それは普通のこと |
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その日、友之は学校で橋本から「北川君の今日の星座、友達から愚痴を聞かされる可能性大」って出てるよ!」と言われた。 「 そういうのってめんどくさいんだよね〜。気をつけなね!」 特に恋愛話はウザイよ? よほど自分自身にそういった経験があるのか、橋本は心底ウンザリしたような顔でため息までついて見せた。 「 愚痴…」 しかし、そう言われても友之には「友人から聞かされる愚痴」というものが一体どういうものなのか今イチよく分からなかった。元々「友」と名のつく人間が周りにあまりいないし、友之自身が友人だと認識している香坂数馬などからは「キミなんかボクの友達じゃない」とはっきり言われてしまっている。沢海や橋本といった面子にしても、友之を気遣う事こそあれ、自らの愚痴を言ってくるようなタイプではなかった。 だから友之は橋本の親切な助言をありがたいとは思ったものの、学校が終わる頃にはその占いの警告のことなど綺麗さっぱり忘れてしまっていた。 ところが、その日の帰り道。 「 あ…?」 友之は駅のホームに降り立ち改札へ向かう途中で突然の眩暈に襲われた。元々身体の弱い友之は風邪を引いて熱を出す事などしょっちゅうだったが、この日は朝から少しだけ体調が良くないと感じていた。光一郎に心配をかけたくなくて何も言わずにいたが、きっと今になってどっと1日の疲れが出たのだろうと、友之はホームの鉄柱に寄りかかって息を吐き、そんな事を思った。 「 ちょっと、大丈夫?」 するとその時、不意に友之の背後からそう声を掛けてくる人間がいた。 「 ……っ」 「 顔、真っ青だけど」 「 あ……」 驚いて身体を浮かしかけた途端、ぐらりと体勢を崩してそのまま固いコンクリート面に倒れ込みそうになる。 「 危ない!」 しかし声を掛けた人物が咄嗟に友之を支えるように抱え込んだ。見知らぬ人間の体温に掻き抱かれて友之はびくりと身体を震わせた。 「 本当、大丈夫か?」 「 …ぁ…っ」 その人物に抱えられたままの格好ながら友之は何とか頷いた。声は掠れて完全に出す事ができなかったが、相手がひどく心配してくれているのは分かった。友之は必死に体勢を整えながら何とかその人物の手から離れ、改めてぺこりと頭を下げた。 「 具合悪いの? 家近く? 駅員の人呼んできてやろうか?」 「 あ……」 大袈裟にしてもらいたくなくて友之は慌てて首を横に振った。背の高いその人物の顔を見上げるのが何だか怖く、友之は相手のて足元だけをじっと見つめた。声や格好から兄の光一郎と同じくらいの青年だろう事は分かった。年上の男性には女性のそれより慣れてはいるが、それでも緊張する事に変わりはない。どうして接して良いか分からず、友之は血の気の引いた状態のままとにかく逃げるようにしてその場を去ろうとした。 「 ちょっと待て待て」 しかしその青年はそれを許さず、友之の腕をぐっと掴んだ。 「 やっ…」 「 大丈夫だからそんな怖がるなよ。ちょっと休んだ方がいい。無理しないでいいからそこに座れよ。な?」 「 ………」 相手の青年はそう言うと半ば強引に友之を駅のホームのベンチに座らせた。そうして自分の荷物をその横に置くと、青年はベンチ横の自販機でお茶を買い、それを茫然としている友之にさっと差し出した。 「 飲みなよ。ちょっとは落ち着くから」 「 ………」 そう言われて、友之はようやく顔を上げて相手の事をしっかりと見やった。 端麗な顔立ちをした意思の強そうな眼が印象的な青年だった。やはり大学生だろうか。青年は友之に缶を渡した後、自分は携帯で誰かに掛けたかと思うと「ちょっと遅れる」といった言葉を二言三言交わしてからすぐにその通話を切った。 それから横に座り、改めて友之の事を見やる。 「 貧血かな。よくあるの、こういう事」 「 あ…い、いいえ…」 今度はやっと返事ができた。友之がほっと息を吐くと、青年はニコリと人の良い笑みを浮かべて言った。 「 学校帰りか。家、ここで少し休んだ後送ってってやるよ。ここからどのくらいかかる?」 「 だ、大丈夫、です…っ」 その親切過ぎる申し出に友之が驚いたようになって声をあげると、当の青年は何でもない事のように首を横に振った。 「 別に遠慮すんなって。ここで会ったのも何かの縁だろ。お前が具合悪いの見てたのに放っておいて、この後どっかで倒れられてたなんてなったら後味悪いし」 「 ………」 「 あ、俺別に怪しい奴に見えないだろ? 見える?」 「 ……っ」 慌てて首を横に振った。ぽんぽんと紡ぎ出される会話のテンポについていけない。友之は表情を強張らせながら両手で持っていた缶をぎゅっと握り締めた。 それでも相手は平然としている。 「 俺、剣涼一っていうの。お前は?」 「 ………」 「 な・ま・え。何て言うの?」 「 あの…北川…友之…」 「 友之? あ、そう。……何かどっかで会った事あるような気もするけど…まあいいか。それにしても友之はすごい人見知りなんだなー。俺、怖い? そんな物騒な面してるか? さっきからあからさまに怯えてるみたいだけど、俺って基本的には無害な人間だぜ?」 「 ………」 「 それにだんまりとか決め込まれてても、別に平気な人だから」 顔を覗き込まれている事が、じっと見つめられている事が声を出せない要因だ。 「 ………」 しかし初対面の人間に友之がそんな事を言えようはずもなく、ただ涼一からの言葉がどんどんと耳に入り込んでくる。 「 俺さ、人見知りというか…大人しい奴相手に一方的に喋るのには慣れてんだよな。俺のコイビトな、雪っていうんだけど。すげえ大人しいの。あんま自己主張しないしさ、いっつも俺の話す事聞いてるだけ。あ、笑って聞いてくれるとこは好きなんだけどな。それにあれで割と芯は強かったりするし…」 「 ……?」 「おや」と思い、友之は顔を上げた。 先刻までこちらを見ていたはずの涼一は今は何処も見ていないようだ。友之は、だからここでようやく涼一の事をまじまじと観察する事ができた。涼一は友之に向かって話しているようで、実際はどこか遠くを見つめて口を動かしているように見える。 涼一は続けた。 「 しっかし今日は頭にきたぜ…。今日さ、雪とずーっと前から約束してたんだぜ、一緒に出掛けようってさ。場所とかはまだ決めてなかったけど。大抵俺がその日とかに適当に決めて、あいつはそれでいいって言って出るパターンなんだけど。だけどさ、そんな曖昧な予定でも俺はすっげー楽しみなわけだよ、あいつと何処か遠くに行くってだけで。なのに突然『具合悪くなって早退した奴の代わりにバイト続けていなくちゃいけなくなった』って連絡してきてよ…。だからそうやって何でもかんでも引き受けるなってんだよ、人がいいのも大概にしろっての。俺との約束はどうなるんだよな。……な、友之もそう思うだろ?」 「 ……え」 突然意見を求められて友之は再び固まった。 しかし返答を求めているのかいないのか、友之がはっきりと答える前に涼一は尚も続けた。 「 で、しょーがねーから行きたくもない飲み会とか行く事にしちゃったんだけどさ、今更ながらめんどくせーなーって思い始めてきたわけだ。だって雪いないわけじゃん、そんな所行っても。どうせつまんない女に言い寄られるのがオチだしさ…。はーあ、だから友之と会って丁度良かったよ。人助けで行けなくなったってなら藤堂の奴もあんま煩く言わないもんな。……ん、って事は俺が友之に助けられたようなもんだな、サンキュな」 「 あ……」 「 それにしてももっとムカつくのが雪の態度だよな。俺が藤堂との飲み会行くって言ったらあからさまに喜びやがってよ。俺の空いた予定が埋まってほっとしてるって感じなんだよ。けどちょっと待てよ、そこ行ったら他大の女共とかも来てるわけじゃん、なのにそういう事はどうとも思わないのかって。俺が他の奴に取られるかもとかそういうの一切考えないのかね、あいつは!?」 「 ………」 「 あいつってホントそういうとこあるんだよ。俺が他の奴と仲良くするの嬉しいみたいでさ。俺があいつらと付き合い悪いの自分のせいだと思ってんの。まあ実際…雪との時間を増やしたいからあいつらとの約束ナシにする事も多いけど…俺がいいって言ってるんだからあいつがあんな気にする事ないんだよ」 「 ……(汗)」 「 大体さあ…。なあ! 友之はそういうのいいか!?」 「 え…? そういうの…って?」 また突然こちらに意識が向いたようだ。しかし友之は今度ははっきりと返答する事ができた。涼一もそれに対してどことなく嬉しそうだった。 「 だからさ、たとえば友之の好きな奴が自分のいない所で他の知らない奴といちゃついてたらどう思う? 嫌じゃないか?」 「 好きな人が…?」 咄嗟に光一郎の姿が思い浮かんだ。次いで、見知らぬ女性たちと一緒にいる姿も。 「 ん、どうだよ? 想像してみ?」 「 ………嫌だ」 「 だろ!? それがフツーの感覚だよ! 偉い、友之! …なのに雪の奴は平気なんだもんなあ…!」 その後も1人でムカムカしているような涼一に、しかしここで友之は眉をひそめて聞き返した。 「 ……普通?」 「 ん…?」 「 ……あの、これ…普通の、こと?」 「 これって?」 「 あの…だから、嫌だって思うこと……」 「 何。好きな奴が他の誰かと仲良くしてて嫌だと思うこと?」 「 うん…。あの、そう思うの、我がままじゃ、ない…?」 ずっとそう思っていた。 光一郎を独り占めしたいとか、他の誰かと仲良くして欲しくないとか。以前は裕子に対してひどくみっともない嫉妬を感じてしまったりしたが、友之はそんな風になった自分がひどく情けなくそして惨めだった。 だから思わず反応してしまったのだ。涼一のその「普通のこと」という台詞に。 「 はあ?」 しかし友之の恐る恐る言ったその発言に、当の涼一はただ目を丸くして声を張り上げた。 「 ばっかだなー、我がままなんかじゃねーよ。お前、それは絶対違うぞ。うん、違う!」 「 違う…?」 「 そう! 我がままなんかじゃない。悪くない。現に俺なんか思いまくってるし、それそのまま口に出して言ってるぞ。大体俺は雪が他の奴と普通に話しているだけでイラつくよ。だからなるべくすぐ言うようにしてる、イラついたって。だって言わないと俺はこんだけお前の事が好きなんだって伝わらないだろ。そんなの嫌だろ?」 「 ………」 そうして涼一は途端優し気な目になって、黙り込む友之の頭をわしわしと撫で付けた。 「 な。嫌じゃないか? 相手に自分の気持ち知ってもらえないって」 「 ……うん」 友之が返事をすると涼一はことのほか満足そうに頷いた。そして再び頭を撫でる。 「 だろ? そうそう、友之はおとなしそうだからもっとそういうのしなきゃ駄目だぞ。…けど、友之の好きな奴もお前置いてどっか行っちゃうタイプ? というか、そもそも友之って彼女いるの?」 「 い、いない…っ」 「 そうかーじゃあ片想いか? まあお前ちょっと弱そうだもんな、自分から告るとかってあり得なさそう〜。まあ、かくいう俺の雪もさぁ、『好き』って一言言わせるのにすごい骨の折れる奴なんだよ…。付き合ってる今だってめったに言ってくれねえよ。俺って結構カワイソウな奴」 「 好き…って…?」 「 そう。全然言ってくれない。だからな、友之も絶対言えよ。朝昼晩で一回ずつだろ? あとはもろもろ、メシ食ってる時とか一緒に遊んでる時とかセック…は友之は早いか。とにかく始終言うんだよ。一日目標50回な」 「 ご……」 ぺらぺらと喋る涼一のペースも凄いが、話している内容も友之にとっては面食らってしまう。 口篭っている間にも涼一はどんどん先に口を切っていく。 「 やっぱそんくらい言ってくんないと頑張れないんだよ、恋愛ってさ」 「 が…」 「 ん。そう、頑張る」 「 頑張る…?」 「 そう。ま、それもまた楽しかったりするけどさ…でもさ…」 しかし涼一が何かを言いかけた時、不意に聞きなれない電子音が友之の耳に入った。 それに素早く反応したのは涼一だ。 「 ……くそ、また携帯が。メールか…藤堂の奴かな…」 先刻「遅れる」と言った相手だろうか。友之は不意に涼一が自分に付き合ってここにいてくれていた事を思い出し、はっとしてすぐに行ってくれと口を開きかけた。 「 え……」 けれど友之は途端目を見張り、黙り込んだ。 「 ………!」 携帯のメールを読んでいた涼一の表情が最初の不機嫌なものから一気に、それこそ天国に上るかのような顔にみるみる変わっていったから。 そして。 「 友之、悪い! 俺、送ってやれなくなったけどいいか? 1人で帰れるか?」 「 え…は、はい…」 「 そっか! あのな、今雪からメール来てなっ。店長が代わりに入ってくれたからやっぱり出て来られるってさ! 一回断ったお詫びに今夜は泊まってメシ作ってくれるって! 雪な、すげえメシ上手いんだよ! プロ級! ホントあいつって凄いんだ!」 「 よ、良かっ…」 「 うん! 最高良かった、めちゃくちゃ嬉しいー! そんじゃ俺行くわ! じゃな、友之! 健康には気をつけろよ!」 「 あ…ありが……」 しかし友之が礼を言い終わる頃には、涼一の姿はとっくの昔に改札向こうに消えてなくなっていた。 「 ………」 その場に1人取り残された友之は暫しそこから動けずにいたが、たった今起こった嵐のような出来事を顧みながら、しかし具合の悪かったはずの身体が随分と軽くなっている事に気がついた。いや、身体だけではない、気持ちも。初めて会った人とこんなに言葉を交わした事も初めてなら、あんな風に人の話を聞かせてもらって、また少しだけれど自分の事を聞いてもらえたのも初めてだった。 とりあえず。 友之は軽い足取りで立ち上がり、思った。 帰ったら、光一郎に可能な限り「好き」と言おう。 |
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【完】 |