シンデレラ



  むかしむかし、日本の東京という町に、母親と2人の兄から毎日のように、それは酷いイジメを受けている男の子がいました。男の子の名前は礼良(れいら)。大好きな優しいお父さんがつけてくれた名前ですが、そのお父さんは外国で仕事をしている為、めったに帰ってきません。
「礼良! 今の今まで、一体どこで何をしていたの!」
  今日も礼良は学校から帰るなり、お母さんから玄関先で怒鳴られます。礼良を見つけて引きずるように自宅へ連行してきた兄たちも、とても怖い顔です。
  礼良はシュンとして項垂れました。
「ごめんなさい…。でもケン君が、遊びに誘ってくれたから…」
「ケン君なんて不良とは遊んじゃダメっていつも言っているでしょう!? あなたはどうしていつもママの言うことが聞けないの!」
「礼良。家族で決めた門限が17時なんだから、6時間授業がある今日は、それこそ真っ直ぐ帰らなきゃ間に合わないってことくらい分かるよね?」
  お母さんが怒鳴った後に、続けて背後から小言を発してきたのは1番目のお兄さん。
  また、2番目のお兄さんも横から礼良の頭を拳でぐりぐり小突きながら、「だから俺と一緒に帰れって言っただろ!」と責め立てます。1番目のお兄さんも2番目のお兄さんも高校生で、中学3年の礼良とは学校が違いますが、いつも礼良の下校時には必ずどちらかが迎えに来ます。登校する時も3人いっしょ。礼良には家と学校を往復する以外、何の自由もないのです。
  礼良は3人から囲まれて息苦しい想いをしつつ、精一杯言いました。
「約束を破ったことは悪かったけど…。で、でも門限が17時なんて無茶だよっ。今どきそんな中学生いないってケン君も言ってた! 僕、部活にも入れなかったし、せめて放課後マックで寄り道するくらい―…」
「駄目です! 寄り道なんてとんでもない! しかもマック!? 何て不健康な!」
  お母さんは両手を両頬に当てて悲鳴を上げました。礼良のお母さんは礼良にファーストフードの類を決して食べさせません。それどころか、炭酸飲料のジュースやカフェインが多く入った飲み物もダメ! 外国から輸入されてきた、農薬を多く使った野菜もNG。そして極め付けは、着色料が使用されたお菓子を食べることもダメなのです。そういうお菓子に限って美味しいのに! 以前、ケン君からこっそりその手のお菓子を貰った時、礼良は確信したものです。
  こんなに美味しいものを食べさせてくれないお母さんや、そんなお母さんと一緒に自分を縛り付ける兄たちは、きっと自分が嫌いなのだろう≠ニ。
「礼良。菓子なら僕が買ってきたものがあるから、それを食べなさい」
  お母さんやお兄さんたちはいつも礼良に命令します。あれをしろ、これをしなさい。いつでも決定権は礼良以外の家族にあります。
「じゃあ、さっさと上がってお茶にしようぜ。家族の団らんは大切にしないとな!」
「ええ、そうね…。礼良に何かあったのかと気が気じゃなくて、まだ準備をしていなかったけれど…今すぐ用意するわね」
「兄貴、今日は何を買ってきたんだ?」
「銀座ファイルヒェンのケーゼトルテだよ。礼良のお気に入りだからね」
「おぉー! 兄貴の番の時は高価なモンが食えるから楽しみなんだよな! おい礼良、早く手を洗ってうがいしてこようぜ!」
「……うん」
  ションボリしていた礼良は、2番目のお兄さんが発した「手洗い・うがい」の命令部分しか耳に入っていません。今日も今日とてこの兄は礼良にとても乱暴で、たかが洗面所へ行くだけなのに、首に腕を回してきて拘束します。そんな風にしなくても手洗いくらい1人で行けるのに。ラグビー部に所属する大きな兄からぎゅうぎゅうされると、礼良はどうしたって息が詰まってしまいます。拷問です。
(それにもう今日はお腹いっぱいだし、ケン君から借りた漫画を早く読みたいのに…)
  そもそも、この毎日繰り広げられる「お茶の時間」も礼良には苦痛なのです。確かにお菓子は美味しいけれど、礼良が本当に食べたい駄菓子の類は一切出ない上に、お母さんやお兄さんたちはこの時間を使って礼良の学校での様子を根ほり葉ほり訊くものですから―…はっきり言って、「つらい」の一言! 彼らは礼良の行動すべてをチェックしないと気が済まないのです。恐ろしい家族です。
  ですから礼良は中学3年生にして、強く強く願っていました。
  中学を卒業したら、きっとこの家を出たいと。できれば独り暮らし、それがダメなら外国にいる父の所へ行きたいと。

「何ですって!? 礼良がパパの所へ!?」

  しかし進路というのは子どもの礼良だけで決められるものではありません。当然、いつかは両親に相談しなければならないし、自然、このことは2人の兄たちの耳にも入ることになります。
  ただ、今回の場合は礼良がお父さんにこっそりメールで相談した内容がいつの間にやら1番目のお兄さんにバレて、そこから先刻の「お母さんズ悲鳴」へと繋がったのですが――。
「父さんの所へ行くという選択肢は第3希望らしいですよ。そうだね、礼良?」
「う…」
  礼良はリビングのソファに座らされ、真向いにはお母さん。横には1番目のお兄さんが座り、何故か2番目のお兄さんは礼良の後ろで仁王立ちです。まさに包囲状態です、いつものことですが…。
「だ、第3希望って、それじゃあ第1、第2希望は何だと言うの!?」
「第1希望は都内の高校に通いながら1人暮らし。第2希望は全寮制の高校に入って寮生活だそうです」
「つまり、礼良は俺たちから離れたいってことだ。そうなんだな、礼良!?」
「いっ、痛い、お兄ちゃんっ、頭ぐりぐりしないで…!」
  両手で頭を押さえながら今度は礼良が悲鳴を上げます。2番目のお兄さんはいつも言葉が荒くて乱暴なのです。
「父さんは礼良の1人暮らしや寮に入ることには反対で、自分の所へ来ることには賛成みたいです。まぁ予想通りの回答ですが。電話で話したら、自分を選んでもらえたって大喜びでしたよ。その上、僕たちにも『来たいなら来てもいい』というような随分な態度だったので、ちょっと釘を刺しておきました。あまり調子に乗られたくないですからね」
  1番目のお兄さんの声は氷のように冷ややかです。一瞬、室内はお母さんたちも含めてシンと静まり返りました。この1番目のお兄さんは常に物腰も穏やかで丁寧なのですが、実は1番怖いのです。お父さんが外国へ行ってしまったのも、このお兄さんの超絶反抗期と重なってお父さんの心が折れたからという噂もあるほどです。
「嫌よ、外国暮らしなんて絶対イヤ!」
  ただ、お父さんが「逃げた」のはこのお母さんのヒステリーにあるという説もちらほら…。
「言葉も通じないし、お買い物にも不便だし! 礼良と暮らしたいなら仕事辞めてって言ったのに、パパは仕事の方を取ったのよ!? なのに今さら、勝手過ぎるわよ!」
「だよな。あのクソ親父、一度締めとくか?」
「と言うわけで、父さんには一度ご帰国願うことにしました」
「え?」
  1番目のお兄さんの言に礼良が驚くと、お母さんや2番目のお兄さんも一斉に目を見開きました。不敵な1番目のお兄さんだけが平静な顔をして続けます。
「緊急家族会議というところでしょうか。ですが、どうしても外せない会議があるらしく、帰国してもまたすぐトンボ帰りしなくてはならないそうですから、落ち合う場所は空港で妥協しました」
「そ、そうなのね! 分かったわ、急いで準備しましょ!」
「兄貴やるじゃん。場所なんてどこでもいいよ、とりあえず親父のこと、とっちめてやらないとな。俺たちの礼良を勝手に自分の所へ連れて行くなんてとんでもねぇ!」
「お、お父さん、帰ってくるの!? なら僕も―」
「礼良は駄目だよ」
「ダメに決まってんだろ!」
「あなたはダメよ、お留守番してなさい!」
「な、何でっ!」
  出掛ける支度をする3人から一斉に行くことを禁じられ、礼良は思わず声を上げました。
「どうしてっ。だって僕のことなのに!」
「言っただろう、お前のことは僕たちが決める」
「そうだぜ、礼良。お前は俺らに従っていればいいんだ」
「礼良。あんな薄情なパパに会うなんてママが許しません! あなたはおうちにいらっしゃい。いいわね!?」
  何気にお父さんとお母さんは仮面夫婦なのでしょうか…。
  などという疑問を抱きつつも、結局、一緒に行きたいと望む礼良を置いて、お母さんと2人のお兄さん達は3人だけで空港へ出かけて行ってしまいました。
  取り残された礼良は心から孤独です。
「僕だって一緒に空港行きたかった…。お父さんに会いたかったのに」
 コンコンコン。
  その時、リビングの窓ガラスをノックする音がして、礼良がビクッとしつつそちらへ目をやると、庭先には友達のケン君が立っていました。そして、きょろきょろと警戒した様子ではありますが、いつもの悪戯っぽい笑みで礼良を見ます。
「ケン君! どうしたの!?」
  家に来るなど初めてのことです。それはそうでしょう、礼良はお母さん達から「友だちを家に呼んではいけない」ときつく言い含められているのです。ケン君も2人のお兄さん達からプレッシャーをかけられているらしく、「お前んちに行くのは命がけだな」と冗談を言ったこともあります。
  それがどうしたことでしょう。礼良は慌ててガラス戸を開けました。
「よう、礼良。お前の家族が珍しくこんな時間に外出したのが俺んちの窓から見えたからさ。思い切って遊びに来ちまったよ」
「そ、そうなんだ…。ありがとう、びっくりしたけど…うれしい」
「どうした、元気ないな? また兄貴たちから可愛がられ過ぎたのか?」
  ケン君のあまりに見当違いな言いように、礼良は眉をひそめます。
「違うよ、僕はいじめられているんだよ…。お兄ちゃん達はひどいんだ。お母さんも。僕の自由を奪って、いつもひどいことばっかり言う」
「うーん、まぁあの愛情は異常だからお前がそう捉えるのも無理はないけどな。で、どうしたんだ? そんな束縛家族がお前を置いてこんな時間にどこかへ行くなんて、尋常じゃないだろ?」
  ケン君の疑問について、礼良はとつとつと説明しました。今夜は父が何年ぶりかの帰国を果たして、今、空港にいるらしいということ。自分も会いに行きたかったのに3人に禁じられて独り自宅で留守番を命じられていることを。
「そうかー、そりゃひどい話だな」
  ケン君は礼良に同情してくれました。ケン君はいつでも礼良の味方なのです。
「それじゃ、俺が車を出してやるから行ってこいよ。今電話する、待ってろ」
「えっ…大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。使える車くらい何台かはあるはずだから。――あ、カノーか? 俺だ。至急車一台回してくれ、場所は――」
  実は、ケン君はお金持ちのお坊ちゃまなのです。ですから、このように中学生の身空でも機動力は抜群です。
  「これでお父さんに会える」――そう思って希望を見出しかけた礼良は、しかしすぐさまシュンとして俯きました。
「でも待って…。きっと僕が勝手に空港へ行ったら、お母さんもお兄ちゃん達も大激怒するよ。バレた時のことを考えると凄く怖い…。だからやっぱりいいよ、諦める」
「そんなすぐ諦めるなよ。…まぁけど確かに、自分たちの命令を無視したとあったら、お前に変なお仕置とかしてきそうだしなぁ、あの兄貴たち」
「うん…。お兄ちゃん達の怖さはハンパないよ…。でも、お父さんに会いたかったな…。もうずっと会えていないから」
  礼良の寂しげな笑顔を見てケン君は暫し何か考えていた風でしたが、やがて意を決したように顔を上げました。
「……よし礼良、俺に考えがある」
「え? 考えって…?」
  きょとんとする礼良に、ケン君はすでに臨戦態勢です。再びスマホで誰かに電話をすると何事か指示を出しつつ、礼良の手も引っ張って外へ連れ出します。そしてすでに到着している一台の高級車に2人で乗り込み、ケン君は「空港へ」と命じました。
  礼良は訳も分からぬまま、高速をひた走る高級車の中でひたすらオロオロするばかりです。
  それから間もなく空港に着き、ある一室へ通された礼良は――。
「ケ、ケン君…。これって…?」
「……さすがだ、礼良。俺の見立て通りだな。完璧だぜ」
  戸惑う礼良に対して、ケン君は感嘆したような息を漏らしました。礼良の後から出て来た女性も汗を拭っていましたが、自分の仕事には大満足のようで、どこか誇らし気に微笑んで佇んでいます。
  ケン君はそんな女性にも「よくやった」と声をかけ、それから礼良に向かって手鏡を向けました。
「どうだ、礼良。今のお前は、どこからどう見ても、可愛い女子だ」
「は、恥ずかしいよ、こんな格好…!」
  礼良は鏡から目を逸らして赤面しました。それもそのはずです、あれよあれよと空港へ連れて来られ、ある「VIP専用ルーム」に通された礼良は、見知らぬ女性からメイクを施され、かつらをかぶせられ、おまけに下着から何から全て、可愛らしい華憐な女性の服に着替えさせられてしまったのです。
  今の礼良は、見事な魔法をかけられたかのように、一人の華奢な美少女です。…元々礼良自身の「素材」が優れているからというのもありますが、それにしても、男の子と女の子では、やはりその印象はガラリと変わります。
  ケン君は戸惑いまくる礼良を叱咤しました。
「礼良、堂々としていろ! 済ましてりゃ、絶対! 絶対にバレない、俺が保証する。お前らの家族にも気づかれないさ。なんせここまで完璧な美少女だ。しかも、まさかお前がこんな速さで空港にいるとは誰も思わないだろ?」
「お、思わないだろうけど…」
「それで親父さんに近づくんだよ。隙を見て声をかけろ。家族が親父さんから離れた直後でも何でもいい、チャンスはどこかに必ずあるはずだ。近くにいて様子伺って、親父さんが一人になったところで話しかければいい」
「お父さん、僕のこんな格好にびっくりしないかな…」
  スカートの裾を摘まんで呟く礼良に、ケン君は苦笑しました。
「そりゃするだろうけど、そこは仕方ないさ。ま、最初は驚くだろうが、最終的には喜ぶんじゃないか? 可愛い息子の晴れ姿が見られてさ」
「晴れ姿って…」
「それに、こうでもしなきゃいけないほどお前らの家族がモンスターなんだから仕方ない」
  さあけど、俺がしてやれるのはここまでだ、と。ケン君は言いながら礼良の背をぽんと叩きました。扉が開かれ、空港のたくさんあるゲートの1つが前方に見えます。
「家族が帰宅した時にお前がいないとまずい。一応、途中で家族を足止めする要員も配置したが、なるべく先回りして戻る時間も考慮すると、0時にはここへ戻ってこいよ。その1時間後には自宅のベッドにいる算段だ。分かったな?」
「わ、分かった」
「よし、行ってこい!」
  ケン君に促され、礼良は慣れないヒールの高い靴によろけながら、必死に走り出しました。ただ父に会いたい一心です。そして再度お願いしようと思いました。お母さんやお兄さん達から距離を取りたい、そのための協力をして欲しいと。
  家族のみんなが空港のどこで話をしているかは、あらかじめケン君が人を使って調べてくれたようで、礼良はメモを片手にその空港内にあるというレストランを目指しました。途中、何度か知らない若者にナンパされそうになりましたが、これも背後に控えていたらしいケン君御用達のボディガードが守ってくれて事なきを得ます。
  そうこうしているうちに、礼良は家族が食事をしているレストランを見つけました。店内を見ると…いました。4人が難しい顔をして話をしているのが見えます。礼良は心がズンと重くなりました。何故って、彼らの様子は、とても久方ぶりの家族再会を喜んでいる風には見えませんでしたから…。
(僕のせいで…みんなの仲が悪くなった…。僕なんていない方がいいんだ…)
  礼良は胸をきゅっと痛めながらそんな風に思いました。
  しかしそうこうするうちに、店員が席に案内すると言ってきて礼良は途端、ドキリとしました。おとなしくついて行くと、どうやら家族の真後ろの席を案内してくれるようです。こんなロングヘアーのかつらにリボンをつけたワンピース姿の自分を…完全な女の子と化している自分を見られ、もしバレたら。そう考えると、礼良の心臓はバクバクと大きく鳴り響いてしまいます。
  ドサッ!
「あっ」
  しかも礼良は緊張のあまり、席に着いた瞬間、手にしていたハンドバッグを通路に落としてしまいました。その音と驚きの声とが交錯して、後ろに座る1番目のお兄さんがちらりと振り返り、バッグをおもむろに拾います。
「大丈夫ですか」
「……っ」
  礼良はぶんぶんと頭を下げて無言での「感謝」を示しながら、俯いたままバッグを受け取りました。礼良の視界からお兄さんの顔は見えません。バレただろうか、でも確かめるのは怖い―…。あまりの恐怖に、先刻まであった「お父さんに会いたい、ひと目顔を見たい」という願望も完全に吹っ飛んでいます。
「――つまりは、そういうことですから」
  けれど1番目のお兄さんはすぐに席に向き直ると、ふっと口調を変えて言いました。恐らくは前方にいるであろう礼良達のお父さんに向けて。
「貴方に礼良のことを決める権利はありません。今後、余計な口出しはやめてもらえますね?」
「そうよ、肝心な所ではいつもいないくせに!」
「礼良に好かれようと思って、オイシイとこだけしゃしゃってくんなよな!」
「お、お前たち…! それが一家の大黒柱に向かって言う台詞か!?」
  間違いなくお父さんの声です。礼良は感激して、すぐさま声をかけたくなりました。
  しかし、ここでもまたピンチが! 思わず振り返った時、その勢いに驚いたのか、父の横に座る2番目のお兄さんとばっちり目が合ってしまったのです。礼良はそれに完全フリーズしてしまい、約3秒。慌てて席に向き直りましたが、お兄さんの不審そうな顔が残像として浮かび上がります。かなり「あれ?」という顔をしていたと思いました。
(ど、どうしよう、どうしよう…)
「どうかしたか?」
  同じことを1番目のお兄さんも思ったようです。2番目のお兄さんの態度に疑問を向けると、「何を見ている?」などと訊いています。
「あ、ああ…。何かさ、後ろの子に見覚えがあって」
「後ろの子?」
「ああ…。どっかで見たことあるような」
「……お前もそう思ったか、実は僕もさっき――」
  バレた!
  絶対にバレた!
  2人の会話に礼良の頭はパニックです。急いで立ち上がるとバッグを掴んで席を出ようと動きました。父に会うどころではありません、捕まったら一巻の終わりです。
「あ、君ちょっと」
「……!!」
  しかし声をかけられたことに余計焦った礼良は、それを振り切らんとダッシュしかけて、ビターン!と派手に転びました。
  しかもその拍子に、可愛い真っ赤なヒールが片方脱げてしまいます。
「……っ」
  それでも礼良はすぐさま起き上がると、急いで店内を走り出ました。片方の靴が脱げて歩きにくい状態ですが、構ってはいられません。身体を傾けながらも無我夢中で走り、礼良はボディガードさんの先導もあって、無事(?)ケン君の元まで戻ることができました。
  けれど結局、お父さんとは話せずじまいです。
「残念だったな…」
  事情を聞いたケン君が慰めるようにそう言いましたが、礼良は緩く首を振りました。
「いいんだ、声を聞けただけでも良かった。一瞬だけど姿も見られたし。ケン君のお陰だよ、ありがとう」
「よせよ、俺たち友だちだろ?」
「うん…。あ、でもごめん…。靴を片方なくしちゃった…。弁償するね」
「気にするな、何てことない安物だ」
  ケン君は笑ってそう言い、その後は着替えてメイクも落とした礼良を家まで送ってくれました。
  作戦は大失敗に終わりました。けれど帰りの道すがら、すでに礼良の心は驚くほどに静かで落ち着いていました。失敗は失敗だったけれど、家族の言いつけを破ってこんなにもスゴイ大冒険をしたのです。まるでハラハラドキドキのスパイ映画のようにすら思えました。だからそれだけでも、礼良は楽しく満足だったのです。

  そして、翌朝。

  昨日の疲れか、少し寝坊してしまった礼良ですが、珍しくお兄さん達も起こしに来ません。どうしたのかと学校へ行く準備をして食卓へ行くと、そのテーブルには何と!昨夜落としたはずの赤い靴がコトンと置いてあるではありませんか。
  それを目にした礼良はあっという間に目を覚まし、蒼褪めました。
「おはよう礼良」
  しれっとした態度で、1番目のお兄さんが挨拶をします。礼良はどもりながら、「お、おはよ…」と返します。
「おっす、礼良。よく眠れたか?」
  2番目のお兄さんも明るく、そして何故かニヤニヤとした笑いを浮かべて声をかけます。嫌な予感全開ながら礼良はそれにも返事をし、いつもの席にすとんと座って、朝食もない、ただ片方の靴が置いてある食卓を前に、恐る恐る言いました。
「ど、どうしたの。この靴、何…」
「何って、お前の落とし物だろう」
「えっ」
  礼良は思わず声を上げました。やはりバレていたのでしょうか。しかし、バレるわけにはいきません、いかないのです。礼良は必死に首を振りました。
「ぼ、僕知らないよ! 一体何のことっ」
「おや、お前の物ではないのか。だがこれは昨夜、お前が落として行った物であることは間違いないね」
「………」
  1番目のお兄さんによる有無を言わさぬ態度に礼良が黙りこむと、2番目のお兄さんがそれに追い打ちをかけます。
「お前の物じゃないなら、つまりこれは誰かから借りた物ってことか? 可哀想に、お前のお母さんは昨夜見たお前のあまりの女子力にショックと感動で発熱しちまったよ。今は部屋で幸せそうに寝込んでいるからな」
「う、嘘でしょ…?」
「そんな嘘、俺たちがつくわけないだろ? なぁ兄貴?」
「ああ。むしろ嘘つきは礼良、お前だよ。履いてみれば分かるさ、お前にぴったりの靴だろうからね」
「ぼ、僕、知らない!」
「うっせ! いいから履いてみろって!」
「や、やだあっ!」
  逃げようと椅子を引いて腰を浮かした礼良に、しかしお兄さんたちは容赦がありません。2番目のお兄さんが礼良を押さえつけ、その間に1番目のお兄さんがばたつかせる礼良の足に靴をあてがいます。
  するとそれはピッタリと、モノの見事に礼良の足におさまりました。
「ピッタリだね」
「ピッタリだな。犯人は礼良、お前だ!」
「は、犯人って。僕、どうなるの? お、お兄ちゃん、許して…」
  乞うように1番目のお兄さんを見つめた礼良でしたが、酷薄なお兄さんはにこりと微笑みながらも、ゆるりと首を振りました。
「お前の救世主になるはずの父親は追い返した。あんな風にお前を変身させられる魔法使いも近いうち必ず僕たちが退治する。……礼良。お前はこの家から出られない」
「そんな…!」
「それが僕たちのハッピーエンドなんだよ、礼良」
  1番目のお兄さんはそう言って礼良の額にキスをしました。礼良はショックと驚きで何の反応も返せません。
「安心しろよ、礼良。俺たちもどこへも行かない。お前とずっと一緒にいるからな!」
  すると2番目のお兄さんもにこにこして礼良の頭をぽんぽんと叩き、その髪に誓いのキスをします。それにも礼良は何も返せません。返せるはずがないのです…。

  こうして礼良は望みの自由を手にすることなく、魔法の靴も没収された上、この仲睦まじき家族といつまでもべったりと暮らすことになりましたとさ。めでたし、めでたし。




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…どこがシンデレラやねん。王子どこやねん。…というツッコミはやめて下さい。
でも「シンデレラ」に出てくる王子って何かヤな感じじゃないすか?そんな好きなら自分で探せやって思うし、
町中の女の子たちを振り回して何様のつもりなのでしょう(王子様です)。
次回は伝説の悲恋物語!「人魚姫」を書く予定です。