猫、ですけど



  うさぎは主人のことが好きではなかった。
  元来、猫は孤高の生き物であり、むやみやたらと人に媚びたりしないが、うさぎはそんな猫たちの中でも特別な人間嫌い――…、否、「主人嫌い」であった。
「お、うさぎ! ちょいちょい。コイコイ、ほら、コイコイコ〜イ!」
  また、うさぎは訳の分からない仕草で自分を呼ぶ「藤堂」という名の、主人の友人のことも苦手だった。主人ほど嫌いというわけではないし、太く大きな掌を見せて、何とか自分に寄ってきてもらいたいと奮闘する汗まみれな姿も、いじらしいと言えばそうかもしれない。しかしどうにも、面倒くさい。無駄に遊んでやる義理もないしと、うさぎは無視を決め込んだ。
「あーあ。やっぱ、全然懐かねえ。お前ンとこの猫、ホンット愛想ねえなあ」
  しつこく呼んでも全く応じないうさぎに痺れを切らし、藤堂は口を尖らせた。
  すると庭先で我関せずと読書に興じていたうさぎの主人――涼一は、友人の言葉を受けて顔を上げると、ひどく気だるそうに息を吐いた。
「知らねーよ、叔父貴が勝手に置いてったんだ。血統がどうのこうの、やたらと自慢していたけど、俺は猫なんて興味ないし。迷惑してんだよ、こっちも」
「ひっでえなあ。分かった、お前がそうやって可愛がらないから、うさぎもこんな拗ねた性格になっちまったんだ、きっと。こいつが人に懐かないのはそのせいだ。大体、猫に“うさぎ”と名づけるなんて、どんなセンスだ? 意味が分からん!」
「来た時からその名前だったんだよ。俺がつけたわけじゃない」
「やあ。お邪魔するよ」
  そんな意味もない会話をかわしている2人の元へ、使用人に案内される形で、学友の創がやってきた。黒縁眼鏡に神経質そうな顔立ちをしたその青年は、その見た目通り気難しい性格をしている。年齢も涼一たちより1つ上なのだが、気が向いた時しか授業に顔を出さないので見事落第し、この春、めでたく2人の同級生になったわけだ。
  その創は背後に涼一たちの知らない人物を引きつれていたのだが……、涼一はそのことには触れず、まずは片手を挙げながら傍へ歩み寄ってきた友人の方だけを胡散臭そうに見やった。
「珍しいな、お前が俺んちに来るなんて」
「ああ、この間、貸してくれた本を返そうと思って」
「つまんないこじつけはやめろ。どうせまた面倒事でも持ち込む気だろ」
「何だよ、きついな。藤堂君、君、よくこんな剣君と長い間友だちをやっていられたね? 君の人の良さには感動すら覚えるよ」
「そうだろう〜。俺も我ながらそう思…ってイテ! 何だよ涼一、蹴るなよう!」
  横から足を出してきた涼一に言葉を遮られ、藤堂が思い切り口を尖らせる。
  しかしそんな親友を軽く流してから、涼一は「ところで、そっちの人は?」と、ようやく創の背後の人物に水を向けた。控え目に笑んでいるが、端正な容貌をした涼やかな表情にはどこか曲者の匂いがする。それに、年も涼一たちより少し上のように感じた。
  主人のそんな警戒心を感じたのか、或いはただの好奇心か。猫のうさぎも、不思議そうな顔でぴくと鼻を動かし、珍しい客に大きな瞳を向ける。
  そうしてその場にいる一同が一斉に注目したところで、創は身体ごと避けてその人物を紹介した。
「失礼。こちら、冴木護さん。ラスティカレッジに所属している、うちの店の常連さんなんだ。結構趣味が合うんでいろいろ話をさせてもらっているんだけど、剣君、この間、家で凄く高価な猫を飼い始めたって言っていただろ? その猫を見せてもらおうと思って」
「猫?」
「うさぎを?」
  涼一と藤堂が同時に言うと、紹介された護がすっと歩み寄ってきて微笑んだ。
「はじめまして、冴木です。突然図々しく伺ったりして本当にすみません。でも創君からこちらの猫君のことを聞いて、どうしてもその子に会いたくて」
「猫好きなの? 変わってるね、猫なんてどこのもそんな大差ないでしょ。俺、別に要らないし、何ならあげてもいいけど」
「おまっ…! 涼一、何言ってんだよ! うさぎは叔父さんがお前の誕生日プレゼントにってくれた、ウン十万の血統書つきだろ!? それを簡単にあげるとか――」
「だって要らねーんだもん、あんな可愛くないの」
「コラー! 動物愛護団体に訴えるぞ!」
「まあまあ藤堂君。これも剣君なりの愛情表現なんだよ。多分」
「ははは」
  興奮する藤堂を淡々と諌める創、素知らぬ風にそっぽを向く涼一。
  そんな3人を、護は軽い笑声と共に楽しそうに見つめてから、「ところで」と、涼一たちから少し離れた植木の陰に潜むうさぎへと目を向けた。
「あの黒猫君がそうですね?」
「ああ」
  涼一は護の質問にぞんざいに頷いた。
「そうだけど、気軽に近づかない方がいいよ」
「そうそう、あいつ、シャーって突然引っ掻いてくるし! 俺もそれで何度か痛い目見てますから!」
  さらに藤堂がすかさずそう言って両手を上げつつのオーバージェスチャーをして見せた。「それはお前がしつこ過ぎるからだ」と涼一に突っ込まれたものの、藤堂は真剣な顔で、油断なくこちらを睨みつけている(ように人間たちには見える)うさぎを、自らも恐る恐る見つめ返した。
「いやあ、でも、ホント凶暴ですからねー。王家のプライドってやつかもしれません!  何かこいつの親猫も相当良い血統らしくって、嘘かホントか、その親の親、そのまた親猫も、どっかの石油王だか王族だかに飼われていたやつだって。な、確か叔父さんそう言っていたよな?」
「そんな細かい話までは覚えてない」
「とにかく、そんな感じだからこいつ自身もプライドが高い! 俺が煮干しとか持って行っても全然、見向きもしないし!」
「そうなんですか。じゃあ、友だちも選ぶのかな」
「友だち?」
  涼一がその単語に不審な顔をして護を見ると、これには創が説明を入れた。
「実は護さん、この間街で捨てられていた白猫を拾って飼い始めたんだけど、その猫、以前の飼い主に虐待でもされていたのか、凄く臆病で護さん以外誰にも懐かないし、同じ猫にも極端に怯えて、窓から外を見るのもダメらしいんだ」
「ひえー…そりゃ、可哀想に。きっと相当なトラウマを抱えてんだろうな」
  藤堂が同情したような声でそう言った。それに対し、涼一の方は「ふーん」と依然関心が薄そうだったが、そんな2人を遠目から見つめるうさぎは、いち早く護の背後に置かれている大きなカゴに気がついた。
  あの中にいる。
  むっくりと立ち上がり、うさぎは主人たちの興味を引かないよう、そろり、そろりと遠回りしながら目当てのカゴへ近づいた。そうして距離を縮めれば縮めるほどに確信した、間違いなく、あの中には「ネコ」がいると。
  うさぎは人間も嫌いだが、同種の猫も嫌いだった。
  要は自分以外の生き物は何であろうと好きではないので…この時も、護が「友だちに」とか何とか言っているのもきちんと聞こえて、その意味も正確に理解したのだが、そんなのはまっぴらごめんだ、手痛くいじめて、もっと臆病にしてやろう、などと考えていた。
「やめておいた方がいいと思うよ」
  すると、主人である涼一も護の考えに難色を示した。
「話の通り、うちの猫は気性が荒いっつーか、まぁとにかく性格が悪いんだよな。ほら見ろ、今も獲物を狩るみたいな眼であんたの猫を狙ってる。そのカゴの中にいるんだろ?」
「実はそうなんです。凄く可愛いですよ、見てみます?」
「出してもいいけど、ホント、そこであいつが狙ってるからさ。きちんと抱いてた方がいいよ」
  涼一から気づかれないように進んでいたつもりだったが、うさぎの行動はしっかりバレている。それが癪に障り、うさぎはむっとして足を止め、今度はわざと堂々とした足取りで護の足元へ近づいた。藤堂は「俺がうさぎを抱っこしといてやる!」などと名乗り出ていたが、うさぎはそれもひらりと交わして、とにかく護が抱え上げたカゴの中身に注目し続けた。
  持ち上げられテーブルの上に置かれたことで、中の「ネコ」がコトリと身体を動かした。見知らぬ所へ連れてこられて怯えているのが見えなくても「見える」。こいつは面白い、顔を出した途端威嚇してやろうか。
  うさぎはそんなことを考えながら、まさに主人である涼一が言うところの「獲物を見る眼」でカゴの蓋が開けられるのをわくわくと見守った。さらに下からでは見づらいと、焦れたようにジャンプして自らもテーブルの上にのってしまう。
「お。こんにちは」
  護はそんなうさぎに気安く挨拶してきたが、うさぎは人間風情が声を掛けるなと愛想の一つも見せてやらなかった。ただただ、今はカゴの中身が気になった。
「大丈夫かあ? そんな近くで見せちゃって。おい、いきなり引っ掻いたりするなよ、うさぎ!」
  藤堂がハラハラしたように言う。うさぎはそれも無視した。
「雪。ほら、お友達だよ」
  護がカゴの蓋を開き、中の猫にそう声をかけた。
  暫しの沈黙。
  蓋の開かれたカゴから、何かが出てくる様子はない。怯えて丸くなっているのか、カゴの底が深過ぎるのか。
「おい――」
  しかしその一向にお目見えしない主役に焦れて涼一が声を出しかけた、その時だ。
  そうっと。
「……………」
  実に遠慮深そうに、申し訳なさそうに顔を出してきた一匹の猫。
  カゴの縁に前足を載せ、ゆっくりと上体を伸ばしてきたその白猫は、不安そうに辺りを見回した後、何やら縋るような眼で飼い主の護を見上げ、「にゃ…」と鳴いた。
  うさぎはその白猫を見た瞬間、その場で石のように固まった。
「ほら、雪。大丈夫だよ。お友達」
  護が言いながらその白猫を抱え上げる。そうして、今は見下ろす形となった、テーブル上のうさぎを指し示す。
  ユキと呼ばれたその白猫は、護に促されるままにうさぎのことをじっと見つめた。
  その瞳はやはり怯えている。目を逸らすのも怖いが、目を合わせ続けるのも辛い。そんな様子で、ひっしと護にしがみつき、雪は再び甘えるように「にゃあ」と申し訳なさそうな声を出した。
  そんなおしとやかな白猫にようやく感想の声をあげたのは、1番近くにいてその様子を見ていた藤堂だった。
「かーわいいー! それに、綺麗! うわあいいなあ。あの、触りたいんですけど、いいですか?」
「勿論」
「おぉ〜。見るからに大人しそう! ユキって言うの? ほらほらユキちゃん、俺ははじめ君だよう? なでなでさせてえ?」
  まさしく“ネコナデ声”でそう言い、ねっとりと脂ぎった手で雪の頭を撫でようとする藤堂。雪はその巨体がぬうっと近づいただけであからさま怯えて、ぶるぶると震え、さらに護にしがみつく。
  それを見た瞬間、うさぎの石化が解けた。
  雪を助けなければ、咄嗟にそう思った。だから「シャーッ!!」と威嚇しながら藤堂の顔面へと全速力で飛びかかり、鋭い爪で攻撃を仕掛けた。
「うぎゃあ! なな、何すんだ、うさぎ! こら、やめろ、イテ! イテテテ!」
「ミギャー!!!」
  うさぎはさらに威嚇しながらさらに藤堂を攻め立てた。いきなり理不尽な飛びかかりを受けた藤堂は堪らない。あっという間に雪と護から距離を取り、頭を抱えながらその場にうずくまって丸くなる。しかしうさぎはそんな藤堂の頭の上に乗っかって、さらにジャリッと爪を立て、「フン!」と勝者のごとき得意げな顔で鼻を鳴らした。
「藤堂君が雪に危害を加えると思ったのかな」
  事の次第を見守っていた創がそう冷静な感想を漏らした。藤堂はまだうさぎに支配されたまま頭を抱え、顔を上げることも出来ない。「何だよそれ〜」と文句は言うものの、すっかり出鼻をくじかれ、雪を撫でることは断念している。
「凄いね、うさぎ君の攻撃。ほら、雪。うさぎ君、見える?」
  護が言いながら雪を自分から引き剥がし、テーブルの上にのせた。雪は最初それを嫌がったが、未だ微かに震えつつも、自分を脅えさせた人間を成敗してくれたらしい、うさぎのことはじっと見つめた。
  うさぎはそれに堪らなく胸がキュンとして、急いで藤堂から飛び降りると、その跳躍力そのまま、タッと一気に白テーブルの上へと舞い戻った。
  そうして、ようやく「同種」である猫の雪と対面する。
「にゃ……」
  自分とは真逆の真っ白な毛並み。金色の瞳。うさぎは漆黒の身体に赤い瞳だ。そう、だからうさぎを初めて見た人間はうさぎのことを「うさぎ」と名付けた。姿は猫のそれなのに。そんな変な名前、うさぎ当人とて嫌だった。
  でも自己紹介しないわけにはいかない。うさぎは雪のことをじっと見ながら、「にゃあ…」と声をかけた。

≪おれ、うさぎって言うの≫
≪……ユキヤ≫

  すると白猫も名乗ってくれた。うさぎはパッと胸に光が灯る想いがして、さらに一歩雪に近づいた。

≪そこにいる人間は、お前のこと、ユキって呼んでた≫
≪うん…。護はそう呼んでる。だからもうユキでもいいかなって思ってるんだけど。前はユキヤって名前だった≫
≪ふうん…≫
≪あの…今、ありがとう…。助けてくれて≫

  雪がそう言って、初めて自分からうさぎに一歩近づいた。うさぎは何故かそれにドキンとして逆に委縮してしまったのだが、近づかれたことは素直に「嬉しい」と思えて、自分に歩み寄ってくれた雪のその綺麗な前足を見つめた。
  雪はどこもかしこも白い。本当に綺麗なネコだった。

≪ここは怖い所じゃない…?≫

  雪が訊いた。うさぎはハッとして我に返り、慌てて頷いた。

≪ああ、面倒な人間はいるけど、危なくはないよ。もし危険でも、今みたいにおれが守ってやるから大丈夫≫
≪……ありがとう。あのね、護は、とっても忙しいんだ。だから時々家を留守にしなくちゃいけなくて……≫

  しゅんとしながら雪はうさぎに言った。
  一方で、人間たちも同様の話をしていた。2匹が何やら向かい合って互いを探っているようだなどと感想を述べた後、創が代表して護の事情を説明した。
  曰く、護はカレッジの指導教官のお伴で海外の研究会へ行くことも多く、雪を連れて行ける時は良いのだが、無理な時も勿論ある。というより、その方が多い。だからそんな時、雪を預けられるような、「ネコに理解のある知り合い」が欲しい、と。
  創は、自分が預かってもいいが、涼一が高価な猫を飼っていることを思い出し、「そういう猫と一緒に面倒を見てもらえるなら、雪にとっても良いのではないか」と提案したとのことだった。無論、涼一がここまでうさぎに関心のない飼い主だとは知らなかったからこそ出来た提案なのだけれど。
「涼一に猫の面倒は無理だろ〜。ま、いつもお手伝いさん達がうさぎに飯やってるみたいだから、その人たちに任せれば良いとは思うけど」
  藤堂がごくごくまっとうな感想を述べた。
  しかし護は困ったように苦笑した。
「でも、元々猫があまり好きじゃないと言うなら、いきなりこんなお願いされても困りますよね。今日は突然来てしまって本当にすみません」
「護さんが謝る必要はないですよ、俺が一方的に思いついてお連れしたんですから」
「そうですよ! それに、意外やうさぎも雪が気に入ったみたいじゃないですか? これなら一緒に数日預かるくらい、いいんじゃないか? なぁ涼一?」
  3人が三者三様の意見を言う。
  そして、先ほどから何故か一言も発さない家の主、涼一を見やった。
  その涼一は。
  うさぎの主人である、「猫嫌い」であるはずの涼一は、先ほどからじっと白い猫、雪のことを見つめていた。
「………」
  そうしてうさぎが藤堂にやった時のような攻撃をする間もなく――、涼一は、突然さっと立ち上がってツカツカと近づくと、誰が何をする隙もなく、雪の身体を抱き上げた。
「……ッ」
  雪は露骨に驚いてじたばたと暴れる仕草を見せた。うさぎはぎょっとして涼一に噛みつこうとしたが、涼一はそんなうさぎから素早く距離を取り、雪を抱き上げたままテーブルから離れた。
  そうして未だじいっと雪の顔を見つめてから、いきなり。
  本当にいきなり、ぎゅうう〜っとさらに強く抱きしめて、雪の顔に頬ずりをした。
「………可愛い」
  しかも、散々それをした後に発した一言がそれ。
「―……へ?」
  これには間の抜けた声をあげた藤堂は勿論、声すらなかった創、目を丸くする護もその表情のまま、呆気にとられてフリーズしていた。
  不覚ながら、それはうさぎもだ。いつもは、自分の姿を見るなりあからさま嫌な顔を見せたり、酷い時には「邪魔」とか言いながら蹴る仕草すら見せるくせに。猫なんて大嫌いなはずの男なのに。
  一体何なのだろうか、この雪への180度違う態度は。
「護…さん、って言ったよな」
「え? ええ」
  さらにその涼一は。
「預かるとかじゃなくて……この猫、俺にくれない?」
「え?」
「えええ!? ま、まじか、涼一!」
「冗談言ってどうする」
  藤堂の仰天した問いに涼一は素っ気なく応えた後、改めて護を見やった。
「なあダメか? 何なら、そっちの黒猫うさぎと交換って形でもいい。いや、むしろ金つきでうさぎはやるんだけど。とにかく、この猫…雪、だっけ。雪、譲って欲しい。俺の猫にしたい。ダメかな」
「いや駄目…っていうか…。いやあ、びっくりしたな」
「本当だよ。剣君、君、いつからそんな猫好きになったんだ?」
  今度は創が訊ねた。心底学友の態度に驚いているようだ。まぁそれはそうだろう、これまで彼が動物好きな一面を見せたことなど、ただの一度もないのだから。
  実際涼一は彼らの驚きに見合う回答をして寄越した。
「猫が好きってわけじゃない。ペット飼うとか本来興味ないし。けど多分、こいつだ。雪。雪だから欲しい、そう思った。一目見て気に入ったんだ。なぁ護さん、いいだろ? 雪、譲ってくれよ。俺、絶対大切にするから。タダが無理なら金払う。幾らでも出すよ」
「君ね…。そんなに好きなら、とりあえず離してあげたら? 雪、君に抱き殺されて気を失いそうになってるよ?」
「は!? う、嘘つけよ!」
  創に冷たく言われたことで、涼一はようやく焦ったように雪にかけていた力を抜いた。確かに、うさぎから取り上げた形で抱き上げたから、無用な力をかけていたようだ、雪は心なしかくったりとしている。
  しかし涼一はその抱擁こそやめたものの、未だ決して雪を離そうとはせず、それどころか恐怖で半ばボー然としている雪に何度もキスをしては額にぐりぐりと自らのそれを擦りつけたりした。
  ちなみにその時の涼一の顔は「ウットリ」の極みだ。
「可愛いなぁ、モフモフ〜」
「……護さん、いいんですか。雪、完全に固まってますよ」
  創がため息交じりに言った。
  恐らくは、絶対的強者を前にして完全に観念した小動物と化しているのだろう、雪は創の言う通り、最早抗う力も失ってただただ涼一に頬ずりされている。
  それがどのくらい続いたのだろうか。
  暫しあんぐりと事態を傍観していたうさぎは、ふっと目が覚めたようになってから、たちまち涼一へ怒りの炎を燃やした。
「シャーッ!!」
  大変だ、何てことだ、雪を助けなければ…!
  藤堂の時に思った時の比ではないほどの使命感を抱き、うさぎは涼一に飛びかかった。最早主人と飼い猫の姿ではない。一匹の美しい白猫を取り合う男と男の戦いである。
「お前がこいつを気に入ったのはすぐに分かった」
  しかし藤堂よりは涼一の方が一枚も二枚も上手だった。
  ひらりさらりとうさぎの攻撃をかわしながら、涼一は尚うさぎを挑発するように雪の顔にキスして見せた。
  その上、得意気に勝ち名乗りまであげて。
「けど、俺もこいつを気に入ったんだ。だから、雪は俺のものだな。お前となんか遊ばせないぜ、絶対! ざまあみろ!」
「ミギャー!!」
  悔しくてうさぎはさらに高い声をあげ、牙を曝した。尚も必死に涼一を追い掛け回し、雪を取り返そうと奮闘する。こんな横暴な主人に捕まっては雪がどんな酷い目に遭うとも限らない。何としてでも救出しなければ、と。

≪うさぎ…!≫

  その人と猫との尋常ならざる攻防に、ようやく雪も意識をしゃんと取り戻した。がっちり抱えられて逃げ出せないながらも、心配そうに涼一の腕から必死の体でうさぎを呼ぶ。

≪人間に逆らうなんて無茶だよ。危ないからやめて!≫

  しかしうさぎはそんな雪の声に却って力が漲るのを感じ、「ミャア!」と勇ましい声を上げた。

≪大丈夫だ、雪! 俺が今、その悪魔から、お前を助けてやるからな!≫
≪あ、危ないよ、この人怖いから…!≫
≪平気だ、俺が雪を守る! 死ね、涼一〜!≫
「誰が死ぬか、バカうさぎめ〜!!」

  さて、そんな2匹と1人のやりとりを傍で眺める3人の男たち。
  藤堂が実に不可解だという風に首を捻って創に訊いた。

「なぁ、涼一ってドリトル先生か? 何でか分からんのだけど、涼一がフツーに猫と言い合いしているように見えるんだけど」
「俺にもそう見えるよ。前から剣君って変な人だと思っていたけど、やっぱり変な人だったんだね。護さん、すみません。こんな危険地帯に大事な雪君を連れて来てしまって」
「いやあ。凄く貴重なものを見せてもらえて、感謝していますよ。それにほら、いつもはびくびくしているだけの雪が、あんなに必死に何か言ってる。これはレアだなあ」
  涼一さんさえ良ければ、雪のことは是非預かってもらいたいですね、と。護はにこにこしながらそう言った。
  ただし、譲る気はないですけどね、ときっぱり言い添えて。
  創はそれに「それは当然でしょう」と同意したものの、 いつまで経っても終わりそうにない学友と猫との争いに、(しかし剣君がすんなりと引き下がるかどうか)と深いため息をつくのだった。
  そうして。
「参ったな。また雪君が、人間に対して偏ったイメージを持ったら」
  誰にも聞こえないほどの小声で創はそうも呟いた。

≪バカ涼一! 早く雪を離せ〜!≫

  無論その言葉は、うさぎの良い耳にも届かない。










これ、BLでも何でもないっすね…猫って。
うさぎを兎のままにするか、はたまた雪を兎にするかで迷いました。