お年玉は使いましょう |
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正人が友之にここまで甘くなったのはいつからなのか。 「トモ。ほらよ」 お正月だからお年玉…という慣習は、恐らく小さな子どもが親や親戚のおじさんおばさん、或いは祖父母から貰うものだ。勿論、それ以外でもクリスマスやバレンタインといった行事と同様、お年玉と称して、恋人同士で何らかプレゼントのやりとりが行われることはあるかもしれない。 しかし、一般の高校生男子が、大して年の離れていない兄の友だちからお年玉を貰うパターンなど早々ないのではなかろうか。 「何か欲しいもんでも買えよ」 友之は無造作に渡された1万円札をあたふたと両手で受け取ってから、台所で酒のつまみを用意している光一郎を困ったように振り返り見た。正人がこうして友之にお年玉をくれるのはこれが初めてではない。去年もくれた。けれどその時も友之は「本当に貰っても良いのか」と随分躊躇した。 2回目の今年とて、それは変わらない。 「なに兄貴の顔色うかがってんだよ。俺がやるっつってんだから、いいんだよ」 「でも…こんなにたくさん」 「高校生ならそんなもんだろ? 相場とか知らねェけど」 「正人君ってお年玉貰ったことあるの」 この時、同じようにテーブルを囲みつつも、一人勝手に光一郎のパソコンをいじっていた修司が顔も上げずにそう訊ねた。 修司と正人がこうして揃うことは珍しい。それはいつも正人が修司のいない時を見計らって来るようにしているからだが、この時は正月休みということもあって、正人もそういう「遠慮」をするのは癪に触ると思ったようだ。朝からダース単位のビールと共にやってきた正人は、すでに昨晩から北川宅にあがりこんでいた修司に思い切り嫌そうな顔を向けた。 「あるに決まってんだろーが。嫌味かよ」 「別に他意はないって、新年早々つっかかんなよ。ただ正人君ちって、昔から荒んでいるイメージあったから」 「やっぱ嫌味じゃねェか」 「真実を言っているだけ」 友之はハラハラとしながら2人の「兄」の顔を交互に見やった。折角の正月休みで大好きな兄たちが来てくれているのに、気まずい空気になるのは嫌だ。否、正月だろうが何だろうが、気まずいのは嫌である。何故この2人は顔を突き合わせる度にこういった空気になるのだろう。光一郎と2人だけの時は、修司も正人も実に穏やかな態度なのに。 「あの親父さんが正人君にカネくれるとことか想像できないし。確か気前いい親戚なんかもいないでしょ」 「お前ってホント、人の家の事情に、よくもそんなずけずけと入ってこられるな?」 「えぇ? 俺だって誰彼訊いたりはしないよ。俺と君の仲だから平気かなと思ってさ」 「そろそろ黙るか?」 殺気立った正人に修司は唇の端だけで笑った。まるで堪えていないようだ。 「まぁカネくれない親なんて、正人君の所だけじゃないから安心しなよ。俺んとこだってそうだし、トモたちの所だって似たようなもんだ。ねえ?」 修司は何を見ているのか、依然としてパソコンの画面から目を離さない。それでも友之は自分が話を振られたことに敏感に反応して、反射的に背すじをしゃんとした。光一郎は未だ台所にいるから、修司の質問に答える義務があるのは自分だ。そう思ったら俄かに緊張した。如何に大好きな修司との会話とは言え、家のことを訊かれるのはいつだって気が張る。 「お、お父さん……よく、お金、くれたよ」 父の単語を発する時はどうしてもどもってしまう。心臓の鼓動すら早くなる。全く不思議だ。自分の父親の話をするだけで、どうしてこうも落ち着かない気持ちになってしまうのか。 けれどもそんな友之には構わず、修司は「そうなんだ」と意外そうな声を出した。 「あの人、そういうのに無頓着そうなのに。だってトモ、昔っから、そんなお金持ってなかったでしょ」 「そりゃ夕実の奴がトモの分まで取っちまうからだろ。つか、この話題もうやめろ。どうでもいいだろ」 正人がちらちら友之を見ながら修司を責めた。正人は修司と違い、友之に家族のことを話させることを強要しない。むしろ極力避けさせようとする帰来すらある。 ちなみに光一郎は修司と正人の中間派である。それが意図したものかどうかは定かではないが、この3人の兄の友之に対する3者3様の態度は、いつもある意味とてもバランスが取れていた。 もっともこういう場合、友之は大抵、修司の意向に沿おうとするのが常なのだが。 例えそれがとても辛い作業だったとしても。 「お小遣いとかお年玉って言って……いつもお金くれたのは、お母さん…け、けど、そのお母さんが、『これはお父さんからだから』って言ってたから。…お金…貰っても、そんな使うこと、なかったけど」 「クソ夕実が盗るからだろ」 「と、とられてない。僕、どうせ使い道ないし、自分から渡しただけだから!」 「渡すな。そんで、あのクソ女を庇うな」 「そんな言い方ないじゃんねー、トモ? 大好きなお姉ちゃんのこと、そんな風に悪く言われたら嫌だよねえ?」 「てめ…普段はお前だってボロクソだろうが…!」 調子よくトモの側についた修司に正人がむっとして口を尖らせた。友之はそれだけであたふたとしたが、未だ手の中にある一万円札の存在を思い出し、再び困惑したようにそれを見つめた。 正人がそれに気づいて表情から怒りを消す。 「まぁともかくだ。今はお前の金を横取りする奴もいねーんだし、それはお前が好きに使え。何かあるだろ? 欲しいもんとか。どっか遊びに行ったりとかよ」 「トモ、高校入ってから友だち増えたしね。俺はそれ凄く寂しいけど」 「だからお前はそういう言い方を…」 「た、貯めておく。正兄、ありがとう」 また正人と修司が喧嘩をしそうになったので、友之は慌ててそう言った。正人は友之から礼を言われて案の定勢いを殺し、「ああ」とどこか照れたように頷いた。 修司の方はそれに哂い、それからおもむろに光一郎の方を見やった。 それで友之もつられて視線を同じくすると、ようやく光一郎がつまみののった皿を2枚両手に抱えて戻ってきた。 「作ったことないレシピあったから、初めて作ってみた」 光一郎はそう言ってテーブルに自作の料理を並べると、「お前、勝手に使うなよ」と今さら修司を怒って自分のノートパソコンを取り上げた。 修司は慌てて「ちょっと待って、そこのサイトだけブックマークさせて」と頼んだが、光一郎はパソコンを取ったまま「それなら」と珍しく窘めるような顔で親友を見た。 「お前も正人を見習って、トモに小遣いのひとつもやれよ。そしたら使わせてやる」 「えー…」 「えっ」 修司の間延びした反応と友之の驚いた反応はほぼ同時に重なった。光一郎はそんな友之を苦笑した風に見やった後、修司にはまた厳しい口調で続けた。 「でなきゃ俺への借金、ちょっとは返せ」 「新年早々厳しいなー。どうしたの。何か苦しいの、北川家の家計は?」 「そうなの…!?」 「苦しくねーよ! 修司…ッ。お前は、冗談でもそういうこと言うな! そんで、友之はそれを真に受けるな!」 いわゆる「貧乏ネタ」には敏感な光一郎が早口でそれら暴言をびしばしと跳ねのけた。 しかしこれには正人までが反応して、「まじな話、お前大丈夫なのか」などと言い出すものだから…。 「あのなぁ…」 光一郎はいよいよ不快な顔をして、その場に勢いよく座りこむと、目の前のビールをぐいと煽った。 それから妙に据わった目をして言う。 「トモが俺からの小遣いは受け取らないから、せめてお前らが出せばいいと思っただけだ」 「あー、そうなの?」 「お前は光一郎にも遠慮してんのか」 「だ、だって別に…欲しいもの、ないし」 「なくても貰っておけばいいだろーが。貯金しておくとかよ」 「なら、コウの通帳に貯金してもらう」 はいと先ほどの正人からの1万円をさし出す友之に、光一郎はいよいよ深いため息をついた後「見たか修司」と横に座る親友を呼んだ。 「トモの爪の垢でも煎じて飲め」 「言えてんな」 「嫌なお兄さんたちだね。結局俺が悪者かよ」 修司は肩を竦めた後、友之の腕を引っ張って自分の膝の上へ座らと、ぐりぐりと友之の頭に顎を摺り寄せながら言った。 「トモ。なら修兄ちゃんと一緒に欲しいもの考えよっか。物欲は持った方がいいよ、特にトモみたいなのはもっと我が侭にならなくちゃ。食べ物でも怖い本でも、なんでも好きな物から考えればいいよ」 「怖い本だぁ?」 「トモの趣味だ」 正人に説明してやる光一郎は「それは嫌な使い道だな」というような露骨に分かりやすい顔をしていたが、幸い友之は気づかなかった。 好きなことから考えてみればいいと言われて、友之は暫し悩んだ後、背後で自分を抱きしめる修司を振り返った。 「それなら僕、修兄の写真が好きだから…修兄のカメラの道具を買いたい」 「えぇ〜? なにその可愛過ぎる回答〜。道具ってなに?」 「分からない…けど、修兄がレンズ拭いてるところ見たことあるから…」 「あークリーニング用品ね。なるほど、しかしトモってよく見てんのなぁ」 あーもー可愛くてどうしよー、と、さらに友之を抱きしめ直してニヤニヤする修司に反し、残り2人の兄らが纏う空気は明らかに冷ややかになっていた。 しかし勿論、友之はそこで終わらない。 「あと、正兄から貰ったお金だけど、正兄にはグラブのオイルと靴下。最近、足が冷えるって言っていたでしょ?」 「ま…まぁ、言ったけど、よ…。別に俺はいいんだよ」 「まぁまぁいいじゃないの。トモが俺らにプレゼントしたいって言ってんだから。で? トモはコウ兄ちゃんには何をあげたいの?」 修司がニコニコして急かすと、友之は修司と正人を順繰りに見やった後、最後に光一郎へ視線を向けた。光一郎は無表情だったが、心なしか友之が何を言うのか期待しているような雰囲気もあった。 そんな兄に対して、友之は。 「現金」 「…………は?」 「修兄たちにプレゼントした後、残ったお金全部、コウ兄に渡したい」 「現金?」 「うん」 1番にぶはっと修司がふきだした。友之が驚いてそんな修司を振り返ると、続いて正人が「やべえ泣ける」などと言い出して首を振るので、それにも慌てて目を向ける。 そして光一郎は。 「コウ? どうしたの? 僕、何か…」 「あー、違う違う。あまりにトモが優しいから感動して居た堪れなくなっただけ。ちょっと1人にしてあげて。感動の余韻に耽りたいだろうから」 慌てて光一郎の背に声をかけようとする友之を修司が止めた。 光一郎は友之の言葉を聞くと数秒後にくるりと踵を返し、何を思ったのかさっと玄関へ向かって歩いて行き、「買い物してくる」と出て行ってしまったのだ。 心なしかその背中はがっくりと落ち込んでいたようにも思うのだが。 「多分、蟹か牛肉か買ってくるな、あれは」 「超楽しみ。やっぱ正月、北川家来て良かったわ」 いまだオタオタする友之を後目に、正人と修司は珍しく同じような発言をしてうんうんと頷いた。 そんな2人の予想に違わず、豪華な食材をたんまり買い込んでくる兄に友之が目を白黒させるのは、この数十分後のことである。 |
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【おわり】 |