メロンパン星人の活躍



  雪也は大学の講堂に座したまま、ふっと溜息を漏らした。今日は日和も良く、窓際のこの席にいると柔らかい風が頬に当たってとても心地良いのに。どうにも気分が沈んでしまう。
  その原因は雪也の席から大分離れた位置にいる恋人の涼一…今は友人たちと談笑している…に他ならないのだが、「今回に限っては」別にその涼一が「悪い」というわけではない。
「お、どうしたどうした、桐野。珍しく1人じゃないか」
「マジかよ…っ。お、涼一捕まってる…! ラッキィ〜!」
  気持ちが傾きかけていたところに声を掛けてきたのは、藤堂と同じサークルに所属する逢坂康久だった。涼一がいない時にはどうしても1人になる事が多い雪也を気遣い、何かと優しくしてくれる良き友人たちだ。
  そんな彼らの前でいつまでも暗い顔をしていてはいけないと思い、雪也は顔を上げるとニコリと人好きのする笑みを浮かべた。
「おはよう」
「うっす。珍しいなぁ、涼一が桐野の隣に座ってないなんて……って、イテ! イテテテ! 何すんだ康久!?」
  突然尻に起きた強烈な痛みに藤堂が批難めいた声をあげると、席に着こうとした彼に背後から容赦のない蹴りを入れた康久はまるで悪びれる事なく鼻を鳴らした。
「うっさい! 俺が桐野の隣に座るんだから、デカブツは端っこへ行け、端っこへ!」
「うう…何だよう、別にどっちがどっちに座ろうがいいだろう…?」
  よほど康久の足蹴りが痛かったのだろう。両目に薄っすらと涙すら浮かべて、憐れな藤堂は仕方なく康久に場所を譲り、自分はその彼の隣に腰を下ろした。
「あ、あの…?」
  雪也はその一連の遣り取りを見て当然の事ながらやや引き気味だったのだが、当の康久の方はまるで構った風もない。どこか瞳をキラキラと輝かせて、雪也に無駄な接近をしつつ嬉しそうに笑う。
「いやぁ…。あ、小声で話さないとな、あんまり楽しそうに話してると涼一に気づかれてすぐ邪魔されるから」
「え…?」
「いやいや、何でもない、桐野は気にするな。それより、何で? すっごい珍しい光景じゃん、あいつが桐野放っておいて別グループのとこ顔出してるなんて」
「え、そうかな? 涼一、何かの相談受けてるみたい」
「相談? …よくもまぁ、あんな奴に相談なんかするよな」
「え?」
  創と全く同じ反応を見せる人間が大学構内にいるとは思っていなかったので、雪也は面白くなさそうに頬杖をついた康久を意外な目で見つめた。
  何にしろ、剣涼一という男は「完璧」という単語が服を着て歩いていると言っても過言ではないくらいに「何でも出来る」というのが、雪也の贔屓目なしの評価である。…否、多少の贔屓目は入っているのかもしれないが、雪也にしてみれば自分自身も涼一の意思の強さや真っ直ぐな姿勢に導かれて随分と助けられてきたから、純粋に尊敬しているのである。
  だから高校時代からの付き合いである康久が涼一を悪く言うのは驚きだった。
「最近コイツ、涼一への評価ガタ下がりだから」
  するとメロンパンを片手に藤堂がのんびりとした口調で答えた。雪也が「えっ」と一つ隣の藤堂を見ると、彼はもぐもぐといつもの好物を頬張りながら、「いやあ」と間延びした口調で続けた。
「俺も何でかは分からないんだけどな。最近、急にだよ、な? 何かやたらと涼一に突っかかったり、かと思えばいきなり怯えたり。何か弱味でも握られてるのかねえ」
「バカ、そんなんじゃねーよッ」
「そうなのかぁ? んじゃ何でそんな僻み根性丸出しな発言するのよ? 涼一が昔っから色んな奴に頼られてさ、相談持ちかけられてるのなんて、いつもの事じゃんか。…ま、 確かに大学入ってからはちょっとむっとする事多くなった気もするけどよ。このところはまた『昔の涼一クン復活!』ってな感じで、あいつらも喜んで声掛けてるみたいだし」
「顔だよ、顔! あいつのいいところなんて顔以外に思い浮かばねえ!」
  フンと鼻を鳴らし、康久は更に毒を吐いたのだが。
「あ…」
  ふと隣の雪也が困ったような顔をしている事に気づいたようだ、途端にあたふたと慌てて、彼はだらけさせていた身体も起こし、「あ、あ、あのっ」と無駄にどもりながら雪也の顔を覗き込んだ。
「わ、悪い。別に、さ。涼一の事そんな悪く言う気はなくて。そう、悪友! 悪友だから、こういう厭味もほいほいと出ちゃうわけだよ」
「あ…う、うん…?」
「お前、何その気の遣い方〜。桐野だってそんくらい分かってるって。なぁ?」
「お前は黙ってろっての、このメロンパン星人が! お前なんかさっさとメロンパンの星に帰っちまえ!」
「な、何だよ、その弾き方はぁ〜」
「るせえッ!」
  涼一ほどではないにしろ、康久も藤堂には気を許しやすいのか、また意味もなくべしべしと頭を叩いては悪態をつく。一見すると可哀想な苛めに見て取れなくもないのだが、藤堂が根底では誰よりも皆に好かれて頼られている事を雪也も知っていたので、本来ならば康久を止めるべきだったのだろうが、ついつい「ぷっ」と噴き出してしまった。
「ん?」
「え…」
  するとそんな風に急にクスクスと笑い出した雪也に気づいて、康久と藤堂が「無駄なじゃれあい」を止め、一斉に視線を寄越してきた。特に康久はポーッとそんな雪也に見惚れてしまい、心なしか頬まで赤く染めている。
  藤堂と雪也ではそんな彼の変化になど気づくはずもなかったが。
「良かったぁ、桐野ちょっと明るくなったな」
「え」
  そして藤堂は「違うところでの鋭さ」を発揮して、いつの間にか食べ終えてしまったメロンパンの袋を手の中で丸めながらニッカリと笑った。
「何かさ、教室入ってきた時、桐野浮かない顔してるなぁと思ってたから。また涼一と喧嘩でもしたか何かで落ち込んでんのかと思ったよ」
「え…」
  藤堂の優しげにそう言う顔を見て雪也は驚き、笑みを止めた。あからさまに暗くしているつもりはなかったのだが、やはり分かる人には分かってしまうのだろうか。
  それとも藤堂が凄いだけなのか。
「え、そうなの? 桐野落ち込んでたのか?」
  もしかして涼一と喧嘩でもしたとか?と、康久は雪也の事を心配しつつ、一方で何故か妙に嬉しそうな顔をして訊ねてきた。
「う、ううん、違うんだよ」
  それで雪也は慌てたように首を振り、またしても顔を寄せてくる康久から逃れるように身体をずらすと、困ったように俯いた。
「ちょっと…考え事をしてて、さ」
「考え事?」
「何だよ何だよ、何か悩みがあるならこの藤堂様に話してみろって。涼一ほどじゃねえけど、俺だって結構色んな相談持ちかけられんだぞ? 特にコイバナとか!」
「お前は何話しても絶対安全だからだろ」
「うっ…康久、お前なぁ…」
「恋…」
  雪也が藤堂と康久の遣り取りに構わず、発せられた言葉を何となく復唱すると、また藤堂の方が「おっ」と声を上げて康久の身体に被さるようにして接近してきた。
「うっ…テメ、重…!」
「何だよ本当に恋の悩み!? 言って言って! 俺、そういえば桐野の恋人の話って涼一から間接的にしか聞いた事ないんだよなぁ」
「お…前、どけっての! 重ェ!」
  涼一に気づかれたくないから小声で、などと言っていたくせに、よほど藤堂の体重がきつかったのか康久が悲鳴にも似た怒号を発した。
  そうしてぶうぶう言う藤堂を押しやりながら、康久は雪也をまじまじと見つめ、どこか緊張した面持ちで訊ねた。
「そうなのか、桐野…? 悩みって、その…今の、恋人の事、か?」
「え…えっと、まあ…そうか、な?」
「うおー、聞きてえ!」
「うっせえメロンパン!」
  藤堂の最早「単なる野次馬根性」な歓声を一蹴し、康久はじりと拳を握りしめながら努めて平静な調子で迫った。
「へ、へえ…そうなんだ? まあ付き合ってれば色々あるよな。その…良かったら、俺相談に乗るけど。俺だって、まぁ…それなりに経験はあるしよ」
「付き合っては別れての繰り返しなんだよなぁ、康クンはさ」
「メロンパン…!」
「お前、勝手なあだ名つけんなよー。しかもその歯軋り。怖いから」
  まあそのあだ名は可愛くて好きだけどよと、藤堂は依然として呑気に笑い、それから改めて雪也に目をやった。
「ま、けど俺らでいいなら話聞くくらいは出来るぜ? 桐野だってさぁ、仲が良過ぎて涼一に言えない事だってあるだろ?」
「えっ…。それはどういう意味…」
「えー? だってあいつってイイ奴ではあるけどさ、ことごとく正しい事しか言わないじゃん。しかも、『それお前にしか出来ねえよ!』『お前だから出来んだよ!』ってな事を平気でアドバイスしてくるし。時々使えねえ〜って思う事あるもん」
「お前も割と毒舌だな」
  藤堂の珍しく辛辣な台詞に今度は康久が驚くと、それを指摘されたメロンパン星人は、「だってよ!」と急にむうっと頬を膨らませてでっぷりとした腹を誇張するように叩いた。
「俺が好きな子の話すると決まって『さっさと告白すればいいだろ?』だぜ? 『真面目に想いを伝えればいつかは通じる』、とかさ。んなの出来てればとっくにしてるし」
「そりゃ確かにあいつだからそんな軽く言えるんだって感じだな」
「だろ!? 『デブは嫌!』って言ってる子に早々真面目に告白して、俺の想いは伝わると思うかぁ!?」
「まあ…お前の場合、趣味がことごとく性悪女だから、涼一なりの親切心なのかもしれんぜ。さっさと告って自爆しろ、みたいな」
「ひでえ…」
「あ、あの…?」
「お、悪い悪い。桐野のこと置いてきぼりだったな」
「ホントだよ。ごめんな桐野! ったく、どうでもいいんだよこんなメロンパンの事は!」
「お、お前…康久〜」
「あのさ、藤堂」
  永遠に続きそうな2人の遣り取りの間に申し訳なさそうに割って入り、雪也は藤堂を真っ直ぐに見やると遠慮がちに言った。
「どういう状況かは分からないけどさ…。きっと、涼一は藤堂の事を凄く買ってるんだと思うよ」
「へ?」
「何それ」
  2人がぽかんとして聞き返すのを苦笑して交わしながら雪也は後を継いだ。
「うん。だから、藤堂は凄く優しくていい奴だし。誠意を持って相手と接すれば、いつかそんな藤堂の事、相手の子もきっと分かってくれるからって思ってそう言ったんだと思うんだ」
「ええ…? えへへ…そうかなぁ?」
「そりゃ涼一の事良い風に見過ぎ!」
  藤堂と康久全く別種の反応であったが、雪也自身はきっとそうだろうと本気で思っていた。
  涼一は藤堂の事を「邪魔だ」とか「煩い」と折に触れて悪く言うけれど、涼一が本気で誰かを嫌ったら、彼はその相手を視界の隅にすら置こうとしない。そういう性格だと思っている。基本的には誰にでも人当たりの良い涼一だけれど、誰彼甘いわけでもない。そんな中で藤堂のことは何かと「仕方がないな」と言いながらも面倒を見るし、彼が助けて欲しいという時には必ず手を差し伸べている。雪也は涼一と藤堂のそういう友人関係をとても羨ましく思っているのだ。自分が今までそういった友人を持った事がないので良くは分からないのだが、出来れば創とはそういった関係になれたらいいなとも思っている。
「それでさ、結局桐野の悩みは何だったわけ」
  ふと会話の間に生まれた沈黙を破って康久が訊いた。もう藤堂に余計な茶々を入れられまいと彼の豊満な腹を片手で押さえてもいる。
「う、うん…。その、大した事じゃないんだけど」
「いい、いい。何でも言ってみな? 別に引かないし」
「……本当?」
「えっ…そういう内容なの?」
  ごくりと唾を飲み込みながら康久は思わず前のめりになって反応した。雪也はそんな康久に余計話しにくいものを感じたのだけれど、このまま悶々としているのも嫌だったし、確かに「こんな事」を涼一に言うわけにもいかない。創には相手を知られているだけに余計に話しにくいし。
  だから折角こうして心配してくれた2人に聞いてもらおうと腹を決めた。
「その、ちょっと小耳に挟んだんだけど、さ」
「んん?」
  雪也が話し始めると2人は一斉に顔を寄せた。
  雪也はそれに余計言いにくくなったようだが、それでも相談しようと決めたのだからと躊躇いながらも続ける。
「俺って…その、いっつも誘われるばっかりで、相手を…自分から誘った事って、ないから」
「……は?」
「へえ、そうなんだぁ!」
  康久は一瞬ぽかんとしてすぐに言葉を出せずにいたようだが、藤堂の方は割とすぐに相槌を打って「そんな感じー」などと言いながら腕を組んだ。
「桐野って現代日本の男子大学生としては、随分奥ゆかしいというか、何というかまあ、控え目な奴だもんなぁ。確かにお前からガンガン彼女をデートに誘ったり、リードしたりってのは想像がつかんもんな!」
「デート…? ああ、そっちの話?」
  康久が藤堂の話でどこかほっとしたような顔を見せたが、藤堂はそれに対して「は?」と訝し気な顔を見せた。
「他にどういう解釈があるってんだ」
「い、いや…別に…っ。それでっ? いっつも涼……じゃない、相手の方が一方的に誘ってくるんだ? 強引に?」
「ご、強引にって言うか。俺は別に嬉しいからいいんだけど」
「しかし、強引にぐいぐい引っ張ってってくれるカノジョかあ…。へへ、いいなぁ」
  藤堂はどこか妄想の世界に行ってしまったのか、幸せそうな顔をして天井を見つめている。康久はそんな友人を酷く冷めた目で一瞥した後、ゴホンと一つ咳き込んで改めて雪也に向き直った。
「それで…偶には桐野の方から誘おうかなって思うんだ? そういうのって、相手が何か文句言ってきたわけ? その、いっつも俺……じゃなかった、『私の方からばっかりじゃない!』みたいな感じでさ」
「ううん。そんな風には言われた事ないよ」
  優しいからねと雪也は涼一を思い浮かべながらにこりと笑ったのだが、何故かそれを聞いている康久の方は苦虫を噛み潰したような顔をしただけで何も反応を寄越さなかった。
「……? そ、それでさ」
  それを不審に思いながらも、雪也は雪也で自分の悩みでいっぱいいっぱいになっていたのだろう、一度話し出したら止まらなくなってきたのか、今度は自分が身を乗り出すようにして康久に向かった。
「さっき、違う教室で女の子が彼氏の話してて…。その、やっぱり同じようなパターンで悩んでたっていうか、怒ってたっていうか。彼氏が何をするのも、何処へ行くにも自分に決めさせるからイライラするって愚痴ってて…。やっぱりそういうもんなのかなあと思って」
「…あぁ、やっぱり『自分から誘う』ってそういう意味だったのか」
「え?」
「いやその。だからっ。………俺はセックスの話かと思ってたからさ」
「えっ」
「お前、真昼間から露骨な話するなよなぁ、仮にも神聖な学び舎でえ!」
  康久が思い切って言った言葉を、雪也は絶句して赤面。代わりという風に藤堂が責めるような口調を発し、心底迷惑そうな顔をして唇を尖らせた。実際藤堂は、自分こそ持ち出す話題は恋愛事ばかりだというのに、こと、そういった性関係の話になると照れてしまうのか元々苦手なのか、わざと避ける風な素振りを見せる。
  康久としては、「そういうのは桐野がやれば可愛いけど、お前は鬱陶しい」と思うのみだから、この時も横から茶々を入れてきた藤堂の事は軽くスルーした。
「だって、さ…。そりゃ、当然だろ? だってお前ら、付き合ってんだろ?」
「う、うん…?」
「だったら、デートの事だってそうだけどさ。受身ってのは、そういう方面にだって当てはまるって事なんじゃないの? で、デートうんぬんより、そっちの方がよっぽど重要なんじゃないかと思うわけ、俺は」
「そ、そうなの…?」
  さっと青褪める雪也に、康久は一瞬ぐっと喉を詰まらせたように唸ったが、意外にもすぐに立ち直った。
  それから小声で、隣にいる藤堂にすら聞こえないように囁く。
「そうだよ。食いたい物や遊びに行くところを全面的に任せたってさ。ソッチに積極的だったら、それまでのイラつきなんて全部解消、全てチャラってなもんだろ。男なんてさ」
「……そう」
「けどな、実は、そういう考えはもう古い!」
「え?」
  今の今まで力説していた事をあっさりと翻した康久に雪也がぱちくりと瞬きすると、何を企んでいるのか「最近めっきり涼一に当たりが強い」逢坂康久は、更に声を潜めて真剣な口調で言った。
「桐野はそのままの方がいいと思うよ。むしろ、ぜーったい! 自分から誘うなんてしちゃ駄目だっ!」
「な、何で…」
「んな事したら相手が大喜びするからに決まって―…! じゃない、その逆っ。いつもの控え目なお前はどうしたんだろうって途惑ってさ、相手、お前の事嫌いになるかもしれないぜ?」
「嫌いに…っ?」
「そーだよ。だから。絶対に! 何があっても! 自分から誘うなんて積極的な行動に出ちゃあ、駄目だぞ!?」
「そうかなー? 俺は普段そういう事やんない桐野がふっと誘ってきたりなんかしたら、彼女も感動して大泣きすると思うがぁ」
「うおっ!? いつの間にか聞いてんじゃねえ!」
  康久の背中に触れないようにしながらも2人の内緒話に耳をすませていた藤堂は、至極もっともな意見を述べて再びどすんと椅子に腰掛けた。
  そうして真っ二つに割れてしまった意見に困惑しているような雪也を見てからふと別の方向を向き、予想はしていたのだろう、思い切り破顔した。
「ま、でも決めるのは桐野自身だし。一応、最終結論を下す前に1番の親友にも言ってみたら? あいつが俺と康久、どっちの意見を取るか興味あるし」
「え……あ」
「げ」
  雪也と康久の反応の先、藤堂が指し示した方向には、ようやっと仲間たちから解放されたと言わんばかりの体でズンズンとこちらに向かってくる涼一の姿が見えた。
  涼一は先ほどから雪也が康久らと大騒ぎしている事に勿論気づいていて、本当なら一刻も早く雪也の元に向かいたいと思っていたのにそれが出来なかったものだから、随分と「ご立腹」の様子だった。
  そして3人の前に立ちはだかった涼一は、当然のように開口1番こう言った。
「雪、行くぞ」
  昔ながらの友人である藤堂や康久には一言もなしだ。2人は慣れたような目を向けてはいたものの、当然ながらどこか呆れたような顔をしていた。
  勿論雪也も途惑っている。
「でも、これから授業…」
「そんなの後でどうにでもしてやるよ。怒らせたいのかよ。早く来いって」
「何だろその横柄な態度」
「康久」
「はいっ!」
  ぼそりと文句を呟いた康久に涼一は容赦ない。全てを凍てつかせるような眼と声を差し向けると、「後で覚えてろよ」と意味深な言葉を投げつけた。
「あの、涼―…」
「雪」
  そうして未だもたもたしている雪也には構わず、強引にその手首を取ると無理やり立たせ、涼一は雪也の鞄も自分が肩に掛けてしまうとそのまま出口へ向かって歩き始めた。
  こうなるともう誰も剣涼一を止められないのだった。





「涼一っ」
  いつもの事ではあるが、雪也がやっと恋人である涼一を呼びとめてそれが叶ったのは、周囲に人が誰もいなくなって2人きりになってからだった。他者の視線がなくなった事で明らかに涼一の歩みも遅くなり、雪也自身もようやっと落ち着いて声を出せるようになったのだ。
「こ、こんなの不自然だからっ。手、離して!」
「不自然?」
  キッとなって涼一は振り返りざま雪也を睨んだ。元々涼一は雪也との交際を隠したがらない。むしろそれをしようとする雪也には前々から不満を零していて、その度説得するのに骨を折っていた。
「雪は俺と付き合ってる事が恥ずかしい?」
「そういうわけじゃないだろ! だ、だって、こんなの!」
「何がこんなの、だよ? 付き合ってんだから手くらい握るの、当たり前だろ?」
  今の場合は握られているというよりは一方的に掴まれているのだが―…。雪也の中でそういうツッコミがないわけでもなかったが、折角最近は何事もなく仲良くやれているのに、些細な事で喧嘩などしたくなかった。
  そもそも涼一を怒らせるような事は何もしていない。今だって涼一の事を考えて、自分たちの事を考えていたから悩んでいたのだ。
「外では嫌なんだ。ごめん」
  それでもこれは譲れないと、雪也はきっぱりと意思の強い眼で涼一を見据えた。
「俺は涼一と違ってまだ全然周囲の目が気になる。怖いんだ。……ごめん。涼一、そういうの嫌いだって分かってるけど」
「……別に」
  真っ向から言われて逆に文句を言えなくなったのか、涼一は一気に気まずくなったようでふいとそっぽを向いた。それから名残惜しそうにではあるが雪也を掴んでいた手も離す。
  雪也はほっとし、「やっぱり涼一は優しい」と思いながら自然笑顔になった。
「ありがとう、涼一」
「他の奴とあんま親しく話して欲しくない」
「え?」
「今度は俺の番。俺の言う事も聞いて」
  顔を逸らしたまま涼一は駄々っ子のようにそう言った。自分の言っている事が無茶だとは分かっているのかもしれない。むうと唇を尖らせたまま、「文句あるか!? あっても聞かないけどな!」というオーラを漂わせている。
「ふっ…」
  つい先日、「俺は嫉妬深い男だと思うか?」なんて訊いておいて。そういうところを気にしているくせに、結局同じようにヤキモチを妬いたり心配したりする。そんな涼一だから、「こんな自分」をそこまで好きでいてくれる涼一だから、雪也も精一杯応えなくてはという気持ちになる。
  愛しくなる。
「ね…涼一」
  だから雪也は先刻の悩みに対する2人のアドバイスから、「彼」の意見を採用する事にした。
  自分自身、やっぱりそれが必要なんだと思ったから。
「あのさ…外では、駄目だけど。これから……あのさ、涼一の部屋、行っていい?」
「え?」
  涼一が怪訝な顔して雪也を見てきた。途端雪也はぼっと赤面したのだが、言い出したからには最後までと、ごくりと唾を飲み込み、続ける。
「今日、母さん帰ってこないんだ。だから、泊まれるし。あの、観たい映画あるし。一緒に観て、それで…俺、夕飯、涼一の好きなもの、作るから」
「………」
「涼一? あ、泊まっちゃ駄目だった?」
  涼一が何も反応しない事に、慣れない事をした雪也は忽ち不安になったようだ。ごめんとすぐにしゅんとなって謝り、「図々しい事言ってごめん」と再度謝罪を繰り返した。
「……はっ!?」
  しかしそれに対して涼一は途端目が覚めたようになって目を見開き、ぶるぶると首を左右に振ってから「違う違う!」と叫びにも近い声を上げた。
「ご、ご、ごめん雪! そんな事ない! 駄目なわけない! 俺んち? き、来ていい、来いって! つか、絶対来いッ!」
「あ、そ、そう…?」
「しかも泊まれるの!? 雪、泊まるなんて…そんなの、自分から言うの…その…」
「あ、ごめん」
「何で謝んの!? 俺、すっげえ嬉しいって!」
  外では嫌だと言われたばかりなのにぎゅうと雪也の両手を握り、涼一は仄か紅潮した顔で感動したように言った。
「雪、俺んち来たい!?」
「え…?」
「俺の部屋に行きたいんだろ!?」
「え…う、うん、そう…。涼一と…一緒にいたいなって思って」
「雪ッ!」
「わぷっ!」
  がばりと抱きついて涼一は更に感極まったように「ありがとう!」と礼まで言い始める。雪也は人気がないとはいえキャンパス内でそんな事をされて気が気ではなかったのだが、どうやら「正解」だったようだと一方では胸を撫で下ろした。
「あ、あの…でも、涼一、そろそろ離して…」
「うんっ。部屋に行ったら思う存分くっついてられるしな!」
  了解と言いながら、それでも涼一が雪也を解放するのは、それからまだ暫く後の事だった。





  因みに、「雪也のアドバイザー」として貢献した藤堂と康久には、後日涼一から「感謝のしるし」としてそれぞれ贈り物が送られた。
  藤堂にはダンボールいっぱいのメロンパン。
  そして康久には、背後から予告なく行われた涼一必殺の飛び蹴りである。










相変わらずしょーもない話を書くのが大好きです。