エピローグ 親友の沢海拡が「何があったんだよ」としきりに言うので、友之は仕方なく口を割る事にした。 「 ええ?」 もっとも、親友はまるきり友之の言う事を信じてくれなかったのだけれど。 「 何言ってんだよ友之…。お前、大丈夫か?」 「 そう言われると思ったから…何でもないって言ってたんじゃないか」 無理やり自分の額に手を当てて熱を計ろうとする沢海を片手で振り払い、友之はふてくされた口調で返しつつ苦笑した。 今日は土曜日でお互い学校は休みだった。だからというわけでもないが、その日は何となく「そういう気分」で、友之は沢海からの誘いをそのまま受けて外に出た。 母の店の手伝いがなければ家でごろ寝している時間だ。生真面目な気持ちが勝っている時は宿題くらいするが、今日はそんな気は微塵も起きなかった。 駅前のファーストフード店の2階でハンバーガーをかじりながら、2人ははじめここ1週間の話をしていた。ほぼ沢海が一方的に喋るだけだったのだが、友之にしてみてもそれはありがたい事だった。 何しろ友之にはここ1週間の記憶がまるでない。 「 何処行きかも分からないバスに飛び乗って気がついたら墓地にいて? その上そこで記憶が飛んで、気づいたら傍に自分の兄貴になってる北川光一郎がいただなんて、さ…。友之、そんなの信じろって言う方が無理だろ?」 「 だったら信じなくていいよ」 「 と…っ。だから、そんないじけるなって!」 ますます膨れる友之に沢海は焦りながら、しかし努めて冷静さを維持しようと手にしたコーラに口をつけた。 ごくりと一口やってから再び口を開く。 「 けど…何回も言うようだけど、俺ちゃんと友之に会ってたんだぞ。お前が覚えてないとしてもさ…」 「 だから…それは違う友之」 「 ………」 「 本物の友之でもあるけど」 「 分からないな」 「 だからいいよ、分からなくて」 そうは言ってもこの親友がそれで自分を完全に突き放したりはしないという事を友之は知っていた。沢海はいつでもお節介で世話焼きで、友之がどんなに距離を取ろうとしても近づいては気遣いの言葉を掛けてくる。それが嫌いではないから一緒にいるわけだが、この時はそんな沢海の言葉が友之には余計に嬉しいものに感じられた。 「 友之」 案の定沢海は暫くした後、頭の中で考えていたのだろう事を口にした。 「 それじゃ友之は逆に『そっちの世界』へ行って1週間過ごしてたって事だよな。そこで何してたんだよ?」 「 あ…ううん…」 沢海の当然の質問に、しかし友之は驚き途惑って俯いた。 自分はあそこで、ただふわふわしていただけだ。 「 ………」 「 何?」 「 ……何でもない」 「 ………」 物言いた気な沢海の視線から逃げるようにして、友之は窓から見下ろせる町の通りへ目をやった。 あの一瞬。 こちらに戻る為目を見開いた先、突如として現れた―あちらの世界の北川友之―は、この1週間をこちらの世界の北川友之として過ごしていたようだ。 だが、自分は違う。 友之はあの頃の事をあまりよく覚えていない。ただ何か柔らかくて居心地の良い白い雲の上に乗っているような感覚で、「もうちょっとだけこうしていたいな」と思っていた。何度か呼ばる声に目を開けると、いつもそこには北川光一郎がいた。昔から憧れていた遠い存在の人が何故いつも横にいるのか。まるで昔からの兄だったような優しい眼差しで見つめられて友之は途惑っていた。 だからかもしれない、友之は「あちらの世界の光一郎」と話をしてもすぐに意識を閉じてはただ「休んだ」。たぶん自分にとって必要なのは休息だった。あちらの世界には興味がない。必要ない。だから自分はあちらの世界の友之とは異なり、殆ど全ての時間を眠りに費やしていたのだろうと思う。 「 友之」 「 ん…」 ぼんやりしていると沢海が呼んだ。 「 あのさ…。確かに、ここ数日の友之はどこか様子がおかしかったけど」 「 ………」 「 でも、たまにはああやって弱気な自分を見せる事も大切じゃないか。お前…本当、いつも無理してるからさ」 「 拡…いつもそればっかり」 「 しょうがないだろ! 友之がいつもそうなんだから」 「 うん。ごめん」 「 と…友之…」 「 でも、ありがとう…」 「 あ。ああ…」 友之が素直に礼を言うと、目の前の親友は僅かに赤面して俯いた。友之はそれを不思議そうな目で見やった後、再び街の通りを見やって呟いた。 「 あのさ、だから…。俺、母さんともこれからの事ちゃんと話し合う事にしたんだ」 「 あ…再婚のこと?」 「 うん」 沢海から視線を外したまま友之は頷き、それから薄っすらと笑んだ。 自分がいない間、母にも何がしかの変化があったようだ。以前よりも積極的に息子である友之と関わろうとしているし、少し大胆にもなった気がする。そんな母と対面するのは余計に尻込みしてしまうところもあるのだけれど、たぶん…いや絶対に。 今それをしなければ自分はきっと後悔するだろうと、友之は何となく「分かって」いた。 「 光一郎さんが…」 「 え?」 光一郎の名前を出した事で途端顔が曇った沢海に気づかず、友之は淡々と続けた。 「 うん、その…。そのさ、1週間ぶりの帰還の時、丁度その霊園に光一郎さんがいたんだ。俺が眠ってた時ずっと傍にいた時と同じ、心配そうな顔して。あ、雰囲気は全然違ったんだけど…でもやっぱり光一郎さんは光一郎さんで…」 「 何の話だよ…」 「 うん…。自分でも…よく分からないんだけど」 友之は困ったように目を伏せ、あの時の事を思い返した。 ふと我に返った時、焦ったように駆け寄ってきた光一郎は、まるで何か得体の知れないものを見るような顔をしていた。そうして暫し黙りこくった後、「友之君?」と訊いた。友之が促されるように頷くと、光一郎は足元に落ちている割れたシオンの鉢植えをじっと見下ろした後、ふうとため息をついた。 そして言ったのだ。 「何だか長い夢を見ていた気分だ」と。 「 それから光一郎さん、よくうちに電話くれるんだ」 友之はどんどん不愉快な顔になっていく沢海に気づかずに言った。 「 心配してくれて、拡みたいに言うよ。『無理ばかりするな』って。『俺みたいに、逃げ出したくなったらすればいい』って」 「 いざとなったら自分のとこ来い…って?」 「 え、凄い拡。どうして分かったの?」 「 友之!」 「 わっ…!」 突然ガタンと椅子を蹴って立ち上がった沢海に、周りにいた客数人が驚いたように視線を向けた。友之自身、ここに来てようやく親友の怒り心頭の顔を見て、初めて何かまずい事を言ったのだろうかと瞬きをした。 「 ひろ…む?」 「 そ、そんなの、断れよな!」 「 そんなの…って?」 「 だからっ。光一郎さんとこに行くとかそういうの! 再婚に反対で、そっちの家に行きたくないなら、おばさんにその事ちゃんと言えよ!」 「 反対じゃないよ」 「 なら光一郎さんとこには行くなよっ!」 「 ど、どうしたの、拡」 「 ………べ、別に」 ようやく沢海も周囲の視線に気づいたのか、かっと赤くなった火照りを鎮めるようにしてすとんと腰を元の位置に戻した。友之はそんな沢海の事を珍しそうに見つめた後、ゆっくりと笑って首を縦に振った。 「 うん…。俺は…行かないよ。母さんと一緒に北川さんとこの家に行く」 「 …本当に?」 「 うん。だって何処へ行っても光一郎さんがお兄さんになってくれるのには代わりないし…。それに…」 友之はもう一度、すっかり見慣れた商店街に目を落とし落ち着いた笑みを浮かべた。 「 あの、さ…。ちゃんと、息抜くとこは抜くから…大丈夫。でも…それでも自分の事もっと認めてあげられるように…しっかりしなきゃとも、思う。…やっぱり」 「 ………」 「 何?」 「 友之はそういうところが放っておけないっていうか」 「 え?」 「 だからっ。きっと家族になっちゃったら、光一郎さんも絶対お前のこと構いまくるよ。友之だって前からあの人のこと憧れてたし。あーあ!」 「 な、何…?」 「 何でもないよ。ただ、何か憂鬱」 今度は沢海がふてくされたような声を出したが、やはり友之には訳が分からなかった。ただその場を誤魔化すように笑った後、無理に明るい口調で言った。 「 あ、あのさ、これから…河川敷行かない…? 野球、観たいんだ」 「 ………」 「 ひ、拡は嫌かな…?」 「 ……いや。ただ、そこにもまた友之の事待ってる奴いるんだろうなって」 「 え?」 「 何でもない。行くよ、行きます」 親友の半ば嘆きのような口調に友之は相変わらず首をかしげるだけだったのだが、一緒に言ってくれるというその同意が今はただ嬉しかった。 「 じゃ、行こ…っ」 立ち上がった時には、既に頭の上にあの見慣れたグラウンドや人々の喧騒が浮かび、友之は自然頬を緩めた。どうしてあんなに憂鬱だったのか、つい1週間前の自分がまるきりの嘘だったように、今の友之の心は不思議ととても軽かった。 そして不意に、あの時一瞬合間見えた自分自身…あちらの世界での友之の姿が脳裏を過ぎった。今頃どうしているだろう、泣きそうになってはいないだろうか。 「 大丈夫、だよね…」 「 ん? 何?」 「 あ…ううん。何でもない」 慌てて首を横に振り、友之は微笑んだ。 大丈夫に決まっている。だってあのコは自分なのだから。 そうして友之は沢海を促すようにして自ら先に店の階段に足を掛けると、「早く行こう!」と元気の良い声を出した。 |
【fin】 |