本当は分かっていた(後編)


―2―



  亨の方もどうにでもなれという気持ちは多少なりあったかもしれない。
  こんな風に確信犯的に事を進めても、手に入るのはせいぜいが翠の身体だけ。心はむしろ離れてしまう可能性が高い。
  それでも亨は一気に距離を詰めてきた。もう限界なのだと勝手なことを言って。
  そして翠はそんな幼馴染の顔を自らも荒い息を吐きながら、一方で奇妙な感覚に包まれながらじつと見つめた。
「ひっどい…顔…」
  それを言葉にするつもりはなかったが、何となく口をついて出てしまった。翠に覆いかぶさり必死にキスを続けていた亨は、その声に敏感に反応してぴたりと動きを止めた。それから唇をぎっと横に結び、怒りの混じった掠れ声を絞り出す。
「どんな顔してるかなんてわからない」
「獣だよ……獣みたい。人間じゃない」
「何それ」
  バカにするように亨は笑ったが、それはすぐに引っ込められた。それから心底焦れたように体躯を揺らし、翠の髪の毛を乱暴に掻き揚げる。
「でももう何だっていい、翠に入れられるなら。もう入れるよ? いいね、いいでしょ?」
  無理やりは嫌だからと亨は付け加えた。ここまでやって何を言っているのだと思ったが、あくまでも許可を得てから最後の一線を超えようとしている亨に、翠は少しだけ冷静になれた。…もっとも、だからこそと言うか、すでに恐ろしいほどの高まりを見せている亨の象徴を目にしてしまうと、「このまま拒むのは可哀想だな」などと思って「しまった」。
  負けてしまうのか。咄嗟に頭の中でそんなセリフが過った。結局、お前はこいつに負けてしまうのか、と。
「翠……俺のこと、好き?」
  亨が訊いた。翠の逡巡に気づいたのか、亨の方もそれでやや落ち着いた表情に戻っていた。
  それで翠も正直な気持ちを言えた。
「嫌いな奴とこんな風にならないと思うよ」
「じゃあいい?」
「………何でそんなにしたいの。俺なんかと。お前、訳が分からない」
「今さら何言ってんの…翠だからしたいんじゃないか…翠としかしたくない、前からそう言ってる」
「うん…」
  そう言えば、亨は小さい頃からあれだけ女子からモテていたのに、あの「目覚めた」と思しき中学生での初キス以降は、遊びでも女の子と付き合ったことはない。あの時の違和感から亨はもう女の子は…というより、翠以外の相手は「違う」と確信したのだ。それはあまりに早い決断だったが、今もって亨のその確信は揺らいでいないのだから、それが間違った選択だとは誰も言えないはずである。
  でもだから、翠自身もこんなことは亨とが初めてだけれど、亨の方も初めてではないかと、翠は今さらながらぼんやりと思った。
「ああ翠、本当にひどい。ここまできてそうやって焦らすなんて」
  亨が言った。本気で苦しそうなその顔に翠は思わず笑った。
「そういうわけじゃなかったんだけど。考えごと、してた」
「余裕だね…。でもそう言う翠の顔が、もう俺を受け入れているのは分かったから。だから良かった。だから俺のも、こんななんだし」
「……もう好きにしろ」
  翠が息を吐いて答えると、亨は今さらぎくりと身体を揺らし、しかしはっきりと泣き笑いのような顔を浮かべた。そうしてもう耐えきれないとばかりに、翠の中へと怒張したそれを差し入れた。
「いッ――…!」
  先ほどまで指で馴らされていたはずだけれど、その質量はこれまでの比ではなく、翠は絶句して身体をひきつらせた。息が止まり、「やっぱり無理だ」とその一言を出しそうになって、必死にそれを押しとどめた。今さらそれはないだろうと自分でも思ったのだ。
  それに「こんなこと」と。
  それでも苦痛の声は多少なり漏れてしまう。
「はぁッ…んぅ…ッ―…」
「翠…ッ!…ん…ふ…っ…!」
  陶酔するような声は途中で消えてしまった。亨は翠の中へ己の身体を深く沈みこませ、力強く奥へ押し入った。
「うぁ―ッ…!」
  思わずといった大声が出た。耳が痛い。じんとして、翠はすでに熱い顔をさらに紅潮させた。痛いし、苦しいし。この世から酸素が消えたようだ。どうしようと思う気持ちと、遂に許してしまった、亨とシてしまったというショックに気が遠くなりかけもした。
  けれども、うっすらと目を開いた先にとても不安そうな亨の顔があって―…、こんな風に泣きそうなコイツの顔はやっぱり嫌だなとは、確かに思えた。
「とぉ…亨…」
  だから呼んでみた。慰めるつもりだった。いつも冷たくしているけれど、こんな時くらい優しくしてやるべきかとおかしなことまで考えて。
  すると亨は途端に甘えた、しかしやっぱり涙の混じった声で返した。
「翠……」
「大丈夫……大丈夫、だから…」
「うん……翠…ッ…」
「んんっ!」
  覆いかぶさって来る亨が翠に激しい口づけをした。ただでさえ呼吸困難なのに。またそれと同時にさらに亨のモノが奥へ侵入してきて、翠は本気で死ぬのじゃないかと思った。
  それでも亨が泣くのは嫌だと。そればかりが頭を占める。そして、どうせなら気持ち良くなってもらいたい、そんなことを本気で思った。
  ああもう駄目だなと、翠はそれで遂に心から観念した。
「翠……嫌? 俺が嫌……?」
「だから……ちが…て……」
「でも…泣いてる…」
「痛い、からだろ…バカ」
  亨がまた腰を動かしてきて、翠は本気で「よく自分は声が出せているものだ」と朦朧とした意識の中で感心した。こんなものの何がいいのだろう。何も良くない。女の子とのセックスなら違ったのだろうか。当たり前だ、きっと何もかも違うのだろう。そもそも自分が挿れられること自体あり得ないし、それじゃあこれはセックスと言えるのか?男同士だから不自然な形にしか見えないし。特に自分は男としての機能を無駄にしている。あり得ない場所に突っ込まれるだけで。こんなもの。ただの拷問なんじゃないか。
  ああ、でも。
「翠が……ごめん…っ…。俺が、下手だから…」
「バ……でかい図体で…本気で、泣くなって…」
  泣きたいのは翠の方である。そのはずなのに、上にいる亨がぽたぽたと笑えるほどの大粒の涙を落としてくるものだから、翠は泣く暇がなかった。
  自分の中に在るものはこんなにも張りつめた熱を伝えてきているのに、肝心の亨の顔は。
  自分の頬に触れる手の平は。どことなく冷たい。怯えているのだろうか。
「お前が気持ち良く、なくちゃ…、何の為に、やっているのか…、分からない…」
「……翠にも気持ち良くなってほしかった」
「無理言うなよ…初めて、なんだぞ…こんな…」
「俺も初めてだけど、凄く……凄く、気持ちいい。翠の中にいるってだけで、もうイキそう…!」
「うあっ…」
  確かに言っている傍から亨のものはさらに大きく蠢いて、翠は思わず声を上げた。亨はそれに耐えられない、という風にさらに腰を動かし、翠の中でその怒張したものをくんと動かした。
「ひぁっ…あ、やッ…!」
「翠ッ…ごめ、ごめん…っ」
「ばっ…あっ、あん、あッ、あ――ッ」
  亨が激しく腰を振ってきて、翠はいよいよ昏倒しそうになった。がつがつと容赦なく奥を突かれる感じと、それに相反するような粘着質な音。亨が自分の身体を使って激しく上下運動しているのが分かる。とても見ていられずに目を閉じたが、そのせいで余計に感じてしまった。亨のモノが激しく自分の内壁を擦ってくること。外へ出かけてはまた中へ。そうして身体を使われる度に、翠は己の下半身だけでなく背中も揺すられ、衝撃を受ける。人形のように良いようにされる軽い身体を直接的に意識してしまう。翠はカッと頭に熱を上らせた。
  それでもその恥ずかしさを厭えない。だって許したのだ。亨の望む通りにこの身体をやると。
「あっ、あっ、あ…」
  揺すられる度に嬌声が漏れることも、それで亨がこんな風に高揚した顔で必死にねだってくるのなら、と。翠はひたすら従順に、抱かれることに専念した。亨が激しく腰を使いながら翠の膝裏を掴んでさらに露骨な開脚を求めてきても、翠はそれすらなされるがまま、亨の目前に自分の奥を晒した。
「翠…」
  感嘆したような亨の声に反応はできなかった。ただちらりと目を開くと、亨は汗ばんだ顔で小さく微笑んできた。ああ、喜んでいるのか。なら良かった。翠は素直にそう思い、自らもふっと笑って見せた。
「ひァッ…!」
  けれどその瞬間、また亨は我慢できないといった体で力強く翠の奥を突いた。パンパンと肌が打ち付けられる音が響く。コイツはバカなんじゃなかろうかと思うほどに亨はしきりに腰を動かし、翠の中をかき混ぜ荒い息を吐く。
「翠…翠…」
  しかもその合間にしきりに呼ぶ。翠としてはこれだけめちゃくちゃに抱かれてまともな反応などできるかと思うのだが、それがあまりに続くものだから、律儀に目を開けては「亨」と呼び返す。それによって亨の熱はさらに盛り上がるのだが。
「とぉっ…んぅっ、あッ、やッ」
「翠…ッ…ふ―…ッ!」
「――…ッ」
  どれだけ腰を振り続けていたのか、亨が遂に中へ射精した時は翠も失神寸前だった。それでもそのじわりと全身へ伝わるかのような生暖かい感触はダイレクトに伝わって、翠も思わず顔を歪めてしまった。亨にそれを見られてはいけない、すぐにそう思ったが失敗した。亨は頬を紅潮させたまま快感と悲観の交じり合った目で翠を見つめており、すぐさま疲弊した翠に覆いかぶさると、縋るような口づけをしてきた。
「んんっ…ちょっ…」
「翠、言って…」
「え…?」
  何度も角度を変えてキスを繰り返す亨が急いたように言った。やはり声は涙混じりだ。翠が混乱して「何を…」と掠れた声で訊き返すと、亨は再度目を潤ませながら翠の唇を食んだ。
  そして言った。
「好きって言って。俺のこと好きって…」
「は…はぁ…?」
「だって翠……俺だけイッて……ごめん……」
「……ああ」
  確かに翠のモノは互いに刺激し合った時とは違って全く反応していなかった。翠にとっては痛くて苦しいだけのセックスだったのだ、それも当然なのだけれど。
「お前…その前にちょっとどけよ…重いし…。ちょっ…もう抜けって…」
「嫌だ…離れたくない…」
「あぁ分かった、分かったよ。好き好き。好きだからどいて!」
「ひどい…そんな適当に…」
「うるさい! お前めんどくさい! いいからどけって!」
  さすがに鬱陶しくなって翠は残りの力をフル動員させて声を荒げた。それに亨はまんまとびくつき、恐る恐る翠の中から己のモノを抜いてそのまましゅんと正座した。
「………まったく」
  翠はそんな亨を仰向け、膝立ち、おまけに未だ精液に塗れた中を晒したままの格好でじっと見やったが、段々と何だか何もかもがバカバカしくなってきて、「はは…」と空虚な笑声を漏らした。
  やっぱり、「こんなこと」。大したことなかったんじゃないか。そう思えたから。
「翠?」
  すると亨が不思議そうな顔で翠を見た。翠は、それには応えず、腕で覆って両目を隠し、再度唇を戦慄かせて「ははは」と笑った。
  どうしようもないセックスだし、自分は感じることができなかったし。こんなものが亨のずっと欲していたものなのかと思うと呆れかえるばかりだけれど、いざ済ませてしまうと、あれだけ己の内にあった苦悩も葛藤も、何だか妙に和らいだように感じた。
  適当に言っただけの亨への「好き」も、言えたこと自体に満足していた。
「ばからし…」
  そしてそう呟くと、翠はまた改めて「こんなこと」と思えた。
「翠!」
  けれど亨には一大事だったらしい。がばりと再び翠の上に跨って、必死の形相で翠の腕をどけ、その目を覗きこむ。
「翠、嫌いになった…!? 本当に嫌になったの、俺のこと…!」
「えぇ……何でそんなこと」
「だって…何か、投げやりだし…ヘン、だから」
  亨はしきりに翠の髪を撫でながらそんなことを言った。翠はそんな亨をまじまじと見やって、「可愛いな」と思った。自分をこんなにも想う亨は、「やっぱり」可愛い、「愛しい」と。
「亨……俺と念願のセックスできて、どうだった…?」
「え?」
  だから率直に訊いてみる気になったのだが、亨はと言えば、突然翠からそんな風に訊かれたものだから、思い切り面食らったようでごにょごにょと口ごもった。らしくもなく照れて赤面までしている。ただ、翠がいつまでもその答えを待っていると分かると、亨はぐっと意を決したような顔で真面目に答えた。
「すごく嬉しかった…。泣きたくなるくらい」
「実際泣いてたしな」
「でも、翠が気持ち良くなってくれなくて、俺が下手なせいで…悔しい。ごめん。でも! 今度はもっとうまくやるから! 翠も気持ちよくなるように!」
「ええ…もうやだよ。こんな痛い想いはもうしたくない」
「こんっ…今度は、もう大丈夫!」
「まだしたいの? 亨は」
  苦笑して翠が問いかけると、亨は至極真面目な顔で、そしてきちっと背筋を伸ばした綺麗な姿勢で頷いた。
「当たり前だよ。だって翠が好きだから。何度だって確かめ合いたい。俺を許してくれる翠を……見ていたい」
  亨はそう言って、ちろりと怒られた子どものように様子伺いの上目遣いをしてきた。それからまた少しだけ力なく笑む。それは困ったような、けれど満たされたような、自信なさげだけれど幸福に満ちたような、そんな完璧な笑みだった。
  だから翠は、あぁ、あんな風に苦しがったりしてしまったけど、俺の心が受け入れたことを亨は分かったのか。そりゃそうだよな、分からなかったら酷い話だものな…と。そんな風にぼんやりと思いながら、自分も間近にある亨の髪の毛に手を伸ばし、それをさらりと撫でてみた。それは柔らかい、心地のよい感触だった。
「翠…やさしい…」
「俺はいつでも優しいだろ」
「うん…でも……」
  亨はそれきり言葉を失い、そのまま翠の上にどっかと被さって首筋にちゅっと吸い付くキスをした。翠はそれに「重い」と文句を言ったものの、まるで動かない相手に(あーあ)と思って、今度はその背を撫でてやった。
  それからもう一度「あーあ」と今度は声に出して。
「遂に負けちゃったな」
  そして笑って、翠は自分に抱き着く亨の後頭部を乱暴にまさぐった。



了…