白昼



  沢海が友之から不思議な七日間の話を聞いたのは、数馬が耳にしたよりもずっと後の事だ。だからその「差」に彼は一人密かに落ち込んでいた。

  話の内容自体ははっきり言って何でもいいというか然程興味はなくて、問題は友之が「自分よりも先に数馬に話した」という点だった。奴の方が偶々先に会ったからとか、元は光一郎が誰にも言うなと話していた事なのにあいつが強引に聞き出したのだとか、自身を慰める材料はあるのだけれど、それでも沢海は傷ついていた。

  俺の方がずっと先に友之を見つけていたのに。

  そういう恨めしい想いが沢海にはある。他にもたくさんいる強力なライバル―例えば友之の3人の兄たち―はひとまず置いておくとして、沢海は当面の「敵」である香坂数馬にだけは負けたくないと常々思っていた。一度はフラれた身の上だし、ある程度は距離を置いて友之と付き合おうと決めていた……のだが、どうにも彼の周囲はいつでも落ち着きがない。友之の傍にはいつも必ず誰かがいて、いつだってその彼に「アヤシイ」眼差しを向けている。それならば自分が我慢したって損なだけじゃないか――…そんな風に思ってしまうと、もう止められない。
  だから結局、沢海は今日も友之を構い倒してしまう。
  それにしても。
「なあ友之……、その、不思議な異世界?の、話なんだけどさ」
「うん…?」
  今はちょうど昼食時。
  珍しく委員会の仕事があるという橋本を撒く事が出来、沢海は友之と2人きりの昼を楽しんでいた。友之は家から持参してきた菓子パンを、沢海は昨晩の残り物を自分で適当に詰めた弁当を持ってきていたが、それらを口にしながら、2人は割と閑散とした屋上の金網越しに並んで座っていた。
「向こうの世界の俺って……何で友之と同じこの学校に来てなかったんだ?」
  不思議な話は粗筋をざっと聞いただけだったから、実は自分自身の境遇にもあまり深いツッコミは入れていなかった。だからごく自然にふと浮かんだ疑問を口にしたわけだが、友之はそんな沢海に対し食べ掛けていたパンを口から離して、ぴたりと動きを止めた。
「拡が…この学校に、来なかった理由…?」
「あ、うん。別に意味はないんだけど。単に何でかなって思って」
  友之の話では、どうやら向こうの世界の「沢海拡」とやらも友之には随分と親切だったらしい。しかし、ならば何故今の自分がそうしているように、高校も同じ所を選ばなかったのだろう。向こうの世界の自分は愚か者なのか。純粋に疑問だった。
「あの……向こうの僕は、僕と違ってしっかりしてたし…。あっ…す、少なくとも…しっかりしようって、頑張ってたし…」
「友之だって頑張ってるよ」
「ううん」
  首を左右に振って、友之はしかし力なく笑った。
「そんな事ないよ…。現に僕……拡の進路を台…台無しに、しちゃった」
「なっ…何、言ってるんだよ?」
  ドキリとして今度は沢海がフリーズすると、友之は酷く申し訳なさそうな顔をして俯いた。
「ここに入った時は、拡、他は全部落ちちゃったからって言ったけど……あれ、嘘だったでしょう? 本当は……僕と同じ高校行く為に、ここ以外の所、全部わざと落ちたって」
「あ、あれは……」
  確かにそうなのだが、しかしその選択を後悔した事など一度もない。最初から決めていたのだ、友之と同じ高校へ行く事は。本当ならば、わざと落ちるくらいなら他の所など1校たりとて受けたくはなかったのだが、学校の教師連中や両親がどうしてもというから断りきれなかった。
  それに露骨に友之が受ける所だけしか受験しなかったら、友之の方にも迷惑の火種が飛ぶと思ったから。
  だからわざと受験だけしに行って、そこでは殆ど適当な答えを書いて提出した。
  それを悪い事だと、拡は未だに思っていない。
  友之に真相をばらしてしまった事だけは悔いているけれど。
「向こうの僕はね……拡がそうしようとした時、ちゃんと怒って止めたんだって」
「え?」
  沢海がハッとして顔を上げると、友之はその時の風景を思い出すように遠い目をして続けた。
「拡が僕と同じ高校行くって言った時……そんなの駄目って。……僕は、言えなくて、ごめん」
「と! 友之は何も悪くないって!」
  その向こうの世界とやらとこちらとでは、どうやら条件が大分違うらしい。沢海はやや強い口調で友之を諌めるように言い、後は誤魔化すように弁当を口にした。
  止めるも何もない。だって自分は友之には内緒で事を進めた。本当の事を言えば「この」友之とて、「そんな事はしないで欲しい」と必死になって止めただろう。
  大体、あの頃はそもそもそんな話し合いが出来るような関係でもなかった。友之は今よりもずっと口数が少なくて、すぐにでも死んでしまいそうな程儚くて弱っていて。沢海の事を認識はしてくれていたけれど、それでもやはり今とは全然違うのだ。
  あの頃の自分たちはただのクラスメイト。友人ではなかったと思う。
「……友之。これだけは俺が作ったんだけど。食べてくれる?」
「え? いいの?」
「うん」
  気を取り直して、沢海はふっと顔を上げ、隣の友之に向き直った。それから弁当箱に収まっていた玉子焼きを箸でちょいとつまみ、それをそのまま友之の口へ持っていく。
「はい、口開けて?」
「え? あ、あの…」
  友之は普通に自分が手で取って貰おうと思っていたのか、沢海が直接箸で運んできたことに思い切り面食らっていた。それでも沢海があまりに平然としているせいだろうか、友之は躊躇って暫し辺りをきょろきょろと挙動不審に見回した後、やがて意を決したように恐る恐るその小さな口を開いた。
「はい」
「んっ」
  ぱくりと友之の口の中に玉子焼きが入っていく。もむもむとそれを咀嚼する友之をじっと眺めながら、やっぱりその「向こうの世界の自分」とやらはとんでもない馬鹿だと沢海は思った。
  今の自分たちよりどれだけ距離が近かろうが、友之が多少強気で物を言えようが。
  こんな風に毎日の昼食を共に出来る機会を逸して、友之の言うがままに別の進学先を選ぶだなんて、考えられない。
「本当……信じらんないよ」
「え?」
「ううん。何でもない」
  未だ口を動かしながらも不思議そうに聞き返す友之に、沢海はにっこり笑って首を振ると、もう一度安心させるように「何でもないよ」と繰り返した。





  その夜のことだ。
「ん……」
  何だか妙に頭が重くて、沢海はふっと夜中に目を覚ました。酷く喉が渇いている。夕飯に料理下手の母親からやたら油っぽい物を食べさせられたせいだろうか。不快な気分を抱えながらむくりとベッドから起き出すと、沢海は階下へ行って水でも飲もうと立ち上がった。
「あれ……」
  すると机上に置いていた携帯がチカチカと点滅しているのが暗闇の室内でよく見えた。眠る前には誰からも来ていなかったはずだから、この僅か数時間のうちに来ていた事になる。一体誰だろうと携帯を掴んでディスプレイに目を落とすと、そこには「友之」という表示があった。
「友之……?」
  寝惚けた頭の中が一瞬にしてクリアーになっていく。同時に「おかしい」と反射的に思った。何故って、友之は携帯電話を持っていないから、当然の事ながら自分の携帯メモリに友之のアドレスなど登録されていない。
  それなのに、何故携帯には「友之」なる人物からの着信が告げられているのか。
「何……?」
  驚きながらもすぐにその1通のメールを開いてみて、沢海は更にぎょっとした。
「えっ」
  携帯のメールには、「今下にいるから、もし起きてて来られそうだったら来て」と書いてあった。
「下って」
  焦りながら締め切っていたカーテンを勢いよく開き、窓を開ける。
「……っ」
  沢海は絶句した。メールを貰ってまだ数分という事も効いていたようだ、窓の外には本当に友之が立っていて、沢海が自分からのメッセージに気付くかどうかと下から様子を窺っているのが見えた。
「と、友之…!?」
「拡」
  友之は遠慮がちな表情ながらも、沢海が気付いた事で嬉しそうに笑い、それから小さく手を振った。吐く息が白い。窓を開けて気付いたが、外は大分寒い。友之はジャンパーを羽織ってはいるが、いつまでもこの寒空に置いていたら確実に風邪を引かせてしまう。「今行くから」と沢海は小声で伝えながら、急いで階下へと向かった。
「どうしたんだ、一体…!?」
  息を切らせて門の外に出ると、友之は「うん」と照れたように笑いながら、けれど次の瞬間には「ごめん」と言って落ち込んだような顔を見せた。
「迷惑かもって思ったんだけど……メールに気付かないなら気付かないでいいやっていう気持ちで、いちかばちか……。拡の顔、見たくて」
「え?」
「最近、あんまり会ってなかったし」
「ええ……?」
  何かがおかしい。
  沢海はぐるぐるする思考の中で必死に固まりかけている思考をフル稼働させた。
  寒さでおかしくなっているのか、それともこれは夢なのか?
  そもそも目の前の友之は友之なのか。否、自分が友之を見間違うはずはなく、ここにいるのは紛れもなく北川友之本人には違いないけれど、それならば何故彼はこんな言い方をするのだろうか。最近会っていなかったって、今日会ったばかりだし、大体何だって友之はこんな風に淀みなく話が出来ているのか。それはそれで嬉しいけれど、何かが違う。
「あの…拡?」
  何も言わないでぽかんと口を開けたままの相手に、友之はあからさま途惑った風だった。
「やっぱり迷惑だったよね。ごめん、もう帰るから」
「あ…!」
  そう、こんな風に奥ゆかしいところはやはり友之だ。
  それでもどこか話し方に違和感があるのだが、それでも沢海は咄嗟に友之の手を掴み、「迷惑なんかじゃないよ」と言った。
「ごめん、ただちょっとびっくりしただけだ…。迷惑なわけないだろ?」
「でも…」
「何かあったから来たんだろ? いいからあがれよ。外、寒いし」
「いいの?」
「当たり前だろ」
  何とか落ち着こうと思いながら沢海は必死に口を動かし、とりあえずは友之を引っ張って家の中へと連れて行った。友之は遠慮した風ではあったが、沢海の家には慣れた風で、「何か飲み物を持って行くから」と先に上へ行かせても、迷う風もなく沢海の自室へと直行していった。
「……何だ」
  むしろ途惑ったのは沢海自身だ。
「ど……」
  どこだ、ここは。
  一瞬そんな言葉が出そうになり、沢海は両手に持っていた2つのグラスをそのまま取り落としそうになってしまった。
  先刻は電気もつけずに慌てて自室から飛び出たから気づかなかったが、ここは自分の部屋であって自分の部屋ではない。瞬間的にそう思った。明るい電灯の下で見る自室は確かに見慣れた家具が鎮座してもいるのだが、配置が微妙に違うし、ところどころに見た事もない物が置いてあったり、部屋の色調全体もどことなく変わっていた。
  それに、何故か部屋に掛けられている制服が。
「何で修學館の制服がここにあるんだ……」
  沢海が何気なく口にすると、先に部屋にいてベッドの上に腰かけていた友之は「え?」と怪訝な声を出した。
「どうしたの、拡…」
「え……いや……そ、その」
  とにかく飲めよと、むしろ自分自身に言い、沢海は持ってきたグラスのうちの1つを友之に渡すと、残りの1つの方―烏龍茶が注いである―を一気に飲み干した。
「はあ…っ」
  それによって人心地つき、とりあえず友之が座る横に自分も腰かける。友之は大人しく烏龍茶を飲みながら、俯きがちにグラスの中の液体を見つめていた。
「友之……」
  恐る恐る呼んでみると、その横顔はすっと上げられて真っ直ぐ隣にいる沢海に向けられてきた。どきりと心臓が高鳴る。そう、間違いなくこれは友之だ。先ほど抱いた違和感が消えたわけではないが、それでも友之である事は間違いない。
  こんなに至近距離で見ているのだから。
「あのさ、拡。こ……この前は、ごめん」
「え?」
  その友之が唐突に口を開いた。
  一体何の事か分からずに目を見開く沢海をよそに、友之は再び正面を向いて焦った風に唇を動かした。
「折角会えたのに、光一郎さんの事ばっかり話しちゃって。そりゃ、拡だって怒るよね。大体、この間だけじゃない、最近の俺、自分の家族の話ばかりでさ、拡だって色々大変だと思うのに、拡が優しいのをいい事に甘えてた。本当にごめん」
「………あの」
「まだ怒ってる……?」
「え? いや……」
  というか、この状況がさっぱり分からないのだが。
  沢海は殆ど出来の悪いロボットのようにぎこちない動きをしながら、恐々とした顔で自分を覗きこむ友之を機械的に見下ろした。一体何なのだろう、どうにもおかしい。おかしいという言葉以外出てこない。
  しかしはっきり言えるのは、どうやら自分たちは喧嘩をしていて、信じ難い事に自分は友之を怒ったようだ。
「別に……家族の話くらい、どんどんしていいしさ」
  沢海が何となくそう言うと、友之は「でも」と言い淀むように何かを言いかけた。
「いいよ」
  それを遮るように沢海は続けた。何故か隣の友之をよくは見られなかったけれど。
「むしろ、友之が俺の事頼ってそういう話してくれるなら……俺は嬉しいし。俺、前からずっと思ってたし。友之に何かあった時はいつでも俺を一番に頼って欲しいって。何でも俺に1番に話してきて欲しいって」
「俺……いつでも何でも、話すのは拡が1番だよ?」
「えっ」
  それは嘘だろうと思い、沢海はぎょっとしてまじまじと友之を見やった。しかし誠実な友人に嘘をついているという雰囲気はない。いよいよ訝しく思い、沢海は確かめるように友之の前髪にそっと触れた。
「友之……?」
「うん」
  すると友之は急におとなしくなり、そっと目を瞑り沢海にもたれかかってきた。沢海はそんな相手の態度に思わず「ぎゃあ」とみっともない声を上げそうになったのだが、そこは何とか押し留められた。
  それでも仰天した事に変わりはない。何なんだ、一体何なのだ。
「お、俺に1番、ってさ…。けど、あのさ。たとえば、数馬には?」
「数馬……?」
  友之が意表をつかれたかのように顔をあげた。沢海はドキドキしたままそんな友之を見つめ、確認するようにゆっくりと繰り返した。
「友之は数馬の事も信用してよく色んなこと相談したりするだろ? 本当にあいつより、俺に1番に話す? 何でも?」
「数馬は確かに友達だし、頼りになるけど……」
  沢海が何故そんな話をするのか分からないという風に、友之は困惑した風に続けた。
「数馬は拡の友達だからって理由で、俺に親切なんだと思うよ。拡が修學館で数馬と知り合わなかったら、お互いずっと知らない同士だったんだし」
「修學館……」
「うん…?」
「俺って修學館なの?」
「え?」
「俺って、もしかして、友之と同じ高校行ってないの?」
「ひ、拡……?」
  どうしたの、と。友之は掠れたような声を出して一瞬身体を引いたが、慌てて沢海の額に手を当て、それだけでは物足りなくなったのか、乗り出すように身体を近づけると今度は自分の額を直接沢海のそれにくっつけた。
「……っ」
「熱…ないよね?」
  近い。顔が物凄く近い。カッと赤面してしまい沢海が沈黙すると、そんな相手の様子に気付いたのか、友之も忽ち顔を赤くして距離を取った。
「拡……」
  けれど友之はやがて意を決したようになって言った。
「あのさ…あの…この間の、話なんだけど」
「この間……」
「そう。拡が言ってくれたこと……あの、す、好きだって、言ってくれた、こと……」
「好き……」
  おぼろげながら見えてきたそのストーリーに沢海はただボー然としつつも、心の中だけでぽんと手を打った。
  そうかこれは夢だ、間違いない。今日昼食の時に友之のあの不思議話を無駄に掘り起こしたりしたから、だから自分はこんな夢を見ているのだ。そしてどうやら、今は自分が例の異次元世界に来ている。だから「こちらの沢海拡」として、今はこうして「こちらの北川友之」と対面しているのだろう。そうだ、そうに違いない。
  そして。
  どうやら、こちらの自分はこちらの友之に告白をしたようだ。
「あの……凄く、嬉しかった」
「報われるのかよ…っ」
「え?」
  ぼそりと呟いた沢海に、友之が驚いたように目を見開いた。沢海はハッとして「何でもないよ」と優しく笑いかけたものの、やはり心内では激しく面白くないものを感じていた。
  たとえそれが「自分自身」の事であろうとも、念願叶って友之のハートを射抜くのは、所詮違う次元の沢海拡なのだ。
  自分ではない。
「友之……一体俺の、どこを気に入ってくれたの」
  それでも後学になるならと、沢海は隣に座る友之の頭を撫でながら冷静に訊いてみた。この友之は自分が愛するあちらの友之とは違うけれど、何かの役には立つかもしれない。逆に、それ以外でこの友之をどうこうしたいという気持ちは起きなかった。……本来ならば折角両思いになっているのだからと、こちらの友之だけでもモノにしてしまえと思うのかもしれないが、少なくとも今の沢海にはそんな気持ちは抱けない。
  やっぱり、あの友之とは違うものだから。
「どこがって……それは――」
「ああ、やっぱりいい」
  それなら、この友之に訊いても無駄じゃないか。
  沢海は思い直したようになって、答えをくれようとした友之を片手を挙げて制した。
  やはりこういう事もホンモノに訊かねば意味はないだろう。沢海は思い切り苦笑した後、「ごめんね」と謝り、さっきのお返しとばかりに今度は自分から友之の額に自らのそれをつけた。
「ごめん。君が待ってる沢海拡は、俺じゃない。俺は、違う世界の沢海拡」
「え……?」
「ごめんね、折角答えをくれたのに。もう一度言ってやって」
  ホンモノが帰ってきたら――。
「……っ」
  けれどその台詞を最後まで相手に伝えられたのかは、沢海には分からなかった。
  不意にツキンと頭が痛くなり、沢海はぐっと眼を瞑った。と、同時に視界がぐらりと揺れて身体全体が回転したようになり、いつしか意識がぐんぐんと何者かに引っ張られているかのように奥へ奥へと誘われ―。
  沢海はそのまま暗い闇の中で再び眠りについた。





「――…む。拡…っ」
「んー?」
  ゆさゆさと遠慮がちに、けれど段々と強い調子で身体を揺さぶられて、沢海ははたと目を覚ました。
「拡!」
「……友之?」
  見ると傍には友之が座っていて、何故だかは分からないが酷く泣きそうな顔をしていた。
「あれ」
  ゆっくりと上体を起こす。そこは学校の保健室だった。この白い無機的なベッドには見覚えがある。自分は大して使用しないけれど、具合の悪くなった友之をよくここへは連れて来るから―。
「って、何で俺が寝てるんだ?」
「拡、大丈夫…?」
「え? 何が?」
  友之の質問の意味が分からず、沢海は間が抜けたように問い返した。しかし、聞き返して直後、妙に後頭部に鈍い痛みが感じられて「つ…っ」と思わず眉をひそめる。
「やっぱり痛いの? 病院へ行く?」
  珍しく早口で喋る友之は、あぁ、あの夢で見たハキハキとした友之に少し似ていると思った。まだ向こうの世界にいるのかと少しだけ心配になったが、ここが自分たちが普段から通う学校の保健室である以上、それはないだろうと思い直す。
「俺、どうしてここに? 今何時?」
「夕方の5時…。拡、ずっと気を失ってたんだよ…?」
「え、俺が?」
  こくりと頷き、友之は未だ涙を落としそうな悲愴な様子でぐっと沢海の手を握った。
  その所作に思わずドキリとしたが、当の友之はそれどころではないらしい。
「お昼食べてて……。後から来た橋本さんが、ちょ、ちょっとふざけて……その、拡に靴投げたら、頭に当たっちゃって」
「は? あいつが俺に? 靴を?」
「う、うん…。あの、僕が悪いんだ。拡から、お弁当分けてもらってたでしょう。僕は嬉しかったけど、その、食べさせてもらうの……ちょっと、驚いたから、それが顔に出ちゃって。それで、橋本さんが、僕が困ってるって誤解、して」
「……ああ、そういうオチ」
  沢海は呆れたようにハッと鼻で笑ったのだが、それにしたって靴を投げてくる事はないだろう。誤って友之に当たったらどうしてくれる。……あの橋本に限ってそんな事は絶対にないだろうけれど。
「それで? 俺をこんな目に遭わせた張本人は? そういや、白石先生もいないみたいだけど」
「その……たんこぶ出来たくらいだから心配ないって……。橋本さんは、部活。先生は、帰った」
「……何て奴らだ」
  少しは友之くらい心配しろと思ったが、それでもあの2人がいないお陰で今2人きりだ。まあ結果オーライだと自分のたんこぶなど何ほどの事もないとばかり、沢海は笑顔全開で自分も友之の手に片方の手を重ねた。
「ありがとう、友之。友之がずっと俺のこと看ててくれたんだな」
「うん…だって、全然起きないから。心配で」
「うん、短い時間だったんだけどね。俺、夢見てたんだ」
「夢?」
「うん」
  友之の手を擦るようにして撫でてから、沢海は凄い事を教えるとばかりに顔を近づけ、友之に近づくように暗に示した。
「……なに?」
  それに友之が不思議そうな顔をして身体を寄せると、沢海はしめたとばかりにそんな友之の唇にちゅっと軽いキスをした。
「あっ」
  友之はあからさま意表をつかれたようになって慌てて身を引いたのだが、もう遅い。沢海はしてやったとばかりに悪戯っぽく笑うと、「ごめんごめん」とふざけたように謝った。
「でも、あっちで本当は色々できたのをしなかったんだし、これくらいはいいよな?」
「あっち……って?」
「あっちだよ。あっちの世界。向こうでは、俺たちって両想いなんだな。むかつくよな」
「拡……?」
  友之が怪訝な顔をして首をかしげる。頭をぶつけてどうにかなったのかと心配もしているようだ。
  けれど反して沢海の方は、後頭部に痛みを感じたのも最初の一瞬だけで、今はいやに清々とした気分だった。何やら凄く爽快、なのだ。
  だからか、どんどん調子に乗ってきてしまい、沢海は友之の唇に指先で触れると。
「あ」
「友之って本当に隙だらけなんだよな」
  もう一度とばかりに唇を奪ってしまうと、あとはもう勢いだけだ。友之があたふたとして赤面するのも構わず、沢海は更に二度三度と啄ばむような口づけを繰り返した。
「ひ、拡…っ」
「なあ」
  そうして友之に目だけで笑みながら、声は思いきり真摯な調子で尋ねた。
「友之」
  その答えは聞きたいような、でも怖いような。そんな気持ちだったが、それでも沢海は友之を諦める気持ちがさらさらないから、言わないままなのは嫌だった。
「どうしたら――」
  だから沢海はゆっくりと、友之に訴えるように言葉を出した。

「どうしたら俺を好きになってくれる?」










内容的に遊技場と迷いましたが、まあこの程度なら宴でもいいかと。
ただ、本編ページに入れるのは何か違うと思いました。分ける基準が自分でも曖昧ですが^^;
年の瀬くらい拡にいい目を見せて…やれたかな?