クラスメイト |
邦明(くにあき)は基本的に面倒臭がりなので、クラスの揉め事にはなるべく関わらないようにしている。 だから特に「いじめ」などというものは―…最も知らぬフリを通したい類のものだ。 「あのオカマ、遂に学校来なくなったな」 「あれだけ甚振られればな。ノリたちもスゲーしつこかったし」 クラスメイトの何人かがそう囁いているのが聞こえて、邦明は心の中で失笑した。お前らだって連中と一緒になってあいつを小突いたり嘲ったりしていただろう……そう思ったからだが、勿論、それをわざわざ口に出すことはない。そんなことをして、次に自分が奴らのターゲットになってはバカバカしい。 「え、何で?」 それでも邦明のような人間は、時に教師のターゲットとなる。 「お前、日村(ひむら)とはよく喋っていただろ」 帰ろうとした邦明を半ば無理やり職員室へと連行した担任は、至極真面目な顔でそう言った。 「最近あいつ、学校来てないから、配布物とか届けるついでに、様子見てきてくれ。家に電話しても誰も出ないんだ」 「だったら尚更、先生が見に行けばいいじゃないですか…」 「こういうのは友だちが行った方がいいに決まっているだろ。お前も気づいていると思うが、あいつはクラスの中で今ちょっと浮いてる。もしかしたら、それが学校へ来づらい理由かもしれない」 「はあ…?」 もしかしたらも何も、完全に「そう」だから来ないんじゃないか。 「俺、あいつと別に親しくないんですけど」 本音を抑えて、邦明は努めて事実だけを告げてみた…が、強面の担任は無碍もない。「とにかく任せた」と言ってプリントの束を押し付けると、後はさっさと帰れとばかり、邦明に向かって羽虫を追い払うように片手を振った。 「冗談じゃねェよ…何なんだよ」 確かに、部活にも入っていない暇人だけれど、こんな役目を負わされるなんて最悪だ。 「あー…めんどくさ」 邦明は職員室のドアを閉めた後、あからさまにため息をつき、愚痴をこぼした。 クラスメイトに「オカマ」と揶揄され「浮いて」いる日村圭吾(けいご)とは、中学が一緒だった。つまり、同じ学区だから家も近所ということになるが、クラス自体は高校で初めて一緒になったくらいなので、これまでは特に目立った接点もなく、担任が何をもって「お前らはよく喋っていただろう」と言ったのかはよく分からない。 「あーあ」 それでも雑に折りたたんだプリントをカバンに詰め込み、邦明はすっかり諦めて「塾の帰りに寄ればいいか」と独りごちた。何事にも諦めが早く、流されやすい性質だった。 それで、その夜。 「圭ちゃんなら裏の公園にいると思います」 プリントだけ渡して帰るつもりだったのに、錆付いたドアを開けて出てきた妹らしき少女は、邦明を見るなりそう言って「バタン!」と扉を閉めてしまった。 「ちょっ…」 せめてプリントを受け取ってから閉めてくれと思ったものの、もう遅い。あからさまに邪険にされたその態度にもう一度インターホンを押すのも躊躇われて、邦明は仕方なしに裏手にある児童公園にまで足を運んだ。 塾の帰りに寄ったから辺りはもう真っ暗だし、腹もすいている。幾ら諦めが早いと言っても、さすがに「何故俺がこんなことをしなくてはならないのか」と、腹立たしい思いがした。 「大体、こんな時間に公園なんかで何してんだ? タバコ吸ってるようなキャラとも思えないし…」 ぶつくさと文句を言いながらそこへ向かった邦明は、入口の所ではたと足を止めた。 なるほど児童公園よろしく、周囲を住宅で囲まれたそこには、派手な色合いの遊具がぽつぽつと置かれていて、昼間は幼子やその母親たちが集まる憩いの場であろうことが予想された。街灯が一つだから今の時間は仄暗くて物寂しいが、コンビニもないそこはいわゆるヤンチャ少年たちが管を巻くには不適当だし、敷地面積も圧倒的に狭い。 だから、これなら、確かに秘密の「練習」には好都合な場所かもしれない。 そのとても綺麗な歌声に、邦明は思わず息を止めた。 (何だ、この声…) その声が滑り台のてっぺんから降ってきていることに、最初、邦明は気づかなかった。 暗かったというのもあるし、滑り台の両端についたてがあったから、背中を向けているその歌い手が邦明の立ち位置からは殆ど見えなかったというのもある。 そのせいか、邦明にはその人間が声の後にふっと姿を現したような、そんな異様な登場の仕方をしたようにも見えた。 (でも日村……なん、だよな。たぶん) 視力は良い方だが、邦明は目を窄めながらそろそろとその遊具へ近づいた。相手は邦明が公園に入ってきたことに気づいていない。緩やかに流れるその歌声、切ない恋を語るその囁きは、普段そういったものにまるで縁のない邦明の胸にも熱く迫る深い情感が込められていた。 邦明が声を掛けられずに、どれだけの時が経ったのだろうか。 「はぁ……。もっと大きな声でやりたいけど……」 最後まで歌い切ったのだろう、滑り台の歌い手―日村―は、ふとため息を漏らしてそう呟いた。 そうして邦明がその言葉を聞きハッとし身じろいだのと、日村がおもむろに振り返ってきたのとは、ほぼ同時だった。 「ふわあッ!?」 「わっ!!」 最初に素っ頓狂な声を上げたのは日村だ。次いで、それを聞いた邦明も。先刻の歌声とはまるでトーンの違うその驚愕声に圧倒されて、邦明は思わず後退し、手にしていたプリントをバラバラと地面に落とした。 「え!? わ、何!? く、くにあき、君!?」 焦ってプリントをかき集めている邦明に、滑り台の上から日村がさらに仰天した声を上げた。 「えっと、その」 何だかバツが悪かった。 邦明はすぐに応えられず、ごまかすように散らばったプリントを拾い続けた。すると日村もすぐやって来て、わたわたしながらくしゃくしゃのプリントを手に取り、それを邦明に渡した。 そうして視線をあちこちにやりながら、邦明に「どうしたの!?」と訊いた。 「いや、まあ。あ、違う、コレお前の!」 邦明は一度渡されたプリントを日村に再び突き返した。真正面でそれを受けとめた日村は、その何枚かの、今やただの紙クズにしか見えないしわくちゃのプリントを抱えたまま、不思議そうな顔で邦明を見つめた。 片方は長い前髪に隠されていたが、もう片方の目はくるくると大きくて、周囲の暗さに反し、光ってすら見える。日々、メイクで必死に大きな目を作ろうと奮闘しているクラスの女子達が見たらさぞかし悔しがるだろう。実際目だけではない、日村は実に可愛らしい顔をしていた。まじまじと見たことがないから気づかなかったが、なるほど彼が「オカマ」と言われ、からかわれていたのは、この容貌にも原因があったのではないかと邦明は思った。 また、長髪というほどではないが、柔らかな髪は首筋にまでかかっているし、その色は地毛なのだろうか、外国の血を思わせる栗色をしていた。背もさほど高くはなく、すらりとした身体つきに、細い手足。 本当に少女のようだ。こんな見た目だったんだ、と思った。 「これ、何…?」 どれだけ互いに沈黙していたかは定かでない。ともかく、邦明が日村をぼうっと観察していると、日村の方が先に口を開いた。どこか怯えた風でもある。邦明はハッとして身じろぎ、慌てて視線を横へ逸らした。 「学校のプリント! 担任が持ってけって言ってさ。お前、ずっと学校休んでるだろ、だから、何かいろいろ連絡事項とか宿題とか、たまってたみたいで!」 「あ………そっか。ありがとう」 「別に…いいよ。塾の帰りに、ついでに寄っただけだから」 「でも、くにあき君の家って、ぼくの家とは反対方向だよね」 「え?」 何で知っているんだ。 中学が同じと言っても、自分だって担任から渡された住所を頼りに、地図を見てやってきたのに。 そんな想いで驚いた顔を見せると、日村は急にカッと赤面して狼狽えた。 「あ、ごめん! くにあき君は知らないと思うけど、ぼくらって中学が一緒なんだよ。それで、何でかは忘れたけど、前に何かのきっかけで、くにあき君の家が明新団地の方だって知って」 「あ、ああ…。そうなんだ?」 「うん…!」 「えっと別に、俺も、お前と中学一緒って、前から知ってたけど」 「え、本当!?」 日村ががばりと顔を上げ、途端嬉しそうな顔を見せた。 邦明はそれに思い切りたじろいで、反射的に仰け反った。 何だろう。本当に、日村ってこういう奴だったんだ? 学校ではクラスの嫌な奴らに囲まれていて、声も聞いた記憶がないし、顔とてまともに見た覚えがない……だから。だから、こんな風に高く通る声が出せることも、ころころ表情が変わることも、邦明は今初めて知ったと思った。 「知らなかったぁ…。ぼくなんか全然目立ってないし、くにあき君とはクラスもずっと違っていたから、絶対知られてないって思ってた」 急にぺらぺらと話し出した日村をまじまじと見やりながら、邦明もつられたように声を発した。 「そんなら、俺だって別に目立ってなかったし。同じ中学って言っても、日村は知らないかもって思ってた」 「まさか! くにあき君は凄く目立ってたよ! テニス部でも一人だけ県大会に出てたでしょ?」 「え。まー…だって。あの部活、もともと人数、いなかったし」 自分がテニス部に入っていたことまで知っていたとは。内心で驚きながら、まぁ生徒数も少ない学校だったしなと思い直す。 「部員数は関係ないよ。いや、それこそ人数いない、まともな練習だってそんなに出来ない中で、1人だけ大会勝ち進んだんだから、やっぱりすごいよ。クラスの女子とかも、皆くにあき君のこと話してたし」 「へ、へえ…」 まるで自分のことのように嬉々として話す日村に、邦明はただ引いてしまった。 第一、中学の時のことなんて。 つまらないってわけではなかったけれど、特別楽しかったわけでもない。あのテニス部とて、学校が部活動には絶対入れという校風だったから、小学校の習い事の延長で何となく籍を置いていたに過ぎない。大会を勝ち進めたのも、たまたま強豪と当たるのが遅く、運が良かっただけだと思っている。 だから肘を痛めて高校ですっぱりスポーツ全般と縁を切ったことも、別に大した問題ではない。ただちょっと暇になったくらいで。 「結構告白とかもされてたでしょ?」 「え?」 日村が興味津々で訊いてきて、邦明はまた驚いて顔を上げた。何の話だっけ、ああ中学の話かと思って、邦明は渋い顔でかぶりを振った。 「そんなのあるわけねーよ。俺、女から告られたことなんて一度もない。罰ゲームみたいな感じで、ふざけて言ってきたような奴には何度か遭ったけど」 「えー! それ、ふざけてないよ! きっと本気の告白だったよ!? だってくにあき君、本当にモテていたもん!」 「………」 どうでもいいが、こいつはどうしてさっきから俺を「くにあき君」と呼ぶのだろう。 邦明にはそれが気になって仕方がなかった。断じて親しくない。ロクに話したことだってないのに。現に、こいつとて「中学一緒ということを知られていると思わなかった」と言っているのに。 しかしそのことをいちいち指摘して「馴れ馴れしくするな」とつっけんどんに対応するのも面倒だった。そもそも、それほど嫌でもないし。 それでも、日村のこのテンションには戸惑う他ない。 「えーっと、じゃあ。とにかく、それ、渡したから」 だからもう早々に別れようと、邦明がカバンを肩にかけ直してそう告げると、日村は急にハッとして恥じらうように赤面すると、ぺこぺことそれは低姿勢に謝った。 「ご、ごめん、何か勝手にべらべら喋っちゃって! ちょ、調子乗った! ホント、ごめんねっ。それに、わざわざこんな…ど、どうもありがとう!」 「いや、いいよ。……その、明日は学校、来るの?」 別に訊かなくても良いことだ。 それでも気づいた時にはそう口走っていた。多分、来ないだろう。来たって何の面白味もない、それどころか行ったらいじめられるだけの地獄のような場所だ。来るわけがない。 でも。 「えーっと。多分、明日も行かない。今週はちょっと行けないかな。バイトもあるし」 「え、バイト?」 けれど日村から発せられたそれは、邦明が予想していた答えであって、違うものでもあった。 日村は邦明から渡されたプリントを女子のように両手で胸に抱えながらこくりと頷いた。 「うん。今、短期でだけど、日中にバイト入れちゃってるんだ。夜も劇団の稽古があるから、全然勉強してない。はは、こんなんじゃテスト、やばいよね?」 「劇団? 稽古?」 頭にたくさんのハテナマークを浮かべる邦明に、日村はうんと笑いながら頷いた。 「去年から見習いみたいな感じで入れてもらってるんだ。ほとんどが20代から30代の人たちで構成されている小劇団。1人ずつノルマがあって、公演のチケット売らないといけないんだけど、ぼくは知り合いもそんないないから、いつも余らせちゃうんだ。だからせめてバイトして、貯めたお金分だけでもチケット買おうと思ってるんだけど。あ、これがバレると団長さんに怒られるから、これ内緒ねっ」 「いや…内緒も何も…。俺、その人のこと知らないし」 「あ、そうか! そうだよね、はははっ」 「……えっと、日村って」 帰ろうと思っていたのだ。日村とは別に友だちでもないし、用も済んだのだから。 けれど何だかもう、このまま立ち去るのは違う気がした。だから邦明は踵を返して再び公園内へ戻ると、傍の遊具に腰をおろした。動物の形をしたバネのついた椅子だ。 「そういうの、やってたんだ? もしかしてさっきのも、芝居の練習?」 「う…わあぁ…」 「ん?」 「やっぱり! さっきの見られてた!? 聞こえちゃった!? わーもう、恥ずかしい! 何も言われないから、平気だったのかなって思ってたんだけど!」 わたわたと身じろぎ、プリントで顔を隠す日村の恥ずかしがり方はまさに女子そのものだ。あまりに「らしい」ので思わず苦笑が漏れたが、邦明に気持ちが悪いとか何とか、そういった負の感情は湧かなかった。 それどころか、いよいよもって肩の力が抜けてきて、邦明はいたずらに椅子を揺らしながら淀みなく話した。 「聴こえてたよ、余裕で。すごい、上手いなって思って驚いた。でも、歌だけど…確かに、芝居って感じだったな、あれ。今思うと。ミュージカルっぽいっていうの?」 「あれは挿入歌と一緒に併せて喋るシーンだからね。でも、練習って言っても、ぼくは実際に出るわけじゃないんだ。あの役をやる人の代替で、しかも3番手」 「3番手?」 「うん。補欠の補欠って感じ? だからぼくが出る確率なんてほとんどない」 「ああ…」 「でも、勿論練習はしないといけないし、したいから。本当はもっとめいっぱい歌ったり台詞言ったりしたいんだけどさ、場所がないんだよね。家だと家族が煩いし」 「ふうん…。でも凄いな、役者なんて」 心からそう思って、邦明は純粋な賛辞を送った。無趣味な自分とは大違いだ。何をやるのも無気力で、面倒くさがり。そんな自分とは真逆に、打ちこめるものを持っている日村。 「あれ。でもさっきのって、何か台詞といい雰囲気といい、女の人って感じだったけど」 「うん。だって女性の役だから」 「そうなんだ!?」 「ぼく、基本的に女の人の役ばっかりだよ。こんな見た目だからさ」 照れたように日村は笑い、自らも滑り台の下部に腰を下ろした。 「本当はさ。もっといろいろな役をやってみたいんだけど、いつも同じような役しか当てられないんだ。まぁ、それすらちゃんとやれていないんだから、贅沢は言えないけどね」 「ふうん…。確かに、見た目である程度決まった役しかこないってことはあるのかもな。よく分かんないけど。けどむしろ、だからか。お前が女っぽいのって」 「え?」 「あ!」 しまったと思い、邦明は途端焦って椅子を蹴り、立ち上がった。 「悪い! いや、悪気はないって言うか…でも、傷ついたらごめん! けどほら、お前って学校でよくその…周りの奴らにそういう風に言われてたから…でもそれって演技のせいだったのかと思ってさ、そうだろ!? 女役ばっかりやっているから、自然そういう風になったって言うか! そうなのかなって思って!」 「大丈夫だよ、くにあき君に悪気がないのは分かるから。全然、傷ついたりなんかしてないよ?」 「…なら、良かった」 にこりと笑う日村に邦明は率直にほっとした。素直に凄いなと思えた日村に、自分があの軽蔑するクラスメイトらと一緒だと思われるのは嫌だった。 ―…否、日村がいじめられているのを見て知っていたのに、関わりたくないからと知らぬフリをしていたのだから、その時点で十分同罪なのだけれど。 急に自責の念が沸いてきたのは、日村という人物のことを少しでも知ったからだろうか。 邦明がそれで胸をモヤモヤさせていると、日村の方はそんな相手に気づかず飄々として語った。 「でも、演技とかは関係ないと思う。ぼく、元々こんな感じなんだよ。小さい時からよく“女男”とか言われてバカにされてたし。ぼく自身、男子と遊ぶより女子と遊ぶ方が、気が休まってさ…性格も男らしくないし。だから、クラスの人たちに色々言われるのも、しょうがないのかなって思うよ」 諦めたようにそう言って微笑む日村に、邦明は自分でも意外なほど胸を突かれた。 心底「仕方がない」と現状を受け入れてしまっているその姿があまりにいじらしかったし、彼の負わされている理不尽さには本能的にむかっ腹が立った。 「お前は何も悪くねーよ。言う方が悪ィよ」 だから真っ直ぐにそう言ったのだが、日村はそれに目を見張って驚きを示し、次いで心底ほっとしたような顔をして邦明に「ありがとう」と礼を言った。しかも、「くにあき君にそう言ってもらえるなんて、すごい、嬉しい」と頬まで染めて。 「いや…だって、そう思うから…」 むしろこれまで何もせず知らぬふりをしていた自分こそ申し訳ないと思った。 何だろう。 これまで全く関わりのなかった同級生なのに。今ほんの数分話しただけなのに。日村の演技を見たからだろうか。こんな風に人気のない公園で普段は目にできないものを見て、普段の退屈な生活では決して得られなかった会話を交わしているせいだろうか。 しかし理由はどうあれ、邦明は目の前の日村にとても好感を抱いたし、こうして話せたことが嬉しいと感じていた。 だから思い切って訊いてみた。 「あのさ…担任が…俺も、だけど。お前が学校来ないのって、あいつらに何かいろいろ言われたからなのかなって思ってたんだけど」 「え」 「だとしたら…今度からは、俺も出来る限りは助けるから。今までシカトしといて、今さらこんな風に言うのもふざけんなって思うかもしんないけど」 すると日村は微妙に困ったような顔をしてから、小さく笑った。 「そんなこと…本当、ありがとう…。でも、学校ではぼくに関わらない方がいいよ。ぼく、くにあき君には迷惑かけたくないんだ。それに、確かに学校は嫌だけど、休んでいたのはバイトのせいだから。終わったら、また行くよ。テストも受けなきゃならないし」 「……本当か?」 「うん。ぼく、基本的に図太いからさ。何言われても笑ってかわせるし」 「でも、無理そうなら言えよ。ちゃんと」 「くにあき君は、ぼくのことが気持ち悪くないの?」 どこか怯えたように、視線をあわせず日村がそう訊いた。 邦明はそれに惑いなく答えた。 「は? ねーよ。そんなの。お前すごいって分かったし。あるわけねーよ」 邦明が本心からそう力強く伝えると、日村は頬だけでなく顔中、また首筋までもを赤くして、堪らないというようにくっと俯いた。 「ありがと…ホントに。ありがとう」 それから日村はぱっと顔を上げて、ほどんと泣き笑いのような顔で礼を言った。だから邦明も心から笑むことが出来た。気恥ずかしいと思いながらも、「友情」という文字が頭に浮かびさえした。心の片隅では、こんなのはまるで自分らしくないと嘲りながら、それでも何だか嬉しかった。いつもだったらこんな生温い関係は、面倒なだけだし、要らないと思うはずなのに。 「………くにあき君」 しかし邦明がそんなことを考えている間に、急に日村が神妙な顔つきになって小さな声で呼んだ。 胸元で握られているプリントは、ぎゅうぎゅうに押し潰されていて、もうぐしゃぐしゃである。 「どうした?」 邦明がそれを怪訝に思い首をかしげると、日村はすぐに返答せず、ただ下を向いて、どこかもどかしそうな顔を見せた。 そうしてくっと、一度だけ唇を噛んで。 「“見ているだけで、良かったんです”」 日村は俯いたままの状態でぽつりと言った。 「え?」 「“子どもみたいに、ずっと追いかけていましたけれど、振り向かれずとも、それはそれで良かったんです。元よりあなたは、私を知らない。あんなもの、あなたにとっては何ということもない出来事でしたし。私は一つの景色でしかなくて。だから、見ているだけで良かったんです。こうしてあなたと話すまでは”」 でも今は、と。 日村は小さく囁いて、不意に邦明へと視線を向けた。片方しか見えないのに、その瞳には確かなパワーがあった。きらきら光るそれに、邦明は思わず吸い寄せられた。 だからその唇が。 “あなたに好きだと伝えたいです”と、そう発した時。 「……な」 邦明は暫し頭の中が真っ白になった。 その言葉の意味が体内に浸透していくのには時間がかかった。しかもそれが徐々に回っていくと、頬にカッと熱が走り、全身からどっと汗が噴き出すのが分かった。 けれどその身体反応をどうにかしなければ、否、その前にこの状況に何らかの対処をしなければと頭が動き出した矢先に、日村が先に片手を挙げた。 「――っていう、芝居なんだけど。くにあき君も、良かったら観に来てっ!」 「……え?」 「今チケットないけど! 今度渡すから! あ、勿論、お金は要らない! それじゃあ、プリント、ありがとう!」 「え? ちょっ、え!? ちょっ、おい…!」 邦明がきちんと止める間もなかった。 風のような素早さだ。日村はロクに邦明を見ることもなく、あっという間にその場からいなくなってしまった。本当につい今しがたまでそこにいたのかも疑わしいほどに、跡形もなく、その残存すら感じさせずに。 「なん…なんだ…? ああ…芝居? ああ…ただの…」 それでも邦明はたった今起きたことを消化しきれずに、人気のない公園の真ん中で所在なく、そして自分自身を納得させる為にぶつぶつと独り言を発し続けた。 まだ、心臓がどきどきしている。 「焦った…」 もしあれが本当の告白だったなら、どうなっていたのか。自分は一体どうしていただろう。分からない。けれど。 「何か……ホント……久しぶり……」 こんなに誰かのことを考えたのは久しくなかった。こんなに何かに想いを寄せたのも。 ましてや、今日までほとんど言葉を交わすこともなかったクラスメイトに。 「あ…」 ふと足元を見ると、プリントが一枚落ちていた。日村が慌てて一枚落としていったものだろう。邦明はそれを何ともなしに拾うと、夜目で見えないはずのそれにじっと目を落とし、それから少し安堵した。 何故って、これでまた日村に話しかけるきっかけが出来たと思えたから。 入口の所まで歩いて行き、邦明はもう一度児童公園の遊具に目をやった。あの滑り台のてっぺんで歌を紡いでいた日村を思い出し、邦明は改めて大きく息を吐き出した。 まるで夢みたいな一夜だった。 でもそれをもう一度観たいから。 もし日村がくれなくとも、チケットはどうにかして手に入れたい、手に入れようと心に決めて、邦明はようやく、その小さな公園から外へ出た。 |
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かんなさん、企画参加ありがとうございました!