!? ま、待っ…!!」 「 幸せだ――――――ッ!!!!!」 「 !!!!!」 ……そんなこんなで。 嬉しさの最高値を超えまくり、完全に壊れてしまった恋人・涼一を相手に、雪也はその晩……否、翌日の夕方近くまで拘束され、愛されまくる事となった。 「 も…涼一、もう、駄目だってば…ッ」 「 はあ…。雪、雪、可愛い。もっとしたい!」 「 や…ッ! ん、んぅーっ」 その為、せっかく芽生え始めていた(?)雪也の「カッコイイ涼一」像は、その日を境に脆くも崩れ去ったのであった。 |
★ |
【おわり】 |
…英語の会話部分、ご指摘頂いた箇所を修正しました。ありがとうございます!