街角での1シーン |
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都心にできた新しいショッピングモールは、晴れた日曜日の午後ともあって大勢の人で賑わっていた。 「 あーっと、ここ、いいですか?」 「 え? あ、はい」 夢中になって追っていたその文字から離れ雪也が顔をあげると、そこには見知らぬ青年が人好きのする顔をして立っていた。雪也は慌てて頷きながら、ベンチ横に置いていた荷物を足元へ置いた。 雪也は騒然とする買い物街のちょうど中心に位置する噴水前のベンチで1人読みかけの文庫本を開いていた。元々ここへは涼一と2人で来ていたのだが、涼一が「知り合いがオープンした店に顔を出さなくてはならない」と言うので、雪也は1人休憩がてら昼前に買い込んでいた荷物番を引き受けていた。 そこに声を掛けてきたのが先刻の青年である。 「 どうもありがとう。1人?」 「 え? いえ…」 青年は首筋にまでかかった明るめの長い髪をかるく片手でかきまぜながら、涼し気な目元を向けて笑っていた。悪い人間ではなさそうだ。けれど、この如何にも自分とは対照的な印象を受ける快活そうな青年と長話がしたいと思う程、雪也は人懐こい性格ではなかった。 どうしようかと途惑っていると相手は柔らかく笑んで首を振った。 「 ああ、ごめん。煩くして欲しくないなら黙るよ」 「 え?」 聞き返したものの青年はその宣言通り、後はもう何も言わなかった。相変わらずどことなく楽しそうな雰囲気で買い物客で賑わう景色を楽しんでいる。端整な横顔だった。一見派手な風貌だけれど、こうして沈黙しているとうまく周囲の空気に馴染んでその存在を消してしまっている。勿論、傍に座っている雪也にしてみれば、だからこそ尚のことその青年の不思議な感じに引き寄せられてしまうのであるが。 その時、ふと青年の横に置かれていた物に雪也は気がついた。 カメラ、だ。 「 何? 興味ある?」 青年が急に視線を雪也に向けてきた。雪也がはっとして顔をあげると青年は笑った。 「 ごめん。また話しかけちゃった」 「 あっ…。いえ、俺こそ…何かジロジロ見ちゃって」 「 可愛い子には見られても平気」 「 え?」 「 ははは」 本気なのか冗談なのか青年は驚く雪也に軽く笑ってから、雪也にも見えるように置いていたカメラを自らの膝の上に置いた。 そのカメラに視線を落としながら青年は楽しそうに言った。 「 でも、基本的には他人を見るのも見られるのも嫌いだねー。だから俺は風景専門。例外もいるけど」 「 はあ…。あの、カメラマンなんですか?」 「 プロって意味なら違う。趣味でやってるだけだから」 「 そう…ですか」 でも、どんな写真を撮るんだろう。何故かそう思った。いつもは写真になどあまり興味はないし、青年が言った台詞ではないが、雪也は人に見られるのがあまり好きではない。だから写真は撮るのも撮られるのもどちらかといえば嫌いだった。涼一は時々雪也の写真を撮りたがったが、雪也があまりに嫌がるのでいつからか何も言わなくなった。「雪がいつでも俺の見える所にいるなら」という条件付きではあったが。 その時、軽快なシャッター音が聞こえて雪也がはっとすると、青年が笑って言った。 「 見てみて。あれが俺の例外」 「 え…?」 視線で促された方向を見ると、遠くから両手にたくさんの荷物を持った少年らしき人物が真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。あれ、どこかで。そう思っていると、隣の青年は片手を挙げ声を出した。 「 トモ」 「 …修…兄っ」 少年は大荷物にも関わらず半ば駆けるように雪也たちがいる所へやってきた。「修兄」と呼ばれた青年の方は依然として悠々とした笑みを浮かべているだけだ。 「 修兄…っ。どこ…行ったのかと、思った…」 「 んー…。フラフラとそこらへん」 「 良かった…。このまま逸れたらどうしようって…。あ」 そこでトモと呼ばれた少年はようやく雪也の存在に気づき、驚いたように目を見開いた。 それで雪也もあっとなってぺこりと頭を下げた。 「 ありゃりゃ。知り合い?」 修兄と呼ばれた青年がこれまた驚いた顔をして笑った。そして改まったようにして身体を雪也の方に向けると深々と身体を折り曲げお辞儀した。 「 あ、あの…?」 雪也が途惑うと修司は畏まったように言った。 「 いつもうちの弟がお世話になってます」 「 え? あの、お兄さん、ですか?」 「 はい」 「 しゅ…」 何か言いた気にしている「トモ」に青年はにっこりと笑いながらにゅっと長い腕を伸ばした。 「 わっ…」 そしてトモはその腕の中にあっさりと引き寄せられ包まれてしまった。 「 友之。兄貴に友達紹介して」 「 え…」 途惑ったようなトモ―本当の名前はトモユキというらしい―の様子に、雪也は自分自身も困惑の色を浮かべた。そういえばスーパーでよく顔を合わせ互いに顔見知りではあるものの、名前を名乗った事はあっただろうか。 「 あの…」 雪也は困ったような友之の代わりに早々自分から名乗る事にした。 「 桐野って言います。弟さんとは買い物先でよく会って」 「 あー。そうなんですかあ。トモ、買い物なんか行くんだ?」 「 え?」 「 ……最近。行くようになった」 「 そっかそっか。偉い偉い。あ、だから今日ここに来るのもそんなに抵抗なかったのかな?」 1人納得しているような青年、どことなく恥ずかしそうに俯いている友之を雪也は不思議そうに見つめた。兄弟ならば弟が買い物に行く事くらい知っていそうなものだ。ましてや大人とは言えずとも、このくらいの年齢で買い物に行けるのが偉いというのも…。 「 下の名前は?」 「 え?」 突然再び視線を向けられ、雪也ははっとして顔を上げた。雪也の不審など構う風もないのか、青年は相変わらず涼しい顔をしている。 「 桐野君の、下の名前」 「 あ、えっと…」 何故か雪也は焦ってしまった。 「 ゆ、雪也です」 「 ユキ」 「 え?」 そうして次に青年から発せられたその台詞にも、雪也はまた仰天してしまった。 「 ………」 「 何?」 「 え…。あの…」 「 ユキヤっていい名前だね。ユキはあの粉雪の雪?」 「 あ、はい」 「 俺は季節では冬が一番好き。雪、好きだし」 「 あ…は、はあ…」 何だ名前を呼ばれたわけではないのか? ―そう思っている雪也に青年は再びふっと笑んだ。 「 俺は修司って言います。今日は可愛いこの弟と楽しくデート」 「 は?」 「 修兄っ」 「 なーに照れてんの? 可愛いなあトモは」 「 わっ…」 「 ……!」 カメラはいつの間に横に置いていたのか。いや、そんな事よりも雪也が呆気に取られている間に、修司は自分の傍に引き寄せていた友之を今度は自らの膝の上に乗せてしまった。 「 しゅ、修兄、離し…っ」 「 やだー。だって可愛いんだもん」 「 ………」 ふざけてやっているというのは分かるのだが、それでも雪也はぽかんとした間の抜けた顔で2人の事を観察してしまった。全く似ていない兄弟。けれどこんなに仲が良い兄弟。そうだ、きっとこの2人は普段は別々の所で暮らしていて、恐らく今日は久しぶりの再会だったのだ。もしかすると兄の方は外国生まれの外国育ちなのかもしれない。だからこんな風に過度なスキンシップを弟に求めるのかも、そうだ、そうに違いない。 1人勝手にそんな物語を描く事で雪也はこの目の前の状況を受け入れようとした。 「 ところで俺、トモの本当の兄貴じゃないんですよ」 すると突然修司がしれっとそんな事を言った。 「 ええ?」 雪也がまたまた驚くと修司はにやりと笑ってから抱き寄せている友之に頬擦りをした。 「 本当の兄弟じゃないけど、兄貴。コイツの兄貴なんです。……って言ったらやっぱりあのアニキだよな。なあトモ?」 「 ?? どんな兄貴?」 「 なに、トモも分からないんだ? しょうがないなあ、一緒に寝てる時はあんなに可愛い顔して抱きついてくるくせにー」 「 !!」 まるで普通の事を話すように修司はそう言い、膝の上の友之の耳元に息など吹き掛けている。雪也はたちまちぼっと顔を赤くして視線を泳がせた。友之は訳が分かっていないようにきょとんとしているが、修司の友之を見る目は、確かに「そちら」の方の意味があるように思えた。 「 あ、あ、あの…っ」 「 だから。誤解だって言っておいてくれます?」 「 は?」 「 だから、さっきからこっちを睨みつけてる雪也君の連れにね」 「 え?」 修司が苦笑しながら目だけで指した方向を雪也が追うと…。 「 あ……」 そこにはいつからこちらを見ていたのだろう、前方の店の前で呆気に取られている涼一の姿があった。涼一は先刻の雪也同様、あんぐりと口を開いて修司と友之のいちゃつきぶりを呆れたように見つめていた。 「 今はあんなだけど、さっき凄かったよ。俺、殺されるかと思ったもん」 「 え? それは、つまり…」 雪也がたらりと汗を流すと修司は迷惑そうにわざとらしく顔を歪めて見せた。 「 あの人を待っていたんでしょ? 早く行った方がいいよ。君みたいな人がさ、こんな所で1人でいちゃ駄目だって」 「 ………」 「 しゅ、修兄、離し…っ」 「 何だよートモ。トモは修兄ちゃんがあの人に殺されてもいいってのか?」 「 な、何言って…」 「 あ、あのっ。それじゃ失礼しますっ」 今にもこの公衆の面前で嫌がる友之にキスしてしまいそうな修司に慌て、雪也は逃げるようにしてその場を離れた。 「 りょ、涼一…っ」 焦りから荒くなった息を整えながら、雪也は未だ立ち尽くしたままの涼一に向かいながらその名を呼んだ。 「 いつからいたの?」 「 ついさっき…。なあ、何なのあれ」 依然として涼一は噴水前のベンチを見やっている。雪也は何故か自分の方がどぎまぎしてしまい、誤魔化すように口をついた。 「 あ、あの人たち、兄弟だって」 「 マジで? あれが? …それ、絶対違うだろ」 「 な、何で?」 鋭い涼一の発言にドキリとしながら雪也が問うと、涼一はようやく離せなかった視線を雪也に戻して眉間に皺を寄せた。 「 違うもんは違うの。まあいい、俺はてっきり雪がナンパされてるのかと思ったから…」 「 ち、違うよ」 「 分かってるよ。……しかしあれが片想いの相手…? 思いっきり両想いに見えるが…」 「 え?」 「 何でもねーよ」 涼一は不審な顔をする雪也を振り払うようにして踵を返した。そうして未だ背後でべったりしているのだろう、2人の様子を想像してため息をつき、呟いた。 「 俺なんか恋人同士だってあんなのやらせてもらえねえよ。友之の奴、いいな…」 |
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【おわり】 |