素敵なご学友 |
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「 なあ光一っちゃん。これ作ってみたんだけど味見してくれる?」 「 ……またか」 息せき切って教室へ飛び込んだというのに、教授の急な発熱とやらで講義は休講。半ば茫然として近くの席に腰をおろした光一郎に、友人の伊集院譲(いじゅういん ゆずる)はニコニコした顔で近づきそう言った。きつね目のユズルは笑うとその目が一層細くなって、大袈裟に言えばまるで目を瞑っているかのように見える。 そんな彼の手には例によって直径30センチほどのデコレーションケーキがあり、 光一郎はため息をついた。 「 たまには他の奴に言えよ」 「 嫌だよ。ハルナもハカセも俺に冷たいもん。俺、友達光一っちゃんしかいないし」 「 お前みたいのに友達とか言われても光一郎も迷惑だろう」 「 むっ、何だよハルナは。また意地悪言う!」 ユズルが口を尖らせて文句を言った先―光一郎が座った席の2列ほど前だ―には、学内きっての才女と謳われるハルナこと竹村松子(たけむら まつこ)がいた。ハルナは自分の竹村という苗字も松子という名も大嫌いだと言い、ごく一部の親しい者たちには「私の事はハルナと呼ぶように」と命令していた。自分の見た目が春の野に咲く菜の花のようだからという事だったが、ふっくらとした体型に、短く刈ってはいるもののいつでも寝癖つきのぼさぼさの黒髪、そして始終眉間に皺の寄った仏頂面のその風体は、お世辞にも本人が言うところの「春の風に舞う妖精」とは言い難かった。 「 ユズル。お前いい加減、厳粛なる学び舎にそんな甘ったるい空気を持ち込むのはよせ」 「 フン、だったらハルナこそ厳粛なる学び舎にそんな変態雑誌持ち込むのはよせよな」 「 何が変態だ。人の趣味をバカにするな」 先刻まで目を落としていたのだろう、ハルナの膝の上には所謂美少女系作品の紹介記事がふんだんに取り上げられたアニメ雑誌が乗っていた。彼女の趣味はアニメーション、それも可愛くて小さな女の子が登場する番組を見る事だった。しかも最近はそれだけでは飽き足らず、所謂18禁のパソコンゲームなどにも手を出し始めているようだった。 そんなハルナにユズルは口を尖らせながら尚も言葉を切った。 「 バカになんかしてないよ。軽蔑してるんだ、この変態ロリコン女!」 「 貴様、それ以上言うと名誉毀損で訴えるぞ」 「 何が名誉毀損だよ。事実を言ってるだけだよ俺は」 「 ロリコンってのは幼い少女にしか性欲を感じない成人男性の事を言うのだ。貴様、この私が男に見えるのか、ん? 一体何年この顔を見ていると思ってる」 「 うるっさいなー。いちいち辞典に載ってる規定を持ち出すなって。ロリコンはロリコンなんだよ! 見た目だって、スカートはいてるからまあ女?ってくらいだし」 「 また言ったな。この私をそこまで侮辱して、ただで済むと思うなよ?」 「 あのな、喧嘩ならよそで…」 しかし光一郎が面倒臭そうに2人の間に入ろうとしたその時だった。 「 名誉毀損。刑法第二三○条。公然事実を適示し人の名誉を毀損したる者はその事実の有無を問わず三年以下の懲役もしくは禁錮または五十万以下の罰金に処す」 「 ハカセ…いたの」 驚く光一郎の代わりにユズルが声を出した。 ユズルたちの言い争いに割って入るタイミングで呪文のような台詞を発したのは隅谷博士(すみや ひろし)、通称ハカセだった。そのあだ名は幼稚園の時に密かに恋心を募らせていた担任の先生につけてもらったものだとかで本人はいたくお気に入りの様子だったが、ハルナに言わせれば「幼稚園の時からジジクサイ顔だったんだ」という事だった。 そしてハカセは、その外見とあだ名の通りの勤勉家であった。 ユズルを押し退けるようにして光一郎の座る席に近寄ってきたハカセは、胸に分厚い六法を抱え、これまたぶ厚いレンズのぐりぐり眼鏡を指で押さえながら言った。 「 きき北川…っ。君はまたこここんな時間に教室にやってくるなんて、一体勉学というものをどっ、どう考えているんだい」 ちなみにハカセは授業外や法律の条文を唱える時以外の言葉はどもる事が多い。大抵は本ばかり読んでいて人とまともに視線をあわせる事もないので、その事を知っている者も少ないのだが。 だからハカセが初めて光一郎に話しかけてきた時は、幼稚園時代からの腐れ縁、つまり幼馴染のユズルやハルナは仰天して暫し声が出なかったくらいなのだ。 「 悪い。バイト先寄ってたら遅くなった」 光一郎が答えるとハカセは不満そうな顔をしつつも口をつぐんだ。 「 光一っちゃんは働き者だからねえ」 ユズルが感心したように頷くと、ハカセはいよいよ諦めたように嘆息した。ハカセは大学入学を決めた時点で司法試験対策の為のロースクールに通い始めたが、光一郎が経済的な理由でWスクールできないと知ると自分もその予備校を辞めてしまった。ハカセにとって光一郎は初めて対等な立場で勝負したいと思えるライバルだったらしい。 ちなみに法学部に在籍していると言っても、ハカセの幼馴染であるユズルとハルナは司法試験にはまるで興味がない。ユズルは菓子職人になるのが夢だし、ハルナは一族で守り立てている建設会社を継ぐ事が決まっている。そして更に言うのなら、ユズルとハルナの家は互いに仕事柄密接な関係にあり、2人は所謂許婚同士であった。 もっとも2人は「こんな奴と結婚させられるくらいなら家出する」と言っているらしいが。 「 ねーねーところで、さっきから話逸れまくり。食べてよこれ!」 ユズルがはっと思い出したようになってケーキを光一郎の前にどんと置いた。ごてごてと乗った果物とたっぷりのチョコクリームは、甘い物好きには堪らないものに違いなかったが、少なくともこの場にいる3人にはあまり嬉しいものではなかった。 しかしユズルは結局のところは光一郎以外の2人にも食べさせる気持ち満々だったのだろう、カバンからがちゃがちゃと人数分の紙に包んだ皿とフォークを取り出し、休講とはいえまだ人もまばらに残っている教室内で「おやつ」の準備をし始めた。 鼻歌交じりにユズルは言った。 「 まだこれはさ、試作段階なんだよね。スポンジの方はうまく焼けたと思うけど、クリームの味がどうかな、パインや洋ナシと合ってるといいんだけど。一昨日からずっと徹夜で味見してるから自分では感覚が麻痺してきちゃってんだよ」 「 ユズルは放っておくと菓子しか食わんからな」 「 ユズルのケーキは、ふ、婦女子向けだよ…。か、辛党の僕には合わない」 「 お前らなー。本当なら俺のケーキが食えるなんてかなりの幸せ者なんだぞ。もうちょっと感激してありがたがって食えよな」 実際和菓子より洋菓子の方が得意だというユズルのケーキの腕は相当のものだった。全国各地の諸大会でもかなりの好成績を修めているらしい。家業の関係で両親からケーキ職人になる事を許されてはいないが、それでもユズルの情熱は絶える事がない。 そしてそんなユズルに憧れる女の子は昔から割と多かった。 「 どうせならあそこらへんでちらちら羨望の眼差しを向けている奴らにやったらどうなんだ?」 「 やだ」 しかしハルナがそう言ってもユズルはいつも「いやだ」としか言わない。ユズルは光一郎たち3人以外とは学内でも殆ど口をきかないのだ。これはハカセと同じだった。 「………」 「ほら光一っちゃん、何ぼーっとしてんの。食べて食べて」 「あ、ああ…」 いつも明るいユズルなのに、コイツも結局屈折しているなと光一郎は思う。以前、酒の席で珍しく饒舌になったハカセから聞いたところによると、「ユズルは基本的に人間不信」なのだそうだ。詳しくは光一郎も訊ねはしなかったが、中学生の頃に体型の事でハルナがクラスメイトたちから執拗な苛めに遭ってから、ユズルは変わったという。 『 バカな思い込みだと、ぼ、僕は思うけどね。ユズルはハルナが太ったのは、じ、自分が作った甘い菓子のせいだと、お、思ってるんだな。ハ、ハルナが苛められたのは自分のせいだと、お、思っているわけだ。それであいつは僕たち以外と、く、口をきかない」 北川は別だけれどと付け足して、ハカセは頬をひきつらせながらも慣れない笑顔を見せて続けた。 『 ぼ、僕らは3人で十分だ。周囲の奴らはつつ冷たくて信用がならない。……そうだな、北川も、そそその親友っていう2人の事は、きっと他とは別格だろう?』 普段から喧嘩ばかりでくだらない応酬ばかりしているように見える3人だったが、これでどうにも結ばれた絆は強いらしい。その話を聞いてからというもの、光一郎は3人を「ただの変な奴ら」から「ちょっといい奴ら」へと印象を変えた。勿論、3人には内緒で。 そしてその後光一郎はらしくもなく、修司と正人の顔をつい思い浮かべてしまったのだった。 「 完成品の方はさ」 その時、物思いに耽っていた光一郎の耳にユズルのうきうきした声が入ってきた。 「 俺、ある人にプレゼントしたいんだよね。ケーキ本体だけじゃなくって、包装とかも完璧にしてさ。可愛いリポンもつけたいね」 「 へえ。誰に?」 思わず光一郎が訊くとユズルはぱっと顔を明るくして勢いよく言った。 「 光一っちゃんの弟君」 ユズルのその台詞に光一郎は目を丸くした。 「 俺の弟に…? 何で?」 「 弟ってのがな…。妹ならちょっとは興味があったんだが」 「 何想像してんだよ」 つまらなそうにため息をついたハルナを嫌そうに見やったものの、ユズルはすぐに明るい笑顔に戻ると続けた。 「 弟君は甘い物が好きなんだろ」 「 俺、そんな事言ったっけ」 「 言ったよ。俺がケーキ出す度に弟なら喜ぶかもって何回も言うじゃん。光一っちゃんて俺らの中では一番まともだけど、実は結構なブラコンだよねー」 「 い、1日に1回は弟の話題が出るからな」 「 そう…かな」 「 無意識か」 ハルナは考え込むような光一郎を鼻で笑った後、差し出されたフォークでケーキのてっぺんに乗っていたいちごをぶすりと突き刺した。 「 そういえば光一郎は弟と2人暮らしだったな」 「 ああ」 「 名前は何と言うんだったか」 「 友之だけど」 「 ああ、そうだ。光次郎ではないんだった」 「 ハルナのところは松子、竹子、梅子だもんね」 ユズルがけらけらと笑うとハルナは苦虫を噛み潰したような顔をして頷いた。 「 長女でまだマシだったというところか。お陰で下2人の妹とは諍いが絶えない。私だけまともな名前をつけてもらえて贔屓だとな」 「 そうかな。俺は梅ちゃんが一番可愛い名前って思うけど」 「 で、でもとにかく兄弟がいるのは羨ましいよ。ぼ僕も欲しかったな。弟とか妹」 ハカセの意見にユズルも大きく頷いた。 「 俺も! 俺は絶対兄ちゃんが欲しかった。長男じゃなかったら会社がどうのとかって面倒な事言われないで済んだしさぁ。さっさとハルナのとこに吸収されちゃえばいいんだよ」 「 息子がこれでは父上も苦労する」 「 ふん」 ハルナの説教めいた口調はもう慣れっこなのか、ユズルはすぐに視線を光一郎に戻すと興味津々の顔で口を開いた。 「 なあそんな事より今度さ、写真とか持ってきてよ。光一っちゃんの弟君、顔見たい。それでまた俺の弟君に捧げるケーキのイメージも固まると思うしさ」 「 ……嫌だ」 「 えっ、何でだよ!」 「 何でも」 頑なな光一郎の態度にハルナが笑った。 「 これは正真正銘のブラコンだな。自分の可愛い弟を人目に晒したくないと見える」 「 どうとでも言え。とにかく、絶対に嫌だ」 「 隠されるとますます気になるよ」 ユズルはそう言うとハルナに何やら物言いたげな顔をしてみせ、次にハカセに目をやった。光一郎が嫌な予感を抱きながらも黙っていると、案の定というかでハルナが最初に口火を切った。 「 それでは賭けるとしようか。光一郎の弟は可愛いか否か。この際の可愛いという概念はただ単に見目が万人ウケするというのではなく、私たち3人から見て可愛いと認められるものかどうかだ」 「 絶対可愛いって。光一っちゃんが目に入れても痛くないって言ってるコだよ? 俺は断然、可愛い方に賭け……って言いたいところだけど〜」 「 ちょっと待て、俺がいつそんな事を―」 「言ったんだ」と問い詰めようとしている光一郎にユズルは声を被せると続けた。 「 言いたいところだけど、俺は可愛くないって方に賭けるよ」 「 え」 その台詞に光一郎が瞬時に固まると、ユズルは申し訳なさそうな顔で柔らかな茶系の頭髪をかきまぜた。 「 だってさ、たぶん俺から見たら光一っちゃんの弟は文句なく可愛いって思うんだろうけど。問題はコイツ。ハルナも可愛いって思わなくちゃいけないわけだろ? ハルナはちっちゃい女の子しか可愛いって思わない変態だから、コイツに認めさせるのは難しいでしょ」 「 ………」 するとハカセも眼鏡のフレームを上げながら頷いた。 「 本来、僕は賭け事などここ好まないんだが、賭けるとするならユズルと同じだ。ハルナのロリコンセンサーに反応するここ高校生男子が現代の日本社会に生息しているとは、お、思えない」 「 ハカセ、お前までロリコン言うな」 ハルナは「こいつら好き勝手言いやがって」と言いつつも、しかし2人の意見自体には同感なのか腕組をしたままニヤリとした笑みを浮かべた。 「 しかしまあ、当然の事ながら私もお前の弟は可愛くないという方に賭けよう。どうだ、悔しいだろう。3人が3人とも可愛くない方に賭けたぞ?」 「 お前らな…」 「 そうなると光一っちゃんはもう可愛い方に賭けるしかないよなっ」 「 ほほ本当に弟が可愛いのなら、この不名誉極まりない決めつけをだだ打破すべきだ」 「 知るかっ。何で俺がそんなバカ気た賭けに乗らなくちゃならないんだ!」 「 しかし既に頭にはきているようだが」 「 本当本当。光一っちゃんが怒るの珍しい。やっぱり弟君のこと悪く言われると変わるんだ?」 「 き北川の弱点見つけたり」 「 帰る」 「 え。ちょっと、光一っちゃん! ケーキ! ケーキの感想は〜!」 しかし1人慌てるユズルを振り返りもせず、光一郎はわざとらしく深いため息をついてみせた後は、もうそのままの足取りで教室を出た。3人のペースにあわせたままだとそのうち本当に友之に会わせろと言われかねないし、正直あの甘いクリームにはいい加減辟易していたのだ。 「 ったく、やっぱりあいつら変だ…」 3人は大学の中での「いちおう」大切な友人だが、だからといって「それとこれとは別問題」、友之を会わせるのはやっぱり抵抗を感じる光一郎なのだった。 さて、後に残された3人はというと。 「 ……帰ってしまったぞ」 ハルナが笑いを噛み殺しながらそう呟くと、ハカセも柄になく小さな笑みを零した。ユズルだけが慌てて光一郎が怒ったどうしようなどとのたうっていたが、2人になだめすかされた後はもう「当初の目的」を遂行すべく、余計にやる気を漲らせていた。 つまりは、そういうわけだったのだ。 光一郎が家でサッカー観戦をしていた友之に大きなデコレーションケーキを持ち帰ってきたのは。 2人の親友に試作品を味合わせながら、ユズルはぐっと拳を握り締めると天に誓うかのような格好でその時こう抱負を語っていた。 「 くっそー。光一一っちゃんのご機嫌直しの為にも、絶対とっときの最高傑作にしてやる! これは今夜も徹夜だな!」 |
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【おわり】 |