僕らの世界
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最近ではめっきり「その手」の面倒事から解放されたと思っていたのに、災難というものはある日突然やってくる。 「正人先輩、助けて下さい…ッ!」 始めたばかりの仕事でぐったりしている身体は、たかだか5時間ほどの睡眠では回復しない。明日もまた出勤が早いから、せめて今日の休みだけはゆっくり眠ると決めていたのに。 「…俺がお前を殺してやろうか…」 ドアの向こうで必死に叫んでいる後輩「A」を、正人はあまり好きではなかった。都合の良い時だけやって来て適当な事をまくしたて、周りからもお調子者として鬱陶しがられている所謂「迷惑な奴」だ。 それでも頼られるとついつい面倒を見てしまったせいで、忘れた頃にこうして厄介ごとを持ってこられる。 「センパーイ! 開けて下さいよ、正人センパイ!!」 「っせえ! 無駄にドア叩くんじゃねェ!」 ただでさえボロイアパートの扉なのに、あのデカブツが見境なく叩き続けたら本当に壊れてしまう。ここの契約をする時、年老いた大家には厭味な目を向けられた。うちは借りている人が年配の方も多いし、あんまり煩くされるの迷惑なんですよ。アナタ、若いんだし、もっと駅前の方の物件とか見たら? 家賃だけでうちを選んだんでしょう、確かに安いけど、壊されたり傷をつけられたりした分は、うちはきっちり請求するんで――。 正直、後見人の村井が隣にいてくれなかったら、年老いた女性と言えども正人は手を上げていたと思う。それくらい自分は堪え性がない短気な人間だと自覚しているし、かと言って「分かっているから抑えられる」のかと言えば、決してそんな事もなく、プツリと切れてしまえば後はもう訳が分からなくなるのは日常茶飯事なのだった。 それでも、安月給で何とか1人やっていける物件の中で、この部屋は1番だった。 駅からは遠いけれど日当たりがいいし、親友の光一郎が住むアパートとも近い。何とか高校を卒業したものの特にやりたい事もなくぶらぶらしていた時、村井が仕事を紹介してくれた。そして家を出るチャンスを得た。やり直そう、初めてまともにそう思ったのだ。多少の事でへこたれるわけにはいかない。光一郎も高校を出て早々に家を出た事に成功しているのを見て、自分も負けていられないと思った。思えばきっかけは親友のあの「脱出劇」を見たからだ。 「センパーイ…」 ドアの向こうでは泣き出しそうな声がまだ助けを求め続けている。中原はぐしゃぐしゃの頭によれよれのスウェット姿のまま、ハアと大きく溜息をつきながら仕方なくドアを開けた。 目の前には案の定、高校時代の後輩が真っ青な顔をして立っていた。 「何の用だよ……んな朝っぱらから」 「大変なんですッ! もう、止められるの、正人先輩しかいないしッ! お願いします、今すぐ来てもらえませんか、カズキとか、マジでもう半殺しにされてっかも…!」 正人の顔を見た途端、マシンガンのようにそうまくしたてる後輩に、正人は心底面倒臭そうな顔を向けた。どうせ話の内容は「そんな事」だろうと思っていたが、ここまで予想通りだとウンザリを通り越して情けなくなる。よくもまあ、1年前の自分はこんな事をしょっちゅうやっていたものだ、と。 今は仕事疲れで喧嘩どころではない。 「先輩、お願いします! カズキたち助けて下さい!」 「あのよぉ…大体、誰だよそれ…。俺はもうお前らとは遊ばねえの。言っただろ? いちいち何かある度来てんじゃねェよ。第一、今すっげえ疲れて――」 「先輩、『後輩がしでかした事は自分の責任でもある』って、前はいっつも手ェ貸してくれてたじゃないスか! 卒業したらもう俺らの事なんか関係ないんスか!?」 「…うぜえな、お前。都合の良い時だけ後輩風吹かしやがって…」 そもそも俺は“お前とはそれほど親しくもねェよ”とまで言ってやりたかったが、そこは可哀想かと思って口にしなかった。 以前はそんな風に相手の事を気遣ったりなどバカらしいと思っていたが、光一郎が取り立てて好きでもない連中の悩みを聞いてやったり、「殆ど病気」としか思えない異様な家族に大人しく付き合ってやっているのを見ていたら、「自分もそれくらいの事は出来るのではないか」と思い始めたのだ。 幼馴染の光一郎にそこまで影響を受けている事を、正人は同じ年の男として多少情けなく思っているが、「変化している自分」を嫌いではないから、そこは目を瞑る事にしている。 「せ、先輩…。けど…俺らをボコろうとしてるの、隆なんですよ…?」 「……はぁ?」 正人がどうにも動いてくれない事をいよいよまずいと思ったのか、「学ランを着ていなければ高校生に見えない」ゴツイ後輩Aは、本当に泣き出しそうに目じりを下げて訴えた。 「あいつだって悪いんスよ…!? 仲間のオンナに手ェ出したり! いつも暗くて黙ってばっかいるくせに、俺らのこと時々バカにしたようにガンくれっし…! だから、カズキなんかが『皆でいっぺんヤキ入れよう』って言ってあいつ呼び出したら…」 「返り討ちに遭ったって? 何対何だよ?」 「………それは」 「正直に言わねェと、俺が今ここでお前の歯ァ折るぞ?」 正人の平然とした台詞にAはヒッと息を呑み、じりと後退した。それでも仲間と自分の身が危ないというのは本当なのだろう、気まずそうに目を伏せた後、「……人ス」と呟いた。 「あぁ? 聞こえねーよ、もっとデカイ声で言えって。テメエ、俺を起こす時はあんだけ叫んでたくせに―」 「8人ッス!」 「………」 ヤケになったような後輩の言葉に正人はすっと目の色を変えた。 正人自身も学生時代は随分と色々な学校の生徒、或いはそれ以外のグループと喧嘩をしてきたが、既に旧知の連中―いわゆる「仲間内」で揉める時にはある程度のルールが存在する事は、殆どの者たちが知っていた。そう、世間は自分たちの事を不良だの何だの言うけれど、その不良にだって不良なりの常識があるし、限度も知っている。勿論、「よっぽどのバカ」とか「イカレてる」部類に所属する奴らだとそういったルールも通用しないのだが、正人の高校の仲間にそういう人間はいなかった。……少なくとも、正人が在籍していた時代にはいなかった。 「8人がかりで隆1人を痛めつけようとしたのかよ」 「あっ、あいつ…強いし! 下手に2〜3人で話つけようとしても、キレられた時面倒だってカズキが…」 「だから、誰だよそいつ! そんな奴知らねーんだよッ!」 ドスドスと荒っぽく部屋の中に戻って行って上着を取ってきた正人は、部屋の鍵をじゃらつかせながら「場所何処だ」と訊いた。 「先輩! 行ってくれるんスか!?」 後輩Aはそれにあからさま安堵の声を上げたのだが、正人は逆にその相手の腹を軽く殴って、「バカ野郎」と詰った。 「お前らの為じゃねーよ。隆が心配だから行くんだろうが」 「い、いや! マジで殺られそうなのは俺らなんスって! あいついきなり凄い勢いで警棒振りかざしてたし…」 ふと見るとその後輩の手は赤く腫れあがり、臆病なのか賢いのか、恐らくはその一撃だけで駄目だと判断し、自分だけ退いてきたのが一目瞭然だった。 「はあ…」 面倒臭ェなと思ったけれど、仕方がなかった。 何せ自分が仕事を見つけて徐々に仲間たちから足が遠のき、もうバイクも止める、付き合いからも抜けると宣言した時――。 からかったり、或いは暴言を吐いて突っかかってきたりした者がいる中、「寂しいです」と呟いて見送ってくれたのは隆だけだったのだから。 卒業してからめっきり近づかなくなった高校には、その裏手に小さな雑木林があった。 土地の所有者が地元の人間ではないらしく、随分と放置されているようだったが、そんな場所は正人たち居場所のない人間にはうってつけだ。特に学校にいる間は煙草が吸えない。これはヤニ中の「不良軍団」には何よりも辛い事だった。体育館の裏手などはこっそり吸うにはうってつけだが、容赦ない鉄拳を飛ばす体育教師が巡回に来易い場所でもある。その点、裏の林なら姿を隠せる場所もたくさんあるし、それでいてバイクを常駐するのに都合の良いちょっとした広場のような空間もあった。 だから喧嘩も酒も煙草も。或いは付き合っているカノジョとのセックスでさえ、正人たちはその雑木林を利用していた。 「もう二度と来ないっつって、俺ここに来てんの何回目だ…?」 集団でリンチに遭い掛けている隆の事は確かに心配だが、家を出て移動している間に徐々に頭がクリアーになってくると、段々色々な事が腹立たしくなってくる。隆を助けたらイの一番に自分があいつを殴ってやろう―…そんな風にも思ってしまう。 「おい、あいつら何処にいんだよ」 下手な運転をする後輩のバイクの後ろにずっと乗っていたせいか腰が痛かった。ヘルメットを投げるようにして後輩の胸にぶつけ、正人は誰もいない広場を見渡して不審の声を上げた。 「奥か?」 「多分…」 「多分って何だよ。お前だっていたんだろ?」 「で、でも…俺、みんなが駆け出したと同時にもう先輩ん家にダッシュしてましたから」 「逃げ足抜群だな…」 ある意味生き残るタイプだと思いながら正人が軽蔑に似た目で相手を一睨みすると、途端気まずくなったのか、Aは「あっちかも!」と正人を置いて先に走り出した。 「おいおい、俺ァ、お前らと違ってもう若くねェんだから。んな走んねーぞ!」 そう言いながら、ついついやっぱり一緒に走ってしまう。正人はそんな自分をとことんお人好しだと呆れながら、それでも元々年齢とて1コしか違わない後輩なのだからと、競うように全力で当たりをつけた場所向かって走り始めた。 「ああぁッ!」 けれど最初に彼らを発見したのは正人を連れて来たAだった。Aは驚愕に満ちた声をやがて恐怖の色に変え、あからさまがくがくと膝を震わせてその場に立ち尽くした。 「んだよっ、いたのか………あ」 息を継ぎながらその震える背中だけを見ていてた正人は、思い切り怪訝な声を上げた後、納得したように動きを止めた。 その先にいたのは、正確に言えば「彼ら」なのだろうけれど、居るのは「彼」ただ1人だけだった。 「隆」 後ろ姿に声を掛けると、相手はびくりとそのTシャツごしにも分かる程の勢いで背筋を動かし、ちろりと振り返った。日の光に照らされてより輝いて見える金髪は、隆が「正人先輩に憧れているから真似した」のだと照れもせず言っていた時そのままだ。そんなおべんちゃらでも嬉しくないわけはなかったから、後輩の中でも正人はこの隆を特に可愛がっていた。 しかし、こういう時のコイツはとても面倒臭いと思う。自分もそうだったから尚更だ。同類の事はよく分かる。 「お前、もう全員飛んじまってんだろ。足、どかせよ」 「……はぁ?」 苛立ちがまだ身体の中を燻り続けている。正人には隆の怒りと居た堪れなさの混ざった波動が手に取るように見えた。思う様に痛めつけて、相手はそんな自分に恐怖し、のたうち回って呻いているのに、まだ足りない。どこまでも傷つけてやりたいと思うし、壊してやりたい。 だってこんな奴ら、好きでも何でもない。 「聞こえなかったのか。足、どけろって言ってんだよ」 正直、隆が足蹴にしている男は正人もあまり好きではなかった。腕っぷしと口の巧さで何となく現在の母校を仕切る「頭」になったようだが、姑息な性格が好きではなかったし、金の話ばかりするところも気に食わなかった。正人に対してはいつもへらへらと調子を合わせて御機嫌取りもしてきたが、同学年相手には何という事もない時に意味なく仲間の1人だけを虐げようとしたり、また何より最悪だったのは、自分の手は汚さず、誰かにやらせて己は見ているだけというパターンが非常に多かった。 それでも一応はこの隆と同じ、正人の後輩には違いない。 「周りの奴もそうだけど。そいつも、もうのびてんだろ」 「こんなクズは今のうちに殺しといた方がいいでしょ」 もう正人には視線を向けていない。隆は虚ろな笑みを浮かべたまま、足元に転がっている「元仲間」を見下ろしてそう言った。 「そもそも、前から嫌いだった、こいつ。顔見ると無性にイライラしたし、ぶん殴るの我慢すんの、すげえ苦労した」 「お前、ぶん殴るどころか武器でボコボコじゃねェかよ。それ以上やったらマジで警察沙汰だぞ」 「警察ゥ? 何それ。何? 意味が分からない」 正人の言葉にハッと馬鹿にするような笑みを浮かべ、隆はやや肩を震わせながら声を荒げた。いつもは仲間内でも大人しい方で、集団の中にいても黙々とバイクを磨いているような奴なのに、「こうなると性質が悪いんだよな」とげんなりする。 正人のそんな心の嘆きをよそに、隆は尚も声を張り上げる。 「コイツ死んだって、俺は無実だよ。だってセートーボーエーだもん。コイツらが8人がかりで俺を殺そうとしたんだよ? 何も悪い事してないのにさぁ…、あ、違う、8人じゃなくて、7人か。そこのゴミが最初っから逃げたから」 「ひっ…」 正人を呼びに来た後輩Aは自分の事を示唆されてすぐに小さな悲鳴を漏らした。 それからすかさず正人の背中に隠れるものだから、正人としても「ウザイ」以外の言葉が見つからない。 「あのなぁ…」 それでも、状況こそ多少なりと予想と違うまでも、この場を収める為に来たのだからと、正人は己の金髪を掻き毟りながらのろのろと隆に近づいて行った。 「俺は法律の事はよく分かんねェ……あ、ダチで何を血迷ったか、大学でそういう勉強してる奴いるから、今度聞いておいてやるけどよ」 「…何を?」 「だから。お前が無実かどうかって事」 「はぁっ…? だから、俺は無実だって」 未だ血走った眼でそう言う隆に正人は思いきり眉をひそめた。コイツは何かやばいクスリでもやっているんじゃなかろうかという程、目つきが怪しい。正人は殆どアル中に近かった自分の父親を見て、そういう壊れ方だけはしないと決めていたのでその手のものには一切近づかないし抑制も強いのだが、もしかするとこの後輩たちはそういうヤバイ方向にも手を染めているのかもしれないとふと思った。 「お前さぁ、俺がこんなん言うのも何だけど、もう高3だろ? 卒業した後とかどうすんだよ。いつまでもこんな連中とフラフラしてねえで、ちったあ、まともな道行けば?」 「まともな道って何」 「……っ。んなの知らねーよ! テメエで考えろ、テメエで!」 やはりらしくない発言だったと正人はぼりぼり更に髪の毛をかきむしり、「考えるのは苦手なんだよ」とぼやいた後、脅しのように拳を片手で何度か握り直し、パキポキと骨を鳴らした。 「とにかくそいつからどけ。でないとお前をぶん殴る」 「……できんの、センパイに」 「あぁ?」 バカにしたように笑う隆は、よく見ると拳や服に血がついていた。当然といえば当然だが、7人に総出で攻められて無傷ではいられなかったらしい。酷い怪我なら病院に行かなくてはならない。確かこいつん家は貧乏だったはず…色々と考えていたらまた訳が分からなくなった。 そう、それよりも今の発言だ。 「どういう意味だよ、それ」 「現役を引退しちゃった正人先輩は、もうただのサラリーマンなんでしょ。このクズ共には通用しても、俺には勝てないんじゃないですか」 「……言うじゃねェか、この野郎」 「高校卒業したら、男なんてタダのくだらないオヤジだよ。後はもうどんどん堕ちてくしかないの」 「……ああ、そうかよ。もういい。お前の絶望なんか俺には知ったこっちゃねえし。とにかく、お前はぶん殴る事に決めた。もうどかなくていいぞ」 「その前に、俺がアンタを、殺してやるよ…!」 「…ッ」 「ぎゃあっ」 正人の代わりとでも言うように、背後で後輩Aが悲鳴を上げた。それを煩いと思ったけれど、振り返って抗議する暇はない。 隆は先輩である正人に何の遠慮もなく、いきなり手にしていた警棒を容赦なく振り下ろしてきたのだ。そのあまりの速さには、さすがに寝不足という事もあって眼がチカチカしたし、一瞬本当にヒヤリとした。 「こ……のッ!」 だが、避けるのはウマイのだ。先日、村井の知り合いの野球チームの助っ人に入った時は、デッドボール紛いのボールとて楽々避けた。野球は昔やっていたから勘さえ取り戻せればなかなかいい線いっているし、村井が新しく草野球のチームを作ろうともちかけてきている「計画」も、口では面倒だ何だ言っているけれど、本当は満更でもない。 期待も、している。 「っと、余計なこと考えてる場合じゃねえッ!」 「ぐっ!」 避けた弾みで体勢が思い切り斜めにそれたが、正人はそのままの姿勢で片足をにゅっと出し、隆の腹に蹴りを入れた。隆はすかさず攻撃が来るとは思っていなかったのか、そもそも避けられるとも思っていなかったのか、もろにそれを受けて苦痛の表情を浮かべた。 「やっぱり弱ってんじゃ、ねえかよッ!」 それでも、これだけで隆が倒れるとも思っていない。正人は少しは加減しようかとも思いつつ、「現役引退」という言葉がどうにも腹立たしくて、「タダのオヤジ」発言にもかなり傷ついてしまったので―。 「それでも、全力でぶっ飛ばすッ!」 「がっ……」 すかさず体勢を整えた正人はよろけている隆に容赦ない右ストレートを浴びせ、その一発だけで見事派手なKO勝ちを決めた。 半ば全身が浮いたのではないかと言う程の飛び具合でその場に倒れた隆は、正人の一撃で脳震盪でも起こしたのか、仰向けに転がったまま動かなくなった。 「すっ…すげえッ! やっぱ正人先輩はすげえッ!!」 後ろで後輩Aがぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。さっきまで散々青褪めてみっともない悲鳴すら上げていたのに。後でコイツもぶん殴ろうと固く心に決めて、正人はそれでも今はと、倒れた隆の傍に歩み寄ってその姿を見下ろした。 隆は目を開けたまま正人の事を睨み据えていた。 「何だ、死んでねーじゃん」 「……やっぱアンタ、腕なまってるよ。前だったら完全にイッてた」 「うっせ。手加減してやったんだよ」 「全力でぶっ飛ばす」などと啖呵を切った事は忘れたフリをし、正人はふうと溜息をついた後、改めて周りで呻いたり、或いは気絶している後輩たちを眺めやった。 「お前が無実かどうかって話だけどよ」 正人は苦虫を噛み潰したような顔をして言った。 「俺は裁判官じゃねえからな。やっぱり分かんねーけど。お前の言い分は言い分としてよく分かるし、こいつら最低だけど。けど」 「仲間やるのは駄目だって言いたいんでしょ。……こんな奴ら、仲間じゃねえし」 ふんと横を向いて隆はいじけたように唇を尖らせた。ああ何だ、子どもみたいな顔も出来るんだと安心したが、それでも後の事を考えると正人は憂鬱になった。 「あとちょっとで卒業だろ。ちっとは大人しくしてろ」 「……自分のこと棚に上げて、そーゆー説教するの」 「らしくねえってのは分かってる。けど、大人しくしてろ。俺が迷惑だ」 「もう抜けたんだから、関わらなきゃいいじゃん。…もう、捨てたんだろ」 「………」 何を、とは訊かなかった。多分隆も望んでいないと思った。 「おせっかいだよ。先輩は、いっつもさ」 「そうかもな…」 けど、自分は自分よりもおせっかいでバカな奴を知っている。 隆の言葉からまたふと親友の顔が思い浮かんできて、正人はぶるぶると首を横に振った。やっぱりあいつと比べてしまう。お互い違い過ぎるし、別々の人間なのだから競おうとしたり追従したりするのはバカのやる事だと分かっているのに。 あいつの事を考えると、誇らしい気持ちと同時に、腹立たしくもなるから厄介だ。 「はあ…。とにかく、お前の世の中、狭過ぎ」 俺もそうだったんだけどなと呟いて、正人はそれっきり隆に何かを言うのを止めた。これ以上余計な事を口にして泥沼にはまるのが怖かった。 それから暫くして、正人は電気店・村井と共に草野球チーム結成発起人の1人となり、あまつさえそのチームのキャプテンとして全てを取り仕切る事となった。 メンバー集めは勿論のこと、グラウンドの確保やメンバーへの連絡、練習メニューの作成、練習試合の設定など、最初は本当にアップアップでとにかく多忙を極めた。「たかが草野球」などと思っていたが、とんでもなかった。 それでも村井や、チーム結成を後押ししてくれたバッティングセンター「アラキ」のマスターに愚痴ったり文句を言いつつも、正人はその大役を辞めたいとは一度も思わなかった。何の事はない、それが楽しかったのだ。時々親友の光一郎や、そのおまけ的についてくる幼馴染の修司が助っ人で参加したりした日は、何だか子どもの頃が蘇ったみたいだと思ったし、それを素直に嬉しいと思った。 そんな感情が自分に芽生えるなんて、単純に驚きでもあった。 「これが先輩の広い世界なの?」 そんな時、ひょっこりと隆が河川敷に現れて正人に声を掛けてきた。 あの時の怪我は大分重かったらしく、骨も何本か折っていたし筋肉も傷めたらしいとは後で人づてに聞いた。それでも仲間たちと違って入院はしなかったようだが、正人も仕事に追われ、この野球チームの雑務に追われ、この頃はめっきり母校離れしていた。すぐ下の後輩たちも卒業を控えた3年が殆どで、これを機に今度こそ「大抵の面倒な奴らとは縁が切れる」と期待もしていた。 だから隆にも連絡は一切取っていなかった。 「俺の世界を狭いと言っておいて、自分だって近所の草野球チームじゃん。先輩はどうしたって“チーム”を作らずにはいられないんだ」 「……最近、お前と似たような生意気な口きくガキがいてよぉ、俺はどうしてそういう奴らに好かれちまうんだろうなぁ?」 隆の厭味を厭味で返し、正人は暗に示すように村井らとボールを弄んで何やら談笑している青年を指差した。背は高いがまだ中学生で、名前は数馬と言う。やっぱり色々と悪い事をしている時に偶々知り合った1人だったが、何の因果か付き合いが始まって、自分が仲間内から抜け出した時期と合わせるように、この数馬も自分のいたグループからフラリと抜け出てここへやってきた。 もっともその数馬は、「ボクはどこにも所属なんてしてないよ」と怒っていたのだけれど。 「俺は生意気ですか」 隆が正人に訊いた。腕に巻いた包帯は真っ白に輝いてすら見えるが、本来の傷以上に痛みが伴う事を正人も自分の経験上知っている。 だから努めて優しく言ってやった。 「キレた時はな。お前、かなりめんどくせェもん」 「……じゃあ、もうキレるのやめます。もういい年だし」 「お前、そればっかりな?」 でも荒れている高校生なんてそんなものかもしれない―…。つい1年前の自分をやっぱり棚に上げて、正人ははっと笑った後、「お前も入る?」と軽い気持ちでチームに誘った。 すると隆は意外にもすぐにニコリとして嬉しそうな顔をした。 「俺、巧いですよ。中学の時はリトルリーグにいました」 「マジか」 「肩壊して不良になったけど」 「ああ、あるある。よくあるよなぁ、そういうパターン」 「先輩は?」 「俺は家庭が崩壊してたから悪くなった。これもよくあるパターン」 「あるねえ」 くっくと笑って、隆は改めてグラウンドにまばらにいる、まだ少人数のチームを見つめた。それから、「時々しか来られないけど」と断った後、「自分もチームに入りたいです」と言った。 「時々だと助っ人扱いでレギュラーにはなれねェぞ。俺は厳しいからなぁ」 「いいっすよ。俺、バイトあるし。……進学もしようと思ってるから」 「はぁ…?」 正人が聞き返した時、しかしもう隆は坂を上り始めていて、グラウンドから遠ざかっていた。どういう事だと正人がもう一度その背中に向かって口を開きかけると、隆は思い出したように振り返って言った。 「おれ、タメとか年上のむかつく奴にはまだ抑えられそうにないけど。とりあえず、まずは後輩に優しくしてみます」 「は?」 「後輩にはキレないようにする。それでいいでしょ?」 「まあ…今んとこ、うちのチームでお前の後輩っていったら、あそこのバ数馬しかいねえが……」 あいつにはキレる要素満載だから、隆がそういう誓いを立てたのはまあいいかと正人は思う。 それからもう姿の見えなくなった後輩からは興味をなくし、正人は再びグラウンドに視線を戻して、「お天道さんの下でこんな風にいられるのって、結構いいもんなんだな」などと心内で呟いた。 そうしてそんな事を思う自分に、正人はふっと笑ってしまった。 |
了 |