★★マズシキトキモ★★


  光一郎は友之から常に金のない貧乏学生だと思われているが、自分では「そこまでひどくない」と思っている。大学は国立だし、その学舎が独自で開設している特待生試験にもパスしているから、学費は更にその半額だ。となれば、あとは日々の生活費と併せて普段のアルバイトを頑張りさえすれば、親の手を借りずとも何とかやっていける。色々入用でどうしても苦しい時はバイト先の雇用主に借金する事もあるが、あの父親に借りを作るよりは百倍マシだった。
  高校を卒業するずっと前から光一郎は決めていた。大学へ上がったらあの父親の手は一切借りずに全部独りでやっていくと。なまじその親の収入が良いせいで奨学金の申請は却下されてしまったが、3年になればまた学内創設の新たな特待生試験を受ける事が出来る。こちらは学費も全額免除となるので、何としても取得したいところだ。

「だが、普通より貧しい事には変わりない」

  いつもかち合う時には昼食を共にするハルナという友人が、1人構内で勉強する光一郎にそう言って笑った。
  光一郎はその人目を惹く際立った容姿や、誰に対しても親切な「出来た」人柄を買われて常に大勢の人気者だが、その煩わしい人間関係から一定の防波堤の役割を担ってくれるのがこのハルナだった。彼女も「ある意味」学内では大層な有名人だし、家柄が「超リッチ」なので邪な考えで近づく人間が後を絶たないのだが、何しろ彼女は光一郎とは全く正反対で「性格が悪い」。あまり長いことその空気に当てられていると、手痛いダメージを喰らう事は間違いない程の毒舌家なので、彼女がいる時は周囲も警戒して光一郎にも近づかないのだ。否、近づけない。
  そんなところはとてもありがたいのだが、それでも事ある毎にその毒は自分にもぶつけられる事があるので、慣れたとは言え光一郎自身も疲弊を感じる事はままある。
  特に金銭絡みは良くない。光一郎は溜息をついた後、観念したようにテキストに落としていた視線を上げた。
「で? 何の話だっけ」
「今日、飲みに行かないか。勿論、ユズルとハカセも来る」
  ハルナは嬉しそうな顔で、まだここには現れていない自らの幼馴染たちの名を挙げた。彼らは彼女が唯一心を開いて付き合ってきた者たちだ。光一郎にとっても馴染みの深い友人になりつつある。
「そんな金ない」
  それでも光一郎が素っ気無く断ると、ハルナは厭味っぽく口の端を上げて「だから」と先刻の話を繰り返した。
「みくびるな、奢ってやると言っている。常に金に困っているお前から、たかだか数千円の飲み代を払わせる気はない。だから来い」
「嫌だ」
「何故」
「奢られるのは好きじゃない」
  光一郎の答えにハルナは無遠慮に嘲った。
「仕方ないだろう、お前が貧乏なのがいけない。私はお前と飲みたいが、お前は貧乏。そうなると金持ちである私が奢ってやる他ないじゃないか」
「そこまで言われる程じゃない」
  あまりに貧乏貧乏繰り返されるので光一郎がさすがにむっとして眉をひそめると、ハルナはまたしても「だから」と最初の台詞を繰り返した。
「それでも、普通より貧しい事には変わりない」
「……普通って何だよ? ああ、やっぱり言わなくていい。とりあえず俺の中の基準では、俺はフツーに普通の学生として普通の生活を送ってる」
「そうかねえ? 偶に友人の飲みも断るくらい?」
「言い直す。お前が気を悪くすると思って遠慮してそう言ったんだよ。金の問題じゃない、お前らと飲みに行くのが嫌だから行かないんだ」
「やれやれ、困った我がまま野郎だ」
「どっちが!」
  思わず素早いツッコミを入れてしまった光一郎だが、はたとして口を噤む。いけない、ハルナの口車に乗せられてどんどんこの会話を続けていったら、結局は無理矢理居酒屋にでも何処にでも連行されてしまう。こういう時の女は本当に恐ろしいとつくづく嫌な想いに駆られながら、光一郎は気を取り直したように再び視線を手元の本に落とした。
「とにかく俺は行かない。諦めろ」
「今日は珍しくバイトが入ってないのだろう? 知ってるんだぞ」
  ハルナは別段気分を害した風もなく、むしろ尚も楽しそうな様子でしつこく誘ってきた。
「偶にはいいじゃないか。お前、折角華の大学生になったってのに、学生らしい遊びとかした事あるのか? いや、別に“らしく”なくてもいいんだけどな。時間の空いた時くらい羽目を外したり、自分の好きな事して過ごしたいとは思わないのか」
「飲み会なんか好きじゃない」
「まともに行った事がないから分からないんだ。気心の知れた仲間と飲むのは実に楽しいもんだぞ」
「お前……」
  どうして今日はこんなに食い下がるのか。光一郎は思わずまじまじと、何故か妙にニヤニヤとした笑いを浮かべ続けるハルナを凝視した。
  彼女は本来こういった性格の人間ではない。自分自身が人と適度な距離を取って付き合うのを好むから、普段ならば同じタイプの光一郎にここまで無理強いする事はないのだ。……確かに時々は強引で激しく自己中心的なのだけれど。
「どうしたんだよ。今日は虫の居所でも悪いのか」
  だからそう訊いてみたのだが、ハルナは意外な事を言われたとばかりに胸を仰け反らして大袈裟に驚いてみせた。
「お前、私のこの顔を見て分からないのか? 逆だよ、今日は実に機嫌が良い」
「……だったら、これ以上俺に構うのはやめてくれ。いいじゃないか、ユズルたちと行けば」
「お前がそんな性格だから」
  ハルナはふんと鼻で笑った後、急に含むような口調で言った。
「友之も心配するんだろうよ。自分のせいで、お前が学生生活を十分に楽しめないんじゃないかとな」
「友之?」
  不意に出たその名前に光一郎が露骨な反応を示すと、ハルナは仕方がないという風に両肩を竦めた。
「白状するとな、友之に頼まれたんだ。偶にお前を遊びに誘ってやってくれと」
「はぁ?」
「バイトの時は仕方がない、お前も生きる為に働かなくちゃならんから、そんな時はさすがに友之を放っている。――が、それがない日はとにかくさっさと帰るだろう。友之に朝から用意しておいた冷めた飯じゃなく、あったかい家庭料理を振る舞いたいが為に」
「ハルナ――」
「まあ、待て。ちょっと先に話させろ」
  口を開きかける光一郎をさっと制して、ハルナは今までの笑顔を引っ込めると急に真面目な顔をした。
「たとえお前がどんなに口を酸っぱくして繰り返したところで無駄なんだ。こういう事は本人が納得しない限りどうしたって解消されない。友之は自分がお前のお荷物だと深く思い込んでいる。お前独りなら多少なりとも楽な生活が出来ただろうに、自分が転がりこんだせいでお前がいつまでも貧乏だと気にしてる」
「あいつがそう言ったのか」
「怖い顔をするなよ。イイ面が余計美形になるぞ」
  周りが騒ぐから普通の顔でいろ、と。ハルナは何やら無茶な要求をした後、おもむろに携帯を取り出してそれを意味もなく開けたり閉じたりしてみせた。
「友之に携帯を買ってやりたいが、あいつはお前に似て頑固だな」
「今はどうやって連絡取ってるんだよ、あいつと」
「別に? 普通にお前んちの電話、とか」
「会いに行ったりとかか?」
「それはユズルの方がよくやってる。お前がいないところを見計らってケーキ運んだりとか」
「それはあいつから聞いてる事だから、別に内緒じゃない」
  あまりやって欲しくもないと思っているが、そこは光一郎も口にはしなかった。
「友之の学費は親が払ってるんだろ?」
  ハルナの突然の質問に光一郎は憮然とした。
「それが?」
「生活費もお前の口座に振り込まれてるんだろ?」
「何でお前が俺んちの家庭の事情に首突っ込むんだよ。どこから聞き出した?」
  そういう話を友之がするとは思えず光一郎が剣の含む声で問うと、ハルナは依然としてしらばっくれたひょうひょうとした態度で「そんな事」と笑った。
「どうでもいいじゃないか。それに、お前だって知っているだろう、うちは金持ちなんだ。尋常でない」
「それがどうした」
「尋常でない金持ちってのは、信じられんところでネットワークがあるもんさ。だから、たかが一介の平凡学生の身辺なんて簡単に知っちまう」
「……友人をやめたくなるな」
  光一郎の不快そうな声にハルナは初めて困ったような顔をした。その時ちらりと見せた表情だけは、どこにでもいる女子学生に見えない事もなかった。
「怒ると思ったけど、正直に言ったんだから許してくれ。真っ直ぐお前に訊いたところできちんと答えてはくれないと思った」
「話すわけないだろ、そんなどうでもいいこと」
「私にとってはどうでも良い事ではない。大切な友人とその弟のことだから、やっぱり知りたい」
  ハルナは珍しく真剣にそう言うと、「確かに悪い事をしたとは思っているけれど」と再度反省の意を示した。
「友之が言うんだ。自分のせいでお前はいつまでも自由になれないと。要は、お前は父親の力を借りずに独りでやっていく為、家を出た。だが不意に友之が転がりこんできたせいで、予想外の迷惑がお前に及んだ。金の事は勿論、父親との関係が一番デカイ。早々に縁を切るつもりだったのに、友之の学費やら何やらで父親とは何かと話をせざるを得なくなった。無論、友之は父親とお前が不仲なのを好ましいとは思っちゃいないようだが、お前自身はどうでもいい事だろ、父親との関係なんて。けど、友之の手前そうもいかない」
「友之がお前にそんな事まで話したのか」
「いいや。大体はあいつの話から得た私の推論。だが、当たっているだろ」
  光一郎が黙っていると、ハルナは続けた。
「さすがのお前も私立高校に通う友之の学費の面倒までは見れないよな」
「……だから?」
「嫌いな人間に金の話をしに行くのは辛かろう」
  ハルナの台詞に光一郎は少しだけふんと皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「……あいつは友之の父親だ。息子が高校出るまで金出すのなんて当たり前だよ。それはあいつ自身も言ってる事だ。別に俺は何もしてないし、気にもしてない」
「じゃあ何故その父親が振り込んでいる生活費に手をつけないんだ? いや、これも私は知らんよ、ただの推測だ。……が、実際使っていないだろう?」
  光一郎が変わらず無言を貫くと、ハルナは小さく溜息をついた後、わざと視線を逸らした。
「お前は頑固な男だからな。それに結構な潔癖だ。それを無意識でやってる。普段の働きっぷりも、法典馬鹿のハカセと肩を並べる程の勤勉ぶりも、見てるこっちにしてみたら痛々しいくらいだが、実際お前自身はどうって事もないんだろうよ」
「ああ、そうだよ。俺は別に何とも思っていない」
「お前自身はな。けど、傍から見たらお前はやっぱり普通じゃないよ」
  言われた事に光一郎が珍しく言い淀むと、その台詞を放ったハルナは今までで一番大きな溜息をついてトドメを刺した。
「そんなお前を友之はいつも近くで見ているんだぞ」





  結局はハルナもとことんまで光一郎を飲みに誘おうという気はなかったのだろう。
  ユズルたちがその誘いを重ねる前に3人と別れて、光一郎は結局日が落ちる前に地元の駅に帰り着いた。
「まずいな……」
  そこに至ってから初めて独りごちて、光一郎はさっと表情を翳らせた。
  久々に素で落ち込んでいる自分がいる。それがはっきりと分かるので、「まずい」と思った。こんな状態で友之と対面してもロクな事にならない。
  それでも沈んだ気持ちはどんなに諌めてもなかなか浮上しない。本当に参った。
(普通じゃないって何だ…。俺は当たり前の事をしているだけだ…)
  ハルナの言葉を思い返しながら、光一郎は今度はムカムカとした気持ちを抱きながらいつものスーパーに入った。夕飯のメニューにしようと思っていたもので足りない物があった事を思い出したからだ。
  買い物カゴを片手で持ち、慣れた足取りで機械的に店の奥へ進んでいく。ただ思考はひたすら今日ハルナに言われた事で占められていた。
  友之がハルナに一体どんな話し方をしたのかは知らないが、抱いた印象の限りでは友之が自分の事で相当心配しているのは分かる。それは経済的にもそうだし、普段の自分の行動についてもそうだ。
  そんな風に負担に思わせていたなんて、情けない。これが落ち込まずにいられようか。
(それにしたって金の事は本当に誤解だ…。別にそこまで貧乏じゃない、本当に)
  ムキになって考えながら、光一郎は目当ての物を手にした後、そのままずんずんと足を進めて精肉コーナーへと突入した。威勢の良い声をあげて客寄せをしていた見慣れた女性店員が光一郎の姿を認めて嬉しそうに何事か話し掛けてくる。あまりのショックによくは聞き取れなかったが、どうやら今日はハンバーグの日で、挽肉が安いとか何とか言っているらしい。そんな風に安い物なんか興味ない。いつもは偶々友之が好きな物を作ろうと思っていた時に、それは特売だからとか、何割引きにしちゃうとか、勝手に向こうが値切ってくるから。ただ、それだけで。
  そんな物欲しそうな顔をしているわけでもない。
「ええ〜、お兄さん、今日は太っ腹ねえ!」
  だから光一郎がおもむろにバッと手にした物を店員が驚いたような反応で返すのも気に喰わなかった。
  “こんなもの”しょっちゅう、それこそ毎日だって買えるんだ、俺は!
「くそ……」
  常に頭の上に“貧乏”という文字が被さってくる感覚に襲われながら、光一郎はその後も悶々とした状態で買い物を続けた。

「お、お帰り、なさい」

  玄関を開けると、その音を素早く聞きつけた友之が慌てたように出迎えてきた。
「きょ、今日早かったね…?」
「バイトないって言っただろ」
  極力不機嫌を出さないようにと思っていたのに、ついぶっきらぼうな口調になってしまった。そんな己にまた自己嫌悪で、光一郎は敢えて友之から視線を逸らすようにして台所へ直行し、荷物を置いた後は洗面所で手と顔を洗った。ヒヤリとした水のお陰で少しだけ頭が冷えた。
「た、偶には、遊んでくればいいのに」
  台所で突っ立ったままの友之が戻ってきた光一郎にそう声を掛けた。きっとハルナが飲みに誘って今夜は帰りが遅くなると覚悟していたのだろう。予期せぬ兄の早い帰宅にあからさま途惑った風な友之の態度が光一郎の目に飛び込む。
  それを可愛いと思わないでもなかったが、同時に憎らしいとも感じた。
  いつも早く帰ってきて欲しいと思っているのだから、こういう時は素直に喜べばいいのに。
「夕飯、一緒に食べようって言っただろ」
  言いながら腕まくりをし、買い物袋を漁る。友之があたふたとしたように傍に寄ってきて、自分にも何か出来る事はないかと暗に態度で示してくる。
  それを敢えて無視し、光一郎は言った。
「ただ、メニューは変更な。今日は豪華なもん、食わせてやる」
「え? 肉じゃがじゃないの?」
「やめた。それじゃいつもと代わり映えしないから」
  朝方予告していた物をあっさりと却下し、光一郎は途惑うばかりの友之を前に、実にわざとらしく、「こんなもの何でもないけどな」と言わんばかりに、その物を取り出してみせた。
「今日はこれだ」
「何?」
「……っ。牛肉だ、牛肉! 高級黒毛和牛!」
  言った後、ハッとして「いちいち高級なんてつけたら厭味っぽいじゃないか」と気付いたのだが、勢いだけでカゴに入れたそれが思いのほか自分の財布を寒くしたものだから、やっぱりというかでつい口に出して言ってしまった。
  慌てて咳き込みながら光一郎は続けた。
「今日はステーキにする。向こうのテーブル片しておけよ、すぐに用意するから」
「コ…コウ…」
  けれど友之は普段のように言われた事をすぐしようとはせず、明らか蒼白となって光一郎を困惑の双眸で見上げた。
「ステーキなんて……高いんじゃない? 高級って言ってたし…そ、それ、幾らしたの?」
「幾らでもいいだろ」
  ああやはり「高級」なんて言ったのがまずかった。実際高級なのだが。
  しかし光一郎は己の過ちを反省する余裕も与えられないまま、誤魔化すように友之の髪の毛を乱暴にまさぐった。
「お前は余計な事心配しなくていいんだよ。そりゃ…、しょっちゅうは無理だけど。これからは偶にこういうもん食べたり、寿司食いに行ったりしよう。あ、焼肉食いに行くのもいいよな、ああいう所は結構安い日が―」
  言い掛けて再びハッとし、今の発言はフォローにも何もなってないんじゃないかと気付いたのだが、時既に遅し、だ。とにかく今日の光一郎は全てに置いて調子を狂わせていた。それもこれも頭に取り付いた「貧乏」の文字がいけないのだが、それも結局は光一郎自身が気にし過ぎているからこその失態と言える。
「……とにかく、お前は素直に喜んでればいい」
  黙りこむ友之にやる言葉を探して、光一郎は何とかそう切り出した。
「あと、ハルナ達に変な事言うな。俺は学生を十分楽しんでる。お前が心配する事なんて何もないんだから」
「でも……」
「でもじゃない。大体、何でお前がいる事が迷惑なんだ。本気で落ち込むぞ、お前がそんな風に思ってるなんて。まるでここから出て行きたいみたい―」
「僕はいたい…っ」
  不意に大きな声を出した友之に光一郎が驚いて口を閉ざすと、友之はぐっと一旦は唇を噛んで沈黙したものの、やがてもう一度という風に唇を開いた。
  今度は蚊の鳴くような小さなものだったのだけれど。
「ここに、いたい……」
  だったらそれでいいじゃないかと光一郎はすぐに思ったが、それをうまく言の葉に乗せる事は出来なかった。…恐らくは友之が必死に伝えたいと頑張っている姿に目を奪われたから。
  そんな光一郎をよそに友之は苦しそうにしながらも後を続けた。
「でも……、何も出来ない自分が嫌なんだ……情けない」
「情けない?」
「うん……」
「……トモ」
  それは今日自分が深く強く感じた事じゃないか。光一郎は友之をじっと見下ろしたまま、ぼんやりと思った。
  友之をこんな風に思わせてしまう自分の不甲斐なさが情けない。苦労させたくないと頑張ってきた事で余計負担に感じさせてしまった、そんな自分が耐え難い程に情けない。
  それで先刻は信じられないくらい落ち込んだというのに。
  友之はそんな想いを毎日のように抱えていたのだろうか?
「コウ兄に全部よりかかってる自分じゃ……駄目、だから」
  友之が言った。
  それから改めて光一郎を見上げ、潤んだ瞳を更に滲ませながら、「大丈夫かな」、「平気かな」という顔をする。
「……友之」
  光一郎は眩暈のする想いだった。
  友之は自らが光一郎に生活面から何から全てよりかかって頼りきっている駄目な人間だと思っている。与えられるばかりでどうしようもないと自己嫌悪に陥っている……が、光一郎にしてみればとんでもない勘違いだと言わざるを得ない。
  いつも貰っているのは俺の方だろう、と。
「友之、あのな……」
  けれどこの時の光一郎はどうしてだか、その真実を声にしてやる事がどうしても出来なかった。簡単な事のはずなのに、どうしてか胸が苦しくて声を出せないのだ。

  驚いた、これが「胸がいっぱいになる」ってやつなのか。

「……もういい」
  そんな事を思いながら、それで結局光一郎は全てを放棄し、諦めた。友之に言葉で説明するのをこの時だけは完全に投げ打ったのだ。
「もう……来い」
「え…っ?」
  その代わりと言っては何だが、光一郎は唐突に手にしていた牛肉をその場に落とすと、友之の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張って寝室に向かって歩き出した。背後で腕を引っ張られている友之が困惑したような雰囲気を出したが、それには完全に知らぬフリを決め込んだ。
「……夕飯は後な。悪いけど」
  そうして光一郎はただそれだけを告げると、電気のついていない寝室で友之をぎゅっと強く抱きしめ、そしてキスをした。友之は思い切り焦った風になって顔を赤らめていたけれど、何しろ光一郎の方には説明する気が一切ないのだ。何せ今の自分はそういった事に関しては口が全く動かないのだから。
「んっ…コウに…っ」
  重ねるキスの先で友之が早くも熱っぽい声をあげたが、光一郎はもうそれにすら応えられなかった。
  今はとにかく与えて、そして貰って。
  この何もかもが「イマイチ」足りていない情けない互いを補完したいと、光一郎はその小さな身体をゆっくりと、けれど確実に、その暗い室内でかき抱いた。











光一郎は友之が「進学したい」って言った時の為、トモ貯金してる出来た兄です。
父親からの仕送りを使わないのは、「何だか癪に障る」から。ただの意地。
で、そんな自分の意地のせいでトモが心を痛めてると知ってブルー…というお話でした(笑)。
因みにどっかでも書きましたが、正兄もトモが進学したら援助してやる気満々。だからこの人もトモ貯金してるはず。