いっしょ。



「翠。帰るの?」
  訊かなくても分かっているだろうに、わざわざそう言いながら駆け寄ってきた幼馴染を、翠は冷めた目で見つめやった。
「俺も帰るからちょっと待ってて」
「皆からご飯誘われてるんだろ? 行ってきなよ」
「ううん、行かない」
  亨はあっさりと首を振ると、そのままバイト仲間が待つ控え室へ戻って行ってしまった。亨は翠の「俺とじゃなく、他の奴といれば」的な台詞にも、最近ではもういちいちむっとする事がなくなっている。いい加減慣れたのかもしれない。翠は翠で、亨の「どんなに突っぱねても俺は翠といる」的なスタンスに覚悟というか諦めの感情を持てれば楽なのに、折角決心して上京してきたのだからと簡単に折れる事が出来ないでいる。
  なるべく亨とは一緒にいたくない。いてはいけない―…そう頑なに思っている。
「お待たせ。帰ろ」
「………」
  それでも翠は自分について回る亨を完璧に振り払う事が出来ないし、いつまでも中途半端なこの関係に終止符を打てない。郷里を出て黙って東京の大学へ進んだ翠を、亨は怒り哀しみながらも後を追ってきて、今ではこうしてバイト先すらも一緒だ。地味で大人しい性格の翠とは違い、亨はどこへ行っても華やいでいる周囲の人気者なのだから、翠にばかり囚われずに他へ行けばいいのに、決してそうしようとしない。
  いつでも翠の傍にいたがる。
  熱気の篭もる厨房で何十枚、何百枚という皿を洗い続けてくたくたなバイトの帰り道。自分とはまるで異なり、涼し気な横顔を見せながら悠々と歩く背の高い亨を、翠は溜息と共にちらりと見上げた。
  何でいっつも隣にいるんだ。
  犬みたいに、いつでも後をついてきて、気づくと傍にいる。擦り寄ってきている。
  犬は嫌いではないけれど。
「あぁ、お腹空いたなあ。翠、空いてない、お腹?」
  埒もない事を考えてぼうとしていた翠に亨が突然そう言った。
  だから同じ上がりの仲間たちと食べて帰れば良かったものを……そう思いながら、翠は素っ気無く「空いたに決まってるだろ」と答えた。
「帰ったら食べる。そんで、ソッコー寝るから」
「何食べんの?」
「家にラーメンあったから。それ」
「いいなあ、じゃあ俺も――」
「1人分しかないから」
「うぅ…」
  冷たく返す翠に亨は子どものように頬を膨らませたものの、暫し考えた風になってからだっと前を行き、その通り道を塞ぐようにして両手を広げた。その勢いで肩に掛けていた亨の鞄はブランと風を切るように揺れたが、翠はそれを何ともなしに眺めて「こんな些細な格好すら絵になるんだな」と思った。
「俺、そこのコンビニでラーメン買うから。自分の分! そしたら翠、それ一緒に作って!」
「はぁ…?」
「だってあれでしょ? ラーメンって、いつもの“あれ”食べるんだろ?」
「そうだけど」
  昔から「ラーメン」と言ったら、2人の家庭で出る物はいつでも同じ、某有名食品会社から発売されているインスタント製品に決まっていた。沸騰したお湯に麺を入れてぐつぐつとやって、後は粉末スープを入れて出来上がり。簡単なものだ。そこに炒めたもやしだの卵だのを添える事もあるが、独り暮らしの今はせいぜい細かく刻んだねぎを放り込むくらいだ。
  そんなもの、作ってくれも何もあったものじゃない。
「自分でやれよ、そのくらい」
「えー、いいじゃん! 1人前も2人前も同じじゃん!」
「嫌だ」
「何で! 何でいいじゃん、作って作って!」
「お、お前……」
  夜も遅い時間とあって人通りもそれほどない住宅街だが、だからこそ声も響く。小さな駄々っ子のように声を張り上げそうぶすくれる亨に、翠は心底呆れてしまいながらも、多少焦った風に辺りを見回した。ああどうして亨はこういう風に周りを気にするという事がないのだろう。こんなところはやっぱり憎たらしいと思いながら、それでもどうせ折れるまで「こう」だろう事はもう分かっていたので、翠は観念したように項垂れた。
「分かった。分かったから大声出すなよ…」
「作ってくれんの?」
「作る。作るから手。放せ」
  いつの間にか手まで握っている。無理にそれを振り払おうとしながら、翠は日に日に流されていく自分に心の底から嘆息した。





  そもそも亨が東京へやってきた事だけでも衝撃だったのに、冗談のように言っていた「隣に住む」事まで実現されてしまったものだから、翠としても開いた口が塞がらなかった。
「タイミングが良かったんだな。偶々翠の隣の人が出て行ったから」
  引っ越し業者のトラックと共に嬉々としてそう言って現れた亨を見た時、翠は半ば真剣に「隣人に何か脅しを掛けて立ち退かせたのか」と疑った程だ。それほど話はうまく出来すぎていた。全部で6部屋しかない2階建ての鉄筋ボロアパートの1室が、偶々亨の希望通りに空いたのだから。しかも翠の隣の1部屋が。
「本当は一緒に暮らしたいんだよ。でも翠が嫌だと言うから」
  恨めしそうにそう言う亨を最初の3日間は何とか無視したけれど、毎日毎日べそをかいた顔でドアの前に立たれるものだから、翠としてもその非情な態度を長く続ける事が出来なかった。結局、「一緒に暮らす」というギリギリのラインだけは拒否したけれど、実質薄い壁を隔てて隣に住まわれていて、同じ大学で同じバイト同じシフトで、一緒にいない時の方が少ない。
  「亨から離れる為」に上京してきたのに、これは一体何なのだろうと翠は他人事のように首をかしげてしまう。
  そもそもどうして亨から離れようと思ったのかという根本的な事まであやふやになってしまいそうで、翠はそれが堪らなく怖かった。このまま「なあなあ」になって今までと同じでいたくなかった。
  けれど。





「部屋で待ってなよ。作ったら隣に運ぶから」
「……何で」
  部屋の前までやって来て翠が当たり前のようにそう言うと、亨は案の定不機嫌になってすうと表情を翳らせた。
「翠の部屋で待っててもいいでしょ」
「駄目」
「何で」
「言っただろ。お前を中に入れる気はない」
「じゃあ俺の部屋で作ってくれたらいい」
「嫌だ。お前の部屋にも入る気はない」
  翠がそうきっぱりと拒絶すると、亨はますますぐうと悔しそうな顔をして、いつもの常套手段で「今にも泣き出しそうに」相貌を崩した。
「……そんな顔しても駄目なんだからな」
  まるで自分に言い聞かせるように翠はそう言い、亨からさっと目を逸らした。誤魔化すように肩に掛けていた鞄を掛け直す所作をしながら部屋の鍵を開ける。ガチャリと音がして何故かほっとし、そのまま急いで中へ入り込もうとしたところを、しかし亨のぬうとした巨体が背後から迫ってきてドンと押された。
「亨…っ」
「中入れてよ!」
「…って! 痛いな! もう入ってるだろ!!」
  振り返りざまそう抗議の声を上げたが、亨は自分のした事にも訳が分かっていないような顔をして、どこか頬を紅潮させながら怒ったように唾を飛ばした。
「何でそんな避けるの! いいじゃん、何で一緒にいるの嫌がるの!」
「いつも一緒にいるだろ! 俺だって独りでいたい時があるんだよ!」
「嘘だ! 翠はいっつも冷たい! いっつも俺を避けて、バイト先でだって目も合わせてくれないし、大学でも極力俺から逃げようとしてる! どうせ授業だって違うんだから、会えたってほんの僅かな時だけなのに!」
「僅かじゃない! 昼だって帰る時だってお前がいる! お前の取り巻きがそれ見ていつも俺を邪魔くさく見てるの、俺がどんだけ嫌だと思ってるんだよ!」
「ならそんな奴ら、俺がぶっ飛ばしてやるよ!」
「女の子だぞ! バカ言うな!」
  不毛な言い合いだった。
  それでもいつの間にか翠は玄関先に腰をついていたし、亨はその翠を踏み潰さんばかりの勢いで同じく室内に入り込んでいて、目の前でドアノブに手を掛けた格好のまま立ち尽くしていた。どちらも互いの感情を押し殺している分、一度それが切れると土石流のように物凄い勢いで言葉が溢れ出てきてしまう。
「大体、何で俺がお前の為にラーメンなんか作らなきゃいけないんだよ! お前、この間も俺にご飯作らせただろ! 自分でやれ、それくらい!」
「俺、料理なんか出来ない! 元々独り暮らしなんかする気もなかったのに、翠が勝手にこっち出て来たのが悪いんだろ!」
「はあ!? 何言ってんだよ、勝手についてきたのは亨じゃないか! いつもいつも、俺の後ばっかついてきて…! 何で俺がそんなお前の面倒見なくちゃいけないんだよ!」
「見なくていいよ! ただ、一緒にいてくれればいいの!」
「いるだろ! 一緒にいてばっかだろ!?」
「こんなのまだ一緒にいたうちに入らない! もっといてくれなくちゃ嫌だ!」
「知らないよ、そんなの!!」
  恐らくアパートの住人達には聞こえているだろう、そんなバカバカしい攻防を繰り広げて約十分。
「………翠は酷い」
  収拾がつかない事をいつもの本能で察知したのだろう、亨がへたりと座りこんで情けない声を出した。ああ、芸のないワンパターンでこの状況を終わらせようとしているんだなとは翠も分かったけれど、それに慣れて、「それでいい、それがいい」と思ってしまっている自分がいる事も否定できなかった。
「別に、一緒にご飯食べるだけ。一緒に食べてくれたら、ちゃんと帰る。別々で寝るから」
「……当たり前だ」
「じゃあ、ご飯だけ一緒にいてもいい? 翠の部屋にいてもいい?」
  「○○をする代わりに○○して―…」、これは亨の常套句だった。その交換条件は冷静に考えるといつでも極めて亨に有利なものばかりなのだけれど、我がままな亨が静かになるのならとすぐに「それなら」と妥協するのも翠自身だった。
  結局翠は亨にべろべろに甘いのだ。
「……食べたら帰るんだからな」
「うん」
  翠のぼそぼそとした言葉を素早く聞き取って、亨は叱られてしゅんと垂らしていた耳をピンと立てた犬のように―やはり亨の属性は犬なのだろう―たちまち元気になって勢いよく頷いた。その笑顔を見て翠も「仕方ないな」と思いながら、無意識に笑顔になってしまうからどうしようもなかった。
  結局、小さな鍋に無理矢理2人分のインスタントラーメンを放り込んでぐつぐつとやり、冷蔵庫に残っていたやや古い卵も入れて、翠は大人しくローテーブルの前に座っていた亨にそれをよそってやった。どんぶりは1つしかなかったので、亨に自分の分は隣から取ってくるように言ったら、亨は従順に「揃いのどんぶり」を2つ持ってきた。
「いつか2人で暮らすと思って、2つ買った」
  だからコップも箸も茶碗だって、ちゃんと翠の分もあるんだよと亨は言った。
  翠はそれに生返事をしながら自分の分もよそり、無言でズルズルとラーメンをすすり始めた。亨の話を聞いているとおかしくなってしまう。ペースに巻き込まれてはいけない…そう思いながら、半ば必死にラーメンをかっこんだ。
「テレビつけていい?」
  亨が言った。沈黙が嫌だったので翠はどこかほっとした気持ちで、これにはすぐに「うん」と答えた。ただ亨も別段何か見たい番組があったわけではなかったらしく、ぱちぱちと所在なく色々なチャンネルを回した挙句、最後にはどちらも全く興味がない教育テレビのクラシックコンサートの番組にしたまま、再びラーメンをすすり出した。
  厳かな音楽と麺をすする音が酷くミスマッチだった。何を考えているんだこいつは…そう思いながら、翠は面前にいる亨をちらりと眺めた。
「翠」
  やがて、如何にも身体に悪そうな濃いスープも全て飲み干したところで。
  亨が翠を呼んだ。
「ん…」
  翠はいつも亨より食べるのが遅かったので、どんぶりにはまだ三分の一程麺が残っていた。ただもう空腹は満たされていたので、翠はそれを惜しむ事なく動かしていた箸を止めて顔を上げた。
「何」
「やっぱり今日、泊まりたい」
「……駄目」
  いやにストレートに訊くなと呆れながら、それでも翠は一瞬の間の後、そう無碍に断った。一度許せば二度三度と調子に乗るに決まっているのだ。ここは毅然とした態度でいこうと決めた。
「約束が違う」
「うん。約束破る」
「開き直るなよ。駄目だよ、部屋に帰れ」
「嫌だ」
「俺だって嫌だよ」
「何で」
  亨は翠の顔を見ていなかった。自分の方が分が悪い事は分かっているのだろう、気まずい時にはいつでも俯きながら話をするのが亨の癖だった。
  亨の事なら翠は何でも分かった。
  だってずっと一緒にいたのだ。
「何で一緒にいるのが嫌なの」
  亨の問いに、翠はあからさま溜息をついた。
「さっきも言っただろ。俺だって独りになりたい時があるんだ」
「俺はないよ。翠と離れていたいなんて全然思わない」
「……亨はそうでも、俺は違うの」
「何で」
「何でじゃない。何で何で訊くなよ、バカみたいに」
「俺、バカだから」
「だから開き直るなっての…。大体、亨は俺よりずっと頭いいくせに…」
「何で。そんなわけないよ」
  これには亨が驚いたように目を見開き、顔を上げた。
「……?」
  翠は翠で亨の反応が意外だったから自分も怪訝な顔を見せた。頭の良い悪いには確かに個人によって見解が違うのだろうし、互いの思いがずれるのも必然ではある。けれど翠にしてみれば亨は確かに「ある意味バカ」だが、たとえば学校の成績といった偏差値で考えると非常に聡明な部類に入ったし、頭の回転も早かった。いつでも優等生で「出来る子」として評価されるのは亨だった。
  そんな亨だから皆一目置いていたし、そんな亨が翠に構うから、翠は周りから妬みを受け、謂れのない迫害も受けたのだ。
「俺、バカだと思う。上手に翠を愛せない」
  亨は唐突にそう言った。
「……何言ってんの」
  翠がたじろいだ風にそう返すと、亨はいきなりどんぶりやコップが乗っているローテーブルを片手でぐいと横へずらし、自分達の間にある「障壁」を退かしてしまった。
  そうしてずいと翠に近づくと真っ直ぐな目を向けたまま言う。
「だって俺が本当に頭良かったら、こんな風に翠を頑なにさせずに、翠を苦しませずにさ。翠を愛せたと思うもん。俺がバカだから、俺たちこんなになった」
「……違う」
  それを言うなら自分の方が余程の大バカだ。
  そう思いながら、翠はさっと亨から視線を逸らした。
  亨のいつでも真っ直ぐで偽りのない情愛に恐れをなして逃げ回っているのは自分であり、はっきりとした「結論」を出せないまま亨を振り回しているのも自分だ―…翠にはそういう自覚があった。本当に亨が嫌なら嫌だと言うべきなのに、そう出来ない。それがどれだけ酷い事なのか、翠は翠なりに分かっているつもりだった。
「でも…怖いんだ」
  亨を捨てきる事も出来ず、かと言って受け入れる事も出来ない。卑怯だと思うけれど。
「俺、亨みたいに……亨の事好きって言えない」
「嫌い?」
「嫌いじゃないよ。でも…亨みたいには言えない」
「……うん。俺がバカだからだね」
「違うって…」
  ぶるぶると首を振って否定したものの、すぐ傍に亨の影を感じて翠はハッとした。
「亨―…」
  膝をついた格好でこちらに近づいてきていた亨の顔がすぐ間近にあり、翠がそれに気づいて声を上げた瞬間、もう唇は重ねられていた。
「………」
  思わず目を開いたままそれを受けとめてしまうと、同じようにそんな翠をじっと見やったまま突然のキスをした亨は、酷く真面目な顔をしたままそっと唇を離した。
  未だ互いの吐息が触れ合える至近距離のままではあったが。
「翠と」
  そして亨ははっと小さく息を吐き、囁いた。
「翠とキスしたの、凄く久しぶり」
「……うん」
「こっちに来てからは初めてだ」
「うん」
  翠が素直に返事をすると、亨はここでやっと安心したように微笑んだ。
「良かった。翠、嫌がってなかった」
「……うん」
  そんなの突然だったからだとか、お前がずるいシチュエーションを作ったからだとか、言いたい事は翠にもたくさんあった。けれど、亨の心底嬉しそうな、ほっとしたような笑顔を見てしまったら、何だかそれらの不平は全て喉の奥で消えてしまった。
  そうして、そうこうしているうちに亨からの2度目、3度目のキスがやってきて、翠は今度こそ本当に何も言えなくなってしまった。
「翠」
  キスの合間に亨は何度も翠を呼んだ。やがて唇だけでなく、頬へ、目元へ、そして額へと、あちこちに移動する亨の唇を、翠は眩しいものでも見るように何度も瞬きしながら受け入れた。キスだけだからと言うように相手の肩に込める力だけは抜かなかったけれど、亨もその辺は了解しているのか、いつものように無理に身体を寄せてきたり擦り付いてくる真似はしなかった。

『翠とキスしたいんだ。翠としかしたくないんだもん。していい?』

  初めて亨が翠にそう言ってきたのは、2人が中学1年になってすぐの事だった。翠は亨のその突然の申し出に勿論驚いたが、それに対してすぐにNOと言えなかった。何故ならそのほんの数日前、亨から「隣のクラスの女子から告白されたから付き合う事にした」と告げられていたし、「キスしてみたんだけど、それが凄く変だったんだ」と聞かされていたから、「何がどう変なんだろう」と単純に興味があったのだ。相手が亨だったせいか、男同士じゃないかとか、そんなのおかしいだろうと言う気持ちは沸かなかった。
  そして実際、キスをしてみた時は「ちっとも変な気持ちじゃないじゃないか」というのが正直なところだった。

『やっぱりだ。翠となら変じゃない。翠じゃなきゃ駄目なんだな、俺』

  そう思った直後、納得したようにそう呟いた亨の事も……翠は確かに嬉しいと感じていた。

「もう1回唇にしたい」
  はっとし我に返ると、亨が伺うように翠の顔を見ながらそう言っていた。気づくとしきりに額を撫でられていたが、どうやら別の世界へ飛んでいたらしい。翠はぱちぱちと目を何度か瞬かせた後、そんな亨の手を振り払って「これ以上は駄目」と言った。
「何で」
「亨が調子に乗るから」
「乗らない。ちゃんと待てる」
「何がだよ。……いいから、もうおしまい。帰れよ」
「一緒に寝る」
「駄目だって!」
  ああ、キスなんてしたから身体が熱い。
  翠は依然としてぶうぶうと文句を言う亨から離れる為、まだ残っているラーメンの元へ戻ると、再びのびきった麺を箸で掬い、ずるずるとすすり始めた。
  この様子だと亨は本当に部屋に泊まると言って譲らないかもしれない。嫌だけれど、喧嘩をしてでも追い出さなくちゃな……そう思いながら、翠は自身の耳が赤くなっている事を意識しつつ、亨に背を向けたまま決して振り返ろうとはしなかった。
  「待て」が出来ると言い張る亨に、ほだされ流されてしまうのが怖かった。
  怖くて不安で。
  翠は亨を見る事が出来なかった。







ワンコに「マテ」をさせたものの、そのつぶらな瞳に飼い主の方が根負けする図。
結局ほだされちゃうみたいな…そんな感じで(どんなだ)。