かわいそうね
指定キーワード:「春の雪」

  そんな単純なことに今まで気づかなかった。
  気づいたのはごく最近だ。それまでは素直に好かれていると信じていたから、あいつの「裏切り」も本当に突然のものとしか思えなかった。1年も付き合ってきたのに。何で? どうして? いつから向こうに傾いていた? そんなことばかり考えて、ただあいつのことが許せなかった。
  だって、別の奴を好きになったって言われて、その相手がよりにもよって自分の親友だったら―…もう最悪としか言いようがない。

「またこんな所で一人たそがれてる。みんな探してるよ」

  だからもう関わりたくないのに。顔も見たくない、言葉もかわしたくないのに。

「コータ」

  名前を呼ばれて俺は心底ウンザリした。それでも仕方なく振り返ったのは、これまでの努力をフイにしたくなかったからだ。今日で全てが終わる。あと少しの辛抱なのだからと。
  大勢の花見客でにぎわっている、ここは桜の森公園だ。やっと見つけた一人になれる場所だったけど、あいつは本当に目敏い、さり気なくみんなから離れた俺に気づいていた。

「何これ? これも桜の木だよな」

  いつもと変わらぬ笑顔であいつは言った。俺がさっきまで見上げていた桜の木を、同じように見やりながら。

「でも、死んでんのかなぁー、完全に枯れ木だ」

  ここだけ人が寄りつかないのも道理だ。敷地の外れに1本だけ植わっているこの木は確かにもう死んでいるようで、花はおろか葉の一枚もつけてはいない、完全なる枯れ木。まるでここだけが冬のまま。
  でも、あの凄く寒かった雪の日に……数年ぶりに舞い散った春先の雪の中で。
  こいつは俺に「付き合おうか?」と言ったのだ。まるっきり軽いそれだったけど、あの日は何となく落ちこんでいたから、妙に心に響いてしまった。だから、ただふざけ合うだけのクラスメイトだったのに、俺たちは恋人になった。

「あのさ…。今、2人きりになれて良かった。卒業前に一度ちゃんと言っておきたかったんだ。その…何て言うの、こういうのホントは苦手なんだけど。つまり、その……コータ、今までごめん。本当に」

  珍しく辛そうな、困った顔。普段は厭味なほど自信満々の奴だから、こういうのはちょっとレアだ。
  でも、多少なり良識ある人間ならもっと早くにこうなったと思う。今の今まで普通にクラスメイトをやっていた方がおかしかったのだ。卒業してから言い出すだなんて、むしろずるい。

「俺のこと殴って当然だったのに。ミツルのことも……あいつが、お前と切れるの嫌だって泣きついた時も許してくれた。……ミツルにはコータが必要だからさ。多分ただの幼馴染じゃない、あいつにとってコータって凄く大切だから。もしかしたら俺よりも」

  思わず嘲笑しそうになるのを何とか堪えた。こいつは一体何を言っているんだ。
  お前を殴らなかったのは、お前に触れるのも嫌だったから。
  ミツルを許すって……許してなんかいない。あいつが泣きついてあんまりしつこいから、俺はただ分かったよと応えただけ。けどその「分かった」は、せめて卒業の今日までは当たり障りのない同級生でいてやるという、ただそれだけの意味だ。“幼馴染の親友”だなんて偽りの看板はとっくに捨てている。ミツルとは家も近所で親同士も仲がいいから、下手に気まずくして両方の親からどうしただ何だと言われるのが面倒だったから、それだけだ。
  それに、ミツルが泣きついて俺が折れる、そういう形は子どもの頃からやってきたこと。だから今回も俺はそれをやってやっただけ。
  それも今日までのことだけど。
  俺はこの町を出て行って、お前たちとは二度と会わない。

「ミツル、コータの大学の近くで働きたいから今の仕事も辞めるって、散々ごねたんだよ。折角社長が正社員にしてくれるって言うのにさ。あいつって、ホントにお前のことが好きなんだよな…。今日の打ち上げも仕事がなかったら絶対来たかったのにって」

  そんなこと知るか。ミツルの話なんて聞きたくないし、そもそもお前とここで一緒にいるのも俺は嫌なのに。
  でも折角見つけたこの場所を俺が最初に出て行くなんておかしい。お前が先に出て行け。
  生まれ育った大好きなこの町を、俺はお前たちのせいで捨てるのに。

「でもそれは俺も同じで……ミツルとあんなことになって、コータ凄く傷つけたくせに今さら言えたことじゃないとは分かっているけど、でも、ミツルを心配するのと同じように、コータのことも心配しているよ。向こう行ったら、もう頻繁には会えなくなるのに、みんなから離れてこんなとこ来て…。やっぱ、ずっときつかったんじゃないかって」

  俺はそんなことないという風に、初めて微かにだが首を振って反応してやった。最後までそんなサービスをしてやる必要もなかったが、ずっと無反応ではこいつも去ってはくれないだろう。適当に受け流してこの場をやり過ごせればそれでいい。
  大体、仮にきつかったとして、今さらどうしてくれるというのか。
  俺より数倍「苦労性」で「きつい」ミツルにやってやったようなことをする? ミツルを愛し支えるだけでなく、リストラに遭って自棄になりかけたミツルの親父さんに仕事を紹介したり、秘かに借金して家庭崩壊の地盤を作ったミツルの母親にこっそりお金を貸してあげたり? そういう、「恵まれ過ぎてて」、「お金持ち」のお前や、お前の家がミツル一家にしてあげたようなこと……そもそも俺はしてもらう必要もないし。今さらお前に愛されたいとも思わない。お前の「性」に付き合うのはもう嫌だ。
  そう。
  俺が最近気づいたこと。
  お前は「かわいそう」な奴が好きなんだよな。
  あの雪の日、震えてしゃがみこんでいた俺にお前が声をかけたのも、俺があんまり惨めに見えたから。お前の「人助けしたい」センサーにばっちり引っかかっちゃったんだよな。
  でもお前って、お前という「幸運」を手に入れたそのターゲットが幸せになると、すぐさま興味をなくしてしまう。だから元々不幸体質でもない俺なんか、さぞかしつまらなかっただろう。それより昔から小さくて可愛いのに何でか恋人も出来ずにアルバイトばかりして、金遣いの荒い母親や職を失った父親に代わって家族を支えるミツルの方が何百倍も可哀想だ。お前が手を差し伸べるのにふさわしい相手だよ。
  ああ、こんな風に考えるだなんて。俺のこんな「気づき」なんて、所詮フラれ野郎のただの僻みにしか聞こえないな。
  でも。
  だからって、「俺の親友」って紹介したミツルを好きになって、ミツルもお前を好きになって。随分と長い間コソコソと「浮気」するなんて、そんな酷いこと、よくやれるよ。ミツルもミツルだ。コータは俺の1番の親友、何があっても俺だけはコータの味方だからなんて歯の浮く台詞、昔から何回も言っていてこれか。しかも極め付けは、それでも俺と切れたくない、だ。しまいには笑うよ。ああでも、人って一度幸せになるともっともっとと強欲になって周りが見えなくなるのかもしれない。だから俺もこいつと付き合っている時は、いろいろ勝手だったのかもしれない。可哀想とかそんなこと関係なく、フラれたのは単なる俺の性格の問題か。

「あの…でも、コータ。今日で終わり、じゃないよな? こっちに帰ってきた時はまた会えるし…俺がそっちへ行った時も会ってくれるんだよな…?」

  自虐思考に駆られつつ枯れ木を眺めていたら不意にそう言われて、俺は思わずあいつの顔を眺めやった。久しぶりに直視したこの元カレという存在は、こんなにも小さかったかというような頼りない空気を纏っていた。思えば別れを切り出され、それでも今日まで「普通の同級生」を演じてはきたものの、まともにこうしてこいつの顔を見たのはこれが初めてだったかもしれない。
  大して良くもない、どちらかというとうざったい顔だ。苦労知らずのお坊ちゃん。まぁ苦労知らずという点では、俺も同類に入るのかもしれないけど。こいつの場合は桁が違うからなぁ。

「ずっと感じてたことだけど、気づかないフリしてたんだ。これ言って、今度こそコータを怒らせたらホントに終わっちゃうと思ったし…。けどあの時から、やっぱりコータは俺にもミツルにも距離取って……あ、普通に接してくれようとしてたのは分かるんだけど! でも、やっぱり…当たり前なんだけど…もう俺たちのことは見限っているっていうか、見ないようにしているって思ってたから」

  そんなの当たり前だろう。

「そんなの当たり前だよな。むしろ今まで通りでいてくれってそんな無茶なこと頼んで、お前に辛い想いさせて、こんなのは最低だって分かってた」

  ……いいや、分かっていないね。お前がそれを分かったのは最近だろ。
  その最近気づいた理由っていうのも、今の俺にはよく分かるぞ。

「お前のこと好きだ何だ言ってた俺に裏切られて、しかもそいつと付き合うことになったのがずっと一緒だった親友のミツルで。最悪だよな、本当。なぁコータ。何で一度も怒らなかったんだ? ミツルのことも、今まで通り一緒にいてやって…無理に笑ってやって。俺たちが言えることじゃないけど、お前、おひとよし過ぎるよ」

  俺はいろんなことを諦めるのが早い。そういう意味では、他人に対しておひとよしと見なされる要素を確かにたくさん持っている。
  あの雪の日も、だから散々な目に遭った。ずるいことする奴らのとばっちりを受けるのは、いつだってクソ真面目に動く人間だ。何で俺ばっかりこんなこき使われてんだろう、別にこんなバイトいつ辞めてもいいのになんて文句を言いつつ、結局素直に働いて、そしたらあの大雪で電車が止まった。ただでさえ風邪気味だったのに徒歩で帰るしかなくなって、途中本気で疲れ切ってどこかの店の軒先に座り込んだ。雪なんて大嫌いだ。もうすぐ春なのにあきれるくらい大きな牡丹雪が空から本当に「しんしん」って音と共におりてきて。本当に不思議な光景だった。
  それで震えながらも黙って空を見ていたら、こいつが「コータじゃん、大丈夫?」って。声をかけてくれたんだ。
  あの時こいつの声がなかったら、俺はあのまま一晩中、あそこに座って雪を見ていたことだろう。

「そんな風に優しくしているの、疲れるだろ。無理が出るって言うか」

  まだ喋ってる。でももう俺は背中全部で相手を拒絶し、改めて桜の枯れ木を見上げてみた。
  みんなの元へ戻ればピンクの花びらをつけた、生きているソメイヨシノをたくさん見られる。今日のような晴天にぴったりの花吹雪を飛ばして、元クラスメイトらは勿論、大勢の花見客を盛り上げているに違いない。
  でも俺はそこにはもう行かない。あの日の春雪を思い浮かべながらここにいて、そして今日が終わったらここを出て行く。

「だから…本音を言って欲しいっていうか。辛かったこととか、言って欲しいんだ。本当は俺のこと怒ってたとかでもいいから。新しい所に行く前に、もう一度だけ俺と向き合って―…」

  あーあ。でもやっぱり、俺が先に去るしかないのか。
  仕方なく俺は再び向き直り、望み通りに奴の顔を見てやった。言いかけている時に俺が動いたから意表を突かれたのだろうか、あいつは驚いたように口を閉じ、でも再び何か言いたそうな顔をして唇を開きかけた。
  もちろん、「それ」を言えるわけがないけれど。そう、言えるわけがない。そんなことは許されない。
  でも、お前は思っている。
  もう一度俺を取り戻したいと、今は本気で思っている、そうだろう?
  何故って、それがお前の性だから。

「コータ…」

  今の俺は。
  独りでじっと枯れ木の前に立ち尽くし、黙ってこの町を出て行く俺は―…お前から見て、さぞかし可哀想に映るのだろう。お前という幸運を手に入れ、親友の俺をも失わなかったミツルは、今の俺より恵まれている……そう見えたとしても不思議はない。
  でも、ミツルはもうすぐ俺を失うよ。とっくの昔に失っているけど、これからは姿も見えなくなるし、偽りの言葉を交わすこともなくなる。完全に俺を失うのだから、そうしたらミツルもまた少しは可哀想な奴に見えるはず。少しは見えて欲しいと思う。
  だから、そうしたらまたミツルを愛し直せば良いのじゃないかな。
  ねえ。
  良く考えたら、そんな性を持つお前の方がよほどかわいそうだね。

「さよなら」

  罵倒の言葉はもう要らない。俺はどこか清々とした想いをもってあいつを前に笑って言った。
  ふと、背後の大樹から白い花びらが舞い落ちたように感じた。枯れ木のはずだ、もう死んでいる、葉もない大樹のはずなのに。
  俺はもう一度だけ振り返ってその木を見た。
  花はない。
  けれどまるでこの別れを惜しんでくれるかのように、餞別の白い花びらがひとひらだけ、風と共に俺の横を過ぎったように……見えた。
  それがとても温かくて、穏やかで。

  俺は昔の恋人を完全に視界から消すと、もう一度その大樹に「さようなら」と挨拶した。




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ミツルは捨て身で攻めと主人公を引き離した病み攻め…だといいな(笑)。