欠陥エレベーター |
★ |
その日、俺は一生に一度の幸運を使い果たしたのかと勘違いするような事件に巻き込まれた。 ガックン、と。 物凄い振動がしたと思った瞬間、俺たちが乗っていたエレベーターは、その照明も含め全ての機能を突然全停止させてしまった。 「 はは…は……」 引きつった笑いを浮かべて背後にいる人物に振り返ったのは、決してその時の状況に焦ったからではない。 「 故障…したの?」 「 そうみたいだな」 「 ………」 「 桐野」 そう、俺は止まってしまったエレベーターの同乗者に向かってふやけた笑いを浮かべた。 何てラッキーなんだ!! こんな所で桐野雪也と2人っきりになれるだなんて!! ××× 「 あ、桐野!」 「 あっ…」 ばったりと出会った場所、それは大学の図書館棟、入口付近にあるエレベーター前だった。 隣接はしているものの、うちの大学は講義用の建物と図書館棟とが離れていて、後者はキャンパス内の一番奥まった、割と静かな場所にある。 そしてそこは同じサークル仲間である桐野雪也のお気に入りスポットだった。 「 何、レポート?」 先に乗り込みエレベーターが閉まらないようボタンを「開く」に押したまま、俺は努めて冷静な表情で「偶然」出会ったその人物に話しかけた。桐野はそんな俺に未だ慣れていないというような途惑いの表情を見せながら後に続き、「ありがとう」と小さく一言礼を言い、笑った。 「 今日はそういうわけじゃないんだ。涼一を待ってるついで」 「 また?」 「 えっ…」 「 あっ、いや別に!」 余計な事を訊いてしまいそうになり、俺は慌てて口ごもった。誤魔化すように首だけを外へ出し、俺たちの他に誰も乗らない事を確認してから扉を閉める。 「 何階?」 「 あ、と…6階で」 その階は蔵書等は置いていない、完全自習用のスペースだった。俺はレポートを片す為に必要な関連書籍を探なきゃならなかったもんで、本当は4階へ行きたかったのだが、「偶然だなあ」とか何とか言いながら他の階のボタンは押さなかった。 何故なら桐野と一緒にいられる絶好のチャンスだったからだ。 「 涼一は午後一コマあるんだっけ?」 「 うん」 「 本当、仲いいよな?」 「 ……う、うん」 少しばかり言いよどんだような桐野をちらと肩越しに眺めながら、俺はやっぱり「いいなあ」などと思ってしまっていた。 先日から俺はこの桐野雪也のことが気になって仕方がない。 その経緯はまあ色々あるわけだが、今はそんな事どうでもいい。とにかく、そんな俺に神様は物凄いプレゼントをしてくれたんだ。少し早いクリスマスプレゼントか? いや、俺、別にクリスチャンじゃないんだけど、まあいいか。 俺は高鳴る心臓の鼓動を抑えるのにただただ必死だった。 ××× 「 故障…?」 一瞬で暗くなり、しんと物音1つしなくなった密室の中で、背後の桐野は不安そうな声を出した。振り返ってその顔を見ただけで俺の全身は何故か猛烈な勢いで激しく何かを要求してきたが、それがどんな要求なのかは俺の理性が「考えるな!」と煩くわめきたてていたので、とりあえず滅多にない状況に興奮してるだけだろうと思うに留めた。 「 すぐ直るだろ」 「すぐ直っちゃ困るんだ!」…と、口に出した事とは正反対の考えを頭の中で叫びながら、俺はとりあえず緊急用のボタンを押した。そんなものは押したくなかったが、ボタンの前に立っている俺がそれをやらないと言うのはさすがに不自然過ぎる。だから俺は渋々それをするしかなかった。 『 ハイハイ』 階下の管理室と通じているのだろう、ボタン脇のスピーカーからはいやに間延びした爺さんの声がすぐに返ってきた。 「 あの〜、エレベーターいきなり止まっちゃったみたいなんですけど」 『 あ〜、じゃあ今ちょっと調べるからねえ〜』 ボケてンのか、このジジイは? と疑いたくなるような呑気な口調だったが、それも中にいる俺たちをパニックにさせない為の配慮だったのかもしれない。いや、別段俺自身は動揺しているわけでも怖がっているわけでもなく、むしろ密かに有頂天なのだが。 ただ、桐野の方はやはり普通に焦っている風なので、俺はどうしても浮かれてしまう顔をきゅっと無理にひきしめた。 「 調べてくれるみたい」 「 う、ん…」 「 何、桐野。もしかしてこういうの苦手?」 「 え……」 「 狭いの、とか」 「 ……そういうわけじゃないんだけど」 桐野はそう言ってから少しだけ力なく笑ったが、そのおどおどとした様子はとても今の状況が平気だというような感じには見て取れなかった。 しかし、狭くて暗い所が苦手だなんて、またまたポイントが高くないか? 俺はまた1つ桐野の「イイ」所を発見してしまった!! 「 …まあ、慌ててもしょうがないし。座る?」 緊張で密かに冷たい汗を流しながら、俺はあくまでも「クールガイ」を演じた。こんな多分…いや、今更ごまかしても仕方ないか、「邪」な気持ちが相手にバレたら、折角の仲良しこよしになれるチャンスを永遠に失ってしまう! 涼一という悪魔がいない今、この絶好の機会を逃すわけにはいかない。 「 桐野も座れよ」 「 あ、うん」 「 はは…何か、ヘンな感じだな? こんな所で」 しんとした空間の中、間をもたせる為に、そして桐野をリラックスさせる為に、俺はフ抜けた笑顔を向けた。桐野は俺の言う通り大人しくその場に座りこんだものの、その表情から明らかにこの状況に不安を感じているというのが分かった。……別に何もしないのに。はっ、何もしないってのは何だ、何もしないってのは! バカな事考えるな、俺! 「 逢坂」 「 えっ!」 突然名前を呼ばれて俺は飛び上がらんくらいに驚いた。桐野はそんな俺の態度にもっと驚いたようだったが、すぐに小さく笑ってみせると俺に向かって何かを差し出してきた。 「 これ…良かったら」 「 …? 何?」 「 チョコレートだよ。こんな所で…ただ座っているのも退屈だろ?」 「 へ…」 茫然としながらそれを受け取り、俺はその見慣れない包装紙に首を捻った。 「 あの…さ、もしかして、これ…?」 「 あ、うん。それ、俺が作ったんだ…」 「 !!」 「 男のくせに何だって思うかもしれないけど、俺こういうの結構好きなんだ。それで…涼一に作ってみたんだけど、前、逢坂も食べてみたいって言ってくれただろ? 今、こんな事になっちゃったし…折角だから」 「 ………」 「 あっ、不味かったら出しちゃってもいいしさ」 「 そっ! そんなことはない! あるはずない!! 断じて!!!」 「 そ、そう…?」 興奮したような俺に引き気味の桐野。それは分かったが、この際そんな事はどうでもいい。俺は桐野と貰ったチョコレート…正方形の品のいい形をしたやつ…を交互にじいっと見やった後、ぱくりとそれを口に放り込んだ。 「 どうかな?」 心配そうに訊く桐野。 反対に口いっぱいに、いや身体いっぱい、ハートいっぱいに幸せな甘い味に満たされる俺。 「 すっげえ…美味い」 しかしそれは本当にお世辞でも何でもなく。 めちゃくちゃ美味かった。実は甘い物はそんなに好きでもないんだが、これならはっきり言ってダース単位で食べられる!ってか、ご飯と一緒におかずにできる!ついでに桐野の顔もオカズに…って、わあ! また俺は何をバカな事を考えてんだ!! 「 す、すっげえな、桐野! ホント、美味いよ! サンキューな!」 不埒な考えを読まれまいと、俺は全開の笑顔で桐野を見た。 すると目の前の桐野は。 「 ……良かった」 俺の反応が心配だったんだろう、神妙な顔をしていた桐野がその瞬間、強張らせていた肩からふっと力を抜いてふわっと笑ってくれた。 か、かかか可愛い、可愛すぎた、犯罪だった!! 「 ……っ」 「 良かったらまだあるから。持って帰って食べてくれよ」 「 えっ! まだいいのか!? ってか、この際涼一の分はいいか! 持って帰ると言わず今食べつくす! 俺!」 「 えっ…。あ、あのさ、でも今水とかもないし…。あんまり食べると喉渇くかもしれないよ」 「 平気だって! いや〜しかしエレベーター止まってラッキー! 俺、ホント得したなあ、涼一の奴、ざまあみろだな!」 「 え」 「 あっ」 思いっきり本音が出てしまった俺の台詞に桐野がびっくりしたように目を見開いた。俺はまずったと思いながらも黙ることでやってくる沈黙が怖くて必死に声を出していた。 「 あ、あのさ。俺、本当は桐野ともうずっと前からこうやって話がしたいって思ってたんだよな。桐野ってあんまり俺らといても話さないだろ。っていうのも、何かあの涼一の奴が何かと俺らとの会話を遮断してたっていうか、お前のこと束縛してたっていうか。だから俺は今こうなった事が正直嬉しいんだよ。あ、桐野は迷惑かもしれないけどさ!」 「 ………」 早口の俺の言葉をどれだけ聞き取る事ができたのだろうか。桐野は半ばぽかんとした顔で俺の事を見やっていたが、やがてあのいつもの遠慮がちな仕草でぽつりと言った。 「 あの…。逢坂、ありがとう。俺、嬉しいよ」 「 えっ!!」 「 いや、だから…。俺、あんまり一緒にいても楽しいような奴じゃないと思うんだ。それなのにそうやって言ってくれて…本当、迷惑とかそんなの、全然ないよ」 「 ほ、本当、それ!?」 まるで告白してOK貰った女子高生みたいなリアクションをしてしまう俺。でもいいか、どうせ見てるの桐野しかいないし。 しかし桐野はそんな俺にすかさず言った。 「 あの、でも涼一が俺を束縛とか…そんな事はないよ。涼一は俺のことを気にして親切にしてくれてるんだ。だから…」 「 あ……」 それは大好きな恋人を貶されて困ってる図、って感じで。 「 あの、さ…桐野」 俺はいよいよ訊きたくて堪らなくなってしまった。 「 あのさ。お前たちって」 「 え……」 「 あのさ、つまり……」 プルルルル!!! 「 おわあっ、び、びびったあ!!」 人が真剣に質問しようとしている時に何なんだ!! 「 あ、ごめん…」 突然鳴ったその音は、どうやら桐野が持っている携帯のようだった。俺は密かに嫌な予感を抱きながらも、どうする事もできずにただそれを耳に当てる桐野を見やった。どうでもいいが、最近の携帯はこんな所でも電波が入るのか? くそ、忌々しい。あ、俺の携帯は圏外になってるじゃねーか! 「 あ、涼一…」 桐野の第一声に俺は脱力した。 やっぱりだ。あいつはどんな能力持ってんだ。桐野が他の男と話しているとすかさず何かのセンサーが発動するのか? ぶうたれている俺の耳に桐野の綺麗な声が響く。 「 え、今? うん、今図書館だよ。え、もういるの? あ、今…入り口の所エレベーター止まってるだろ。それに乗ってて、だから…。って、うわっ」 「 わっ!?」 桐野が突然携帯を落としかねないくらいの勢いで声を上げるものだから、俺も驚いて声をあげた。桐野の耳から離れた携帯から何か物凄く大きな声が聞こえてきた。どうやら涼一の奴が怒り狂っているらしい。やっぱり、あいつヘンだな。普段こんな怒らないもんな。桐野が絡む時だけムキになるんだ。 しかしエレベーターが止まったのは桐野のせいじゃないだろうに。 「 涼一、何喚いてんだよ」 たまりかねて俺は桐野から携帯を奪うと名乗りもしないでそう言った。 「 あ、逢坂…っ」 そんな俺に桐野はぎょっとしたようになっていたが、俺はそんな桐野をかわしながら携帯を耳に当て続けた。 「 喚きたいのはこっちだろ。それより外の方、この故障調べてくれてんの? さっきから全然反応ないんだけどさあ」 『 ………』 しかし携帯からは聞き慣れた涼一の声は聞こえなかった。 俺は最初それをやはり電波の入りが悪いのかと思ったのだが、やがて物凄く低い声で発せられた声で全てを察した。 『 お前…康久か…?』 「 お、おう」 俺は応えながら瞬時に全てを悟った。 涼一は桐野に怒ってるんじゃなく、焦ってるんだ。こんな密室に閉じ込められた桐野が誰と一緒にそうなってしまったのかを気にして。ちらと桐野を見ると、当人は何故かそんな涼一以上に蒼白になっていて、動揺しているようだった。俺に携帯を渡して欲しいと暗に言っているのが分かった。 「 ……はは」 しかしその事で俺の悪戯心に火がついた。 俺は困惑する桐野に笑いかけるだけで携帯は返さず、外でやきもきしているだろう涼一に向かって言ってやった。言ってしまった。我ながら大胆だなと思いながら。 きっとこの異質な空間が俺をチャレンジャーにしたんだと思う。 「 いや〜しかしこんな所に閉じ込められて参ったけどさあ。得しちゃったよ。桐野から貰っちゃった」 「 お、逢坂?」 桐野のより慌てふためいた声を無視して俺は続けた。 「 すごいな、桐野は! うん、お前が夢中になるわけが分かるよ。いや、ある種天才だね」 それは勿論さっきのチョコレートに対する賛辞で、「貰った」のも「天才」なのもそれに関する事だったのだが。 もし、涼一と桐野が俺の予想する「そういう関係」だったとしたら。 あいつは絶対勘違いして解釈するだろうと思った。 「 普段はお前がいるから叶わなかったけど、桐野ともぐっとお近づきになれたし。ホント、ラッキーだわ」 本当はまだ閉じ込められて大して経ってもいないし、実際そんなに会話したわけでもないが、ここはも1つ動揺を誘おうと俺は調子に乗ってみた。横でわたわたしている桐野がまた可愛くて面白くて、だからつい悪ノリしてしまったというのもある。 『 ………』 しかし何故か肝心の涼一からは何の反応も返ってこなかった。不審に思って聞いているか訊ねると、ややあってから「今業者の人間が故障の具合を見ている」という簡素な返事だけが返ってきた。 少しはヤキモチの言葉とか聞けるかと思ったのに。拍子抜けだ。俺は少しだけがっかりして携帯を桐野に返した。 「 あの、涼一…?」 すかさず桐野は携帯から相手の名前を呼んでいたが、その異常に焦りまくったような様子は、どっちかっていうと桐野が涼一に片想いしていて、だから俺との事を誤解されたくないというような、そんな態度だった。 これもまた俺の中ではちょっとがっかりした事で。 しかし桐野も涼一から反応を得られなかったのだろう。携帯を切ると大層肩を落とし、それから俺に向かって急に縋るような目を向けてきた。お、おおお・・・! そのアングルもなかなか…! あれ、俺がっかりしたばっかなのにもう復活してる。 「 お、逢坂。お願いがあるんだ」 「 へ、何?」 「 もしエレベーターが直ってここが開いたら…すぐに帰って欲しいんだ」 「 帰るって…何で?」 「 ……あの、涼一、ちょっと機嫌が悪いみたいだから…」 困った風にそんな事を言う桐野に俺は眉をひそめた。 「 ……え、そんな感じだった? 俺は逆に冷静っぽいかなあって思ったけど。あいつって昔からこういうトラブルあっても動じない性質なんだよな。だから俺はちょっとつまんなかったんだけど。少しは慌てろよなあ? ダチがこんな事に巻き込まれてるんだから」 「 いや…冷静っていうか…」 「 え、そうだよ。何だよ桐野、いつも一緒にいて分からない? あいつってあんまり慌てたりとか騒ぎ立てるとかってのがなくてさ。いつもクール。そこがまた女にモテる理由でむかつくんだけど」 「 ………そう、なんだ」 「 ……涼一がモテるって聞くと嫌?」 「 え…っ」 俺の発言に桐野は困惑の表情から一転、意表をつかれたようになって顔をあげた。あれ、違ったのかなと俺は思ったけど、さっき言いかけて訊こうとしていた事をはたと思い出した。 すなわち、「お前達の関係って一体何?」ってことを。 「 あのさあ…」 もう訊かないわけにはいかないだろう。というか、もうそれをしなけりゃ俺は今夜眠れそうもない! それにもし。もしだぞ、涼一と桐野の関係が俺の単なる勘違いなら、ちょっと痛くて桐野の片思いで留まっているなら、俺にだってかなりの確率でチャンスがあるという事じゃないか。 「 あのさ、桐野。さっきの話なんだけど…」 「 な、に…?」 「 あのな…」 しかし、俺が桐野に近づき、再度真剣に訊ねようとした時だった。 「 あれ…?」 突然、がくんと身体が浮いたような感覚に襲われて、その後すぐに。 チーン。 「 はい、開きました〜。大丈夫ですかねえ?」 スピーカーで聞いたあの間延びしたジジイの声。 そして。 「 雪!!」 図書館中がその声で揺らいだんじゃないのか?ってほどの絶叫…あ、勿論剣涼一の絶叫ね。 それが辺りにこだまして、その後すぐに。 「 ……康久ァ〜!!」 「 ひいっ!!」 俺は思わず悲鳴を上げた。 桐野と面と向かって立っていた俺に向けられたその射るような氷の眼差しは、どう贔屓目に見ても高校時代からの付き合いである友人に向けられたものじゃなかった。 「 ちょ…ちょっと待て…お…落ち着け…っ?」 俺の掠れたようなその情けない声がちゃんと外に向けられ発せられたのかは分からない。でも、俺を庇うように前に立ち何か言ってた桐野の切羽詰まったような声が可愛いってのはよく分かった。あと、桐野が「開いたらすぐ帰れ」って言った事の意味も。 俺は心から深く理解する事ができたんだ。 「 おい康久、テメエ…! 俺はお前に話があ―」 「 涼一!!」 ただ…その後すぐに俺に向かってきたあの鬼の形相はもう思い出したくない。 俺に襲いかかろうとする涼一、それを必死に止めようとする桐野を尻目に、俺は結局あいつらの「真実」を問い質しもせず、別に悪い事したわけでもないのにひたすらダッシュでその場から逃げ出した。分からないが無意識に足が逃げの体勢を取っていたんだ。俺の防衛本能がそうさせたのかもしれない。 しかし…「真実」なんて、もう確認なんかしなくても涼一のあの顔だけで十分って気もするな…。 |
★ |
【完】 |