ホラーハウスへようこそ!



  光一郎が珍しく歯切れの悪い様子で「本当に行くのか」などと訊いたのは、友之が既に大きなボストンバッグを担いで「行ってきます」を言った直後だった。
「え…?」
「今さら何言ってんですか、光一郎さん! いくら行って欲しくないからってさぁ!」
「こら数馬! 光一郎さんに失礼だろ!」
  しかし途惑う友之をよそに、さっと間に入ってきたのは無敵の高校生・香坂数馬と、それを止めようと口を挟んできた沢海の2名。彼らは最初玄関の外にいて友之が出てくるのを待っていたのだが、光一郎の声はちゃっかり聞こえていたようだ。
  数馬が半分呆れたような顔をして肩を竦めた。
「元々、光一郎さんのお友達からの誘いじゃないですか。気が向かないなら、最初から断れば良かったのに」
「……断ったんだよ」
  苦虫を噛み潰したような光一郎の顔は本当に珍しい。
  これには沢海の方も意外だとばかりの顔をしてまじまじとした視線を寄越していたが、次にその微妙な空気を突き破るように明るい声を上げたのは、1人ドアの外で待機していた橋本真貴だった。
「大丈夫ですよ、お兄さん! この私がいますから! 北川君に何かあっても、この橋本真貴がしっかりと守ります!」
  どんと胸を叩いて自信満々の彼女は、今回の「イベント」の事を聞いた当初から自分も一緒に行くのだと言ってきかなかった。元々は数馬や沢海とて、一緒に行く面子には入っていない。あくまでも友之は3人からこの夏休みの予定を聞かれて、光一郎の友人から受けた誘いを世間話のように聞かせただけだ。
  それが、何をどう間違ったのか、「それなら僕(俺・私)たちも一緒に行く!」と、3人が揃って名乗りをあげたのである。
  因みに、この事に関して光一郎は一切の黙殺で通している。お前たちは行くなとも、是非一緒に行ってくれとも何も言っていない。……今回の事自体、あまり深く関わり合いになりたくないと言ったところか。
  それでも光一郎のその「友人」とやらが厄介な人物なのには変わりなく、また光一郎が友之をとても大切に思っているのも事実なわけで。
  冒頭の、「本当に行くのか」な台詞に至ったわけである。
「いいか友之」
  横からぎゃあぎゃあと煩く喚き散らす3人をすっぱりと無視して、光一郎は小さな子どもに言い聞かせるように口を開いた。
「もし万が一、あいつらがおかしな事をし始めたらすぐに連絡しろ。俺もバイトの合間には電話するようにするし」
「……? うん」
  兄の警戒心の篭もった言い様に首をかしげながら、それでも友之はこくりと素直に頷いた。遊びに向かう先は光一郎が通う大学での友人宅で、彼女は友之自身も直接会って話をした事がある気心の知れた相手だ。実際数回しか顔を合わせた事はないが、優しくてとても良い人である。だから何をそんなに心配するのだろうと思わないでもないけれど、きっと友之がその友人に対して何か礼儀知らずな事をしないかと不安なのだろう、と。友之はそう解釈し、ぴんと背筋を伸ばした。
  光一郎に失望されないように、きちんと行儀よくしなければ。
「行ってきます」
  もう一度しっかと口に出して、友之は複雑そうな顔をして見送る兄に飛びきりの笑顔を向けた。





  光一郎が大学で特に親しくしている者の中に、3人の才人がいる。

  1人はハカセ。自他共に認める光一郎の最大のライバルであり、良き勉強仲間である。家は法曹界の人間で固められているらしく、ハカセも将来はその家の事業を継ぐ事が決まっている。神経質で、法典を読む時以外は言葉の“どもり”が酷いのだが、それでも優秀な人間なのは間違いがない。

  次に、ユズル。何より甘いお菓子を作るのが大好きで、将来は世界一のパティシエになるのが夢だ。日々精進を欠かさないその努力家なところは賞賛に値するが、如何せん、自分が心を許した者以外には試食も頼まない偏屈なところがあるので、涼やかな見た目とは裏腹に、扱いの難しい男である。因みに、由緒ある実家からは菓子作りを猛反対されている。

  最後に、ハルナ。小さく可愛い女の子が大好きというオタクな女性で、優秀だが思考に偏りが目立つ。倣岸不遜で自らの才能に絶対の自信を持っており、“バカ”な人間が大嫌い。それ故、自分の物差しに適った者以外にはとてつもなく冷酷だ。その家柄と絶対的な権力故、近づこうとする者は後を絶たないが、本人は歯牙にもかけていない。ユズルとは許婚同士である。

  この3人は、幼い頃からずっと互い以外で信じられる人間がいなかったが、大学に入ってから初めて光一郎という部外者を自分たちの世界へと迎え入れた。光一郎は彼らにとって適度な距離を保ちながら適度な付き合いをしてくれる心地良い相手だった。……そうして、そんな軽い関係からいつしか「もっと北川を知りたい」「もっと親しくなりたい」と思うに至り、いつの間にやら「光一郎の家族の事も知りたい」と願うに至った。
  彼らがそんな欲求から友之の事を知り得たのは、つい最近の事である。

「友之を私の別荘へ招待したい」

  そんな折、ハルナが突然提案してきた“イベント”がそれだった。
  如何にも迷惑そうな顔をする光一郎にも一切構わず、ハルナは得意気な様子で胸を逸らした。
「光一郎、どうせお前は貧乏学生よろしく、夏休みもバイト三昧で、友之を何処かへ連れて行ってやるなど出来ないだろう? ならば私が友之をリッチで楽しいリゾート地で遊ばせてやる。ああ、心配はいらん、友之の好みはリサーチ済みだ。きっと忘れられない夏の思い出を作ってやるぞ?」
  光一郎はハルナのその提案を一度はバッサリと斬り捨てて相手にもしなかった。
  ハルナを優秀な女性として尊敬しているところもあるが、1人の人間として友之を安心して任せられるかというと、答えは絶対的に「任せられない!」だったから。
  しかし、敵もさるもの。光一郎のそんな態度は彼女にはとっくにお見通しだった。
「因みに、友之にはもう伝えてあるからな。私の別荘の話をしたら、目ん玉キラキラさせて、『行きたい〜』ってオーラ全開だったぞ。……お前の許可がなければ行けないけれどと、すかさず泣きそ〜な、可哀相〜な顔になっていたがな」
  ハルナのニヤリとした顔を見て、その時の光一郎は後に「思わず首絞めてやろうかと思った」と言ったとか言わなかったとか。
  そんなこんなで、光一郎としても「友之の意思」を無視してまで自分の想いを貫けるかと言えば決して出来るわけがないので、今回のお泊まり企画実行となったのであるが……。
  幸か不幸か、それに随行する3人の「ボディーガード」が名乗りをあげたので(それが良い事なのかどうかは誰にも分からない)、ハルナの密か渋い顔をよそに、友之にとっては賑やかな旅行と相成ったのである。





「うっわぁ! スッゴイ! 樹海の中のお城〜!」
  橋本の素っ頓狂な声をよそに、数馬と沢海は引きつった顔のままその場でフリーズしていた。
  友之はハルナが事前にくれた案内図を元に、私鉄を何回か乗り継いでバスを使用した後は、ハルナ御用達のリムジンと水上ボートを使用して、この奥まった「謎の洋館(もとい城)」へとやって来た。
  橋本が「樹海」と称した通り、既にバスを使用し始めた時点で崖やら鬱蒼とした茂みやらの多い、何やら人里離れた不整備の道を何時間も掛けてやってきたのだが、極めつけはそのお迎えリムジンと水上ボートだった。その頃には辺りに人の気配は全くなく、ただただハルナが整備させた「プライベートプレイス」が広がるのみ。
  殆ど大冒険を繰り広げてこの「別荘」へ辿り着いた時は、早朝に家を出たにも関わらず、辺りはどっぷりと暗い闇に覆われていた。
  そして目の前に現れた、巨大な「城」。そう、城という他形容のしようがない。
「私、こういうの写真で見た事あるよー。ドイツとかヨーロッパの方にあるじゃない? 昔、城下町が何かの伝染病にかかった時さ、助けを求めてやってきた人たちを中へ入れないように、こういう高い城壁を築いたんでしょ? 一種の城塞だよね」
「え…? 中に入れないの? 病気の人を…?」
  友之が違うところで反応したが、橋本はくるんと視線を背後に戻してうんと頷いてみせた。
「そうだよ。どこかで締め出さないとみんな伝染っちゃうからって理由で。壁をよじ登ろうとした人なんかは、お城のガードを固めていた兵隊さんが槍で突き落としたりね」
「そんな事あったんだ…」
「まぁ、そんな中世の城塞を想起させるほど、このお城の造りは趣味が悪いって事だね」
  呆れのあまり固まっていた数馬がようやく復活し、友之の肩をぽんと叩いた。
  友之がそんな数馬を見上げると、無敵の高校生はニヤリと笑って見せた。
「まぁ、ボクはキミが病気になっちゃっても、ちゃんと助けてあげるから安心して?」
「な! 何その抜け駆け発言!」
「そうだぞ数馬! お前、何なんだその『助けてあげる』って! 大体、何を根拠にそんな適当な事―」
  橋本と沢海が横からすかさずツッコミを入れる……が、数馬は知らぬフリだ。途中から道案内に同行していた使用人らしき男性が困ったようにいつ話しかけようかタイミングを探しているが、騒ぎ始めた橋本らのパワーは留まるところを知らない。
「大体ねえ、私だって、もし北川君が病気になっちゃっても、ちゃんと助けられるんだからね! 不治の病って言われてても、助けてあげる! あ! 何か今私、『眠りの森の美女』の話思い出しちゃった!」
「煩い橋本、お前脱線してるぞ!」
「何よー! 沢海君だって、これってちょっといいって思うでしょ? こういうお城にさあ、北川君が何千年もの眠りに陥ってて、辺りには茨が絡まってて王子様しか入れないの。でもって、北川君の眠りを覚ます為に王子は……って、キャーっ! いい! 凄く!」
「お、お前な……最近妄想激しいぞ……」
  最初は数馬を糾弾していたはずなのに、何故か突然おとぎ話に目を輝かせる乙女・橋本。さすがの沢海もついていけていない。
「とか言って、実は拡クンもこのお城見て、そういうよからぬ妄想してたんじゃないのう? この調子なら、中のお部屋とかも中世の貴族様仕様になってるだろうし。天蓋付きのベッドとか普通にありそうじゃない?」
  ニヤニヤと笑いながらそんな事を言い出す数馬に、すかさず興奮気味の橋本が食いつく。
「て、天蓋付き!? あのお姫様が使用しているという!? お、おおお…!」
「そうそう。もしかしたらトモ君にもお貴族様のコスプレとかさせてもらえるかも〜」
「きゃあッ! それいいッ! とてつもなく見たいぃ〜!!」
「だから橋本、お前は煩い!」
  友之の家を出る時同様、再びぎゃあぎゃあと煩く喚き立てる3人のテンションは上がりっぱなしだ。どうやら夏休みの小旅行に胸を躍らせていたのは何も友之だけではなかったらしい。3人とも、初めてみんなで来るこの旅行を楽しみにしていたのだ。
  それが何となく感じられて友之もとても嬉しい気持ちになってきた。
  それにこのお城。ハルナの言っていた通りだ。
  すると中は……。

「ようこそ、友之。我が城へ」

  その時、使用人が声を掛ける前に、中からハルナがやってきて友之にゆったりとした笑みを向けてきた。どうやら4人が来た事にはとっくに気づいていて、これらの大騒ぎを苦笑しつつ観察していたようだ。
「予想以上に盛り上がってくれていて嬉しいよ。私の城、どこからどう見ても趣味が悪いだろう?」
「え…そ、そんなこと―…」
「はい、すっごく悪いです」
  否定しようとした友之を遮断するようにして出張ってきたのは数馬だ。驚く友之をよそにいつものペースでペラペラと毒を吐く。
「こんな樹海のど真ん中にこっそり建てるところからして、既に凝り過ぎだし。一体どんな小ズルイ手を使ってここら一体買い占めたんだか。それに、あのボートで渡ってきた湖だって人工のものでしょ? わざわざボート走らせる為に造ったんですか?」
「ほう…あれを人工のものと見破ったか。さすがだな、香坂の」
  数馬の指摘にすうと目を細めたハルナは、身に付けていたゆったりとしたガウンを一度だけバサリと閃かせてからニヤリと笑った。
  友之は勿論、残りの2人もあの広い湖がまさか「作り物」だったなんて思いもしなかったので、一様に驚いた顔をして黙りこくる。
  ハルナはそんな3人にも笑顔を見せ、軽く両肩をあげてみせた。
「どんな目的にしろ、ディテールにこだわらない遊びなどクソだ。やるなら徹底的にやる。それが私のポリシーなんでね」
「お金の遣い方明らかに間違ってると思いますけどね」
「香坂の。キミとは近い将来、良きライバルとなりそうだ」
  フフンと笑いながらハルナはくるりと踵を返し、「そろそろ中を案内しよう」と先を歩き始めた。気付くと周りにはクラシックドレスのような洋装を纏った清楚なメイド達が友之らの荷物を素早く中へ運びこもうとしている。その手際の良さは友之が遠慮して断ろうとする隙もなかった。
「まだ夕食までは少々時間がある。部屋は後で案内してあげるから、今はこの館を探検しないか? 友之も楽しみだったろう?」
「! はい…っ!」
  しかしハルナにそう言われ、友之はたちまちさっと頬を紅潮させて頷いた。
  そうなのだ。
  最初ハルナにこの話をしてもらった時、友之が何より一番楽しみにしていたのは、この館の隅々までを「探検」させてもらう事だった。すかさず事前に渡されていた手作りのリーフレットを取り出すと、横にいた沢海が途端怪訝な顔をした。
「友之、何だそれ?」
「こ、これ…ハルナさんが前もって渡してくれてたんだ」
「なになにー? えー? “ハルナの蝋人形館”……何それえ!?」
「それがこの館の名前さ」
  橋本の素っ頓狂な問いにハルナは静かに答え、哂った。
  ギギギイィ……と。鉄の扉が重厚に開く音が聞こえて、4人は外よりも暗い城の中の闇にはっとして目を見開いた。





  その頃、アルバイトを終えて1人アパートへ戻った光一郎の前には、仁王像のように厳しい顔をして両腕を固く組んでいるハカセとユズルの姿があった。
「……何だお前たち。あっちに行ってたんじゃないのか?」
  光一郎は今日も1日、とても疲れていた。いつもは帰りが遅くなっても、友之に夕飯を作ったり宿題を見てやったりなどする事があって気も張っているが、今日はそれがない。意図せずだらりとした気持ちで帰宅したところを、見たくもない友人2人が揃って姿を現した事で、光一郎は露骨に嫌そうな顔をして見せた。
  しかもドアの鍵を開けようとしたところを、ユズルに手を出されてむんずと止められた。
「こういっちゃん。どういう事なのか、きちんと説明してもらおうか?」
「何が」
「何がじゃないっ! ハルナの抜け駆けの事だよっ! 今回の事、どうして俺らに教えてくれなかったんだ!」
「そそ、そうだぞ、北川。ぼぼ、僕もきき君には、し、失望、した…!」
「何で俺なんだよ。怒るならハルナの方だろ? …というか、お前ら、この事知らなかったのか」
「知らなかった!」
「しし、知らなかったぞッ!」
「……っ。2人して大きな声出すなよ。近所迷惑だろ」
  光一郎が思い切り眉をひそめて、今度こそ強引に部屋のドアを開けた。
  しかしすぐ先にさっと中へ入り込んだ細身のユズルによって、やはり部屋へあがる事は阻止される。
「ユズル、お前―」
「何でこういっちゃんはそんな冷静なんだよ! あの館がどういう所か、こういっちゃんは知ってるのかよ!!」
「一応友之からは聞いてるけど。ハルナが自分で作ったとかいう気色悪いリーフレットも見たし…」
「だったら何であんな所へ友之君を行かせたんだ!」
「そうだぞ北川ッ。友之君が恐怖でどうにかなったら一体どうする気だッ!」
「……ハカセ。お前今全然どもらなかったな……」
「こういっちゃん! こっちは真面目に話してるんだから!」
  違う方面で感心するのんびりとした(というか無気力な)光一郎にいよいよ怒りのボルテージが上がったユズルは、心底悔しいという風に玄関前で地団太を踏んだ。
「あぁ〜もうッ! 幾ら友之君が怖いものが好きだからってさッ! あいつは凝り始めると徹底的にやるから、もう富士Qハイランドのホラー館なんて目じゃないほど、めっっちゃ怖い館になってるんだからッ! 友之君の今後の情操教育にも絶対響くって!」
「……けど、あいつ独りで行ったわけじゃないし。無理やりあいつの友達も3人くっつけて行かせたから、平気だと思う」
  あの3人がその「怖いもの」とやらに耐性があるかは分からないが、とりあえず友之に何かあったら我先にと率先して守ろうとするのは間違いがない。それに幾らハルナが「やり過ぎ」な女人だからと言っても、せいぜいがあのリーフレットにあるような、自分の屋敷をお化け屋敷に改造して、友之の目を楽しませるくらいだろうと思う。確かに今回の事は光一郎とて不本意には違いないのだが、ユズルたちが何をそこまで心配しているのか、光一郎にはイマイチ分かりかねた。
「とにかくね、行ってみれば分かるから」
  しかし光一郎の楽観的思考をよそに、ユズルはハアと深いため息をついた後、さっと携帯を取り出した。光一郎が怪訝な顔をしてそれを見ていると、横からハカセがぼそりぼそりと口を開く。
「ハルナの事は、きき、北川よりも……ぼぼ、僕たちの方が…し、知ってる……」
  やがて上空からババババ……という轟音と共に、足元を激しく揺らすような震動と何やら重苦しい物体の近づく気配が感じられてきた。
  光一郎が「まさか」と思いながらユズルを見やると、世間知らずのお坊ちゃんは至って真面目な顔をした後、まるでどこぞのマフィアのように「行くぞ」と顎でしゃくって素早く踵を返した。
  外では近所の人間が、突如として現れた上空のヘリコプターに何事かと大騒ぎしている。
  光一郎は固く目を瞑った。そして心の中だけで毒を吐く。
  最悪だ。このアパートにいられなくなったら、それこそこいつら訴えてやる…!





「ハルナさん…?」
「ん、どうした友之?」
「今、橋本さ…友達の声が聞こえたような気がするんですけど……何処に……」
「ああ、彼女ならトイレに行きたいと言っていた。うちのトイレがこれまた宝石で彩られたような豪華なものでな。あまりの感動で叫び声が出たんじゃないか?」
「あと…数馬と拡も……」
「さあ、あいつらが何処へ行ったかは知らんな。何しろ広い館だから、迷子にでもなったんだろう。全く人んちでフラフラするなど躾がなっていない。だがまぁ、大丈夫だ。使用人がそこらでゴロゴロしているから、夕食の時間には会える」
  さり気なく友之の肩に手を回し、ハルナはにいっと薄気味の悪い笑みを浮かべてしれっと嘘をついた。
  館に入ってすぐ、友之は後ろから来ていたはずの橋本や数馬、沢海とはぐれてしまった。すぐに前方を歩いていたハルナがランプを手に戻ってきてくれたから独りきりになる事はなかったが、何しろ「趣向」を凝らしているとはいえ、館の中は暗過ぎた。明かりが傍にないと何も見えない。
  しかしハルナが友之に是非とも見せたいと言って連れてきてくれた回廊に差し掛かった時、ぼうっとした緑色の明かりが一斉に壁の両脇に灯り、友之はそれに思わず「わあ」と感嘆の声をあげた。
「す、凄い…!」
「ふふふ、そうだろう。友之、私はお前のその顔を見たいが為に、これを作らせたんだ」
  ハルナの満足そうな声が静寂とした辺りに木霊する。
  その背後では、決して幻聴ではない橋本の金切り声が微かに漏れ聞こえていた。

  そう、友之とはぐれた3人にはとんでもない試練が待っていたのである。

「きゃあきゃあきゃあきゃあ! 何なのあんたたち〜!」
  友之と決して離れまいと気合を入れていた橋本だが、館に入った瞬間、暗闇の中で急に腕を引っ張られ、ある一室に閉じ込められた。そこですぐに小さな紙片を渡され、そこに「晩餐会場への案内図」とやらを認める事は出来たのだが、そこからがとんでもない。
  ハルナの蝋人形館は、とてつもないホラーハウスだったのだ。
  辺りはゾンビ(のコスプレをした使用人)の徘徊するバイオハザードな世界だった。
「いやあああ、来ないでえええ!!」
  一応客人なので、コスプレのゾンビたちも橋本に危害を加えるという事はしないのだが、如何せん姿がおどろおどろしいゾンビだ。ハリウッド映画の特殊メイクを担当しているプロでも雇っているに違いない、その精巧なメイクを施した人の群れは、近くにいられるだけでも相当怖い。ましてや、そろりと腕に触れられればそれだけで怖気が走り、さすがにいつも強気な橋本も堪らなかった。何とか地図に示された場所へ向かおうと孤軍奮闘するのだが、行く先々にそんなゾンビ軍団が現れるものだから、影に隠れてその群れをやり過ごしたり、いざ会ってしまったら絶叫で逆に相手を驚かせてその隙に逃げてみたり。
「北川くーんッ! 北川君は大丈夫なの〜!!」
  多分大丈夫なんだろうなと思いながらも、橋本は真剣に半泣きだった。友之をモノにするという事は、沢海や数馬だけでなく、こんな尋常でない事をやらかす変なお金持ちとも対峙しなければならないのだ。
  その悲しき事実を改めて突きつけられ、橋本はヤケクソな大声をあげずにはおれなかった。

  そしてもう1人のボディガード、沢海拡。

「……絶対俺たちの事調べてるだろ、あの人」
  がりがりと頭を掻き毟りながら、沢海はある一室でペーパーテストの真っ最中だった。
  そう、ペーパーテスト。紛れもなく、ただの筆記試験である。
  沢海も同じようにある1室へと引きずりこまれたのだが、こちらは無理矢理にではない。館に入る直前、沢海はハルナにそっと耳打ちされたのだ。
  私のこのお題を突破出来たら、今夜の部屋を友之と同じにしてやってもいい―と。
  それで使用人の一人に連れられてきたのが今いる場所だ。そこは四方を埃っぽい書棚でぐるりと囲んだような所謂書斎だったが、趣味の悪い事に、クラシックテーブルと木造りのオールドチェアは部屋のちょうど中央にちょこんと配置されていた。父親が建築家な為、部屋のインテリアなどにも自然興味のいく沢海だが、この部屋は中で調べ物をしようという人間をわざと心理的に追い詰めるような造りにしているのがありありと感じられた。…それは今置かれた状況と、単なる被害妄想から紡がれた思考に過ぎない可能性も多々あったが、何にしろ沢海はハルナから出されたその「あるお題」を解かなければ、この部屋から一歩も出られない事態に陥っていた。
  ペーパーテストの内容は意地の悪いナゾナゾでも、捻じ曲がった密室トリックを解くような推理ものでもない。単純にその者の学力を測る為の、理数国社を配した総合問題だった。
  ただし、恐らくは一般の高校生が解くような代物ではないレベルの。
「バカにしやがって…。絶対全問正解してやる…!」
  気のせいか、外では橋本の叫び声とか、遠くで何かがぶつかりあうような物騒な音も聞こえているのだが。
  それらを努めて頭の外へと払い退けながら、「今夜は友之と同じ部屋」という邪な思いを心の片隅に留めつつ。
  沢海はうんうんと唸りながら机に向かい、煤けた藁半紙に趣味の悪い羽ペンをガシガシと走らせ続けるのだった。

  さて、最後の砦。無敵の高校生・香坂数馬は。

「ったく、保険に入ってから来れば良かった…!」
  ぶつぶつと軽口を叩きながらも、やはり数馬も試練の真っ最中だった。
  恐らく数馬の場合はハルナから特別の指令が出ているのだろう。向かってくる使用人の数と「腕」も、橋本や沢海には比べるべくもない。……というか、シャレになっていない。
「うおっとぉーッ! ちょっ……今の、や、やばかったあ!」
  さすがの数馬もたらりと冷や汗ものだ。これだから常識を弁えない…というか、常軌を逸した金持ちは嫌いなのだ。
  数馬は自らの胸をぎりぎり過ぎりながら壁に突き刺さったナイフを見て、ふうと大きくため息をついた。
  数馬の試練はズバリ、外敵からの攻撃を避けながら晩餐会場へ向かうこと。
「この調子じゃ、そのうち爆弾とか出てくるんじゃないの? 死人出ても、平気で証拠隠滅出来そうだし! わ!」
  言っている間にも、夜目の利かない暗闇からびゅんびゅんと容赦なくナイフ投げの達人が数馬目掛けて攻撃してくる。ただでさえ初めて訪れた館の中で、圧倒的に不利な状況下、おまけにご丁寧にもそのナイフが大型の特注品のようだった。一応反撃用にと自らもそれと同じナイフを渡されていたが、数馬は基本的に平和主義者である。こんな物を使ってもし誰かに当たったら申し訳ないと思うので、絶対に使う気はない。
「全くトモ君も、変な人に好かれる名人なんだからなぁ! あ、でも今回は光一郎さんのせいでもあるのかな!?」
  数馬は追っ手が自分の動作に息を呑む気配だけを頼りに、目的の場所へ向かって走り続けた。友之に会ったらまずは「バカ」と言って頭を叩いてやらなければ気が済まない。こんな悪い友達は絶対に持っちゃいけないよ、と。自分が叱ってやらなければ、どこまでもお人好しで何1つ学習していかないのだから。
「どうでもいいけど、橋本さんの声も近いな…。さっさと合流した方が楽かな?」
  あっちはあっちでイヤそうだけどと思いながら、数馬は既にくしゃくしゃになってしまった紙片をその場にぽいと投げ捨てた。





「凄いです、ハルナさん…っ」
「ふふふ、だろう?」
  そんな中、ハルナは友之の絶え間ない絶賛に酔いしれ中である。
「本物そっくりで、動き出しそう…! 映画でこういうの、見た事あります…!」
「お、それはもしや『ミレー夫人の蝋人形の館』では? 何をかくそう、あれを参考にして作らせた。あれはB級ホラーといってしまうには惜しい、実にうまく出来た秀作だった」
「はい…っ。す、凄く面白かったです、あれ! あ…、でも…」
「ん?」
  ガラスケースにへばりついてハルナの「蝋人形コレクション」を舐めるように見入っていた友之だが、不意に何かを思い出したようになってしょぼんと俯いた。
  ハルナはそんな友之に怪訝な顔をし、「どうした?」と首をかしげる。
  この蝋人形たちをここまで揃えるのにはさすがに骨を折った。しかも最初にお披露目してやった親友のユズルやハカセはこの回廊に並ぶ人形たちを見た瞬間、飛びあがって恐れ慄いて、あっという間に館から逃げ出してしまったのだ。
  この美が分からないなんてと、ハルナは暫く立腹して2人とは口もきかなかった程だ。……だからというわけではないが、今回の事も2人には内緒である。今頃激怒して光一郎の家にでも向かっている事だろう。
「あの映画…面白かったから…」
  そんな事を回想して憮然としていたハルナに、友之が続けた。
「コ…兄にも観てもらいたいなって思ったんですけど……あまり面白そうじゃなかったから……」
「まぁ、光一郎はああいった映画は好かんだろう」
「僕が……心霊写真の本とか見るのも、あんまり好きじゃないみたいで」
「……止めろ、と言ったのか?」
  ハルナの問いに、これには友之はすぐに首を横に振った。
「そういうの、言わないです。兄は……絶対、言わないです。もし自分が嫌だなって思う事があっても……」
「……お前を大事に想っているからだろうよ」
「でも―…」
  何かを言い掛け、しかしさっと俯いた友之は、傍にいるハルナにすら聞こえるか聞こえないかの小声でこそりと告げた。
「こういう趣味……変かなって」
「時々、思う?」
「……はい」
「ふうむ」
  顎先に手を当てて何事か考え込む素振りを見せたハルナを、友之はさっと不安気に見上げた。ハルナは思った事は何でも言うし、大学でも光一郎に信頼を寄せられている(と、友之は思っている)相手だ。だからもし友之が「怖いもの」「不思議なもの」が大好きだという趣味を光一郎が良く思っていない(薄気味悪いもののように感じている)のならば、そうはっきり教えてもらいたいと思った。
  仮に、もし光一郎が「そんなもの止めろ」と言ったら。
  友之は、きっと迷いなくそれを捨てる事が出来る。例えそれが自分にとってとても胸躍らせるような事柄だったとしても、だ。
  何でも、捨てられる。
「私は所謂ロリコン雑誌を読むのが好きなんだが」
  その時、ハルナが唐突にそんな事を言った。
「本来ならば、“ロリコン”なんて言葉を口にするのは不本意だ。しかし、周りがそういう基準で言っているので、今回はそれに併せてそう言う事にする。とにかく、私はその手の事に興味が尽きない人間なんだ。だから今回の蝋人形も、努めて10代前半までの可愛らしいゴシックファッションを身に纏った人形で固めてみた。ジジイの蝋人形とか、素で見たくないしな」
「これ…みんな可愛い、です」
  目の前のガラスケースに収まっている人形はまさに芸術品だった。栗色の髪を綺麗に巻き、控え目なピンクの口紅をつけたどこぞの王侯貴族のような可憐な少女。……服装がいささかフリル過剰でハルナの趣味に走り過ぎと言えなくもないが、それでも友之にはその人形はとても素敵な物に見えた。
「そうだろう。可愛いだろう? だから私はこの趣味を止めないぞ」
「え」
  友之がはっとして目を見開くと、ハルナはさっと唇の端を上げた。
「自分の好きな物を止めてまで相手に付き従っていても、それは本当の自分ではないだろう? いや、ある人は言うかもしれない。“全てを捨ててでもその人と共にいたいと望み、選ぶのならば、それも本当の己ではないか?”と。……しかし、私はそうは思わない」
「どうして……」
「あるがままの己を好きでいなければ、何も始まらない」
  ハルナは不敵にそう言い放ち、それから再び友之の肩をすいと抱くと、もう片方の空いている手をさっと掲げた。
  すると回廊の一番奥にあった部屋の扉がゆっくりと開き、中から煌々とした美しい光と、軽やかなクラシック音楽のしらべが優雅に流れてきた。
「どうやら晩餐の準備が整ったようだな。友之、お前が普段食べた事もないような豪華な食事だぞ。ほっぺたを落とすなよ?」
「……凄い」
「ん?」
「ハルナさん……かっこいい、です」
「………」
  友之がしみじみとしてそう言った言葉を、ハルナは目をぱちくりとしながら受けとめた。
「は……」
  それから、ははは!と豪快に笑って見せると、「そうかそうか」と頷きながら、悦に入った風に嬉しそうに微笑む。ハルナの見せた笑顔の中で、それは今夜1番の淀みない笑顔だった。

「あああッ! 北川君〜!」
「無事クリアしましたよ、ハルナさん…っ!」
「もう信じらんない。激しい運動させられてめちゃめちゃお腹減ったんですけどー!」

  その時、回廊の向こう側からヨロヨロになった使用人たちに引きつられ、友之の頼もしいボディガード3人が姿を現した。その中で橋本は殆ど涙目だったが、友之の肩を抱いているハルナを見た瞬間、猛然と走り寄って2人の間を割るように両手をめいっぱい広げてみせた。
「なな、何してたんですかっ!? な、馴れ馴れしく北川君の事触ったりして、貴方って人は、それでも有名なお金持ちの人!? 北川君、何もされてない!? 大丈夫!? ゾンビに何かされてたらって私もう心配で心配で…!」
「ゾンビ…?」
「俺は友之が密室に閉じ込められてないかが不安だったよ」
「ボクはトモ君がぬり壁か何かの下敷きにされた後、ぐるぐる巻きにされて憐れにとっ捕まってるトコを想像してたね」
  3人が3人、それぞれ自分たちの苦労を思い浮かべながら口々にいらぬ妄想を言葉にする。
「…………………」
  すると友之は最初だけ呆気に取られていたものの、急にぱあっと明るい顔をしてハルナを振り返り見た。
「凄いっ…。ゾンビとか、密室トリックとか…! まだ、色んなアトラクションがあるんですね…!?」
  キラキラとした目を向けてハルナにそう詰め寄る友之に、3人は一瞬ぽかんとして口を半開きにしている。

「あ、あの…北川君? ゾンビ……結構怖かったよ……?」
「僕も見たい…!」

「友之…俺がやってたペーパーテストは密室トリックとかじゃなくて…」
「謎解きゲームもやってみたい…!」

「んじゃ、ナイフ投げも是非ともやってみたいと」
「!! やってみたい…!!」

  友之のキラキラモードが止まらない。
  3人はすっかり言葉を失っていたが、それに割って入ったのは勿論ハルナだった。
「あははは、勿論、友之にも十二分に楽しませてやるさ! 何せ、お前の為に用意した余興だからな! やはり友之は話が分かる、お前ならば絶対に楽しんでくれると信じていたぞ」
「ハルナさん、凄いです…!」
「そうだろう、そうだろう。もっと尊敬しろ」
  ハルナが得意満面になっている最中、3人だけはどうしても釈然としない。
  しかもその3人のうち、ハルナから個人的に「友之との同室」条件を出されていた沢海が一歩前に出て口を開こうとした、その瞬間―。

「ハルナ様、たった今、ユズル様がヘリにて上階での着陸許可を求めてきておりますが」
「……やはり来たか」

  ちっと小さく舌を打ったハルナだが、友之に絶賛されまくったせいか機嫌はとてつもなく良いようだ。「まあいい」と同じく誰にも聞こえない声で独りごちた後、彼女は「皆で晩餐と洒落込もうか」と、友之に余裕の体で軽いウインクまでしてみせた。
  そうして、その館の主は。
「友之。己の好きなものは堂々と兄にも言ってやればいい」
「え……」
「ちょうどお前の兄も遅ればせながら登場したようだし? 今夜は皆で大肝試し大会をするぞ」

「え、えー!? まだやるのー!?」
「ちょっ…ハルナさん、話が…! 同室の件は…!」
「結局来ちゃうんだねえ、光一郎さん…」

  あーあと大きな溜息をついた数馬や、これ以上怖い想いはしたくないと蒼白な橋本、それに口をぱくぱくさせたまま二の句を告げられない沢海をよそに。
  ハルナは再び友之の背を押しながら、燦燦と降り注ぐ明るい広間へと優雅にエスコートし、その後も友之の賞賛を独り占めしてしまうのだった。


「「うおー今行くぞ、友之くーん!!」」(byユズル&ハカセ)
「何て悪趣味な館だ………」(by光一郎)










この後の部屋割りは一体どうなったんでしょうね…^^;。
すみません、ふざけた話で(爆)。