マスター不在のある午



  その日、バッティングセンター「アラキ」では、実に珍しく光一郎、修司、中原の3人が揃って顔を出していた。修司はこの店の主である父親から店番を命じられた為、中原はちょうど日曜日の練習を終えて草野球チームの面々と恒例の一服に立ち寄った為。
  そして光一郎は弟である友之の「忘れ物」を届けにやって来たというわけだ。
「 裕子さん、いつになく喜んでたねえ」
  自分の恋人をどことなく他人行儀に呼んだ修司はカウンター内でグラスを磨きながら、先刻友之と嬉々として出て行った彼女の事を可笑しそうに笑った。
「 別に着替えなんか持ってかなくても、あの調子じゃ、あいつトモに必要だと思ったもんは全部買っちまうぜ」
  光一郎の隣に座った中原もやや苦笑気味にそう付け足した。
  裕子が「トモ君をうちに泊める!」と、それこそ一ヶ月も前から宣言していたのには理由がある。今でも友之を実の弟のように想っている彼女は、最近の周囲が友之を構い倒す状況に我慢がならないようなのだ。

「 この間も立て続けに数馬君の家には泊めさせたんでしょ! 何なのコウちゃん! だったら私にもトモ君貸して!」

  この際友之の意思はどうなのかとか、そもそもお前のその言い方は何なんだと光一郎も思わないでもなかったのだが、当の友之本人がいつ懐柔されていたのか、「裕子さんの家に行く」と言ったものだから、光一郎以下、残り2人の兄もその状況を黙認するより他なかった。
「 なあなあコウ兄ちゃん。そしたら、裕子さんの次は俺んちにお泊まりさせて。トモをさ」
  修司が妙に甘えたような言い方をすると、案の定カウンター席で煙草をふかしていた中原がすかさず殺気立った声を上げた。
「 テメエは、死ね!」
「 うわっ。……どうよ、コウ君。俺はただ単に俺もトモをうちに泊めたいっ思っただけなのにさ。死ねだって、この人。ひどくない?」
「 さあ」
「 ふっ、さあってなあ…! あ、ならこうする? あんまり気が進まないけど、俺の次は正人君がトモを泊めてもいい。あのゴミ溜めのような部屋にさ」
「 修司! テメエ!」
「 こーら、そこの2人。いい加減やめろって!」
  3人の遣り取りを黙って見守っていたチームメイトたちだが、中原が心底激昂したように立ち上がると、ようやくそのうちの1人が傍のテーブル席から立ち上がって間に入ってきた。
  村井という、そもそも中原にこの野球チームを引き受けてくれないかと声を掛けた世話好きの電気店店主である。
「 コウも黙ってないで止めないか。こいつらのいざこざは俺も見慣れちゃいるが、どうにもハラハラしちまって心臓に悪い」
「 村さんの言う通り!」
  すると自分もこの会話に入れろとばかり、同じくチームメイトの椎名が光一郎の隣に座ってきてうんうんと深く頷いて見せた。ムードメーカー的存在の椎名は、普段は普通のサラリーマンだが、こういう場ではその年齢に見合わずどことなく幼い印象を人々に与える。
  それは多分に彼の言動によるところが大きいのだが。
「 なあなあ。順番にトモをお泊まりさせるって企画、俺も是非入りたいんだけど。コウ、駄目かなあ?」
「 は?」
「 椎名っ! テメエは毎度毎度…! 何でそうなる!!」
「 うっ…。村さーん」
「 ……俺を頼るな。しかし正人、ちっとは落ち着け」
  年下のリーダーに怒鳴られ情けなくも自分に助けを求める椎名を村井は慣れた目で見つめた。それでもやはり争い事は好まないのだろう、「一応」中原の肩をぽんと叩き諌める。
  修司は今やぽかんとしてその状況を眺めるだけだ。光一郎も然り。
「 し、しかしだな!」
  一旦場が納まったのを確認してから、椎名は尚も負けずに喰らいついた。
「 そもそも正人はトモを囲い過ぎるぞ。トモをチームに入れたのはもっと外に目を向けさせる為なんじゃないのか? それなのにお前や数馬ばっかあいつといてさ、俺らと話す機会なんか全然ないじゃないかよ! そんなんでいいのか? え、コウはどうよ!? 兄貴として!」
「 は、はあ…」

「 そうだそうだ!」
「 私もそれはそう思います!」
「 俺も!」
「 私も〜!」

「 ……ッ!! テ、テメエら…!!」
  こんな風景を何処かで1度見たような気がする…。(※宴「たいせつ」第1話)
  中原はつい先日あったはずの出来事を思い返しながら、背後のテーブル席で次々と手を挙げ始めた変な大人たちにプルプルと拳を握った。
  まったくいつの間にこんな事になってしまったのか。
  彼らの中で友之は既にチームのマスコット、もしくはアイドルのような存在となっていた。恐らくは友之自身から発せられる何とも頼りない儚げな雰囲気や、それでも一生懸命場に慣れようと奮闘している健気な姿が、普段殺伐とした生活に身を置いている大人たちの潤いとなっていたのだろう。
  それと、もう1つ。

「 あーあ、気持ち悪いオッサン連中だよなあ」

  もう1つの理由は、その友之と同じ年齢であるこの人物に拠るところが大きいだろう。
「 みんなで馬鹿みたいに手、挙げちゃって。妻子持ちの人までトモ君に手を出そうなんて、禁断の愛にも程があるよ。ボクみたいな純粋な子どもには耐えられない」
  珍しくボックス席で打ち込みをしていた数馬は、いつの間にそこから戻ってきていたのか、木製バッドを肩に抱えた格好で呆れたような顔を見せた。
「 でもそんな醜くトモ君争奪戦を展開したところで、皆さんじゃあ、労力費やした分だけ無駄だと思うんだけど」

「 煩せえバ数馬!」
「 そうだ! お前は全っ然可愛くねえ! トモと同じ高校生のくせに!」
「 そうだそうだそうだー!」
「 引っ込めー!!」

「 ……別にいいですよーだ。皆さんに可愛いとか想われるトモ君に同情しますよ、ボクは」
  テーブル席から一斉にブーイングを受けても数馬はそ知らぬ顔だ。フフンと鼻で笑い飛ばした後、カウンター席にいる3人に近づき、中原の隣に腰をおろす。
「 で? 中原先輩としてはどうするんです? 皆さんのうちの誰にトモ君をあげるの?」
「 誰にもあげるわけねーだろッ!!」
「 そこの修司さんにも?」
「 当たり前だ!!」
  思い切り怒鳴った後、中原は舐めるように背後に座る大人たちを睨み据え、ドスの利いた低い声で言い含めた。
「 いいか、テメエらもくだらねェ事言うんじゃねえよ。トモはお前らの事なんざ認識もしてねえんだからな」
「 ひ、ひでえ…」
「 あんまりな言いようだ…」
  椎名たち数名がボソリと不平を述べたが、それは見事にスルーされた。
「 ……と、とにかく」
  そして場をまとめるように村井が「まあまあ」と両手を前へ出した。相手をなだめようとする時に見せる彼の癖のようなものである。
「 みんなのトモへの熱い想いはくだらなくなんかないとして、だ。この言い争いは不毛なわけだから、ここらでお開きだ。いいな?」
「 あ!」
「 ん?」
  その時、村井の提案をかき消すようにして不意に素っ頓狂な声をあげた者がいた。
  修司だ。皆が何事かと見やる前でぽんと手を叩き、「思い出した」などと呟いている。
「 こういうのどっかで見た事あると思ってたんだなあ。あれだあれ。うん、ならあの話みたいにここでもそれをすればいいわけだ。勝者は姫に捧げるプレゼントで決める」
「 ……お前は何を訳の分かんねえ事言ってんだ?」
  中原が冷めた目を向けるのにも笑顔で返し、修司は淡々と言った。
「 どこかで書かれた昔話にもあるんだよ。可愛いお姫様を色んな奴が嫁にくれって言いに来るもんだから、その国の王様は言うわけだ。『ならば姫が一番喜ぶだろう物を持ってきた者に姫をやるとしよう』ってさ」
「 あー、ボクもその話どっかで読んだ事あるかもー」
  数馬が「それ何だっけなー」と言いながら首を捻る。
  すると大抵の者が怪訝な顔をしている中、すかさず椎名が目を輝かせて手を挙げた。
「 じゃ、俺! 俺もトモに何かプレゼントするわ! んで、それ気に入ってもらえたらお泊まり会OKって事だ!? な、な?」
「 だから、何でそうなる!」
「 ああ、そういう事か! いや、それは面白い!」
  すると今度はテーブル席から俺も我もと、その「お姫様にプレゼントするぞ大会」に次々と名乗りを挙げ始めた。しかもその展開にまたまた怒筋を浮かべ始めたチームのキャプテンには、今度は誰も反応しない。
  皆を代表し、修司が光一郎を見て言った。
「 なあモテモテ姫のお兄さん? どうよ、これ。トモはみんなから心の篭ったプレゼントを貰える。トモに喜んでもらえてこのオッサンたちも幸せになれる。一石二鳥だろ?」
「 ……修司」
「 はーい、んじゃトモ姫にプレゼントしよう会に参加する人〜。それぞれ紙に捧げ物の内容書いて提出なー」
  修司の気紛れは今に始まった事でもないのだが、光一郎が憮然と、中原が怒りで逆に動きを止めている間に、この話はぽんぽんと先へ進んでしまった。
「 しょうがないなあ、はい、じゃあボクが票集め係ねー」
  しかも数馬までもが面白そうにテーブル席でメモ用紙などを配り始めるものだから、結局そのプレゼント会は実行される事になってしまった。

  そうして―。

「 またバラエティに富んでるなあ」
  企画立案者の修司ではなく光一郎の元に集められた匿名メモを前に、それぞれ顔を寄せた者たちは興味津々でそこに書き込まれた内容に目を落とした。
  ちなみに中原はいじけてカウンター席の端で1人煙草をふかしている。
「 差別が起きないように品物の名前しか書かせなかったから。こっから光一郎さんが1番ってものを決めて下さい!」
  既に修司より場を仕切っている数馬が元気良く言った。
「 え…俺が選ぶのか?」
  これに驚いたのは光一郎だ。どことなく部外者のような感があったから、メモとて何故俺の所に集めるんだと思っていたくらいなのに。
「 言い出したのは修司だろ」
「 何言ってんですか。トモ姫の王様は光一郎さんでしょ。さあさあ、この中でどれがトモ君にふさわしいプレゼントだと思うの?」
「 あれ、そういや数馬。お前は参加しないのか?」
  修司がはたと思い出して訊いたが、これにも数馬はとぼけるだけだった。
「 しないですよ、こんなの。大体、いちいち貢物なんかしなくたってトモ君はいつでもうちに泊まりに来てくれますもん」
「 数馬…お前やっぱりヤな奴だなあ」
  これには椎名がぎりぎりと歯軋りする。
  周りの大人たちも同様だ。しかし今は数馬を責めている時ではない。皆、光一郎が誰のメモを選ぶのかとひたすらやきもきしていた。
  光一郎はそんな周囲の重圧に負け、ため息と共に再度そのメモに書かれた文字を簡単に追ってみた。


捧げたい物
贈り主
トモを邪な目で…?
・文房具セット 一宮和志 健全
・京風浴衣 具五祥 健全
・超特大カツレツ定食1年分 熊本大二郎 健全
・でかい熊ちゃんのぬいぐるみ 椎名澄人 思い切り見てる
・お金 杉本博巳 見てる
・iPod 鈴木市朗 健全
・マウンテンバイク 平正直 見てる
・ダイヤモンドリング 蕗嶋亨 思い切り見てる
・スポーツウエアー 牧野真一 健全
・ゆったりお風呂セット(パンツもつけるよ!) 水乃屋幸平 天然
・携帯ゲーム機 村井祐次 健全
・家 湯口功治 ちょっと見てる
・犬 渡辺隆 ちょっと見てる

(※反転で解答が閲覧できます。椎名の贈り物はどれでしょう!?)


「 ……家とかあるんだけど」
  光一郎がぼそりと呟くと、数馬は傍でゲラゲラと笑っていたが、中原は「馬鹿だ馬鹿ばっかりだ!」と怒鳴り声をあげた。
「 何なに〜? うわ〜、これ結構馬鹿っぽいな」
  修司もメモを覗きこんで苦笑する。自分で言い出したくせに何故か参加していない修司は、「でも誰が書いたかとか凄い予想できるな、これ」と言った。
「 おい、誰だカネとか言ってる奴! コウ、こんなのは除外だよな!? 大体金にものいわせて高いもん買ってやるとかっての、如何にも年のいったオヤジがやりそうな事だよ! トモは高校生だろ、もっと夢のあるもんにしろってんだ!」
  一応、普段は年上のチームメイトにはそれなりに礼を尽くしている椎名だが、こと勝負が入ってくるとそういう事は関係なくなるらしい。ムキになって暴言を飛ばす彼に、しかしここで数馬が嘲るような目を向けた。
「 そういう椎名さんはまさか熊のぬいぐるみとか恥ずかしい事書いた人じゃないでしょうね?」
「 なっ…何でだよ!!」
「 こん中で一番ちょっとやらしい感じするよー。でかいぬいぐるみとかって。しかも熊ちゃん」
「 何で!? 可愛い子に可愛いもんやるのの何がやらしいんだよ!」
「 椎名…。お前は、もうちょっと金掛けろよ」
  すると背後から誰かしらの哀れむような声も掛かった。
  その後もわいわいと誰が何を書いたのかの大予想合戦で店内は大いに盛り上がった。ちょうど他に無関係の客がいなかったから良いようなものの、はっきり言って異様な雰囲気である。
「 ……犬は喜ぶだろうけど、うちは飼えないからな」
  光一郎が最後のメモを見て言った。
「 で? 光一郎兄さんとしてはどれが1番いいと思ったんだ?」
「 ……………」
  村井の言葉に騒ぎまくっていた周囲が一斉に黙り込んだ。
  しんとした店内、光一郎は自分に集中した視線に辟易しながら肩を竦め、曖昧に笑んだ。
「 どれもいいですよ。けどこんな高い物は貰えません。気持ちだけ頂いておきますから」
「 えーっ! じゃあトモのお泊まりは!?」
「 最初っからんなもんはねえ!!!」
  光一郎の発言に乗るように、ようやく立ち直った中原が言った。
  それからつかつかと歩み寄り、カウンター上のメモを奪い取るとキンキンとした声で続ける。
「 許されるのは文房具セットとカツレツ1年分くらいだな! あとは何かむかつくから、これ書いた奴ら、後で全員覚えておけよ!」
「 えー!!」
「 そんな、正人!!」
「 お前、これ以上俺らをしごくって、実はSか!?」
「 るせーっ! もう解散だ解散!! 散れっ! この馬鹿オヤジども!」

  こうして。

  お楽しみプレゼント会は全く意味を成なさないままに終息と相成った。
  修司はそんな展開を既に読んでいたのだろう、「あー楽しかった」と他人事に呟いた後、帰ろうと席を立った光一郎ににこやかに言った。
「 んでコウ兄ちゃん。俺のお泊まり会のことだけど」
「 却下」
「 あ、やっぱり?」
「 大体、あいつが誰を選ぶのかなんて決まりきってるだろ」
「 ……そう? 君?」
「 馬鹿。プレゼントなんかなくてもあいつはお前んとこに行きたいって言うに決まってる」
「 あれー、ボクは?」
  数馬が不満そうに言ったが、2人の兄はそれにあからさまの無視で答えた。
「 ちぇ」
  数馬はつまらなそうに舌打ちした後、未だ店の外で彼らを追い出しに掛かっている3人目の兄を見やりながら、ため息交じりに呟いた。
「 まったく、どいつもこいつも面白過ぎるよ」
  しかし数馬のそんな皮肉に耳を傾ける者は、その場には唯の1人もいなかった。



×××××



  友之が嬉々として光一郎の元に帰ってきたのは、翌日の夕刻前だった。裕子の家にいる愛犬と思う存分遊べた事が嬉しかったのか珍しく饒舌で、テーブルに置いた「土産」と一緒に、いつも以上に光一郎の傍に張り付いて離れない。
  そして光一郎は友之が目を輝かせて「早く食べてくれ」というその土産を前に固まっていた。
「 ……裕子と一緒に作ったのか?」
「 うん」
「 ………」
  大きな四角い箱の中には、一体どこのお誕生会なのかというような大仰なショートケーキが入っていた。大ぶりのいちごがこれでもかという程のっていて、カステラの間にもごてごてと様々なフルーツが挟まっている。
  極めつけは明らかにのせ過ぎだろうという生クリームだ。あまり甘い物が好きではない光一郎は、箱から漂い始めたクリームの匂いだけで心内ため息をついた。努めて表情には出さないようにしていたが。
「 裕子さんが、コウは甘い物苦手だけど、これくらいなら大丈夫だろうって言ってた」
「 ……これくらい?」
「 裕子さんの家でもたくさんご馳走になったよ。また遊びにおいでって、おばさんも。裕子さんは今度は泊まりに来るだけじゃなくて、その前に外で服とかカバンとか…買い物もしようって言ってたけど」
「 貢ぎ魔だな…」
「 …………」
  呆れたように呟いた光一郎に、しかし友之はそこで不意にぴたりと口を閉ざし、黙りこくった。つい今の今まで楽しそうに話をしていたというのに、ふと何かを言おうとして、でもどうしようと迷うような……それはいつもの弱気な表情だった。
「 ……?」
  そんな友之に光一郎は急にどうしたのだろうと、自分もしんとして口を閉ざした。こういう時、この頃は大抵友之が何かを言い出すのを待つ事にしている。先読みして助けてやる事もできるけれど、それでは駄目だと思っている。
  すると友之もそんな「兄心」が分かったのか、一瞬だけ考えあぐねたような目をしたものの、そっと小さな唇を開いた。
「 お金も物も、別にいらない」
「 え?」
「 欲しい物とか…特にないから」
「 ………」
  光一郎が依然として声を出さずにいると、友之はズボンの尻ポケットから4つ折にしてしまっていた白いメモ用紙を取り出し、おずおずと差し出して見せた。
  そのメモには、昨日バッティングセンター「アラキ」で中原のチームメイトたちが各々提案した、「友之にプレゼントしたい物」がずらりと綺麗に書き直されていた。
「 帰りに数馬に会ったんだ。そしたら、『この中でどれが一番欲しい?』って」
「 あいつ…暇人だな。こんなのわざわざまとめ書きしたのか」
  光一郎が独り言のようにそう呟くと、友之はじっとした視線を向けながら再度言った。
「 数馬は、この中のどれかを貰ったら、それをくれた人を選んだ事になるって…。選ぶなんて、そんなの」
「 あいつがどういう言い方したのか知らないけど、別に大袈裟な話じゃないぞ。裕子と同じだよ。みんなお前と仲良くなりたいんだ」
「 ………」
「 そう思われる事は嫌じゃないだろ?」
「 ………」
「 友之?」
  答えようとせず、何故か寂しそうな顔すら見せる友之に光一郎はいよいよ不審に思って困惑した。たぶん、数馬の言い方がロクでもないものだったのだ。あれは決して悪意からではなく、むしろ好意から色々と言っているのが分かるのだが、如何せん友之をいじってからかう事自体を楽しんでもいるから。
「 友之――」
  けれど光一郎が更に友之を和らげる為の言葉を発しようとした時だった。
「 もう貰った。たくさん」
  急いだ風に、しかしきっぱりとそう言った友之に、光一郎はらしくもなく驚きで息を呑んだ。本当に時々だけれど、友之は頑なな揺ぎ無い瞳をちらつかせる事がある。それが思う以上に強くて、こんな時光一郎は友之が確かに男である事を実感した。
  友之が自分の弟ではないと思う一瞬だった。
「 ……欲がなさ過ぎだよ、お前は」
  けれども、その想いは口にはしない。
  代わりに友之にそんな風に言ってから、光一郎はしかしその後1人で苦笑した。相手にはそう言いつつ、自分とて何が欲しいかと問われれば、きっと友之と同じように答えるだろうと思ったからだ。
「 違うのに…。けどやっぱり、似たもの兄弟なんだよな」
「 ……? 似てないよ」
  ふっと笑んだ光一郎に今度は友之が不思議そうな顔をした。
  けれどももう何も答えようとしない光一郎に引き寄せられるまま、友之は自らもまあいいかというように、その胸の中で甘えるように寄り添い目を閉じた。

  結局のところ、自分たちにはお互い以上に欲しいものなど何もないのだ。

( だからこのケーキも勘弁…ってわけには、やっぱりいかないだろうな)
  友之のさらりとした髪を優しく撫でながら、光一郎はふとテーブルの上に残った最後の「難問」を思い出し、やはり苦い笑いを浮かべた。自分とて友之からはもうこんなにたくさん貰っている。これ以上何もしてくれなくても良いのにと、懐にすっぽりと納まっているその愛しい存在に声にならない声を掛けた。



【おわり】