帰郷

「眠ィ。馬鹿じゃねーの、こんな朝早くから観光とか。視界最悪だし」
「この霧がかった風景がいいんじゃないか。文句言うならホテル帰ってていいよ」
「ふざけんなよ、散々叩き起こしておいて。今さら帰れとか意味分かんねえし」
「イテッ! だからって叩くなよ!」
  一瑠(いちる)は思い切り頭をはたいてきた友人・黒田を恨めし気に見上げて、「ああどうしてこんな男と思い出の夏期休暇旅行を、しかも2人きりでする羽目になったのだろう」と、すでに何度目かになる愚痴を頭の中で呟いてみた。
  本当は「異文化研究サークル」の仲間6人で行くはずだったのだ。5月から計画していて、その面子の中には一瑠が入学当初から気になっていた片思い中の女子もいた。
  それなのに、蓋を開けば皆が皆、直前になって「用事が出来て行けなくなった」ときた。
  幸いキャンセル料が発生する寸前だったから良かったようなものの…しかし皆が行かないから「自分もやめる」というには、この旅行はあまりに諦めきれないものだった。
  何故って、子どもの頃から行きたかった場所だ。
「ところでどうよ。久しぶりの帰郷は」
「は!? 何でお前、その話知ってるんだよ!?」
「知らないわけないだろ」
  黒田は欠伸まじりに「何言ってんだ」と言わんばかりの顔を見せた。
  日本は猛暑でも、この国の7月はまだ寒い。コートに両手を突っ込んだ格好で、黒田は未だ覚めきらぬぼんやりとした眼差しを向けてから、やがて遠くを行く小型ボートへ視線を移した。
  それで一瑠もつられたようにそちらへ目を向け、口を開く。
「けど、厳密に言えば帰郷とは違う。住んでた事なんかないのに、住んでたって言い張っただけだから、子どもの頃に」
「何なのそれ」
「さあ。そんな話したこと自体、俺自身もう覚えてないし。けど昔はそれこそ、こっちの通りの名前とか、住んでいた人のことまで言い出して、『帰りたい、帰りたい』ってせがんだらしい。うちのオカン、不思議現象とかファンタジーとか、その手の話が大好きだからさ、きっと俺の前世がここの国の人だったんだって、そりゃあ大興奮して言ってたよ」
「前世とか。キモ」
「う、煩ぇー! オカンが言ってたんであって、俺が言ったわけじゃないっ!」
  思わず赤面する一瑠に、黒田はすっとぼけた調子で笑う。この軽い感じが女子学生にウケていることは一瑠も知っているが、あの片思い中の彼女もそうだったらどうしようなどとちらりと思う。
「一瑠」
  そんな一瑠の嘆きは我関せずで黒田は続けた。
「けどお前も、そういう話が満更でもないから、ここへ来たいって思ったわけだろ」
「まぁ……そうなんだけど。あ! も、もしかして俺が一方的にこの国行きたいって希望したから、それで皆、実はここに来たくないってんでキャンセルしたのかな!? だとしたらどうしよう!」
  パッと浮かんだその考えに一瑠が先走って蒼褪めると、黒田は変わらずのニヒルな笑いを浮かべて「ばあか」と、今度は一瑠の尻をぺしりと叩いた。
「…ってえっての! もう何なのお前ー! すぐ俺に暴力振るうし!」
「ただの愛情表現じゃん」
「要らねーし! 心底要らねーし! あー。それにしても、ホントキレーだよなぁ。野郎2人で見る景色じゃないよー」
「まぁな。けどお前。ここへ来て何か思い出したりした?」
「えー? ああ何、まだ前世ネタ気にしてたの」
「割と」
  黒田は唇に笑みを湛えたまま、視線は依然として青闇の海へと向けていた。
  一瑠はそんな友人の横顔を不思議そうに見つめた。
  思えばこの男、普段から軽口ばかり叩いてやたらと絡んでくるが、気づけばいつでもこうして横にいる。
  そしてそのことを一瑠自身、まるで当たり前のように受けとめている。この旅行も、例え皆がキャンセルして行けなくなっても、黒田はこうしてついてくると確信していた。
  何というか、ずっと前から、この男がこうして自分の横にいるのは当たり前という気がして。
「知ってる、一瑠?」
  その時、黒田が不意に声色を変え、海とは反対方向を指さした。
「あっちの教会から向こうの通りを抜けた先にある砦」
「え? ああ、勿論。だって昔の俺、その砦を造ったのは俺だって言い張ったらしいし。だからここへ来る前にいろいろ調べたよ」
  一瑠の返答に黒田は何故だか嬉しそうな顔をした。
「そうか、感心。あの砦は、当時の王政に異議を唱えた彼の地の領主が、民衆と一緒に立てこもる為に築いたんだよな」
「…そうなの?」
「おい、調べたんじゃねーのかよ」
「え、えー…。ガイドブックにはそこまで書いてないっていうか」
「…ったく。城主の奴は、人を惹きつける魅力だけはあったが、基本天然で戦力にならんから、その友人の軍師が戦略立てて兵を動かして。物資も調達して。そりゃあ大変だったんだよ」
「へ、へえ〜…?」
  黒田もこの旅行に際して色々下調べをしたのだろうか。
  一瑠がそんなことを思いつつあんぐりと口を開けていると、その「現代の友人」はくるりと向き直って、その長身から居丈高な目で見据えてきた。口元には変わらず薄い笑みが張り着いている…が、それがどことなくいつもより不穏で、一瑠は思わず後ずさった。
「何か…お前、怒ってる?」
「何でそう思う」
「いつもより迫力も二割増しっていうか」
「ふうん?」
「怒ってる?」
「いいや? ただ、ここへ来たらソッコーで思い出すのかと思ったのに何も変わらんから。俺はまた待つことになるのかと思っただけだ」
「はあ…何を?」
  一瑠の質問に黒田は答えなかった。
  代わりと言うように、通りに軒を連ねるたくさんのカフェに目を向ける。
「……腹減ったな。飯行くか」
「って、イテ! また叩いた! 意味もなく叩くなよ!」
  一瑠は頬を膨らませて不平を述べたが、黒田はもうちらとも振り返らない。ただ再びコートに両手を突っ込み、その長い足でさっさと先を行ってしまう。まだもう少しこの風景を見たかった一瑠は不満だったが、置いていかれるのも嫌だったので急いでその後を追おうとして――。
「あ…?」
  不意にその友人の背に何やら黒い鎧のようなものが見えた気がして。
  一瑠はぴたりと足を止めた。
  違和感。
  錯覚?
  でも、どこかで見たことがある。
「黒田…?」
  恐る恐る呼び止めると、黒田がさっと振り返った。しかしその姿はあくまでも現代の装いだ。
  それは決して中世の鎧姿などではない。
「一瑠。早く来い」
「わ、分かったよ!」
  気のせいだ、きっと。
  一瑠はぶるぶると首を振り、黒田に呼ばれたこともあって気を取り直した。
「なぁ〜、俺食いたいもんがあるんだけどー!」
  そうして一瑠は生まれた時から傍にいるその友人兼幼馴染に、甘えた声で話しかけた。




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てな感じです。まずは前世もので攻めてみました。