通せんぼ2



  滉将(こうすけ)は最初、晴翔(はると)のことなど何とも思っていなかった。
  昔から口煩くて傲慢な親が大嫌いだったから、親元から離れたい一心で全寮制高校に進学したが、この学校は三年になるまで個室を希望することができない。人とうまくやるのは得意な方だけれど、同じ歳の奴と狭い部屋で共同生活だなんて率直に面倒だし、だるいと思っていた。
  しかし、晴翔は「イイ奴」だった。
  出会った当初の印象こそ、「カメラ小僧のキモオタ」という最悪なものだったが、晴翔は滉将が門限を破っても余計な口出しはしなかったし、よく話してみれば付き合いやすく、素直で楽しい奴だった。滉将たちの高校は甲子園常連校の野球部があることで有名だが、晴翔はそこの元エースで、現在は怪我で2軍に甘んじている花村(かむら)という選手に憧れてこの学校へ来たと言う。晴翔の趣味は自前のカメラで「自分がカッコイイと思ったスポーツ選手を撮ること」で、滉将はこれまでの作品も見せてもらったが、なるほど素人目にも「スゴイ」と思える作品が幾つもあった。晴翔はこの難関校の中で勉強は落ちこぼれの部類に入るものの、好きなことにかけては一途であり、才能もある。特段やりたいこともなく、ただ何となく生きている滉将には羨ましい存在で、純粋に応援したいと思える相手であった。
  だから、元来が人見知りという晴翔と他の寮生との間を繋いで友人作りに協力したり、時には勉強を見てやったり。いろいろ親切に「してやった」。それが心地良かった。晴翔が笑うと滉将も嬉しかった。晴翔に頼られたり感謝されると、空っぽな自分の一部が僅かながらでも埋まっていく想いがした。相変わらず外では中学からのガールフレンド達と遊んだり、適当に羽目を外したりしていたが、滉将にとって晴翔は間違いなく、自身の学生ライフの中心に位置する「親友」だったのだ。

  それがどうしてこんなことになってしまったのか。

「晴翔。滉将が迎えに来たぞ。行けよ」
「嫌だッ!」
  狭い部屋なのに、晴翔の姿は見えない。大方ベッドの中で布団でも被っているのだろう。
  滉将がそんな晴翔の姿をぼうと想像していると、ドアを開けた滉将たちと同じ一年の寮生が迷惑そうに肩を竦めた。
「珍しい…っていうか、初めて? お前らが喧嘩するのって」
「まぁな」
「どっちが悪いの?」
「さあ…。ハルかな」
「何で俺が悪いんだよ!」
  遠くから精一杯抗議する声。しかしやはりくぐもったそれだ。布団の中から怒鳴っているからそうなるのだろう、怒っているくせに顔を見せようとしない晴翔に、滉将は少しだけ不快な気持ちになった。これまで晴翔から露骨に避けられる、なんて目には遭ったことがない。だからかもしれない。怒っていてもいいから、とにかく晴翔の顔が見たいと、そう思った。
「どうする? 晴翔、今日は俺らん所で寝るって言ってんだけど。同居人はまだ帰ってきてないけど、お前らが良ければ俺はどっちでも」
「いや、連れてきて」
「お、おぉ即答か。分かった」
「嫌だ、俺は行かないぞ! あっ、何するんだよ、やめろッ」
  奥から晴翔の半泣き気味の声が聞こえた。級友から無理に布団をはぎ取られてベッドから引きずり出されたのであろう。抵抗しているが、所詮、晴翔はこの体育会系気質の多い寮内では誰にも敵わない、非力で小さなカメラ小僧だ。罪人のように部屋の入口へと引きずり出されて、晴翔はしかし、滉将とは目も合わせたくないとばかりに俯いていた。唇をぎっと噛み締めながら。
  先刻、この薄い唇に無理やりキスしたことを滉将はちらりと思い出す。勢いでしてしまったけれど後悔はしない。だってあの時はもう、どうしようもなかったのだ。
  ただ、今はもう少し冷静だ。
「ハル、戻ろ」
「はっ…離せ!」
  手を取ろうとしたが勢いよく叩き落とされた。そこでようやく目が合う。ぎっと睨むように見上げてきた瞳は少し潤んでいるようだった。あれは晴翔にとって初めてのキスだっただろうし、それがあんな形でいきなり行われて腹が立っただろう、当然だ。何よりショックだったに違いない。晴翔にとって滉将はただのルームメイトでしかない。
  いや、きっと気の知れた良き友人と思われていた。その親友に裏切られたと感じたからこその、この顔なのだ。
  晴翔が滉将と視線を交わしたのは一瞬だった。ずっと見ていることにも耐えられなかったのかもしれない、さっと横を通り過ぎると、わざと足音を立てて自室へと戻って行く。その後ろ姿を眺めていると、級友が「ホント、何があったんだ?」と訝しそうに訊いてきた。滉介はそんな相手には目もくれず、ただ晴翔が去って行った方向を眺めながら、「まぁ何とかするよ」とだけ応えた。
  部屋に戻ると、晴翔は自分のベッドの布団に潜り込んで小さく丸まっていた。つくづく、布団に潜り込むのが好きな奴だなと思う。
  滉介はベッドにできたその「小さな山」を見つめながら、先ほどまで晴翔が座っていた椅子に腰かけてその光景を暫し見やった。
  晴翔は何も言わない。しかし滉将が戻って来て無言の圧を向けてきていることは容易に分かるのだろう、もぞもぞと布団の中で身じろぎ、如何にも気まずそうな雰囲気を漂わせている。
  これは駄目だな、俺から折れないと。そう思って滉将は口を開いた。
「ハル、悪かった」
「……何が」
  思ったより返事は早かった。やはりずっと膠着状態でいることこそ晴翔は苦しいのだ。そのことに少しだけ安心して、滉将は努めて柔らかい口調で告げた。
「ハルも言っていた通り、ちょっと機嫌が悪かった。だからお前に八つ当たりした。さっき言った酷いことも全部取り消すし、無理やりチューしたことも謝る」
「ちゅっ、ちゅーとか言うなッ! 何だ、そのふざけた言い方は! おまっ、全然っ、反省してないだろ!?」
  晴翔はまだ布団から出てこない。しかしこの言い方はやはり間違っていなかったのだ、そう確信して、滉将は見ていない相手に肩を竦め、笑みを含んだ調子で続けた。
「してるって。ハルとずっと気まずいのは嫌なんだよ。仲直りしてくれ」
「…なっ、何で機嫌、悪かったんだよ…?」
「まぁ…………ちょっと、彼女と揉めたとか?」
「何だよ、その疑問形! ど、どうせお前のことだから、またいい加減なことして、不誠実な態度とって、彼女を怒らせたんだろ! どの彼女のことか知らないけど!」
「まぁそんなとこ」
「…………」
「それなのにハルが大好きな先輩とうまくいったみたいなノロケ話してくるから、ちょっとムッとして意地悪したくなった」
「のっ…、別に、ノロケじゃない…! そりゃ…確かに…浮かれて、たけど…」
「でもあの態度はなかった。マジ悪かった。ごめん。ホント。ごめんなさい」
「……ホモののろけとか言われて、傷ついた」
「うん。最低過ぎるな」
「第一俺…、俺、ホモじゃない…!」
「違うの?」
「違うっ。前から滉将、そういうこと言って、からかうけど! 俺は先輩のこと、憧れているだけだ…純粋に! スゴイ、本当にカッコイイ選手として! リスペクトし――イテッ!」
  勢い込んで起き上がろうとしたせいで、晴翔は狭い二段ベッドの天井に頭を打ち付けて頭を抱えた。その拍子にはらりとかけ布団が剥がれ落ち、ようやく滉将にもその姿が見えた。違った意味でだが、晴翔の顔はまた涙目だ。ああ可愛いなと思う。こういうドジなところも可愛いし、何だかんだで、あんなに酷いことを言った男をまだ友人として扱ってくれる。許してくれようとしている。そういうお人よしなところも、全てが愛しい。
  滉将は晴翔のことが好きだった。
「大丈夫か、ハル?」
「大丈夫じゃないよっ。思いきり頭打ったし! 全部滉将のせいなんだからな!」
「だから謝ってるだろ。何したら許す?」
「俺っ…、俺、あんなの…初めて、だったし!」
「何、チューのこと?」
「だっ、から、ちゅーとか言うなっての!」
「なら『キス』って言う? でもふざけて言わないと余計ハルが気まずいかと思ってさ。ホント悪い、悪かったよ。男同士なんだし、ノーカンでいいだろ? お前のファーストキスは俺じゃないから。大丈夫」
「何が大丈夫だよ、全然大丈夫じゃないよ! お前がノーカンって言ったって、そんなの俺は―…!」
  そんな風に思えない、と言おうとして、恐らく晴翔はその先の言葉を飲み込んだ。折角滉将がそう言ってキスの件もなしにして忘れ去ろうと持ち掛けているのだから、これ以上しつこく掘り下げても晴翔自身にも良いことはない。そのことに気づいたのかもしれない。
  きっとこれ以上この件については、互いにもう触れない方が良いのだ。
「……明日の宿題見せろよ」
  それで晴翔が提案したのが「それ」で。滉将は心の中で少しだけ呆れた。
「そんなんでいいのかよ。お安い御用過ぎるけど。何なら写しも俺がやるか?」
「駄目だ、筆跡でバレるから。それに、滉将の全部移したら全部当たっていて怪しいだろ、ちょっとは間違えたりしておかないと」
「写すのも大変だな。じゃあ、あとは、今晩の夕飯後のデザート、奢ってやるよ」
「………うん」
  少し間があって晴翔は頷いた。一緒に食堂へ行って夕飯をとることなど珍しくはない。いつもではないけれど、顔を合わせていたら共に行くことなど普通だ。
  でもきっと、まだわだかまりがあるのだろう。「嫌そうだな」と思って、滉将はため息をつきたくなるのを必死に堪えた。
  あの時は酷い怒りが先に立っていて、もう「どうにでもなれ」と思ったし、このまま晴翔の心が本気であの上級生投手の元へ行ってしまうなら、そうなる前に強引に手に入れても良いと滉将は本気で考えていた。無理にキスしたことだって後悔なんてしない。……そう言い聞かせている時点で怪しいものだけれど、あの行為に「悔い」などと、自分で認めてはいけないと、滉将は思う。
  けれど無理にキスした時の晴翔の驚愕と悲しみと失望とが入り混じった顔を見た時、そして勢いこんで部屋を出て行ってしまわれた時。滉将が咄嗟に思ったのは、「もう二度と晴翔に笑いかけてもらえない」ことへの恐怖だった。自分の本性がほんの少し垣間見えただけでこれなのだ。仮に自棄になって晴翔に無体を強いたとしたら、晴翔はもう二度と自分のことを見てくれない、笑ってくれないだろう。それは耐えられないとはっきり思った。
  それだけは、と。
  晴翔が「冗談で」済ませてくれようとしている、これが最後のチャンスなのだ。だから絶対にもうあんなバカな失態を見せてはいけない。今はまだ晴翔もぶすくれているけれど、このまま自分がこの気持ちを封印してしまいさえすれば、晴翔が認識している「藤村滉将」を演じ続けていれば、暫くしたらきっと晴翔は元に戻ってくれる。
  だから、努めて軽薄に。
  取り急ぎそれだけを取り決めて、滉将は自分のカバンから晴翔に渡すノートを取り出した。



  翌朝、晴翔は「寝たフリ」をする滉将を起こさぬよう、そっとした足取りで部屋を出て行った。昨晩も念入りにカメラの手入れをし、フィルムの確認とその他荷物のチェックをしていたが、予告通り、花村の朝練について行ったのだ。
  滉将はすぐに起き上がって部屋の窓から下の通りを見つめた。少し待っていると、大きなカバンを肩に掛けながらも、喜び勇んで駆け出て行く晴翔の後ろ姿が視界に飛び込んできた。以前から花村の朝練には隠れてついて行っていたが、今日は本人公認だから張り切り具合が断然違う。主人の元へはしゃいで駆け跳ねる仔犬のようだ。
  意図せず「バカ」という悪態が滉将の口から飛び出た。
  花村という男がどこまで晴翔のことを知っていたかは滉将の知るところではないが、そんなことは些末事である。肝心なのはこれから。きっと花村は会話を交わすごとに晴翔の良さに気づき、晴翔を好きになるだろう。そう思う。晴翔を気に入らない人間なんてこの世にいない、そんなおかしな確信を持って滉将は一気に胸が苦しくなった。こんなことは初めてだった。誰かを好きになって、その誰かが自分ではない誰かを好きで。滉将自身、これまで随分とたくさんの女の子たちを無碍に扱ってきたけれど、中には本気で向かってきた子もいたかもしれず、今になってその時の彼女らの気持ちを推し量ったりして、そんな己にまた自嘲してしまう。
「バカは俺だわ…」
  ガシガシと髪の毛をかきむしり、滉将はそれから急いで着替えを済ませると、自らも外へと飛び出した。晴翔を散々花村のストーカーだ何だとからかっていたが、今度は自分がそうなるのかと頭の片隅で慄然とする。しかし、そんな自分を止めることはできなかった。



  それから暫くの間、滉将と晴翔の仲は至ってうまくいっていた。表面上は。
  時間が合えば一緒に食事も行くし、部屋で宿題をやることもある。クラスは違うが、学校での連絡事項を確認し合ったり、年度末の試験やその後の休みについて雑談を飛ばすこともある。実に「普通」だ。普通のルームメイトの関係である。
  ただ、晴翔は前ほど滉将に勉強を教えてくれと言うことがなくなったし、花村のことも殆ど口にしなくなった。滉将が水を向けてやっとぽつぽつ話すくらいで、あの時の嬉しそうに報告する様子は全くといって良いほど見られない。それは周りの級友たちでは気づけない、けれど滉将と晴翔にとっては明らかに不自然な変化だった。
  だから滉将もいよいよ我慢できなくなって、花村の野球部の大会が始まる前日に思い切って話題を振った。
「ハルさ。明日の試合も観に行くんだろ?」
「んー? ああ、行くよ」
  卓袱台の前に胡坐をかいてカメラを弄る晴翔は、窓際からそう声をかけた滉将に気のない返事をした。
「花村は出ないの? ちょっとくらい出させてもらえそうな気配あるわけ」
「お前な…そうやっていつも先輩を呼び捨てにするのやめろ。…先輩は多分出ないって言ってた。というか、ベンチ入りメンバーに選ばれていないし」
「じゃあ多分じゃなくて絶対出られねぇんじゃん。なに見栄張ってんだ」
「棘! 言い方!」
  晴翔はむっとして声を荒げたが、恐らくは滉将が意図的に煽っているのは分かっているのだろう、すぐに静かになってまたカメラを磨き始めた。
  晴翔が使う勉強机の引き出しには、花村を撮った写真が大量に収められたアルバムがある。アイドル歌手じゃあるまいし、どれだけ撮るんだと呆れないでもなかったけれど、それだけ晴翔があの先輩投手に思い入れている証拠と思えば、あの引き出しの中身がいつでも気になる反面、滉将はただただ腹立たしくて、いつもどうにかなりそうになる気持ちを抑えるのに必死だった。
  それでも部屋にいる時は、何故だかいつもあの引き出しに目が行ってしまう。晴翔はこうしてしょっちゅうカメラを触っている割に、滉将の前でそれらアルバムの整理をする様は見せないのだ。一体いつ取り出しているのか。
「何見てんの」
  不意に晴翔が声をかけてきたので、滉将はハッと瞬いた。いつの間にか疑わし気な視線がじとりとこちらを向いている。
  滉将はごまかす為、わざとおちゃらけて返した。
「ハルはさ、いつ花村に告んの」
「は?」
「もう大分仲良くなっただろ。そろそろ言ってもいいんじゃね? 『ボク、前から先輩のことが好きだったんです』ってさ」
「……告らない。俺は先輩のこと、そういう目で見てないって何度も言っているだろ」
「ふうん…」
  怒りもしないし照れもしない晴翔の微妙な反応に滉将が拍子抜けして返事を鈍らせると、当の晴翔はふと作業していた手を止めて、またじっとした視線を向けてきた。今度はあの疑わし気なそれではなかったが、滉将はそれに多少なり驚いて「何?」と腑抜けた笑いをして見せた……が、晴翔は「別に」と言ったきり、またカメラを磨き始める。
  そして暫しの沈黙。
  けれどそれは長く続かなかった。滉将がその微妙に気まずい空気を壊そうと口を開きかける前に、晴翔が先に破ったのだ。
「お前はいつちゃんと告るんだよ」
「え?」
「好きな相手に」
「……何? 誰のこと? 俺、何か最近で誰かのこと何か言ったっけ」
  実際に覚えがなかった。「あの時」以来、何だか夜遊びもする気が起きなくて、滉介は他の寮生が驚くほどに真面目な学校生活を送っていた。その為、必然的に門限を破ることも、晴翔に外の「彼女」の話をすることもなくなっていたのだ。
  というか、実際に彼女などという体の良いものはもうとっくにいない。
「俺、中途半端なのは嫌なんだ。もう黙っていられない。だってこんなのおかしいと思うから」
  ところがカメラを机に置いた晴翔が、急にハアと大きくため息をついた後、滉将にきっぱりと言った。
「滉将はさっ。その、もしかしなくても、おっ…俺のことが、すっ、好きなんだろ!?」
  滉将が絶句していると、その無機的な表情に焦ったのか、晴翔は堰を切ったようにまくしたて始めた。
「そうだろ!? いい加減、はっきり言ったらどうなんだよッ!」
「……何言ってんの」
  とりあえずそう言うしかなかった。晴翔が何をもってそんなことを言い出すのか、滉将には本当に分からなかったから。この数週間あまり、滉将は必死に自分を覆い隠そうと努力した。晴翔が花村と楽しそうに過ごす風景を毎朝眺めても、それで胸が潰される想いがしても、晴翔の前では努めて笑顔でいたというのに。
  何故、晴翔の方からこの平穏な生活を崩そうとするのか。
「何で滉将はさ…朝凄く弱いはずなのに、毎朝練習見に来るの」
「はぁ…?」
「とぼけるなよ。見てるじゃん、俺が知らないとでも思ったのかよ。そりゃ…俺も気づいたの…つい最近だけど。でも、滉将いつもいるし、それを俺に言わないし。ただ見ているだけでさ…それって…それって、つまり、やっぱり、あの時のことって冗談じゃないんだろ…」
「あの時のことって」
  よくも声が出たものだと思ったけれど、思ったよりははっきりと出た。しかし凄味があったのかもしれない、晴翔はあからさまにびくついて身体を跳ねさせ、警戒したように滉将を見て仰け反った。幸い背後の二段ベッドに頭をぶつけることはなかったけれど。
「滉将がさ、俺に…してっ。その、キスして! その後、俺と花村先輩のこと、邪魔してやるって言った時、俺、怖かった! す、すげえー、怖かった! 何だこいつって思った、だって滉将、見たことない真面目な顔してたしっ。スゴんでたし、俺のこと! 前に田村が滉将の中学時代の話して、女絡みで他校の不良と喧嘩することもあって、すげえ強かったって聞かされたことあったけど、そん時のこと思い出したし! それくらい、怖い顔してた! け、けど、あの後急にまた元に戻って、あれは冗談だって。俺にも謝って! 俺は、ホッとした。あの時は確かにホッとしたんだ!」
  一人でべらべらと喋る晴翔の唇を、滉将は黙って見つめた。何を言いたいのかさっぱり分からない。次々に話が飛んでいる。それでも必死なのは分かる。何かを伝えようとしている。だから黙っているしかなかった。実際、滉将も窓際の壁に寄り掛かったまま、一歩たりとも動けなかった。
  晴翔はまだしゃべっている。
「で、でも、あの後、俺と花村先輩が話しているとこ見ている滉将に気づいちゃって、俺、お前のこと見ちゃって、あって思ったんだ。幾ら鈍感な俺だって分かるぞ!? バカにするなよな、やっぱり、あれが冗談なわけなかったんだ。本当はもっと最初から分かってなきゃいけなかったけど、俺、怖かったから知らないフリしていたのかもしれない。それは俺、男として卑怯だった。でも、だから、もうごまかしていられないって思って。何でお前、俺と花村先輩のこと煽るみたいなこと言うのっ。あんな目で見ているくせにっ。本当は俺のことすっ…好きなんだろ!?」
「あんな目ってどんな目」
「え?」
「俺がお前をどんな目で見ていたの」
  滉将が訊くと、晴翔は恐る恐ると言う風に上目遣いで見た後、「何か…すごく、悲しそうな目…」と答えた。
「……それで」
  本当は激しく動揺してしまった。けれども醜態を見せるわけにはいかない。滉将はぐっと窓枠にかける手に力を込めつつ、平静を装って続けた。
「それで、そのハルの戯言が本当だったとして、だったらどうするの、お前は」
「た、戯言!? 戯言なのかよ、これは!? 俺の勘違いだって言いたいのか!?」
「そうは言っていない。ただ、仮に俺がお前のこと本当に好きだったとして、お前はどうするの。これから先、まだ卒業まで2年あるよな。3年になったら個室になるとはいえ、俺との共同生活はまだ約1年残っている。その間、お前どうするの。俺に襲われても別にOKって言いたいわけ?」
「そっ、そんなこと言いたいわけないだろ!? というか、『仮に』って言い方ずるいだろ、好きなんだろ!? 俺のこと好きなんだろ!」
「……まぁ好きかも」
「何だよ、それ! 俺は男としてきっぱりと言うぞ、俺はお前を好きじゃない!」
「はぁ!?」
  いきなり大声を出して目を剥いた滉将に晴翔は「ひえっ」と声を上げた。それから慌ててフォローする。
「す、好きっ! 好きではある、友達としてなら! け、けど、そっち系の、そういう意味では好きじゃないの!!」
「……てめえ」
  そういうことをはっきりさせたくなかったから、せめてずっと穏やかな関係でいたかったから、こちらは我慢に我慢を重ねて笑顔を作っていたというのに、この仕打ち。滉将は呆れや怒りの感情を通り越し、妙な笑いを浮かべてしまった。決して楽しくなんてない、現に口元が歪んでいるのは自分でも分かる。
  その微妙な「笑顔」が晴翔にはまた相当恐ろしかったらしい。またしても「ぎゃっ」と意味不明な声を発し、しかし何のガードか、両手を顔の前に差し出しながら懸命に叫ぶ。
「こういうことはハッキリさせた方がいいんだよっ。だってそれこそ、これからずっと同じ部屋にいるんじゃん、ルームメイトじゃん! 何なら部屋、誰かと代わってもらってもいいけどっ。でも俺は! 滉将とは、これからも仲良くしていたい!」
「ハル」
「だって滉将、宿題見せてくれるしっ。デザートくれるし、俺に優しいから!」
「おい…」
「滉将、俺をこういう男と思ってなかっただろ!? 俺を優柔不断なキモヲタのカメラ小僧と高をくくっていたろ!? 残念でした、俺はこんなにも男らしいんだからな! そんな男の俺を何で好きなのか全然分かんないけど、花村先輩みたいなカッコイイ人を好きになるならまだ分かるけどっ。そうだよ、そもそも何でお前、俺なの?」
「よくもまぁそんなにペラペラと…。しかもこの期に及んでまた花村の名前なんか出しやがって」
「だって元はと言えば花村先輩のことでお前が誤解して…こんなことになったんだし」
「じゃあお前は本当に花村のことは何とも思ってないんだ?」
「お、思ってないよ…」
「何でそこでどもるんだよ」
  はあと自然大きなため息が出て、滉将は両手で顔を覆った。何だかバカバカしくなってしまう。何がどうしてこうなった。確かに、何でこんな「バカ」を好きになってしまったのかとも思う。否、「だからこそ」か。晴翔か「こう」だから好きなのか。あぁそうだ、やっぱりとても好きだと直後にまた思ってしまい――。
「病気だ…」
  だからつい、そう自分を評してしまった。晴翔が「え?」と間の抜けた顔で聞き返してきたが、答えられない。ただもう、こういう晴翔が好きなんだと思うだけだ。ごまかしがきかなくて、嘘が嫌いで、だから真っ直ぐこんな風に向かい合ってきて。だから晴翔の写真はいつでもあんなに人の胸を打つのだろうとも思う。偽りがないから。
「どうしたんだよ、滉将…。病気って…具合でも悪いのか」
「……まあな」
「俺のせいか?」
  晴翔がしょんぼりしてそう訊いてきた。思わず顔から手を外すと、晴翔が申し訳なさそうな顔をして正座していた。思わずぷっと笑ってしまう。それからずかずかと近づいてその場にしゃがみこみ視線を交わすと、晴翔はやはりびびっているようではあったが、逃げはしなかった。
  だからそんな晴翔の顔を覗きこみ、伸びすぎた前髪を指先でちょいとかき上げてやりながら努めて優しく言う。
「俺いま、盛大にフラれた気がするんだけど、気のせいか」
「……いや。ごめん。でも、気のせいじゃない…」
「俺じゃダメか?」
  ここはなるべく真剣に訊いてみた。すると晴翔もまた真面目な顔で自分の髪に触れている滉将の手を掴み、神妙な様子で返してきた。
「お前勘違いしているよ…。俺、男の人とか好きになる、そういう人じゃないから。滉将だってそうだろ、あれだけ女の子と遊んでおいて。何で急に俺になるの…絶対おかしい」
「だってお前可愛いじゃん」
「なっ…何言ってんの?」
  晴翔が警戒したように足を崩そうとしたが、正座をしていたせいで逃げるのが遅れた。滉将がぐいと顔を寄せて覆いかぶさると、もう晴翔はあっという間に捕まってしまう。足を折り曲げた不自然な格好で後ろに倒れて、「うわっ」とおかしな声をあげている。滉将はついまた笑ってしまった。
「なぁ。お前が竹を割ったように白黒つけたい、男らしい男だっていうのはよく分かった」
  上から縫い留めるように覆いかぶさった滉将は、さらに晴翔に顔を近づけてそう言った。
  晴翔の瞳に自分の不敵な目が映りこんでいる。と同時に晴翔の怖々とした顔も。
「俺のことを友だちとしてしか好きじゃないってこともよく分かったよ。けど一点だけ、お前も自分のこと分かっていないところあるぞ。花村についてのお前の発言は信じられない。ずっと見ていた俺が言うんだから間違いない。お前はあいつに恋してる」
「そ、そんなことないよ…」
「はっ、さっきと違って弱々しいぞ、口調が。―…そうなんだよ。お前は花村のことを好きだよ。気づいていないのなら、好きになりかけてるって言ってもいい」
「……だ、だったら、何?」
「だからさ。男が好きじゃないとか何とか、そういうのってすぐ変化するもんだし。偶々好きになった奴が、偶々男だったら、もうどうしようもないだろ?」
「………はあ」
「それが俺の場合、お前だったってだけ」
「滉―…むっ」
  呼ばれかけたのを口づけで封じると、晴翔は目を白黒させた。じたばたもがいて、背中を叩いてくる。それでも構わず強く口を吸うと、晴翔はぎゅっと目を瞑って急に大人しくなった。意外だけれど、これは良い方の意外。ああ、これはうまくいけば飼い慣らせるかもしれないなどと、不埒な考えがちらりと浮かぶ。
「一回フラれたくらいで諦められるなら苦労しないっつーの」
  そうして滉将が至近距離でそう囁くと、ぱちりと目を開けた晴翔が泣きそうな顔をして「滉将…」と掠れた声で呼んだ。だから滉将はそれに返事する代わりにもう一度、ちゅっと音の出るキスを唇に落として不遜に笑った。
「お前が気づいたら気づいたで、じゃあ遠慮なく邪魔させてもらうわ」
  俺もお前に本当の俺を出してやるよ。
  そう言ってやると、晴翔は眉を寄せて何とも複雑そうな顔をした。しかし何も言わない。二度もキスされて言葉を失ったのか、それとも滉将が己を偽るのをやめると宣言したことそれ自体は、晴翔としては困る一方、大切な友人としてはとりあえず良しと思ったのか。
  考えあぐねていると、やがて「ぽすん」と力のないパンチが背中に当たった。滉将がそれに気づいて目を見開くと、それをした晴翔はもう一度「滉将」と呼びかけた後、「こんなのもう絶対ノーカンにならないじゃないか…」と涙声でこぼした。
  だから滉将は笑いながら「そうだな」と返し、「今度はもう謝らねぇぞ」と言って再度、晴翔の唇に深くて熱いキスをした。




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同じキスオチですが、1作目とは「凄く」変化したと主張したい。