通せんぼ
指定キーワード:「横恋慕」・「高校生」

  信じられない。
  晴翔(はると)は自分の身に起こった事に動転し、けれど天にも昇る気持ちで目の前の花村(かむら)を見つめた。今までこんなに近くからその顔を拝めたことはない。何故って相手は晴翔にとってほとんど「アイドル」であり、いつも遠くから眺めるだけの存在。同じ学校とは言え、学年も違う、住む世界も違うとあっては、本来なら卒業まで口をきくことすら叶わない相手だ。
  それなのに、花村は晴翔のことを知っていた。
「知っているに決まってるよ。いつかちゃんと礼言わなくちゃって思ってた。いつも写真ありがとうな」
「い、いえ! あんな…勝手に送りつけて迷惑かなって思ったんですけど」
「とんでもない」
  花村は柔和な笑みを浮かべてポケットから数枚の写真を撮り出した。途端、晴翔は顔から火が出そうになった。勿論「被写体」に文句はない。その美しいフォームにも。ただ、いざ自分が一方ならぬ想いを持って撮ったその作品を当の本人から出されると、どうしても恥ずかしくなってしまった。
  しかし花村の方はそんな晴翔に頓着した様子もなく、嬉しそうに自分自身が写っているそれを見やって言った。
「1軍はちゃんとマネージャーがビデオ回して厳しくフォームチェックしてくれるけど、俺はもう見限られているから。こういうの、凄くありがたい」
「み…! そんな! 花村先輩はまた絶対1軍に戻れますよ! 絶対!」
「ありがとな。うん、俺、頑張るから」
「はい…!」
「あのさ、これからも良かったら時々でいいからこういうの頼める? ホント、臼井(うすい)が暇な時でいいから」
「俺、いつでも暇です!」
  ほとんど悲鳴のような高い声で晴翔はすかさずそう応えた。花村はそんな晴翔に一瞬はぎょっとしたように目を見開いたものの、すぐにまた優しい笑みを浮かべて「頼むな」と言った。
  こんなに「嬉しい」と思ったのは、生まれて初めてのことだった。

  だから。

「ふふ…ふふふふ」
  寮へ戻ってからも、晴翔の頬は緩みっ放しだった。着替えもせず花村と交換したアドレスを眺め続け、明日も早朝の自己練についていこうと決めた。忘れないうちに目覚ましもかけておこう、フィルムも予備をたくさん常備しよう。そんなことを考えつつ、とにかく浮かれて、机上のスマホから手が放せかった。
「ただいま」
  そんなことをしているうちに、同室の滉将(こうすけ)が帰ってきた。晴翔の高校は全寮制の男子校で、同室の人間は同学年のうちの誰かとランダムに組まされる。
「珍しいじゃん、こんな早いの」
「気分」
  カバンを乱暴にベッドへ投げ捨てた滉将は機嫌が悪そうだった。晴翔が見る限り、滉将はとても気分屋だ。それに成績こそ優秀だが、基本軽薄な男で、しょっちゅう外で女の子と遊び回る門限破りの常習、真面目な晴翔から見たら「軟派な不良」だ。
  そんな正反対の、正直「合わない」と思うクラスメイトとの同居生活は入学当初、苦痛以外の何物でもなかったが……1年も経てばさすがに慣れというものが出てくる。
  どうせ今日も何人かいる彼女のうちの誰かと喧嘩でもして、それでこんな仏頂面なのだろうと、晴翔は軽く構えて椅子の背に肘をのせながら話しかけた。
「あのさぁー、今話していい?」
「嫌だね」
「そう言うと思ったぁ! けど聞いてもらうからな〜へへへ…! お前がなぁ〜散々俺を馬鹿にして、望み薄だ何だって言ってた花村先輩と、今日、じゃーん! メールアドレスを交換したんだぁ!」
「あ、そ」
「もっと驚けよ! もっとリアクションしろよー!」
「どうでもいい」
  じたばたと両足をばたつかせ不満気に叫ぶ晴翔を、しかし滉将はほとんど無視の体で切り捨てた。ブレザーを脱ぎ捨て、制服のネクタイを緩めながら珍しく大きなため息までついている。不機嫌を通り越して、露骨に怒っているような横顔だった。
  それでも晴翔は、このいつも意地悪なルームメイトに、何としても自分の今の幸せを誇示したくてしつこく話しかけた。
「花村先輩、俺のこと知っていたんだって。前から。俺が先輩の練習見ていたことも、写真撮って送っていたことも知っててさ、最初気持ち悪がられたらどうしようってドキドキしたけど、全然嫌がられてなかった。それどころかありがとうって! こういうの、助かるって言ってくれたんだ!」
「ストーカーをありがたがるって変態だな」
「うっ…ち、違う! 俺は、先輩のファンで――」
  そう、晴翔は花村に憧れてこの高校へやって来た。花村は今でこそ肩を壊して2軍に甘んじているが、毎年甲子園へ足を運ぶ名門野球部の元エースで、昨年までは晴翔のような「花村ファン」は学校内外に大勢いた。花村の投球フォームはプロのそれに勝るとも劣らず美しい。昔から数多くのスポーツ選手を撮ってきたカメラ小僧の晴翔から見ても、花村の姿はいっそ芸術ですらあったのだ。
  だから晴翔は花村を追い駆ける自分を恥ずかしいとも変だとも思わなかった。この滉将に「ストーカー」呼ばわりされるまでは。
「俺のことは悪く言ってもいいけど、先輩のことを変態とかそんな…そういうのはやめろよな」
「じゃあナルシスト? 自分の姿写真に撮られて喜んでるなんて」
「……ッ! もういい! お前なんかに話すんじゃなかった!」
「ホモののろけなんか興味ねーんだよ」
  グサリと胸を突くような言葉を浴びせられ、いよいよ晴翔は鼻白んだ。
  あんまりだ。滉将の口が悪いことは知り合った当初から分かり過ぎるほどに分かっていたが、ここまできついなんて。
  滉将は割と早い段階で、晴翔の花村への憧れから発展した恋心に気づいたが、それをからかっても、気持ち悪がったり差別したりといった態度は見せなかった。それに、背伸びして入ったせいで学習面に苦労する晴翔をいつもさり気なくフォローしてくれたし、人づきあいが苦手で寮生活に馴染めなかった初めの時も、持ち前の社交性で周りとうまく繋げてくれた。
  そういう「軽い」けれど「男前」なところが、滉将には確かにあったから。
  だから、「合わない」・「不良」とは思っても、「嫌い」だと思ったことはなかったのに。
「じゃあもういいよ…。もう滉将には話さないから」
  確かに、機嫌が悪そうなところに浮かれた話などして、自分も悪かったかもしれない、と。ほんの少しはそう思いながら、それでもやっぱり「滉将は酷い」という気持ちで、晴翔はぐっと唇を噛んだ。二段ベッドと勉強机が2つ並ぶと、もうこの狭い居住スペースはいっぱいだ。仲が気まずくなると何とも息苦しい空間である為、晴翔は暫しロビーにでも行って滉将から距離を取ろうと立ち上がった。
「……?」
  けれどドアへ向かう一本道の真ん中に滉将が立ち塞がっていて、通れない。
「何だよ…」
  小声でぼそりと文句を言いながら、晴翔は右へ避けてその横を通り過ぎようとした。
「むっ…」
  しかしそれも滉将に遮られ、通せんぼ。
  晴翔はいよいよ眉をひそめて、背の高い同級生を精一杯睨みつけた。
「どけよ」
「どこ行くんだよ」
「外だよ。今お前といたくないし」
「何。お前、怒ってんの」
「そりゃ…むかついたよ」
  正直に答える晴翔に滉将ははんと笑った。
「で? 教えてもらったメール使って早速花村に泣きつきでもする? ルームメイトにいじめられましたぁ、とか言って」
「は、何言ってんだよ…そんなことするわけないし…!」
「どうだかな。お前って媚びるのうまいから」
「はあ!? 何だよそれっ。どういう意味だよ!」
  幾ら機嫌が悪いと言っても、何故ここまで理不尽に当たられなければならないのか。
「どけって!」
  いよいよ頭にきて晴翔は滉将の胸を突いた。しかし相手はびくともしない。小柄な晴翔は元々が腕力で滉将に勝てるわけがない、だからはなから喧嘩をする気はなかった。
  けれど、ともかくはここから出て行きたくて。
「何するんだよ!」
「行かせない」
「なん…何でだよ! いっ…!」
  突き出した手は、そのまま手首をぎゅっと掴まれることであっという間に拘束された。その力があまりに強くて晴翔はきゅっと顔を歪めたが、滉将は無表情だ。
  そうしてさらにぐいと身体を押すと、滉将は窓際の壁にまで晴翔を一気に追い詰めた。
  ガンと、窓ガラスに頭をぶつけられる。晴翔は「うあっ」と悲鳴を上げて目を瞑った。
  そしてその暗い視界の中でいきなり唇を奪われた。
「んっ!?」
  驚いて目を開いた時にはもう遅い。滉将によって塞がれた口は不満も怒りも、それに動揺もどんな感情も伝えられない。ただ一方的に滉将の熱だけが送られてくる。しかもこれは何なのかと考える間もなく、二度三度と舐られ重ねられる口づけに脳の奥がじんとして痛くなった。
  晴翔にとってそれは初めてのキスだった。
「…何で…何―…」
  お前にとっては何度もしている、ただの嫌がらせにも出来る行為なのかもしれないけれど、自分にとってはそうじゃない。
「滉――…」
  そう言いたいのに、しかし口がうまく動かない。ただ一向に離れることのない、それどころか挑むように見つめてくる友人の瞳を、晴翔は無力に見つめ返すしかなかった。
「ハル」
  どのくらいそうやって見つめ合っていたのか正直晴翔には記憶がない。
  ただ、不敵に光るその目と真剣な声が紡いだ言葉だけは耳に強くこびりついた。
「お前をあの男の所へはやらない」
  軽い男じゃなかったのか。
  どうしてそんな顔でそんなことを言うのだろう。
  晴翔が固まったまま何も言えずにいると、滉将は再度そんな晴翔に有無を言わせぬキスをして、そして言った。
「徹底的に邪魔してやるよ」
  意地悪く上がった唇の端を見つめながら、晴翔は思わず震えてしまった。今まで見たことのない冷たい目。いつも笑って晴翔の話を聞いてくれる、あのルームメイトの面影はなかった。
  こんなに「怖い」と思ったのは、生まれて初めてのことだった。




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イメージ画像は私が選びました。まか子さん、お題提供ありがとうございました!